ケルテス指揮 ウィーンフィル
とてもすがすがしい1枚が撮れました。
休日の公園のひとこま、奥に東京タワー、品川です。
この公園の奥には、すてきなバラ園がありました。
黄色いバラ、好きです。
モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K550
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1972.11 @ウィーン)
イシュトヴァン・ケルテスとウィーンフィルの懐かしき名演を取り上げます。
ケルテスのモーツァルトは定評あり、オペラやアリア集の録音もありますが、交響曲は6曲で、そのいずれもが爽やかで柔軟かつ、ゆったりとした気分にさせてくれる佳演であります。
25番もともに、短調の厳しさや寂しさは少なめで、音楽的に純なところがいいのです。
ケルテスは、1929年生まれで、1973年に43歳で亡くなってます。
よくよくご存じのとおり、イスラエルフィルに客演中、テルアヴィブの海岸で遊泳中に溺死してしまった。
いまもし、もしも存命だったら91歳。
ケルテスと同年生まれの現存の指揮者を調べてみますと。
ドホナーニと引退したハイティンクがいます。
そして1927生まれのブロムシュテットの元気な姿には、ほんとに感謝したいです。
亡くなってしまった、同年もしくは同世代指揮者は、プレヴィン、レーグナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、コシュラー、マゼール、クライバー、マズア、デイヴィス、ロジェストヴェンスキーと枚挙にいとまがありません。
アバドは1933年、小澤は1935年、メータは1936年。
こんな風に見てみてみると、ケルテスの世代の指揮者たちが、いかに充実していたかよくわかりますし、もしも、あの死がなければ、とほんとうに惜しい気持ちになります。
ベーム、カラヤン、バーンスタイン、ショルティなどの大巨匠世代の次の世代の指揮者たち。
当然のことに、70年代が始まる直前からクラシック音楽に目覚めて聴いてきた自分のような世代にとって、彼らの世代は、当時は次世代を担う若者指揮者とされ、自分が歳を経るとともに活躍の度合いを増して、世界の重要ポストにその名を占めるようになっていった様子をつぶさに見てました。
つくづく、自分も歳をとったものだと感慨深く思いますが・・・
シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1970.4 @ウィーン)
これぞ、理想的なシューベルトのひとつ、とも思われる歌心とやさしさにあふれた演奏。
CD初期のデッカから出た変なジャケットだけど、よく見ると悪くないww
ウィーンフィルと交響曲全集を録音してますが、なんとまだ未入手。
これを機会に揃えましょう。
やや劇的に傾いた7年前の録音の未完成と、愉悦感のある5番の対比が面白いが、モーツァルトの40番を愛したとされるシューベルト。
ト短調の3楽章がウィーンフィルの魅力的な音色もあいまって、軽やかかつ透明感も感じるのが素敵なところ。
60年代初めの、やや力こぶの入った指揮から、70年代、40歳になったケルテスが長足の進歩をしているのを感じた次第。
ハンガリーのブタペストに生まれ、まずはヴァイオリンから。
24歳で指揮者のキャリアをスタートさせ、ハンガリー国内で活躍、オペラも多く手掛けるが、国民が政府に立ち上がったことを契機に起きたソ連軍の侵攻~ハンガリー動乱で、西側に亡命。
アウグスブルク歌劇場の指揮者となり、すぐさま総監督に指名され、徐々に脚光を浴びるケルテス。
現代の指揮者たちと違い、劇場からたたき上げていくスタイルでした。
そして生まれるウィーンフィルとの出会いは、かの「新世界」の録音で、1960年。
ここから怒涛のキャリアアップが開始です。
ザルツブルク音楽祭、イッセルシュテットのいたハンブルク、アンセルメの健在だったスイス・ロマンド、カルベルトのバンベルクなどでも絶賛。
さらに、ロンドン響への客演も好評でドヴォルザークの録音が開始され、65年には首席指揮者に就任。
そのまえ、64年には、ケルン歌劇場の総監督にもなってます。
さらにバンベルク響の首席に。
活躍の場は、ケルンとバンベルクを中心にウィーンとロンドン。
そして、68年にロンドンを辞すると、アメリカでも活動開始し、シカゴではラヴィニア音楽祭を任されます。
こうしてみると、ハンガリーを出て、40歳まで怒涛の活躍と、ポスト就任の嵐、それからデッカがいかに推していたかがわかります。
ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1973.2 @ウィーン)
1972年から、モーツァルトとともに、ブラームスの交響曲の録音が始まりました。
ケルテスのみずみずしい音楽作りが一番味わえるのが3番の演奏ではないかと思います。
2楽章なんて、ずっと聴いていたい爽やかでありつつ、ロマンあふれる演奏で、ジャケットの背景にあるような新緑のなかで聴くようなすてきなブラームスに思いますね。
2番はこのときは録音されず、64年の演奏を再発するかたちで全集が完成しました。
73年3月の録音の直後、ケルテスの死が待っていたからです・・・・・
ハイドンの主題による変奏曲は、指揮者なしでウィーンフィルの団員のみで録音されたのも有名なおはなしです。
ケルテスの死の顛末は、今年1月に亡くなった岡村喬夫さんの著作「ヒゲのおたまじゃくし世界を泳ぐ」に詳細が書かれてますが未読です。
イスラエルフィルに客演中のケルテス、その演目のメインはハイドンの「ネルソンミサ」で、都合12回の演奏会が予定された。(CD化あり)
4回が終了したある日、泳ぐことが大好きだったケルテスは、歌手たちを誘って、ホテル前の海岸に海水浴に出ます。
歌手たちは、岡村さん、ルチア・ポップ、イルゼ・グラマツキの3人。
階段を降りて砂浜に、しかし、あとで気が付いた看板には、この海岸はホテルの責任範囲外と書かれていて、とても見つかりにくいところにあったと。
女性陣は、浜辺で帽子をかぶって見学、いきなり飛びこんだケルテスは、岡村さんに早く来いよと誘い、岡村さんは躊躇しながらも海に入りますが、ケルテスの姿はどんどん遠くに。
波は高く荒れていて、岡村さんは必死の思いでたどり着いて助けを求め、レスキューたちが瀕死のケルテスを救いだしましたが・・・・
演奏会は指揮者を変えて継続したそうですが、ポップは泣き崩れて歌えそうにない状態。
しかし、演奏会が始まるとシャキッとして見事に歌い終えた、さすがはプロと岡村さんの本にはあるそうです。
涙ながらにケルテス婦人のもとに報告に行った話とか、ケルテスの最後を知ることができる貴重な著作のようです。
ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」
イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1961 @ウィーン)
言わずと知れた「新世界」の名盤のひとつ。
32歳の若きケルテスの力みなぎる指揮に、名門ウィーンフィルが全力で応えた気合の入った演奏。
5年後のロンドン響との再録は、繰り返しも行い、ちょっと落ち着いた雰囲気を感じますが、ここに聴かれる演奏は、いい意味で若くてきりっとした潔さがあります。
思い切り演奏してるウィーンフィルもこの時代のウィーンフィルの音色満載で、デッカの生々しい録音も手伝って、あのショルティのリングにも通じるウィーンフィルを楽しめます。
わたしが小学生だったとき、クリスマスプレゼントで初めて買ってもらったレコードが、この1枚です。
あと同時に、カラヤンの田園。
この2枚が、わたくしの初レコードで、記念すべき1枚でもありました。
平塚のレコード屋さんで、クラシックはそんなに多くはなかったのに、よくぞこのケルテス盤がそこにあって、よくぞ自分は選んだものです。
こちらは初出のオリジナルジャケットでなく、68年あたりにシリーズ化された、ウィーンフィルハーモニー・フェスティバルというシリーズの再発ものです。
半世紀以上も前の新世界体験、いまでも自分の耳のすりこみ演奏ですし、何度聴いても、爽快な思いにさせてくれる1枚であります。
歴史のタラればですが、もしもケルテスが存命だったら。
・セルのあとのクリーヴランド管弦楽団を託された~ハンガリー系だから相性抜群で、さらなるドヴォルザークの名演を残したかも。
・ウィーンとの蜜月は継続し、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になり、モーツァルトやドイツオペラ、ベルカント系までも極めたかも。
あとウィーンフィルとはベートーヴェン全集も録音されたかも。
1972年秋のウィーンフィルの定期オープニングは、ケルテス指揮で、ブレンデルを迎えて、ベートーヴェンの4番の交響曲と「皇帝」が演奏された。ブレンデルとの全集なんかもほんと聴いてみたかった。
・カラヤンの跡目として、ベルリンの候補者のひとりになっていたかも。
・西側の一員として、自由国家となったハンガリーにも復帰して、自国の作曲家の名演をたくさんのこしたかも
・ワーグナーを果たして指揮したかどうか、バイロイトに登場したかどうか
・ブルックナーは4番を残したが、マーラーの交響曲は指揮しただろうか
こんな風に妄想し、想像することも音楽を聴く楽しみのひとつではあります。
品川の公園には、こんなイングリッシュな光景も展開してました。
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コメント
yokochan様と自分は同世代なので、当然ケルテスの存在は知っていました。アルバイトで貯めたお金で、初のブラームス交響曲全集もケルテス。
ただ、再生装置が十分ではなかったためか、ケルテスの指揮の魅力が伝わってこなかった…。LPからCDの移行期に手持ちの30㎝は全部処分し、その後ケルテスの存在ははるか彼方の霧の中に埋没していました。
それが、車中で聴いたドヴォ9を聴き、「誰?凄いじゃない!」と思ったらケルテス。
折しも、マゼールやケンペの再発見があり、あの世代の指揮者の演奏に触れて、ドヴォ9のCD、そしてブラームスの全集を再び購入(中古で)。そしたら…。
口があんぐりふさがらない。若くして亡くなったその才能の凄さに感嘆しました。
ホント、もっと長生きしていたなら、どんなに素晴らしい演奏を届けてくれたのか、想像もつきません。
投稿: ianis | 2021年5月31日 (月) 18時39分
ianisさん、まいどです。
ケルテスのモーツァルトを久しぶりに聴いて感嘆し、この記事につながりました。
40番もいいですが、35番もことさらに気持ちのいい演奏で、わたしはモントゥー盤を思い起こしました。
ケルテスは知的でありながら、情の音楽もつくる、そのバランス感覚が素晴らしい指揮者だと思いました。
オペラ録音が少なかったのが残念です。
マゼール、ケンペ、ほんとにそう、わたしも再確認です。
あとサー・コリンも加えたいと思います。
ロンドン響とのレスピーギも是非お聴きください。
投稿: yokochan | 2021年6月 1日 (火) 08時44分
また失礼致します。ケルテス/VPOの「新世界」、やはり大昔に知人から全曲スコア付の国内盤をプレゼントされました。同時にやはりスコア付のイ・ムジチのアイネ・クライネなども。どちらも先年の断捨離で今いずこですが。VPOとのモーツァルトも追悼盤で出たのを即購入で。どちらかと云えばK.183と201を良く聴いた記憶が。ブラームスも含めてどれも'70年代の秀演と思います。
秘かな愛聴盤がLSOとのコダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」全曲です。名優ピーター・ユスティノフの語りも愉快な名盤です。LPはやはり手元に無いのですがCDはしっかり保有してます。あの不幸に見舞われなければどれほどの大きな存在になったことか…。
投稿: Edipo Re | 2021年6月 1日 (火) 16時14分
Edipo Reさん、こんにちは。
ロンドンレコードやフィリップスは、楽譜付きのレコードをよく出していたようですね。
いまでは、ネットをちょいとたたくだけで閲覧できますが、やはり手で譜面をめくるという喜びははるかに勝ります。
ご指摘のモーツァルト、25と29番は、ケルテスとマリナーが一番好きです。
そしてコダーイですね。
組曲版にしたものは購入しましたが、全曲盤は聴いたことがありません。
名探偵ポアロのユスティノフさんの語りですか。
興味ありますね。
しかし、そうですね、ケルテスの死は、われわれコレクターにも惜しんでもあまりあることですね。
放送音源とか、復刻を望みたいです。
投稿: yokochan | 2021年6月 2日 (水) 08時17分
ケルテスとヴィーンフィルだと、モーツァルトの29,33番がとても好きでした。フリッチャイと並んで、早逝したため、たらればを考えてしまう1人ですね。ヴィーン国立歌劇場音楽監督、カラヤンの後釜、冷戦終結後はハンガリーにも客演は想像してしまいます。レパートリーがどこまで広がるかは未知数ながら、NY移住からフランスものやガーシュイン、チャールズ・アイブズまで拡げようとしたマーラーのような例もありますし。
投稿: Kasshini | 2021年7月10日 (土) 15時14分
Kasshiniさん、こんにちは。
フリッチャイも含め、早逝組のもしものタラレバは、ほんと妄想にかられますね。
どちらもハンガリー系でしたし。
そんなに大物ではありませんでしたが、ヴィオッティもオペラの録音が次々に出てくるようになった50歳の逝去でした。
しかし、息子ヴィオッティがいま脚光を浴びていて、彼は後期ロマン派を得意にしてますので、父親とはまた違った才能を見せてくれそうです。
投稿: yokochan | 2021年7月12日 (月) 17時57分
はじめまして.ケルテス, ウィーンフィル,ブレンデルが写っているLPジャケットでコンマスのヘッツェルの隣の 眼鏡 髭 グレーヘアーの男性の名前, プロフィール御存知なら教えて下さい. たぶん1917-1994没 第一首席奏者でフォアシュピラーで1997年正式メンバー表に載っていて.1973年6月のベーム ウィーンフィル モーツァルト交響曲29番ウィーン楽友会館大ホールで演奏時もヘッツェルの隣に座っています.ウィーンフィル弦楽五重奏団主宰者でもある人らしいとの事です.名前はWolfgang Poduschkaでは? という事の様ですがネットで検索しても顔写真が出ない為 レコードDVD NHK放送に この人が写っていても 名前と顔写真を結び付けばベストなのですが...Uチューブでもhttps:/m.youtube.comで1973年ベーム モーツァルト交響曲29番が聴く事が出来ます. この人はヘッツェルよりも最初から顔 手元UP多く存在感有りますので気になると知人が知りたがっているので調べています.こちらに書いた情報合っていますか?どこの音大出身かや家族についても わかれば嬉しいので何か御存知でしたら 教えて頂けませんか?よろしく御願い致します.ちなみに ケルテス 好きですよ! ベームも好きです!
投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月 9日 (日) 06時53分
すみません.先程 1997年ウィーンフィル正式メンバー表と書きましたが まちがいで1977年です.たしか1939年~1984年までウィーンフィルに在籍ではなかろうか? と 思う事と ブレンデルの写っているレコードと書きましたが この ブログに載っている写真の事であり 紛らわしい書き方をして すみません.こちらの大きな写真に ブレンデル,ヘッツェル,が写っていて その隣に座る 眼鏡 髭 グレーヘアーの人は グラモフォンの3本セットのDVDでもヘッツェルよりも 29と40番で非常にUP多く 29と40以外でこの人の後ろに 故 ウェルナーヒンクが座っている時もあります.それだけ存在感が有る人なのに なぜ ネットに顔写真が出ないのか?ヒンクは出るのに この人も顔写真もっと出回っても良いと思います.演奏スタイルは まさに お手本の様なものだと私は思うのですが,あんなにDVDでもUP多いのにナゼ名前と顔写真が一緒に出て来ないのか?Uチューブでも29番 観れますので 一度 ご覧下さいませ.又 弦楽五重奏団のCDとかで 顔写真出ていたら良いのですが, それとネットで検索してもドイツ語で わかりにくいし 新潟大学がどうとか出て来て わかりにくいです.ウィーンフィルの正式メンバー表には 顔写真は 出てないですよね. もし御存知の方 ございましたら 教えて下さい. 御願い 致します. それから おっしゃる様にカラヤンやベーム,ケルテスがいた時代というのは 凄い事ですよね. 素晴らしい時代で もう あぁいった人達は 出て来ない様な気が致します.
投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月 9日 (日) 07時55分
ケ.ボルテールさま、こんにちは、はじめまして。
コメントどうもありがとうございます。
ご指摘のポドゥシュカ氏、ご尊顔は確かに存じ上げてましたが、そのお名前まではこれまで意識したことがありませんでした。
過去のウィーンフィルの来日のパンフレットを調べましたが、確かにメンバー表にそのお名前がありました。
ということで、わたくしも若い頃に、その演奏に接していたことになります。
また1975年のベームのNHKホールの演奏会でも、いまみるといらっしゃいます。
ワタシはベームの演奏会の抽選で外れてしまったので、ムーティのコンサートに行きましたが、きっとそこでも弾いていたはずです。
思えば、ウィーンフィルのメンバーは80年代あたりまでが、懐かしの顔ぶればかりで、最近は知らないお顔ばかりとなりました。
今年も日本にやってきましが、バカ高いチケットや触手の伸びないプログラムばかりで、あまり興味すら覚えません。
ご指摘のとおり、あの指揮者たちの時代が懐かしいです。
投稿: yokochan | 2024年6月15日 (土) 11時58分
あの 控え目なタクトで1973年6月に あれだけ素晴らしい演奏が出来たのは コンマスのヘッツェルと隣の人が 楽団をリードしていたからだと. そうすると隣の人のボーイング姿が気になり知りたいと知人が言うので調べていて,つまり あの時代のコンマス, トップサイドが 良かったから ベームの遅いテンポでも楽団のリードで ステキな演奏になる.このウォルフガング ポドゥシュカ様は楽団代表もされていて 戦時中は バリリと共に楽器を守り 第一首席バイオリニストで来日メンバーでもあり ウィーンで活躍後は 新潟大学管弦楽団の名誉指揮者として演奏会もされて 1994年に亡くなり,後 大学で追悼記念紙が発行されてその後 すぐに ウィーンフィルの後継者であった ライナーホーネック様が客演指揮者として引き継がれています.私がDVDで観る限り ボーイング姿が かなりキレッキレッで 素晴らしく格好いぃ! ので この人は タダ者じゃないと !そうしたら その通りでヤッパリ 上手いはずです! 私の見る目は 間違ってなかったとハッキリしました. なぜ もっと早くわからなかったか? この人は ウィーンフィルの歴史に残る人で (ウィーンフィルと共に ワルター バリリ 回想録 岡本 和子 訳 2640円 )にも ポドゥシュカ様の事が 書かれてある様です. でも売り切れで 中古で探すしかなく困っています.だって 私 ネット注文出来ないアナログの人だから...
投稿: け.ボルテール | 2024年6月16日 (日) 19時23分
追伸 これらの事は 私の力だけではなくて 専門の 超ベテランの有名な 素晴らしい方々が 別の ブログを書いておられる方のお力で 連絡を拡げて アピールして下さったから わかった という事です. 本当に 嬉しく 思います. 感謝です. ただ 一つ問題があり その中の一人で 有名な方は ブログを書いておられる方は コメント受け付けを していない為 直接の 御礼が伝えられず 申し訳ない 形になっています.私の周りの何人かで協力をして 調べていたので 別の所で 御礼を伝えては おりますが...でも これだけの人物であると わかったのだから もっと宣伝 アピールを 日本でも してほしいと思いました.コンマスばかり 日本では 注目をしてしまいがちですが その隣に座る人が どれだけ 重要か?に ついて もっと気付いてほしいと思いました. あれだけ アップ映像が長く 多い のに 今でも,なぜ もっと 注目をしてくれないのかと思うのは 私だけなのか? 私は この時のウィーンフィルメンバーが 好きです.1972年-1977年位の ウィーンフィルが 好きです. そう ケルテスが いた時代です. これを 御覧に なっている方の中には その時代のウィーンフィルや ベームが 大嫌いな方も おられるはずなので あまり ここに書くと良くなくて 心配ですが. とりあえず こちらに 質問を しましたので 結果の 御報告は させて頂きますね.
投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月16日 (日) 20時01分
ウォルフガング ポドゥシュカ様の事ですが ブレンデルがビアノを弾いている写真が この記事にありその中で コンマス ヘッツェルの隣に座っている人の事です. カールベーム指揮の モーツァルトの話と ごちゃ混ぜに私が書いた為 こちらの記事を御覧になった方は どの人の事なのか?と わかりにくいはず なので まずこちらの ブレンデルが弾いている写真の方で御覧下さい.ヘッツェルの隣です. NHK甦る 伝説の名演奏でも29&40番放送済 で ユーチューブでも ベームの1973年の分は観る事が出来ます.( なぁ~んだ, この人か...)と言われそうですが...私は ケルテスで別のジャケットの もので ポドゥシュカ様が写っている物を 持っています. それから 黄色のバラが お好きとか. 焼き物でも 特に古マイセン等の黄色は きれいに色を出すのが難しいので きれいな状態なまま ハッキリと 黄色が残りにくい事から コレクターの方は 黄色に注目されるとかですが... でも 阪神大震災以降 世の中が変わり 自宅で良い器で お茶を という人も激減して どこの舶来ブランドも倒産して 本当に良い物が減り 今風の 軽いタッチの方が人気なのは 芸術 音楽も 同じなのかなぁと寂しく 思っている所です.
投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月17日 (月) 01時00分
同じものを 2通 お送りして すみません. これの前の コメント誤って2通になってしまいました. 私も こちらの 多くのベテランマニアの方々のコメントを拝見して 感動しています. それで 今 ケルテス, ウィーンフィル , モーツァルト交響曲25&29番 ロンドンレコード1972年のレコードを 聴きながら 書いています.やっぱり いぃ! ですね おっしゃる通り ケルテスが御存命ならクラッシック界は絶対に違うものになっていたはずです. これは音楽の世界だけではなくて俳優等も含めて言える事かもしれませんね.日本も そうであり 大川 橋蔵先生が長生きされていたら どうであったか?舞台は 銭形平次で万七役の 遠藤 太津朗 様と 秘蔵っ子の京本 政樹 様が(当時の魚屋さん役)引き継いでいて 京本様はステキで勿論良いのですが,今 御存命ならなぁと...そんな事 言い出したら 美空 ひばり 様等も そうなりますが..何だか つまらない おもしろくない時代になったなぁ~と. だから 最近のウィーンフィルは 知らない人ばかりで,高いし...の,yokochan様の お話は 同感で,今の時代 何か オカシイ と 不満に思ってしまいます. 寂しいですね.
投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月18日 (火) 19時46分
ケ.ボルテールさま、遅きに失したお返しで申しわけありません。
ワタクシも近視と老眼、おまけに先ごろパソコンの大きな画面のミニターが壊れてしまい、むかしの小さめのモニターを出してきて、代わりに使用してました。
ということで、多くいただいたコメント、フォントも大小あるコメント、複数コメントを整理して、いまに至りました。
お読みして、なるほどと膝を打つ内容でした!
あのオヒゲのポドゥシュカ様、そういうご存在だったのですね。
メガネの温厚なヘッツェルさん、髪の毛の変化したキュッヘルさん、この前なくなってしまったヒンクさん、いずれも画面や舞台で脳裏に残りますが、ポドゥシュカさまの大きな存在感、それこそがあの当時のウィーンフィルの音の立役者だったのですね・・・
あらためましてありがとうございました。
投稿: yokochan | 2024年6月28日 (金) 21時34分
御丁寧な 御返事 有難う御座います. こちらの方こそ 送り方が 非常に悪く 御負担 御迷惑を おかけしてしまいまして 大変申し訳なく思っている所で 御座います. 書いて送った文字は その時は きちんと行や 文字の大小は揃っているに そちらへは 文字が バラバラに なってしまっている事が 御返事の文面から はじめて わかりました. 考えられる事は 書いている途中や 何もしていないのに 突然 勝手に拡大 縮小に なったり全部消えてしまう事があるので たぶん 送信すると後でそういう事に なってしまっていたのだと 思います. それは データ量や機能面から そうなっていると思います. どちらに致しましても 煩わせた事は 確かですので 御詫び申し上げます.今迄の yokochan様のブログは どれも全て 素晴らしいものなので こうして 御返事を頂けた事は 私にとりまして 感激もので 御座います. 本当に 有難う御座いました. こちらのブログのファンの方々の為にも どうぞ 御元気で お過ごし下さいませ.
投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月30日 (日) 00時54分
yokochan様
先月に既に真夏並みの酷暑が到来、何やら閉口しかねない気象ですが、御変わりなくご隆昌の事と御察し申します。
ケルテス&ウィーン・フィルの一連のDecca録音、よろしいですね。1870~1880年代生まれの個性の顕著な、悪く申しますと灰汁の強い指揮者たちを、御遠慮申し上げたい‥と仰る愛好家のお方には、モーツァルトの交響曲集を愛でるには、このコンビのレコーディングを、お奨めしてよろしいかと、存じます。
投稿: 覆面吾郎 | 2024年7月 3日 (水) 12時07分
覆面吾郎さん、コメントありがとうございます。
最近話題の若い、にいちゃんみたいな指揮者のモーツアルトを聞きましたが、セカセカしてて、切れキレすぎて息が詰まりそうになりました。
ウィーンフィルもいつかそんな演奏スタイルを取り入れるかと思うと泣きたくなります。
ちょうどいい、すべてがちょうどいいのが、ケルテスとウィーンフィルでした。
投稿: yokochan | 2024年7月 5日 (金) 22時07分