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2020年9月

2020年9月27日 (日)

ヘンデル 「エジプトのイスラエル人」 パロット指揮

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真夏ですが、初訪問の乃木神社。

言うまでもなく乃木希典将軍とそのご夫人を祀った神社です。

日本には、申告されてないものも含めると10万社以上の神社があるといいます。

神道は日本固有の宗教でもありつつ、日本人の心のなかにある容のあるようでない神様を拝む心のようなもの、とも思います。
一方で、仏教のお寺も、8万社もあります。

八百万の神様と仏様、キリストもほかの宗教の神様も、みんな共存できちゃう、そんな国が日本であります。

コロナのせいで、手水舎は使用できず、でもこんな美しく花で飾られた乃木神社の鳥居の下でした。

Handel-israel

  ヘンデル オラトリオ「エジプトのイスラエル人」 

 S:ナンシー・アージェンタ S:エミリー・ファン・エヴェラ
 A:ティモシー・ウィルソン
 T:アンソニー・ロルフ・ジョンソン
 B:デイヴィット・トーマス B:ジェレミー・ホワイト

  アンドリュー・パロット指揮 タヴァナー・プレイヤーズ
                タヴァナー・コーラス

        (1989.8~9 @アビーロードスタジオ)

前回のブログでは、プロコフィエフについて語り、シリーズ化も宣言しましたが、同じくコロナ禍のなか、あらためてその素晴らしさに目覚めた作曲家、ヘンデルを今回は取り上げます。
 やはり、海外の多くのネット配信で、ヘンデルのオペラやオラトリオを多く、見聞きすることができました。
視聴したアーカイブを調べてみたら、オペラ12本にオラトリオ3本でした。

いずれもともかくヘンデル作品は長い。
しかもタイトルが横文字ばかりで、覚えきれないし、その数もやたらと多い。
何から聴いていいかわからなかった自分に、時間の制限のあるストリーミング配信などは、ともかく聞かなくては、観なくてはならないから有効でした。
こうして、「水上の音楽」と「メサイア」だけだった自分のヘンデル観に、オペラの人、劇場の人ヘンデルがやってきました。

しかし、どうすんでしょうね、wikiで見たら、オペラだけでも42作あるし、オラトリオ系でも30作ぐらい。
カンタータも限りなくあるし、オペラ・声楽作品だけでも、ともかく膨大。
ともかく多くは無理だから、ゆっくりと取り上げましょう。
きっと途中で断念するか、もしくは当方が昇天してしまうかもしれませんので。。

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長い前置きはここまでで、「エジプトのイスラエル人」です。
「メサイア」の3年前、1738年の作品。
ロンドンで活躍中だったヘンデルが、オペラシーズンに出資金不足で新作発表がならずに、かわりに舞台上演のいらないオラトリオ作品を書くこととなり、同時期に「サウル」とともに書かれたのが「エジプトのイスラエル人」。

エジプトのイスラエル人とは、旧約聖書の「出エジプト記」を扱ったもので、「詩編」もテキストには選ばれてます。
そう、まさにモーゼに率いられたユダヤのイスラエルの民のエジプト出国を描いてます。
映画の「十戒」そのものの世界。
大学生のときに、学校で聖書を習ってよく読んだか所だし、「十戒」もちょうどリバイバル上演があったものだから、渋谷の東急で観たものです。

ヘンデルは、まず「モーゼの歌」(申命記32章を参照したもの)を作曲し、これはモーセによる神への賛美であり、イスラエルがいかに神から愛されたかが申命記で熱く語られてる部分。
そして、物語として、まずユダヤの民が飢餓などで、豊かなエジプトに逃れ、優秀な民族だったので国を富ませるために、いろんな労働を強いられますが、それでも共存してうまくやっていた、という出エジプト前の前提があります。
このあたりを、指導者ヨセフの死と融和的だったファラオ(エジプトの王)の逝去を悼む、という第1部の作曲と、そこに前年に作曲した「シオンの道は悲しみ」をそっくり使用することで代替することを思いつきます。
この曲は「キャロライン王妃のための葬送アンセム」で、国王ジョージ2世の妃、キャロラインの逝去を悼んで書かれたもので、ほぼ同世代の王妃は、ヘンデルのオペラを愛し、その活動を支援してました。
そんなヘンデルの王妃への想いが、ユダヤ人を庇護していたエジプトのファラオと、イスラエルのリーダー、ヨセフの死を悼む音楽に置き替えられてるわけです。

これを第1部とすることで、今度は中間に、「出エジプト」の場面が必要となり第2部が作曲され、全3部のオラトリオの完成となりました。

第1部 「ヨセフの死に寄せるイスラエル人の哀歌」
第2部 「出国」
第3部 「モーセの歌」

ソリストは5人が必要ですが、このオラトリオの主役は合唱で、曲は合唱曲が多くを占めます。
文字通り、第1部はしめやかに、楚々とした悲しみに包まれていて、合唱も憂いを帯びてます。
第2部は、ドラマテックですが、前ファラオと違って弾圧的だった新ファラオのエジプトに神が怒り、疾病や天変地異を起こすわけですが、音楽はそこまで具象的でなく、紅海の横断シーンも淡々としてます。
出エジプト記でなく、詩編からも多く録られていることからだと思いますが、ある意味とても音楽的。
そして出国を祝う第3部は、明るく、むしろこちらの方が壮大。
「メサイア」を思わせるような晴れやかな合唱曲や、バスふたりによる掛け合いのソロアリアも「メサイア」っぽいので親しみがわきます。

第2部は、出エジプト記と詩編を、いろんな風に組み合わせてヘンデル独自の流れに仕立ててますが、細かに聖書を対比して聴いてみるのも面白いものでした。
しかしまあ、もう老眼の域に達したワタクシには、なかなかシンドイ行為なので、そう何度もできるものではございません。
まずは、ヘンデルの美しく、そして壮麗な音楽に耳を傾け、そして身をゆだねることです。

もう30年も前の古楽演奏の最初の頃のパロットの演奏。
先鋭さもなく、中庸の美しさもあり、なによりも合唱の精度も高く、歌手たちもうまいです。
もっと最近の演奏で、ヘンデル演奏の最新を聴いてみたい気もします。

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  ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 モンテヴェルディ管弦楽団
                     モンテヴェルディ合唱団

       (1978.10 @オールセインツ教会)

知らない間にもう一組持ってました。
ヘンデル作品を集中的に録音していたガーディナーは2度録音してまして、これはその1回目。

ここでは、第1部に転用された「アンセム」は、切り離されて別に演奏されてます。
ただし、その序曲だけはそのまま「出国」の冒頭に置かれてまして、「出エジプト」と「モーセの歌」の2部構成となってます。
初演時に、華やかなアリアがなかったりで、ロンドンの聴衆には不人気だったため、2部と3部のみで演奏されることとなった風習を受けてのもの。
たしかに、出エジプトという、ユダヤの民にはめでたい出来事を、ちょっとしめやかすぎる第1部が冒頭に長くあったりすると、聴衆受けはよくなかったかもしれません。
 2度目の録音は聴いてませんが、70年代に、これだけ清新な古楽演奏をしていたガーディナーの先見性をここに聴くことができます。

まだまだ聴きとり不足ですが、「エジプトのイスラエル人」、いい作品だと思います。
オペラ的に上演することはまず不可能かと思いますが、メサイアばかりでない、ヘンデルのオラトリオ作品、このあとも続けます。

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エジプトとイスラエル。
高域で言うと、アラブとイスラエル。
旧約の太古から因縁を持って対立を続けてきた関係。

アメリカのトランプ政権が、この楔を解き、イスラエルとアラブ首長国連邦、そしてバーレーンとも国交正常化の仲介を成功させました。
ほかのアラブ諸国も続く可能性があります。
これは歴史的にも画期的なできごとで、このヘンデルの作品を聴いて、この出来事もしみじみと受け取ることができました。

トランプの選挙対策、なんてのは間違った発想。
ともかく長い長い対立の歴史からすると、ほんとにすごいことが起きたのだと思います。
世界的に原油需要の減退とOPECの力の低下で、相対的に中東のこれまでの強みが薄れてきたなか、アラブ諸国は先を見据えた動きをしたとみるべきでしょう。
そしてアメリカも、中東地域への力の配分も少なくすることができる。
自国ファースト政策と、なによりもその力を温存し、某国に注がねばならない、そんなアメリカの事情があります。
しかし、なんだか、世界がふたつの勢力にますます二分されつつあることが鮮明になってきました。

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ヘンデルの「エジプトのイスラエル人」の最後は強く明るい、ソプラノソロ付きの合唱です。
そこで歌われるのは、出エジプト記第15章1と21からとられてます。
「主にむかってわたしは歌おう、彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。」
そう、これは争いや武器は、もうナシ、もうおしまい・・・っていう明るく強いメッセージでありました。

まさにそうありたいもの。

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2020年9月20日 (日)

プロコフィエフ 交響曲第1番、第2番

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浜松町のJRと並行する橋からパシャリ。

左手の茶色いビルは歴史ある貿易センタービルで、モノレール駅も直結していて国内の空の窓口的な存在でもありました。
これが、来年あたりから解体が始まります。

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右手の工事中のビルが、貿易センタービルの後ろにあたる場所に建設中の貿易センタービル南館。

早くもこうして駅通路とつながってました。

コロナでも、都心部は着々といろんな建設が止まることなく進行してまして、たまに行くとびっくりすることがあります。
新橋駅の駅ナカとか、有楽町のガード下の進化とか、たくさん。
でも、東京ばかり。
コロナで、一極集中は徐々に収まっていくのではないかと思ってますが・・・・

さて、コロナで自分のなかで目覚めた「プロコフィエフ」。
なんで今さら感もありますが、親しいようで、どこか遠かったプロコフィエフの音楽。
作風のいろんな変遷があり、ロシア革命とソ連の体制の影響を受けざるをえなかった点で、ショスタコーヴィチと同じ。
でもシンフォニストとしては、明らかにショスタコーヴィチの方がポスト・マーラー的な存在として大きな存在。
しかし、交響曲以外のプロコフィエフのもうひとつの、いやそれ以上の存在としての劇場音楽作家としての顔。
それを知りえたのがコロナ禍のオペラストリーミング大会。
8作あるオペラだけでも、その半分を観劇できまし、バレエも同様。
ドラマの仕立ても面白さもさることながら、感覚的に訴えてくるその音楽が抒情と力強さにあふれていることも再認識。

交響曲シリーズとオペラシリーズをスタートします。

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 プロコフィエフ(1891~1953)の61年の、いまでは短いともいえる生涯は、亡命と遍歴の歴史でもあります。

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフの場合、こうした時代の変遷で、その音楽をとらえてみるのも面白いし、実にわかりやすい。
モダニストとしてならしたロシア時代、欧米やアジアの素材も取り入れつつ、さらに原色的なロシアテイストもにじませ、やはり故国への想いもにじませた亡命時代。
憧れた故国に帰ると、そこは本音と建て前の世界で生き残らなくてはならなかった。
体制に寄った音楽と皮相な音楽の壮大なマッチングはクールでさえある。

Prokofiev-marriner

  プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 op25

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

    (1973.5 @キングスウェイホール)画像は借り物です

シンプルで、まさに古典の顔をした「古典交響曲」。
こんなお手頃で聴きやすい交響曲を聴いて、「ピーターと狼」のプロコフィエフっていいなぁ、なんて思って、次の2番の交響曲を聴くとぶったまげることとなる。
そう、第1交響曲が異質なのだ。
子供時代から作曲していたが、サンクトペテルブルク音楽院を経て、すでにモダニスト然とした作風を得ており、21歳のピアノ協奏曲第1番(1912)、22歳の協奏曲第2番(1913)は、なかなかのぶっ飛びぶりであり、そのあと荒々しい「スキタイ組曲」もある。

そして、1917年、26歳で亡命前に「古典交響曲」を作曲する。
ということで、あえて「古典」という18世紀スタイルに身を固めた交響曲を作曲したプロコフィエフは、逆にスゴイくせ者だということになります。
事実、この曲でプロコフィエフを語られるのを、作曲者は嫌ったらしい(笑)

ということで、お馴染みのこの清々しい交響曲をマリナーとアカデミーの小俣のきれあがったような気持ちいい演奏で。
このレコードがロンドンレーベルから出た時は、ビゼーの交響曲とのカップリングで、「マリナーのハ調の交響曲」という宣伝文句で発売され、ジャケットも可愛い女の子の洋画だった。なつかしー
 3楽章が、のちの「ロメオとジュリエット」の1幕、客人たちの入場で使われていて、それを聴くのも楽しいもので、なんだかんだでプロコフィエフは、この作品が好きだったんじゃないかと思う。
古典の姿をまとったモダニスト的な作風は、斬新なリズムとスピード感などに現れてます。

Prokofiev-ozawa

  プロコフィエフ 交響曲第2番 ニ短調 op40

 小澤 征爾 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1990.1 @イエスキリスト教会、ベルリン)

第2番は1925年、34歳の作品。
亡命後、アメリカと欧州を行き来しつつ活動していたプロコフィエフは、結婚も決め、南ドイツの街に移住。
その後、パリに移住したその前後に書かれたであろう第2交響曲は、先に書いた通り、ぶっ飛びの攻撃性と実験性を持つ曲。
初めて聞いたときは、それこそビックリしたと同時に、さっぱり訳がわからなくて、つかみどころもなく、単なる実験作じゃんか・・・との印象で終わりにしていた。

このところの、プロコフィエフ熱でもって聴き直すと、これはこれでプロコフィエフの音楽の面白さが凝縮されたユニークな存在として、オペラにも通じる作品であると思うようになってきた。
そのオペラとは、「賭博者」と「火の天使」。
不協和音と、クセになる快感を呼び起こすオスティナート効果、甘い旋律の切なさとクールさ。
37分ぐらいの長さだけど、楽章はふたつ。
全編フォルテの激しい1楽章、ピアノが導入され熱狂したように弾きまくり、金管は咆哮し、弦はキュウキューと弓をこすり付けるようにしてかき鳴らす。
目まぐるしいけれど、この狂おしさが面白くて好き。
「春の祭典」の12年後。
プロコフィエフはロシア時代に、ディアギレフとも出会い、「アラとロリー」(スキタイ組曲)を1916年に作曲している。

忽然と終わる1楽章に続く、長い第2楽章は、抒情的でしなやかなメロディで開始され、どこかホッとすることとなる。
しかし、油断は禁物、スケルツォ的な野卑な部分が突然顔を出して、安住の気持ちをかき乱す。
と思ってるとまた抒情的な雰囲気が、ミステリアスな雰囲気でもって回帰し、さらにややこしい。
そう、よくよく聴くと変奏曲形式になっている。
6つの変奏を聴き分けるまでには至っていないし、よっぽど聴きこまなくてはそこまでにはなれません。
トランペットがピロピロと鳴ったり、弦と木管がキンキンしたりで、面白い場面も続出しつつ、素朴な変奏主題も鳴っている。
終わりの方は暴力的になり、ちぎっては投げの音の爆弾になりますが、突如、冒頭の抒情主題が回帰し、やれやれという風になりますが、そのままあっけなく終わってしまう。
 おいおい、もっと先ないのか~い?って気分にさせられること甚だしい(笑)

ソナタ形式のフォルテだらけの1楽章。
変奏曲形式のとりとめない2楽章。
プロコフィエフ自身が「鉄と鋼でできた作品」としたが、この交響曲っぽくない交響曲が、いずれにせよ実験的な作品であることには違いない、、、です。
 このある意味ナイスな作品が、後年、体制下の影響か、改訂の筆を入れようとしましたが、途中で終了。
それでよかったと思われます。

小澤さんの音楽の整理能力と、巧みなオーケストラコントロールは、超優秀なベルリンフィルを得て、水を得た魚のようにピッチピチの鮮烈な演奏に反映されてます。
野卑さはないけれど、このやっかいな作品をすごく聴きやすくしてくれたと思います。

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浜松町から汐留には線路沿いの遊歩道ですぐに行けます。

文化放送のビルの隙間から東京タワー。

暑さもひと段落、歩き回るのにいい季節となりました。

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2020年9月13日 (日)

シュレーカー 「烙印を押された人々」 K・ナガノ指揮

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青の世界。

どこか近未来の都市を思わせるこちらは、わたしの秘密のスポット。
秋冬バージョンは、この光がオレンジになります。

この写真の左側に、新しいビルが完成し、そこにソフトバンクグループが引っ越してくるそうで、総勢1万人もの人が増えるらしい。
わたしの秘密基地が・・・・・

竹芝桟橋の近くです。
右手奥は、勝どき、月島。

色めが似てるジャケット、でもちょっと怪しい。

Schreker-die-gezeichneten-nagano

 シュレーカー 「烙印を押された人々」

  公爵アドルノ:ロバート・ヘイル 
  貴族タマーレ:ミヒャエル・フォレ
  市長ナルディ:ウォルフガンク・シェーネ
  その娘カルロッタ:アンネ・シュヴェンネウィルムス
  貴族アルヴィアーノ:ロバート・ブルベイカー
   その他大勢

 ケント・ナガノ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
           ウィーン国立歌劇場合唱団

   演出:ニコラウス・レーンホフ

  (2005.7.26 @フェルゼンライトシューレ、ザルツブルク)

ときおり無性に聴きたくなるシュレーカーの音楽。
なかでも、「烙印を押された人々」は前奏曲だけでも始終聴いてます。
濃厚な世紀末ムードと、痺れるような感覚的な音楽、前奏曲がこのオペラの内容をすべてを表出している。

シュレーカー(1873~1934)は、ドイツにおける印象主義の先駆者ともいわれ、響きの魔術師ともいわれた。
独墺では、シェーンベルクのわずか下、フランスではラヴェルと同世代、ということでシュレーカーの時代的な立ち位置がわかると思う。
当時のドイツのおける人気オペラ作曲家で、そのオペラはワルターやクレンペラーがこぞって取り上げた。
ふたつの大戦に翻弄され、ことにそのユダヤの出自もあり、ナチスに目をつけられてからは、「退廃的」であるとのレッテルを貼られ、ご禁制の音楽とされてしまった。

ナチスの貼ったレッテルをはがし、その音楽たちがいかに現在において素晴らしい立ち位置を持ちうるか、ということに貢献したのは、ギーレン、アルブレヒトらの存在、ラインスドルフのコルンゴルト「死の都」の録音、そしてデッカの「退廃音楽シリーズ」の一連の録音、マゼールのツェムリンスキー「抒情交響曲」であると思う。
1970年代半ばからのこと。

今思えば、いずれ来たにせよ、一連のこうしたムーブメントがなければ、マーラー、シュトラウスのあとは、新ウィーン楽派どまりで、独墺の20世紀末周辺音楽の一部は封印されたままで、はなはだ彩りに欠いたものとなっていたことでしょう。
現在も、シュレーカーの音楽は一般的にはなっていないと思いますが、それでもその完成された9作のオペラはなんらかの形で聴くことができます。
2005年にザルツブルク音楽祭で上演された「烙印を押された人々」が、シュレーカーのオペラの唯一の映像作品かもしれない。
このコロナ禍で、シュレーカーのような大規模な作品は上演されにくくなるかもしれないけれど、でもコロナのおかげで、ネット配信された「はるかな響き」と「ヘントの鍛冶屋」のふたつの上演映像を録画することができました。
いずれのときに記事にしようかと思ってます。

さて、「烙印を押された人々」というタイトル。
独語の本題は「Die Gezeichneten」で、これをGoogle先生で翻訳すると、「描かれた」とか中途半端な邦訳にしかなりませんで、「Zeich」は「お絵かき」とかいうことになります。
なので、「描かれた人々」的な意味合いではないかと。(わかる方教えて欲しい)
 日本語でいう、「烙印を押す」という意味合いは、拭い去ることのできない汚名を着せられる、とか、不名誉な評判を立てられる、とかのマイナスイメージです。
 このオペラの内容は、まさに退廃的な場面もあり、そこに溺れる人々を描いてもいるので、邦題の意味合いは符合してます。
一方で、ヒロインのカルロッタは、病弱な画家であり、精神的にも危うく、醜男のアルヴァーノの姿絵を描くことを所望し、アルヴァーノはそんな彼女に同情と愛情を抱くわけです。
だから、「描かれた人々」という独題は、まさにオペラの中身でもあります。

自身で台本も起こすシュレーカーに、ツェムリンスキーは、「醜い男の悲劇」をオペラにしたいということで、台本制作を依頼。
シュレーカーは、以前、パントマイム付随音楽として作曲した「王女の誕生日」と同じように、オスカー・ワイルドの童話や戯曲を参考に、台本制作を進めるうちに、自分でこのオペラを作曲したい思いになった。
ツェムリンスキーに、断りをいれて作曲を進めて出来上がったのが「烙印を押された人々」。
ツェムリンスキーは、この素材を忘れがたく、のちにオペラ「小人」を作曲することとなります。

 1908年 シュレーカー  「王女の誕生日」
 1918年 シュレーカー  「烙印を押された人々」
 1922年 ツェムリンスキー「小人」(王女の誕生日)

いまでは、ポリコレもあり、これらのオペラの内容を台本通りにまともに演出・上演することは難しいでしょう。
しかし、シュレーカーもツェムリンスキーも、気の毒な彼らの存在があるから作曲したのではなく、彼らこそ、真実を見抜く目を持っている、繊細で豊かな感情を持っていることを、これらの作品の中の重要なモティーフや目線にしているものと思います。
シュレーカーのほかのオペラの登場人物たちは、どこかそうした人物たちが多い。

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自分がかつて書いたあらすじが超長いので、記事として独立させましたので下記リンクで。

「烙印を押された人々」 あらすじ

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今回のDVDのザルツブルク上演の演出は故レーンホフ。
そんなに過激な演出や極端な読替えはしないけれど、その舞台はいつも暗かったり、無機質だったり、そんなイメージを持ってまして、今回も全体に暗めで、美しい、なんていう形容詞とは程遠い・・・です。
横広の長いフェルゼンライトシューレをうまく活用し、背景の壁もうまく利用して多層的な舞台背景を作り出したのは見事。
 あの懐かしい、サヴァリッシュとバイエルンの「リング」が、人の顔のうえで登場人物たちが演技したように、今回も顔や手をダイナミックに使っているし、その石造の素材、それと市民たちの白塗り顔と仮面が、それこそ無機質で冷たく、感情表現を持たせないようにしている点にも意味があるように思えた。

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 主役のアルヴィアーノは、身体の不自由な醜男ではなく、トランスジェンダーとして描かれていたように思う。
前奏曲から、お化粧セットを取り出し、化粧に余念なく、カツラもかぶる。
貴族の仲間たちも、ちょっとそれっぽい。
 カルロッタは、まったく画家を思わせることがなく、ト書きをまったく無視。
アルヴィアーノを肖像を描くべく、自室へ招いたカルロッタは、絵を描くのでなく、アルヴィアーノの女装をひとつひとつ解いてゆく。
そこで発作を起こすのだが、倒れたときに指さすのは、頭上の巨大な人の手で、アルヴィアーノはそれを仰ぎ見る。
これが原作の「干からびた手と赤い筋のような紐・・・」の絵、これを描いたのがカルロッタで、その心を病んだ彼女を、アルヴィアーノが理解し、同情を寄せることになるシーンであった。

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しかし、ここでは、アルヴィアーノはカルロッタを肉体的に愛することができないことも、うまく描かれていて、最後に彼女が、ゲス野郎の色男タマーレに魅かれ、身体をゆだねてしまう流れがよくわかる。
 タマーレや貴族たちが、街の若い女性や人妻を誘拐して、監禁窟を作っていたわけだが、このレーンホフ演出では、婦人ではなく、いたいけのない、少年少女だった。貴族たちの性向が、そっち系と思わせたのが、最後の結末で見えたわけだが、これは思いがけなくも、アメリカで地下で潜行して起きている疑獄事件にも通じていて、レーンホフの社会の闇を見る鋭さを15年前の演出ながら感心もした次第。
話は変わりますが、トランプ大統領・共和党政権は、この問題の根が深いとみて、徹底的に調べようとしてます。
 そんなわけで、烙印を押された人々、これから押されるであろう人々は、まだまだたくさん世界中にいますよ。

衝撃的なラストは、石像の顔が血の涙を流すところ・・・・哀しい。

アメリカのテノール、ブルベイカーは、アルヴィアーノのスペシャリストで、その没頭的な歌と、どこか気の毒な風貌と歌いぶりが、完全にサマになってます。

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この上演の2年後、ドレスデンとの来演でマルシャリンを聴いたシュヴァンネウィリムスが、その時の典雅なムードとは大違いの体当たり的な歌と演技で引き込まれる、そんなカルロッタを演じている。
少し金属質な声も、この夢中な登場人物にぴったりだった。

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 あと、驚きは、やはりフォレの演技と声の圧倒的な存在感。
憎々しさもあまりあり、最後にアルヴィアーノに射殺されて、清々した気分になるほど(笑)
一昨年のバイロイトのマイスタージンガーで、ザックスとエヴァが、フォレとシュヴァンネウィリムスだったりで、不思議な感じだった。
それから、ベテラン、R・ヘイルのこれも表層的な紳士ぶった悪漢を高貴な声で歌い演じていて見事だった。

K・ナガノとベルリン・ドイツ響の作り出すオーケストラは、和声ではなく、流れゆく横へ横へと伸びてゆく響きを、次々に編み出して繋いて、そして紡いでゆく手法でもって、素晴らしいシュレーカーサウンドを作り上げている。

ドイツの劇場で、この作品はしばしば上演されていて、いずれそれらの映像も出ないものだろうか。
いろんな演出で観てみたい、社会的問題の発信力あるオペラだし、その音楽も汲めどもつきない魅力があって、まだまだいろんな発見があるものだから。

シューレーカーのオペラ(記事ありはリンクあります)

 「Flammen」 炎  1901年

 「De Freme Klang」 はるかな響き  1912年

 「Das Spielwerk und Prinzessin 」 音楽箱と王女 1913年
 
 「Die Gezeichenten」 烙印された人々  1918年

 「Der Schatzgraber」 宝さがし 1920

 「Irrelohe」   狂える焔   1924年

 「Christophorus oder Die Vision einer Oper 」 
         クリストフォス、あるいはオペラの幻想 1924

   ※CD入手済み いずれ記事化

 「Der singende Teufel」 歌う悪魔   1927年

   ※音源未入手

  「Der Schmied von Gent」 ヘントの鍛冶屋 1929年
   
   ※映像保存済み いずれ記事化

 「Memnon」メムノン~未完   1933年

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右手は東芝ビルや、新しいマンション。
左手からは、東京湾クルーズ船が出る波止場。

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秋冬バージョン。

もうじき、秋がやってくる。
長い秋になって欲しいもの。

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2020年9月 6日 (日)

エルガー 交響曲 コリン・デイヴィス指揮

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吾妻山、頂の象徴ともいえる大きな木。

前にも書いてますが、この麓の小学校に通っていたころは、こんなきれいに整備されてなくて、広場にもなってなかった。
こんな木もなかったような記憶が。
当たり前だけど、登山道も整備されてなくて、石もごろごろの山道。

教室で飼っていたウサギがいなくなって、きっと裏山の吾妻山に逃げたんだよ、いや、猿に襲われたんんだよ、とか教室で大騒ぎになり、放課後、みんなで山に探しに行ってしまった。
そしてあたりは暗くなってしまった。
子供だけの決行だったので、大騒ぎになり、事を知らなかった、担任の若い先生は大目玉をくらいました。
結局、ウサギさんは見つからず、猿の犯行という都市伝説だけが残りましたとさ。。。。

今を去ること、半世紀前の小さな町の出来事でした。

 エルガーの交響曲を3曲、全部デイヴィスで聴いてみる。

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  エルガー 交響曲第1番 変イ長調 op.55

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.9~10 @バービカンセンター、ロンドン)

エルガー(1857~1934)の人生は、そっくりそのまま19世紀末を生き抜いたわけだけど、その作風には後期ロマン派風ないしは、世紀末風なテイストは感じることはない、(と自分は思ってる)
それは、イギリスという大陸国でないことが大きいと思うし、英国音楽界が、本格的なシンフォニストやオペラ作曲家を生んでこなかったことにもよるかもしれない。
 本格的な交響曲作家は、パリー(1948~1918)とスタンフォード(1952~1924)のふたりで、いずれもブラームスへの賛美がその交響曲にうかがえる。
そして彼らの後輩、エルガーの1番の交響曲は、1907年に取り組まれ、おんとし50歳。
それこそ、ブラームスの1番のように熟考を重ねての年月を感じるが、できた音楽は、まるでブラームスでもなければ、チャイコフスキーやドヴォルザークのような民族色に根差したものでもなかった。
そう、英国の音楽だった。
「ノビルメンテ~高貴に」と付されたモットー主題が全体を覆う、堂々としながらも、哀感と儚さもあり、そして本格的な交響曲は、これまでにない英国交響曲だった。

1番はほんとうに好きで、最近のCDはあまり購入してないが、20種もありました。
コンサートでも何度も聴いてる。
そして何度聴いても、終楽章で最後にモットー主題が忽然と、そして力強くあらわれると涙が出るほどに感動する。
 サー・コリン・デイヴィスの熱い指揮は、このあたりがまことに素晴らしく、ぐいっと一本行ってみよう的な男らしさもありつつ、常にノビルメンテな気品も感じるところは、これもまたデイヴィスらしいところ。
 同じ時期に、集中して演奏されたコンサートのライブ録音だけども、LSOの本拠地、バービカンのデッドな響きをそのままとらえているので、音がかなり硬く潤いがないのが残念。
この頃のLSOレーベルの音はみんなそうで、でもその後はかなり改善されたと思う。

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エルガー 交響曲第2番 変ホ長調 op.63

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.10 @バービカンセンター、ロンドン)

実は、私は1番より2番の方を先に聴いている。
バレンボイムが本格オーケストラと録音し始めた頃のロンドンフィルとの2番が、CBSソニーから出て、FMで放送されたものを録音して、何度も何度も聴いて耳になじませた。
エルガーを聴くようになったのは、それがきっかけの70年代。
1番の方が、馴染みやすいけれど、よりエルガーらしく、より英国の交響曲らしく感じるのは2番。
1番を完成させ、大成功を収めた翌年に作曲。
大英帝国の一翼を担ったエドワード7世の逝去にともない、亡き国王への追悼に捧げられた2番。
快活な1楽章に続く、2楽章ラルゲットがその追悼の想いを一心に表出していて、その哀感は、押しては引く波のように、じわじわと心に迫ってきて、音が旋律が、みんな涙に濡れているように感じる。
心が辛いときとか、これを聴くと、ほんとうに沁みる、泣ける。
こうして、エルガーはエドワード朝の終焉に、英国の沈みゆく帝国の姿を見たのかもしれない。
 可愛いスケルツォも素敵だし、どこか、幸せな安寧の地に誘われるような終楽章とその終わり方も素晴らしい。

1番を何度も録音したデイヴィスだが、2番の正規録音はこれだけ。
心を尽くした2楽章は、オーケストラの素晴らしさとともに、実に味わい深く、ここにこそ、デイヴィスの音楽造りの神髄を感じます。
それは、オペラとモーツァルト、ベルリオーズに長けた歌心と気品と情熱。
緩やかに曲を閉める、その構成力の豊かさもいい。

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エルガー 交響曲第3番 ハ短調 op.88 
        アンソニー・ペイン補筆完成版


 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.12 @バービカンセンター、ロンドン)

ペインが補筆完成させた3番を含めて、エルガー3作を全部録音している指揮者は、アンドリューとコリンのふたりのデイヴィスと、われらが尾高さん、そしてヒコックスの4人。
1・2番を録音している現役指揮者で、エルダー、ガードナー、W・ペトレンコは3番を録音するだろうか。
あとバレンボイムは絶対やりそうにないし、アシュケナージは引退しちゃったり・・・

自分的には、マーラーの10番とともに、立派にエルガーの交響曲として認知・認識して楽しんでます。

過去記事から、この補筆完成作品の成立の経緯を引用貼り付け。
「BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガーは亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管され、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、いずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。
さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。
エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。」

未完の作品や過去の作品からの引用もあり、そのあたりはネットで調べるとたくさん出てきますのでどうぞ。

デイヴィスは、これまでの1、2番と同じように、この作品が既存で周知のエルガーの立派な交響曲であるかのように、がっつりと情熱をもって取り組み、唸りながら歌いながらの指揮ぶりも録音にはしっかりと残されている。
テヌート気味に開始される、ちょっと風変わりな冒頭、ずいぶんと威勢よくキレがいいのもデイヴィス。
そのあとしっかりといかにもエルガーらしい第2主題、このあたりの情のこもった歌わせ方はデイヴィスならでは。
エルガーの一幅の管弦楽曲としても単独で存在できそうな愛らしい第2楽章では、ものすごくデイヴィスの声が聞こえるのもご愛敬。
そしてきました、緩徐楽章は3楽章。
沈鬱なムードと優しくなだめるような雰囲気がないまぜになった深みのある音楽で、前にも書いたけど、ホルストの土星のような、哲学的な様相をもった感じで、自分はかなり好き。
こういう音楽を振らせると、デイヴィスの音楽の重心はかなり下の方、重々しい音楽を作ります。
 一転、行進曲調の不思議なムードを持った終楽章は、明るそうでいて、どこか陰りのある寂しさも伴います。
この楽章を交響曲の終楽章として完結感を持たせつつ締めるのは、指揮者の力量の問われるところで、デイヴィスはタメを活かしつつ、活気と推進力を押し出す一方、全体を俯瞰し、しみじみとしたムードもうまく出してます。
最後に、音楽は静かに収斂していって、ドラの音、一音で終わる集結部で、エルガーを聴いたという気持ちに、これまたしみじみと浸ることができます。
 これまで、コンサートで3回聴いてますが、最近めっきりやらなくなった演目です。

スタンフォード、パリー、エルガーと続いて、英国の交響曲作家は次々と登場することとなりました。
ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、バックス(1883~1972)、ウォルトン(1902~1983)、ブライアン(1876~1972)、ティペット(1905~1998)、アーノルド(1921~2006)。
あっ、純粋交響曲は残しませんでしたがブリテン(1913~1976)も忘れてはいけませんね。

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ということで、エルガー3曲、デイヴィスで一気聴き。

エルガーには、未完の作品もそこそこあり、それを補筆することも継続してます。
ピアノ協奏曲と、オペラ「スペインの貴婦人」(一部)は、いずれ取り上げたいと思います。

やたらと大きい台風10号が九州に近づいてます。
台風シーズン到来は喜べないけど、これもまた季節の歩みだし、日本のロケーションの宿命。
年々、大型化する台風、大きな被害がでませんようにお祈りします。

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吾妻山にある、由緒ある吾妻神社。
いつも山に登ったら参拝してます。
いつもひと気ありません。
日本武尊の東征のおり、入水した海岸に流れ着いた弟橘姫命(おとたちばなのひめ)の櫛を祀っているという云われがあります。
日本武尊は、わが妻よ、と嘆いたことから吾妻山と名前が付けられました。

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