オペラストリーミング大会の軌跡 ⑪
雨ばかりの合間の曇天を縫って歩き回ります。
それにしても線状降水帯による長期にわたる豪雨、その被害の大きさに心傷みます。
日本は地震とともに、かねてより水害も多い国。
天気予報の精度も高くなっているので、災害マップなど、いろんなデータを入手しつつ、そしてそうした情報を得にくい方々にいかに共有していくか、早めの行動も含めて予防措置はできるのではないかとも思ったりもしますが、、、、
でもね、いざとなったら突然の災害には無力となるかもです・・・
まだ続く雨、引き続きご注意いただくとともに、被災されたみなさまにはお見舞いと哀悼を捧げます。
いまのところ安全なところからすいません。
まだまだ観てるよオペラストリーミング。
プロコフィエフ 「賭博者」 ウィーン 2017
姉御、S・ヤングの指揮。
またも陶酔境の気分を過ごさせていただいた。
レビューはまた明日。
ストリーミングプログラムで活路が開けたオペラは、ベルカント諸作と、プロコフィエフだ!
オペラを克服した耳で聴く7つの交響曲も実にいい、よろしい!
日本語字幕がありがたい。
これでほぼ全容をつかめた感じで、プロコフィエフの若き日の作品がますます気に入った。
バレンボイムに次ぐこのオペラ2度目のこの配信で、こちらのウィーンではグルーバーの意欲的な演出。
マリンスキー配信もあり、もう頭の中が賭博者の虜。
やばいよ。
ドイツのリゾートの物語で、メリーゴーランドとルーレットを絡めた舞台が秀逸。
登場人物たちが、次々と賭けにハマり泥沼化し、破綻してゆく。
最後、主人公は愛する女性を救うために、賭けに挑み、勝ちに勝ち大金を手にするも、金では彼女を得ることはできなかった。
この際、IRは反対っ!
カジノの主催者側が悪人メイクで、最後のルーレット大会で集う人々は完全に悪魔。
勝ちに乗る主人公も悪魔風になっていくという巧みな仕掛けだけど、ラストは独自解釈で虚しさ哀しさ倍増。
ウィーンにしては過激に頑張った感じ。
ディディクの主役は適役で、がんがん鳴るオケに負けてなかった。
グセヴァの相手役も声よし、美人でよし。
あとベテラン、お馴染みのリンダ・ワトソンが婆さん役で、富豪から、すってんてんになってしまう味わい深い歌と演技。
ヤング姉御はこのオペラを得意にしていて、ウィーンのオケからリズミカルであり、抒情性もある音を引き出してる。
ヤングさん、ウィーンでは「炎の天使」もやる予定になってるが、あれをウィーンで上演することもすごいな・・・
ヴェルディ 「ナブッコ」 ウィーン 2017
レオ・ヌッチを長く聴いてきて、3年前だけど、その健在ぶりに感心!
やっぱり素晴らしいイタリアンバリトンだな。
スミルノワのアビガイーレもおっかなさと超絶技量、ともに最高。
彼女はチューリヒと同じ適役。
しかし、演出は自分には最悪。
クレーマーの2001年のプロダクションだけど、スタジオ的な舞台を作り、装置はほとんどなく、抽象的。
しかし、人物の動きは雄弁。
そのギャップが、ヴェルディ初期の原初的な感情のままの音楽の激しさにそぐわない感が。
歴史を抽象化することで焦点を見失った舞台かと。
ごめんなさい、また文句。
ヴェルディ 「仮面舞踏会」ウィーン 2016
1986年から続く息の長い伝統解釈舞台。
プリミエがアバドの音楽監督就任の上演で、パヴァロッティ、カプッチッリ、プライス。
アバド好きにとっては、この演出は世の流れに逆らってもずっと残していってほしい。
スウェーデン版でリッカルドはグスタフになってる。
豪華な仮面舞踏会は、猫や人形面、中華面、ねずみ、トルコ風、貴族面など、思わず見入ってしまった(笑)
この1年半後に亡くなってしまうホロストフスキー、この時は脳腫瘍であることを告知して舞台に立っていた、まさに壮絶なその姿と歌に感銘。
歌手はすべてみんな素晴らしい。
指揮のロペス・コボスもこの2年後に癌で亡くなってしまう。
リングの日本上演初体験はベルリン・ドイツオペラのコボスの指揮だった。
黒髪黒ひげのドイツ音楽も得意な名スペイン指揮者、シンシナティ響で残されたマーラーが実にいい演奏だ。
10番はお勧め!
ロッシーニ 「アルミーダ」 MET 2010
魔法使いの王女、愛のキューピットと悪魔の化身を使い分ける。
6人のテノールと主役フレミングの歌が超絶技巧の驚きの凄オペラ。
英雄リナルドに袖にされ、最後は悪魔界に身を投じるアルミーダ。
こんなロッシーニオペラをレパートリーにするMETの懐の深さに感心!
ヤナーチェク 「マクロプロス家のこと」 ウィーン 2015
大昔のことから何でも知ってる大女優のミステリー。
1920年頃、ヤナーチェク作曲時の時代設定で、主役のエミリア・マルティが生まれたのは1585年で、彼女の年齢は337歳ということ!
あらゆる男を虜にしてしまう魅惑の女性で、ちょっと高飛車な女性に描かれてる。
50年前に付き合ってたという爺さんが、なんとツェドニク、この時75歳で相変わらず芸達者だ。
原作にほぼ忠実な舞台は、美しくわかりやすいP・シュタイン演出でウィーンならでは。
ウィーン専属の歌手たちは粒ぞろいで、指揮のお馴染みフルシャが的確すぎる!
実に含蓄ある意味深いオペラです。
ラストは、推理ドラマよろしく全員が登場し、そこでエミリアがすべてを告白。
あまりに長く生きるのは辛いこと、恋も多くは望んではならないこと、そして恐ろしい孤独と精神が死んでいたことを語る。
若い女性に長生きの秘伝の書を託したが、その彼女は焼却してしまう。
そこで永遠の命の終焉。
ここでは、エミリアはミイラのようになって倒れたけど、私の体験した二期会オペラでは、白髪でよぼよぼになった程度、でも高貴さを保ったまま舞台奥に消えていった・・・
12年前の舞台、小山由美さんが素晴らしかった。
天皇陛下も来席された舞台でした。
当時のブログを。
二期会公演 2008
ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ウィーン 2018
すべてが完全に耳にすりこまれたヴェルディ作品。
どんなバリトンとバスとソプラノが、シモンを、フィエスコをアメーリアを歌おうと、どんな指揮者が振ろうと、自分の耳にあるカプッチッリ、ギャウロウ、フレーニとリッチャレッリ、そしてアバドにはかなわない。
ある意味、自分にとって他の選択肢のない、好きなのに哀しい名作オペラ。
2002年プリミエの簡潔でスタイリッシュなP・シュタイン演出は、アバドも同年フィレンツェで取り上げてる。
ウィーンのこの前のプロダクションが1984年からのスカラ座のストレーラーのもので、アバドはウィーンで20回指揮。
ハンプソンも実に立派だし、メーリ始め、ほかの諸役もみんないい。
ピドさんの勘所を押さえたオペラティックな指揮もよい。
でも、これでまたケタ違いのアバド盤と2度の実演体験の素晴らしさが再確認できてしまう、ある意味感動的な追体験ができた稀有の事例でありました。
プッチーニ 「蝶々夫人」 新国立劇場 2019
時間切れ前に早朝から涙。
新国のストリーミング配信で高校生のための鑑賞会のもの。
奥ゆかしく、美しい所作にあふれた和の「蝶々さん」。
歌はこれ以上のものはたくさんあるだろう、でもプッチーニの思い描いた「蝶々さん」の本質を日本目線で描いたものは、やはりいい。
演出の栗山さんは、海外の違和感あるものを正そうと、日本的なものになりすぎると、かえって違う結果になってしまうと語る。
シンプルで、装置も少なく、動作も少なめ、光と影をうまく使った美しい舞台は正解かと。
つつましく、涙誘うスズキの山下さんがステキ。
土足でどかどか居間にあがるピンカートン、美しくはためく星条旗。これもアメリカだ。
いまのアメリカの風潮からして、かの国ではこのオペラの上演は難しい局面となったと思う。
またまた、11年前の新国での泣き虫オジサンの鑑賞記録を貼っておきます。
新国・蝶々さん 2009
ヤナーチェク 「カーチャ・カバノヴァ」 ウィーン 2017
ウィーンのヤナーチェクはいい。鋭角にならない木質の音色がこの作曲家独特の語法にもぴったり。
夢見るカーチャの憧れと自制の葛藤が、優しい旋律とリズムの刻みで見事に表出。
音はずっと聴いてきたけど、多くの登場人物と覚えきれない名前でややこしかった 。
映像で字幕もあって、ほぼ十全の理解が。
ありがたき配信。
NYと思しき都会に設定を変えても、人目を気にし封建的な社会があり、でも自分は勝手に行動したり、そこから飛び出す前向きな人、そしてそこに忠実にあろうとしつつも絡めとられてしまい、破滅してしまう人・・・・
ヤナーチャクの人間目線は厳しくも優しい。
しかし、ラストはむごさを際だたせた演出だった・・・
デノケは、こうした薄幸と危うさを伴った役を歌わせると完全だ。
ヘンシェルの憎々しさも見た目からして適役。
2幕の二組の逢引はトリスタンみたいで、ほんと美しかった。
歩き回って早朝サントリーホール。
徐々に、諸所、対策を施しながら開始した演奏会。
しかしながら都内の感染者数はまたも急増。
でも、その中身の分析や、実体の公表が必要で、数字だけで委縮しては、また経済や文化の活動も停滞してしまう。
経路と年代もしっかり公表して欲しいものだ。
ワタクシは、かかると一番やばいタイプに属してます・・・・
登場人物たちが、次々と賭けにハマり泥沼化し、破綻してゆく。
最後、主人公は愛する女性を救うために、賭けに挑み、勝ちに勝ち大金を手にするも、金では彼女を得ることはできなかった。
この際、IRは反対っ!
カジノの主催者側が悪人メイクで、最後のルーレット大会で集う人々は完全に悪魔。
勝ちに乗る主人公も悪魔風になっていくという巧みな仕掛けだけど、ラストは独自解釈で虚しさ哀しさ倍増。
ウィーンにしては過激に頑張った感じ。
ディディクの主役は適役で、がんがん鳴るオケに負けてなかった。
グセヴァの相手役も声よし、美人でよし。
あとベテラン、お馴染みのリンダ・ワトソンが婆さん役で、富豪から、すってんてんになってしまう味わい深い歌と演技。
ヤング姉御はこのオペラを得意にしていて、ウィーンのオケからリズミカルであり、抒情性もある音を引き出してる。
ヤングさん、ウィーンでは「炎の天使」もやる予定になってるが、あれをウィーンで上演することもすごいな・・・
ヴェルディ 「ナブッコ」 ウィーン 2017
レオ・ヌッチを長く聴いてきて、3年前だけど、その健在ぶりに感心!
やっぱり素晴らしいイタリアンバリトンだな。
スミルノワのアビガイーレもおっかなさと超絶技量、ともに最高。
彼女はチューリヒと同じ適役。
しかし、演出は自分には最悪。
クレーマーの2001年のプロダクションだけど、スタジオ的な舞台を作り、装置はほとんどなく、抽象的。
しかし、人物の動きは雄弁。
そのギャップが、ヴェルディ初期の原初的な感情のままの音楽の激しさにそぐわない感が。
歴史を抽象化することで焦点を見失った舞台かと。
ごめんなさい、また文句。
ヴェルディ 「仮面舞踏会」ウィーン 2016
1986年から続く息の長い伝統解釈舞台。
プリミエがアバドの音楽監督就任の上演で、パヴァロッティ、カプッチッリ、プライス。
アバド好きにとっては、この演出は世の流れに逆らってもずっと残していってほしい。
スウェーデン版でリッカルドはグスタフになってる。
豪華な仮面舞踏会は、猫や人形面、中華面、ねずみ、トルコ風、貴族面など、思わず見入ってしまった(笑)
この1年半後に亡くなってしまうホロストフスキー、この時は脳腫瘍であることを告知して舞台に立っていた、まさに壮絶なその姿と歌に感銘。
歌手はすべてみんな素晴らしい。
指揮のロペス・コボスもこの2年後に癌で亡くなってしまう。
リングの日本上演初体験はベルリン・ドイツオペラのコボスの指揮だった。
黒髪黒ひげのドイツ音楽も得意な名スペイン指揮者、シンシナティ響で残されたマーラーが実にいい演奏だ。
10番はお勧め!
ロッシーニ 「アルミーダ」 MET 2010
魔法使いの王女、愛のキューピットと悪魔の化身を使い分ける。
6人のテノールと主役フレミングの歌が超絶技巧の驚きの凄オペラ。
英雄リナルドに袖にされ、最後は悪魔界に身を投じるアルミーダ。
こんなロッシーニオペラをレパートリーにするMETの懐の深さに感心!
ヤナーチェク 「マクロプロス家のこと」 ウィーン 2015
大昔のことから何でも知ってる大女優のミステリー。
1920年頃、ヤナーチェク作曲時の時代設定で、主役のエミリア・マルティが生まれたのは1585年で、彼女の年齢は337歳ということ!
あらゆる男を虜にしてしまう魅惑の女性で、ちょっと高飛車な女性に描かれてる。
50年前に付き合ってたという爺さんが、なんとツェドニク、この時75歳で相変わらず芸達者だ。
原作にほぼ忠実な舞台は、美しくわかりやすいP・シュタイン演出でウィーンならでは。
ウィーン専属の歌手たちは粒ぞろいで、指揮のお馴染みフルシャが的確すぎる!
実に含蓄ある意味深いオペラです。
ラストは、推理ドラマよろしく全員が登場し、そこでエミリアがすべてを告白。
あまりに長く生きるのは辛いこと、恋も多くは望んではならないこと、そして恐ろしい孤独と精神が死んでいたことを語る。
若い女性に長生きの秘伝の書を託したが、その彼女は焼却してしまう。
そこで永遠の命の終焉。
ここでは、エミリアはミイラのようになって倒れたけど、私の体験した二期会オペラでは、白髪でよぼよぼになった程度、でも高貴さを保ったまま舞台奥に消えていった・・・
12年前の舞台、小山由美さんが素晴らしかった。
天皇陛下も来席された舞台でした。
当時のブログを。
二期会公演 2008
ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ウィーン 2018
すべてが完全に耳にすりこまれたヴェルディ作品。
どんなバリトンとバスとソプラノが、シモンを、フィエスコをアメーリアを歌おうと、どんな指揮者が振ろうと、自分の耳にあるカプッチッリ、ギャウロウ、フレーニとリッチャレッリ、そしてアバドにはかなわない。
ある意味、自分にとって他の選択肢のない、好きなのに哀しい名作オペラ。
2002年プリミエの簡潔でスタイリッシュなP・シュタイン演出は、アバドも同年フィレンツェで取り上げてる。
ウィーンのこの前のプロダクションが1984年からのスカラ座のストレーラーのもので、アバドはウィーンで20回指揮。
ハンプソンも実に立派だし、メーリ始め、ほかの諸役もみんないい。
ピドさんの勘所を押さえたオペラティックな指揮もよい。
でも、これでまたケタ違いのアバド盤と2度の実演体験の素晴らしさが再確認できてしまう、ある意味感動的な追体験ができた稀有の事例でありました。
プッチーニ 「蝶々夫人」 新国立劇場 2019
時間切れ前に早朝から涙。
新国のストリーミング配信で高校生のための鑑賞会のもの。
奥ゆかしく、美しい所作にあふれた和の「蝶々さん」。
歌はこれ以上のものはたくさんあるだろう、でもプッチーニの思い描いた「蝶々さん」の本質を日本目線で描いたものは、やはりいい。
演出の栗山さんは、海外の違和感あるものを正そうと、日本的なものになりすぎると、かえって違う結果になってしまうと語る。
シンプルで、装置も少なく、動作も少なめ、光と影をうまく使った美しい舞台は正解かと。
つつましく、涙誘うスズキの山下さんがステキ。
土足でどかどか居間にあがるピンカートン、美しくはためく星条旗。これもアメリカだ。
いまのアメリカの風潮からして、かの国ではこのオペラの上演は難しい局面となったと思う。
またまた、11年前の新国での泣き虫オジサンの鑑賞記録を貼っておきます。
新国・蝶々さん 2009
ヤナーチェク 「カーチャ・カバノヴァ」 ウィーン 2017
ウィーンのヤナーチェクはいい。鋭角にならない木質の音色がこの作曲家独特の語法にもぴったり。
夢見るカーチャの憧れと自制の葛藤が、優しい旋律とリズムの刻みで見事に表出。
音はずっと聴いてきたけど、多くの登場人物と覚えきれない名前でややこしかった 。
映像で字幕もあって、ほぼ十全の理解が。
ありがたき配信。
NYと思しき都会に設定を変えても、人目を気にし封建的な社会があり、でも自分は勝手に行動したり、そこから飛び出す前向きな人、そしてそこに忠実にあろうとしつつも絡めとられてしまい、破滅してしまう人・・・・
ヤナーチャクの人間目線は厳しくも優しい。
しかし、ラストはむごさを際だたせた演出だった・・・
デノケは、こうした薄幸と危うさを伴った役を歌わせると完全だ。
ヘンシェルの憎々しさも見た目からして適役。
2幕の二組の逢引はトリスタンみたいで、ほんと美しかった。
歩き回って早朝サントリーホール。
徐々に、諸所、対策を施しながら開始した演奏会。
しかしながら都内の感染者数はまたも急増。
でも、その中身の分析や、実体の公表が必要で、数字だけで委縮しては、また経済や文化の活動も停滞してしまう。
経路と年代もしっかり公表して欲しいものだ。
ワタクシは、かかると一番やばいタイプに属してます・・・・
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