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2020年10月

2020年10月28日 (水)

プロコフィエフ ピアノソナタ/ピアノ協奏曲第1番

Asakusa-05

浅草ビュー。

もう何年になるだろう、このビールを模したビルと、となりのう〇〇的なモニュメント。
そこに8年前にスカイツリーが加わって、隅田川と浅草のビュースポットとなりました。

このまえ、久方ぶりに浅草散歩をしてきました。
そう、ほぼ日本人で、混雑もなくゆったりの浅草でした。

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

今日は、①から、それも作品番号の初期のピアノ作品から。
母親にピアノを仕込まれ、幼少期から作曲をするようになり、その母が譜面に起こした作品は、プロコフィエフ5歳のとき!

ピアノの練習をするときに、2オクターブ上げて対旋律を加えて引くように母から教えられたことが、プロコフィエフはピアノによる音楽表現の原点。
音楽院時代以降の作品番号1(18歳)の前に、2つの交響曲、未完も含む4つのオペラ、複数のピアノ作品を手掛けているという早熟さ。
これらの作品は、ほとんど聴くことができないけれど、気になる存在です。

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  プロコフィエフ ピアノソナタ第1番 ヘ短調 op.1

      イェフム・ブロンフマン

        (1991.9.17 @BMGスタジオ、ニューヨーク)

1907年、18歳のときの作品で、これまでに手掛けたピアノ作品からの引用などで作曲。
2年後に単一楽章にスリム化して8分ぐらいの作品とした。
メロディアスで情熱的でもあり、まだロマン派的な装いもある。
スクリャービンの初期の頃のようなショパンな感じもするし、ラフマニノフのような濃厚な歌いまわしも感じる。
しかし、情熱的ななかにも覚めた眼差しを感じるのは、やはりプロコフィエフらしいところ。
 5年後の2番目のソナタでは、別人のようなリズム感あふれたプロコフィエフが登場するのが驚き。

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  プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 op.10

      エウゲニー・キーシン

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1993.9 @フィルハーモニー、ベルリン)

1912年、2番目のソナタの前、サンクトペテルスブルク音楽院在学中の作曲で、同年に初演。
1914年の卒業試験で、協奏曲を1曲弾くという規定に対し、自分の作品、この1番の協奏曲を大胆にも披露して、院長だったグラズノフを呆れさせてしまったエピソードがある。
この1番、適度に短くて(17分ぐらいで、連続して演奏される3つの部分を持つ単一楽章形式)、スタイリッシュな感じが好きで、以前よりよく聴いていた。
それというのも、ここにあげたキーシンとアバドのCDをもう何年も前から聴いてきたもので。
3番ばかりが聴かれるプロコフィエフの協奏曲にあって、その3番と1番をカップリングにしたアバドのプロコフィエフ愛を感じるから。
キーシンの技巧の冴えと輝かしい音色もさることながら、アバド指揮するベルリンフィルの圧倒的なうまさ。
切れ味鋭く、クールでブルーな響きがプロコフィエフにぴったり。
もう完全に後年のプロコフィエフの顔をしている、このカッコいい1番の協奏曲を、こんなにスリリングに聴かせる演奏はないです。
同じ年、1993年にアバドはベルリンで、ソリストにガブリロフを迎えて演奏会で取り上げてます。
こちらのライブもエアチェック音源として持ってますが、そちらの方がさらにすごい。
ガブリロフのソロも、最後のクライマックスの超メカニカルぶりがすんばらしいし、アバドの追い込みぶりもすごい。
 ほかの演奏もいくつか聴いてますが、ピアノはともかく、アバドで慣れちゃうとオーケストラがいずれも、もっさりしていて感度不足に感じるんです。。。

この1番の協奏曲、プロコフィエフの一大特徴である「トッカータ調」も聴かれる佳作。
好き。

Asakusa-01  

隅田川とスカイツリー。
かっこいい水上船もパシャリと写りました。

若いサラリーマン時代、ここから出るお座敷船で、顧客を招いてよく宴会をやりました。
お相手は、お客様だから、ご接待のつもりが、逆に飲まされることおびただしい。
逃げ場のない船上、いまの若い方々には想像もできない苦行。
酒に弱い連中は死んでました・・・・・

でも楽しかった昭和の浅草なのでありました。
プロコフィエフも最高!
次はオペラ行きます。

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2020年10月22日 (木)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロストロポーヴィチ

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秋の空に、もう咲き終わって、ばらばらの秋桜。

手を入れてない、こんな自然なまんまが好きだったりしますね。

なにもしなくても、災害が来ようが、疫病が来ようが、ちゃんと鮮やかな色で咲いてくれる。

今日は、エヴァーグリーン的な曲に演奏を。

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  ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 op.104

             ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1968.9 @イエス・キリスト教会、ベルリン)

通称ドヴォコンのド定番。
ロストロポーヴィチのドヴォコンは、いったいいくつあるんだろう?
調べたら7つの録音があるそうで、わたしは、このカラヤンとジュリーニしか聴いたことがありませぬ。
曲も大物だし、ロストロポーヴィチの音色も濃いものだから、ちょっとお腹がいっぱい的なものがあって、それ以上は聴けてません。
でもボールトとの共演は聴いてみたいもの。

1969年のレコードアカデミー賞を受賞していて、その数年後に買ったレコードなので、金のシールが貼ってありました。
ちなみに、この年、F=ディースカウのドイツ歌曲全集や、ベームのフィデリオ、メータのツァラトゥストラ、ホッターの冬の旅など、いまに至るまで名盤とされるレコードが受賞してます。
このレコードのジャケットの装丁も豪華なもので、重量もあり、匂いも好きだった(笑)

ということで、これまた「ほんとに久しぶりに聴くシリーズ」

いわゆる名盤すぎて、もう書くことありません。
ただただ、立派、うまい、完璧、知情意全部そろってる。
以上。

これを擦り減るほど聴いた中学生時代は、第1楽章ばっかりがお気に入りで、静かな2楽章は退屈だった。
でも、年配者となったいま、第2楽章の抒情が一番好き。
そういう耳で聴くと、このロストロポーヴィチ&カラヤンの演奏は、贅沢すぎて、もう少し鄙びたところ、優しさ、のどかさが欲しいところだ。
だから、シフ&プレヴィンの優しさや、ジャンドロン&ハイティンクのノーブルさ、このあたりの方が、肩ひじはらずに聴けるので、自分は好きだったりします。
 それでもやはり、思春期に聴いた本演奏は、イエスキリスト教会の壮麗な録音の響きも含めて、実家の思い出みたいな、そんなノスタルジーがあるのです。

もう一回、第2楽章を聴いて、寝るとしましょう。

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 ロココとのカップリングもよかったな。

数年前、日々、時間があったとき、ドヴォルザークの全作品を毎日毎日聴いてみようと思い、チャレンジしてみた。
作品目録をもとに、作曲順に、多くは手持ちでないので、ネット検索をかけて、だいたいのものは聴けました。
オーケストラ、協奏作品はともかく、あらゆるジャンルにわたるその作品にあふれる歌心と自然愛、そして親しみやすさ。
まさにメロディメーカーであるドヴォルザークを再認識しました。
オペラ、声楽作品、室内楽、ピアノ作品などなど、ほんとに気に入りました。

最近、いろんな連続聴きブログをプロジェクト化してしまってまして、先々の残された時間をどうしようかと思ってますが、ドヴォルザークも、全部は絶対無理だけど、いろいろ取り上げたいと思ってる。
 同様の全曲聴きをチャイコフスキーに対してもやったので、チャイコフスキーも・・・(笑)

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音楽聴くためにも元気でいなくちゃならん。

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2020年10月18日 (日)

ワーグナー 「妖精」 エトヴェシュ指揮

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都会の中にも秋を感じさせるシーンがたくさん。

それにしても曇天や雨ばかりの関東地方です。

ワーグナー聴きます。
全作のサイクルをまた開始しようと思います。
もう書きつくしたけど、行けるかな?

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  ワーグナー 歌劇「妖精」

   アーダ  :スー・パッチェル    
   アリンダル:ライモ・シルキア
   ローラ  :ダクマール・シュンベルガー
   モラルト :セバスチャン・ホレック
   ドロッラ :ビルギット・ビーア    
   ゲルノート:アルトゥール・コーン
   ツェミーナ:ウルリケ・ゾンターク
   フェルツィーナ:マヌエラ・クリスチャク
   グンター :フリーダー・ランク
   グロマ  :
 アレッサンドロ・パタリーニ

 ガボール・エトヴェシュ指揮 カリアリ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団
               カリアリ・テアトロ・コムナーレ合唱団

        (1998.1.12,14 @カリアリ・テアトロ・リリコ)

これまで2度記事にしてます。
1度目は実際のオペラの舞台を観ることができて、日本初演でした。
2度目はサヴァリッシュのCDで、こちらは1983年のワーグナー没後100年に際して挑んだサヴァリッシュのワーグナー13作品全作上演のライブ。
そして今回は、おそらくこのブログ最終となるであろう、ワーグナーのオペラ全作レビューの2度目の挑戦。

でも、オランダ人前の3作ともなると、あきらかに付随するネタ不足で、これまで書いた内容の編集とコピペとなりますこと、ご了承のほど。

オランダ人(1842)以前とは、「妖精」(1834)、「恋愛禁制」(1836)、「リエンツィ」(1840)の3作品。
「妖精」以前に、「婚礼」というオペラ作品を手掛けているが完成されず、21歳の「妖精」がワーグナーのオペラ第1作となった。
この「婚礼」は、1幕1場の断片のみ残っているが、ネットでちょこっと聴けたけど、ワーグナーらしい片りんもうかがえるものでした。

「婚礼」の主人公などの名前を援用しての1833~34の作曲、姉で女優のロザーリエへの思慕や彼女の助力から生まれた作品。
しかし上演に奔走してくれた彼女の急死もあって、ワーグナーは意欲を失い、以来このオペラは初演されることがなく、ワーグナーの死後1888年にミュンヘンで上演されたのが初とのこと。

それ以降も、あまり演奏機会がなく、近年での画期的な上演は、1983年ミュンヘンでのワーグナー全作品上演を一人受け持ったサヴァリッシュ指揮の演奏会形式でのもの。
そのあとの上演記録は不明だが、今日のCDの1998年のイタリアのカレアリ、2006年の東京オペラプロデュース(新国)、2011年のフランクフルト(ヴァイグレ指揮)、2013年のライプチヒ(シルマー指揮)などが本格劇場での上演記録で、あとはモスクワの小さなハウスや、スロヴァキアのコツシェ劇場などで、どちらかというと大オペラハウスでレパートリー化するようなオペラでは絶対にないところが、初期3作の共通項だろうか。

3時間あまりを要する長さで、音楽は、ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベア風であり、1度や2度聴いただけでは、さっぱりわからない筋立ても聴き手を困惑させるもの。
おおまかにいうと、「影のない女」のような夫婦が強く結ばれるための試練と、子供も交えた家族愛、そして生真面目なカップルと、コミカルなお笑いカップルふたつが出てくるので、「魔笛」をも思わせる内容。

以下、以前の記事より「妖精」の上演の難しさを・・・

ワーグナー意欲溢れる盛り込みぶり~筋だてがややこしいことに加え、登場人物のそれぞれに難しいアリアが与えられている。
それらをこなせる歌手を揃えること事態が大変。
そしてその主要人物が多すぎるし、かえって人物たちの個性が希薄となってしまうので、出演歌手もやりにくい。

いろんな要素のごった煮~筋でいえば、前述のとおり、おとぎ話的で、「魔笛」や「影のない女」。
主役のアーダはプリマでかつコロラトゥーラの要素も必要。
その夫役のアリンダルは、リリックであると同時に狂乱しなければならいうえ、最後にはヘルデン的な力強さとスタミナを要する。
喜劇的なコンビ、パパゲーノとパパゲーナのようなゲルノートとドロッラに芸達者な二人の男女を要する。
戦いに殉ずるシリアスなワルキューレのようなアリンダルの妹ローラと、アリンダルの親友のいい人役が、ウォルラムのようなモローラで、この二人にも恋愛模様がある。
ともかくまだまだいろんな人物が出たり入ったりと目まぐるしい。

3次元的な妖精の世界と、世俗的な王宮の中を始終、いったり来たりする舞台のややこしさ。
最新式の回り舞台が必要になるくらいで、演出上の工夫がたいへん。

アリア・重唱にこだわり、場や番号オペラの因習を踏んだワーグナーの音楽は、ドイツの先輩からの影響もありつつ、ベルリーニやドニゼッティすらその歌唱法には思わせるものがある。
しかしライトモティーフ風の示導動機も早くも導入しており、これまた時に、オランダ人やタンホイザーを彷彿とさせる響きやシーンも多々あるし、質問してはならない「禁門」や、自らの自己犠牲といった、ワーグナーならではのモティーフも盛り込まれている。
3幕のクライマックスでは、感動的なタンホイザーの終幕を思わせる音楽の閃きがある。

それと、主人公の妖精の娘アーダは自己中心的な存在でもあり、自己犠牲的な行動もするが、その義理の妹となる王子の妹、ローラはワルキューレ的なおっかない戦乙女。
この二人が合体すると、ワーグナーの理想とした女性が出来上がる、そう、のちのブリュンヒルデのような。

第1幕

かつて、アリンダル王子とそのお供のゲルノートは、狩りに出て立派な鹿を見つけ、それを追ったが、川の水にのまれてしまう、これが8年前のこと。
そこで出会った美しいアーダと恋に落ちたアリンダルは、彼女の身分を問わないことを条件に夫婦となり、二人の子供をもうけるが、8年後、禁断の質問をしてしまい、アーダは消え失せてしまう。
 王子を探しにきた、親友のモラルトと部下たち。失意に沈むアリンダルを説得し、故国に帰る気にさせる。
そこに再びアーダが現れ、そして悲しみ、アリンダルに何が起こっても自分を呪ってはいけないと話す。
アリンダルは、またいずれ会えるのだから呪わないと「誓う」と言ってしまう。
実はアーダの父が死に、王女になることになり、人間になることが難しくなっていたのだ。
そう、彼女は、人間の男と妖精の女から生まれた女性なのである。

第2幕

王子の祖国は敵の攻撃で壊滅寸前。ひとり気を吐くアリンダルの妹ローラ。
兄の無事帰還の知らせで沸き立つローラと民衆。
王子とともに行方知れずだったお供のゲルノートと、その許婚ドロッラの滑稽なくらいパパゲーノ・パパゲーナのような結びつきも演じられる

 アーダが現れ、ふたりのお付きの妖精とやりとりをする。その後の彼女の大アリアは素晴らしい。
兄の帰還に沸き立つ宮廷、そこにアーダが登場する。
 アーダは、二人の子供をアリンダルに手渡すが、その喜びもつかのま、アーダは
子供たちを裂けた大地の中に突き落とす。
さらに、軍が総崩れになった知らせとともに、敵が女で、アーダであったことが発覚。
これらの仕打ちに、ぶち切れ怒るアリンダル。
 ついに呪いの言葉を口にしてしまう。
試練に耐えらえなかったアリンダル。

それとともに、悲嘆にくれるアーダ。
彼女はこれで人間になる望みを失い、自分は100年間石にならなくてはならないという。
軍を負かせたのは、内通者がいたからで、将軍モラルトを守り、やがて彼が勝利をもたらすであろうこと。
子供たちは、人間社会に来るため清めたのであってすぐに戻ること・・・これらを告白する。
すると、子供たちがそこに戻り、勝利を得たモラルトも帰還する。
勝利に沸く民衆と、悲しみに打ち沈むアーダとアリンダル。

第3幕

狂気に陥ったアリンダルに代わり、友人のモラルトと妹のローラが王位を継ぎ、その祝宴が行われる。
モラルトは、喜ばしいことではないと、本来の王となる王子の立ち直りを全員で祈る。

皆が去ったあと、アリンダルは狂気と愛を求める夢想のなかで長大なモノローグを歌う。
 王室をかつて導いた魔法使いグロマの声がアリアンダルを励まし、空から、楯と剣と竪琴が降りてくる。
そこへふたりの妖精が現れ、こうなればダメもとだ、とか言いながら、アーダを救ってみせると意気込むアリンダルを、石になりつつあるアーダの元へ連れていくことになる。
ふたつの試練を、グロマの声の励ましと与えられた武器で乗り越えたアリンダル。
 しかし、最後は石を壊す呪文がわからない。
竪琴をかき鳴らし、愛の歌を歌い、ついに試練に勝ちアーダを救いだすことができた。

 妖精の王が現れ、試練に勝った報酬として、アーダとともに不死身の生を与え、妖精の国の王として王国を治めることとなる。
アリンダルとアーダは、故国の妹とモラルトに仲良く国を治めるように歌い、一同賛美のうちに幕。

どうです、ややこしいでしょ。
南イタリアのオペラのオーケストラらしい明るい音色が支配する録音。
2007年のドレスデン国立歌劇場の来日公演で「タンホイザー」を指揮したエトヴェシュ。
その時はオケが素晴らしかったので指揮者の力量は不明だったように記憶するけれど、ここでは、全体のアンサンブルをうまくまとめあげ、舞台上の歌手たちに奉仕するような律儀な指揮ぶりに感じる。
サヴァリッシュのような明晰さはここではないが、オケが明るいから不思議とスッキリしたワーグナーが仕上がった感じだ。

あまり知らない歌手たちばかりだけど、ヒロイン・アーダ役のアメリカのソプラノ、パッチェルさんがなかなか頑張ってる。
ワーグナーやシュトラウスを得意にした彼女、力強さと軽やかさも持ち備えたなかなかの力量とみたが、録音があまりないのが残念。
ドイツの劇場でジョナサン・ノットが活躍していた頃、その指揮でイゾルデを歌っていた履歴も発見しました。
 あと、その夫役のフィンランド出身のテノール、シルキアが、高域をえいッとばかりに引き上げる歌い方が、往年のヘルデン、ジーン・コックスに声も似ていてなかなkの聴きもの。
 あとの歌手は玉石混交な感じだけで、総じて頑張ってます。
でも、豪華なメンバーをそろえたサヴァリッシュ盤には及ばない。仕方あるまいね。

ワーグナー初期オペラ、次は「恋愛禁制」です。

Ginza-03_20201017130101

街並みも秋づいてきましたね。

 過去記事

「東京オペラプロデュース 日本初演公演」

「サヴァリッシュ&バイエルン放送響」

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2020年10月16日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 ベーム指揮

Yellow

黄色い彼岸花。

White

白い彼岸花。

今年の彼岸花は、赤ばかりでなく、白と黄色も各所で見ることができました。
1週間ぐらいで枯れちゃう、儚い花でもあります。
秋は短し。

Schubert-9-bohm

  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

            (1975.3.19 @NHKホール)

伝説のベーム&ウィーンフィルのNHKホールでの名演を、もしかしたら40年ぶりくらいに聴く。
少しまえに入手したCD。
高校生だったあの頃、NHKが生放送でFM中継をしてくれたので、そのずべてを必死にカセットテープに収めました。
驚くほどの生々しい高音質で、エアチェックの喜悦に浸る日々でした。
プログラムは4つ。

①ベートーヴェン 4番・7番 (両国国歌演奏あり)
②ベートーヴェン レオノーレ3番 火の鳥 ブラームス1番
③シューベルト 未完成・グレート
④モーツァルト ジュピター / ウィンナワルツ

大切にしてきたカセットを、自家用CD化にしようとしたが、驚くべきことに②と④が紛失。
でもどこかにあるはずなんだけど・・・・

この公演は、NHK招聘ということもあり、大人気で、チケットは往復はがきで申し込む抽選スタイル。
ワタクシは、全部はずれ、でも当然に(?)ムーテイ様だけ当選。
若獅子ムーティの新世界を聴くことができました(アンコールの運命の力が絶品だった)。

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ライブで燃えるベームは、バイロイトの録音で多くのファンが知っていたけど、このときの来日ほど、聴衆を熱狂させた公演は日本でもあまりないのでは。
体をちょっと上下して、ぴょんぴょんしつつ、目を引んむくようにしてオーケストラに迫るベーム。
お馴染みのベテランも、若い奏者も、みんな必死に指揮にくらいつくウィーンフィル。
ともに、手抜きなしの、火花散る真剣勝負。
テレビに大写しにされたベームの形相を今でも忘れられない。

ベームとウィーンフィルは、このあと77年と80年にも来日しているが、身体・気力ともに充実していたのは、やはり75年の来日公演。
ベームは、63年のベルリン・ドイツ・オペラとの来日以来。
そして、ウィーンフィルは、いまなら毎年来てて、当たり前になったけど、この75年の日本への来日はまだ5度目。
そんなことで、大人気を呼び、先に書いた通り抽選に当たるなんて、とんでもなくラッキーなことだった。
いまでも、悔しい!!(笑)

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ほんと久しぶりに聴いたNHKホールでの演奏。
さすがに手持ちのカセット音源とは大違いで、あの時の実況放送に近いし、もう少し柔らかくなっている気がするし、とうてい45年前の録音とは思えない生々しさもあのときのまま。

演奏はもちろん素晴らしい。
巨大な歩みの第1楽章。
以外にテンポよく、歌にのめりこむことなく進む第2楽章は、いかにもべーム博士だ。
推進力豊かに、意外なほどにリズム感あふれる3楽章と終楽章。
特にジワジワと高まる終楽章の流れは、やはり興奮誘うもの。

ウィーンフィルの柔らかな音色、木管やホルンの特徴豊かな響きもこの時代ならではで、いまでは少しばかり遠のいてしまったウィーンの音がここに聴かれるのも、あらためてうれしく感じます。

あのとき、自分も若かったなぁ・・・

少し前にオイルショックはあったけれど、レコード業界は大盛況で、歌手以外で俯瞰すると、DGからは、ベームとウィーンフィル、カラヤンとベルリンフィルがしのぎを削っていたし、小澤&ボストン、アバド、バレンボイム、クーベリック、ポリーニ、アルゲリッチ、リヒター、エッシェンバッハ、などなど。
そこに登場したクライバーがやたらと新鮮だった。
デッカはショルテイ&シカゴ、メータ&ロスフィル、マゼール&クリーヴランドア、シュケナージ。
EMIは、プレヴィン&LSOのフレッシュコンビに、ケンペ、ヨッフム、サヴァリッシュ、マルティノンのいぶし銀ラインナップ。
フィリップスでは、ハイティンク&コンセルトヘボウ、デイヴィス&ロンドンのオケ+ボストン、コンセルトヘボウ、マリナー&アカデミー、シェリング、アラウ、ブレンデル。
CBSは、バーンスタン、ブーレーズ、スターンで、ビクターは、旧メロディア系のソ連の演奏者に強かった。

 ともかくレーベルはたくさんあって、みんなそれぞれに、特徴があって、競争も激しかった。
繰り返しますが、なんていい時代だったんだろ。
毎月、こうしたアーティストたちの新譜が、続々と発売される
 こんな時代へのノスタルジーが、もしかしたら、自分の音楽ライフの根源の一部かと思ったりしてます。

その最たるモニュメントが、75年のウィーンフィルだったのかもしれません。
ベームをFMとテレビで視聴しつくし、俊敏な若きムーティの実演にも接した経験が、いまでも自分の音楽ライフに大きな影響を与えたものだと確信してます。

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いつ、ぽっくり逝ってもいいように、こうした音源や記録は、秩序だって整理しておこうと思います。
でも誰がそれを受け継ぐんだろ。
なんの得にもならないけれど、この先の短い人生、悩みは尽きないのであります。

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最後に、赤いの。

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2020年10月11日 (日)

R・シュトラウス「アルプス交響曲」 ダウスゴー指揮

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ある日の壮絶な夕焼け。

いつも書いてますが、夕焼け大好き。

こうした赤紫の色のときは、雨が降る前夜ともいわれるそうで。

Ninomiya-sunset-02

夕焼け2態。

こちらは、翌日は晴れたけど、でも雲が低いのと、それも入道雲的なものが遠くに見えるので、雨がパラっと降ったりもしました。

いつになく気象予報士的な巻でした。

Strauss-alpen-dausgaard

  R・シュトラウス アルプス交響曲

 トマス・ダウスゴー指揮 シアトル交響楽団

       (2017.6.15,17 @ベナロヤ・ホール、シアトル)

シアトル交響楽団の自主製作レーベルからの1枚。
現在、音楽監督のダウスゴーの指揮によるシュトラウスを聴く。

前項のベートーヴェンの4番でも取り上げた指揮者ダウスゴーを、このところよく聴いてます。
繰り返しますが、BBCスコテッシュ交響楽団の首席でもあることから、BBCの放送にのることも多く、そのライブをたくさん聴いてきたし、母国デンマークやスウェーデンのオーケストラとの共演盤も集めつつあります。

その特徴は、基本はテンポは速めをとり、古典・ロマン派ではビブラート少な目な演奏様式をとり、一方、後期ロマン派では、テンポ速めは同じくして、情熱も加味した熱めのサウンドを聴かせ、お得意の現代作品では、緻密かつ分かりやすい音楽を展開してます。
総じてスッキリ系でありつつ、情熱派でもあり、そんなイメージをダウスゴーに持ってます。

コンサートや録音のプラグミングも巧みで、Plomsでは、フィンランドの伝統音楽と5番の交響曲のオリジナル版を組み合わせてたりもしましたし、このCDでも、アルペンの前に、デンマークの作曲家ランゴー(1893~1952)の音楽劇の前奏曲を取り上げてます。
ランゴーの「アンチキリスト」という作品は、反キリスト者数人が語る受難曲的な作品で、何度も改訂を加えた曲のようですが、ここでは、その原典版の前奏曲初録音とのこと。
 そして、ニーチェの「アンチキリスト」からの影響もありとされる「アルプス交響曲」。
ランゴーの音楽も、このところBBCで交響曲とか声楽作品を聴いてるけれど、シュトラウスの音楽にも近似性を感じるもので、わたくし、ダウスゴーによる交響曲全集と「アンチキリスト」を発注済みで入荷待ちであります。
コロナで欧州からの物流は遅れがちなのか、なかなか来ません。。。

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シアトル響の本拠地でのライブ録音、まずは音が目覚ましくよろしい。
こうした作品は、まず録音がよくないと始まらない。
冒頭の下降音階による低弦の唸り、爆発的なフォルテも鮮やかなホールトーンも、いずれも心地よく楽しめる。
そしてオーケストラも抜群にうまい。
シュウォーツが長く指揮者を務め、数々の録音があるけれど、メジャーも顔負けの力量と確信。

Dausgaad

ダウスゴーのすっきり感とスピード感のよさは、演奏時間を見ると45分ぐらいで、時間からすると早いが、聴くとさほど快速に感じない。
同じぐらいの演奏時間では、ショルテイ盤があるけど、あちらはザッハリヒともとれるくらいの印象を受けるけれど、ダウスゴー盤は、ストレートな解釈ながら、各所に情熱的な歌と、各声部への緻密な心配りから、いろんな楽器がよく聴こえる透明感もあるので、存外に味わいが深い。
昨年のBBCスコテッシュ響との来日で聴いたマーラー5番の指揮ぶり。
かなり大きな振り姿で、でも、各奏者へのキュー出しも細かく、細かく振り分けているのが印象的でした。
アダージェットは極めて美しく、聴きつくしたこの作品で、思わず落涙してしまうほどでした。

そんなきめ細かな指揮が思い浮かんでくるようなアルプス交響曲の演奏で、意気揚々と山頂に登りつめるまでは、実にスピード感があって爽快。
しかし盛大に盛り上がるか所よりは、歩みを止めて風景を愛でるような場面や、急ぎ下山したあと、しみじみと山登りを振り返るようなシーンがとても味わい深く、爽やかな達成感を聴く私にも与えてくれるような、そんな共感できる演奏なのでした。

マーラー10番も特質大の素晴らしさで、ダウスゴーとシアトル交響楽団のコンビ、これからも期待大なのですが、コロナといい、なにかとシアトルが怪しい雰囲気なのがちょっと心配。
オーケストラの活動も徐々に再開しているようだが、デンマークに住むダウスゴーは、しばらくは渡米できないかもしれない。

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アメリカのオーケストラシリーズ。
シアトル交響楽団は、1903年より活動を開始したオーケストラで、初代指揮者は、作曲家のヘンリー・ハドリーで、そこそこの作品を残していて気になる存在です。
そのあとは、クリーヴランド管の初代指揮者でもあるニコライ・ソコロフ。
そして、なんとトマス・ビーチャムが短期ながら在位し、マニュエル・ロザンタールとなじみの名前が続きます。
シアトル響の実力を高め、オペラ劇場までも創設したミルトン・ケイティムスが22年に渡り指揮者を務めまして、このコンビのレコードもあるようだ。
そのあとは、読響にも来てビゼーの録音のあるライナー・ミーデル。
そして、このオーケストラになくてはならない指揮者、ジェラード・シュウォーツが26年間君臨し、数々の録音でこのコンビの名声を高めました。
そのあときっとやりにくかったであろう後任は、フランス系のリュドヴィク・モルローで、現代ものやフランスものを特に取り上げ、自主製作レーベルにもかなりの録音があります。
シュウォーツとモルローを名誉指揮者に、2018年から音楽監督に就任したのがダウスゴー。

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本拠地は市内中心部にあるベナロヤ・ホールで、1998年の開設。
大きな寄付寄せた慈善家の名前から付けられた名称で、アメリカっぽい。

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 シアトル市は、アメリカ西海岸、ワシントン州の北西部に位置し、海と湖、そして山にも囲まれた美しい街として「エメラルドシティ」と呼ばれているそうな。
気候も年間通じてよろしく、夏は涼しく、冬はそれほどに寒くならない。
水運都市でもあることから、地政上、太平洋で向き合う東洋との海洋貿易の中心地でもあって、日本とのつながりも深い。

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人口は74万人ぐらいで、実は昔から移民に寛容な都市だったので、もっといるんじゃないかともされてます・・・
もともとが先住のインディアン系の地域で、その酋長の名前に由来するのが、シアトルということらしい。
 そして、シアトルの名前を世界的にしているのは、ビッグネームの企業の発祥都市ということ。
ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、シアトルベストコーヒーなどなど。
ニンテンドーアメリカもあることから、IT産業都市でもあるらしい。
でもなんといっても、マイクロソフトとアマゾンの存在が大きいですな。

音楽ではロック系のものが盛んで、ジミー・ヘンドリクスの出身地でもあり、ハートや、かつてのベンチャーズなんかも由来があるらしい。
スポーツでは、そう、イチローのいたマリナーズもここ。
バスケットボールもフットボールも強いチームがあるそうだ。

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シアトルの南方には、ワシントン富士と呼ばれる4,300メートル級の「レーニア山」があり、市内からは雪を頂いたその姿が遠望できる。

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山と海と湖に囲まれていることから、美味しいもの、ナチュラルなものもたくさん。
ワインは全米第2位の生産量とのことで、ビールではなく、フレッシュな白ワインでシーフードなどを頂いてみたいものです。

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水辺の歴史ある有名なレストラン、雰囲気いいですね。

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こんな食事なら日本人向けだし、ワタクシもOK!

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さて、いいことづくめのシアトルなんですが、ミネアポリスでの黒人致死事件を契機に、各地でデモや抗議活動、またANTIFAによる暴力的な事件も頻発。
シアトルでは、6月にBLM抗議デモから派生した動きが、自治区を作るまでになり、シアトル市内のキャピトル・ヒルというお洒落な店の集まる地域の一部を事実上占拠しました。
警察との衝突もありましたが、話し合いによる円満な解決を望むジェニー・ダーカン市長は強い介入を命じません。
その市長は元連邦検事で民主党でリベラル派。
自治区なので、公園を改造して農園としたりしてましたが、徐々に風紀も乱れ、治安も悪化し、銃撃事件も起きましたが、救急隊は警察を伴わないと危険なので動けないし、バリケードで封鎖されていて入れない。
そんな発砲事件も2つ続き、破壊活動や強盗も相次ぐようになり、自治区メンバー(BLM運動家)はさらに市長の家に押しかけ、警察の解体を直訴しようとしました。
これに恐れをなした市長は、ついに警察の介入を認め、自治区の解体を命令。
7月、約3週間で、自治区はきれいさっぱりと解放され、占拠してた連中は霧散しました。
解放の指揮をとったのは、この地区の警察署長で黒人女性というのも皮肉なもので、「彼女は平和的なデモは支持するが無法で野蛮なものは容認できない。黒人の命は大事だ。しかしもうたくさんだ、警察には地域社会を保護する責任がある」と強く語りました。
 まったくそのとおりで、BLM運動に名を借りた行き過ぎた暴力行為や、白人になにをしてもいい的な風潮は看過できません。
来月に迫った大統領選挙も絡んで、アメリカでは対立をあえて煽る動きはまだまだ続くことでしょう。
そして、10月に入ってシアトルでは、スターバックスが襲撃され放火される事件も起きて、また暴動が再燃しそうだとか・・・・

分断や民族の自主を促すことで、国が分裂し、喜ぶのはK産主義者ばかり。
この動きはヨーロッパにも、かたちを変えて日本にも及んでます・・・・・

さて長々と書いてしまいましたが、ひとまず落ち着いたシアトルですが、リベラル市長がいて、超大企業があって市民が意識高い系だったりするので、アメリカのいまの縮図みたいな都市だと思うのです。

でも大自然はウソつかない(インディアン風に)
レーニア山を調べたら、まるでアルプスの光景じゃないですか。

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ネットでレーニア山の風景を見ながら、もう一度ダウスゴーの「アルプス交響曲」を聴こうじゃないか。

ついでながら、録音したアメリカのオーケストラによる「アルプス交響曲」
 ・ハイティンク&シカゴ
 ・ホーネック&ピッツバーグ
 ・ハーデイング&サンフランシスコ
 ・ラングレー&シンシナティ
 ・ルイージ&ダラス

アメリカ人は「アルプス交響曲」がお好き。

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2020年10月 8日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第4番

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お彼岸の頃の彼岸花なので、まだ満開ではありませんが、赤と緑のコントラストが美しい。

背景の稲木干しもよろしく、この日本の原風景的な稲田は、伊勢原市の日向地区であります。

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この斜面には、同じ赤のサルビアとのコラボ。

農家の方々も、この美しい景色を見てもらいたいから解放してくれてます。
節度とマナーを保って拝見したいものです。

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今年はベートーヴェンイヤーであるとしても、そして大規模編成を要さないからといっても、再開されたコンサートのラインナップを見てるとベートーヴェンばかり。
コンサート行きは封じてはいても、それにしてもプログラムを見ているだけで食傷ぎみになる。
それに鞭打つように4番の交響曲をたくさん聴いてみた。

で、やっぱり、ベートーヴェンはいいわ、ということになりました(笑)
いちばん、印象に残った極端に違う2つの演奏を。

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 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 op.60

  トマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

       (1999.1&5 @エーレブロ、コンサートホール)

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 ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 op.60

  サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

     (1972.2 @ロンドン、ウォルサムストウ・タウンホール)

デイヴィスのベートーヴェンは、ドレスデンとの全集が有名で、オーケストラの魅力も相まって人気も高いですが、なんとワタクシは未聴です。
デイヴィスは、ボストンやコンセルトヘボウ、ドレスデン、バイエルン放送などの名門とも深いつながりを持ち、そのオーケストラの持ち味を生かした名演を数々残しましたが、重厚で落ち着きのある英国紳士としての姿を反映できたのは、自国イギリスのオーケストラとの共演。
 BBC交響楽団の首席を務めていたことから、ブーレーズが首席になって、その任を離れても録音は継続されました。
70年代半ばに企画されたデイヴィスのBBCとのベートーヴェン交響曲シリーズは、ロンドン響も一部使いながら第9以外は録音したのではなかったかな、と記憶します。
レコ芸では、月評担当の大木氏が、デイヴィスの急速な成長を認め、かなり絶賛していたけれど、私が聴けたのはCD時代になって廉価盤になったこの1枚のみ。
ほかの番号のその後の再発も、いまは絶版で入手できません。

この演奏、ともかく構えが大きく、4番にしては巨大な趣きを持つものです。
演奏時間が、その演奏の良しあしを決めるものではありませんが、37分45秒です。
クレンペラーが35分、ワルターやベームも同じくらい。
37分台では、最近聴いた、ティーレマンとドレスデンのライブがあります。
 しかし、デイヴィスはテンポがゆったりで、歩みも大きく、3番と5番に挟まれたギリシャ云々ではなく、3番と5番と等しく存在力の高い強い作品に聴こえます。
特に悠揚とした前奏から、いきいきとした主部に入り込む場面は、なかなか他の演奏では聞けないユニークさです。
ノーブルで清潔さもあるので、決して重々しさはないです。
2楽章の美しさと歌心はとても素敵です。
慌てず騒がずの終楽章も安心感のあるもので、これは立派に演奏会のトリを務めることのできる4番でありました。

デイヴィスの1回目のベートーヴェン、再発を望みます。

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デンマーク出身の指揮者、ダウスゴーは、ここ数年、注目している指揮者です。
現在、アメリカのシアトル交響楽団とBBCスコテッシュ交響楽団の首席指揮者です。
昨年秋に、BBCスコテッシュとの来日で、マーラーの5番を聴いて、とても感心しました。

プロムスやBBCRadioの放送をいくつも録音して、ダウスゴーの演奏を集めましたが、いずれの演奏もテンポを速めにとり、キビキビとかつ、颯爽としたなかに、爽快感と、意外なまでに曲の本質をついたものが多いのでした。
マーラーやシベリウス、チャイコフスキーも素晴らしく、初めて聴くような新鮮さもありました。

そのダウスゴーがかつて指揮者を務めたスウェーデン室内管弦楽団とベートーヴェン全集を録音しております。
進取の気性に富むダウスゴーですから、90年代の終わりに早くもベーレンライター版を採用してます。
ゆえにテンポ設定も速いわけですが、そこにダウスゴーの音楽性が加わって、スリリングかつ爽快極まりないベートーヴェンが生まれてます。
スウェーデン室内管という北欧のすっきりサウンドを持った、比較的小編成によるオーケストラも、ここでは実に有能でして、どこまでも機敏でかつ繊細。
演奏時間は31分42秒。
1楽章の主部への入り込みシーンなど、先のデイヴィスと真逆のさりげなさと、ナチュラルさがあります。
2楽章の透けるような抒情や、3楽章のリズムの扱いの巧みさ、そしてなんといっても疾風さながら、駆け抜けるような終楽章に快感すら覚えます。

ギリシャ云々の4番の存在ではなく、3番と5番に挟まれた気力充実期の幸せにあふれた4番というイメージです。

まだ全曲を未入手ですが、ダウスゴーのベートーヴェン、全部聴いてみたい。
あとシューマンやブラームス、ブルックナーも。
近くシュトラウス取り上げます。

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あと勢いで、4番の刷り込みレコード、カラヤンの60年代ものを聴いてみた。
繰り返しなしにもよるけど、演奏時間31分2秒。
しかし、速さは感じず、むしろ響きの豪華さと重厚さ、そして気品の高さを感じた。
 ついでに、ベルリンつながりで、アバドとのベーレンライター版による演奏。
こちらの演奏時間は、32分56秒。
これもまた速さは以外にも感じず、ふくよかな歌と端正で凛々しい奥ゆかしさを感じる。
これらもまた、4番の姿であろう。

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もうひとつ、コロナ前、2020年1月のバーミンガム市響のネット録音から。
現在、音楽監督のリトアニア出身の、ミルガ・グラジニーテ=ティーラの指揮で。
「ミルガのベートーヴェン」という番組放送だった。
当然にベーレンライター版で、これまた俊敏極まりない鮮烈な4番。
彼女のオケを導き、夢中にさせてしまう能力には脱帽だ。
演奏時間31分20秒。
ダウスゴーの演奏にも近い雰囲気だけど、エッジも効きつつ、優美さも感じるのは、女性ならではの所作による指揮さばきからでしょうか。

その彼女、2児目の赤ちゃんを身ごもりつつ、3月にコロナ陽性反応が出て治癒静養期間には、多様な書籍に目を通すなど、勉学に勤しんだそうです。
その結果、見事に完治し、8月にはめでたく出産。
この1月のベートーヴェンの演奏のときは、お腹がもう大きかったそうな。

ワインベルクのCDが大いに評価され、グラモフォン誌の賞を受賞しました。
ラトル、オラモ、ネルソンスと続いたバーミンガムの指揮者たち。
ティーラさん、いや、わたしはいつも「ミルガたん」と呼んでますが、彼女の今後の活躍とステイタスの向上を期待したいです。

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郷愁さそう風景。

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近くでみると怪しい気配の彼岸花は、曼珠沙華との名前も。

台風来ないで・・・・・ 

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2020年10月 4日 (日)

ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 アバド指揮

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10月1日は、中秋の名月で見事な満月でした。

そして、東京タワーは都民の日とGoToキャンペーンの東京解禁を祝して、グリーンカラーでライトアップ。

秋桜と書いてコスモス。
すっかり秋です。

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音楽のシーズンも真っ盛りと言いたいところですが、コロナの蔓延状況で、各国でオペラやコンサートの開催状況がまったく異なります。
日本は、クラシックは聴衆が熱狂しないたぐいの音楽なので、観客はほぼ従来通りに入れることが可能に。
しかし、予防対策は事細かに取り決められ、この部分では開催側も聴く側も、そして何よりも演奏者側も細心の対応が引き続き必要。
ガイドラインを読むと、細かすぎて、文字が多すぎて、頭が痛くなる。
外来演奏家が来日はできても、2週間の待機があるので、実質無理・・・
ウィーンフィルの11月の来日はどうなるんだろう。

ウィーンの国立歌劇場をはじめ欧州各地の歌劇場は再開したが、メトロポリタンオペラは今シーズンは閉館を決定した。
感染率の高かったニューヨークではあるが、徐々に経済活動も再開してます。
しかし、再び陽性率が上昇との報もあるし、BLM運動などで治安も悪い。
なによりも、世界のスター歌手によって成り立つMETの舞台は、そのスター級歌手たちが渡米できないので、ウリである豪華な舞台が成立しない。
ヨーロッパは専属歌手たちがスター級も含めてしっかり根付いているし、日本も海外勢が来なくてもやっていけるし、観客も超一流を求めていない。
METや他民族国家アメリカの宿命をなんやら感じます。

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  ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」 

    ムスタファ:ルッジェーロ・ライモンディ
    エルヴィラ:パトリシア・パーチェ
             ズルマ  :アンナ・ゴンダ
    ハーリー :アレッサンドロ・コルベッリ
             リンドーロ:フランク・ロパード
    イザベッラ:アグネス・バルツァ
    タッディオ:エンツォ・ダーラ

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団
            合唱指揮:ヘルムート・フロシャウアー
            チェンバロ:ロナルド・シュナイダー
            音楽助手:イオン・マリン

       (1987.9~10 @ウィーン・コンツェルトハウス)

コロナ期間にネット配信で視聴したロッシーニのオペラは10作。
何度も書くことで恐縮ですが、ベルカント系が苦手だったので、あまり聴いて来なかったロッシーニやドニゼッテイにベルリーニ。
しかし、コロナで見事克服(笑)

「セビリア」と「チェネレントラ」しかこれまで記事にしてなかったロッシーニですが、これからこちらもシリーズ化します。
手始めに、当然にアバド好きとしては、初出時のときから所蔵していた「アルジェのイタリア女」で、1度しか聴いてなかった(汗)

ロッシーニ覚醒一回目なので、ロッシーニのオペラを俯瞰します。

17~18世紀のイタリアオペラの系譜を引き継いだロッシーニ。
その生涯(1792~1868)で、自作の流用も含めて42作のオペラを残したが、オペラ作曲活動においては1808年~1829年まで、16歳から37歳までの期間となっていることは有名なおはなし。
驚くべきは、このほぼ20年間で、若いとも言える作曲家が、オペラセリアからスタートし、オペラブッファも極めて、同時にセリアもさらに深化させ、最後にはグランド・オペラの領域に踏み入れたこと。
ドニゼッテイ、ベルリーニ、そしてヴェルデイへと繋がるイタリアのオペラの流れの19世紀における源流がロッシーニ。

16歳の初オペラはセリアで「デメトリオとポリビオ」。
こちらが初演される前、18歳でのブッファ「婚約手形」が初めての上演された作品となり、その後3作を経て、「絹のはしご」「試金石」といういずれもブッファの快作を発表し、一方でセリアの傑作「タンクレディ」が作曲された。
このとき、ロッシーニは21歳。
オペラ作曲家として、その名声を確立させることになる「アルジェのイタリア女」が同じ年、1813年にヴェネチアで初演される。
「アルジェのイタリア女」と逆のパターンの物語、「イタリアのトルコ人」もこの1年後に続きます。
しかし、ロッシーニはオペラ・ブッファを1810年から1817年までの7年間でしか作曲していない。

1980年代から続いたロッシーニ・ルネッサンスで、いまでは多くのロッシーニのオペラが上演、録音されるようになりましたが、かつての昔は、ロッシーニの3大オペラは、3大ブッファで、「セビリア」「チェネレントラ」「アルジェ」の3作でありました。
 要は18歳から25歳までのあいだに、ロッシーニはオペラ・ブッファを極めつくしたこととなり、オペラから早々に足を洗い、人生の最後にあたって、自分は「オペラ・ブッファのために生まれてきた人間だった」としみじみ語ったというが、たしかにブッファ3作は、作者をしてそう語らせるにたる傑作であります。
 でも繰り返しとなりますが、それ以外の数多くあるロッシーニオペラの魅力、少しづつ観て聴いて、味わってみたいと思います。
(しかし、この歳になって、困ったもんです・・・・)

「アルジェのイタリア女」の作曲は、経営不振に陥っていたヴェネツィアのサン・ベネデット劇場のために、その義侠心から書かれたもので、わずか27日間で仕上げられたというから驚きであります。
初演は1813年5月22日で、その日は奇遇にも、ワーグナーの生まれた日でもありまして、実に興味深い符合です。
当時の東洋趣味からして、モーツァルトの「後宮」やウェーバーの「アブハッサン」にも通じる仕立て。
ともかくナンセンス極まりないドラマで、ありえないくらいのクレヴァーなイタリア女性に、間抜けな太守がメロメロとなり、まんまと騙されてしまうというもので、観る側は何も考えることもなく、ただただ才気煥発なイキイキとしたロッシーニの音楽に酔いしれればいいだけ。

初演以来、ずっと変わらず上演され続けてきたオペラともいえるが、いまの現在、あきらかにイスラムの太守であり、トルコ系でもあるやられ役を、そのままに描くことは演出上なかなか厳しいものと思われます。



ジャン・ピエール・ポネルの演出によるウィーンの舞台。
1990年の上演と思われます。

アバドのプリミエ舞台は、87年と88年で、そのときのアシスタント指揮者、イオン・マリンが90年には指揮してます。
エルヴィラを佐々木典子さんが演じてます。

太守の漆黒の色は、現在ではもっと薄くなり肉襦袢を着るようになってます。

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「セビリア」と「チェネレントラ」はずっと早くから手掛けていたアバドは、スカラ座時代に73年、75年、83年に取り上げてます。
ロンドン響と録音することは、エディンバラで上演しなかったことから実現はしなかったのですが、スカラ座での録音がなされなかったのは、ちょっと残念。
ウィーンフィルのロッシーニは、当時は珍しいことで、歌劇場では始終ロッシーニは演奏していても、それは従来の手垢にまみれたスコアであったはずで、アバドはゼッタ校訂の「セビリア」と「チェネレントラ」と同じく、アツィオ・コルギによる校訂版を使用していて、リハーサルもかなり入念に行われたそうです。
トロンボーンとテインパニを廃し、かわりにピッコロを加えて、軽やかさをより増して、アバドならではの爽やかで透明感あふれるサウンドに一新させました。
ほんとは、ただでさえ味わいのあるウィーンの音色より、ロンドン響のほうが、このあたりよりスッキリ感が出たのではないかと思ったりもしますが、そこはやはりウィーンフィル、色彩感がまぶしく感じられる。
75年のロンドン響との序曲集と、87年のこちらのウィーンフィルとの序曲のみを聴き比べると、味わいの濃いウィーンと、よりニュートラルなロンドン、オーケストラの音色の違いとともに、アバドの音楽造りにスケール感が増しているのもわかるし、クレッシェンドの幅がより広大化しているのも聴いてとれる。
 オペラ本編の方でも、アバドならではのロッシーニ・クレッシェンドの巧みさを満喫することができる。
登場人物たちが、びっくりしたとき、密やかな秘密を持ち語るとき、最弱の繊細なピアニッシモで緊張感すら漂わせる。
そこから巧みにクレッシェンドを導いていっては、寄せては返す波のような見事なロッシーニサウンドを引き出すアバドの手腕。
劇場での経験値を重ねたアバドの進化を、かつてのロンドンでの録音とくらべ感じ取れます。
(一方で、若々しい70年代のアバドのロッシーニにも、愛着を感じ、ブッファのロッシーニの真の姿を聴くことができると思ったりしてます)

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清潔でピュアなイメージのベルガンサにくらべ、バルツァの切れ味も鋭く、テクニックも抜群な歌唱は、このオペラの強い女性イザベッラを見事に歌い演じてます。
一瞬、カルメンっぽくて、ちょっと濃すぎる印象を受けるかもしれないけど、これはこれ、すごいもんです。
イタリア人に愛国を訴える名アリアもまったく見事。
当時、デビューしたてのアメリカのテナー、ロパードも若々しく最高音もしっかり出してる。
ライモンデイもこうしたコミカルな役柄は実にうまくて、むしろ気の毒にさえ思えるイイひとぶりを表出。
アバドのロッシーニになくてはならないブッファ・バリトン、エンツォ・ダーラも相変わらず素晴らしいし、若きコルベッリやP・パーチェも可愛くてよろし。
歌手のレヴェルの高さは、アバドの録音ならではです。

ウィーンでの舞台を、このコロナ禍に、2015年の上演で視聴することができました。
指揮は、故ロペス・コボスで、アブドゥラザコフのムスタファがあきれ返るくらいに素晴らしかった。
これもアバド時代から続くポネル演出のリバイバルで、誇張された人物表現が、現実世界と乖離していることをあえて強調していて、これまたポネルの天才性を感じた次第、ともかく面白かった。

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第1幕
 アルジェの太守ムスタファの宮殿。
妻のエルヴィラをもう飽きたとして、彼女とその待女ズルマを悲しませる。
太守はエルヴィラをお払い箱にして、奴隷として捕まえていたイタリア人リンドーロと結婚させようとする。
そして、配下のハーリーに命じ、イカしたイタリア女を探してこいとする。
 海賊に捕まえられたイザベッラと彼女を密かに好きなタッディオ。
ムスタファは一目見てイザベッラを好きになり、彼女は、これはうまくやらねばと、巧みに取り入ることとなる。
串刺しにしてしまえ、と言われたタッディオを伯父と言って助ける彼女、そして宮殿に行方知れずとなった恋人リンドーロがいることを発見し、お互いにびっくり。
イザベッラはすかさず、頭を働かせて、正妻を追い出して自分を後釜にすえるとは何たること、と非難し、リンドーロを自分の奴隷として差し出すようにムスタファに命じる。
混乱する一同。

第2幕
 イザベッラの機嫌をとるために、タッディオにカイマカンという資格を与えることにするムスタファ。
イザベッラと二人きりになってコーヒーを飲みたいムスタファは、自分が咳をしたら退席せよとタッディオに命じるが、タッディオはそれを無視したあげく、リンドーロも妻エルヴィラもそこにいて、楽しい5重唱となる。
リンドーロとタッディオは、ムスタファにイタリア男の粋な嗜み、秘密結社の儀式を教えるからと、計略にまんまとのせる。
「パッパターチ」と唱えながら、ともかく食って飲んで、快楽にふける、その間になにが起きようと気にしない、ともかく飲んで食って「パッパターチ」。
そうした間に、イザベッラとリンドーロ、ふたりが恋人同士だったと知ってがっかりのタッディオと、囚われのイタリア人たちは、船をしたてて出港することに。
ここに至って、騙されたとしったムスタファ。
もうイタリア女はこりごり・・・・とやっぱりエルヴィラがいい、と仲を取り戻した二人、そして全員でイタリア女の勇気をたたえ、幕。

このオペラを聴くと、しばらく「パッパターチ」が耳から離れなくなります(笑)
ポネルの舞台では、うまそうなパスタをほんとに、もりもり食べてました。

全員の最後の合唱
 「美しいイタリア女がアルジェにやってきて、嫉妬深い男とうぬぼれの強い男に教訓を与えた
  女はその気になれば、誰でもたぶらかしてしまう」
いまどき、問題になりそうな歌詞ではあります・・・・・(笑)

面白いぞロッシーニ🎵

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