ワーグナー 「妖精」 エトヴェシュ指揮
都会の中にも秋を感じさせるシーンがたくさん。
それにしても曇天や雨ばかりの関東地方です。
ワーグナー聴きます。
全作のサイクルをまた開始しようと思います。
もう書きつくしたけど、行けるかな?
ワーグナー 歌劇「妖精」
アーダ :スー・パッチェル
アリンダル:ライモ・シルキア
ローラ :ダクマール・シュンベルガー
モラルト :セバスチャン・ホレック
ドロッラ :ビルギット・ビーア
ゲルノート:アルトゥール・コーン
ツェミーナ:ウルリケ・ゾンターク
フェルツィーナ:マヌエラ・クリスチャク
グンター :フリーダー・ランク
グロマ : アレッサンドロ・パタリーニ
ガボール・エトヴェシュ指揮 カリアリ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団
カリアリ・テアトロ・コムナーレ合唱団
(1998.1.12,14 @カリアリ・テアトロ・リリコ)
これまで2度記事にしてます。
1度目は実際のオペラの舞台を観ることができて、日本初演でした。
2度目はサヴァリッシュのCDで、こちらは1983年のワーグナー没後100年に際して挑んだサヴァリッシュのワーグナー13作品全作上演のライブ。
そして今回は、おそらくこのブログ最終となるであろう、ワーグナーのオペラ全作レビューの2度目の挑戦。
でも、オランダ人前の3作ともなると、あきらかに付随するネタ不足で、これまで書いた内容の編集とコピペとなりますこと、ご了承のほど。
オランダ人(1842)以前とは、「妖精」(1834)、「恋愛禁制」(1836)、「リエンツィ」(1840)の3作品。
「妖精」以前に、「婚礼」というオペラ作品を手掛けているが完成されず、21歳の「妖精」がワーグナーのオペラ第1作となった。
この「婚礼」は、1幕1場の断片のみ残っているが、ネットでちょこっと聴けたけど、ワーグナーらしい片りんもうかがえるものでした。
「婚礼」の主人公などの名前を援用しての1833~34の作曲、姉で女優のロザーリエへの思慕や彼女の助力から生まれた作品。
しかし上演に奔走してくれた彼女の急死もあって、ワーグナーは意欲を失い、以来このオペラは初演されることがなく、ワーグナーの死後1888年にミュンヘンで上演されたのが初とのこと。
それ以降も、あまり演奏機会がなく、近年での画期的な上演は、1983年ミュンヘンでのワーグナー全作品上演を一人受け持ったサヴァリッシュ指揮の演奏会形式でのもの。
そのあとの上演記録は不明だが、今日のCDの1998年のイタリアのカレアリ、2006年の東京オペラプロデュース(新国)、2011年のフランクフルト(ヴァイグレ指揮)、2013年のライプチヒ(シルマー指揮)などが本格劇場での上演記録で、あとはモスクワの小さなハウスや、スロヴァキアのコツシェ劇場などで、どちらかというと大オペラハウスでレパートリー化するようなオペラでは絶対にないところが、初期3作の共通項だろうか。
3時間あまりを要する長さで、音楽は、ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベア風であり、1度や2度聴いただけでは、さっぱりわからない筋立ても聴き手を困惑させるもの。
おおまかにいうと、「影のない女」のような夫婦が強く結ばれるための試練と、子供も交えた家族愛、そして生真面目なカップルと、コミカルなお笑いカップルふたつが出てくるので、「魔笛」をも思わせる内容。
以下、以前の記事より「妖精」の上演の難しさを・・・
①ワーグナー意欲溢れる盛り込みぶり~筋だてがややこしいことに加え、登場人物のそれぞれに難しいアリアが与えられている。
それらをこなせる歌手を揃えること事態が大変。
そしてその主要人物が多すぎるし、かえって人物たちの個性が希薄となってしまうので、出演歌手もやりにくい。
②いろんな要素のごった煮~筋でいえば、前述のとおり、おとぎ話的で、「魔笛」や「影のない女」。
主役のアーダはプリマでかつコロラトゥーラの要素も必要。
その夫役のアリンダルは、リリックであると同時に狂乱しなければならいうえ、最後にはヘルデン的な力強さとスタミナを要する。
喜劇的なコンビ、パパゲーノとパパゲーナのようなゲルノートとドロッラに芸達者な二人の男女を要する。
戦いに殉ずるシリアスなワルキューレのようなアリンダルの妹ローラと、アリンダルの親友のいい人役が、ウォルラムのようなモローラで、この二人にも恋愛模様がある。
ともかくまだまだいろんな人物が出たり入ったりと目まぐるしい。
③3次元的な妖精の世界と、世俗的な王宮の中を始終、いったり来たりする舞台のややこしさ。
最新式の回り舞台が必要になるくらいで、演出上の工夫がたいへん。
アリア・重唱にこだわり、場や番号オペラの因習を踏んだワーグナーの音楽は、ドイツの先輩からの影響もありつつ、ベルリーニやドニゼッティすらその歌唱法には思わせるものがある。
しかしライトモティーフ風の示導動機も早くも導入しており、これまた時に、オランダ人やタンホイザーを彷彿とさせる響きやシーンも多々あるし、質問してはならない「禁門」や、自らの自己犠牲といった、ワーグナーならではのモティーフも盛り込まれている。
3幕のクライマックスでは、感動的なタンホイザーの終幕を思わせる音楽の閃きがある。
それと、主人公の妖精の娘アーダは自己中心的な存在でもあり、自己犠牲的な行動もするが、その義理の妹となる王子の妹、ローラはワルキューレ的なおっかない戦乙女。
この二人が合体すると、ワーグナーの理想とした女性が出来上がる、そう、のちのブリュンヒルデのような。
第1幕
かつて、アリンダル王子とそのお供のゲルノートは、狩りに出て立派な鹿を見つけ、それを追ったが、川の水にのまれてしまう、これが8年前のこと。
そこで出会った美しいアーダと恋に落ちたアリンダルは、彼女の身分を問わないことを条件に夫婦となり、二人の子供をもうけるが、8年後、禁断の質問をしてしまい、アーダは消え失せてしまう。
王子を探しにきた、親友のモラルトと部下たち。失意に沈むアリンダルを説得し、故国に帰る気にさせる。
そこに再びアーダが現れ、そして悲しみ、アリンダルに何が起こっても自分を呪ってはいけないと話す。
アリンダルは、またいずれ会えるのだから呪わないと「誓う」と言ってしまう。
実はアーダの父が死に、王女になることになり、人間になることが難しくなっていたのだ。
そう、彼女は、人間の男と妖精の女から生まれた女性なのである。
第2幕
王子の祖国は敵の攻撃で壊滅寸前。ひとり気を吐くアリンダルの妹ローラ。
兄の無事帰還の知らせで沸き立つローラと民衆。
王子とともに行方知れずだったお供のゲルノートと、その許婚ドロッラの滑稽なくらいパパゲーノ・パパゲーナのような結びつきも演じられる。
アーダが現れ、ふたりのお付きの妖精とやりとりをする。その後の彼女の大アリアは素晴らしい。
兄の帰還に沸き立つ宮廷、そこにアーダが登場する。
アーダは、二人の子供をアリンダルに手渡すが、その喜びもつかのま、アーダは子供たちを裂けた大地の中に突き落とす。
さらに、軍が総崩れになった知らせとともに、敵が女で、アーダであったことが発覚。
これらの仕打ちに、ぶち切れ怒るアリンダル。
ついに呪いの言葉を口にしてしまう。
試練に耐えらえなかったアリンダル。
それとともに、悲嘆にくれるアーダ。
彼女はこれで人間になる望みを失い、自分は100年間石にならなくてはならないという。
軍を負かせたのは、内通者がいたからで、将軍モラルトを守り、やがて彼が勝利をもたらすであろうこと。
子供たちは、人間社会に来るため清めたのであってすぐに戻ること・・・これらを告白する。
すると、子供たちがそこに戻り、勝利を得たモラルトも帰還する。
勝利に沸く民衆と、悲しみに打ち沈むアーダとアリンダル。
第3幕
狂気に陥ったアリンダルに代わり、友人のモラルトと妹のローラが王位を継ぎ、その祝宴が行われる。
モラルトは、喜ばしいことではないと、本来の王となる王子の立ち直りを全員で祈る。
皆が去ったあと、アリンダルは狂気と愛を求める夢想のなかで長大なモノローグを歌う。
王室をかつて導いた魔法使いグロマの声がアリアンダルを励まし、空から、楯と剣と竪琴が降りてくる。
そこへふたりの妖精が現れ、こうなればダメもとだ、とか言いながら、アーダを救ってみせると意気込むアリンダルを、石になりつつあるアーダの元へ連れていくことになる。
ふたつの試練を、グロマの声の励ましと与えられた武器で乗り越えたアリンダル。
しかし、最後は石を壊す呪文がわからない。
竪琴をかき鳴らし、愛の歌を歌い、ついに試練に勝ちアーダを救いだすことができた。
妖精の王が現れ、試練に勝った報酬として、アーダとともに不死身の生を与え、妖精の国の王として王国を治めることとなる。
アリンダルとアーダは、故国の妹とモラルトに仲良く国を治めるように歌い、一同賛美のうちに幕。
どうです、ややこしいでしょ。
南イタリアのオペラのオーケストラらしい明るい音色が支配する録音。
2007年のドレスデン国立歌劇場の来日公演で「タンホイザー」を指揮したエトヴェシュ。
その時はオケが素晴らしかったので指揮者の力量は不明だったように記憶するけれど、ここでは、全体のアンサンブルをうまくまとめあげ、舞台上の歌手たちに奉仕するような律儀な指揮ぶりに感じる。
サヴァリッシュのような明晰さはここではないが、オケが明るいから不思議とスッキリしたワーグナーが仕上がった感じだ。
あまり知らない歌手たちばかりだけど、ヒロイン・アーダ役のアメリカのソプラノ、パッチェルさんがなかなか頑張ってる。
ワーグナーやシュトラウスを得意にした彼女、力強さと軽やかさも持ち備えたなかなかの力量とみたが、録音があまりないのが残念。
ドイツの劇場でジョナサン・ノットが活躍していた頃、その指揮でイゾルデを歌っていた履歴も発見しました。
あと、その夫役のフィンランド出身のテノール、シルキアが、高域をえいッとばかりに引き上げる歌い方が、往年のヘルデン、ジーン・コックスに声も似ていてなかなkの聴きもの。
あとの歌手は玉石混交な感じだけで、総じて頑張ってます。
でも、豪華なメンバーをそろえたサヴァリッシュ盤には及ばない。仕方あるまいね。
ワーグナー初期オペラ、次は「恋愛禁制」です。
街並みも秋づいてきましたね。
過去記事
「東京オペラプロデュース 日本初演公演」
「サヴァリッシュ&バイエルン放送響」
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コメント
こんばんは。ワーグナー・チクルスを初期3作で始められるのは、日本じゃクラヲタ人さまならではかと。さすがの早川健も「だが日本じゃ2番目だ」とは云えないでしょう。
私の初期3作の知見といえば、サヴァリッシュが初期3作を含めたすべてのオペラを上演した時のライブ、それをNHK-FMで聴いたの位です。それも、「恋愛禁制」はプライ、「リエンツィ」はコロが耳に残ったのですが、「妖精」はちんぷんかんぷんでした。
現状ではシノーポリ/ドレスデンSKのCDに「恋禁」「リエンツィ」の序曲が有るのを聴く位。肝心の「妖精」はサッパリご無沙汰です。ニルソンがアリアを録音してたと思うのですが手元にCDが…なんとも中途半端な書き込みで申し訳ありません。「妖精」で3回もネタが続くのは、日本じゃ…チッチッチッチッ。
残る2作も楽しみにしております。
投稿: アキロンの大王 | 2020年10月20日 (火) 21時56分
アキロンの大王さん、コメントありがとうございます。
初期3作を含めたチクルスは2度目、オランダ人以降のチクルスは、もう何度も(笑)
どんだけ好きなんだと、われながら思いますね。
連続して聴いていくという聴き方は、実は83年のサヴァリッシュによるミュンヘンでの快挙に影響され、カセットテープで録音した時代からやってました。
ご指摘のNHKによる放映が、ほんとに貴重でして、いまでもCDRに起こして、PC保存してます。
プライとコロあっての上演でもありました。
同様のチクルスは、88年の同じくサヴァリッシュによるシュトラウス全作上演も、NHKでいくつか放送され、こちらも貴重なライブラリーになってます。
シュトラウスの全作チクルス、こちらも2度目となりますが、やろうと思ってます(笑)
投稿: yokochan | 2020年10月22日 (木) 08時25分