クリスタ・ルートヴィヒを偲んで
メゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒさんが亡くなりました。
2021年4月24日、オーストリアのウィーンの北方にある、クロスターノイベルクの自宅にて逝去。
享年93歳でした。
ベルリン生まれ、戦後から歌手活動を開始し、次々に大きな劇場へと活動の場を広げ、それは時の名指揮者たちの後押しが常にありました。
メゾ・ソプラノという主役級のあまり多くない声域で、ルートヴィッヒのように長く、広大なレパートリーと、そして膨大なレコーディングを残した歌手はほかに見当たりません!
でも、50年近く現役を続け、大きな実績をあげているのに、偉大な歌手という肩書きというより、親しみのあるおなじみの歌手、というフレーズの方が似合うのが、クリスタ・ルートヴィヒさんでした。
今回の訃報を受けて、手持ちの音源をあれこれ探そうとおもったら、もう、あることあること。
ともかく、いろんな音盤にルートヴィッヒの名前がある。
たくさん、たくさん聴いてました。
リートの方もありますが、やはりルートヴィッヒはオペラ。
しかし、わたしの初ルートヴィッヒ聴きは、カラヤンの第9です。
小学生のときに観たカラヤンの第9の映画で、いまはなくなってしまった、新宿の厚生年金会館での上映です。
すぐさま、レコードも買いましたよ。
しかし、ルートヴィッヒじゃなかった。
可愛い美人って感じで、ちょうど母と同じぐらいな年齢なものだから、親しみと憧れがあったのかもしれません。
初めてのルートヴィッヒは、ベームのトリスタンでのブランゲーネ。
ここでの歌唱が、ブランゲーネ役のほぼ刷り込みです。
数年後のカラヤン盤も同じく、1幕の毅然とした役作りと、2幕での官能シーンの一役を買うような甘き警告、もうルートヴィッヒ以外は実はわたくし考えられないのでした。。。
クンドリーもルートヴィッヒならではの、多面的な役柄掘り下げのうまさが出た役柄。
聖と邪、1幕と2幕で巧みな歌唱。
そして、カラヤンのリングでは、黄昏でのヴァルトラウテが完璧で、ルートヴィッヒによってカラヤンのリングの大団円が引き締まった。
ヤノヴィッツとのスーパーコンビ。
そうカラヤンの第9映画もこのふたり。
ヤノヴィッツはルートヴィッヒより10歳お若いけど、硬質なヤノヴィッツ声と暖かなルートヴィッヒの声とが巧みに融合するさまは、モーツァルトの愉悦にもぴたりでした。
ベームのコジ・ファン・トゥッテの映画はお宝です。
R・シュトラウスの数々のオペラもルートヴィッヒなくしてはなりたちません。
影のない女での、バラクの妻は、ドラマテックな声を要求される難役だけど、それを難なく歌うルートヴィッヒ。
しかも、実際の夫であった、ヴァルター・ベリーとの共演はまさに適役。
カラヤン盤は、実はその指揮にももっと多くを求めたいが、ベームのザルツブルク音楽祭でライブCDがルートヴィッヒでなかったことが残念です。
手持ちのカセットテープから起こしたルートヴィッヒの出演した年の音盤は最高です!
バーンスタインのもとでマルシャリンを歌ったルートヴィッヒ。
ここでもベリーとの夫婦共演。
豊かな音域で歌うと、諦念感もより出て夫ある身である、そんな存在感も出てました。
こう言っちゃなんですが、人妻感あるお隣の美しい奥さんって感じ。
ルートヴィッヒの声を愛した大指揮者のひとり、クレンペラーとの共演。
ブラームスの「アルト・ラプソディ」、ワーグナーの「ヴェーゼンドンク」、マーラーの「リュッケルト」、おおよそこれらの作品に対する模範解答の歌唱がここに刻まれてます。
録音が今となっては古いですが、そのせいもあって、ルートヴィッヒの歌唱がいくぶん古いスタイルに受け取れる方もいるかもしれません。
でも、ここに聴く極めて正しきドイツ語のディクションと、少しの揺れも伴いつつ、その言葉に乗せたのっぴきならない感情表現は、昨今のオールマイティーな耳当たりのいい歌唱とは一線を画してます。
指揮者ともども、背筋を伸ばしたくなるような、そんな1枚です。
ルートヴィヒを偲んで、次はこれで。
マーラーの「大地の歌」
この作品も、ルートヴィッヒの声と、わたくしには一心同体と化しています。
初めての「大地の歌」がバーンスタイン盤。
こえを何度も、擦り切れるぐらいに聴き、対訳も諳んじるぐらいに読み込んだ。
以来、別れの寂しさと、次ぎ来る春の明るさの予見をルートヴィッヒの声にこそ感じるまでに聴きこんだ。
カラヤン盤はCD時代になってから聴いたが、FMでのライブは73年に録音して親しんだ。
曲が静かに終えると、絶妙のタイミングで見事なブラボーが一言、すてきなシーンだった。
遡るようにしてクレンペラー盤を聴いたのは、ほんの10年前のこと。
バーンスタインの強引な指揮に、ストップを繰り返しつつ、やがて合わせていくシーンが動画として残されています。
振幅の大きい、個性の強いバーンスタインのやりたい音楽にもルートヴィッヒは的確だった。
カラヤン盤では、ビューティフルなマーラーをカラヤンの好みに合わせて紡ぎだしている。
いまの世の中では、このカラヤン盤が一番高評価を受けるかも。
クレンペラー盤では、孤高の指揮者と一体化して、感情表現は抑え目に、楽譜のみを読み取った冷静でありながら深い情感と枯淡の境地をも感じさせる歌。
このように、クレンペラー、ベーム、カラヤン、バーンスタインに愛され、彼らの望む音楽に完璧に沿いながらも、その持ち味である暖かみと親しみやすさを失わなかったルートヴィッヒの知的な歌の数々。
Ewig・・・・Ewig 永遠に・・・
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