チャイコフスキー ピアノソナタ(大ソナタ) L・ハワード
少し前ですが、大井町の河津桜。
小高い松田山では、毎年2月後半、河津桜と菜の花が満開になって、桜まつりが開催されます。
天気にも恵まれ、多くの人出でした。
チャイコフスキー ピアノソナタ ト長調 op37
~大ソナタ~
ピアノ:レスリー・ハワード
(1993.10 @オールセインツ教会、ピーターズハム、ロンドン)
管弦楽作品、室内楽・器楽、オペラ、声楽と、広範なジャンルに作品を残したチャイコフスキーですが、聴かれる作品は案外と限られていると思います。
そんななかでも、ちょっとマイナーなイメージのあるピアノ作品たち。
1番の協奏曲ばかりがもてはやされるけれど、2番もステキな曲だし、未完の3番もいい。
そして、ピアノソナタは2曲あって、なかでも今日の「大ソナタ」は、構えの大きな力作であります。
作品番号37は、ちょうどヴァイオリン協奏曲と同じ時期のもので、4番の交響曲のあとで1878年。
もうひとつは、作品80がついているけれども、出版がずっと後になったためということで、1865年。
あと、このCDに収められているのは、奏者のハワードによって補筆完成させた単一楽章の作品もあって、ここでは1番のソナタとされてます(1863年)。
メック夫人の援助もあり、充実した作曲活動の時期だったが、どうもこのソナタの筆は鈍りがち。
ヴァイオリン協奏曲と交差するように、その作曲も交えて、ようやく完成させ、ニコライ・ルビンシュタインによって初演。
そして大成功をおさめたとされます。
大ソナタは、30分ぐらいの手ごろな長さだけれども、一聴してわかるのは、その難しさ。
スコアを一瞥すると、素人のワタクシでも驚くほどの音符の多さ。
これを書いちゃうのもすごいし、私には才はないから、これを演奏して、ちゃんと音楽にしてしまうピアニストというのもすごい。
「グランド」というタイトルのとおりに、チャイコフスキーが意識したのは、シューマンのこと。
4つの楽章からなり、第1楽章が一番長いのだけれど、その出だしから、シューマン風で、ロマン派のピアノ作品を聴いてる気がしてくる。
でも勇壮な、その1楽章にも、ちょこちょこ、ピアノ協奏曲で聴きなじんだチャイコフスキー風のフレーズが顔をのぞかせたりして、嬉しくなります。
沈鬱ムードの出だしの2楽章は、一瞬、ベートーヴェンのソナタの緩徐楽章っぽくて悩み多きチャイコフスキーの横顔が、ベートーヴェンやシューマンと被るが、中間部は明るくなって、そして盛り上がりも見せ、明るさと沈鬱が交互に明滅したりして、なかなかの聴きものの楽章だった。
次いで、ごく短いスケルツォは、忙しい雰囲気で、中間部のトリオも上から下まで、音が繁茂に行き来して楽しくもまた幻想的だったり。
第4交響曲のスケルツォ楽章にも似たり。
そして、そのまま忙しさを継続させ終楽章になだれ込むが、ここはそれこそ音符だらけで、そんな合間にメロディアスな民謡風なフレーズも顔を出したりで、最後は華々しく曲を終えるが、この楽章も第4交響曲と同じ香りを感じた次第。
リスト弾きとして高名なレスリー・ハワードの冴えたピアノは、2楽章の抒情も、高度な技巧の場面でも、ばっちりでした。
このCDには、チャイコフスキーのソナタ作品が全部収録されていてありがたい1枚です。
ちなみに、もうひとつのソナタの3楽章の一部は、そのまま交響曲第1番の「冬の日の幻想」の3楽章に引用されてまして、これもまた楽しい聴きものでありました。
大陸からやってきた災厄のおかげで、社会機能が一部不全となりつつあり、音楽界にも暗い影を落としてます。
相次ぐ公演の中止や、外来の演奏家の来日中止。
そんななか、無聴衆で演奏し、ネット配信して、ファンの渇望を癒してくれる果敢な試みもたくさん。
この週末は、びわ湖ホール、プロデュースオペラ「神々の黄昏」をネット観劇しました。
4年目の今年は、リングの完結で、楽しみにされていた方も多かったと思います。
4部作を通して、同じ演出と演奏者で観るというのは、人生でそう何度も味わえるものではありません。
本当に残念なことでしたが、でも関係者のみなさんの熱い思いをひしひしと感じる熱い演奏に歌唱で、感動的な舞台でした!
日当たりのいい斜面には、ミカンも満載。
コ〇〇早く消えろ、といいたい。
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