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2021年5月22日 (土)

ワーグナー ヴェーゼンドンク、ジークフリート牧歌   ダウスゴー指揮

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京都の圓徳院のお庭。

昨年の晩秋に続いて、新緑の季節に行ってまいりました。

娘の結婚式でした。

病禍で延び延びになり、さらに予定日も緊急事態宣言の延長となりましたが、当人たち・両家でやりましょうということに。

静かで、人の少ない京都、しかも貸し切りなので誰一人いない家族だけのお式。

いま思っても涙が出るほどに美しく、心温まるお式で、ひとりの親として生涯忘れえぬものとなりました。

Entokuin-04

昨秋は、真っ赤に染まった庭園が、麗しい緑につつまれました。

Wagner-dausgaard-1

 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲(初稿版)

       「ヴェーゼンドンク歌曲集」

       「さまよえるオランダ人」序曲(最終版)

       「ジークフリート牧歌」

       「夢」~ヴェーゼンドンク歌曲集より、ヴァイオリン独奏版

       「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

      S:ニーナ・シュテンメ

      Vn:カタリナ・アンドレアソン

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

            (2012.5,6,8 @エーレブルー・コンサートホール)

デンマーク出身の指揮者ダウスゴーによるワーグナー。
しかも室内オーケストラ。
ダウスゴーは現在、BBCスコテッシュ響とシアトル響のふたつのオーケストラの指揮者ですが、2019年までスウェーデン室内管の音楽監督を22年間つとめ、たくさんの録音を残しました。

そのダウスゴー、プログラム作りがユニークで、実によく考えたられた組み合わせを毎回提供してくれる。
数年前のpromsでも、シベリウスの5番の初稿版と、フィンランド民族音楽をからませた演奏会でネット視聴民であるワタクシをうならせたものです。

先ごろようやく入手したワーグナー作品集もユニーク。
一見、まとまりのない選曲に思えますが、よくよく考えながら聴くと、一本筋が通ってる。

「オランダ人」の序曲の初稿版は、1941年の完成で、全曲はその翌年。
序曲の終結部には、救済の動機はなく、呪われしオランダ人の主題で終了となり、通常の序曲集や全曲盤の多くで聴かれる結末と違い、悲劇臭が増してます。
そのあたりを意識したかのようなダウスゴーの指揮は、荒削りな側面をよく引き出していて、しかも軽快さをも感じさせ、マルシュナーの影響も受けた若きワーグナーの作品であることが実によくわかります。

続く、シュテンメのソロによるヴェーゼンドンク歌曲集は、1857年の作品。
いうまでもなく、マティルデ・ヴェーゼンドンクとの恋愛がもたらした作品で、トリスタンとイゾルデ(1857~1859)と同時期に書かれ、同じモティーフも流れ、トリスタン的なムードが横溢する作品。
シュテンメは力ある声を抑えぎみに、とても丁寧に、音に言葉の意味合いを乗せながらイゾルデ歌手としての実力もあわせて表出している。
同じスウェーデンの大先輩、ニルソンの持つ大らかさも、シュテンメは持ち合わせていて、「夢」など、広大な夢のなかに漂うな雰囲気を味わえました。
 そしてダウスゴーの指揮するスウェーデン室内管がうまい。
ワーグナー自身のオケ編ではないが、室内オケの強みは、透き通るとうな透明感と、新ウィーン楽派に通じるような怪しくも厳しく、透徹したサウンドに酔いしれる。
これは、すばらしいヴェーゼンドンクリーダーだと思う。

次は、ふたたび「オランダ人」序曲。
1860年にパリでの演奏会に際して、この序曲の終結部に21小節分を挿入し、さらにあらたに終曲として23小節分を作曲しなおした。
これがいまにもっぱら聴かれる序曲で、ヴェーゼンドンクを挟んで新旧を聴いてみると、1分あまり長くなったのは当然としても、ハープの導入で、音が豊かに、そしてロマンティックになり、さらには救済の夢見心地な雰囲気はトリスタン的であるとも思えた。
室内オケでの、透明感あふれるワーグナーは素敵なものだ。

そのあとにくる「ジークフリート牧歌」は、1870年のワーグナーの幸せ満ち溢れた時期の作品。
いうまでもなく、コジマの誕生日兼クリスマスのプレゼントで演奏された回廊の音楽。
速めのテンポで、すっきりと見通しよく演奏されてます。
オリジナルの各奏者1人でなく、オーケストラ版だけど、そこはこのコンビ、音が透けてみえるくらいに磨き上げられているし、慈しむような愛情あふれる演奏ではなく、サラッとしたこだわりの少ないスッキリ演奏で、これはこれでとても音楽的だし、夾雑物の一切ない蒸留水みたいで新鮮すぎ。

コジマを音楽で喜ばせた以前、マティルデ・ヴェーゼンドンクにも、ワーグナーは音楽のプレゼントをしました。
歌曲集から、5曲目の「夢」を管弦楽版に編曲(1857年)。
ここでは、ヴァイオリンソロを伴った版で録音されました。
これがまたムーディでありながら、どこか北欧風の小品のようにもなって聴こえましたのも、ヴァイオリンソロだからでしょうか。
歌曲集ではトリスタン色が強かったが、ここでは明るく、幸福感が漂うかのようで。

そして、最後にハ調の「マイスタージンガー」(1867年)がトリをつとめます。
ここにマイスタージンガーが来る必然性は、この明るい和音ではないかと。
室内オケで聴くマイスタージンガーは初めて。
軽やかで、重厚さなんてこれっぽちもないし、ダウスゴー流の快速テンポで、どんどん進む。
低回感なく、さらりとしたワーグナーだけど、各フレーズはしっかり浮き出てきて、しかもよく歌ってるし、その歌たちが実に心地よい。
半世紀以上もワーグナーを聴いてきて、こんなに面白いワーグナーは久しぶり。
エンディングも楽劇のオリジナルどおりに、礼拝堂の合唱に入る直前で、スパっと終わる心地よさ。
わたしには、これもまたあり、もともと巨大なワーグナーのオーケストラだけど、こんな風に、カジュアルに、嫌味なく演奏するのって実は難しいことなのだと思います。
また、これからの時代、大編成オケをピットに密集させるのも難しい局面を迎えました。
先だっての新国のワルキューレがそうだったように、ワーグナーも規模を落として上演するのもありかと。
トリスタンや、パルジファルなどは、そんな上演様式が十分可能ではないかと思います。

ダウスゴー、お気に入りの指揮者です。
次々にその音源を入手中。
マーラーと、ランゴー、チャイコフスキー、ブルックナー、シュトラウスなどを今後予定してます。

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式の準備の間、男性はやることもなく、この歴史的な空間に、ワタクシと息子のふたりだけで10数分。

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秀吉の死後、北政所は、亡夫との思い出深い伏見城の化粧殿と前庭をこの地に移築して、終焉の地としました。

北庭は、ほぼ設営当時のままとされ、開け放った間と庭は、時間が止まったかのような静謐な空間を体感できます。

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丸窓の外の緑も美しい。

Entoku-06

昨年は、このような感じでした。

ともかく秋も初夏も美しいのですが、人気の場所なのでこんな光景になります。

ご住職のお話しを承りましたが、初夏の緑をこそ味わっていただきたいとのことでした。

娘よありがとう、そして幸せに。

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コメント

ご無沙汰しております。この度はお嬢様のご結婚、おめでとうございます。私はyokochan様のようには人間ができておらず、同じ場面を迎えた時にどうなるのか、今から本当に不安です。娘命の親バカまっしぐらなのです。妻には「式の当日にあたる(脳出血)んじゃないの」と言われています。式場の景色を私は楽しめるのだろうか。ヴェーゼンドンクとか思い浮かぶのだろうか。取り乱して不測の事態を引き起こしはしないだろうか。全く自信がありません。いい加減、子供離れをしなければと思っています。鎮静剤にリヒテルの平均律を聴くことにします。

投稿: モナコ命 | 2021年6月11日 (金) 17時10分

すみません。名前の欄と内容の欄を混乱してしまいました。今からこの調子では、、、

投稿: モナコ命 | 2021年6月11日 (金) 17時13分

モナコ命さん、こんにちは。
こちらこそ、ご無沙汰をしております。
ご丁寧なるお祝いのお言葉、ありがとうございます。
パパっ子だった娘、ずっと仲がよかったですし、一緒に居酒屋に行けるようになったときの喜びたるやもう~
 しかし、存外に冷静で、落ち着いて式を楽しめた自分でした。
でもね、あとからじわじわくるんですよ。
さびしーーー

モナコ命さんも、この感覚、是非楽しんで、寂しんでくださいませ。
平均率とか、ゴールドベルクとか、たしかに鎮静剤になりますね。

わたしは、ワーグナーとディーリアスでした。
ダウスゴー指揮はさわやかで、さっぱりした演奏で心境にぴったりです。

投稿: yokochan | 2021年6月14日 (月) 08時12分

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