ウォーロック 「たいしゃくしぎ」
真冬の夕方どきの湘南海岸。
遠くの箱根の山が薄く染まり、砂浜の足跡も寂しく、厳しい雰囲気。
繰り返す波の音に、こんなときは、海鳥が鳴いたりすると、寂しさもひとしおになって、もっと雰囲気が出る。
3月の始まりなのに、絶望的な音楽を。。。
ウォーロック 「たいしゃくしぎ」
T:ジェームス・グリフェット
コールアングレ:マリー・モードック
フルート:マリー・ライアン
ハフナー弦楽四重奏団
(1993)
T:ジョン・マーク・エインズリー
ナッシュ・アンサンブル
(1997.4 @ロンドン)
T:イアン・パートリッジ
ロンドン・ミュージック・グループ
(1973.6 @アビーロードスタジオ)
ピーター・ウォーロック(1894~1930)は、ロンドン生まれの作曲家。
寡作化であったのは、36歳という短い生涯であること以上に、学校では音楽を学びながら、さらに専門の音楽大学、ことに英国でいうところの王立音楽院などに進むこともなく、独学で音楽を学ぶという、ほんとうの音楽マニア的な作曲家であったので、本格的な大作を書くことができなかったことにもあると言われてます。
そして、悩める作曲家でもあり、36歳という若さの死は、いくつかの説もあるようですが、自ら命を絶ったことであります。
音楽マニアと書いたのは、そのメインは、大好きな作曲家だったのが、30年ほど先輩にあたるフレデリック・ディーリアスの大ファンだったこと。
実際に会ったりもして、その思いも伝えたりしてますが、ディーリアス研究の著作もあって、大いに評価されてまして、それはいつか手にしたいと考えてもいます。
そしてなによりも、ディーリアスの音楽が、自身の作曲の手本にもなっていて、その作品からディーリアスの姿を感じ取ることもできるものもあります。
あと、クィルターや、オランダの作曲家でロンドンに住んだファン・ディーレンからも影響を受けているとされます。
ピーター・ウォーロックという名前は、いわゆるペン・ネームで、本名はフィリップ・ヘセルタインというものです。
山尾敦史さんの名著「英国音楽入門」で読みました。
ヘセルタインは、とても優しくて内省的なタイプと自分を評していて、芸術家というのは破天荒な存在で、苦悩に満ちていて放蕩を繰り返し、酒浸りになっているようなものだ、という思い込みがあったといいます。
そのために、作曲家としてのヘセルタインは、ペンネームのウォーロックに変身し、髭もたくわえ、友人の作曲家のモーランと連れ立って酒場通いをして、女友達に囲まれるような日々を過ごした時期もあったとありました。
そんななかで、いくつかのシンプルながら、珠玉の作品を残すことになるのですが、うつ病の症状も出始め、さらには創作力も弱まって、著作や作曲もうまく進まないようになってしまった・・・・
ウォーロックという名前の言葉の意味には、魔法使い、占い師、さらには世捨て人というような意味合いもあるそうです。
なんか気の毒なウォーロックさんとヘセルタインさんなのでありました。
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ウォーロックの多くない作品のなかでの、代表作は、弦楽のためめの「カプリオール組曲」。
それと歌曲集「たいしゃくしぎ」と歌曲の数々。
20年以上前に読んだ前褐の山尾さんの本で、ディーリアス好きのわたくしは、ウォーロックに大いに興味を持ち、「たいしゃくしぎ」という鳥がジャケットになったCDをすぐに購入しました。
ASV原盤で、いまは廃盤のようですが、こちらは、ほかに「カプリオール」とか弦楽四重奏付きのすてきな歌曲が収録されていて、いまでも大切に聴いてます。
しかし、残念なことにこのCDには、詩の原文がついてませんでした。
いまでは、ネットですぐに探すことができますが、20年前はそんな時代じゃなかった。
その後に購入したのが、エインズリーとナッシュ・アンサンブルのハイペリオン盤と、イアン・パートリッジのEMI盤の2枚でした。
「たいしゃくしぎ」の原詩を知りたい、ウォーロックの歌曲をもっと聴きたいという思いからです。
そこで苦闘しながら知ることとなった、「たいしゃくしぎ」の歌詞の内容・・・
その音楽もそうですが、イェーツの詩によるその内容も、暗くて、救いがなくて、惨憺たる心情にあふれたものだったのでした。
4編からなる22分ほどのこの曲は、コールアングレとフルート、弦楽四重奏を伴ったテノールによる歌曲集です。
「たいしゃくしぎ」=ダイシャクシギは、渡り鳥で、日本で越冬することもあるそうですが、あんまり見かけることはありません。
河口などの水辺にすごし、その長いくちばしで、地中の虫などを餌にして、これまた長い足でよちよち歩いたり、佇んだりしてるそうで。
またちょっとミステリアスな雰囲気もあるので、神秘的な存在として、この世の無常を問いかける鳥ともされているといいます。
日本の俳句などにも似合いそうな渋い存在ともとれますね。。
コールアングレ(イングリッシュホルン)という楽器がソロで活躍する曲といえば、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」を思い起こしますし、ワーグナー好きなら「トリスタンとイゾルデ」の第3幕、病床のトリスタンを心配する牧童の笛を思い出します。
そう、いずれも悲しみや、孤独、厳しい自然などを表出するのにうってつけの楽器。
これに、澄んだ無垢なるフルートの音色と、短調が基調の厳しい弦楽四重奏が絡むという、最高の虚無っぷり。
こんな音と楽器の配色を見出したウォーロックは逆にすごいと思います。
そして、こうした無常ともいえる内省的な音楽は、私淑したディーリアスの音楽領域にも重なるものと思います。
しかし、ウォーロックの音楽は、こんな風に暗くて救いのものばかりではありません。
16世紀、17世紀イングランドのテューダー朝、ステュワート朝の音楽の研究も行っていたウォーロックですから、「カプリオール組曲」のような瀟洒でシンプルな音楽も書きましたし、歌曲のなかには、心躍るような楽しい歌も多くあります。
そんな二面性のあるウォーロックさん。
アイルランド人で、神秘主義にも傾倒したイェーツの詩と不可分に結びついた「たいしゃくしぎ」
1922年、ウォーロック28歳のときの作品。
藤井宏行さんの訳詞が、ネットで見れますので、参照にさせていただきました、ありがとうございます。(→The Curlew)
①O Curlew , Cry no more
おおたいしゃくしぎよ、もう鳴くな
②Pale Brows , still hands and dim hair
蒼ざめた顔 柔らかな手と柔らかな髪
③I cried when the moon was murmuring to the birds
わたしは叫んだ 月が小鳥たちにつぶやいていたときに
④(Interlide) (間奏)
⑤I wander by the edge
わたしは、この岸辺をさまよう
各詩の最初を読むだけで、哀愁と忘れがたい悲しみを追い求める姿が浮き彫りになります。
曲の冒頭で、コールアングレの演奏が始まるとすぐ、ひんやりとした状況に包まれてしまう。
そして次いであらわれる、たいしゃくしぎに、鳴かないでくれと呼びかける歌、イギリスのリリックなテノール歌手の歌声あってこそ、この音楽を歌い込むことが可能とも思います。
歌うばかりか、独白のように、詩を読んだりもします。
ともかく救いナシ。
あまりに切々とした歌で、同情を誘ってしまうような音楽でありつつ、あちら側に行っちゃった感じも受けるので、ついていっちゃいけない、と曲が終わったときに心に誓うのも忘れてはなりません。
初聴きのグリフェットのマイルドな歌声、エインズリーの哀感ともなったリリカルな声、パートリッジのちょっとか細さすら感じさせる泣きの歌。
全部、好きです。
あと、パドモアも録音したみたいですから、そちらはフィンジがカップリングされてまして、是非にもと思っています。
いま現出した不安の日々に、こうした音楽も聴いて、逆に光明の光りを感じ取ることも必要かと思います。
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コメント
「たいしゃくしぎ」YouTubeで試聴しました。確かに冒頭のコーラングレから迫るものがあり、近々にもCDを注文します。やはり手元に音盤を取り寄せないと、じっくり聴き込めない性分ですので。ありがとうございました。
ところで「たいしゃくしぎ」は"Curlew"の訳なのですね。自然、ブリテン「カーリュー・リヴァー」を思い出しました。何故か「カーリュー~」は縁深く、CDは自演、マリナー、詳細不明の盤に、実演も二回接しました('84有楽町朝日ホール、'97すみだトリフォニーといずれも柿落とし)。これもまたじっくり再聴しようかと…。
投稿: Edipo Re | 2020年3月 4日 (水) 08時56分
Edipo Reさん、こんにちは。
わたくしも、同じく、音盤を手にしないと落ち着かない質ですし、しかもたくさん集めてしまうという・・・
そうですね、カリューリヴァーのカリューです。
川辺にたたずむ「シギ」、能の世界に通じる、無常ともいえる存在ですね。
ブリテンのあの作品は、涙なくては聴けない作品ですが、あちらもオケの編成が特異で、かなりの彼岸サウンドですね。
投稿: yokochan | 2020年3月 5日 (木) 08時34分