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2022年4月

2022年4月30日 (土)

フォーレ レクイエム A・ディヴィス

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桜満開のときの小田原城。

ライトアップされた城と桜を見てきました。

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高校時代を小田原で過ごしたけれど、お城に登城したのはほんの数回。
むしろ幼稚園や小学校の時の方がよく行っていた。
学校が終わると、音楽が早く聴きたくてお家にまっしぐらだった。

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いまや、観光地となった小田原だし、箱根の玄関口として訪れる方もたくさん。

小田原といえば、みなさん海鮮やおでんということになりますが、たしかにそれらは美味しいけれど、城下町グルメはういろうという和菓子とあじの干物に、かまぼこ。
あと、自分の思い出はレトロな昭和のデパートと喫茶店、そこで食べたホットドッグ。
そして「名曲堂」という名のレコード店。
レコードは名曲堂と、ナックというショッピングセンターにあったレコード店。

フォーレレクイエム

これほどに優しく、心の空白感や喪失感をなだめてくれる音楽はない。
と同時に哀しくないときも、心の平安を呼び覚ましてくれる音楽。

フォーレの音楽は、多くは室内楽作品やピアノ、歌曲などに佳作が多いが、いわゆるフランス音楽的なエスプリとともに、どこか没頭感のある陶酔してしまうようなパッションのようなものも感じる。
フランスはラテンなのだ。

昨今のフランスという国をみているとつくづくと思う。
植民地統治の名残から他民族国家でもありつつ、熱いパッションは変わらない。

一方で、何年か前にノートルダム寺院が火災にあったとき、フランスの人々の悲しみや喪失感を見たときに、カトリック教徒としての熱き信仰心あふれる姿も見ました。
真摯な祈りが基調の音楽は遠くルネサンス期からバロック期までさかのぼり、営々としていまにいたるまで優美ななかに感じ取ることもできると思います。

滋味にあふれるフォーレ独特の陶酔感があふれるレクイエム。

人が無意味に亡くなりすぎる悲しみの連鎖。

フォーレを無性に聴きたくなり、ニュートラルで優しいアンドリュー・デイヴィスの若き頃の演奏で聴く。

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  フォーレ レクイエム

    S:ルチア・ポップ

    Br:ジークムント・ニムスゲルン

 アンドリュー・デイヴィス指揮 フィルハーモニア管弦楽団
                アンブロージアンシンガーズ

       (1977.7 @オール・セインツ教会)
  ※ジャケット画像は借り物です

いまや、英国音楽界の重鎮となったサー・アンドリュー。
指揮活動も50周年を数年前に迎え、コンサートとオペラに味わいのある演奏をいくつも残してます。
地味な印象が先行しがちですが、はったりのない誠実な演奏が、作品の本質を素直に引き出し、大いなる感銘を与えることもしばしです。
昨今の英国音楽の貴重な録音の数々は、ヒコックスやハンドレー、B・トムソン亡きあと、貴重な存在であるとしかいえません。
英国人ではないですが、現BBC響の指揮者としてその任期も延長したサカリ・オラモ、ブラビンス、ウィッグルワース、ジョン・ウィルソンらとともに私の信頼する英国音楽の担い手であります。

ことさらに、多くを語らず、優しい語り口でそっと素直につぶやいてみたような演奏。
イギリスのオケと合唱であることも多弁にならずにいい。
このコンビで、数年前にはデュリュフレのレクイエムの名演も録音している。

のちに、ウォータン歌手となりニムスゲルンも、ここではアクの強さは控えめに、柔らかな歌唱に徹していて好感が持てる。
あとなんといっても、ルチア・ポップの楚々たる、ほどよき甘き歌い口。
ポップの声が大好きな自分にとって、まさに天国からの歌声に聴こえる・・・・

前にも書いたが、人は死ぬ時に、麻薬の症状にも似た、体を麻痺そして高揚させる何かを分泌するとかいうことを読んだことがある。
美しく平安に満ちて亡くなるご尊顔が多い。
神様がすべてを解き放つように仕向けてくれるのだろうか。

フォーレの美しすぎるレクイエム。

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あざといぐらいの色合いのイルミネーションで城門もあでやか。

でも桜は、こんなふうに鮮やかに脚色しても美しい。

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何十年かぶりに、子供時代、青年時代を過ごしたエリアで暮らすようになった日々。

思い出の連鎖はやはりとどめようがない。

さまよえる自分はここにとどまり、終止符を打つのだろうか・・・・

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2022年4月15日 (金)

バッハ マタイ受難曲 マウエルスベルガー指揮

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芝増上寺の子育地蔵、子供の無事成長、身体健全、水子供養のために、1300体のお地蔵が安置されてます。

桜吹雪を起こす風が、お地蔵さんの風車もからからと回し、彼岸の域の様相を呈します。

拝む神様は、世界でさまざまなれど、その祈る心は同じ。

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3月の最終日、東京生活のピリオドを打ちに参上し、もう終わりかけた増上寺の桜を見てまいりました。

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  バッハ  マタイ受難曲 BWV244

   福音史家:ペーター・シュライアー 
   イエス:テオ・アダム
   ペテロ:ジークフリート・フォーゲル
   ユダ:ヨハネス・キューンツェル
   ピラト:ヘルマン・クリスティアン・ポルスター

   アルト:アンネリース・ブルマイスター  
   ソプラノ:アデーレ・シュトルテ
   テノール:ハンス・ヨアヒム=ロッチェ  
   バス:ギュンター・ライプ
  
  ルドルフ・マウエルスベルガー指揮 
    ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
    ライプチヒ聖トマス教会合唱隊
    ドレスデン十字架教会合唱隊

        (1970 @ルカ教会 ドレスデン)

2022年のイースターは、4月17日。
キリストが磔刑にあった、聖金曜日は15日ということになります。

人類にとっての至芸品ともいえる、バッハのマタイ受難曲。
今年ほど、この音楽が人類への警鐘とも聴こえる年はないのではないか。

キリスト者からみた、人類の救い主たるイエスの受難の物語。
新約聖書のドラマテックなクライマックス、イエスの呪縛と、磔刑にいたる緊迫の物語。
自身を鏡で映しだされてしまうかのような、心の内とその存在の弱さをバッハは厳しくも音楽で優しく描きつくした。
そこに共感することで、宗教を超え、人間としての存在の深淵をのぞきこめる普遍的な価値をここに見出す。


中学生のときに聴いたリヒターの、最後の合唱「Wir setzen uns mit Tranen nieder」。
そこから始まった、わたくしの、マタイ歴はワーグナーとディーリアス同様に長い。
同時に聖書を物語的に読むにつれ深まる疑問とそこにある不変の感銘。
1974年、H・リリングが初来日し、そのときのマタイをテレビやFMで視聴したことが初の全曲体験で、アダルペルト・クラウスの福音史家も思い出深く、テノールのこの役柄がバッハのこの音楽にとっていかに大切なものであるかも、このときに痛感したものだ。
リリンクのあの時の演奏は、マタイを知るきっかけとなった一方、多くの方がそうであるように、リヒターの峻厳な演奏が、マタイのひとつの指標になっていて、それをベースに他の演奏を聴くということが自分でも起きていたと思う。

1972年にレコード発売されたマウエルスベルガー盤は、レコ芸で見てからずっと気になる存在だったけど、もちろんその頃は4枚組のそんな大曲など遠い存在すぎて、聴くすべもなかった。
その後、ずっと忘れていたマウエルスベルガー盤が無性に聴きたくなったのは、ここ数年のことで、昨年、ようやく入手して静かに楽しむこと数日、そしてほんとうに飽きのこない、でもこれと言って大きな主張もないこの演奏がとても好きになりました。

兄弟でバッハの守護者のような存在だった、ルドルフとエールハルトのマウエルスベルガー氏。
全体の指揮をとった兄ルドルフはドレスデンで、弟エールハルトはライプチヒでそれぞれ活躍し、この録音でも双方の教会合唱隊の指導を行ってます。
ルドルフ・マウエルスベルガーは、この録音時81歳で、翌年に亡くなってますので、ピンポイントでほんとうにいい時に録音されたものです。
 ここに名を連ねる、当時の東ドイツ側の歌手たちも、いまや物故してしまった。
ドイツ的なるものを宿していた時期のバッハは、いまのインターナショナル化してしまった旧東ドイツ系のオーケストラでは聴かれない、いい意味での古雅な響きを持っているし、ドレスデンのルカ教会での録音も、まさにこの時期ならではの響きがする。

おそらくバッハにその人生の大半を帰依し、ともにあったマウエルスベルガー兄弟。
リヒターのような強い主張はここではまったくなく、淡々とバッハの音楽が流れゆくのみで、群衆の「バラバ」「十字架に」という言葉も劇的になることなく、必然としてのように歌われるし、ペテロの慟哭のあとのアリアも物静かに進行する。
マウエルスベルガーのマタイは、バッハの音楽そのものしか感じることができず、指揮者の存在や関与を感じさせないという点で稀有の存在なのではないかと思う。
名のある歌手たちも、指揮者の元に極めて禁欲的につとめていて、名エヴァンゲリストとなっていくいくつもあるシュライアーの録音のなかで、これが一番素晴らしいと思う。
過剰な歌いこみのない、ペテロの否認の場面は極めて感動的。
テオ・アダムとブルマイスター、バイロイトでウォータンとフリッカのコンビだったふたりも、抑制された歌いぶりで、いぶし銀的な味わいがあり、ほかの歌手たちも同様。

オーケストラ、独唱、合唱、少年合唱、録音チームのひとりひとりまで、バッハを歌い、演奏するという長き伝統に裏打ちされたひとつの理念でもって統一感があって、何度もいうが、渋いけれど、なにも起きないけれど、普通に素晴らしい演奏だと思うのであります。
リヒター、レオンハルトとともに座右においておきたい。

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花曇りだけど、増上寺と東京タワーに桜は映えます。

東京タワーの横には、ロシア大使館の前に建設中のビルがだんだんと出来上がってきて、正直言って、景観をそこねている。
日本一の高層ビルになるようで、そのようなもの、もういらないとホント思います。
いろんなところでビルの工事中であった東京を去り、何もない場所に帰ってきてほぼ1か月。
毎日、窓の外が額縁みたいです。

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次に聴きたいマタイは、アバドとベルリンフィル。

イタリアのレーベルから限定で出ていたが、あまりに高額で手も足もでない。

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2022年4月10日 (日)

アンサンブル ラディアント 第23回定期演奏会

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神奈川県二宮町の町営生涯学習センター「ラディアン」。

そのメイン施設が「ラディアンホール」で531席のコンパクトなサイズです。

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このホール開設時に創設されたのが、湘南・西湘地区のアマチュアとプロの奏者たちの皆さんによるアンサンブルラディアントです。

創設者の白井英治さんはずっとこの楽団のコンサートマスターを務めていらっしゃいましたが、残念ながら昨年お亡くなりになりました。

小田原の高校を出た私ですが、そのころ、小田原フィルハーモニーにちょっとしたご縁で打楽器で出演することとなりました。
そのときの客演ソロ奏者が、当時読響におられた白井さんでした。
ラロのスペイン交響曲がその演目でした。

白井さんのご家族もそろって音楽家でして、引き続きこの楽団のメンバーです。
そして娘さんの白井彩さんが、今後団長を引き継いでいかれます。
ラディアンという素敵な響きを持つホールとともに、地元に根差した活動をこれからも是非期待したいと思います。

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 第22回 アンサンブル ラディアント定期演奏会

       ~音楽とめぐるヨーロッパ~

  グリーグ   二つの悲しき旋律
          
          胸のいたで、過ぎし春

  ウォーロック  カプリオール組曲

  ヴァイネル   ハンガリーの古舞曲によるディヴェルティメント

  メンデルスゾーン 弦楽八重奏曲 変ホ長調 ~弦楽合奏版~

  ガーシュイン  ララバイ ~アンコール

      アンサンブル ラディアント

      ゲストコンサートマスター:白井 篤
      賛助出演:松本 裕香
           ソモラ・ティボール 
           百武 由紀
           安田 謙一郎
           藤村 俊介  

      (2022.4.9 @ラディアンホール 二宮町)

追悼をこめて演奏されたグリーグは、晩春にさしかかり、まさに桜の散る季節に相応しい音楽と演奏でした。
北欧から始まったい欧州の旅は、透き通るような哀しさと自然の美しさを味わいました。

ついで、悩める作曲家でディーリアスの研究家でもある本名ヘセルタイン、ウォーロックの組曲。
ウォーロックは36歳の自らの命を絶った謎多き作曲家で、「たいしゃくしぎ」という絶望の深淵をのぞいてしまったような歌曲が昔から好きなのですが、それと真反対のルネサンス調のゆかしき舞曲集は、英国王朝の伝統と格式、そしてユーモアも感じさせる音楽。
実演で聴くのは初めてでして、軽やかでしなやかな演奏でありました。
北欧から英国へ行くと、そこは格式豊かな社交の場で、お紅茶でもいかが?という感じになります。
でも英国はタダモノでないですな、表面はそうでも、英国音楽も深すぎる。

さて次はハンガリーのヴァイネルという作曲家の作品で初聴きでした。
ここでは、自国の音楽と言うことでソモラ・ティボールさんがコンマスに。
そして、立奏となりまして、音の圧と自在さがより高まることとなりました。
5つのハンガリー風の舞曲は、なかなかに味わい深く、かつ濃くて独特な響きを醸し出してました。
こういう音楽は、日本人が聴いても血が騒ぐといいますか、リズムを取って動きたくなるもんでして、ホールも熱い雰囲気に満たされましたし、ティボールさんに導かれた奏者のみなさんも、ノリノリで体を大きく動かしながら、アイコンタクトをしながらの熱演ぶりでございました。
東欧の国、ハンガリーに行くと、血の濃さといいますか、民族色が音楽にモロに反映されている感じがします。

後半は、音楽の本場ドイツへ到着。
メンデルスゾーンはユダヤ系だけれども、本物のドイツロマン派の中心人物であり、その伸びやかで明るい音楽は、いつでも癒しになり、そして温暖でうららかな町、二宮にぴったり。
メンデルスゾーンはメロディーメイカーだと、この曲の1楽章を聴いてつくづくわかるし、なんたって17歳の頃の作品とは思えない。
一度聴いたら忘れられないメロディーだと前から思っていたけれど、弦楽合奏版で聴くと、さらにスケール感と立体感が増して、より大きな音楽に聴こえました。
それにしても、ホールを満たすアンサンブルラディアンの響きが輝かしくも感じられたのは、メンデルスゾーンの豊かな音楽ばかりでなく、後半に入って皆さんの集中力と音楽にかけた思いが高まり、それが音にしっかり乗って、聴くわたくしたちにしっかり届いたのでした。
終楽章ものめり込んで聴いてしまった圧巻の盛り上がりで、曲の終結とともに大きな拍手が巻き起こりました!
佳曲、佳演とはこのこと。
ドイツに着くと、やはりそこは豊かで深みもあり、音楽の可能性が幾重にもあると感じる、まさに本場でございました。

コンマスの白井さん(ご自身で5号とおっしゃってました(笑))のご案内で、アンコールはヨーロッパで閉めると思いきや、渡米です、と会場を笑わせていただきました。
旅の終わりに、こ洒落て、小粋なガーシュイン。
誰しもがほっこりと笑みを浮かべてしまうステキな作品で、羽毛のようなサウンドで、4人のソロのみなさんの美しい弱音にも聴き惚れましたし、こうした静かな音楽でスゥイングしちゃうのもいいもんだ。
お休みまえのウィスキーを飲みたくなった。
そんな気分にさせてくれた終点のアメリカ。

なんたって平和がいちばん!

アンサンブル ラディアント、来年は何を聴かせていただけますでしょうか。

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夕景のラディアン。

奥には新幹線が走ります。

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山手には八重桜と、ずっと奥には丹沢山系。

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3月の河津桜もラディアンの見どころでした。

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2022年4月 3日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第3番&5番

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春まっさかり。

桜も関東は終盤で、この週末が最後の見ごろ。

移動してきた実家の庭の春紅葉と桜。

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寒暖の差が大きく、今年の桜はことさらに美しく感じられました。

不穏な世界も、この桜を愛でて一呼吸して欲しいものです。

今年2022年は、ラルフ・ヴォーン・ウィリアムス(1872~1958)の生誕150年。

あらゆるジャンルに、万遍なく、その作品を残したRVW。
あらがいきれなかった9番までの交響曲に、民謡をもとにしたお馴染みのグリーンスリーブスなどの瀟洒な作品や、タリスなどの管弦楽作品、さまざまな楽器の協奏曲作品、室内楽、器楽に、オペラ7作、そして歌曲や声楽曲も多数。
多作家であり、晩年まで意欲は衰えず作曲を続けた。

その生涯にふたつの世界大戦を体験し、その作品にはその影が大きく落としている。
一方で、そんな陰りなどは、まったく感じさせない、英国の田園風景や自然、そして民謡採取から生まれた懐かしさ感じる音楽もあるし、シネマ的な優れた描写音楽もある。
9曲の交響曲には、そんな多面的なRVWの音楽の姿がしっかり反映されていて、それぞれに分類もできる。

今年、数回に分けてRVWの交響曲をその特徴をおおまかに分類しつつ聴いてみたい。

1回目は、不穏ななかに求めたい自然の優しさを。
しかし、いずれもふたつの大戦にはざまれた作品。

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     ヴォーン・スイリアムズ 田園交響曲(交響曲第3番)

       S:ヘザー・ハーパー

   アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

         (1971.1.8 @キングス・ウェイホール、ロンドン)

    ※ジャケットはあまりにステキなものなので借り物で、私のプレヴィン盤は全曲盤
     以下ふたつ記載も以前書いたものに少し手をいれたもの

1922年に
ボールトの指揮により初演。
全曲がゆったりしたモデラートで書かれた、田園を思い描いた心象風景そのもので、平安を求めるより内面的な音楽でもある。


北フランスにいた1916年頃から構想され、そのカミーユ・コローの風景画のような景色に大いにインスパイアされた。
第1次大戦が、しかしこの平和な交響曲に陰りを帯びさせることとなる。
構想から6年、完成した「田園交響曲」は、確かに平和でなだらかな牧歌的なムードにあふれているが、RVW独特のペンタトニックな旋律は、物悲しい北イングランド風で、戦争の悲しみをも歌いこんだ戦火で命を失った人々へのレクイエムのようでもある。

木管の上下する音形で印象的に始まる茫洋とした出だしの第1楽章。
徐々に霧が晴れてくるかと思うと、また風景はぼんやりと霞んでしまう・・・。

やはり静やかな第2楽章、長いトランペットのソロは、夜明けを切り裂くような悲しいラッパに聴こえるし戦渦のなかの慄きか、はたまたあまりに儚い夢の中に留まりたい思いもあるかのようだ。
唯一元気のある3楽章は、フルートやヴァイオリンソロ、ハープの涼やかな合いの手が美しいが、ダイナミックな舞踏曲の様相となるユニークな楽章。
そして、この曲最大の聴き所の第4楽章。ティンパニのトレモロのなか、ソプラノ・ソロが歌詞を伴なわずに入ってくる。
このミステリアスな雰囲気で始まる繊細で美しい終楽章は、心の襞に染み入る癒しと安らぎの音楽だ。
優しく、おやすみなさい、お眠りなさいと語りかけるような音楽。
最後に再度、ソプラノが歌い、消え入るように「田園交響曲」は終わる静寂が訪れる。

次項の5番とともに、心優しい音楽づくりのプレヴィンにもっとも相応しい3番。
LSOと残した交響曲全集のなかでも、もっとも最後の方の録音で、オケとも関係性でももっとも緊密だったころ。
若いプレヴィンならではの、柔軟かつ歌にこだわる歌いまわしが心地よい、まさにフィーリングに満ちた演奏。

  ヴォーン・スイリアムズ 交響曲第5番

    サー・ジョン・バルビローリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

          (1962 @ロンドン)

   ※CDが引越し荷物に埋もれジャケット画像はありません。
    PCに取り込んだCDを再生しました
    このCDはサージェントのRWVも聴けるすぐれもの

次の戦争1943年という世界大戦まっただ中に、何故にこのような平和で柔和な作品が残されたのだろうか。
この前の不協和音乱れ飛ぶ不穏な4番(1943)と戦後作品とはいえ、闘争心と暗さみ満ちた6番(1947)というシャープでキツイ交響曲にはさまれた第5番が戦中だったことを思うと作曲者の心中を推し量りがたくなるがいかがだろう。

ヴォーン・ウィリアムズは熱心なクリスチャンだった。
オペラに声楽曲に、宗教を背景とした作品も多い。
第5交響曲をじっくり聴いてみると、RVWが戦火の悲惨さを思いつつ、そんななかで、祖国への愛、とりわけ英国の豊かで緩やかな自然、そして自らの宗教観を重ねてみたのではないかと思う。

「アレルヤ」という、キャロルの旋律が随所に何度もなんども出てくる。
イギリスのキャロルのなかで、もっとも知られたフレーズ

荘重で、まさに教会旋法を思わせる第1楽章。
スケルツォの2楽章。民謡調のパッセージが明滅しつつ、とりとめのない雰囲気。
この交響曲の白眉といえる第3楽章の素晴らしさ。
あまりに美しく儚く、切ない音楽。
ここに、純真な祈りの心も読み取れる。
例のアレルヤも何度もくりかえされる。
この楽章だけでも、ときおり聴くことがある。
わたしが死んだら、この楽章をいくつものリクエストの中のひとつとしてかけてほしい。
宗教感・自然観・人間模様がRVWの中で昇華されたかのような素晴らしいシーンなのだから。
いま、世界に一番聴いてもらいたい音楽。
 最後にパッサカリアとして、快活に始まる終楽章も、後半は全曲を振り返りつつ、3楽章をとりわけ思いおこしつつ、浄化されたかのようにして澄み切った雰囲気で曲を閉じるが、この曲の素晴らしさを集大成したような名残惜しい、そして忘れないで欲しいと語りかけてくるような、身にしみいるようなエンディング。
泣けます。

RWVの交響曲の中では一番好きな作品。
近年、一番演奏されているRWVの交響曲だと思う。
バルビローリはRWVの交響曲をボールトのように、すべて演奏しなかった。
残された録音は、2番(ロンドン)、5番、8番だと思う。
もっともバルビローリ向きの5番をEMI にステレオ録音されてよかった。
録音は古びて聴こえるが、バルビローリの一音一音、慈しむような、かつ熱い指揮は、この音楽の持つ祈りの熱さを伝えてやまない。
3楽章には熱き感動が、ラストシーンには切ないまでの祈りがここに聴かれます。

この5番は演奏会でも、プレヴィンとノリントン、いずれもN響の演奏で聴いてます。
いまこそ、RWVの田園と5番を聴くべし時節です。

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おうちから見える桜。

デスクから首を伸ばすと見えるぜいたく桜。

でも散った花びらを掃除するのはたいへんだし、葉が茂ったあとは、虫ちゃんがやってきます。


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桜は刹那的に楽しむもので、日本特有の味わいかたも華やかで儚いものです。

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この週末は冷たい雨で、次週晴れたら桜吹雪です。

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