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2021年1月20日 (水)

シューベルト ミサ曲第6番 アバド指揮

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真冬の水仙は、鮮やかな花がないこの時期にあって、その甘い香りとともに癒しです。

そして、今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの旅立ちの日。

2014年1月20日から、もう7年が経ちました。

あの日の衝撃と悲しみ、自分のブログをよく読み返して思いでをなぞることがよくありますが、そのときの記事ほど、悲しいものはありません。

「さよなら、アバド」

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 シューベルト ミサ曲第6番 変ホ長調 D.950

  S:カリタ・マッティラ Ms:マリアナ・リポヴシェク
  T:ジェリー・ハドレー T:ヨルゲ・ピタ
  Bs:ローベルト・ホル

 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
              ウィーン国立歌劇場合唱団
        合唱指揮:ワルター・ハーゲン-グロル

         (1986.11.1 @ムジークフェライン)  

アバドはシューベルトが大好きでした。
ご存じのとおり、交響曲全集、いくつかの交響曲録音、ロザムンデ、ミサ曲を数度、オペラにオーケストラ伴奏付き歌曲まで、多くの録音があります。
そんななかから、これまでブログで取り上げてなかったミサ曲第6番を。

ウィーンとの蜜月時代、86年に「万霊節(オールセインツ・諸聖人)」コンサートで取り上げた演目のライブで、このときは、モーツァルトの宗教作品も演奏してます。
同じ演奏が映像化されていて、さらに2012年のザルツブルク音楽祭でも演奏していて、こちらも映像化されてます。
こちらもモーツァルト作品と組み合わせていて「孤児院ミサ」です。
 1986年の頃は、アバドとウィーンフィルはベートーヴェンチクルスに取り組んでいた、まさにその年です。

6曲あるシューベルトのミサ曲。
なかでも、5番と6番は後期ミサ曲として規模も大きく、内容も深いため、昨今人気のある作品。
早逝のシューベルト、最後の年1828年の作で、生前は演奏されず、翌年に初演されたとのこと。
歌曲の人、シューベルトにとって典礼文のあるミサ曲・宗教曲は、きっと手ごわいカテゴリーだったと思いますが、そのためにも、対位法をしっかり身につけようと、この時期のシューベルトは懸命に勉強していたとのこと。
グロリアの最後におかれたフーガ形式の部分など、壮大な伽藍をのようで感銘を受けます。
そんな真摯なシューベルトの孤高の作品として、最後の3つのピアノソナタに通じるものもありまして、時間が許せばその3作を後で聴いてみたいと思ってます。
シューベルトが、もっと生きていたら、そのあとどんな作品を生んでくれたでしょうか?音楽史はまったく変わっていたかもしれません。

ベートーヴェンに取り組んでいたこの時期のアバドとウィーンフィルの演奏。
やはりベートーヴェンに近づいたシューベルトになっていると思います。
アバドらしく、流麗で歌にあふれた音楽ですが、フーガの部分など、かなり克明に描いていてスケールの大きさも感じさせるのがそうしたところです。
そう、シューベルトの晩年のスタイルに沿うような演奏がアバドの指揮なのです。
ほかの演奏を多くは聴いてませんが、もっとシューベルトらしい緩やかさや素朴さを感じさせるものはあるかもしれませんが、アバドのシューベルトのミサ曲は、シューベルトが次に向かおうとしていた世界を感じさせるような、そんな演奏でした。
オペラ歌手でそろえた独唱者もそんな意向がうかがえますが、ちょっと立派すぎたかも・・・。
同じことは、重厚な国立歌劇場の合唱団にもいえます。
 しかし、こともあろうに、2012年のザルツブルクライブはまだ未視聴であることは痛恨です。(買わねば!)
若いモーツァルト・オーケストラに、俊敏なシェーンベルク合唱団、大物のいないソロとのシューベルトは、きっとアバドがやりたかった、また別のシューベルト像の演奏かもしれません。
そちらはいずれ視聴して記事に残したいと思います。

Abbado-schubert

このCDと同じ演奏がDVDになってまして、そちらも併せて聴いております。
若々しいアバドの指揮姿は、颯爽としていて気持ちがいいものです。
前半のモーツァルトの宗教作品も含めて、アバドは全部、暗譜。
譜面を置いて、見ながらの指揮よりも、演奏者側は常に指揮者に見られてるいるという意識もあるので、逆に集中力も上がるし、緊張感も増すとは思いますが、でもアバドの柔らかな流れるような指揮にはなんらの威圧感もなく、出てくる音楽はいつもしなやかです。
もちろん、譜面に顔を突っ込んでいたと思うと、時にギロっと睨まれると、それに備えて奏者たちも常に緊張しますから、おっかない指揮者の場合は効果抜群です(笑)

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 あとは懐かしいウィーンフィルの面々。
そして、年齢層高めな国立歌劇場の合唱団の皆様(笑)。
女性陣の髪型は、この時代ならではで、カーリーヘアとかソバージュみたいなヘアスタイルがみられて、なんだか懐かしくもあり。
そして、日本はこの頃はバブルの真っただ中でございました。

いまでは、いろんな指揮者が取り上げるミサ曲6番ですが、アバドが録音した頃は、まだそんなにメジャー作品ではなかったです。
確か、記憶では、ジョルダン&スイス・ロマンドも同時期に発売され、珍しい曲が同時に、なんて話題になった記憶があります。

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アバドの旅立ちの日に、すてきなシューベルトをじっくりと聴きました。
あらためて、クラウディオ・アバドは素晴らしい指揮者です♬

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コメント

私も同じCD聞いてました!
20日にあわせて、ウィーンフィルで80年代後半位の頃のと思っていたので、直近にヴェルレク、シューベルトのミサ曲第6番、シューベルト繋がりでヨーロッパ室内管弦楽団、オッター、クヴァストホフ2002年録音のシューベルトの大作曲家編曲の歌曲集を手に入れました。シューベルト、意外と手に入れるのが大変でなかなか買えなく、ヤフオクの1円スタートのとき見つけて、意地で落としましたw
30件入札で400円でしたけどww
ウィーン国立歌劇場の頃のアバドが聞きたかったんです。
ベルリンに来る前のアバドが知りたかったので。変遷として聞きたかった。
悪いわけないですよね。私のよく知ってるウィーンフィルの音で、期待通りのシューベルトです。実は恥ずかしながら、この曲初めて聞きます。ミサ曲なのに開放感があるというか、充足感が得られるというか、
不安をかき消してくれるような曲ですね。ってこれはアバドだからこそなせる技?なんですかね?もっとよく聴き込みたいですね。何回も。
聞くたびに発見があるのでアバドの奥深さの凄さに驚くばかりです。ヴェルレクも3種揃ってしまいました。どれも捨てがたいです。カレーラス好きだったので、今はウィーンフィルを、押しておきます(◍•ᴗ•◍)
歌曲集もお気に入りになりそうです。ベルリン時代に子どもの不思議な角笛をこの二人で録音したのも好きですし。
いまさら?ファンで、人生半分損したかな、なんて思ってはいますけど、クラウディオアバドの奏でる音楽に接することができて良かったと思います。ちょっと出遅れましたけど。
だって、いろいろあったとしても、アバドの音楽は普遍で、必ずわたしの気持ちに寄り添って頭を上げる勇気をくれるんですもの。
偉大なりアバド!
ごめんなさい長くなりました。
でも改めて、そう思う1月20日でした。

投稿: にょろふきん | 2021年1月22日 (金) 20時21分

どうでもいい話です。
アバドの、ラストイヤーっていう5枚組のDVD.10年以降のルツェルンや、ザルツブルクでのあれですが、アマゾンで探すと、“あなたは18歳以上ですか?”
って出てきます??
はい、で当然見れますが、カテゴリーがアダルトでした(⑉⊙ȏ⊙)
なぜ??www

投稿: にょろふきん | 2021年1月23日 (土) 16時13分

にょろふきんさん、こんにちは。
ウィーン時代のアバドもよかったです。
すべてが柔和な感じで、指揮者もオケもみんなニコニコしてた印象があります。
ただ、いつもメンバーが変わってしまうオペラの方のオケには不満を持っていたようで、そのあたりから決裂の綻びが出てしまったのは残念でなりません。
でも、こうして素敵な音源や映像がたくさん残されていて、われわれファンには今でも大きな喜びですね。
 このミサ曲、ほんと優しくて、そして深い音楽だと思います。

そして、なんですと!
ということで、わたしもamazon見に行きましたが、確かに謎のadultですね。
abbadoが、変換違いになっちまったんでしょうか・・・・

投稿: yokochan | 2021年1月23日 (土) 17時05分

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