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2021年6月

2021年6月27日 (日)

ロッシーニ 「ランスへの旅」 アバド指揮

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梅雨の狭間の晴れ間に皇居。

二重橋です。

ほんとに美しい、緑と青。

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こちらは桜田門。

後ろ手に警視庁があり半蔵門、左手奥は国会議事堂があります。

こうした都心散歩も天気に恵まれると清々しいものです。

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6月26日は、クラウディオ・アバド、68回目の誕生日です。

アバドの十八番ともいえるロッシーニ。

実は「ランスへの旅」は、この作品が蘇演され、そのライブがCD化されてすぐに買い求めて聴いてから、実に35年ぶりに聴きました。
ベルリン盤は、持ってたけど、実は初めて聴いた。。。
なんども恐縮ですが、いまさらながらロッシーニが好きになりましたもので、喜々としてこのふたつの録音をとっかえひっかえ聴きまくり満悦の日々をこのところ送ってました。

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  ロッシーニ 歌劇「ランスへの旅」

   コリンナ:チェチーリア・ガスティア
   メリベーア侯爵夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
   フォルヴィルの伯爵夫人:レラ・クヴェッリ
   コルテーゼ夫人:カーティア・リッチェレッリ
   騎士ベルフィオール:エドアルド・ヒメネス
   リーベンスコフ伯爵:フランシスコ・アライサ
   シドニー卿:サミュエル・ラミー
   ドン・プロフォンド:ルッジェーロ・ライモンディ
   トロムボノク男爵:エンツォ・ダーラ
   ドン・アルヴァロ:レオ・ヌッチ
   ドン・プルデンツィオ:ジョルジョ・サルヤン
   ドン・ルイジーノ:オスラヴィオ・ディ・クレディーコ
   マッダレーナ:ラクェル・ピエロッティ
   デリア:アントネッラ・バンデッリ
   モデスティーナ:ベルナデッティ・マンカ・ディ・ニーサ
   アントニオ:ルイージ・デ・コラート
   ゼフィリーノ:エルネスト・ガヴァッツィ
   ジェルソミーノ:ウィリアム・マテウッツィ

    クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団
               プラハ・フィルハーモニー合唱団

         演出:ルカ・ロンコーニ

  (1984.8.16~26 @ペ-ザロ、ロッシーニ音楽院、ペドロッティホール)

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   コリンナ:シルヴィア・マクネアー
   メリベーア侯爵夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
   フォルヴィルの伯爵夫人:ルチアーナ・セッラ
   コルテーゼ夫人:チェリル・ステューダー
   騎士ベルフィオール:ラウル・ヒメネス
   リーベンスコフ伯爵:ウィリアム・マテウィツィ
   シドニー卿:サミュエル・ラミー
   ドン・プロフォンド:ルッジェーロ・ライモンディ
   トロムボノク男爵:エンツォ・ダーラ
   ドン・アルヴァロ:ルチオ・ガッロ
   ドン・プルデンツィオ:ジョルジョ・サルヤン
   ドン・ルイジーノ:グリエルモ・マッティ
   マッダレーナ:ニコレッタ・クリエル
   デリア:バーバラ・フリットーリ
   モデスティーナ:バーバラ・フリットーリ
   アントニオ:クラウディオ・オテッリ
   ゼフィリーノ:ポージダール・ニコロフ
   ジェルソミーノ:ポージダール・ニコロフ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団
         Fl:アンドレアス・ブラウ
         Hp:シャルロッテ・スプレンケレス

        演出:ドラナ・キーンアスト

      (1992.10.13~19 @ベルリン・フィルハーモニー)

このふたつの上演のほかに、アバドはスカラ座とウィーン国立歌劇場でも上演してます。
スカラ座:1985年9月~ キャストはペーザロのものとほぼ同じ
ウィーン国立歌劇場:1988年1月~ ペーザロのメンバーに、コルテーゼ夫人がカバリエに変わってます。
          1989年10月  東京文化会館で5回上演 カバリエ

こうしてみると、アバドはポストが変わるごとに、思い入れのある作品をことごとく取り上げてます。
ミラノ→ウィーン→ベルリン。
アバドの足跡をたどってみると、こうした勝負作品が絞られてきます。
オペラで言うと、シモン・ボッカネグラ、ドン・カルロ、チェネレントラ、ヴォツェック、ボリス・ゴドゥノフ、ここにランスへの旅も加えてもいいかもしれません。

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「バレーを伴う舞台カンタータ」というカテゴライズをされ、ロッシーニの作品目録にはオペラ扱いもされておらず、1970年代までは、まったく未知の作品だった「ランスへの旅」は、「ランスの旅、または金の百合亭」という長いサブタイトルもあります。
イタリアに別れを告げ、フランスで活動をしていた1825年、シャルル大帝の戴冠式に、ということでその祝賀式記念オペラを委嘱され作曲された。
このシャルル大帝の戴冠式が最後となってしまったが、フランスの歴代皇帝は、戴冠式の聖油を授かるのはランスで、という伝統があり、パリでは同時に祝祭行事が行われていた。
この事実をまさに扱ったのが、この作品で、「各国の時間を持て余したお金持ちがランスに向け、旅をしようと、金の百合亭という温泉地旅館に滞在していたが、馬車や馬といった交通手段を得ることができなくなり、大騒ぎになるが、シャルル大帝がパリに戻るということで、定期便を利用してパリに行くぞー、そのまえに宴会だぁ~」というのが概略。

結局、4度ほど上演され、ロッシーニはこうした特別な機会オペラなので、今後の上演にもこだわらず、出版もされず、フランス語オペラ「オリー伯爵」に改訂を加えて転用し、そのままになってしまい、自筆譜は各処にバラバラに消失。
 1970年代終わりの頃から、この作品の発見の旅が始まり、まずは、パリの国立図書館でパート譜の多くが発見。
次に、自筆譜の一部がローマのチェチーリア音楽院の図書館で見つかるが、自筆譜の多くは、オリー伯爵に転用後捨てられてしまっていたことも判明。
それからウィーンの国立図書館では、第三者による改作譜の一部も見つかり、調査の範囲も広がり、復元が苦心惨憺なされた。
それらの楽譜の一部が、ロッシーニ協会からアバドの元に送られ、興味を示したアバドは、復元の立役者ロッシーニ研究科のゴセット教授とともに、本格的な上演に向けて検討を積み重ねました。

こうして、1984年8月にペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで歴史的ともいえる蘇演がなされたわけです。

初演時が、ともかく祝祭的な国家事業規模のものだったので、ロッシーニは当時の名歌手たちを想定して、10人もの主役級の歌手と難易度の高いアリアや重唱、名人芸を披露するソロを含むオーケストラパートなど、ある意味金に糸目をつけない贅沢品のような作品に仕上がってのです。
このあたりも、もう上演されないかも、的な思いを抱いた理由かもしれません。

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劇の内容は、ばからしく他愛もないけれど、ややこしいのは各国の登場人物たちの名前と身分をあらわすタイトルで、彼らが次々と登場しては歌いまくるので、その都度、解説書の配役表に戻ってにらめっこすることとなる。
それでも1度や2度ではわからない。
しかし、今回、貴重な映像を発見したので、それも全部見ることで、ほぼ作品理解につながりました。
ということで、ペーザロでの出演者をアイコンにして、みなさんのお立場や、このオペラで何をするかをまとめてみました。

Corinna コリンナ:有名なローマの女流即興詩人
            実はシドニー卿と相思相愛の精神的恋愛中
            しかし、女好きのベルフォーレに言い寄られる

Melibea メリベーア侯爵夫人:ポーランド出身、イタリア人将軍の未亡人
          リーベンスコフと恋仲だけど、ドン・アルヴァロも好意

Follevilleフォルヴィル伯爵夫人:若い未亡人、パリっ子で常に流行に敏感
              最後はすけこましのベルフォールとしっぽり 
  
Corteseコルテーゼ夫人:チロル生まれ、金の百合亭のオーナー
        とてもいい人、多くの使用人からも慕われてる

Belfiore騎士ベルフィオール:フランスの仕官、女性を口説くことが趣味
          日曜画家でもあったりする

Libenskofリーベンスコフ伯爵:ロシアの将軍、頑固で嫉妬深い
          メリベーア侯爵婦人のことが好き         

Sidneyシドニー卿:イギリスの軍人、コリンナを愛してる
      固い人物で、コリンナへの愛情表明も慎み深い

Don-profondドン・プロフォンド:学者、コリンナの友人
          熱狂的ともいえる骨董品・歴史物マニア
          ほかの人物たちをよく観察している

Trombonokトロムボノク男爵:ドイツの陸軍少佐、熱烈な音楽愛好家
         後半で、歌合戦の司会を務めるなど狂言回し的存在

Don-alvaroドン・アルヴァロ:スペインの提督、堅物風だが熱い男
         メリベーア侯爵夫人のことが好きで、リーベンスコフと喧嘩

ほかの登場人物は、宿の就業者や、各金持ちさんのお付きの方々ですが、レシタティーヴォだけだけど、重要な伝達役だったりで、役回りとしてそれなりの存在を求められます。
ペーザロ盤では、マッテウッツィがそうした端役を歌いながら、ベルリンではロシアの伯爵に昇級。
またおなじみのフリットーリがベルリン盤では端役として出てます。
ちょい役だけど、ちゃんとフリットーリのお声でした。

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「ランスでの戴冠式に備えて、金の百合亭で出発を待つ各国の諸氏。オーナーのコルテーゼ夫人がスタッフたちに激励。
おしゃれ好きのフォルヴィル伯爵夫人は、せっかくの衣装が届かずイライラしていて、しまいには気絶してしまう。
みんなで介抱するうち、荷物のなかから、ステキな帽子が見つかり、すっかり上機嫌な伯爵夫人。
メリベーア侯爵夫人をめぐって、リーベンスコフとドン・アルヴァロが喧噪を起こす、ほかのメンバーも加わって大騒ぎとなるが、そこにハープを伴って、コリンナが涼やかな歌を披露し、一同は聞き惚れ平和な思いをかみしめる。
 場は変わり、シドニー卿が登場し、フルートを伴ってコリンナへの愛を歌う。
ドン・プロフォンドは、シドニー卿にアーサー王の甲冑とかなんとかはどこで見れるの?と問い、とんちんかんなやり取りがある。
ついでは、女好きのベルフィオールがコリンナを歯も浮くようなセリフでナンパをするが、コリンナは冷たくあしらう。
そんなやりとりを、ニヤニヤしながら見ていたドン・プロフォンドは、参加した諸氏のお国のお宝や骨董を、ものすごい勢いで賛美する。
 さてしかし、一同のもとに、馬車の用意ができない、馬もまったく手当てできないという報告が届く。
<あーーーー!>ものすごい全員の声による落胆!

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 またまたさてしかし、お手紙到着、数日のうちに国王がパリに帰還し、そこでお祝いの行事が行われると判明。
一転して狂喜乱舞、パリなら定期便があるので必ず行ける、まずはここでパーティを、残ったお金は寄付しようということになり、14人の大コンチェルティーノとなる(ここはすごい!!)
 (全曲通しの1幕ものだけど、上演ではここで一休み)
メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフは、仲直りして愛の二重唱。
めでたし、ということでこれよりフィナーレ。
トロムボノクの司会で、メンバーが次々に、自国の歌やダンスを披露、ここがまた楽しい、まるでガラ・パフォーマンスだ。
最後は、コリンナに、ということで何をテーマに歌うかということで投票が行われ、フランス国王シャルル10世が選ばれ、彼女はオオトリに、ハープを伴い、これもまた素晴らしく玲凛としたアリアを披露。
国王を全員で賛美し、幕となる」  

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しかし、華麗でありつつ、ユーモアたっぷり、皮肉や引用も巧みで、最高のエンターテインメント魂に富んだロッシーニの筆は冴えわたってます。
聴いていると、体も動きだすみたいで、中毒性もあります(笑)

①コルテーゼ夫人のアリア~ものすごい技量が要求される
②フォルヴィル伯爵夫人のアリア~コロラトゥーラの難易度の高いアリア
③6重唱~嫉妬と混乱
④コリンナのアリア~ハープソロにより美しい曲
⑤シドニー卿のシェーナとアリア~フルートソロを伴う長大な曲、フルートは超難しい
⑥ベルフィオールとコリンナの二重唱~恥ずかしくなるくらいのナンパ曲
⑦ドン・プロフォンドのアリア~カタログの歌、私は町の何でも屋にも通じる早口アリア
⑧14声によるコンチェルタート~もう楽しくてしょうがない、アバドはここをアンコール
⑨メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフの二重唱~どちらも難解な歌
⑩リトルネッロ~古風なバレエ音楽
⑪フィナーレ~ドイツ賛歌・ポロネーズ・ロシア賛歌:スペイン民謡・イギリス国歌・フランス民謡・ヨーデル
⑫即興曲~コリンナのアリア

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これが発売されたとき、高崎先生は「満漢全席」と評されました。

まさにそう、音楽もそうだし、この2つのCDのアバドの指揮のもとに集まった歌手たちのメンバーの豪華さもそう。
ペーザロの蘇演では、フレーニも候補としてノミネートされていたらしいから、そこもまた聴きたかった。
アバドとして最後のランスのベルリンまで、ずっと変わらぬメンバーのテッラーニがまず素晴らしい。
つくづく早逝が惜しまれますが、真のロッシーニ歌手かと思う。
 あと重複組では、凛々しいラミー、あきれ返るくらいにウマいライモンディ、余人をもって耐え難いエンツォ・ダーラの面白さ。
マクネアーも無垢でよろしいが、ガスティアの常人的でないくらいの美声によるコリンナが可愛い。
ふたりのフランス夫人は、クヴェッリの透明感あふれる歌唱、セッラの驚きの軽やかさ、どちらも捨てがたく好き。
館のオーナーは、リッチャレッリに軍配。ステューダーはちょっと不安定かな、声は好きだけどね。
アライサ完璧、大好き。
アバドファミリーのふたり、ヌッチとガッロもうまくて芸達者だ。
ふたりのヒメネスは、技量がすごい、でも空虚感も感じるのはロッシーニが描いたこの人物ゆえかww

最後にアバドの指揮。
映像で確認すると、完全暗譜。
その指揮姿も、聴かれる音楽も、まるで出会ったばかりの作品とはこれっぽちも感じさせない。
それだけ、自分のものになってるし、緻密に書かれたロッシーニの音符が自然体で、新鮮さをともなっていることに驚き!
指揮者とともに、初の演奏体験をしたヨーロッパ室内管の方が、鮮度のうえではかなり上回る。
演奏することの喜びを、アバドの指揮の下で爆発させている感じだ。
 一方、海千山千のベルリンフィル。
カラヤン時代は考えられなかったロッシーニのオペラに、全力投入。
世界一のオーケストラがロッシーニのオペラを演奏したらこうなる、という見本みないな、逆な意味で模範解答みたいな上質の演奏。
ブラウのフルートソロを始め、各奏者の腕前も引き立つ。
映像でも確認できる、手抜きなしの全力演奏ぶりに感心します。
両方のオケともに素晴らしいが、オペラとしては、ヨーロッパ室内管の方が相応しいかもしれません。
また、初演時の機会音楽としての祝祭性は、ベルリンフィルのきらびやかさが似合うのかもしれません。
こうなると、スカラ座、ウィーン、どちらも聴いてみたいもの。

で、そのウィーンでの上演の様子が、ネットで探すと全幕見れる。
画質は悪いが、カバリエの思わぬ芸達者ぶりもわかるし、最後に14重唱をアンコールしてる!!
さらに、ベルリンフィルとのステージ上演もネットにはありますよ。
こちらも低画質だけど、全員ノリノリで、観客も熱狂。アンコールもあり。
我が家には当時日本での放送のVHSビデオがあるはずなんだけど、行方不明中。
そしてさらに、ペーザロでの歴史的な蘇演もネットで、これがまた思わぬ高画質で見れました!!
これはまったく素晴らしい。
ということで、3つの映像も今回視聴。
頭のなか、ランスだらけだよ・・・・

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1989年のウィーン国立歌劇場の来日上演は、残念ながら、ランスとヴォツェックのアバドが指揮したふたつは行くことができなかった。

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パルジファルのS席に薄給を全力投球してしまったもので。
結婚したばかりで、そんな環境にもなかった時期でした。
しかし、時代はバブル真っ最中でしたねぇ・・・

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  (ペーザロでカーテンコールに応えるアバド)


長文となりましたが、アバドの音楽にかける思いは、ほんとうに熱く、多くの残された成果をこうして見聞きするにつけ、偉大な存在だったと思わざるをえません。

Imperial-palace-02

大手町のビル群とお堀、そして城壁。

皇居の周りは、こうしてビルばかりとなってしまい、ほんとうはどうかと思われるのですが、考え抜かれた設計に基づいてのことだとは思います。
風も皇居から抜けて通るようになってるのが清々しいです。

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2021年6月20日 (日)

シューマン リーダークライスop.39 FD&コノリー

Chisyakuin-02

京都の雨。

新緑の紅葉、雨の雫、ほんとうに美しかった。

秋もいいけど、この時期の日本の古都は静寂もあってすばらしいです。

Chisyakuin-01

真言宗智山派、総本山の智積院。

おりからこの時期、誰もいない。

長谷川等伯一門による国宝の障壁画も、ゆっくりと鑑賞することができました。

梅雨の昼下がり、雨音のなか、シューマンの歌曲を。

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 シューマン リーダークライス op.39

    Br:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

    Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

       (1976.4 @ベルリン)

Schumann-connolly-1

    Ms:サラ・コノリー

    Pf:ユージン・アスティ

       (2007.12 @ダンウィッチ、サフォーク州)

シューマンの歌曲集という名の「リーダークライス」。

ハイネの詩による作品24、アイヒェンドルフの詩による作品39のふたつの連作歌曲集があります。

ともに、1840年、「歌の年」に作曲された。

この驚くべき年に、シューマンは歌曲集をふたつのリーダークライス以外に、「ミルテの花」「詩人の恋」「女の愛と生涯」の5つを作曲。
他にも大半の歌曲を残したから、その集中力たるや!

よく言われるように、歌曲集は2つしか残さなかったシューベルトは、水車小屋や冬の旅のように、ドラマ性のあるわかりやすさで、歌手にも聴き手にも大いなる人気がある。
しかし5つも歌曲集を残しながら、シューマンの方は「詩人の恋」を除いて、物語性が薄く、個々の歌曲が独立して存在してする感。
それぞれも複雑な心理を宿していて、そこに分け入って聴きこむのは、なかなかに難しいものと感じます。
かくいうワタクシも、「詩人の恋」は数多く聴いてるし、コンサートも体験し、脳内で歌えちゃったりもします。

今回、作品39のリーダークライスを聴きこんで思ったのは、この歌曲集には「筋」がしっかり一本あり、さまよう自我とでもいえる孤独な深層が描かれているということ。
そもそもアイヒェンドルフの詩がそうだし、そこにつけたシューマンの音楽が哀しくも明るく、慎ましくも大胆であるという、複雑な様相を呈している。

F=ディースカウ、コノリー、あとオアフ・ベア、などの手持ち音源を何度も繰り返し数日聴いた。
わかったつもりでも、いや、やはり解明できないシューマンの音楽とその心情。

 1.「異国で」  2.「間奏曲」      3.「森の語らい」  4.「しずけさ」

 5.「月夜」   6.「美しい異国」    7.「古城から」   8.「異国で」

 9.「悲しみ」  10.「たそがれどき」11.「森のなかで」12.「春の夜」

いきなり、異国の地に紛れ込んでしまう第1曲。
ここからすでに、孤独と向き合わなければならないことに気づかされる。
この冒頭の歌曲は、当初「楽しい旅人」という別の歌曲がここにあったが、のちに今の「異国で」に変えられたという。
さあ、旅が始まりますよー、ではなく、いきなり異国に自分を置くことで、よりシリアスな内容になっていて、聴き手もただならない雰囲気に、即入り込むこととなります。
この1曲目の雰囲気が、もうこの歌曲集の全体を物語っているかのよう。

父も母も世を去って久しく、故郷では自分を知らない人が多い。
その先、僕という自分は、ずっと異郷にあってさまように、ときに恋人を思い、ときにローレライと語り、静けさのなかに海のかなたに思いをはせ、月夜には翼を広げて故郷に帰るという思いを綴る。
 そう、ともかくこの異郷から抜け出そうともがく自分なのである。
シューマンの散文的かつ、どこか後ろ髪ひかれる、ため息まじりの音楽は、その歌もピアノも各曲短いながらも極めてロマンティックである。
そしてガラス細工のように、細心の注意でもって扱わないと壊れてしまいそうで、デリケートな音楽。

古城にたたずみ、老騎士と眼下をゆく婚礼の舟を眺める。
詩の内容が映像となって脳裏に浮かんでくるような、そんなF=ディースカウの巧みな歌も手伝って、シューマンの紡いだ詩のなかの自分は異国であてどなくもがいている。
ナイチンゲールの歌声、深い森、小川のせせらぎなど、自分をとりまく自然の描写も美しい。
夜の闇も友のように感じる暗い歌、だがしかし、ことは急展開に起こる。

最後の12曲目、わずか1分あまりの歌のなかで、春は訪れ、月も星も森も、そしてナイチンゲールも祝福してくれる。
あのひとは、あなたのもの、と。
鮮やかなる異郷からの帰還に、シューマンの歌のマジックを体験した思い。
だがしかし、どこか心残りな気分もある。
これがシューマンの世界なのだ。

微に入り細にいり、言葉に乗せるF=ディースカウの絶妙な歌唱は、シューマンの音楽にぴたりと来る。
シューベルトを歌うとき、巧すぎて疲れてしまうことがあるが、シューマンのときには言外の思いまでも語るようなサービス精神が、リアル感を伴って切実な音楽となってしまう。
そんな歌に、完璧に同化してるし、さらに雄弁でかつ繊細なのがエッシェンバッハのピアノ。
歌の前奏と後奏が、こんなに聴かせるピアノってない。

サラ・コノリーの歌に切り替えると、耳が驚く。
一体、おんなじ曲集なのだろうか?
F=ディースカウの場合、自分は「私」や「俺」なんだけど、サラ・コノリーの場合はは、自分は「僕」なのだ。
フレッシュであり、中性的、しかもニュートラルな謡い口は、過度の感情注入は少なめで、さらりと聴きやすい。
コノリーさんは、昨年のオペラストリーミング大会で、ヘンデルのオペラでとても感心し、気にいったイギリスのメゾ。
そのあと聴いた、マーラーの「大地の歌」もとてもよかった。
男前なタカラジェンヌみたいなイメージのコノリーさんだけど、その声はとても優しく、スッキリ深いです。
ディースカウのあと聞いちゃうと、ドイツ語がやはり英語圏の人らしく軽く感じ、ピアノのコクもエッシェンバッハの比ではありません。
でも、コノリーさんのシューマン好きです。
併録の「女の愛と生涯」も素敵なものでした。

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しっとりと雨に濡れた苔むした庭園。

時間が止まったような空間でした。

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2021年6月11日 (金)

ビゼー 「カルメン」 マゼール指揮

Rose-03

バラの花。

バラは漢字ではまず、書けませんな。(さかき・・・なんとかがあって覚えたフシもありますがむにゃむにゃ)

「バラ」、「ばら」、「薔薇」の3通り。

R・シュトラウスのオペラは、「ばらの騎士」と書くのが多い。
J・シュトラウスのワルツは、「南国のバラ」。
シューベルトの歌曲は、「野ばら」。
シューマンのカンタータは、「ばらの巡礼」。

そして、運命の女、いや、男をダメにする女、ファム・ファタールが口にくわえた花は、「薔薇」。
って漢字が合う。
カルメンは、ホセに、この薔薇を投げ、ホセは「お前が投げたあの花、牢屋でも枯れるまで握りしめていた・・」と虜にしまう。
メリメの原作は、どうやら薔薇ではないようだが、オペラでは、やっぱりバラじゃないとしまらない。
チューリップじゃ可愛いすぎるし、カーネーションじゃマザコンになっちまうし、桜だったら日本ではありそうだけど、蝶々さんになっちまう。
やっぱり薔薇だ!

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で、「カルメン」だ。

Carmen-maazel

   ビゼー 歌劇「カルメン」

 カルメン:アンナ・モッフォ  ドン・ホセ:フランコ・コレルリ
 ミカエラ:ヘレン・ドナート  エスカミーリョ:ピエロ・カプッチルリ
 スニガ:ホセ・ファン・ダム  モラレス:バリー・ダグラス
 フラスキータ:アーリン・オジェー メルセデス:ジャーヌ・ベルビエ
 ダンカイロ:ジャン=クリストフ・ベノワ
 レメンダード:カール・エルンスト・メルカー

  ロリン・マゼール指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
             ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
             シェーネベルク少年合唱団

              (1970 ベルリン)

長い指揮活動のなかで、オペラのポストで成功したのは、ベルリン・ドイツ・オペラ(1965~1971)だけで、ウィーン国立歌劇場は1982年に総監督となりながらも途中降板してしまった。
コヴェントガーデンやパリ、スカラ座にもたびたび客演したものの、劇場の運営や監督には、やはり向いてなかったのだろう。

あと、オペラの正規録音が、イタリアオペラとフランスオペラばかりで、ドイツ物は少ないのが残念。
ワーグナーはトリスタンの日本ライブが出たが、シュトラウスはその全曲録音がひとつもない。
バイロイトでのリングやローエングリンを是非正規化して欲しい。

そんななかで、「カルメン」は2度録音していて、マゼール向きのオペラであることがわかります。
ただし、2度目のものは、聴いたことがありませんし、サウンドトラック的な録音との印象もあるので、ちょっと。

この1回目の「カルメン」は、いまでは主流となったセリフ語りのアルコーア版での世界初録音でした。
これに先立つデ・ブルゴス盤は、オペラ・コミーク初演版、このあと、70年代は、バーンスタイン、ショルティ、アバドと、アルコーア版による録音が相次ぐこととなりました。

発売当時の驚きは、豪華キャストで、この共演は、他の演目では見られず、もしかしたら一期一会的な組み合わせでもありました。
最盛期を過ぎ、リリコのイメージをかなぐり捨てたモッフォ。
こちらも、引退直前のコレルリ。
バリバリのイタリアバリトン、カプッチッリ。
モーツァルト歌手だったドナート。

それを束ねる、ベルリン・ドイツオペラの海千山千の当主マゼール。
そして、出てきたレーベルが、当時の日本コロムビア。
発売時は、3枚組6,000円もしたので、中学生の自分には高値のバラ=花でして、ちゃんと聴いたのはCD時代になってから。
上のジャケット写真は、当時のレコ芸の表紙です。

名作なだけに、名録音も多数。
しかし、存外にわたしのCD棚には少ないもので、このマゼール盤、デ・ブルゴス、アバドと3種しかありません。
カラスですら持ってないし、全曲聴いたことがないかもしらん。
映像もなし、舞台は新国で1度だけ。
オペラとしての人気、トップクラスなだけに、いつでも聴けるという感覚からか、あまり聴かないという自分にとって不思議な存在のカルメンなんです。

ベルガンサと作り上げたスタイリッシュなアバド盤、オペラ座のカルメンなデ・ブルゴス。
そしてマゼールは、なんでもありのインターナショナルなごった煮カルメン、かな。

面白いくらいに個性むき出しの歌手たちが、鮮烈なのマゼールの指揮のもとにあって生き生きとして感じる。
マゼールのテンポ設定は、相変わらずで急なアクセルや、驚きのアッチェランド、強弱の激しさなど、かたときも耳を離すことができない。
ジプシーの歌なんて、あまりに遅く、そしてあまり静かに始まるのでボリュームをあげてしまうととんでもないことになる。
そう、どんな演奏よりも激しい、うずまく熱狂が待ってるのだから。
久しぶりに聴いて、この前おなじように、笑っちゃうくらいになった「春の祭典」を思い出してしまったww
こんなこと、あんなことをしでかしながら、すべてがオペラとしてのドラマを語っていて、その場面を引き立てる必然であることがマゼールたるゆえんで、いつまでも生命力を失わない演奏となったのだと思う。

モッフォの若い頃の、ほの暗さも伴った声が大好きだけど、ベルガンサとは違った意味で、堂々たるカルメンを否定するような、ひとりの女性としてのカルメンを歌いこんでいる。
「ソフィア・ローレンのカルメンでなく、ブリジット・バルドーのカルメンであろうとした」と彼女自身がこのとき語ったそうな。
誇張やおっかなさを表出することなく、なんだか、悲しみさえ感じさせるモッフォのカルメンが好きです。

これに対し、直情一直線的なホセを、ありあまる声で歌いぬいてるのがコレルリ。
大ベテランの味わいもあるが、モッフォの知的なカルメンに比べると、まるで制御不能のオテロのように感じるのが面白い。
同様に、イタリアオペラを歌うかのように、豊穣たる声をなみなみと聴かせるカプッチルリは、声の豊かさという点で破壊力抜群だ。

イタリア男たちにくらべ、儚く、可愛い、理想的なミカエラを歌うドナートは、まったく違和感なく、この個性豊かなカルメンの出演者たちのなかにあって、一服の可憐な清涼剤的な存在か。

ファン・ダム、オジェー、ベルビエらの名前がうかがえるのも、実に楽しく、当時のベルリン・ドイツ・オペラがいかに充実していたかがわかる。
これが録音された年、ベルリン・ドイツ・オペラは来日して、マゼールはローエングリンとファルスタッフを指揮してました。
よき時代かな。。

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東日本はこれから梅雨かよ。

もう充分暑いよ、疲れたよ。。

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