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2022年3月25日 (金)

シューベルト 交響曲第8番「未完成」 ミュンシュ指揮

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河津桜とライトアップされた東京タワー。

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3月の14日でしたので、もう葉桜になりかけてましたね。

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こちらは芝公園の銀世界の梅と呼ばれる梅園から。

この時期に、梅と桜、あとちょっとだけ菜の花も楽しめる都会の真ん中の公園です。

たぶん、もうしばらく来ないだろうな、と思いつつ東京タワーとともに眺めました。

Munch

       シューベルト 交響曲第8番 ロ短調 「未完成」

   シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

              (1955.5.2 ボストン)

懐かしの1枚。

コロナ共生社会のなかで、音楽界もプログラムに超大規模な作品を取り上げにくくなりました。
マーラーの千人や、グレの歌など、オケも合唱も大量の出演者を要するものはなかなか難しくなった。
オペラでは、演出においてスタンスを大きくとったり、マスクを効果として使ったりという工夫がほどこされたり。
オーケストラコンサートで増えたのは、古典からロマン派の音楽で、シューベルトの交響曲がとても演奏されるようになったと思う。
とくに、4番やザ・グレイトあたりがとても多い(と思う)。
心が優しさを求めている、そんなときに歌心あふれるシューベルト。

あと、いまのウ・ロの戦下にあって、ロシアの作品が敬遠されたりするのはまったくケシカランと思うが、苦悩から歓喜、平和の賛歌、そう、ベートーヴェンがずいぶんと演奏されている。
第5と第9がとても多くて、第9などは欧州では日本の年末状態になってる。

さて、ミュンシュの「未完成」はかなり以前にも取り上げてますが、仕事の拠点を実家に戻したことを経緯にして聴いてみて、自分の未完成のすりこみ演奏がこれだ、と確信を持ったからです。
むかしは、33回転の17センチレコードがあって、両面で30分ぐらいの曲がたくさん出てました。
ビクターレーベルのこのシリーズもそうで、豪華見開きジャケットで50年以上が経過したいまも、その装丁はかなりしっかりしたまま残ってます。
解説を読むと、ミュンシュがまだ存命のように書かれているので、1967年頃の発売かと思われます。

Munch-3

両親に買ってもらったクリスマスプレゼントとしてのレコード第2段が、岩城&N響の第9と、このミュンシュの未完成だったかと記憶します。
2枚のフルサイズレコードだと両親の負担も大きいので、大と小、みたいな感じで2枚でした。
速いテンポを取ると思いがちなミュンシュの指揮は、ここではゆったりとしつつ、かつ優しい歌いまわしにあふれていて、この作品に必須の儚さも随所にあふれている。
重心は低めだけど、ボストン響のヨーロッパ系の音色が堪能できるのも嬉しく、自分には、ともかく郷愁誘う演奏なのです。
管楽器にやや鄙びた雰囲気を感じるのは、さすがに50年代の録音の影響だろうか、それすらが懐かしい。

このレコードのジャケット解説には、77歳の高齢、という表現があるが、いまでは77歳にそんなイメージはないのも、時代の経過を感じます。
1968年、その77歳でミュンシュは亡くなってしまうのですが、もう少し存命であればパリ管と多くの録音を残せたし、ボストンへの客演の新しい録音も実現していたかもしれない。
ストラスブールという、フランスでもドイツでもある街を体現した偉大な指揮者だと思います。

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これまでは、散歩して同期生の東京タワーを眺めることができたけれど、もう遠くなるので、お別れをしてきました。

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コメント

お引越し、お疲れ様でした。
「未完成」の原風景?自分の場合は誰だったか・・・。LPで最初に買ったのはフルトヴェングラー(「運命」とのカプリング)だったと思うのですが、カチンときてしまった記憶があり、“原風景”というわけではなさそうです。初めて「!」と感じたのは、おそらくジュリーニ=シカゴじゃなかったでしょうか。へそ曲がりはもうその時から始まっていたみたい。手持ちの音源で今一番ハマっているのは、ケルテス=ウィーン・フィル(次点はアバド=ウィーン・フィル)。ウィーン・フィルというのは癪ですけれど。

投稿: ianis | 2022年3月26日 (土) 18時52分

ianisさん、まいどです。
blog復刻されましたね!
原稿はきっとふんだんにあることでしょうから、更新楽しみにしております。

桜を眼前に見ながらの日々は、都会とまったく違う楽しみがあります。
未完成の音楽も映えます。
ジュリーニ・シカゴ、わたしも好きですね。
かっちりとしつつ、甘味な様相もあります。
あと、重厚すぎますがハイティンク。
ケルテスとアバドは、同感です。
あとは、アバドの2013年ルツェルンが正規化されれば、と思います。

投稿: yokochan | 2022年3月28日 (月) 08時40分

ボストン響の未完成で思い出したのですが、ちょうど第一次オイルショックの頃にDGから出たヨッフム指揮のジュピターとのカップリングを買いました。演奏は秀逸でしたが、P社が付けた
「今までのヨッフムは忘れられがちな指揮者。だがもう忘れられない」
とのコピーに義憤?を感じました(笑)。

またミュンシュは同じ頃パリ管との幻想やブラ1に圧倒され、勢いでバイエルン放送響とのレクイエムを石丸2号店で入手したその足で湯島のカレーの名店Dに向かったのですが、後から入店した初老の男性が「カシミール!」と威勢良く注文し、運ばれた激辛カレーを凄い勢いで食べ始めたのですがほどなく「ゲホン、ギョホン!」とむせ返りカウンターに突っ伏してしまったのを目撃しました。懸命に笑いを噛み殺しましたが、あの御仁は不運な常連だったのか半可通だったのかは永遠の謎です。

他愛もない思い出、失礼しました…。

投稿: Edipo Re | 2022年4月 1日 (金) 00時57分

ヨッフムとボストン響の組み合わせは新鮮でしたね。
オイルショック時、国内盤は発売されず、輸入盤での発売だったかと記憶します。
ペラペラのジャケットががっかりでした。
同時期にカラヤンのツァラトゥストラも出ました。
ヨッフムは、DGとEMIに、この頃から素晴らしい録音を残してくれましたね。

カレーおじさん、ミュンシュのベルリオーズを傍らにしてみている若きEdipo Re を思うと、ほほえましく思います(笑)
このレコードも当時のDGmならではの分厚い組物ジャケットに奉納されていたとこちらも記憶します。
辛い物は、もうこの歳になるとキツくなりました。
若い頃は、汗だらだら流して食べれたのですが・・・

投稿: yokochan | 2022年4月 5日 (火) 08時44分

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