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2021年1月

2021年1月15日 (金)

ディーリアス 日の出前の歌、楽園への道 ヒューズ指揮

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ある日の相模湾の夜明け。

よく、夜明け前が一番暗いといいます。
確かに、お日さまが昇る直前は、真っ暗でした。

日の出とともに、あたりは急速に変化し、暖かささえも感じることができる。

Sodegaura-02

目を転じると、沖には大島の姿も見えます。

こんな海を見て育ちました。

Derius-hughes

  ディーリアス 「日の出前の歌」

         「楽園への道」
     ~「村のロミオとジュリエット」間奏曲~
           (オリジナル版)

 オーウェン・アーウェル・ヒューズ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

       (1988.4.18 @ミッチャム、ロンドン)

なんども書いててすいません、毎度おなじみディーリアス。

やっぱり好きです。

ディーリアスの音を聴くと、自分の脳内に、なにかが分泌されるような気がします。
どんな状況下、どんな気持ちにあっても、それは同じ。

私を救ってくれる音楽だといまさらに思いました。
同じ思いをもたらす音楽としては、自分にはワーグナーがいますが、強引なワーグナーに比べ、そっと優しく、そばにいてくれるディーリアスの音楽。

昨年来の出口の見えない疾疫の蔓延、政治と経済の混乱、不正を許した民主主義の崩壊の兆しなどなど・・・・
ほんとに不安と不満がたまり、もやもや感が尽きませぬ。

終わりはあるはず、夜明けは近い、そして新しく歩みだすのだ、という思いをもって、ディーリアスのこの2曲をしっとりと聴きました。
もうね、涙が出そうになりました。

ディーリアスの大ファンであったウォーロックに捧げられた「日の出前の歌(A Song before Sunrise)」。
甘味で刹那的に聴こえるけれど、日の出前、自然が目覚めてくる雰囲気を描いたもので、聴きながら勝手にイギリスの田園風景と、徐々に日に染まりゆく野や草木の様子を思い浮かべることができる。

一方、「楽園への道」は、そのオペラの原題のとおり、小さな村の反目しあう家に生まれた少年と少女の悲恋の物語。
村人の目線から逃げることのできない二人は、朽ちた別荘の裏に流れる小川から、小舟に乗って旅立つ。
それは、行き先のない「愛の死」への旅だったけど、でももう誰も追ってこない、ふたりにとっての楽園なのでした・・・・
 こんな物悲しい物語のオペラにつけられた間奏曲は、あまりに儚くも美しく、そして哀しい。
ディーリアスの「トリスタンとイゾルデ」
愛の成就は、陶酔的な大きなクライマックスを築くが、徐々に弱まる音は魂の浄化。
きれいさっぱりと出直したいものだ・・・・・・

このCDでは、ビーチャムが編んだ単独演奏用の間奏曲ではなく、オペラの中の間奏曲をそのままに演奏したものが収録されてます。
各楽器のソロが目立つ編曲版の方がより劇的に聴こえ、オリジナル版はより静謐な雰囲気が勝るような気がしました。

過去記事→「村のロメオとジュリエット」

アーウェル・ヒューズは、ウェールズ出身で、ボールト、ケンペ、ハイティンクに学んだ王道系の指揮者で、父親も高名な作曲家。
英国もの以外に、デンマークの作曲家ホルンボーの専門家みたいに、BISにたくさん録音してまして、なにげに私もブログに書いてます。
このディーリアス、ノーブルなフィルハーモニア管を指揮して、ゆったりと、慈しむようにして、ディーリアスの感覚的な世界を描きだしてます。
久々に聴いたこの1枚。最初の頃と印象がまた変わりました。
美しすぎるその演奏。

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夜明けは近い、のだろうか・・・・・

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2021年1月 9日 (土)

ハイドン 交響曲第95番 デイヴィス&コンセルトヘボウ

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お正月の松が取れましたが、同時に首都圏に緊急事態宣言。

昨年の緊急事態宣言では、宣言前夜、スーパーなどから食料品がなくなってしまう勢いでしたが、今回は大丈夫。
しかし、飲食業界は、まるでねらい打ちされたみたいで、もう少しどうにかならなかったのだろうか。

ということで、今日は、おとなしく、交響曲の父、ハイドンを聴きます。
新年にふさわしいと思ったもので、少しでも新しい年らしくね・・・・

次の懐かしいジャケット画像は借り物です。

Haydn-9597-davis-aco

 ハイドン 交響曲第95番 ハ短調 HobⅠ-95

サー・コリン・デイヴィス指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                (1980.12 @コンセルトヘボウ)

コリン・デイヴィスのハイドン、ザロモン・セットは、70年代後半から2曲をA面・B面に1枚1枚発売されたシリーズでした。
CD時代になってから聴いたのですが、レコード時代の18世紀の風景画のジャケットも美しく、そして懐かしくて、上記画像を探し出しました。
 ハイティンク時代のコンセルトヘボウが一番好きな自分ですが、フィリップスレーベルはハイティンク以外の専属指揮者とのコラボレーションをいくつも企画してくれました。
そんななかのひとりがデイヴィスで、このハイドンとストラヴィンスキーが代表的な名盤です。

コンセルトヘボウ・オーケストラの柔らかくもシルキーな音色と、穏健かつ端正なデイヴィスの音楽作りが見事なハイドンを聴かせてくれる、このザロモンセット。
デイヴィスらしい熱さや、音の厚みもここではハイドンの音楽に寄与していて、聴いてて納得の瞬間がいくつもありました。
そしていつもと同じく、フィリップス録音の木質感と重厚感あふれるすばらしさはここでも安定の響きで、分離もよい。

時代の変遷期であったゆえに、古楽奏法や室内オケ的なコンパクトな演奏とはまったく一線を画した、王道をゆく演奏。
これはまた、デジタルへの移行中という時期とも符合するかと思います。

あえて、ザロモンセットのなかの唯一の「短調」の交響曲を選んでみたけど、ほかの番号でも全然よかったんです。
これまでブログに書いてない番号だったこともあるので。
でもしかし、この曲は短調に支配されてるわけでもなく、むしろ短調と長調の対比が20分余りのコンパクトな4つの楽章のなかで味わえる、存外に素晴らしい交響曲と感じました。
序奏がなく、いきなり始まるのもいいし、ザロモンが弾く前提のヴァイオリンソロや、チェロのソロもはいることも、聴いていて素敵なアクセントに感じる。
モーツァルトの短調に通じるような、ちょっと感傷的な雰囲気のメヌエット、終楽章ヴィヴァーチェの集大成感も短いながら好き。

曲も、演奏も、録音も、ともに味わい深いハイドンなのでした。

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内外ともにきな臭いことばかり。

音楽が救いだ。

ザロモン・セットは、手持ちはあと、ヨッフムとブリュッヘン。
アバドは完成しなかったのが残念。

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2021年1月 2日 (土)

ヨゼフ・シュトラウス 「水彩画」

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「迎春」

2021年、関東地方は晴天のお正月を迎えましたが、寒さ厳しく早朝の山は例年にもまして、登るのに気力が必要でしたが、小高い山頂についてみれば、そこはもう爽快さの極みでして、新春を迎え清らかな気分に満たされました。

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多難な年であった昨年。
今年は、普通の1年であって欲しいものです。

Abbado-new-year1991

  ヨゼフ・シュトラウス ワルツ「水彩画」 op.258

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1991.1.1 @ウィーン)

アバドのニュー・イヤーコンサートは、1989年と1991年の2年だけ。
ベルリンフィルの指揮者になってからは、ジルヴェスターコンサートがあるし、ウィーンとの関係も疎遠となってしまったので、貴重な2度の記録なんです。

その2年、2回のコンサートのなかから、これまでいくつかの曲をブログにしましたが、2021年最初の記事は、ヨゼフ・シュトラウスで。

ヨゼフ・シュトラウスは、父ヨハン・シュトラウス1世の次男、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の弟で、工学技師から音楽家に転向した鬼才の持ち主で、280の作品や多くの編曲、指揮活動をその42年の短い生涯に行ってます。
生没年は、1827~1870年で、思えば昨年2020年は、没後150年にあたりました。
その激動の人生は、Wikiに詳細が書かれてますので、是非ご覧下さい。
わたくしもびっくりしました。

ワルツ「天体の音楽」が好きで、むかしから、この曲ばかりを聴いてましたが、その印象は、抒情・詩情を感じさせるすっきり派というものでした。
そんなヨゼフ・シュトラウスにぴったりの指揮がアバドの個性だと思います。

多彩な才能に恵まれたヨゼフは、画才も豊かだったようで、数々の作品があるそうです。
水彩画の持つ淡いタッチや柔らかさをワルツで表出したかったそうで、そうした柔和で優しい部分と、決然としたきっぱり感をあらわす場面との5つのワルツがメインになってます。

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 アバドの流れるような指揮に乗ったウィーンフィルのやわらかなサウンドが魅力的。
古いVHSを復元しましたが、にこやかに笑みを浮かべながら指揮するアバド。
そして、この頃は、メンバーのひとりひとりの顔をそらんじていたくらいにお馴染みのウィーンフィルの面々。
豪華な主席級の奏者たちの顔ぶれ。
この頃のウィーンフィルのメンバーに慣れてますので、昨今のすっかり若返った顔ぶれは、映像で見せられても、私にはウィーンフィルとわかりません。

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ムジークフェラインの似合う指揮者アバド。

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1991年、58歳のにこやかなアバド。

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青きドナウの前のお決まりのしきたり。

「Frohes neues Jahr!」

ここ数十年、ニューイヤーコンサートは見なくなってしまったからかもしれません。
ファンの方には叱られるかもしれませんが、厳しい顔して指揮をするニュー・イヤーはちょっと苦手なもので。
わたくしのニュー・イヤーは、アバドとクライバーで止まってしまってます、古い人間ですなぁ・・・・・

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今年も自分のペースで、聴きたいものを聴き、視聴し、書きたいように書きます。

ともかく、心も身体も健康第一、よろしくお願いいたします。

 

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