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2021年4月

2021年4月 8日 (木)

アンサンブル ラディアント 第21回定期演奏会

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地元での演奏会、神奈川県二宮町を拠点とする弦楽アンサンブル、ラディアントの演奏会に行ってきました。

家から徒歩数分で味わえる、素晴らしい音楽、何もないけど、そこが魅力の郷里で、それを噛みしめるように楽しめた2時間でした。

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吾妻山の中腹から見た町の様子。

左端にあるのが、町の生涯学習センター「ラディアン」です。

隣接して「花の丘公園」や、ちょっとした小山もあって、家族でも楽しめるエリアです。

法務局もできましたが、ここ一帯は、かつて、神奈川県の園芸試験場でして、広大な農園と2階建てぐらいの試験場建物がありました。

家がこの試験場に、それこそ隣接していて、そもそも出入りはフリーだったので、小・中学校時代の自分にとって、恰好の遊び場でした。
真っ直ぐの舗装された通路は、自転車の練習にもうってつけで、補助輪を外したのもここだし、猛スピードで友達とレースをしたのもここ。
さらに、建物の横には、当時、町内では珍しかった、コカ・コーラの自販機があって、瓶のコカ・コーラを毎日夢中になって飲んだもんです。
あとね、果実の研究もメインでもあったようで、眼前に広がる桃の畑は見事で、春先には、ピンク色の花が鮮やかに咲き乱れるのでした。

こうして昔のことなら、いくらでもすらすら思い出せます(笑)

若い方が、たくさん移住してきて町も新しい風が吹いてますが、こんな昔のことも知って欲しいな、と思う自分です。

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  第21回 アンサンブル ラディアント定期演奏会

       ~弦楽アンサンブルの極み~

  ラター    弦楽のための組曲

  ポッパー   3台のチェロと弦楽のためのレクイエム op.66

      チェロ:安田 謙一郎、藤村 俊介、白井 彩

  シューベルト 弦楽五重奏曲 ハ長調 D956 ~弦楽合奏版~

      アンサンブル ラディアント

      ゲストコンサートマスター:白井 篤
      賛助出演:松本 裕香  百武 由紀
           藤村 俊介  安田 謙一郎

      (2021.4.3 @ラディアンホール 二宮町)

1)英国音楽好きの自分にとって、その美しいレクイエムしか聴いたことのなかったジョン・ラターの弦楽作品を、ここ二宮で聴けるとは思わなかった。
英国民謡をベースに、①「流浪」②「私の青い縁どりのボンネット」③「オー・ウェリー・ウェリー」④「アイロンをかけまくる」。
4曲に、おしゃれなタイトル。アイロンかけまくる、って(笑)
そして、いずれも可愛くって、親しみやすくって、愛らしい曲でした。
現代の作曲家でありながら、保守的な作風で、英国の抒情派の流れをしっかり汲んだラターの音楽でした。
活きのいい1曲目で、ラディアントのアンサンブルもすぐに乗りを得て、聴き手もみんな音楽に入りこむことができた感じです。
ステキだったのが白井さんのソロも含む2曲目で、英国音楽ならではの背景描写も心和むものでした。
同じくメロディアスなソロに始まる3曲目も郷愁さそうもので、涙が出そうになりましたね、いつまでも浸っていたい音楽です。
オスティナート風のくり返しのパターンが楽しいアイロンかけるぞ、の4曲目は、みなさん楽しそうに演奏してました。

今回の3演目のなかで、このラターの作品、いちばん二宮町に相応しい音楽に思います。
慎ましい英国音楽がちょうどいい町。

2)ポッパーのレクイエムも初めて聴く曲。
チェロ3挺がソリストとして、前面に並ぶと壮観ですが、奏でられた音楽は荘重かつ悲しみにあふれた音楽でした。
でもメロディが豊かで、嘆き節というよりは、亡き人を優しく包み込むような、そんな癒しの音楽にもとれました。
いい曲ですね、ご紹介ありがとうございます。
重鎮、安田さんの味わい深い音色、藤村さんのチームを締めるような安定感、白井さんの艶のある音、それぞれに聴きものでした。

MCもつとめられたゲストコンマスの白井さんが、コロナ対策で通気をよくするために、舞台左右の反射板を外して、かわりに幕を設置した。
しかし、これでは音がデッドになりすぎるので、ステージマネージャーの松島さんが7キロもある鉄板を何枚も用意して奏者の足元に敷いたとご案内されました。
これによりかなりの音質改善がなされたはずだとのことです。
確かに、ステージ自体、そのものが弦楽器の胴みたいに響いて鳴ったのかな、とか思いました。

3)「次は長いです」白井さんが(この日、ステージには白井さんが5人)、これだけは言っておいて欲しいと言われたので、ということでお話しされ、場内は笑いに包まれました。
確かに、シューベルト、ことに晩年の様式による作品は長いです。
でも、われわれ聴き手は頑張って聴きました、名作を堪能しました。
 ビオラでなくて、チェロを2挺としたシューベルトの五重奏曲は、重厚さがそれだけでもあるが、ここではオリジナルの5人の奏者をソロのように仕立て、弦楽合奏をそこに配し、さらに低弦にコントラバスも追加したもので、白井さんが言われてましたが、コンチェルト・グロッソのような構えの作品となりました。
これが実に面白かった。
ときおり、通常の5人によるオリジナル演奏が入り、また、それを伴奏するかのように弦楽合奏が入り、さらには5つの楽器と合奏がユニゾンで、という感じで飽きることなく目も耳も楽しめました。
シューベルトの音楽には歌があふれていると同時に、死というイメージが影のようにつきまとっていることをいつも聴きながら思うのですが、ここでもそれは感じました。
大きな編成である意味シンフォニックに演奏されたので、よけいにドラマテックになりました。
そしてあのどこまでも美しい第2楽章は、まさに天国的ともいえるうつくしさと儚さを感じた。
こんな素晴らしいシューベルトを、実家の近くで聴けるなんて、アンサンブル・ラディアンとソリストの皆さまたちに感謝、感謝です。

アンコールは、楚々たるシューベルトのセレナーデが演奏されました。

来年も楽しみにしております🎵

ラディアン花の写真館

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満開の桜、逆光ですが奥がラディアン。

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かぐわしい香りがしてたライラック。

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もう咲き終えてしまったけど桃の花。

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初秋の収穫が楽しみな梨の花。

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翌朝は、ラディアン朝市にも行ってきましたよ。

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2021年4月 4日 (日)

バッハ カンタータ リヒター&鈴木雅明

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桜前線北上中。

わたしの住む関東はもうおしまい。

例年なら、イースターのころ合いに満開を迎える日本の桜です。

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今年の復活祭は、4月4日。

復活節にまつわるバッハのカンタータをふたつ、往年の演奏と今現在のものとで。

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 バッハ カンタータ第4番 BWV4

    「キリストは死の縄目につながれたり」

   Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
            ミュンヘン・バッハ合唱団

      (1968.7 @ヘラクレス・ザール、ミュンヘン)

復活節日曜日(第1祝日)用
200曲あるバッハの教会カンタータは、聖書と密接に結びつく礼拝に伴うカンターであり、その語句は、聖書はおろか、キリスト教に馴染みのない多くの日本人には、身近な存在とはいえないだろう。
 しかし、バッハの音楽は、そのハンディのようなものを補ってあまりあるもので、汲めどもつきぬ味わいと楽しみがあると思う。
かくいうワタクシは、ほんのさわりだけしか聴いてはいませんので、偉そうなことはいえません。

ライプチヒのトーマス教会カントルの時代に書かれたのが、バッハの教会カンタータの全盛期ですが、そのずっと前、ミュールハウゼン時代からカンタータの創作を始め、「キリストは死の縄目につながれたり」はこの時期のもので、バッハ22歳の頃のもので若い時分の作品です。

若い作曲家にたがわず、実に重々しく充実した内容のカンタータ。
悲劇臭極まりない冒頭シンフォニアに始まり、ルターのコラールを全編に採用し、それを変奏したものを続けるという構成。
前半は「死」という言葉が文字通りに横溢し、後半は生命と死、過越しの子羊に十字架、さらに明るき光明、信仰の生命、ハレルヤと続く。
暗から明、信仰への清き思いという礼拝につながるバッハのカンタータの姿が、若い作品のここにもしっかりある重厚な音楽です。

リヒターの厳しい眼差しを伴った指揮は、ここカンタータでも、マタイやミサ曲の演奏と同じく。
峻厳なバッハには、かねてより襟を正さざるをえませんし、そうした聴き方をずっとしてきた自分。
高校時代からリヒターのバッハを聴いてきて、いつも同じ思いです。
フィッシャー=ディースカウの独唱も、リヒターとバッハをともにするときは、歌いすぎず、巧さもほどほどに、堅実な歌に徹します。
バッハの演奏スタイルは、古楽・古典のそれと合わせて大きく変化して、それぞれが共存している現在、リヒターのバッハにはドイツ音楽としてのバッハを感じさせる気がする。
それもかねての良きドイツ。

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 コロナ緊急事態中は、手水は水を張らずに無味乾燥な存在でしたが、こうして桜を反映させる今、美しいです。

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 バッハ カンタータ第146番 BWV146

  「我らは多くの苦難を経て神の国に入るべし」

   S:レイチェル・ニコルズ
   CT:ロビン・ブレイズ
   T:ゲルト・テュルク
   B:ピーター・コーイ

 鈴木 雅明 指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
       
    (2008.9.18~22 @神戸松蔭女子学院大学チャペル)

復活節:復活後第3日曜日

ライプチヒ時代、1726~28年の作品で、41~43歳の充実期。
バッハお得意の自作からの引用を冒頭の大きなシンフォニアからいきなり大胆に行ってます。
チェンバロ協奏曲ニ短調 BWV1052からのもので、チェンバロはオルガンにまんま代用されていて、鮮やかなオルガン協奏曲みたい。
次ぐ第2節の合唱も、同じ協奏曲の2楽章からのものです。
ちょっとドラマチックでもあるこのシンフォニアに、礼拝に訪れた信仰の深い聴き手は、ワクワク感と幸福感に冒頭から満たされ引き込まれたことでしょう。
ここでも、暗から明、苦しみから信仰の喜びという流れがこのカンタータでも構成の基本です。
4人のソロがそれぞれに活躍する規模の大きなカンタータでもあります。
第3曲でのオルガンソロでのアルトはふるえる心と、苦しみから抜け出そうとする高揚する面持ちが歌われる。
つぎのソプラノによるレシタティーボは、福音を語りますが、ヨハネ伝16章20節「よくよくあなた方に言っておく。あなた方は泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう」
次ぐ同じソプラノのアリアが美しく素晴らしいと思う。
フルートとオーボエダモーレを伴った落ち着いた雰囲気を伴いつつ、悲しみとともに、種を蒔き、やがて訪れる刈り取りの収穫へと楚々と思いをはせるアリアであります。ここでのニコルズの無垢の歌唱がよい。
やがて、テノールとバスによる喜びにあふれた二重唱は、これまた礼拝堂に集う信仰者の気持ちを高め、明るい思いに満たしたことでしょう。
リズム感あふれるオケに乗って、屈託のない歌は気持ちのいいものです。

今ではすっかりスタンダードになった日本の演奏家によるバッハが、世界でもバッハ演奏の最高のもののひとつとして受け入れられる時代が来ようとは、リヒターのバッハを金科玉条のように思っていた若い時分の私には想像もつきませんでした。
永年の経験と深い探求に裏打ちされたこの精緻なバッハは、繊細で清潔であり、しなやかです。
リヒターのバッハのあとに、鈴木バッハを聴くと、リヒターに聴かれる強烈なバッハへの帰依ともいえるような強靭さのようなものは感じられず、そのかわり、優しく柔和、でも細やかな思いが行き届いているバッハに感じられる。
こんなこと言うと変ですが、農耕民族である日本人のバッハみたいに思いますがいかに。

半世紀の隔たりがあるバッハ演奏。

でもどちらもバッハ。

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