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2020年11月 7日 (土)

ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」 シャイー指揮

Shiba-sakura-03

さすがに今年は静かだったハロウィーン。
すっかり秋めいて、街も色づきを増してます。

いちばん過ごしやすく、いい季節なのに、なんかすっきりしない。
内外ともに、もやもやすることばかり。

特に、どうしちゃったの?
日本の民主主義のお手本だと思ってたアメリカ。
分断をはかる動きはずっと前からあったけど、今回ばかりは・・・・

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落ち着いた気持ちで、深まる秋を感じたい。

秋とは関係ないオペラを。
ロッシーニシリーズ。
「アルジェのイタリア女」ときたら、その裏バージョンのような「イタリアのトルコ人」

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  ロッシーニ 歌劇「イタリアのトルコ人」

   セリム:ミケーレ・ペルトゥージ
   フィオリッラ:チェチーリア・バルトリ
   ドン・ジェローニオ:アレッサンドロ・コルベッリ
   ドン・ナルチーソ:ラモン・ヴァルガス
   詩人(ジェローニオの友人):ロベルト・デ・カンディア
   ザイーダ:ラウタ・ポルヴェッリ
   アルバザール:フランチェスコ・ピッコリ

  リッカルド・シャイー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
               ミラノ・スカラ座合唱団

       (1997.9.7~18 @ジョセッペ・ヴェルディ音楽院、ミラノ)

ロッシーニ(1792~1868)の42作あるオペラの13作目で、1814年、ミラノ・スカラ座の委嘱によって書かれた。
オペラ・ブッファとして「アルジェのイタリア女」の逆パターンで、トルコのプリンスが、今度はイタリアに行って巻き起こすドタバタ劇。
「アルジェ」の1年後に書かれ、大ヒットしたあちらの人気にのった2番煎じのような印象を植え付けられ、当初はあまり評価されなかった。
なにも深く考えることなく、そのバカバカしさを楽しめる「アルジェ」に比べ、ブッファとはいえ、筋立てがややこしく、尺も長く、単純に笑えるだけでもないちょっと複雑なオペラ。それが「イタリアのトルコ人」。

今日のCDはシャイーの指揮だけども、シャイーはCD初期の時代にも、CBSにこの作品を録音していて、そのときのジャケットだけは覚えていても、ついぞこれまで、このオペラを聴くことはありませんでした。
 そして、驚きの初聴きは、今年3月ですよ(笑)
どんだけ、苦手だったんだろ。

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コロナが忍び寄ってた2月のスカラ座でのライブをネット録音しました。
スカラ座のサイトにある豊富な画像や、トレーラーで想像を膨らませ、その音楽の巧みさにだんだんと魅かれました。

そして、シャイーのCDを購入し、バルトリの名唱に酔いしれ、コロナ禍の5月には、ネットストリーミング配信で、ボローニャ・テアトロコムナーレの2017年の上演を観劇することができました。
字幕なしだったけど、シャイーの外盤リブレットを片手に、ほぼ全体を理解することができた。

こうやって、いろんなメディアを使いながら、以前では考えられなかった音楽鑑賞方法の幅も広がり、ひとつのオペラをじっくりと、好みの作品にしていくという喜びもここにまた新たとなりました。

Rossini

ボローニャの上演は、ロッシーニ音楽祭からのもののようで、時代設定を60年代ぐらいにして、ポップでカラフルな舞台でした。
スカラ座の方が、より若いフレッシュな歌手たちでしたが、こちらのボローニャでは、日本の脇園彩さんが、セリムの元恋人役ザイーダ役で輝いてましたし、あとフィオリッラのハスミック・トローシャンが素直な美声で、なによりも美人さんで気に入りました。
彼女、昨年、新国の「ドン・パスクワーレ」で来日してたんですね。

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あらすじは正直、ややこしいです。

イタリアのナポリの海岸沿い

第1幕
ジプシーたちのキャンプのなか、かつてトルコの太守の息子セリムと恋人であったザイーダが、その別れを悲しみ、懐かしんでいる。
ドン・ジェローニオ(ヒロイン、フィオリッラの亭主)の友人である詩人が、ジプシーたちの生活に新たな素材を求めようと探しつつ登場。
そこへ、ジプシー占いを頼みに、そのジェローニオも登場する。
彼は、自分の美貌の妻が浮気性なので、相談に来たのだが、みんなにからかわれてしまう。
詩人は、この友人と気まぐれな彼の妻とのことに着目し、これらの人間模様を素材にしようと決める。
 その女性、フィオリッラは、単調な生活に飽き飽きとして、もっと新しい愛をと歌う。
そこへ、船が到着してトルコの王子セリムが登場、女好きの彼は、フィオリッラを一目見て好きになり、彼女もすっかりその気に。
その様子を、フィオリッラの愛人にもなれないが、大ファンのナルチーゾ(これもまたジェローニオの友人だが、彼はナルチーゾの心のうちを知らない)から聞かされ、嫉妬に狂うジェローニオと、思わぬ展開ににんまりの詩人。

家にセリムを引き入れコーヒーなんぞを二人して飲んでるところへ、ジェローニオが怒って帰ってくるが、逆にトルコの王子様になにをするのと、妻に窘められてしまう。
ナルチーゾもこの様子をうかがっていて、セリムとフィオリッラが浜辺であいびきの約束をするとことを盗み聞きで、四重唱となる。
ひとり残され、悶々としたジェローニオは、おりから来た詩人に不満をぶつけるが、詩人は、この展開を面白がり取り合ってくれない。
詩人のあと、妻フィオリッラが帰ってきて、彼は怒り喧嘩を売るが、フィオリッラは、うまいこと手懐けてしまい、すっかりジェローニオはおとなしくなってしまう。

海辺で待つセリム。そこへ、占い客を求め営業中のザイーダがやってきて、その声からセリムであることに気づき、やがてセリムもかつての恋人がここにいたことに感激し、抱き合う。
さらにそこに、様子を見に来たナルチーゾ、旅装の女性、すなわちフィオリッラもそろりそろりとやってくる。
さらにさらに、ジェローニオ、詩人もきて、全員が集結し1幕を締める役者がそろう。
 いまの気持ちはフィオリッラにあり、嫉妬するザイーダと恋敵のフィオリッラ。
その喧嘩を仲裁しようとするセリムとナルチーゾ、なにがなんだかわからないジェローニオ、面白い面白いとする詩人で幕。

第2幕
 ちくしょうと酒を飲んでるジェローニオのところへ、どうしても諦めきれないセリムが金を出すから妻をくれと迫るが、とんでもないともめるふたり。
この間のふたりのかけあいは、超絶技巧的で超おもしろい!
 次の場では、セリムを待つフィオリッラ。
でもザイーダの作戦で、フィオリッラは呼び出されたが、当のセリムもあらわれ、この際ザイーダの前で自分を選ばせてやろうとするが、当のセリムはどちらも選べず、ザイーダは怒ってしまう。
ここで、フィオリッラとセリムの二重唱。
 
詩人は、ジェローニオに今夜の舞踏会で仮面をつけて、セリムがフィオリッラと逃走しようとしていると告げる。
詩人は機転をきかせ、ザイーダにフィオリッラになりきらせ、ジェローニオも変装して舞踏会に行くように提案。
それを立ち聞きしていたナルチーゾも、この際トルコ人に変装して、フィオリッラとうまくやろうと決意のアリアを歌う。
ひとり残ったジェローニオは嘆きと怒りにくれ、これまたアクロバティックなアリアを歌う。
ついでに、ちょい役のザイーダの友人のアブラザールのアリアも挿入され、なかなかの歌わせどころがあり、ロッシーニのサービス精神を味わえることになります。

さて、舞踏会。
ナルチーゾをセリムと思い込んで腕を取るフィオリッラ、ザイーダをフィオリッラと信じ込んでこそこそするセリム。
その間にたって困惑しまくる人の好いジェローニオ。
あまりにも見事な5重唱。
二組はそれぞれ逃避行・・・・

ひとり残されたジェローニオに詩人がシナリオを見せ、フィオリッラと逃げたのはナルチーゾ、セリムはザイーダと一緒と言って安心させる。
そのフィオリッラは、この騒動を悔いて、亭主ジェローニオに心から申し訳ないという思いにとらわれ、しょんぼりとして身に着けた宝飾類を外して悲しむ。
ここでのアリアが実に素晴らしい。
 詩人のとりなしで、フィオリッラとジェローニオは和解し、こちらもよりを戻したセリムとザイーダも登場。
ナルチーゾもアブラザールもやってきて全員集結の大団円。
 詩人は、今回のプロットの集結を宣言。
「わたしの台本はハッピーエンドでした、聴衆の皆さんもそうお思いでしょう?」
愛をたたえる合唱で幕!

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どうです?出たり入ったり、ややこしいでしょ(笑)
CDで聴いてるだけじゃわかんない、舞台を見ることで、「詩人」という狂言回しの役割の重要性がわかる。
この狂言回しには、大きなソロは与えられていないけれど、登場人物たちが見せる複雑な動きをプロデュースしているように聴くと、このオペラのみ方・聴き方の理解が深まるかもしれない。
ある意味、「コジ・ファン・トウッテ」を思わせる二組の恋人たちと、哲学者のドン・アルフォンソを想起します。
 そしてロッシーニのモーツァルトへのリスペクトは、曲中にもありました。
セリムが船で登場し、陸でフィオリッラが待ち受けるとこころ、ここに「ドンジョヴァンニ」のあの旋律が歌われます。
さらにそのふたりの二重唱では、「ドンジョヴァンニ」のアリアっぽい片鱗も確認できました。

こんな風に仕掛けのようなものが満載で、まだまだ味わいきれない気がしてます。
ですから、「イタリアのトルコ人」は、愉快な「アルジェのイタリア女」の亜流でなく、かなり立ち位置が違うオペラだと思います。

このオペラの真価が明らかになったのは、ここでもマリア・カラスの存在が大きいようです。
低音から高域まで、そして高度な技量も要求されるフィオリッラ役は、たしかに大変だと思いますが、メゾでもハイテクニックのあるバルトリのような歌手によって歌われると、魅力的な低音域の琥珀の輝きから、コケティッシュ感も出せる高域の歌いまわしで、耳のご馳走でした。
ほんとに素晴らしい役柄をロッシーニは残してくれたものだと思います。
 2幕最後の方の舞踏会における5重唱の素晴らしさは、ボローニャの舞台でも際立ってまして、5人以外の舞踏会の参加者がストップモーションで動きを止め、静かな緊張感を持たせ、そこから徐々に始まるロッシーニ・クレシェンドで渦巻くような興奮状態を作り出す。
音楽と舞台がぴたりと符合してました。
あと、フィオリッラの後悔のアリアも、そこに、ジプシーたちと、詩人の合いの手がうまく絡んで、その気の毒のヒロインの胸のうちをうまく表出してまして見事。

バルトリのステキさは前段のとおり。
バスとバリトンにも超難しい役柄のセリムとジェローニオ。
ペルトゥージとコルベッリがあきれるほどに素晴らしい。
ついでにもひとつ、ヴァルガスもいいし、詩人のカンディアーも全体をしっかり引き締めてました。
ポルヴェッリのザイーダもうまいもんです!

シャイーの水際だった巧みでイキのいい指揮は、スカラ座のオケあってのもので、現代感覚溢れすぎてそぎ落としの多いこともあったこの頃のシャイーの指揮に、潤いを与えているようにも感じました。
ただ、デッカの録音なのに、ちょっと冴えないような気が・・・
ちなみに、チェンバロでなくフォルテピアノが使われ、これがいい味だしてました。
ここ数週間、何度聴いたかわからない(笑)

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増上寺山門越しに浜松町の駅の方、線路まで見渡せる、そんな空いてる日曜の朝。

最近の音楽聴きループ、ヘンデル⇔ロッシーニ⇔プロコフィエフ⇔ドヴォルザーク⇔ワーグナー⇔R・シュトラウス⇔ドニゼッティ⇔プッチーニ⇔英国音楽⇔バッハ、ときどきマーラー&ブルックナー。
あぁ~、忙しいよ。

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コメント

こんばんは、こんばんは、も一つおまけにこんばんは!
「イタリアのトルコ人」は、カラスの国内版LPを入手したものの、ストーリー追うのに苦労して挫折。たま~にカラスとゲッダの声追いかけて聴いてました。ご紹介のシャイー版も持ってますが、なかなか。映像で観てからという手を、ワタシもやってみようかしら?

投稿: アキロンの大王 | 2020年11月 9日 (月) 19時46分

こんにちは。
たしかに、この作品、ストーリーを追うだけで一苦労。
映像だと、登場人物がやたらと出たり入ったり、盗み聞きしたりする様子がよくわかります。
 レコード時代は解説書も大判で、字も大きかったので、まだよいですが、CDのリブレットは年を取るとほんと往生します。
音源と映像、双方を味わえるいまの世の中、楽しみも増しました。

投稿: yokochan | 2020年11月11日 (水) 08時12分

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