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2020年9月13日 (日)

シュレーカー 「烙印を押された人々」 K・ナガノ指揮

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青の世界。

どこか近未来の都市を思わせるこちらは、わたしの秘密のスポット。
秋冬バージョンは、この光がオレンジになります。

この写真の左側に、新しいビルが完成し、そこにソフトバンクグループが引っ越してくるそうで、総勢1万人もの人が増えるらしい。
わたしの秘密基地が・・・・・

竹芝桟橋の近くです。
右手奥は、勝どき、月島。

色めが似てるジャケット、でもちょっと怪しい。

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 シュレーカー 「烙印を押された人々」

  公爵アドルノ:ロバート・ヘイル 
  貴族タマーレ:ミヒャエル・フォレ
  市長ナルディ:ウォルフガンク・シェーネ
  その娘カルロッタ:アンネ・シュヴェンネウィルムス
  貴族アルヴィアーノ:ロバート・ブルベイカー
   その他大勢

 ケント・ナガノ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
           ウィーン国立歌劇場合唱団

   演出:ニコラウス・レーンホフ

  (2005.7.26 @フェルゼンライトシューレ、ザルツブルク)

ときおり無性に聴きたくなるシュレーカーの音楽。
なかでも、「烙印を押された人々」は前奏曲だけでも始終聴いてます。
濃厚な世紀末ムードと、痺れるような感覚的な音楽、前奏曲がこのオペラの内容をすべてを表出している。

シュレーカー(1873~1934)は、ドイツにおける印象主義の先駆者ともいわれ、響きの魔術師ともいわれた。
独墺では、シェーンベルクのわずか下、フランスではラヴェルと同世代、ということでシュレーカーの時代的な立ち位置がわかると思う。
当時のドイツのおける人気オペラ作曲家で、そのオペラはワルターやクレンペラーがこぞって取り上げた。
ふたつの大戦に翻弄され、ことにそのユダヤの出自もあり、ナチスに目をつけられてからは、「退廃的」であるとのレッテルを貼られ、ご禁制の音楽とされてしまった。

ナチスの貼ったレッテルをはがし、その音楽たちがいかに現在において素晴らしい立ち位置を持ちうるか、ということに貢献したのは、ギーレン、アルブレヒトらの存在、ラインスドルフのコルンゴルト「死の都」の録音、そしてデッカの「退廃音楽シリーズ」の一連の録音、マゼールのツェムリンスキー「抒情交響曲」であると思う。
1970年代半ばからのこと。

今思えば、いずれ来たにせよ、一連のこうしたムーブメントがなければ、マーラー、シュトラウスのあとは、新ウィーン楽派どまりで、独墺の20世紀末周辺音楽の一部は封印されたままで、はなはだ彩りに欠いたものとなっていたことでしょう。
現在も、シュレーカーの音楽は一般的にはなっていないと思いますが、それでもその完成された9作のオペラはなんらかの形で聴くことができます。
2005年にザルツブルク音楽祭で上演された「烙印を押された人々」が、シュレーカーのオペラの唯一の映像作品かもしれない。
このコロナ禍で、シュレーカーのような大規模な作品は上演されにくくなるかもしれないけれど、でもコロナのおかげで、ネット配信された「はるかな響き」と「ヘントの鍛冶屋」のふたつの上演映像を録画することができました。
いずれのときに記事にしようかと思ってます。

さて、「烙印を押された人々」というタイトル。
独語の本題は「Die Gezeichneten」で、これをGoogle先生で翻訳すると、「描かれた」とか中途半端な邦訳にしかなりませんで、「Zeich」は「お絵かき」とかいうことになります。
なので、「描かれた人々」的な意味合いではないかと。(わかる方教えて欲しい)
 日本語でいう、「烙印を押す」という意味合いは、拭い去ることのできない汚名を着せられる、とか、不名誉な評判を立てられる、とかのマイナスイメージです。
 このオペラの内容は、まさに退廃的な場面もあり、そこに溺れる人々を描いてもいるので、邦題の意味合いは符合してます。
一方で、ヒロインのカルロッタは、病弱な画家であり、精神的にも危うく、醜男のアルヴァーノの姿絵を描くことを所望し、アルヴァーノはそんな彼女に同情と愛情を抱くわけです。
だから、「描かれた人々」という独題は、まさにオペラの中身でもあります。

自身で台本も起こすシュレーカーに、ツェムリンスキーは、「醜い男の悲劇」をオペラにしたいということで、台本制作を依頼。
シュレーカーは、以前、パントマイム付随音楽として作曲した「王女の誕生日」と同じように、オスカー・ワイルドの童話や戯曲を参考に、台本制作を進めるうちに、自分でこのオペラを作曲したい思いになった。
ツェムリンスキーに、断りをいれて作曲を進めて出来上がったのが「烙印を押された人々」。
ツェムリンスキーは、この素材を忘れがたく、のちにオペラ「小人」を作曲することとなります。

 1908年 シュレーカー  「王女の誕生日」
 1918年 シュレーカー  「烙印を押された人々」
 1922年 ツェムリンスキー「小人」(王女の誕生日)

いまでは、ポリコレもあり、これらのオペラの内容を台本通りにまともに演出・上演することは難しいでしょう。
しかし、シュレーカーもツェムリンスキーも、気の毒な彼らの存在があるから作曲したのではなく、彼らこそ、真実を見抜く目を持っている、繊細で豊かな感情を持っていることを、これらの作品の中の重要なモティーフや目線にしているものと思います。
シュレーカーのほかのオペラの登場人物たちは、どこかそうした人物たちが多い。

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自分がかつて書いたあらすじが超長いので、記事として独立させましたので下記リンクで。

「烙印を押された人々」 あらすじ

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今回のDVDのザルツブルク上演の演出は故レーンホフ。
そんなに過激な演出や極端な読替えはしないけれど、その舞台はいつも暗かったり、無機質だったり、そんなイメージを持ってまして、今回も全体に暗めで、美しい、なんていう形容詞とは程遠い・・・です。
横広の長いフェルゼンライトシューレをうまく活用し、背景の壁もうまく利用して多層的な舞台背景を作り出したのは見事。
 あの懐かしい、サヴァリッシュとバイエルンの「リング」が、人の顔のうえで登場人物たちが演技したように、今回も顔や手をダイナミックに使っているし、その石造の素材、それと市民たちの白塗り顔と仮面が、それこそ無機質で冷たく、感情表現を持たせないようにしている点にも意味があるように思えた。

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 主役のアルヴィアーノは、身体の不自由な醜男ではなく、トランスジェンダーとして描かれていたように思う。
前奏曲から、お化粧セットを取り出し、化粧に余念なく、カツラもかぶる。
貴族の仲間たちも、ちょっとそれっぽい。
 カルロッタは、まったく画家を思わせることがなく、ト書きをまったく無視。
アルヴィアーノを肖像を描くべく、自室へ招いたカルロッタは、絵を描くのでなく、アルヴィアーノの女装をひとつひとつ解いてゆく。
そこで発作を起こすのだが、倒れたときに指さすのは、頭上の巨大な人の手で、アルヴィアーノはそれを仰ぎ見る。
これが原作の「干からびた手と赤い筋のような紐・・・」の絵、これを描いたのがカルロッタで、その心を病んだ彼女を、アルヴィアーノが理解し、同情を寄せることになるシーンであった。

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しかし、ここでは、アルヴィアーノはカルロッタを肉体的に愛することができないことも、うまく描かれていて、最後に彼女が、ゲス野郎の色男タマーレに魅かれ、身体をゆだねてしまう流れがよくわかる。
 タマーレや貴族たちが、街の若い女性や人妻を誘拐して、監禁窟を作っていたわけだが、このレーンホフ演出では、婦人ではなく、いたいけのない、少年少女だった。貴族たちの性向が、そっち系と思わせたのが、最後の結末で見えたわけだが、これは思いがけなくも、アメリカで地下で潜行して起きている疑獄事件にも通じていて、レーンホフの社会の闇を見る鋭さを15年前の演出ながら感心もした次第。
話は変わりますが、トランプ大統領・共和党政権は、この問題の根が深いとみて、徹底的に調べようとしてます。
 そんなわけで、烙印を押された人々、これから押されるであろう人々は、まだまだたくさん世界中にいますよ。

衝撃的なラストは、石像の顔が血の涙を流すところ・・・・哀しい。

アメリカのテノール、ブルベイカーは、アルヴィアーノのスペシャリストで、その没頭的な歌と、どこか気の毒な風貌と歌いぶりが、完全にサマになってます。

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この上演の2年後、ドレスデンとの来演でマルシャリンを聴いたシュヴァンネウィリムスが、その時の典雅なムードとは大違いの体当たり的な歌と演技で引き込まれる、そんなカルロッタを演じている。
少し金属質な声も、この夢中な登場人物にぴったりだった。

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 あと、驚きは、やはりフォレの演技と声の圧倒的な存在感。
憎々しさもあまりあり、最後にアルヴィアーノに射殺されて、清々した気分になるほど(笑)
一昨年のバイロイトのマイスタージンガーで、ザックスとエヴァが、フォレとシュヴァンネウィリムスだったりで、不思議な感じだった。
それから、ベテラン、R・ヘイルのこれも表層的な紳士ぶった悪漢を高貴な声で歌い演じていて見事だった。

K・ナガノとベルリン・ドイツ響の作り出すオーケストラは、和声ではなく、流れゆく横へ横へと伸びてゆく響きを、次々に編み出して繋いて、そして紡いでゆく手法でもって、素晴らしいシュレーカーサウンドを作り上げている。

ドイツの劇場で、この作品はしばしば上演されていて、いずれそれらの映像も出ないものだろうか。
いろんな演出で観てみたい、社会的問題の発信力あるオペラだし、その音楽も汲めどもつきない魅力があって、まだまだいろんな発見があるものだから。

シューレーカーのオペラ(記事ありはリンクあります)

 「Flammen」 炎  1901年

 「De Freme Klang」 はるかな響き  1912年

 「Das Spielwerk und Prinzessin 」 音楽箱と王女 1913年
 
 「Die Gezeichenten」 烙印された人々  1918年

 「Der Schatzgraber」 宝さがし 1920

 「Irrelohe」   狂える焔   1924年

 「Christophorus oder Die Vision einer Oper 」 
         クリストフォス、あるいはオペラの幻想 1924

   ※CD入手済み いずれ記事化

 「Der singende Teufel」 歌う悪魔   1927年

   ※音源未入手

  「Der Schmied von Gent」 ヘントの鍛冶屋 1929年
   
   ※映像保存済み いずれ記事化

 「Memnon」メムノン~未完   1933年

Takeshiba-03_20200908085701

右手は東芝ビルや、新しいマンション。
左手からは、東京湾クルーズ船が出る波止場。

Takeshiba_20200913152001

秋冬バージョン。

もうじき、秋がやってくる。
長い秋になって欲しいもの。

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