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2021年10月24日 (日)

ベルナルト・ハイティンクを偲んで ① RCO

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ベルナルト・ハイティンク(1929~2021)

2021年10月21日、ロンドンの自宅にて家族に看取られつつ逝去。

2019年に現役引退を表明し、ウィーンフィルとのブルックナーの7番を最後に、ロンドンにて穏やかな日々を過ごしていたものと思います。

わたくしのblogをご覧になっている方は、自分のフェイヴァリット指揮者として、4人の名前を何度もあげて記事を書いていることはご存知かもしれません。
クラウディオ・アバドをことさらに愛し、その次に同じくらい長く聴いてきたのが、ベルナルト・ハイティンク、そして、アンドレ・プレヴィンに、ネヴィル・マリナーの4人の指揮者です。
2014年のアバドにはじまり、2016年にマリナー、2019年にプレヴィン、そして2021年にハイティンクと、相次いで物故してしまいました。
ベームやバーンスタイン、ヤンソンスも好きですが、彼らとは違う次元で、ずっと聴いてきた指揮者たちです。

長い音楽視聴ライフのなか、じわじわと来る寂しさと空白感を味わってます。
ハイティンクが指揮してきたオーケストラやオペラハウスの追悼記事を各処見るにつけ、いかに尊敬されていた指揮者か、つくづくと思いました。

ハイティンクの経歴を以前の記事から転載します。

   1929.3.4    アムステルダム生まれ
   1954           オランダ放送フィルにて指揮者デビュー
   1957~1961       オランダ放送フィル 首席
   1961~1988   アムステルダム・コンセルトヘボウ 
                                     主席(64年から音楽監督)   
   1967~1979   ロンドン・フィル首席(芸術監督)
   1977~1988   グライドボーン音楽祭 音楽監督
   1987~2002     コヴェントガーデン歌劇場 音楽監督
   1994~2000    ECユース管 音楽監督
   2002~2005    ドレスデン・シュターツカペレ 首席指揮者
   2007~2008   シカゴ交響楽団 首席指揮者
   2019                 引退
   2021.10.21        逝去 享年92歳 
            

   常連指揮者    ボストン交響楽団 首席客演指揮者        
            ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロンドン響
                                    バイエルン放送、ニューヨークフィル、
            フランス国立管、パリ管、オランダ放送フィル
            ヨーロッパ室内管、モーツァルト管
            ルツェルン祝祭管、チューリヒ歌劇場

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ハイティンクといえば、わたしにはコンセルトヘボウ、追悼第一回目は、コンセルトへボウとの交響曲録音を。

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ハイティンクという名前を覚えたのが、クラシック聴き始めの小学生のとき。
初レコード、ケルテスの新世界を買ってもらったときに、もらったパンフレットの一部がハイティンクのものだった。
69年のロンドン・フィルとの来日にあわせてのもの。
ブルックナーとマーラーってなんだろう、誰だろうと思ったものだし、そんな謎の作曲家のレコードばかりのハイティンクって・・・・
しかし、0番っていったい??と激しく悩んだ小中時代でした。

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これを見て、ハイティンクのハイドンを聴きたくなった方もいらっしゃると思います。
CD化されてないですね。

Haitink

ハイティンクの初レコードは、高校生の時に買った名演集の1枚。
74年のコンセルトヘボウとの来日記念盤だったと記憶します。
コンセルトヘボウの重厚な響きと柔らかさ、ハイティンクの堂々とした指揮ぶりが、これ1枚で楽しめました。
いろんな音楽を貪欲に吸収していた時分、ルスランとリュドミラ、運命の力、モルダウ、死の舞踏・・などなど、毎日聴きました。

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  ブラームス 交響曲第3番/悲劇的序曲

         (1970.5 コンセルトヘボウ)

同じころに買ったブラームスの3番。
73年にアバドとウィーンフィルがやってきて、ブラームスとベートーヴェンの3番を演奏し、テレビで視聴し、アバドの大ファンとなった。
同時に、ブラームスの3番の魅力に取りつかれ、ハイティンクのレコードを買った。
当時は、ちょっとそっけなく、もっとこう歌わせて欲しいなんて思ったけれど、後年、CD化されたもので聴きなおしてみると、オーケストラの持ち味を生かし、弦を美しく響かせることに注力した素晴らしい演奏に思うようになり、このあと録音された、コンセルトヘボウとのブラームス全集は、かけがえのない1組となったのでした。
この全集は、ふくよかな2番が一番素晴らしい。

ハイティンクとコンセルトヘボウは、日本には4回来日している。
62年と68年がヨッフムとともに、あと、74年と77年。
77年の来日を、行こうかなと思っていたものの、大学受験とかあるしで、なんだかんだであきらめた記憶があります。
その時の演目は、先のブラームス3番、海、ベートーヴェン8番、マーラー4番などで、FM東京が放送してくれて、マーラーがたいへん高評価だったが、そのエアチェックテープは消失させてしまった・・・・・

全集魔と呼ばれたハイティンクを、体系的に集めだしたのはCD時代になってすぐに。

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  ブルックナー 交響曲第8番/第9番

           (1981.5、11 @コンセルトヘボウ)

ブルックナー孤高の名作ふたつの演奏で、自分的には、ハイティンクとコンセルトヘボウの2度目の録音が最高だと思っている。
コンセルトヘボウの黄金期を築き上げたハイティンク、このコンビの最良の時期が、70~80年代半ば。
弦の幾重にも重なりあう響きの美しさ、そして低域から高域までのピラミッド構造は安定感と抜群で、作為的なものが一切なく、音楽のみが堂々とそびえたつ感がある。
オーケストラ・ホール・指揮者の個性が三位一体となって、加えてフィリップスの録音とで、最高度に造りあげられた音楽芸術。

ハイティンクとコンセルトヘボウは、このあと8番を2005年にもう一度録音したが、私には、81年盤の方がしっくりきます。
よく言われるように、コンセルトハボウは、ハイティンクからシャイーになって、変わってしまったと。
ここに聴かれるのは、家族のような絆を感じる音楽だと思うのです。

60年から72年にかけて録音された全集も、よくよく聴けば、若気の至りてきな煽りっぷりが顔を出すけれど、コンセルトハボウならでは落ち着いた音色で楽しめる随一のブルックナー全集。
緩徐楽章だけど取り出してそれぞれ聴いてみると、もうそこに感じるのはヨーロッパの景色そのもの。

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  マーラー 交響曲第4番

     S:ロバータ・アレクサンダー

     (1983.10 @コンセルトハボウ)

  マーラー 交響曲第1~5、7、9番

     (1977~87年 コンセルトハボウ)

ブルックナーとともに、マーラーのスペシャリストでもあったハイティンク、早くに交響曲全集を完成させた。
実は、その1回目録音は、全部揃え切れていません。
その後の83年の4番が素晴らしい。
ハイティンクは、マーラーのなかで、4番を一番多く指揮したのではないかと思います。
マーラーの演奏に伝統のあるコンセルトハボウ、ことさら4番は、独特の風味付けがあり、ハイティンクもそれにならい、ときに濃厚な味わいを醸し出しますが、それが実によろしい。
弦は相変わらずに美しく、ビロードのごとく肌触り。
3楽章は、まさに天国的な響きに浸ることができます。
ブルックナー8番と同じように、2006年にRCO独自レーベルに再録音してますが、これまた同じように、こちらの83年の演奏に及びません。

6番と8番を除く、クリスマス当日のマチネライブがまったくもって素晴らしい。
1番のみ77年で、あとは81年から87年までの演奏。
どれも、ライブならではの感興にあふれつつ、いつものハイティンクらしく、真摯にマーラーの音楽に取り組んでいるのがわかります。
演奏時期が、88年のコンセルトヘボウ退任前までですので、このコンビの最良の姿がここに聴かれます。
音楽が、音が、響きが、ほんとうに豊かです。

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 ベートーヴェン 交響曲第9番

  s:ジャネット・プライス A:ビルギット・フィニレ
  T:ホルスト・ラウベンタール Bs:マリウス・リンツラー

        (1980.10 @コンセルトヘボウ)

 シューベルト 交響曲第9番「グレイト」

        (1975.@コンセルトヘボウ)

ふたつの第9、といってもいまやシューベルトは、8番なのか。
この2枚も、わたしには思い出深い演奏。
ロンドンフィルとの全集に続いて、コンセルトヘボウでのベートーヴェンを期待していたが、こちらは全集には続かず、ライブでの単発。
CD初期に、通常4500円もしたのに、3000円という限定価格だった。
ハイティンクのライブ録音は、これが初ではなかったかな?
大編成で堂々と演奏されるこの第9、唯一の不満は、立派すぎることだった。
そのあとの、コンセルトハボウとのベートーヴェン全集は、それこそ、このコンビの集大成のような理想的なキリっとした名演ばかり。
ジャケットが、コンセルトヘボウのホール外観だったのも実によかった。
それもそのはずで、コンセルトヘボウ創立100年の記念の全集でもあり、ハイティンクとコンセルトハボウとの結びつき、音楽監督としての最後の大輪の花だった。

香り高いシューベルトは、このコンビの真骨頂。
無為無策のように何もせずして、音楽的、まるで、スルメのように噛めば噛むほど味わいが増す音楽であり演奏。
ハイティンク向けのこの曲だけれど、このコンセルトヘボウ録音以外に再録音はしませんでした。
手持ちにはベルリンフィルとのライブエアチェックがありますが、こちらの方がずっとステキだ。

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      シューマン 交響曲全集

     (1981~84 @コンセルトヘボウ)

これもまた、ハイティンクとコンセルトヘボウにぴったりの音楽で、すぐさま全集となりました。
木質の音楽、馥郁たる河の流れ。
シューマンの音楽が、こんなに豊かで、隙間なく音であふれているなんて。
これを聴いてしまうと、バーンスタインやエッシェンバッハのシューマンは疲れてしまう。
そしてフィリップスの録音が素晴らしい。
さらに、このジャケットが素晴らしい。
これにデッカのマークは似合わない。

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  チャイコフスキー 1812年、スラヴ行進曲、フランチェスカ・ダ・リミニ

          (1972.8 @コンセルトヘボウ)

  チャイコフスキー 交響曲全集

          (1974~79 @コンセルトヘボウ)

アナログ期の最高のチャイコフスキーを産み出したのは、ハイティンクとコンセルトヘボウ。
1812年の自分にとっての初レコードがこれで、荘厳かつ神々しい純音楽的な1812年。
録音も最高だ!
さらに、スラヴ行進曲も堂々たるもので、この演奏で、この曲の素晴らしさに目覚めたフランチェスカも実にいい。
志鳥栄八郎さんが、ハイテインクはチャイコフスキーを録音するようになったら売れる、と書いておられた。
4番と6番は再録音となりましたが、それらはさらにスケールアップし、全集の手始めとなった5番なんて、とんでもなく美しく、そして堂々とした、自分にとっての超名演であります。
1~3番も、録音とともに最高。
大好きな1番は、いつまでもずっとずっと聴いていたい。
あとマンフレッドまで、ご丁寧に録音してくれましたが、バイロンの荒唐無稽な大叙事詩を、豊穣なサウンドと木目調な響きでもって、刺激臭なく、鮮やかに聴かせてくれてる。
ロシア系の演奏と対局にある、ヨーロピアン・チャイコフスキーの最高峰的演奏と思う。

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 ショスタコーヴィチ 交響曲第8番/第13番「バビ・ヤール」

    Br:マリウス・リンツラー(13番)

      (1982、84 @コンセルトヘボウ)

フィリップス以外のレーベルにハイテインクが録音したのは、デッカへのウィーンフィルとの幻想交響曲。
そして、アナログ末期からデジタル期をまたがるように、ショスタコーヴィチの交響曲をデッカに録音するようになり、ついに全集を完成させました。
ロンドン・フィルと始めた録音は、途中からコンセルトヘボウに切り替え、コンセルトハボウとは、5、6、8、11~14番の7曲を録音。
この全集を目指した録音が始まったとき、私は驚きました。
なんたって、独墺系の大家というイメージが定着していて、チャイコフスキーはともかく、ショスタコーヴィチに取り組むなんて!
77年の10番から始まり、最後は84年の13番。

この頃から、ポスト・マーラーという言葉がささやかれはじめた。
ブルックナーとマーラーの次に来るのは?
その答えのひとつがショスタコーヴィチで、ハイテインクは、ショスタコーヴィチがソ連でおかれた境遇や環境などを踏まえながらも、シンフォニストとして、真正面から楽譜優先でとらえた純音楽的な解釈でもって全集録音を残した。
この姿勢は、ショスタコーヴィチの演奏のひとつの模範解答のようなもので、そのあと続いたインバルやヤンソンスもそうした傾向を踏まえたものだと思っている。

8番は、ハイティンクがショスタコーヴィチの交響曲のなかで、一番数多く指揮してる作品。
曲の持つ深刻さを引き出しつつ、この作品が保ってる交響曲的なかっちりした構成感をみごとに表出してる。
暴力性は少なめ、すべてが正確だけど、マーラーに近い、パッチワーク的なサウンドもきっちり聴かせてくれる。
正規音源はこれひとつだけど、エアチェック・ネットチェックを集めたら、ドレスデン、ボストン響、ロンドン響の演奏もアーカイブできました。
13番のコラージュのような、いろんな心情をまぜこぜにした死や恐怖を背景にした作品でも、ハイティンクは堂々と向き合い、深刻さよりも、譜面に書かれた音楽の忠実な再現に徹している。
結果、その音楽が自ら語りだし、聴き手の想像力を高めるような、押しつけがましさのない、作品本来の姿を見せてくれる演奏となっている。
 ハイティンクのすごさは、こうしたところだとうと思う。

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ハイテインクとコンセルトハボウ、次は、管弦楽曲と協奏曲篇です。

長い特集となりそうです。

ベルナルト・ハイティンクさんの魂が、安らかなること、お祈りいたします。

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コメント

クラヲタさま、みなさま、こんばんは。
ワタシはクラヲタさまほどハイティンクを聴き込んでおりませんので、交響曲の愛聴盤を1枚、クラヲタさまもあげておられたショスタコーヴィチの交響曲全集から第14番を。ソ連の録音で聞き慣れたバスの声とは違ったF=Dの声と、こちらはややヴィシネフスカヤあたりと共通点も感じさせるヴァラディの声。チンプンカンプンのロシア語と違って、やや耳に馴染みの原語版の歌詞。そして室内楽的な管弦楽。クラヲタさまもあげておられた第13番(こちらは耳にズンズンくる大編成!)と並んで愛聴しております。ハイティンクは同曲のロシア語版は録音していないのでしょうか?

投稿: アキロンの大王 | 2021年10月25日 (月) 18時54分

ご無沙汰しております。
さすがの充実の内容ですね。
ハイティンクとアムスレルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンビに関しての所感はことごとく同意です。彼は、 ご指摘の通りアムステルダム生まれ。コンセルトヘボウ管弦楽団と共に、物心ついた頃から88年の退任まで過ごしてきたのではないでしょうか。

意外に思ったのですが、メンゲルベルクのベートーヴェン全集、とてもいい。メンゲルベルクというと私もゲテモノ扱いをしてきたのですが、昔、GRで出ていたSP復刻の箱物やそのベト全など、聴いた印象が思ったよりも自然であったことです。マーラーのヴィンセントとの4番の録音やチャイコフスキーの印象が強かったのですが、古典やバロックなどとても音楽的に私には楽しめました。

話はそれましたが、雑誌の受け売りですが、もう既にご承知かと存じますが、あのメンゲルベルクのすすり泣きの入っているマタイ、あれをまさに、そのすすり泣きのご婦人のすぐ後ろで12歳のベルナルト少年が聴いていたんだと。私は思うのです。ハイティンクはずっとメンゲルベルク時代のその頃からコンセルトヘボウ管弦楽団と一体で過ごしてきて、だからハイティンクの芸風はメンゲルベルクをモダンにした、まさにコンセルトヘボウ管弦楽団の歴史と伝統の延長線上の芸風だったように感じたりもします。
それだけに、ご指摘の70年代後半から退任までの期間の一体感のある、全てがはまるところにはまっているような、芳醇で馥郁たる香りが、爆発的で鮮烈なアインザッツに隈取りされて、豊かなホールトーンを鳴らしに鳴らし、伸びやかで自然なフレーズが奏でるあの音楽は、まさにハイティンクであるというよりも、コンセルトヘボウ管弦楽団そのものだった気がしているのです。

ハイティンク自身、多分そう感じていたかも知れないなんて想像もしています。だからこそ、まさかのオケ側の裏切りとも感じる退任劇の顛末を見ると、随分と悲しかっただろうなとも思いますし、そして随分立ってから復帰しても度々口に出る「もうコンセルトヘボウは振らない」という発言、それでもなぜかしばらくするとまた復帰している。ハイティンクは案外わがままで気難しいところもあり、コミュニケーション能力のある人ではなかったのかも知れないとも思います。
私もここ数日、ハイティンク時代のコンセルトヘボウを聴いています、全盛期のハイティンクがここにはありますね。

ブルックナーは8番9番に関しても同意です。マーラーに関してもアレクサンダーとの4番や同時期の7番はその後のベルリン・フィルとの録音でもここまでの深みはない気がします。それから、「アルプス交響曲」に「死と変容」も離任直前の録音だったと記憶しています。あれも味わい深い愛聴盤です。
個人的には、88年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を退任してから、私のハイティンクは終わってしまいしたが、そして引退してしまっていることもあり、もう演奏は聴くことはできませんでしたが、でももうこの地上に彼がいないのだと思うと寂しくてなりません。
長文すいません。でも今日はハイティンクとなると語りたくなります。yokochanさんとは随分前に、初めてお目にかかったときからハイティンクのことは度々話題に上りましたね。

投稿: yurikamome | 2021年10月26日 (火) 08時58分

アキロンの大王さん、こんにちは。
死者の歌は、ロストロポーヴィチのレコードで聴き親しんでいたので、ハイティンクとFD夫妻のまるでマーラーを演奏するかのような緻密な解釈に驚いたものです。
ときに、FDの声が突出しすぎる印象もありますが、この曲の深刻さ度合いは、いまでもハイティンク盤が随一だと思います。
残念ながら、
ハイティンク唯一の録音です。

投稿: yokochan | 2021年10月28日 (木) 08時50分

yurikamomeさん、ご無沙汰をしております。
ベルリンでのフィルハーモニーでの視聴記、楽しく拝見してます。
そして、すべて同意できる、すばらしいコメントをありがとうございました。
夫婦のように同質化したコンビゆえ、ちょっとの齟齬が別れのきっかけになったりしますね。
それでも定期演奏会には何度も復帰、最後は2018~2019年にかけての引退前、マーラー9番、ブルックナー6番、ブラームス4番という、いかにもこのコンビならではの演目を指揮してます。
マーラーを指揮した際、カーテンコールで、指揮台から落ちてしまうという事件も起きました。
コンセルトヘボウのホールのフロントには半旗とともに、ハイティンクの追悼の幕が掲げられていました。
ともかく、寂しいです。
絶頂時に、ハイティンクのことを語りあえたこと、いまでは感謝です。

投稿: yokochan | 2021年10月28日 (木) 09時00分

ヴァーサタイルでフレキシブルな、マエストロ。どの国のいかなる時代の作曲家の音楽も、大船に乗ったような心持ちで、お届け下さった音楽家。我が国の音楽文筆業界に棲息していた、1870~1880年代に生を受けたロマン主義&表現主義のアーティストを偏重のある書き手に、凡庸の代名詞の如く貶されていた時期も在ったようですが、とんでもない誤解と偏見でした。

投稿: 覆面吾郎 | 2021年12月 4日 (土) 11時31分

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