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2021年4月 4日 (日)

バッハ カンタータ リヒター&鈴木雅明

Zoujyouji-c

桜前線北上中。

わたしの住む関東はもうおしまい。

例年なら、イースターのころ合いに満開を迎える日本の桜です。

Zoujyouji-d

今年の復活祭は、4月4日。

復活節にまつわるバッハのカンタータをふたつ、往年の演奏と今現在のものとで。

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 バッハ カンタータ第4番 BWV4

    「キリストは死の縄目につながれたり」

   Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
            ミュンヘン・バッハ合唱団

      (1968.7 @ヘラクレス・ザール、ミュンヘン)

復活節日曜日(第1祝日)用
200曲あるバッハの教会カンタータは、聖書と密接に結びつく礼拝に伴うカンターであり、その語句は、聖書はおろか、キリスト教に馴染みのない多くの日本人には、身近な存在とはいえないだろう。
 しかし、バッハの音楽は、そのハンディのようなものを補ってあまりあるもので、汲めどもつきぬ味わいと楽しみがあると思う。
かくいうワタクシは、ほんのさわりだけしか聴いてはいませんので、偉そうなことはいえません。

ライプチヒのトーマス教会カントルの時代に書かれたのが、バッハの教会カンタータの全盛期ですが、そのずっと前、ミュールハウゼン時代からカンタータの創作を始め、「キリストは死の縄目につながれたり」はこの時期のもので、バッハ22歳の頃のもので若い時分の作品です。

若い作曲家にたがわず、実に重々しく充実した内容のカンタータ。
悲劇臭極まりない冒頭シンフォニアに始まり、ルターのコラールを全編に採用し、それを変奏したものを続けるという構成。
前半は「死」という言葉が文字通りに横溢し、後半は生命と死、過越しの子羊に十字架、さらに明るき光明、信仰の生命、ハレルヤと続く。
暗から明、信仰への清き思いという礼拝につながるバッハのカンタータの姿が、若い作品のここにもしっかりある重厚な音楽です。

リヒターの厳しい眼差しを伴った指揮は、ここカンタータでも、マタイやミサ曲の演奏と同じく。
峻厳なバッハには、かねてより襟を正さざるをえませんし、そうした聴き方をずっとしてきた自分。
高校時代からリヒターのバッハを聴いてきて、いつも同じ思いです。
フィッシャー=ディースカウの独唱も、リヒターとバッハをともにするときは、歌いすぎず、巧さもほどほどに、堅実な歌に徹します。
バッハの演奏スタイルは、古楽・古典のそれと合わせて大きく変化して、それぞれが共存している現在、リヒターのバッハにはドイツ音楽としてのバッハを感じさせる気がする。
それもかねての良きドイツ。

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 コロナ緊急事態中は、手水は水を張らずに無味乾燥な存在でしたが、こうして桜を反映させる今、美しいです。

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 バッハ カンタータ第146番 BWV146

  「我らは多くの苦難を経て神の国に入るべし」

   S:レイチェル・ニコルズ
   CT:ロビン・ブレイズ
   T:ゲルト・テュルク
   B:ピーター・コーイ

 鈴木 雅明 指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
       
    (2008.9.18~22 @神戸松蔭女子学院大学チャペル)

復活節:復活後第3日曜日

ライプチヒ時代、1726~28年の作品で、41~43歳の充実期。
バッハお得意の自作からの引用を冒頭の大きなシンフォニアからいきなり大胆に行ってます。
チェンバロ協奏曲ニ短調 BWV1052からのもので、チェンバロはオルガンにまんま代用されていて、鮮やかなオルガン協奏曲みたい。
次ぐ第2節の合唱も、同じ協奏曲の2楽章からのものです。
ちょっとドラマチックでもあるこのシンフォニアに、礼拝に訪れた信仰の深い聴き手は、ワクワク感と幸福感に冒頭から満たされ引き込まれたことでしょう。
ここでも、暗から明、苦しみから信仰の喜びという流れがこのカンタータでも構成の基本です。
4人のソロがそれぞれに活躍する規模の大きなカンタータでもあります。
第3曲でのオルガンソロでのアルトはふるえる心と、苦しみから抜け出そうとする高揚する面持ちが歌われる。
つぎのソプラノによるレシタティーボは、福音を語りますが、ヨハネ伝16章20節「よくよくあなた方に言っておく。あなた方は泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう」
次ぐ同じソプラノのアリアが美しく素晴らしいと思う。
フルートとオーボエダモーレを伴った落ち着いた雰囲気を伴いつつ、悲しみとともに、種を蒔き、やがて訪れる刈り取りの収穫へと楚々と思いをはせるアリアであります。ここでのニコルズの無垢の歌唱がよい。
やがて、テノールとバスによる喜びにあふれた二重唱は、これまた礼拝堂に集う信仰者の気持ちを高め、明るい思いに満たしたことでしょう。
リズム感あふれるオケに乗って、屈託のない歌は気持ちのいいものです。

今ではすっかりスタンダードになった日本の演奏家によるバッハが、世界でもバッハ演奏の最高のもののひとつとして受け入れられる時代が来ようとは、リヒターのバッハを金科玉条のように思っていた若い時分の私には想像もつきませんでした。
永年の経験と深い探求に裏打ちされたこの精緻なバッハは、繊細で清潔であり、しなやかです。
リヒターのバッハのあとに、鈴木バッハを聴くと、リヒターに聴かれる強烈なバッハへの帰依ともいえるような強靭さのようなものは感じられず、そのかわり、優しく柔和、でも細やかな思いが行き届いているバッハに感じられる。
こんなこと言うと変ですが、農耕民族である日本人のバッハみたいに思いますがいかに。

半世紀の隔たりがあるバッハ演奏。

でもどちらもバッハ。

Zoujyouji-f

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コメント

先般の入院の折、延期になった手術が2月15日に決まったのですが、その日は母方の祖母の祥月命日(!)、また当日朝にWikiを見たらカール・リヒターのやはり没日で。朝からハープシコードのゴールドベルクを聴いてたのですが、待機時間が延びたので腹をくくってユニテルの映像版マタイを観始めました。第2部ペテロの否認あたりでお呼びがかかり、手術室に向かいました。従ってそこで中断したままです。

また近所で行きつけだった寿司屋がプロモーターJ.A.の社長がご贔屓だった関係で内外の演奏家諸氏が良く来店しており、鈴木氏父子もしばしばだったと。生憎一度もお見かけしませんでしたが。親方独りで切り盛りしている小体な店でしたが、5年ほど前に身体を悪くし閉業しました…。

投稿: Edipo Re | 2021年4月 5日 (月) 09時44分

復活祭に因んだものからは外れますが、聖金曜日にパルジファルを聴いていました。その日はシノーポリのバイロイト映像をはYouTubeで配信してる方がいたした。自分は1番最後をショルティ指揮で、最初から第3幕のアンフォルタスの俺を殺してくれ、までケーゲル指揮で聴いていました。生活保護以下の生活で鬱もピークで復活祭の日は何も聴かず、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスからクレドとアニュス・デイを4月2日に聴いていましたが、それとベネディクトゥスを復活祭の日に聴きたかったですね、鬱でなければ。

投稿: Kasshini | 2021年4月 6日 (火) 05時27分

Edipo Reさん、こんにちは。
リヒターの早すぎる訃報は、当時、ほんとに驚きでした。
映像版のマタイ、NHKの放送でかつて見ました。
天井にある大きな十字架が印象的でしたし、旧CDからすると歌手はまったく刷新されましたね。
続きは、ユリア・ハマりによるアリアでしょうか。
心安く、再開できますように。

鈴木親子寿司屋、気になりますが、閉業ですか・・・
そして個人のお店は、昨年来閉店が連続し、日本の食文化も壊されてしまったように思い、あの国に憤りをいまさら感じます!

投稿: yokochan | 2021年4月 7日 (水) 08時49分

Kasshini さん、こんにちは。
聖金曜日は、やはりパルジファルですね。
私はアバドのライブをつまみ聴きでした。
そしてお辛い状況、お察しもうしあげます。
わたくしも艱難相次ぐ日々を乗り越え、そしてまた座礁し、その連続です。
休まる日はなけれども、音楽だけが救いです。。。
あと、自然風物に癒されます。

投稿: yokochan | 2021年4月 7日 (水) 08時55分

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