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2020年8月

2020年8月30日 (日)

ディーリアス 河の上の夏の夜 ヒコックス指揮

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今年の夏のいつものお山の上。

涼しい7月でコスモスが早まり、暑い8月ではやくも枯れ始めてしまった。

なにもかも異例づくしの今年。

さらに安倍総理の辞任にも驚き。
病を抱えつつの長年の執務、お疲れさまでしたと言いたい。
なにごとも身体が大切、健康が大事。

ディーリアスの代表作たちで夏の疲れを癒そう。

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    ディーリアス

 「そり乗り(冬の夜)」
 「フェニモアとゲルダ」間奏曲
 「春初めてのかっこうを聞いて」
 「河の上の夏の夜」
 「夜明け前の歌」
 「ラ・カリンダ」~「コアンガ」より
 「イルメリン」前奏曲
 「ハッサン」~間奏曲とセレナーデ
 「夏の夜」
 「エアとダンス」

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 ノーザン・シンフォニア

       (1985.9 @ニューカッスル・アポン)
    
ディーリアスの音楽ジャンルは、多岐に渡りますが、交響曲がないのがいかにもディーリアスらしいところ。
形式の決まった交響曲という構成に、興味を示さなかったのだろうか。
そして、無宗教だったことから、キリスト教色もなく、むしろ東方やアメリカなどの土着的な風土に興味や共感を示し、そうしたものを音楽に反映させました。

オペラや声楽作品でも、男女の恋愛模様は幸せ感は少なめで、いつも悲しみをたたえているし、別離に光をあてている音楽が多いのもディーリアスならでは。
あとは、ディーリアスならではといえば、なによりも人ではなく、自然がその音楽の対象であり、季節感もそこにはあふれているわけであります。

そんなディーリスの音楽の特徴のエッセンスを味わえる1枚が、このヒコックス盤。
このあとのディーリアスを始めとするヒコックスの英国音楽の数々の録音の初期のものだけに、その選曲は、ビーチャム盤にも似ています。
アーゴレーベルに始まり、EMIへ、そのあとはシャンドスに幾多の録音を残してくれたヒコックスも、亡くなってもう12年となる。
60歳での心臓発作による、その早すぎる死は、いまでも悔やまれてならない。
存命だったら、英国の音楽をほぼ体系的に、すべて録音に残してくれたものと思うので。
シャンドスは、ヒコックスのあとの英国路線を、アンドリュー・デイヴィスとエドワード・ガードナー、サカリ・オラモに託しましたので、聴き手としてはありがたいことではあります。
でも、シャンドスレーベル、最近、お高いんだよなぁ~

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今回のブログタイトルは、「河の上の夏の夜」にしましたが、季節性のみをとらえただけで、理由はありません。

クリスマス時にも聴きたい、楽しいワクワクする音楽「そり乗り」。
秋の黄昏時の薄幸の哀しみあふれた「フェニモアとゲルダ」。
春のはじまりだけど、もの悲しい雰囲気の「春はじめてのかっこう・・」と夏の水辺の音楽「河の上の夏の夜」は姉妹作。
これぞ、ディーリアスの音楽の神髄。
どちらも、かっこうと、虫の声で、季節を描写しますが、それがリアルでなく、そこはかとないのが、どこか日本人的な俳句の世界みたいな感性で、大いに共感できる。
 ディーリアスが住んだ、フランスのグレでは、自宅近くを流れる緩やかな川で、夏はよく舟遊びをしたそうですが、それもまた日本の夏を思わせるけど、でも、いまの熱帯化した日本には、まったく想像もできない風情だな。
こうして、音楽だけでも、季節感を味わえるのは、ディーリアスに感謝しなくちゃならない。

「夜明け前の歌」は、文字通り、自然が目覚める夜明けの音楽で、どこか刹那的にも感じる。
ディーリアスのアメリカ時代への思い出でもある、「ラ・カリンダ」は、楽しい夕暮れ時のダンスで、その独特のリズムと雰囲気はクセになります。
 最初のオペラ、「イルメリン」の前奏曲は北欧のロマンティックな伝説に基づくもので、まさに夢見るような優しい雰囲気にあふれていて、お休み前の曲としても絶好の佳曲。
 エキゾティックな東方劇「ハッサン」からの2曲は、これもまた、儚くも美しい小品で、コンサートなどで、多くの人と一緒に聴くのでなく、ひとり静かに、耳を傾けるに限る。
 ビーチャムの編曲した「夏の夕べ」は、若い頃の作品で、趣き豊かに始まり、思わぬ盛り上がりのフォルテもあるが、グリーグやシベリウスみたいな北欧ムードもあり。
「エアとダンス」は弦楽作品で、これもまたディーリアスらしい、慎み深くも愛らしい曲で好き。

ざっとレビューしましたが、ヒコックスの癖のない、すっきりサウンドは、それぞれの曲の特徴やイメージをしっかりとらえつつ、安心してディーリアスサウンドに身をゆだねることができるものです。
 現在は、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアという名称になってますが、この室内オーケストラは、以前はノーザン・シンフォニア・オブ・イングランド。
まさに、イギリス北東部のイングランド、そちらのゲーツヘッドという市を拠点にしていて、現在の音楽監督は、ラルス・フォークトで、首席客演がジュリアン・ラクリン、名誉指揮者がトマス・ツェートマイアーという具合に、本業指揮者でなく、ピアニストやヴァイオリニストであることが面白い。
ネットで、ツェートマイアー指揮するブルックナーの6番を聴いたが、これが驚くべき新鮮な演奏だった。
イギリス各地のオーケストラも、それぞれに特徴があって面白い。

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まだまだ厳しい夏の暑さは続くけれど、暦のうえではとっくに秋。
年々短くなる「春」と「秋」。
ちゃんとした秋が、今年はあって欲しい。
ディーリアスの音楽だけしか、季節を味わったり、偲んだりできなくなってはいけません・・・

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2020年8月22日 (土)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 朝比奈 隆

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今年じゃないけど、暑い日、湿気が多いとこんな壮絶な空色の夕焼けになります。

こんな空を見ると「ワルキューレ」だな。

ということで、思い切った企画を。
何日間かかけて全部聴きました。
自分も居合わせた伝説の演奏会。
昨年、ようやく入手したこのCD。
思い切って一気に聴きました。

今回は、長文となります!

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 ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」

  朝比奈 隆 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

      (1984~87年 @東京文化会館)

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  「ラインの黄金」

 ウォータン :池田 直樹  フリッカ   :辻 宥子
 フライア  :西松 登美子 ドンナー   :勝部 太
 フロー   :種井 静夫  ローゲ    :大野 徹也
 エルダ   :西 明美   ファゾルト  :岸本 力
 ファフナー :高橋 啓三  アルベリヒ  :多田羅 廸夫
 ミーメ   :磯崎 義昭  ウォークリンデ:釜洞 祐子
 ウェルグンデ:渡辺 美佐子 フロースヒルデ:牧川 典子

           (1984.6.11 月曜 19:00~)

1984年から4年間をかけて行われた「リング」の演奏会形式上演。
社会人3年目の若者だったワタクシ。
平日の7時開始という、通常コンサートと同じなので、気軽に、るんるん気分で文化会館に向かいました。

1階の最前列の席、そして登場した楽員さんたちが、舞台ギリギリ一杯に並ぶさまは壮観で、マーラーはこのホールで聴いていましたが、こんな巨大なオーケストラを見るのも初めてでありました。
ワーグナーの書いた楽譜どおりの楽器の数、ハープも確か6台あったはずだ。
4部作通じて、リングを演奏するオーケストラを間近に見ることができたのも、これもまた稀有な経験だったと言っていいかも。
レコードやバイロイトのFM録音で、耳に完全に刷り込まれていた「リング」の音たち。
あんなことしてる、あ、ここではああして弾いてるんだ、叩いてるんだとか、実際で目で見ながら聴いて、目線もきょろきょろ状態でありました。
そして、なにも気にせずに、その大音響に浸り、堪能しまくるという贅沢。

すでにブルックナーで、新日とのコンビは聴いていた、朝比奈隆。
初めて指揮する「リング」は、4作とも腰掛けを置いて、そこに大半は掛けながら、大きな譜面台に顔を突っ込みながら的な感じでした。
ときおりクライマックスでは、腰掛けから立ち上がり、オーケストラを睥睨するかのごとく、大きな指揮ぶりで、そうした「決め」の場面ではオーケストラが実に雄弁極まりないものでした。
あとは、音楽の流れに即した、おおらかな大河のような安心安全の演奏。

今回、一番古い「ラインの黄金」をあの時以来に聴いてみて驚いたのは、その録音の鮮明さと優秀さ。
ややデッドな文化会館だけど、木質の響きも魅力なホールで、その特徴をよくとらえていると思った。
そして、オーケストラが優秀。
ちょこっとあれれ?はあるけれど、そんなことは気にならない、大指揮者に導かれ、この指揮者のためなら、そして4年間の挑戦といった果敢さも、各奏者たちを奮わせたことでしょう。

大編成のオーケストラの後ろにひな壇を設けて、そこで歌われたので、部分的に声が遠く感じることもあり。
しかし、実際にここに居合わせて聴いたときも、歌手たちの声はしっかり聴き手に届いてました。
二期会を中心に、当時のドイツものに強い歌手たちをそろえた布陣は立派なものであります。
ホッターに師事したという池田直樹さんのウォータンが、3作通じて、一番安定感あり、ラインでは若々しさもありました。
大野徹也さんは、この後、日本の生んだ本格ヘルデンとしてワーグナーにシュトラウスにと大活躍しますが、ローゲ、ジークムント、ジークフリートと3役を歌いました。
一見、つながりのありそうでない3役だけど、こうしてひとりの歌手が歌うことで、ローゲの重要性と橋渡し役ぶりを一貫できることにも気づきました。
指環を奪うことをけしかけ、ブリュンヒルデを守る焔となり、最後は槍をかじり、すべてを焔で包んでしまう存在。
それを感じながら歌った大野さん、実に立派でした。
ラインの乙女に、釜洞裕子、渡辺美佐子の名前を見出せるのもこの時期ならでは。

このときのプログラムでは、金子健志さんが楽曲解説。
渡辺護さんが、演奏会形式の意義。
高辻知義さんが、当時議論白昼の「第2新国」について書かれてます。

ちなみに、新日フィルの音楽監督は井上道義で、永久指揮者が斎藤秀雄、顧問が朝比奈、首席が小澤征爾、幹事が山本直純・小泉和裕・手塚幸紀といった布陣。
この年の秋のシーズンは、井上がプロコフィエフプロ、コジ・ファン・トウッテ、ディーリアスなどの英国プロ、小澤がアルゲリッチとラフマニノフなどを取り上げてます。

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  「ワルキューレ」

 ジークムント :大野 徹也    ジークリンデ    :西松 登美子
 フンディング :高橋 啓三    ウォータン     :池田 直樹
 フリッカ   :辻 宥子     ブリュンヒルデ   :西 明美
 ゲルヒルデ  :柳澤 涼子      オルトリンデ    :菊池 貴子
 ワルトラウテ :桑田 葉子    シュヴァルトライテ :上泉 睦子
 ヘルムヴィーゲ:渡辺 美佐子   ジークルーネ    :永井 和子
 グリムゲルデ :大藤 祐子      ロスワイセ     :妻鳥 純子

        (1985.10.12 土曜 15:00~)

1幕の開始、そのテンポはかなり遅くて、かつ克明な音楽の造り。
でもあとは、力感もともなった鮮烈な運び。

やや不安定でフラット気味の大野さんの1幕だけど、2幕以降は持ち直した感じで、悲劇的な様相も豊か。
リリックで真摯、ひたむきさがよい西松登美子さん。覚えてる、美人だったので、とくに!
安定感あり、貫禄ある神々の長らしさと、怒りと優しさの池田ウォータン。
告別のシーンは名唱だ!
西明美さんの真っ直ぐな、ヴィブラートの少ないブリュンヒルデは若々しく力感もほどよし。
ここでは、ラインゴールドと一転、力強い辻フリッカに、雄弁な高橋フンディングもよい。

テンポに違和感を感じたのは最初だけで、あとは存外、快速・快調。
前作同様に、朝比奈先生の指揮に応えるオケの気迫が、多少のキズをうわまって、感動を呼ぶ結果になってる。
1階8列目の席で聴いた、3幕の告別の感動的な音楽は、自分の音楽体験でも上位にくると思ってる。
このCDを聴きながら、最低限ながら、身振り手振りの演技を伴って、心のこもった歌唱をおこなったみなさんを思い起こすことができる。

1985年のこの年の夏、朝比奈さんは体調を崩し大阪を含め、いくつかのコンサートをキャンセル。
そうしたなか、東京にやってきて、久方ぶりの指揮だったこのワルキューレ。
やはり、並々ならない意欲を持って体調を克服し、いどんだ演奏会形式上演だったわけです。
有名シーンも続出するワルキューレ、立ち上がっての渾身の指揮ぶりも覚えてます。
最終の告別シーンは、オーケストラの美感も含めて、CDであらためて聞くと絶品に感じました。

1幕、2幕は休憩時間も短めで、3幕前に長い食事タイムが設けられました。
いまや昔の感じですが、上野の街まで下りてビール飲みました。

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  「ジークフリート」

 ジークフリート:大野 徹也   ミーメ  :磯崎 義昭
 さすらい人  :池田 直樹   アルベリヒ:多田羅 廸夫
 ファフナー  :高橋 啓三   エルダ  :西 明美
 ブリュンヒルデ:豊田 喜代美  鳥の声  :清水 まり

        (1986.04.19 土曜日 15:00~)

3年目のリング。
こちらも昼からスタートで、3幕前には90分の休憩タイム。
聴き手は、ここまでくるとワーグナーファンばかりなので大丈夫ですが、歌いっぱなしの歌手と出ずっぱりの指揮者とオケには、これくらいの休憩が必用かと思いました。
こうして、オーケストラを眼前にして聴くと、ジークフリートでは、2幕と3幕とで、トリスタンとマイスタージンガーで中断したことから、その分厚い響きとより複雑に、きめ細やかになったライトモティーフの重なり合いなどが、奏者の弾く姿でもよく確認ができて、ワーグナーの音楽が進化したことがわかって、面白かった記憶があります。
実際に聴いたときは、交通整理ぐらいの指揮しか・・・とか思ったものですが、こうしてCDで聴くと、じつに恰幅がよくて立派なワーグナーで、いろんな音がすべてちゃんと聴こえる明快なわかりやすい演奏とも思います。
でも不可解なテンポの落とし方などが、コンサート会場では目立ち、歌手もおっと、という感じの場面もありました。
CDでは、そうした箇所も、ゆるやかに流れるドラマの一環として聴くことができて、違和感はそんなに感じません。

当時のプログラムを読み返すと、この4月の公演の前、2月には朝比奈先生は散歩中に足の小さい骨を骨折してしまい、静養後の東京だったことが書かれてました。
ともかく、指揮者もオーケストラも、4年間、強い意気込みと意欲を保ち続けていたことでしょう。
それは、聴くワタクシにも言えて、4年間、転勤とか病気とか遭遇したくないと思い続けてましたから・・・
ちなみに、プログラムには、練習指揮者への謝辞も出てまして、佐藤功太郎氏と朝比奈千足氏のお名前が出てました。

さて、「ジークフリート」の日本初演は、1983年、ワーグナー没後100年という節目での二期会の上演。
ほんとの初演ではありませんが、私はその3公演の中日を観劇しました。
若杉弘の指揮、ジークフリートは大野、ブリュンヒルデは辻、さすらい人が池田という朝比奈リングのメンバーと同じ顔触れ。
ミーメはホルスト・ヒーステルマンで、これが絶品だったことを覚えてる。
当時の20代の自分の日記を読み返してみて、若杉さんの緻密ですっきりしたもたれないワーグナーを絶賛していて、あと大野ジークフリートの声はまだまだだが、これだけのヘルデンは日本人として期待が高い、というようなことを書いてました。
 ちなみに、この二期会公演が、わたくしの初ワーグナーオペラ体験でありました。

その時から3年。
大野ジークフリートは落ち着きと貫禄を伴って、しかもこの作品ならではの若々しさもともなった歌唱であります。
まだ声のふらつきを感じる箇所もありますが、1幕の最後や、ブリュンヒルデとの二重唱でのタフぶりは見事。
2幕の抒情性もよいです。
1幕最後には、ガッツポーズをされていたような記憶がございます。
 あとその声に好悪は集めそうですが、篠崎さんのミーメ。
言語明瞭でディクションが素晴らしく、アクの強さがミーメの狡猾さと、一方でのおっちょこちょいぶりも表出。
池田さすらい人も、ワルキューレのときよりも、達観した歌がさまになっていて、こちらもドイツ語の発声が耳に心地よい。
リリックな持ち味の豊田さんのブリュンヒルデも、CDからの歌声で、当時の舞台も思い起こせました。

新日本フィルは、この年の9月には、小澤征爾の指揮で「エレクトラ」を演奏会形式上演してまして、定期会員だった自分も聴いております。
ブリュンヒルデを歌った豊田喜代美のタイトルロールに、西明美、多田羅廸夫などのお馴染みのメンバー。
井上、小澤を擁した新日フィルは、意欲的なプログラムが目立ちました。

ちなみに、この「ジークフリート」の1週間前には、私は、ウィーン国立歌劇場来演の「トリスタンとイゾルデ」をNHKホールで観ております。
さらに、この年の秋11月には、二期会の「ワルキューレ」を若杉さんの指揮で観劇。

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  「神々の黄昏」

 ブリュンヒルデ:辻 宥子   ジークフリート:大野 徹也
 グンター   :勝部 太   ハーゲン   :多田羅 廸夫
 グートルーネ :渡辺 美佐子 アルベリヒ  :牧野 正人
 ワルトワウテ :秋葉 京子  第1のノルン :奥本 とも
 第2のノルン :桑田 葉子  第3のノルン :菊池 貴子
 ウォークリンデ:福成 紀美子 ウェルグンデ :上泉 りく子
 フロースヒルデ:加納 里美

      合唱:晋友会   合唱指揮:関屋 晋

        (1987.10.3 土曜日 15:00~ 日本初演)
 
朝比奈リング最終年。
文化会館の改修があって、定期演奏会の開始も10月となったこの年。
「神々の黄昏」は日本初演にあたりました。
そして、この演奏会の1か月後、11月7日に、私は同じ文化会館で、ベルリン・ドイツ・オペラの「神々の黄昏」の上演を観劇しております。
そう、1987年の10月から11月にかけて、日本で初めての「リング」通し上演がなされ、こちらも若かった私は薄給をつぎ込んで全部観劇しているのです。
ですから、この年の秋は、黄昏を2度体験したわけです。
まさに、日本はバブルの真っただ中にあったわけで、ワタクシは、音楽と酒に浸り続けた日々だったのありました。

長い1幕のあとに、90分休憩。
2幕と3幕の間には30分休憩でした。
最初の90分は時間を持て余した覚えがありますね。

大野さんのジークフリート、さらにたくましくなって、自信もみなぎってました。
1幕で人格が3度変わる難役ですが、幸せに満ちた歌声、騙され恋にほだされたせっかちな役柄、そして別人になり切り悪の歌声、と見事に歌い分けてましたし、スタミナ配分も申し分なく、ラストの死の場面は迫真迫るものがありました。
あら捜しをして、欲を言えばきりがないですが、この時代に、この難役をこれだけ立派に歌いきったことを賞賛しなくてはなりません。

同様のことが辻さんのブリュンヒルデにもいえて、メゾが本領なので、高域はこうしてCDで聴くと辛いものがあるが、演奏会での印象はそうではありませんでした。
とにかくひたむきな、真っ直ぐの気合の入った歌唱で、あのときの自己犠牲では神々しさすらありました。
 あと知能犯的な知的なハーゲンを感じさせる多々羅さんの役造りもいいが、ラストシーンではオーケストラの熱気に「リングに触れるな」はCDではかき消されてしまいました。
勝部さんのグンターも懐かしいし、渡辺美佐子さんの気の毒なグートルーネもよろしい。

合唱は録音のせいか、ホールで聴いたときのほうが、圧倒的だけど、でも日本の合唱団はこのときも、ずっと前からも精度は高い。

長丁場のオペラだけど、有名シーンも多数ある「神々の黄昏」
ラインの旅、葬送行進曲、自己犠牲など、そうしたシーンでは、朝比奈先生も指揮経験が豊かなせいもあり、スコアに顔を埋めることなく、立ち上がり渾身の指揮で、実に説得力あふれる演奏となった。
ことに、葬送行進曲からラストまでは、4年間の集大成ともいえる意気込みからか、オーケストラ部分は、あらゆる「黄昏」の演奏のなかでも上位にくるくらいに、やる気にあふれた音の粒立ちの良さと熱気が味わえる。
そして素直に感じる、ワーグナーの音楽の素晴らしさ。
この魅力にはあらがえない。

こうして神々の黄昏を聴き終えて、あの日、しびれるような感動と達成感に満たされた若い時分を思い出すことができた。
そして贅沢なことに、この1か月後にはリング通しで、さらなる感動を味わっていた自分も同じ文化会館にはいたのでありました。。。。

ついでに言うと、二期会の「リング」完結は、1991年7月の「神々の黄昏」で、若杉さんの指揮。
これもよく覚えている感動的な上演でした。
二期会のオペラも、今思えば、音源として残しておいて欲しかったものです。
「若杉さんの指環」なんて、夢のようです・・・・

Wagner-ring-asahina-1985

調子に乗ってチケットもお見せします。
ラインの黄金なんて最前列で、オケのシャワーを浴びてますよ(笑)
自分の行った演奏会のCDが聴けることの幸せ。
あと、なにごとも、記録しておくことの大切さ。
そういう意味では、ブログは日記替わりで、自分の音楽ライフのアーカイブなんです。

朝比奈リングの演奏タイム

①「ラインの黄金」  2時間32分
②「ワルキューレ」  3時間47分
③「ジークフリート」 3時間54分
④「神々の黄昏」   4時間15分

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ほどほどのゲリラ雷雨は、虹の副産物がありますので許せますが、激しいヤツ、長いヤツは困ります、ダメです。

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2020年8月15日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム パッパーノ指揮

Yasukuni-03

こちらは靖国神社の境内の奥にある日本庭園。

今年は、みたま祭りが中止となり、その時分に行ったけれど、ひと気は少なく、とても静かでした。

静謐な中、漂う清らかな雰囲気。

Britten-war-requiem-pappano

  ブリテン 「戦争レクイエム」

    S :アンナ・ネトレプコ
    T :イアン・ボストリッジ
    Br:トマス・ハンプソン

  サー・アントニオ・パッパーノ指揮
  
   ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団/合唱団

       (2013.6.25~29 @ローマ)

 58年前に初演のブリテンの反戦への思いが詰まった「戦争レクイエム」

1961年、戦火で焼失したコヴェントリーの聖ミカエル大聖堂の再築落成に合わせて作曲された「戦争レクイエム」。
翌62年の同地での初演は、戦いあった敵国同士の出身歌手をソロに迎えて計画されたものの、ご存知のように、英国:ピアーズ、独:F=ディースカウ、ソ連:ヴィジネフスカヤの3人が予定されながら、当局が政治的な作品とみなしたことで、ヴィジネフスカヤは参加不能となり、英国組H・ハーパーによって行われた。
翌63年のロンドン再演では、ヴィジネフスカヤの参加を得て、かの歴史的な録音も生まれたわけであります。

この再演での作曲者自身の指揮によりロンドン交響楽団との録音が、長らくこの作品の犯しがたき名盤として君臨してきましたが、20年後の1983年、サイモン・ラトルの録音を皮切りに、多くの録音が行われるようになり、演奏会でも頻繁に取り上げられるようになりました。
毎年、少しづつその音源を増やし、エアチェックやネット録音も含めて15種。
昨年はついに女性指揮者マルヴィッツの放送も追加。
今年のブログは、まだ取り上げてなかったパッパーノ盤です。

サーの称号も得ているイギリス人で、両親はイタリア人、音楽の勉強はアメリカ、指揮者としては劇場から叩き上げ。
そんなパッパーノも若い若いと思ってたら、もう60歳。
コヴェントガーデンでのオペラ上演の数々や、ローマでのレコーディングを聴くにつけ、最近のパッパーノは若い頃の、イキの良さはそのままに、知的な音楽づくりながら、音が実に雄弁に語り出す恰幅の良さも感じてます。
オテロやリングなどの放送、とても感銘を受けました。
そしてともかくレパートリーが広い。

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 この戦争レクイエムは、手兵のイタリアのオーケストラを指揮して、歌手はロシア、イギリス、アメリカと、顔触れにドイツこそないものの、ブリテンの初演時の思いのように、戦った国同士のメンバーということになります。
パッパーノの明晰な音楽は、ここでも際立っていて、ローマのオーケストラから透明感あふれる響きを引き出していて、ダイナミックな劇的なシーンも濁ることのない鮮烈さを味わうことができました。
 3人のなかで、いちばん声が重たいのがなんとネトレプコ。
レパートリーも拡充して、ドラマティコになっていった時期のもので、悲壮感ただようその歌声はなかなかに際立ってる。
いつものように繊細な歌い口のボストリッジに、友愛感じるハンプソンのあたたかなバリトンもとてもよかった。

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この時期に、この曲の持つ、戦没者への追悼という意味合いととともに、ブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いをあらためて強く受け止め、考えてみるのもいいことです(毎年この思いは綴っているのでi以下も含めまして再褐となります。)

しかし、この曲は、ほんとうによく出来ている。
その編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」


この映像を見ると、上記の、オーケストラ編成や合唱の配置のことがよくわかります。
ネトレプコは契約の関係か、収録時いなかったのか、登場しません。

※初演後の60年代の演奏状況は、コリン・デイヴィス(62独初演)、ラインスドルフ(63米初演)、ハイティンク(64蘭初演)、ケルテス(64墺初演)、アンセルメ(65瑞初演)、サヴァリッシュ(65独再演)、ウィルコックス(65日本初演~読響)
2022年の初演60年の年には、日本でもどんな「戦争レクイエム」が聴けることでしょうか。
希望を込めて、J・ノット指揮、露・英または米・独の歌手、日本のオケと合唱で。
これぞ、ブリテンの思いの理想の結実かと!

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実際のドンパチはないものの、世界は戦争状態に近いと思います。
反目しあう国と国、人種と人種、宗教と宗教、思想と思想 etc・・・・
争いはずっとずっと絶えることはない。
それがデイリーに可視化されて見えてしまういまのネット社会は、便利なのか、ストレス発生装置なのか、むしろ情報過多でわからない。

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2020年8月10日 (月)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑭

Yasukuni-01

 暑いですね。

残暑お見舞い申し上げます。

涼し気な写真を1枚。

で、まだ観てますよオペラ。
デイリーメトロポリタンオペラは継続中で、過去の伝説級の上演も配信してくれるし、昨年・今年の最新のものも。
ROH、グラインドボーン、オランダオペラ、シュッツットガルト、ボローニャ、ローマ、マッシモなどなどなどなど、もう枚挙にいとまなく、とうてい全部は見きれません。
youtube配信は後回しにして日々過ごしてます。

Tulandot-01

 プッチーニ 「トゥーランドット」 MET 2009

レヴァインの所有ビデオ、先月のセガンの最新ストリーミングに次いで、3度目の豪華絢爛ゼッフィレリの舞台。
これはもう、METの定番ですな。
 ネルソンスの弾けるサウンドと、タメも生かして同時代人マーラーにも通じる大胆なオーケストレーションを感じさせる指揮。

クイズ大会、3幕の変貌、アンミカ似のグレギーナの目線・指先・表情すべてが巧みにすぎる。
ジョルダーノ、気の毒なリューを捨てて氷の姫に走る無謀な男の鈍感さもよし。
リュー、ベテランティムール、よぼよぼ王様もよし。
 リューの死のあと、悲しみのなかに終わるバージョンもやったらどうだろうか。

Tulandot-02

晩年のプッチーニがなかなか書ききることのできなかったエンディング。
補筆したアルファーノ版はあきらかに霊感不足。
 でも、アルファーノの補筆版は責めても、アルファーノの「シラノ・ベルジュラック」と「復活」は名品です、責めないでください( ノД`)

Wozzeck-01

METのヴォツェックをぼちぼち観るか。
梅雨寒で暗澹たる気分だがな。

Wozzeck-02

  ベルク 「ヴォツェック」 MET 2020

今年の1月。隠蔽ウィルスが今思えば気になる時節。
ケントリッジ演出ということで、予想通りのアニメとマッピング、スクリーン多用の舞台演出。
ベルクの緻密な作品、セガンはビビッドな音楽造りで、すべての声部が実によく聴こえる。
あまりにも、音が明々白日にさらされた感もぬぐえない。
でも、音楽の仕組みがよくわかったセガン指揮と演出でもあり。

Wozzeck-03

第一次大戦を多く意識させるもので、兵隊さんも歩行も、うまくベルクのこのオペラとリンクさせてた。
 3幕各5場を連続上演。
場割の多さ、上演の難しさを、マッピングで巧みにこなしたのは見事。
想像力も刺激される。
いい人バリトンのマッティの新境地。
思えば、故H・プライもアバドの勧めで歌おうとしたけど断念。
そんなことも思ったマッティの挑戦。
 マリーのファン・デン・フィーヴァーもよかった。
聖書を手に歌うシーンでは、ほんとに涙流してた。
 釘付けになって観てしまったヴォツェック。
Thanks MET

Bohem

 プッチーニ 「ラ・ボエーム」 MET 1982

間に合った、早朝ボエーム MET1982
忙しいのでながら見だけど、音が意外といいので録っておこっと。
カレーラスはやっぱりいい、自分の耳にしっくりくる。
ストラータスのビジュアルのよさ、スコット、モリス、名人ターヨなども、豪華なメットならではのキャスト。
半年前、日本はクライバーで沸いた!

Chally

 わけ合って番外編。
Proms1990 プロコフィエフ 交響曲第3番
ナイスな演奏、シャイー&コンセルトヘボウ。
イタリア人はプロコ3番がお好き。
アバドとムーティもね。


今年のPromsは全部中止。
BBCは過去のアーカイブを2か月間無料開放してくれるという気前のよさ。

Fire

プロコフィエフ「炎の天使」エクサンプロヴァンス2018

大野和士&パリ管によるオーケストラ。
音源のみのパリのクラシック放送局の配信。

これは素晴らしかった、録音しちまった、3番と連続聴きした。
映像で観たいぞ!

【補筆】アウシュリネ・ストゥンディーテのレナータが、なかなかに、ぶっ飛び級の素晴らしさ。
彼女は、先だって、ダラスでの「サロメ」も聴いたし、先日のザルツブルク「エレクトラ」のタイトルロールも早速ネット視聴できた。
いずれもイケてます!

Wagnermask

【閑話休題】
ワーグナー(の)マスク
バイロイトより。
全面休館となったバイロイト劇場にて、スタッフさんかな。

欲し~い♪

Lucia_20200810151401

 ドニゼッティ 「ランメルモールのルチア」 MET 2011

女優兼歌手ともいえる、ナタリー・デッセイの独り舞台。
最盛期を過ぎたけど、やはり繊細な演技に、細やかかつデリケートな歌唱。
でも2007年の来日公演は、もっと美しかったし、完璧だった・・・
でもステキなナタリー黄色のハート
 震災後の1週間ぐらいの時期の上演・・・

Walkure-01

  ワーグナー 「ワルキューレ」 MET 2019

バイロイトなき今年、やっぱり夏はワーグナー。
ありがたき最新リング上演の配信。
 ジョルダンの指揮がよろしい。
俊敏機敏な反応のよさ、それが舞台の様子と歌手たちにすぐさま連動。
オケが混濁せずに、すべての楽器がすっきり・くっきり聴こえる、実に耳のよい指揮者。


ルパージュの演出で2度目の配信、ジークリンデ以外の歌手は刷新。
爆声の大迫力で、グロイスベックとウェストブロックが一番おとなしく感じる不思議(笑)
でも、グリムスレーはいいな。
アメリカバスバリトンの系譜、J・モリスの後を継げるか。
ゲルケさんは、いい歌手だけど、発声がどうもね・・

(どこでみつけたのか、グリムスレーさんから、いいねいただきました(笑))

Butterfly-01

  プッチーニ 「蝶々夫人」 MET 2016

声に陰りあふれるオポライスに、楽観的なアラーニャ。
他の諸役もよし、チチョンの指揮もいい。
 随所に日本テイストをにじませ、それらは正しいけれど、当時の日本にない、いまのカラフルなアニメ的な色彩が、東南アジア的にふれすぎだし、文楽な黒子などは日本を意識しすぎか


Butterfly-02

アメリカ人は普通なのに、なんで日本人たちだけがデフォルメされた存在なのか。
所詮、そんなもんなんだろう。
日本人スタッフが絡んでも、大衆のイメージにそぐわなかればだめだろうし。
 広島原爆投下の日に現地ではストリーミング。
ピンカートンとトルーマンは日本の敵だよ!


Shinkoku

ハミングコーラスのシーン。
恥ずかしながら、シノーポリの演奏を嫁との結婚式で、嫁の和装の衣装替え入場の音楽に使いました。
今を去ること数うん十年前の記憶の彼方。
いまやトゥーランドット姫のように君臨する妻でございまして・・・
こちらは新国の理想的なその場面。


Parsifal-met-00

土曜朝からパルジファル
楽しそうだな、イェルザレムさん、じゃなかった、パルジファルさん。


Parsifal-met-02

  ワーグナー 「パルジファル」 MET 1992

いまや古い映像だけど、清々しいまでにワーグナーのト書きに忠実。
聖金曜日のシーンの美しさもこれが随一。
歌と音楽に浸るだけ、ともかくあれこれ想像したり考えなくて済むから楽だ。
イェルザレム、マイヤー、モル、ヴァイクル、マツーラなど当時のベストキャスト。


Parsifal-met-01Parsifal-met-04

マイヤーさん、美しい。
2幕と1,3幕とで、まったく別人に歌い演じる、クンドリーは難しい役。


Parsifal-met-03

ワーグナーの反ユダヤ主義思想がその作品にも反映されている、という考えから、パルジファルは、もっとも演出の難しいオペラになったと思う。
春のストリーミングで8本ぐらい観たけど、宗教色はすべてなし、クンドリーは生き、自然賛美、分断解消、世界平和的な結末に置き替えられるものばかり。


METのパルジファル歴代指揮者を見てみたら、60年代からラインスドルフ、ベーム、プレートル、ルートヴィヒ、スタインバーグ、そして今回のレヴァインがなんと20年間も。
あとはゲルギエフ、P・シュナイダー、ガッティ、セガンと続いていた。
ベームの音源出ないかな!


Yasukuni-02

コンサートも工夫をしながら、内外ともに再開してます。
ザルツブルクではオペラも上演。
観客もかなりの間引きで、演出も距離感をとってのものらしい。

私の方は、身体的に、コンサートは当面無理だと思っている。
CDの買い出しにも行けないので、ネットであれこれ物色したりの日々。
そして、こうしてオペラ観劇と、豊富なライブ音源。
つくづくネットの恩恵を受けております。

PCR検査陽性者数は、接触者をたどって、検査を広げていけば増えるのはあたりまえ。
感染者であるけれど、無症状者。
ともかく数字に踊らされ、恐怖感ばかりを植え付けるのはどうかと思いますよ。
陽性者からの高年齢者と基礎疾患者への感染をともかく注意すればよいだけでは。。。
この時事ネタにはご意見はご不要で願います。

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2020年8月 2日 (日)

麗しき組曲たち

20200801

ようやく梅雨が明け、まぶしい日差しが戻ってきました。

さっそくに、窓外に劇的な夕暮れが展開しました。

長かった、ほんと長かった雨の日々で、首都圏では7月で雨の降らない日は1日しかなかったとか。

気持ちのいい、短めの組曲たちをテキトーにチョイスして聴きましたよ。

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  ドビュッシー 「小組曲」

   ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送管弦楽団

        (1973 @パリ)

ブログ初期にも取り上げたこの作品に、この演奏。
アンセルメの音源にしようかと思ったけど、行方不明に。
初期のピアノ連弾作品を、アンリ・ビュッセルが編曲。
「小舟にて」「行列」「メヌエット」「踊り」の4曲は、後年のドビュッシーにはない、若々しさとシンプルながらに、いとおしいくらいの優しさがあります。
ことに「小舟にて」のフルートは、きわめてステキであります。
おフランスのエレガンスさ、そのものにございます。
 この録音の頃は、まだ放送局のオーケストラ名となっていたのちの国立菅。
ラヴェルもパリ管だけでなく、こちらのオーケストラとも録音して欲しかったマルティノンさんでした。

Bizet-barenboim-1

 ビゼー 小組曲「子供の戯れ」

  ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

       (1972.10 @パリ)

もうひとつ、フランスから、今度はパリ管で。
ドビュッシーの「子供の領分」のカプレ編曲のオーケストラ組曲があるが、子供好きだったビゼーも、ピアノ連弾用に12曲からなる組曲があって、そこから5曲を選んで、自らオーケストレーションをしたのが、この小組曲。
「ラッパと太鼓」「子守歌」「コマ」「かわいい夫とかわいい妻」「子供の舞踏会(ギャロップ)」の5曲。
子供をモティーフした作品らしく、元気ではつらつ、そして夢見るような雰囲気にもあふれた各曲です。
「子守歌」の優しい美しさ、「かわいい夫婦」はとってもロマンティックであります。
「ギャロップ」はもう踊りだしたくなるリズムにあふれた曲で、あのハ調の交響曲の終楽章にも通じる爆発的な明るさもあり!
 若きバレンボイムとパリ管も弾んでます!

Grieg-leppard

     グリーグ 抒情組曲

  レイモンド・レッパード指揮 イギリス室内管弦楽団

       (1975年 @ロンドン)

画像は借り物ですが、やはりこの風景じゃないと、この曲は。
このグリーグの組曲も、元は同名のピアノ作品で66曲もあって、さすがに全部は聴いたことはないけれど、ギレリスやアドニのピアノでかつてよく聴いてた。
グリーグが選んだ4曲は、「羊飼いの少年」「ノルウェーの農民行進曲」「夜曲」「小人の行列」。
この作曲家ほど、北欧の、それもノルウェーの自然風土そのものを感じさせるものはありません。
哀愁と孤独感にあふれた「羊飼いの少年」、一転して、民族調の「農民行進曲」だけど、こちらもどこか寂し気で空気がとても澄んで感じる。
そして、この組曲で一番好きな「夜曲」。
まさに幻想と夢幻の合混じるえもいえない美しき音楽で、レコード時代、ジョージ・ウェルドン指揮のロイヤルフィルの演奏で、この曲を、お休み前の1曲で、聴いてから寝るということが多かった。
NHKの名曲アルバムでも、北欧の街とともにこの曲が紹介されていた。
 この夢から引き戻されるような、ユーモアあふれる「小人の行進」ですが、中間部がまたグリーグならではです。
昨年、92歳で亡くなったレッパードは、チェンバロ奏者でもあり、バロック系の指揮者とのイメージもありましたが、グリーグを得意としてました。
手兵のイギリス室内管とともに、いくつものグリーグ作品を残してくれましたが、いずれもクールさと明晰、繊細な演奏で好きです。
晩年は、アメリカのインディアナポリス響の指揮者も務めていて、廃盤も多いので、この際、見直しをはかりたい指揮者でもあります。

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  シベリウス 「カレリア」組曲

 サー・マルコム・サージェント指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1961年 @ウィーン)

フィンランドの大民族叙事詩「カレワラ」の伝承地が「カレリア」という地で、その地にある大学から英雄伝説を物語にした野外劇の付随音楽の作曲依頼を受けて書かれた作品。
ここから3曲を抜き出した簡潔な組曲がこちら。
「間奏曲」「バラード」「行進曲」の3つで、あまり有名ですな。
基調は、いずれも明るく、屈託なし。
自然の描写そのもだったグリーグに比し、強国ロシアにさいなまれ続けたフィンランドにエールを送るような音楽なのです。
でもフィンランドの厳しい自然も「バラード」では感じさせます。
 サージェントとウィーンフィルという思いもよら組合せが生んだシベリウス。
この録音のあと、ウィーンフィルはマゼールと交響曲を全部録音することになります。
マゼールよりウィーンフィルの魅力がより出ているし、「エン・サガ」などは、シベリウスの神髄が味わえる。

ちなみに、いま「カレリア」地方は、ロシアに編入されて、カレリア共和国として連邦のひとつになってしまってます。
フィンランドの一番東側です。
かつてのソ連も、いまのC国の姿と同じでありますな・・・・

Korngold-robin-hood

  コルンゴルト 「ロビンフッドの冒険」組曲

   アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団

         (80年代 @ピッツバーグ)

このCDは、この演奏ではありません。
コージアン&ユタ響の全曲盤でして、イメージのために掲載。
いずれこの1枚も取り上げるかもしれません。

で、プレヴィンのピッツバーグ時代のこの演奏は、ピッツバーグ響の放送アーカイブから録音したもので、プレヴィンはこの作品の正式な録音は残さなかったはずです。
ご存じの通り、アメリカに逃れたコルンゴルトは、ハリウッドで数々の映画のために作曲をし、その数、18作にものぼります。
「ロビンフッド」は、1938年の作品で、この音楽でコルンゴルトは自身2度目のアカデミー作曲賞を受賞。
この映画音楽から4つの場面を抜き出したのがこちらの組曲で、「古きよきイングランド」「ロビンフッドと彼の楽しい仲間たち」「愛の場面」「闘い、勝利とエピローグ」の4曲。
血沸き、肉躍る、までとは言えないまでも、スクリーンを脳裏に浮かべることができるほどに写実的で、まさに活劇の音楽でもあります。
20年前にウィーンで書いた「スルスム・コルダ」というオーケストラ作品から転用されていて、登場人物たちはライトモティーフで描きわけられているので、非常にわかりやすい。
その「スルスム・コルダ」とは、「心を高く」というような意味合いで、キリスト教初期の典礼句のひとつ「主を見上げ、心を高く」というところから来ております。
まさに、ロビンフッドという勇敢な、ある意味ヒーローに相応しい意味あいをもたらす点で、ここに転用したのかもしれません。
あと、「愛の場面」では、濃厚ロマンティックなコルンゴルトサウンドが満喫できます~

Previn

 ピッツバーグ時代のプレヴィン。
当地の放送局には、プレヴィンやヤンソンス、マゼールらの放送音源がたくさんあるはずなので、なんとかなりませんかねぇ。

Teachers

夏来りて、気分よろしく、スコッチウイスキーをちょびっと。

でも盆明けには秋来ちゃうかも。
失われた7月の夏は大きい。

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