プロコフィエフ 交響曲第1番、第2番
浜松町のJRと並行する橋からパシャリ。
左手の茶色いビルは歴史ある貿易センタービルで、モノレール駅も直結していて国内の空の窓口的な存在でもありました。
これが、来年あたりから解体が始まります。
右手の工事中のビルが、貿易センタービルの後ろにあたる場所に建設中の貿易センタービル南館。
早くもこうして駅通路とつながってました。
コロナでも、都心部は着々といろんな建設が止まることなく進行してまして、たまに行くとびっくりすることがあります。
新橋駅の駅ナカとか、有楽町のガード下の進化とか、たくさん。
でも、東京ばかり。
コロナで、一極集中は徐々に収まっていくのではないかと思ってますが・・・・
さて、コロナで自分のなかで目覚めた「プロコフィエフ」。
なんで今さら感もありますが、親しいようで、どこか遠かったプロコフィエフの音楽。
作風のいろんな変遷があり、ロシア革命とソ連の体制の影響を受けざるをえなかった点で、ショスタコーヴィチと同じ。
でもシンフォニストとしては、明らかにショスタコーヴィチの方がポスト・マーラー的な存在として大きな存在。
しかし、交響曲以外のプロコフィエフのもうひとつの、いやそれ以上の存在としての劇場音楽作家としての顔。
それを知りえたのがコロナ禍のオペラストリーミング大会。
8作あるオペラだけでも、その半分を観劇できまし、バレエも同様。
ドラマの仕立ても面白さもさることながら、感覚的に訴えてくるその音楽が抒情と力強さにあふれていることも再認識。
交響曲シリーズとオペラシリーズをスタートします。
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プロコフィエフ(1891~1953)の61年の、いまでは短いともいえる生涯は、亡命と遍歴の歴史でもあります。
①ロシア時代(1891~1918)
ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など
②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍
しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた
③亡命 アメリカ(1918~1922)
ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」
④ドイツ・パリ(1923~1933)
ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
バレエ数作
⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど
プロコフィエフの場合、こうした時代の変遷で、その音楽をとらえてみるのも面白いし、実にわかりやすい。
モダニストとしてならしたロシア時代、欧米やアジアの素材も取り入れつつ、さらに原色的なロシアテイストもにじませ、やはり故国への想いもにじませた亡命時代。
憧れた故国に帰ると、そこは本音と建て前の世界で生き残らなくてはならなかった。
体制に寄った音楽と皮相な音楽の壮大なマッチングはクールでさえある。
プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 op25
サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団
(1973.5 @キングスウェイホール)画像は借り物です
シンプルで、まさに古典の顔をした「古典交響曲」。
こんなお手頃で聴きやすい交響曲を聴いて、「ピーターと狼」のプロコフィエフっていいなぁ、なんて思って、次の2番の交響曲を聴くとぶったまげることとなる。
そう、第1交響曲が異質なのだ。
子供時代から作曲していたが、サンクトペテルブルク音楽院を経て、すでにモダニスト然とした作風を得ており、21歳のピアノ協奏曲第1番(1912)、22歳の協奏曲第2番(1913)は、なかなかのぶっ飛びぶりであり、そのあと荒々しい「スキタイ組曲」もある。
そして、1917年、26歳で亡命前に「古典交響曲」を作曲する。
ということで、あえて「古典」という18世紀スタイルに身を固めた交響曲を作曲したプロコフィエフは、逆にスゴイくせ者だということになります。
事実、この曲でプロコフィエフを語られるのを、作曲者は嫌ったらしい(笑)
ということで、お馴染みのこの清々しい交響曲をマリナーとアカデミーの小俣のきれあがったような気持ちいい演奏で。
このレコードがロンドンレーベルから出た時は、ビゼーの交響曲とのカップリングで、「マリナーのハ調の交響曲」という宣伝文句で発売され、ジャケットも可愛い女の子の洋画だった。なつかしー
3楽章が、のちの「ロメオとジュリエット」の1幕、客人たちの入場で使われていて、それを聴くのも楽しいもので、なんだかんだでプロコフィエフは、この作品が好きだったんじゃないかと思う。
古典の姿をまとったモダニスト的な作風は、斬新なリズムとスピード感などに現れてます。
プロコフィエフ 交響曲第2番 ニ短調 op40
小澤 征爾 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1990.1 @イエスキリスト教会、ベルリン)
第2番は1925年、34歳の作品。
亡命後、アメリカと欧州を行き来しつつ活動していたプロコフィエフは、結婚も決め、南ドイツの街に移住。
その後、パリに移住したその前後に書かれたであろう第2交響曲は、先に書いた通り、ぶっ飛びの攻撃性と実験性を持つ曲。
初めて聞いたときは、それこそビックリしたと同時に、さっぱり訳がわからなくて、つかみどころもなく、単なる実験作じゃんか・・・との印象で終わりにしていた。
このところの、プロコフィエフ熱でもって聴き直すと、これはこれでプロコフィエフの音楽の面白さが凝縮されたユニークな存在として、オペラにも通じる作品であると思うようになってきた。
そのオペラとは、「賭博者」と「火の天使」。
不協和音と、クセになる快感を呼び起こすオスティナート効果、甘い旋律の切なさとクールさ。
37分ぐらいの長さだけど、楽章はふたつ。
全編フォルテの激しい1楽章、ピアノが導入され熱狂したように弾きまくり、金管は咆哮し、弦はキュウキューと弓をこすり付けるようにしてかき鳴らす。
目まぐるしいけれど、この狂おしさが面白くて好き。
「春の祭典」の12年後。
プロコフィエフはロシア時代に、ディアギレフとも出会い、「アラとロリー」(スキタイ組曲)を1916年に作曲している。
忽然と終わる1楽章に続く、長い第2楽章は、抒情的でしなやかなメロディで開始され、どこかホッとすることとなる。
しかし、油断は禁物、スケルツォ的な野卑な部分が突然顔を出して、安住の気持ちをかき乱す。
と思ってるとまた抒情的な雰囲気が、ミステリアスな雰囲気でもって回帰し、さらにややこしい。
そう、よくよく聴くと変奏曲形式になっている。
6つの変奏を聴き分けるまでには至っていないし、よっぽど聴きこまなくてはそこまでにはなれません。
トランペットがピロピロと鳴ったり、弦と木管がキンキンしたりで、面白い場面も続出しつつ、素朴な変奏主題も鳴っている。
終わりの方は暴力的になり、ちぎっては投げの音の爆弾になりますが、突如、冒頭の抒情主題が回帰し、やれやれという風になりますが、そのままあっけなく終わってしまう。
おいおい、もっと先ないのか~い?って気分にさせられること甚だしい(笑)
ソナタ形式のフォルテだらけの1楽章。
変奏曲形式のとりとめない2楽章。
プロコフィエフ自身が「鉄と鋼でできた作品」としたが、この交響曲っぽくない交響曲が、いずれにせよ実験的な作品であることには違いない、、、です。
このある意味ナイスな作品が、後年、体制下の影響か、改訂の筆を入れようとしましたが、途中で終了。
それでよかったと思われます。
小澤さんの音楽の整理能力と、巧みなオーケストラコントロールは、超優秀なベルリンフィルを得て、水を得た魚のようにピッチピチの鮮烈な演奏に反映されてます。
野卑さはないけれど、このやっかいな作品をすごく聴きやすくしてくれたと思います。
浜松町から汐留には線路沿いの遊歩道ですぐに行けます。
文化放送のビルの隙間から東京タワー。
暑さもひと段落、歩き回るのにいい季節となりました。
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コメント
こんばんは、こんばんは、も一つおまけにこんばんは。
「古典」はLP時代にバーンスタイン/NYPで、CDではオルフェウス室内oで聴いております。バーンスタイン盤は確か5番とのc/wで、「古典」のみで手一杯で、5番はろくに聴かなかった覚えが…。オルフェウス盤がビゼーとのc/wなのはハ長調つながりなのですね(他にブリテンのシンプル・シンフォニーも)。
2番はゲルギエフ/LSOの全集から久し振りに(多分、買った時以来)聴いてみましたが、二楽章で34分余りは長かった💦まだシャイー/RCOで聴き慣れた3番の方が聴きやすいかと。
投稿: アキロンの大王 | 2020年10月30日 (金) 21時21分
アキロンの大王さん、こんにちは、コメントありがとうございます。
1番にかんしては、短いのでカップリングのついでに入ってるので、たくさん持っている。気がします。
5番は、もう昔から聴きつくした感があり、高校時代に録音した音源を毎日、いろんな演奏で楽しみました。
あとよく聴いた6番以外の交響曲は、ここ数年で馴染みになりました。
オペラやバレエ作品と結びついたプロコフィエフの交響曲、いまは3番、2番が一番好きです。
投稿: yokochan | 2020年11月 2日 (月) 08時20分