ワーグナー 「ニーベルングの指環」 朝比奈 隆
今年じゃないけど、暑い日、湿気が多いとこんな壮絶な空色の夕焼けになります。
こんな空を見ると「ワルキューレ」だな。
ということで、思い切った企画を。
何日間かかけて全部聴きました。
自分も居合わせた伝説の演奏会。
昨年、ようやく入手したこのCD。
思い切って一気に聴きました。
今回は、長文となります!
ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」
朝比奈 隆 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
(1984~87年 @東京文化会館)
「ラインの黄金」
ウォータン :池田 直樹 フリッカ :辻 宥子
フライア :西松 登美子 ドンナー :勝部 太
フロー :種井 静夫 ローゲ :大野 徹也
エルダ :西 明美 ファゾルト :岸本 力
ファフナー :高橋 啓三 アルベリヒ :多田羅 廸夫
ミーメ :磯崎 義昭 ウォークリンデ:釜洞 祐子
ウェルグンデ:渡辺 美佐子 フロースヒルデ:牧川 典子
(1984.6.11 月曜 19:00~)
1984年から4年間をかけて行われた「リング」の演奏会形式上演。
社会人3年目の若者だったワタクシ。
平日の7時開始という、通常コンサートと同じなので、気軽に、るんるん気分で文化会館に向かいました。
1階の最前列の席、そして登場した楽員さんたちが、舞台ギリギリ一杯に並ぶさまは壮観で、マーラーはこのホールで聴いていましたが、こんな巨大なオーケストラを見るのも初めてでありました。
ワーグナーの書いた楽譜どおりの楽器の数、ハープも確か6台あったはずだ。
4部作通じて、リングを演奏するオーケストラを間近に見ることができたのも、これもまた稀有な経験だったと言っていいかも。
レコードやバイロイトのFM録音で、耳に完全に刷り込まれていた「リング」の音たち。
あんなことしてる、あ、ここではああして弾いてるんだ、叩いてるんだとか、実際で目で見ながら聴いて、目線もきょろきょろ状態でありました。
そして、なにも気にせずに、その大音響に浸り、堪能しまくるという贅沢。
すでにブルックナーで、新日とのコンビは聴いていた、朝比奈隆。
初めて指揮する「リング」は、4作とも腰掛けを置いて、そこに大半は掛けながら、大きな譜面台に顔を突っ込みながら的な感じでした。
ときおりクライマックスでは、腰掛けから立ち上がり、オーケストラを睥睨するかのごとく、大きな指揮ぶりで、そうした「決め」の場面ではオーケストラが実に雄弁極まりないものでした。
あとは、音楽の流れに即した、おおらかな大河のような安心安全の演奏。
今回、一番古い「ラインの黄金」をあの時以来に聴いてみて驚いたのは、その録音の鮮明さと優秀さ。
ややデッドな文化会館だけど、木質の響きも魅力なホールで、その特徴をよくとらえていると思った。
そして、オーケストラが優秀。
ちょこっとあれれ?はあるけれど、そんなことは気にならない、大指揮者に導かれ、この指揮者のためなら、そして4年間の挑戦といった果敢さも、各奏者たちを奮わせたことでしょう。
大編成のオーケストラの後ろにひな壇を設けて、そこで歌われたので、部分的に声が遠く感じることもあり。
しかし、実際にここに居合わせて聴いたときも、歌手たちの声はしっかり聴き手に届いてました。
二期会を中心に、当時のドイツものに強い歌手たちをそろえた布陣は立派なものであります。
ホッターに師事したという池田直樹さんのウォータンが、3作通じて、一番安定感あり、ラインでは若々しさもありました。
大野徹也さんは、この後、日本の生んだ本格ヘルデンとしてワーグナーにシュトラウスにと大活躍しますが、ローゲ、ジークムント、ジークフリートと3役を歌いました。
一見、つながりのありそうでない3役だけど、こうしてひとりの歌手が歌うことで、ローゲの重要性と橋渡し役ぶりを一貫できることにも気づきました。
指環を奪うことをけしかけ、ブリュンヒルデを守る焔となり、最後は槍をかじり、すべてを焔で包んでしまう存在。
それを感じながら歌った大野さん、実に立派でした。
ラインの乙女に、釜洞裕子、渡辺美佐子の名前を見出せるのもこの時期ならでは。
このときのプログラムでは、金子健志さんが楽曲解説。
渡辺護さんが、演奏会形式の意義。
高辻知義さんが、当時議論白昼の「第2新国」について書かれてます。
ちなみに、新日フィルの音楽監督は井上道義で、永久指揮者が斎藤秀雄、顧問が朝比奈、首席が小澤征爾、幹事が山本直純・小泉和裕・手塚幸紀といった布陣。
この年の秋のシーズンは、井上がプロコフィエフプロ、コジ・ファン・トウッテ、ディーリアスなどの英国プロ、小澤がアルゲリッチとラフマニノフなどを取り上げてます。
「ワルキューレ」
ジークムント :大野 徹也 ジークリンデ :西松 登美子
フンディング :高橋 啓三 ウォータン :池田 直樹
フリッカ :辻 宥子 ブリュンヒルデ :西 明美
ゲルヒルデ :柳澤 涼子 オルトリンデ :菊池 貴子
ワルトラウテ :桑田 葉子 シュヴァルトライテ :上泉 睦子
ヘルムヴィーゲ:渡辺 美佐子 ジークルーネ :永井 和子
グリムゲルデ :大藤 祐子 ロスワイセ :妻鳥 純子
(1985.10.12 土曜 15:00~)
1幕の開始、そのテンポはかなり遅くて、かつ克明な音楽の造り。
でもあとは、力感もともなった鮮烈な運び。
やや不安定でフラット気味の大野さんの1幕だけど、2幕以降は持ち直した感じで、悲劇的な様相も豊か。
リリックで真摯、ひたむきさがよい西松登美子さん。覚えてる、美人だったので、とくに!
安定感あり、貫禄ある神々の長らしさと、怒りと優しさの池田ウォータン。
告別のシーンは名唱だ!
西明美さんの真っ直ぐな、ヴィブラートの少ないブリュンヒルデは若々しく力感もほどよし。
ここでは、ラインゴールドと一転、力強い辻フリッカに、雄弁な高橋フンディングもよい。
テンポに違和感を感じたのは最初だけで、あとは存外、快速・快調。
前作同様に、朝比奈先生の指揮に応えるオケの気迫が、多少のキズをうわまって、感動を呼ぶ結果になってる。
1階8列目の席で聴いた、3幕の告別の感動的な音楽は、自分の音楽体験でも上位にくると思ってる。
このCDを聴きながら、最低限ながら、身振り手振りの演技を伴って、心のこもった歌唱をおこなったみなさんを思い起こすことができる。
1985年のこの年の夏、朝比奈さんは体調を崩し大阪を含め、いくつかのコンサートをキャンセル。
そうしたなか、東京にやってきて、久方ぶりの指揮だったこのワルキューレ。
やはり、並々ならない意欲を持って体調を克服し、いどんだ演奏会形式上演だったわけです。
有名シーンも続出するワルキューレ、立ち上がっての渾身の指揮ぶりも覚えてます。
最終の告別シーンは、オーケストラの美感も含めて、CDであらためて聞くと絶品に感じました。
1幕、2幕は休憩時間も短めで、3幕前に長い食事タイムが設けられました。
いまや昔の感じですが、上野の街まで下りてビール飲みました。
「ジークフリート」
ジークフリート:大野 徹也 ミーメ :磯崎 義昭
さすらい人 :池田 直樹 アルベリヒ:多田羅 廸夫
ファフナー :高橋 啓三 エルダ :西 明美
ブリュンヒルデ:豊田 喜代美 鳥の声 :清水 まり
(1986.04.19 土曜日 15:00~)
3年目のリング。
こちらも昼からスタートで、3幕前には90分の休憩タイム。
聴き手は、ここまでくるとワーグナーファンばかりなので大丈夫ですが、歌いっぱなしの歌手と出ずっぱりの指揮者とオケには、これくらいの休憩が必用かと思いました。
こうして、オーケストラを眼前にして聴くと、ジークフリートでは、2幕と3幕とで、トリスタンとマイスタージンガーで中断したことから、その分厚い響きとより複雑に、きめ細やかになったライトモティーフの重なり合いなどが、奏者の弾く姿でもよく確認ができて、ワーグナーの音楽が進化したことがわかって、面白かった記憶があります。
実際に聴いたときは、交通整理ぐらいの指揮しか・・・とか思ったものですが、こうしてCDで聴くと、じつに恰幅がよくて立派なワーグナーで、いろんな音がすべてちゃんと聴こえる明快なわかりやすい演奏とも思います。
でも不可解なテンポの落とし方などが、コンサート会場では目立ち、歌手もおっと、という感じの場面もありました。
CDでは、そうした箇所も、ゆるやかに流れるドラマの一環として聴くことができて、違和感はそんなに感じません。
当時のプログラムを読み返すと、この4月の公演の前、2月には朝比奈先生は散歩中に足の小さい骨を骨折してしまい、静養後の東京だったことが書かれてました。
ともかく、指揮者もオーケストラも、4年間、強い意気込みと意欲を保ち続けていたことでしょう。
それは、聴くワタクシにも言えて、4年間、転勤とか病気とか遭遇したくないと思い続けてましたから・・・
ちなみに、プログラムには、練習指揮者への謝辞も出てまして、佐藤功太郎氏と朝比奈千足氏のお名前が出てました。
さて、「ジークフリート」の日本初演は、1983年、ワーグナー没後100年という節目での二期会の上演。
ほんとの初演ではありませんが、私はその3公演の中日を観劇しました。
若杉弘の指揮、ジークフリートは大野、ブリュンヒルデは辻、さすらい人が池田という朝比奈リングのメンバーと同じ顔触れ。
ミーメはホルスト・ヒーステルマンで、これが絶品だったことを覚えてる。
当時の20代の自分の日記を読み返してみて、若杉さんの緻密ですっきりしたもたれないワーグナーを絶賛していて、あと大野ジークフリートの声はまだまだだが、これだけのヘルデンは日本人として期待が高い、というようなことを書いてました。
ちなみに、この二期会公演が、わたくしの初ワーグナーオペラ体験でありました。
その時から3年。
大野ジークフリートは落ち着きと貫禄を伴って、しかもこの作品ならではの若々しさもともなった歌唱であります。
まだ声のふらつきを感じる箇所もありますが、1幕の最後や、ブリュンヒルデとの二重唱でのタフぶりは見事。
2幕の抒情性もよいです。
1幕最後には、ガッツポーズをされていたような記憶がございます。
あとその声に好悪は集めそうですが、篠崎さんのミーメ。
言語明瞭でディクションが素晴らしく、アクの強さがミーメの狡猾さと、一方でのおっちょこちょいぶりも表出。
池田さすらい人も、ワルキューレのときよりも、達観した歌がさまになっていて、こちらもドイツ語の発声が耳に心地よい。
リリックな持ち味の豊田さんのブリュンヒルデも、CDからの歌声で、当時の舞台も思い起こせました。
新日本フィルは、この年の9月には、小澤征爾の指揮で「エレクトラ」を演奏会形式上演してまして、定期会員だった自分も聴いております。
ブリュンヒルデを歌った豊田喜代美のタイトルロールに、西明美、多田羅廸夫などのお馴染みのメンバー。
井上、小澤を擁した新日フィルは、意欲的なプログラムが目立ちました。
ちなみに、この「ジークフリート」の1週間前には、私は、ウィーン国立歌劇場来演の「トリスタンとイゾルデ」をNHKホールで観ております。
さらに、この年の秋11月には、二期会の「ワルキューレ」を若杉さんの指揮で観劇。
「神々の黄昏」
ブリュンヒルデ:辻 宥子 ジークフリート:大野 徹也
グンター :勝部 太 ハーゲン :多田羅 廸夫
グートルーネ :渡辺 美佐子 アルベリヒ :牧野 正人
ワルトワウテ :秋葉 京子 第1のノルン :奥本 とも
第2のノルン :桑田 葉子 第3のノルン :菊池 貴子
ウォークリンデ:福成 紀美子 ウェルグンデ :上泉 りく子
フロースヒルデ:加納 里美
合唱:晋友会 合唱指揮:関屋 晋
(1987.10.3 土曜日 15:00~ 日本初演)
朝比奈リング最終年。
文化会館の改修があって、定期演奏会の開始も10月となったこの年。
「神々の黄昏」は日本初演にあたりました。
そして、この演奏会の1か月後、11月7日に、私は同じ文化会館で、ベルリン・ドイツ・オペラの「神々の黄昏」の上演を観劇しております。
そう、1987年の10月から11月にかけて、日本で初めての「リング」通し上演がなされ、こちらも若かった私は薄給をつぎ込んで全部観劇しているのです。
ですから、この年の秋は、黄昏を2度体験したわけです。
まさに、日本はバブルの真っただ中にあったわけで、ワタクシは、音楽と酒に浸り続けた日々だったのありました。
長い1幕のあとに、90分休憩。
2幕と3幕の間には30分休憩でした。
最初の90分は時間を持て余した覚えがありますね。
大野さんのジークフリート、さらにたくましくなって、自信もみなぎってました。
1幕で人格が3度変わる難役ですが、幸せに満ちた歌声、騙され恋にほだされたせっかちな役柄、そして別人になり切り悪の歌声、と見事に歌い分けてましたし、スタミナ配分も申し分なく、ラストの死の場面は迫真迫るものがありました。
あら捜しをして、欲を言えばきりがないですが、この時代に、この難役をこれだけ立派に歌いきったことを賞賛しなくてはなりません。
同様のことが辻さんのブリュンヒルデにもいえて、メゾが本領なので、高域はこうしてCDで聴くと辛いものがあるが、演奏会での印象はそうではありませんでした。
とにかくひたむきな、真っ直ぐの気合の入った歌唱で、あのときの自己犠牲では神々しさすらありました。
あと知能犯的な知的なハーゲンを感じさせる多々羅さんの役造りもいいが、ラストシーンではオーケストラの熱気に「リングに触れるな」はCDではかき消されてしまいました。
勝部さんのグンターも懐かしいし、渡辺美佐子さんの気の毒なグートルーネもよろしい。
合唱は録音のせいか、ホールで聴いたときのほうが、圧倒的だけど、でも日本の合唱団はこのときも、ずっと前からも精度は高い。
長丁場のオペラだけど、有名シーンも多数ある「神々の黄昏」
ラインの旅、葬送行進曲、自己犠牲など、そうしたシーンでは、朝比奈先生も指揮経験が豊かなせいもあり、スコアに顔を埋めることなく、立ち上がり渾身の指揮で、実に説得力あふれる演奏となった。
ことに、葬送行進曲からラストまでは、4年間の集大成ともいえる意気込みからか、オーケストラ部分は、あらゆる「黄昏」の演奏のなかでも上位にくるくらいに、やる気にあふれた音の粒立ちの良さと熱気が味わえる。
そして素直に感じる、ワーグナーの音楽の素晴らしさ。
この魅力にはあらがえない。
こうして神々の黄昏を聴き終えて、あの日、しびれるような感動と達成感に満たされた若い時分を思い出すことができた。
そして贅沢なことに、この1か月後にはリング通しで、さらなる感動を味わっていた自分も同じ文化会館にはいたのでありました。。。。
ついでに言うと、二期会の「リング」完結は、1991年7月の「神々の黄昏」で、若杉さんの指揮。
これもよく覚えている感動的な上演でした。
二期会のオペラも、今思えば、音源として残しておいて欲しかったものです。
「若杉さんの指環」なんて、夢のようです・・・・
調子に乗ってチケットもお見せします。
ラインの黄金なんて最前列で、オケのシャワーを浴びてますよ(笑)
自分の行った演奏会のCDが聴けることの幸せ。
あと、なにごとも、記録しておくことの大切さ。
そういう意味では、ブログは日記替わりで、自分の音楽ライフのアーカイブなんです。
朝比奈リングの演奏タイム
①「ラインの黄金」 2時間32分
②「ワルキューレ」 3時間47分
③「ジークフリート」 3時間54分
④「神々の黄昏」 4時間15分
ほどほどのゲリラ雷雨は、虹の副産物がありますので許せますが、激しいヤツ、長いヤツは困ります、ダメです。
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コメント
相変わらずの酷暑の中、干上がる寸前でございます。朝比奈御大は'74年7月の上野で大フィルとの東京定期を聴いたのが唯一でした。ブルックナー8番だったので駆けつけたのですが、後で知ったところでは東京での朝比奈への評価が変わるターニングポイントになった晩だったとか。
前プロにマーラーのアダージェットで、ブルックナーは後年よりテンポの動きも大きく、終楽章では金管のスタミナ切れも目立ちましたが、実に堂々たる風格には圧倒されました。当時持っていたのはセル&クリーヴランド管のみでしたので、比較の対象としてはいささかでしたが。
終演後の楽屋口でサインを頂戴したのですが、傍らの関係者に
「いやお客さんは大事だからね。我々もこのくらいはしないと」
と話しながらせっせと「T.A.」とペンを走らせておいででした。謝辞を述べると
「いや、どうもどうも!」
と笑顔を返して下さいました。
その後、何度も聴く機会はあったのですが、氏のカリスマ的な受け止められ方が顕著になるにつれ生来の臍曲がりが首を持たげる有り様でそれっきりに。'90年代以降の各オケで改めて接したかったと悔やんでも後の祭りで。まあ致し方ないですね…。
投稿: Edipo Re | 2020年8月23日 (日) 04時46分
わたしの初朝比奈さんは、高校時代でした。
75年か6年ですが、新日でブルックナー7番でした。
それ以来のリングサイクルでの御大です。
サインの逸話、飾らない人柄が偲ばれますね。
わたくしもへそ曲がりの類なので、積極的には氏の演奏は聴かなかったし、音源もほとんど所有してませんでしたが、おっしゃるように、あとの祭り状態で、せめてもカテドラルのブルックナーでも聴いておくのだった、と悔やむことしきりです・・・・
投稿: yokochan | 2020年8月24日 (月) 08時30分
私も同じ会場にいました。リングは一生に一度観られるかどうか、そんな夢の演目でした。プロが発表されたときは興奮したなぁ!。そしてそのあたりだったでしょうか、若杉さんもサントリーホールで短縮版のコンサート形式でやはり演目にあげていました。そちらの印象も強かったですが、新日本フィルのスコア通りのフル編成はおっしゃるとおり圧巻でした。1階27列32は、おそらくその至近の前後が私の席でした。かなりのニアミスですね。懐かしいです。あの頃、征爾さんも絶頂期で年に1回は豪華ソリストともに登場、そして都響は若杉さんが君臨という素晴らしい時代でした。
投稿: yurikamome122 | 2020年8月28日 (金) 14時50分
朝比奈隆さん(と、大フィル)は、関西楽壇が全国に誇る文化資産でしたが、実際は上京しての東京特別定期演奏会や、このお方がお江戸のオーケストラに客演したり、東京の音楽愛好家に認められ、いわば全国区に成ったのですよね。やはり近畿ないし西日本内の活動にとどまって居たのでは、駄目と言う事でしょう。
投稿: 覆面吾郎 | 2020年8月30日 (日) 09時17分
yurikamomeさん、ご無沙汰しております
いやぁ、そうですか、お近くで聴いていらしたんですね。
ワーグナー全作を抜粋で連続演奏した若杉さんの方は、劇場で体験したので、スルーしましたが、今思えば残念なことをしました。
都響はアーカイブをしっかり持っているので、そちらもいつかは音源化して欲しいものです。
新日フィルのこちらの古いパンフレットで、楽員名簿を見ていたら、コントラバスにあの方の名前がありました、ベテランですね。
ご指摘のとおり、小澤さんの豪華ソリストは、ほんと素晴らしかったです。
J・ノーマン、バトル、ベーレンス、ポリーニなどを聴けたことは大きな経験でした。
投稿: yokochan | 2020年8月30日 (日) 15時38分
覆面吾郎さん、朝比奈&大フィルは、たしかに関東の聴き手からすると遠い存在でしたね。
NHKFMが放送する関西局版で、ときおり耳にした程度だったです。
そんななかで、鮮烈だったのが、「千人の交響曲」。
1972年6月ですが、FMで聴いた記憶はうる覚えですが、雑誌で見た大人数のオケと合唱にびっくり。
関東では同じころ、日本フィルがフジテレビなどからの契約打ち切りで解散の瀬戸際の年で、最後の演奏が同じ6月に「復活」ということで、東西であった大きな出来事をよく覚えてます。
朝比奈さんを知るようになったのはその時からでした。
投稿: yokochan | 2020年8月30日 (日) 16時03分