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2020年6月14日 (日)

ワーグナー オペラ 序曲・前奏曲 全部聴く

Shinagawa-04

梅雨入り前の晴れ間に神社巡り。

旧東海道、品川宿を抜けて品川神社に。

1187年の創始で場所柄、家康などとも由縁のある社です。

この社の後ろのほうに、板垣退助の墓石がありますが、改装工事で行きつきませんでした。

自由民権運動の祖でもあり、板垣死すとも自由は死せず・・・は著名な言葉です。

最近は、自由の名のもとに歪んだ活動が横行してると思いますがいかに。。。。

そして、存外に市民運動に身を投じ、貴族的な政治を批判したワーグナーも革命好きな方でした。

関係ないけど、この際、10あるオペラ作品の管弦楽部分を一気に聞いてしまおうという企画です。

数年前にもやってますが、音楽への渇望がみなぎるいま、またやっちゃいます。

一部ジャケットは、手持ちが好みでないものは、借り物です。

De-waart

  「妖精」 序曲

 エド・デ・ワールト指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

現存する完成された、ワーグナーのオペラ作品の第1作。
この前に「婚礼」という作品を手掛けたが、未完のまま破棄。
1834年、21歳の作品。
ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベアなどの影響を受けつつ、オペラの内容もおとぎ話風で、かつ喜劇的な要素や、狂乱の場的ないろんな要素が混在していて、しかも歌手への負担も大きく、なかなか上演が難しい処女作。
序曲もなかなか演奏会でもお目にかかれない。
 目隠しされて聴かされたら、ワーグナーとはすぐには見抜けないけど、のちのワーグナー風であることは確か。
オランダ人みたいな旋律も聴かれる。
ワールトがコンセルトヘボウとデジタル初期に残した録音は、さすがのフィリップスサウンドで、フレッシュかつ活気あふれる演奏であります。
ジャケットがノイシュバンシュタイン城の近隣にあるホーエンシュヴァンガウ城であることが実によい。
ノイシュバンシュタインの前に、ルートヴィヒ2世がこの城で過ごした縁の地です。

唯一の舞台体験・日本初演 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2008/02/post_7711.html

サヴァリッシュのCD   http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/06/post-4d08.html


Sawallish

  「恋愛禁制」 序曲

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

非正規のものも含むと、初期3作を含むワーグナー全オペラ作品を上演し、聴くことができる唯一の指揮者がサヴァリッシュ。
「妖精」のすぐあと23歳の作品。
シェイクスピアの戯曲をベースにした、イタリアを舞台とする、ワーグナーらしからぬイタリアンカラーに染まった喜劇。
カラッとした明るさのなかに、音楽と劇とが密接感を増していて、イタリアンだけどワーグナーらしさが出てきているオペラ。
タンバリンとカスタネットで始まるワーグナーの音楽なんてちょっと信じられないですね。
中間部では劇中のアリアの旋律が出てきて、なかなかいい雰囲気。
以外と好きな序曲だったりしますな。

フィラデルフィアの明るい音色と機能性があって、ミュンヘンの明るさとはまた違う楽しみがあります。

日本でも上演歴があるも、見逃してます。

サヴァリッシュのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-fbc3.html


Wagner-mehta-1

  「リエンツィ」 序曲

 ズビン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

序曲だけはやたらと有名。
でも全曲上演はやたらと長いこともあって、欧米でもめったに上演されず、わたしは、準地元・藤沢での98年の日本初演をこれまた逃してしまった。
借金と遍歴癖のワーグナーは、パリではやりのグランドオペラ風の上演を目指し、かの地で「リエンツィ」を作曲したのは27歳1840年のこと。
しかし、初演はされず、42年にドレスデンで初演され大成功し、その流れでオランダ人につながる。
全曲はともかく長くて、初レコードは5枚組だった。
その全曲のエッセンスともいえるのが序曲。
熱烈な護民官リエンツィの祈りの旋律が美しく、そして勇壮で、人心を鼓舞してしまいそうな、行進調の勇猛果敢な音楽。
深く考えず、楽しめるメータの指揮でどうぞ。

このオペラでもサヴァリッシュの献身的な活動が光りますが、同時にルネ・コロという大歌手あってのリエンツィ。

ホルライザーのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-e13c.html


Barenboim_20200613104601

  「さまよえるオランダ人」 序曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

いよいよ7大オペラとなると、耳なじみばかり。
リエンツィと同時期に29歳で作曲し、ドレスデンでリエンツィの1年後に初演。
ライトモティーフの活用が堂に入り、音楽の構成力も大幅UPし、無駄がなくなった。
初稿版では、序曲のオペラのラストも救済動機はなし。
その40年後、1880年に円熟の域に達したワーグナーの最終稿で、救済がプラスされた。
救済ありバージョンが主流だったけど、最近はバイロイトでもなしバージョンも多く上演されるようになった。
その混在もあって、序曲は救済なし、ラストは救済ありの折衷方式も新国で観ました。

でも序曲単独では、演奏効果が上がり、完結感が増すので救済の動機で終わるものがほぼ100%。
パリ管のワーグナーということで、デジタル初期にレコードで出たバレンボイム盤にすぐ飛びついた。
菅の音色などに、フレンチワーグナーの香りを感じさせるが、バレンボイムの重さ感は、とくにトリスタンなどに顕著。
ホルンがステキなパリ管オランダ人はいい。これ好き。

Abbado-2

  「タンホイザー」 序曲

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

32歳のワーグナー、リエンツィとオランダ人の成功で指揮者としてもドレスデンの宮廷劇場のポストをえて、順風ななかに「タンホイザー」を作曲。
これまた成功して、少し改訂してドレスデン版として、いまの序曲が完全演奏され、その後にヴェーヌスブルグの音楽に入るのが今の定番。
のちにパリでの上演に際し、序曲の途中のヴェーヌスブルグの音楽から、オペラ本編になだれこんだり、歌合戦に手を入れたパリ版が作られ、この版の上演も多々あるし、さらにドレスデンとパリ版の折衷もあるという、実はややこしいタンホイザー。

でも、普通に取り上げられる序曲は15分のオペラのエッセンスともいうべきドレスデン版のもの。
起承転結がちゃんとあって、思えばオペラの内容を凝縮したもの。
よく歌うアバドの研ぎ澄まされたワーグナーは、トリスタンを中心にほかの指揮者とは違う新しいワーグナーを打ち立てたと思っている。
癌で倒れることがなかったら、トリスタンとパルジファルのあとに、このタンホイザーを、やがてマイスタージンガーを取り上げたかもしれない。(本人もそんな発言をした時期があった。)
同じベルリンフィルでも、カラヤンの重心の低いレガート気味のワーグナーとは、まったく違う。
明るく、透明で、ピアニシモが豊かでサラリとしたローカロリーのワーグナーは新鮮。

Bohm

  「ローエングリン」 前奏曲

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ドレスデンを拠点とした37歳の年に完成、しかし革命好きが災いし指名手配を受けドイツから出ざるを得なくなり、ローエングリンの初演はリストに託し、ヴァイマールで上演。
タンホイザーからローエングリンへの飛躍も大きく、オペラの内容を凝縮したような大規模な序曲は廃され、簡潔な前奏曲となり、オペラ本編でもアリアが突出することなく、劇の流れが優先し、人物たちの性格表現がより豊かに。
性格もよろしくなく、品行方正とは言い難かったワーグナーが、こんな清らかな音楽を書くなんて。
ロマンティストであり、美と理想を求める自己陶酔性がワーグナーの一面、というより本質がこの音楽かもしれない。
同じことはトリスタンにもいえる。

ベームとウィーンフィルの木質感あふれる、まろやかなローエングリンは、その穏やかでゆったりとした運びにおいて理想的な美しさ。
前にも書いたけど、ベームはローエングリンは、最初から最後まで、4拍子で振ってればいいんじゃよ・・なんて言ってたけど、正規録音で全曲残してほしかったな。

ベームのローエングリンCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2017/07/post-c1ea.html


Stkowski

  「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

 レオポルド・ストコフスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

46歳となったワーグナー、1859年の作品。
ドレスデンを追われ、亡命先のスイスで、このトリスタンの前に「リング」に取り組み、ライン、ワルキューレ、ジークフリートの2幕までを完成させていた。
楽劇・ムジークドラマは、もうすっかり板について、全曲に張り巡らされたライトモティーフ、どこまでも発展していく無限旋律など、ワーグナーの筆致は最高の域に。
加えて、半音階進行の和声など、このトリスタンが聴く人に、それこそ憧憬と渇望を与えてしまうというやるせないイケナイ音楽なのだ。
ワタクシも中学~高校と胸かきむしりながら聴いてました(笑)
演奏会でも、「前奏曲と愛の死」はやたらと人気曲で、ブルックナーの7番とマーラーの5番の前に演奏されることが多い。

ストコフスキーを選んだことには深い意味はありませんが、91歳の指揮者とは思えない若々しさと、不思議な毒気を感じます。
前奏曲の盛り上がりでは、超快速で、胸かきむしるヒマはございません。
愛の死も、さらさらと流麗にことが進み、何事もなかったように浄化されてしまうワザを披露してくれますが、最後にスコアを一ひねりしてまして、最終音がどこか違う。
やっぱりなんかやってた(笑)

Wagner-barbilloli-1

  「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲

 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

短調に続いて長調、それも開放的なハ調。
リングの合間に書かれたトリスタンとの姉妹作。
いろんなことを同時進行的にこなしていたワーグナーは、イケナイ結婚や、パトロンを得ての安定的な生活のなか、試行錯誤しつつ1867年に齢54歳でマイスタージンガーを完成。
没頭的な愛に溺れた二人が主役のトリスタンに対し、マイスタージンガーは、ニュルンベルクという街と親方たち、ドイツ芸術が主役で、神話や伝説でなく史実を描いたことでも画期的。
でも、ちょっと政治色も出て、後々の火種として使われてしまうことも・・・

バルビローリのステレオ録音のワーグナー集は50年代後半のハレ菅のものと、晩年のロンドン響とのマイスタージンガー前奏曲だけ(たぶん)
前奏曲のテンポのゆったりぶりは、ブーレーズと並んで随一かと。
でもその豊かな歌といったらありません。
併録された3幕への前奏曲とならんで、しみじみと聴ける味わい深いワーグナー。
さらに併録の3幕の市民の踊りや親方たちの入場などの弾むリズムや、生き生きとした活力など、バルビローリならでは。
ちなみに、親方たちの入場から、ザックスの市民への挨拶、そしてラストのエンディングと3幕が手短にまとめられてます。
カラヤンのドレスデンでのマイスタージンガーが、最初はバルビローリの指揮で企画されたとか・・・

Runnicles

  「ニーベルングの指環」 管弦楽曲集

 ドナルド・ラニクルズ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ

1848~1874年、35歳から61歳まで、あしかけ26年をかけて作曲された「リング」4部作。
最初に書かれたラインの黄金のライトモティーフが、進化しつつも、容を変えずに、神々の黄昏にまで引き継がれ、連続性を持った4つの楽劇がひとつの大河ドラマのように保たれているのが、この年月を思うと驚異であります。
ワタクシのような凡人には、とうていなすことのできない持続的な事業継続意欲。
14時間かかる全作を1時間ぐらいの連続した流れの音楽とした、フリーヘル版オーケストラル・アドヴェンチャーは定番化しましたが、ここで聴くのはそうではない、楽曲チョイス方式。
ワルキューレの騎行、告別と魔の炎の音楽、森のささやき、夜明けとラインの旅と葬送行進曲に自己犠牲。

スコットランド出身のラニクルズは長くベルリン・ドイツ・オペラを率いるオペラ指揮者であり、ブルックナーやマーラーなどのドイツもの、英国音楽も得意とするマルチな指揮者で、左手に指揮棒を持つ左利き指揮者であります。
ラニクルズのダイナミックで、スケールの大きい演奏は結構好きで、大曲を構成力豊かにテキパキと指揮できる力量は並々ならないです。
毎年のPromsでは、オペラをやってくれますので、ワーグナー、シュトラウス、ブリテンなど、かなりアーカイブができました。
そんなラニクルズがドレスデンを指揮した正当・本流ワーグナーがこの1枚。
96年の録音で、オペラのオーケストラであることを管のちょっとしたフレーズや、雰囲気ゆたかな弦の支えなどに感じるし、なによりも音色の暖かさがよろしくて、ヒノキ香る温泉にゆったりと浸るが思いであります。
ヤノフスキがリングを録音した、あのときのドレスデンの音です。

Johum-1

  「パルジファル」 前奏曲と聖金曜日の音楽

 オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送交響楽団

リングを自分の劇場を造ってついに上演。
しかし、ワーグナーの夢はまだ冷めやらず、イタリアに居を移して1877年、64歳の年に「パルジファル」を完成。
しかし、パルジファル構想は、ずっと昔、ローエングリンの頃に着想されていて30数年間あたためてきたもの。
ここでも変わらぬ熱意と、絶倫的な構想力の維持の力を感じます。
パルジファル後も、まだオペラの発想があったワーグナー、ワタクシにはもう神さんです。
舞台神聖祭典劇という大仰なジャンルを開拓したものの、あとにも先にも、これひとつ。
楽劇はシュトラウスや一部の作曲家が使ったけれど・・・

リングでは単独演奏できるような長い前奏曲はなしで、パルジファルでは、ローエングリンを思わせるような神聖かつ静謐な長い前奏曲が付きました。
愛餐の動機、聖杯の動機、信仰の動機からなるシンプルながら、実に深みのある前奏曲。
単独演奏だと完結感をつけるためのエンディングがあるが、わたくしは、そのまま音が延ばされ、そのまま本編に突入して欲しい思いにかられる。
ワーグナーの書いたもっとも美しい音楽のひとつと思うのが、「聖金曜日の音楽」。
野に咲く花のように美しい。

1951年から続いた戦後バイロイトの象徴ともいえる、ヴィーラント=クナッパーツブッシュのパルジファル。
70年代に入っての数年を指揮し、ラストをみとったのがヨッフム。
まさに順当ともいえる穏健かつ緩やかなこのCDでの演奏は、57年の録音でミュンヘンのきっとヘラクレスザールでのものでしょうか、とても鮮明で響きも豊かです。
初代指揮者として、バイエルン放送響の足場を築きあげたヨッフム。
この時期のバイエルンも、いまと変わらず暖かくて明晰なサウンドを聴かせます。
いまも昔もミュンヘンのオーケストラは優秀で、味わいにもかけてません。

ヨッフムのパルジファル http://wanderer.way-nifty.com/poet/2011/07/post-175f.html
オルフェオで正規復刻してくんないかな・・・

数日かけてワーグナーの全オペラ作品を駆け足で振り返りましたが、オオトリの聖金曜日の音楽で、ほろりときました。
ワーグナーのような大規模な音楽は、コンサートでも、ましてやオペラ上演でも、今後いかにして取り上げられるのだろうか。
いい着地点が見つかりまして、ワーグナー好きの渇望をなんとか満たしてほしいものです。

Shinagawa-05

梅雨まっさかりで、街はしっとりとしてます。

ウィルスのヤツは、暑さと湿り気には弱いのだろうか・・・
まったくもう!

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コメント

最初に買ったワーグナーの管弦楽曲集は米セラフィムのフルトヴェングラーによる2枚組でした。確か代々木の輸入盤専門店で。音の古さはいかんともでしたが、一通り馴染むことが出来たかと。

ところが続いてベームの「トリスタン」全曲盤を入手したのですが何故か馴染めず、友人に譲ってフルトヴェングラーのを買い直す羽目に。やはりフルトヴェングラーの毒に既にして侵されていたのかも。

それからはご他聞に漏れず全作品にドップリでしたがその昔お会いしたさる女優さんが、若かりし日のオペラ初体験が'63年ベルリン・ドイツオペラの「トリスタン」(マゼール指揮)で、それ以来オペラアレルギーになってしまったと。まあファースト=ワーストコンタクトだったとご同情申し上げるしか。ちなみに舞台で今も活躍中でらっしゃいます。

またこれも'63年の手塚治虫「鉄腕アトム」のアニメ版第一作の初回「アトム誕生」で、アトム製作のすったもんだの科学省のシーンにショスタコ5番の第一楽章中間部、天馬博士がアトムに生命を吹き込むところでは「運命」冒頭とベタでしたが、アトムが眼を開きゆっくり動き始めるシーンで「ローエングリン」第一幕前奏曲。これは素晴らしいアイディアでした。

たまに視覚でも聴覚でも全曲は疲れる(最近は特に)なんて時は、管弦楽曲集を取り出すことが多いのですが、その際は何故かベームがしばしばで。そういえば先年、二十年ほど若い後輩が「ワーグナーの毒」を聴いてみたいというので手始めにベームの二枚とショルティの「指環」管弦楽曲集を貸し出したのですが何の反応も無しで。まあ遅かりしだったのか、所詮縁無き衆生だったのか…。

投稿: Edipo Re | 2020年6月16日 (火) 02時34分

フルトヴェングラーから入られたとのこと、そして次がベームのトリスタンとのことで馴染めずとのこと。
わたくしは、その逆でして、初ワーグナーレコードは、ベームのトリスタンでしたので、後年のフルトヴェングラーには苦しみました(笑)

ワーグナーの魔力に生涯毒されてしまった自分には、いまやどんな演奏にでも魅力を感じますし、いつでもどこでも、ほいほい聴けます。
しかし、ダメな方にはダメなのでしょうね。

ワーグナーをオペラやクラシックの入り口にして失敗してしまう方は多く聞きますね。
ふだん、いろんなところで使われてるクラシックですが、例えば2001年宇宙の旅のツァラトゥストラを、あの映画音楽だと思い込んでる方も多いと思います。
 カラヤンの指揮だというクレジットを映画に入れることを拒んだデッカに、他の演奏のレコードがバカ売れしたため、カラヤンがデッカに激怒したという逸話もあります(笑)

話が飛んでしまいましたが、オペラストリームの毎日で、ワーグナーは最近は少なめで、おかで苦手だったベルカント系を克服し、さらにプロコフィエフに目覚めるという、この歳にしてさらなる興味の対象先を見出しワクワクする日々です。
困ったもんです。

投稿: yokochan | 2020年6月17日 (水) 09時15分

二十数年前ですが、サントリーホールの都響定期でガブリエル・フムラが「ツァラトゥストラ~」を振ったのを聴きました。お目当てはナタリー・シュトゥッツマンの「亡き子~」「角笛」だったのですが「ツァラ」の終演後、出口に向かっていたら人品卑しからぬ紳士が「何か映画音楽みたいな曲だねえ」と。思わずよろけました(笑)。

カラヤンのエピソード、ジョン・カルショウの著書には「愛すべき俗物」ぶり満載ですね。セッションを袖にして王室御臨席の試写会に出かけたカラヤンがカルショウ以下のデッカスタッフと出くわすくだりは爆笑しました。

当方もベルカントは苦手の極みで、もう手遅れでしょうが他に残りの時間で登りたい山が無いわけでもありません。ただLP時代に対訳を膝に拡げて一幕ずつじっくり聴いた頃に比べると、こちらの集中度も違うのでしょうが右から左で。映像ソフトの功罪などとも考えてしまいますが…。

投稿: Edipo Re | 2020年6月17日 (水) 12時42分

フムラさん、懐かしい名前ですね。
イスラエルの指揮者でしたね。
そのときの逸話、笑えます!
でも正直な印象です(笑)

ベッリーニ、ドニゼッテイ、さらに膨大なロッシーニのブッファとセリア、多すぎてまいります。
プロコフィエフ、ボロディン、ムソルグスキーも登頂してしまいました。
しかし、ご指摘のとおり、右から左の受け止めという印象は否めません。
映像で、日本語や英語の字幕を追いまくることに追われ、音楽は二の次、演出の面白さに視線が行ってるかもしれません。
 CDの解説書を読み解くのも、年齢的にほぼ難しく、わたくしも同様に、レコード時代の見やすい対訳をにらみつつ聴いたオペラの数々が、完全に手の内に入ってると言えます。
CDで気に入った見知らぬオペラを開拓し、手の内に入れることができたのは、10年前ぐらい前までかもしれません。
冷静に考えたら、そんな風に思えました・・・
でもやめられません(笑)

投稿: yokochan | 2020年6月22日 (月) 08時22分

そのサントリーホールの紳士ですが「ツァラ」の冒頭の後の30数分は一体何を聴いていたのかと勘繰ってしまいます。これも有名な話ですが、ヴィスコンティ「ベニスに死す」の初号試写を観たハリウッドの大プロデューサーが、明るくなった場内で傍らの秘書に
「おい、音楽は誰だ?」資料をめくった秘書「グスタフ・マーラーです」
「よし、すぐその男と契約しろ!」
コンサートゴアとムービーゴアの圧倒的な数の違いから、致し方ないのでしょうが…。
以前お話ししましたが、'04年以降は今浦島さながらなので昨今の情況には疎くなるばかりで。ようやく5年前にトンネルを抜けたのですが今度は鞭を入れても気力体力ともに奮い起たずで。辺りの風景も目まぐるしく変わりゆく中で貴ブログを重要な情報源とさせていただいております。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: Edipo Re | 2020年6月22日 (月) 15時56分

ベニスに死すから、マーラーの音楽を取ったら、単なる意味深オヤジの物語になってしまいますね(笑)
映画と音楽の関係は密接です!

わたくしとて、最近の演奏家の移り変わりには着いていけてません。
古いCDばかりに目が行き、新しい録音はさっぱり手が伸びません。
でもネットという新しい媒体がまったくありがたく、皮肉なことに、世界を覆ったコロナ禍で、未知数だったオペラや歌手たちとの出会いがあり、なんとも言えない心境です。
いずれの忘却に備えてのレビュー記録です、お楽しみいただけましたら幸いです。

投稿: yokochan | 2020年6月26日 (金) 10時18分

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