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2022年6月

2022年6月26日 (日)

アバド&アルゲリッチ

Odawara-06

梅雨空の曇天のもと、先日のライトアップに次いで、小田原城の花菖蒲と紫陽花を見てきました。

青空が欲しいところではありましたが、写真を撮るにはいい光の塩梅かもしれません。

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本丸へ渡る橋と花菖蒲のコントラストが美しい。

まるでモネが描いたかのような印象派のイメージのような写真が撮れました。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年6月26日、89回目の誕生日です。

今年は、ソリストとして、ポリーニと並んで一番共演の多かった、マルタ・アルゲリッチとの録音をすべて聴いてみました。

グルダに教えを乞いたいという願いのもと、アルゼンチンからオーストリアへ勉強に出たアルゲリッチは、1955年の、グルダのザルツブルク・ピアノ夏季講習でアバドと出会うことになりました。
その後、アルゲリッチは57年にブゾーニコンクールとジュネーブのコンクールで優勝、60年には早くもDGデビュー、さらに65年にはショパンコンクールに優勝し、24歳にして若手ピアニストの花形となりました。
 一方のアバドは、58年にダングルウッドでクーセヴィツキ賞を受賞、63年にミトロプーロス国際指揮コンクールで優勝し、ひのき舞台に踊りでるようになります。
アバドもアルゲリッチも、年齢の差は少しあるものの、ほぼ同時期にスターとして歩みを始めてます。

いつもお世話になっておりますアバド資料館によりますと、アバドとアルゲリッチのオーケストラでの共演は1966年のロンドン響におけるプロコフィエフ3番のようですが、
以来、アバドが亡くなる前年の2013年までふたりの共演はずっと継続することになります。

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 プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調

 ラヴェル    ピアノ協奏曲 ト長調

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1967.5.29~6.1 @イエス・キリスト教会)

こちらはコンサートでの流れでの録音でなく、レコードのための録音で、当時は、そのようなことがあたりまえだった。
実はこちらは、CD時代になってから聴いたもので、プロコフィエフに関しては、この演奏がいちばんと思っている。
ベルリンフィルであることが、あまり意識されないですが、イエス・キリスト教会での録音で、その響きがカラヤンが盛んに録音を行っていた時期のものにかぶって、そういう聴き方も楽しいものです。
ずばりこの時期にかぶるカラヤンの録音はシベリウスの6番や、レ・プレリュード、モルダウ、あと数か月後には、かの名盤・オペラ間奏曲集、ラインの黄金なんかがあります。
 脱線しましたが、クールでリリシズムあふれたこの2曲は、ふたりの個性にぴったりですから、思い出としてはショパン&リストにかなわないのですが、曲の好みと、演奏者たちの曲への相性からいえば、プロコフィエフ&ラヴェルの方が上と考えます。
ともに、緩徐楽章が抒情味としゃれっ気とがセンス抜群だと思いますね。

Chopin-abbado

   ショパン ピアノ協奏曲第1番 ホ短調

   リスト  ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1968.2.2~12 @ウォルサムストウ、ロンドン)

このレコードを手にしたのは、まだ中学生だった。
初めて買ったアバドのレコードで、1971年ではなかったかと思う。
最初はおもにショパンばかり聴きまくり、のちに、いやリストの方が面白いと気づき、両曲ともにすり減るように聴いた。
 アルゲリットとアバド、ラテン系の血をもった若い二人がぶつかり合うさまは、歌心にあふれ、熱血的な熱さにもありで、そのころ、夢中になって夢見心地で聴く若き自分が、いまでは恥ずかしく思い出させるくらいだ。
本blogの初期の頃にも書いた「我が青春のショパン」みたいな感じですよ。
それが、いまやもう二度と生まれないこの名コンビによる若い演奏は、情熱的で、晩年のあやなす透明感とはまったく異なるもので、この録音が34歳のアバドと、26歳のアルゲリッチで残されたことに感謝したいです。
ロンドン響が、これがDGに初登場だったこともいまや貴重な1枚です。
ちなみに、ショパンの2番はロンドン響で69年に演奏しているようですが、そのとき録音がなされなかったのはちょっと残念。

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  ラヴェル  ピアノ協奏曲 ト長調

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1984.2 @セント・ジョーンズ・スミス・スクエア、ロンドン)

アルゲリッチとアバド、2度目の録音は、アバドとロンドン響とのラヴェル全集の一環で。
左手の方は、アルゲリッチの勧めで、当時右手を負傷していたベロフが起用されました。
ふたりは、このラヴェルで共演することが一番多かったようで、2000年代に入ってからもマーラー・チェンバーなどでも演奏を繰り返してます。
こちらの演奏、ラヴェルのこの曲のなかで一番好きです。
ジャズ的な洒脱かつ即興的な要素がくまなく整然と再現されるし、なんたって羽毛のような軽やかさがいい。
2楽章の夢見心地で、淡い色彩にあふれた演奏は、このステキな曲のなかでも最も素晴らしいものだと思います。
実は、自分の結婚式で、好きな曲ばかりをチョイスして式中に流したのですが、この2楽章を、この演奏で使用したのでした。
いまでは儚い思い出で化してしまいました・・・・
 ちなみに、亡父の式最後での言上では、マーラーの3番の終楽章。
これもまたアバドとウィーンフィルの演奏でした・・・そのとき泣いてました

Prometheus-abbado

  スクリャービン 交響曲第5番「プロメテウス」

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン・ジングアカデミー

      (1992.5 @フィルハーモニー、ベルリン)

ロンドンとウィーンと同じように、アバドはシーズンごとにテーマを定めて、さらにはコンサートに絞っても、ひとつのテーマでプログラムを練るようにしてました。
音楽ばかりでなく、街をあげて、各種芸術に、そうしたテーマで取り組むという活動。
アバドのもっとも評価されていい一面でもあります。
ベルリンでの、このコンサートのテーマは「プロメテウス」=神話のさまざまな変奏。
ベートーヴェン「プロメテウスの創造物」、リスト交響詩「プロメテウス」、スクリャービン「プロメテウス」(火の詩)、ノーノ「プロメテウス」という演目。

プロメテウス」はギリシア神話上の神。
音から神の姿に似せて人間を作り、魂と命を与えた。そのうえに、火と技術を与えたことで、「ゼウス」の怒りに触れた。人間がゼウスら神の好敵手となったからである。
プロメテウスはコーカサスの岩場に縛られ、その肝臓をワシについばまれることとなる。
その肝臓は枯れることなく、プロメテウスは苦しんだ・・・・・。
それを後に救ったのが「ヘラクレス」である・・・・。(ジャケット解説より)過去記事から。

スクリャービンが考えた音楽と色彩、「音と色」との融合について。
当時開発された、音と、その音に対応したイメージの光がでるという「色光鍵盤」を用いて作曲したのが「プロメテウス」。
アバドは、ピアノにそんな小細工はせずに、フィルハーモニーホールの照明をさまざまに駆使することで、スクリャービンの精妙なる世界に近づけようとした。
神秘感というよりは、後期ロマン派の延長線上にあるスクリャービンの音を、アルゲリッチとともに引き出した演奏。
若き日々の、ショパンが嘘みたいに感じるけれど、でもスクリャービンも若い作品はショパンみたいだった。

Strauss-abbado

  R・シュトラウス  ブルレスケ

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1992.12.31  @フィルハーモニー、ベルリン) 

大晦日のジルヴェスターコンサートでも、毎年、ひとりの作曲家やテーマに絞り込んだプログラムを組みました。
93年の幕開けに相応しい、R・シュトラウスのきらびやかな世界を展開してくれたコンサート。
NHKの生放送を食い入るようにして観ました。
なんたって、アバドが「ばらの騎士」を振ったのですからね。
ドン・ファン、ブルレスケ、ティル、ばらの騎士のラストシーン。
アルゲリッチ、フレミング、シュターデ、バトルといった華やか極まりない出演者。

表面的に走りそうなブルレスケを、さすがはアルゲリッチで、鮮やかなテクニックとともに、明晰で見通しのいい明朗シュトラウスサウンドを造り上げていて見事。
アバドもこうした即興的な曲では、当意即妙に、軽やかな指揮ぶり。
ティンパニのゼーガースの鮮やかな叩きっぷりも目に浮かぶよう!
この時代のベルリンフィルのメンバーはすごかったなぁ

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  チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1994.12.8~10 @フィルハーモニー、ベルリン)

ライブで燃えるふたり。
ともに、DGへ、デュトワとポゴレリチと録音をしていますが、そちらの方が幻想味とスケール感ではまさっていて、よりチャイコフスキーらしさがあります。
しかし、ここでの二人は火の玉のように熱い!
聴衆を前にして、気心知れたふたりの演奏家が、お互いに高まりあい、オケも夢中に一緒くたになってしまい一糸乱れぬすさまじさを披歴。
まさにライブ感あふれる演奏で、そうそうに何度も聴ける演奏ではありません。
今回、久しぶりに聴いてびっくりしました(笑)

このときの演奏会のプログラムを「クラウディオ・アバド資料館」にて調べてみました。
前半がモンテヴェルディのコンソート、シュトックハウゼンのグルッペン、そしてチャイコフスキーの一夜。
指揮もオケも、そして聴衆も待ち望んでいた「音楽」あふれる音楽だったのが後半戦でした。
アルゲリッチはその雰囲気をまんま受けて燃え尽きるようにして弾きまくってしまったのか!
2楽章の抒情の世界では、ベルリンフィル奏者たちとの珠玉の共演が聴かれるし、抑制の聴いたアバドの指揮もここではステキ。
しかし、終楽章は火の玉化してしまった!

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  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調

          ピアノ協奏曲第3番 ハ短調

      マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

      (2000.2 、2004.2  @テアトロ・コムナーレ、フェラーラ)

アバドが体調を崩したこともあり、あのチャイコフスキーのような共演はなくなってしまい、古典派の音楽を取り上げることが多くなりました。
アルゲリッチは、ベートーヴェンでは1~3番までしか弾かないのか?
シノーポリと1,2番を録音し、アバドとは2,3番をライブ録音。
ふたりは、1番を2005年にルツェルンとの欧州ツアーで演奏してますが、そちらは録音されなかったのが残念。

過去記事に書いた内容を再掲
アバドの目指す、若いオーケストラとのベートーヴェンの新風に、むしろアルゲリッチが感化されたかのように、はじけ飛ばんばかりの活力と、生まれたばかりのような高い鮮度のピアノを聴かせてます。
過度のノンヴィブラートの息苦しさに陥らず、ベートーヴェンの若い息吹を、伸びやかに、そしてしなやかに聴かせるアバド。
2番は病に倒れる術前、3番は術後安定した時期。
 そんな、時系列を少しも感じさせることのない活きのいいオーケストラ。
アルゲリッチの3番は、これが唯一だが、このふたりの気質からしたら、2番の方が弾みがよろしく、ベートーヴェンの青春の音楽の本質を突いているように感じますがいかがでしょうか。
ことに、2楽章の抒情と透明感は素晴らしいのですよ。」

2番の協奏曲は、アバドがヨーロッパ室内管とシューベルト交響曲チクルスをやったときに、ペライアのソロで聴きました。
ここでの2楽章も、ふたりとも神がかり的な美しさでした。
アバドの誕生日に、アルゲリッチで何度もこの楽章を聴いてます。

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  モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

         ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K503

       マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト管弦楽団

      (2013.3.18,16 @コングレスザール、ルツェルン)

オーケストラ・モーツァルトを指揮した2013年のルツェルン・イースター音楽祭でのライブ録音が、いまのところ、アバドと朋友アルゲリッチとの最後の録音。

過去記事を編集~初のモーツァルトに、アルゲリッチ自身は、このライブの音源化に消極的だったといいます。
これまでのふたりの共演は、ベートーヴェンを除けば、ロマン派、ロシア、フランス、という具合で、どちらかといえば、華やかで、ソロもオーケストラも情熱と煌めきが似合うような曲目ばかりでした。

アバドの指揮には、よりピリオド的な奏法が強まり、ルツェルンのホールの響きは豊かながら、オーケストラの音は切り詰められて感じる。
しかし、どうだろう、この若々しさは。
ピリス盤よりも、溌剌として、表情も豊かで、自在なアルゲリッチのピアノに、すぐさま反応してしまう、鮮やかなまでのオーケストラ。
アルゲリッチの多彩なピアノに負けておらず、そして、羽毛のように軽やかでしなやかなオーケストラは、ほんとに素晴らしいもので、弱音の繊細さも堪能できる。
グルダ、ゼルキン、ピリスとモーツァルトで共演を重ねてきたアバド。
ことに20番、若き日を思い起こすような、遠い目で見たような枯淡の緩徐楽章をふたりして語りあうようにして聴かせてくれました。
歳を経ると、緩徐楽章がことさらに耳に、身に染み入るように感じます。

Abbado-argerich

モーツァルトのCDの裏ジャケットには、若いふたりが。

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こちらもいまは、カラーでリマスタリングされてますが、手持ちのショパンのレコードの見開きジャケットのなかの1枚で懐かしさもひとしお。

1967年から2013年まで、朋友ふたりの46年におよぶ共演を聴きました。

いつの時代も、若々しく、軽やかで、機敏な演奏のふたり。

梅雨がどこかへ行ってしまい、暑いばかりの2022年6月26日、よきアバドの生誕祭を過ごせました。

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2022年6月17日 (金)

ブルックナー 交響曲第2番、第3番 ダウスゴー指揮

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小田原城の内堀の花菖蒲、あじさい。

6月初め、まだ5分咲きぐらいでしたが、ライトアップされて、とても幻想的なのでした。

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竹灯篭も城下町っぽくて雰囲気抜群。

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 ブルックナー 交響曲第2番 ハ短調

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

       (2009.1 @エーレブルー・コンサートホール)

久々のブルックナー記事ですが、普段は始終聴いてます。
手持ちのCDもさることながら、ネット配信の最近の演奏も併行してよく聴いてます。
海外のライブが主体となりますが、欧米ともに、コンサートでのプログラムは、コロナ禍のモーツァルト、ベートーヴェンやシューベルトに比べると、コロナが落ち着きを見せると、マーラーとブルックナー、R・シュトラウスがとても多い。
でもシューベルトは、最後のハ長調の大交響曲の演奏頻度がものすごく高いと思う。

そしてブルックナー。
最近ではネルソンスとティーレマンがコンサートでも全曲録音を目指しながら演奏しつづけている。
いずれも、重心低めで集中度も高い厳しい演奏を展開しているが、そんななか聴いた真反対のイメージの演奏がダウスゴー指揮によるブルックナー。

デンマーク出身のダウスゴーは、お気に入りの指揮者で、ここ最近当ブログでもよく登場しますが、演奏会でも聴いたし、promsを始めとするネット放送もほとんど聴いて、CDもかなり揃えました。

ダウスゴーのポストは、シアトル響とBBCスコティッシュ響のふたつでしたが、残念ながらシアトルは任期終了前に辞任したらしい。
コロナにより、渡米が出来ず共演が1年半以上もなかったことなどが要因の様子。
スウェーデン室内管のポストを2019年まで長く務めていたので、相性もよかったそちらとの、意外性あふれるレコーディングがダウスゴーの代表盤となっていて、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスの全集を完成させ、メンデルスゾーンも進行中、ドヴォルザークやチャイコフスキーもワーグナーもあるという室内オケなのにオールマイティ感あふれるレパートリーを披歴中なのだ。

そんななかでワタクシのなかで燦然と輝く桂演となったのがこちらのブルックナーの2番。
前期の作品でありつつも、ブルックナー様式をしっかりと体現しだした、そして自然の息吹きあふれる抒情に満ちた交響曲。
ダウスゴーのきびきびとした明快な指揮で2番の交響曲が、響きが透けてみえるくらいに細やかに聴こえ、あっさりとした歌い口でも十分に内省的な様相を醸し出している。
良質なテクスチャーを備えた機敏な演奏なんです。
楽器が全部見えるような1楽章は、これこそがブルックナーがひとりで自然のなかを逍遥するかのような自在さを感じる。
ブルックナーの緩徐楽章のなかで大好きなこの2番の2楽章の美しさは格別。
スケルツォがまさにスケルツォ然としたきびきびした3楽章。
楽想の転換が目まぐるしく、楽しくなる終楽章はスピード感あり、勇壮なブルックナーの演奏からはもっとも遠くにある。

こんな風に既存のブルックナーの2番のイメージを覆してしまう大胆な演奏です。
ちなみに、既存の、というのは私の思いでして、2番、6番がもともと好きだったが、実際にヨーロッパに行って教会やアルプスの山々の緑を見たことで、緩徐楽章がとくにそのイメージになってます。

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 ブルックナー 交響曲第3番 ニ短調

  トーマス・ダウスゴー指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

       (2019.6.17 @グリーグホール、ベルゲン)

2018年に6番を録音したダウスゴーは、スウェーデン室内管でなく、ベルゲンフィルを起用。
翌2019年には3番をこのコンビで録音しました。

2番との連続性ということで3番を取り上げました。
というのも、2番に次いですぐに書かれた3番は、このふたつの交響曲を携えてワーグナーのもとに行き、尊敬の証として捧げたわけですが、緊張のあまり酔ってしまったブルックナーは、どちらがワーグナーのお気に召したか忘れてしまったというエピソードが好きだからです。

そのときの初稿版1873年版でダウスゴーは、録音しました。
その音楽性から、後年充実期の改訂版でなく、ワーグナーの引用もありありでスッキリしている初稿版がダウスゴーにお似合いだからです。

予想通り、快速ブルックナー。
手持ちの同じ初稿版によるブロムシュテットや、ネゼ・セガンなどより圧倒的に演奏時間が短い。
しかし、聴き比べるとそう感じるだけで、ダウスゴー盤を普通に聴けば違和感など感じず、むしろ慎重な溜めや、大きな歌いまわしをまったくしていないところから、風呂上りの見たことないようなサッパリしたブルックナーの姿がここに聴かれます。
ここ数日、もう10回以上聴いたけれど、こんなにスラスラと快適に聴けるブルックナーが楽しくなってきた。

ノルウェーの実力派オケ、ベルゲンフィルもうまいもので、ブルックナーから遠い世界観を巧まずして表現していて、北欧らしい抜けるような響きがまさにそうなんです。

ワーグナーの響きが随所に浮かび上がって見える1楽章は、改訂版の重厚な響きとは大違いで軽やかですらあって痛快。
法悦的なまでの神への祈りを感じていた2楽章では、そんな様相は少なめで、淡々としたまま、すっきりとテンポよく透明感のみを追求したような演奏だ。
超快速3楽章は6分ぐらいであっという間に終了し、改訂版ゆえに、ここでもまた軽やかで俊敏な動きで、一気に駆け抜けてしまう終楽章もワクワク感すら味わわせてくれる。

こんなのブルックナーじゃない、とばっさり言われるかもしれないが、わたしは大いに楽しみ、フルオケと室内オケ双方で、ブルックナーの音楽を鈍長さから100%解放してしまい、既成概念を洗い流して風呂上り、コーヒー牛乳を飲んだような爽快さを、心から味わい尽くしました。

ダウスゴーの手法はいつもこんな感じで、ちょっとの抵抗と、聴いた後の音楽の走り去ったあとの爽やかな聴後感を味わうのみなんです。
あれこれ考えるのは抜きにして、直観のみ、感覚のみで受け入れるべき演奏かと。

ブルックナーも、爽快さで選ばれる、そんないろんな演奏を受け入れるべき時代にきている。

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2022年6月 5日 (日)

ブリテン 「グロリアーナ」 P・ダニエル指揮

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英国女王エリザベス2世が、即位70周年のプラチナ・ジュビリーをむかえました。

1953年、父ジョージ6世の後を受けて即位して70年。
英国史上、一番長く君臨する君主となりました。

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                                                     (BBCより拝借)

英国は4連休となり、さまざまな祝賀行事が行われていますが、96歳の高齢に加え、体調も最近は崩し勝ちとのことで各イベントへのご登場はほとんどお休みの様子。
親しみあふれる女王なのでちょっと心配ですが、ますます健やかに英国を統べていただきたいものです。

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イギリスには1度だけ行ったことがありまして、これがそのときの絵葉書。

仕事で赴き、視察的半分なお遊び的なツアーでして、レンタカーでロンドン周辺を走り回りました。
高速に乗って少し走ると、緑の丘がポコポコと見えるなだらかな美しい光景が見れましたし、海の方へ長躯走ると、絶壁の厳しい海岸線もみることができました。

市内では運転していて、目の前にビッグベンが登場したときはびっくりしたものです。

そして、ターミナル的なところにやむを得ず車を停めてちょっと離れたら、そこには怖そうなポリスマンが立ってました。
君々!ここは駐車禁止じゃよ!と無表情で睨まれました。
こちらは、たどたどしい英語で、すいませ~ん、わからなかったんです、旅行で来てるもんですから・・・・と素直に謝りました。
そしたら、お巡りさん、態度が一変、そうかそうか、次は気を付けるんだよ、よい旅をな~って無罪放免してくれたんです。

プライド高そうな英国の人々だけど、実はフレンドリーで、日本人には優しかったのでした。

そのときの、旅は前半がパリだったんですが、ハンドルも車線も逆だし、高速なんて地獄のように怖かったし、そもそもフランス人は日本人の話す英語なんてまるきり無視して見下したような雰囲気でした・・・・

(以下、過去記事を修正しつつ引用します)

      ブリテン 歌劇「グロリアーナ」

1953年、現女王エリザベス2世の戴冠式奉祝として作曲されたブリテンのオペラが、オペラ16作中8番目の「グロリアーナ」。

スコアの献辞に「この作品は、寛容なるご許可によってクィーンエリザベス2世陛下に捧げられ、陛下の戴冠式のために作曲された」とあります。

原作は、リットン・ステレイチーの「エリザベスとエセックス」。
台本は、南アフリカ生まれの英国作家ウィリアム・プルーマーで、彼は「カーリューリバー」の脚本家。

1953年6月6日に、コヴェントガーデン・ロイヤルオペラハウスで、政府高官や王列関係者たちだけのもとで初演。
英国作曲界の寵児であったブリテンの期待の新作オペラではあったけれど、初演の反応は不芳で、むしろジャーナリストたちからは、果たして女王に相応しい音楽だろうか?として攻撃を受け、やがて連日非難が高まり、このオペラはなかったもののようにして忘れられていく存在となってしまった。

それは、オペラのあらすじをご覧いただければ一目了然。
物語の主人公はエリザベス1世、期せずして、1533年生まれ1603年没。
その別名が彼女を讃えるべくつけられた「Gloriana」グロリアーナ(栄光ある女人)でもあるわけです。
イングランドに黄金期をもたらせた女王は、スペイン無敵艦隊に対する勝利が栄光のピークで、このオペラはずっと後年の晩年近く、1599年から1600年のことを描いている。
登場人物たちは、そのまんま歴史上実在の人物たち。
成功続きだった女王の治世も陰りが出てきて、生涯独身だったエリザベスにも老いが忍び寄っていた時期。
エセックス公ロベルト・デヴリューを寵愛し、一方で女王から信頼を受けていた政治の中枢、ロバート・セシルとエセックス公は敵対関係にあった。
ドニゼッティのオペラにも、英国女王3人にまつわる3部作があり、エセックス公=「ロベルト・デヴリュー」があります。
アンナ・ボレーナの娘がエリザベス1世で、スコットランド女王メアリー・ステュアート(マリア・ステュアルダ)と敵対し、エセックス公ロベルト・デヴリューをめぐってもさや当てをすることとなるのがドニゼッティの一連のオペラ。

こんな背景を頭に置きながら、このオペラを味わうとまた一味違って聴こえます。

ちなみにブリテンは、このオペラから交響組曲「グロリアーナ」を編み出していて、最近そちらの演奏機会も増しているし、録音もなされるようになってきました。
ブリテン自身の指揮によるシュトゥットガルト放送録音がCD化されてますが、そこではエセックス公の1幕で歌われるリュート歌曲が、ピアーズの歌唱で収録されてまして、それはもう儚さの境地です。

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ブリテン  歌劇「グロリアーナ」

 エリザベス1世:スーザン・ブロック
 エセックス公ロベルト・デヴリュウー:トビー・スペンス
 エセックス公夫人フランセス:パトリシア・バルドン
 マウントジョイ卿チャールズ・ブラント:マーク・ストーン
 エセックス公の姉レディ・リッチ、ペネロペ:ケート・ロイヤル
 枢密院秘書長官ロバート・セシル卿:ジェリー・カーペンター
 近衛隊長ウォルター・ラーレイ卿:クリヴ・ベイリー
 エセックス公の従者:ヘンリー・クッフェ
 女王の待女:ナディーヌ・リビングストン  
 盲目のバラッド歌手:ブリンドリー・シェラット

  ポール・ダニエル指揮

            ロイヤル・オペラ。ハウス管弦楽団
     ロイヤルオペラ合唱団
  
  演出:リチャード・ジョーンズ

      (2013.6 @ロイヤルオペラハウス)


第1幕
 
 馬上試合の場面、エセックス公は従者とともに試合観戦中。
従者からの報告で一喜一憂。しかし結果は、マウントジョイの優勝。
女王から祝福を受ける彼をみて、エセックス公は、本来なら自分がそこに・・・と嫉妬をにじませる。
人びとは、エリザベス朝時代の女王を讃える歌「Green Leaves」を歌う。
そのマウントジョンとエセックス公は、やがて口論となり小競り合い。
そこに登場した女王のもとに、二人は跪き、彼女の仲裁で仲直りする。
人びとは、ここで再度「Green Leaves」を歌い、今度はフルオーケストラで、とくにトランペットの伴奏が素晴らしい。

「Green leaves are we,red rose our golden queen・・・・」 

この讃歌は、このオペラに始終登場して、その都度曲調を変えて出てきます。

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 ②ノンサッチ宮殿にて。腹心のセシルとエリザベス。
彼は、女王に先の馬上試合での騒動の一件で、エセックス公への過度の肩入れは慎重に、と促し、女王も、それはわかっている、わたくしは、英国と結婚しています、と述べる。
 彼と入れ替わりにやってきたのは、そのエセックス公。
彼はリュートを手にして歌う。明るく楽しい「Quick music is best」を披露。
もう1曲とせがまれて、「Happy were he could finish」と歌います。
それは、寂しく孤独な感じの曲調で、ふたりはちょっとした二重唱を歌う。
オーケストラは、だんだんと性急な雰囲気になり、エセックス公はここぞとばかり、アイルランド制圧のための派兵のプランを述べ、命令を下して欲しいと懇願。
女王は、すぐさまの結論を出さず、公を退出させる。
ひとり彼女は、神よ、わたくしの信民の平和をお守りください・・・と葛藤に悩む。

第2幕

 ①ノーリッジ 訪問の御礼に市民が女王の栄光をたたえるべく、仮面劇を上演。
マスク役のテノールが主導する、この劇中劇の見事さは、さすがブリテンです。
そんな中で、結論を先延ばしにする女王に、エセックス公はいらだつ。
劇が終ると、人びとは女王のそばにいつも仕えますと、感謝の意を表明し、女王はノーリッジを生涯わすれませんと応える。
 ここでまた、Green leaves。

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 ②ストランド エセックス公の城の庭
マウントジョイとエセックス公の姉ペネロペは恋仲。ふたりはロマンティックな二重唱を歌い、そこにエセックス公夫妻もやってくるが、最初は公は姉たちがわからない位置に。
エセックス公は、プンプン怒っていて、弟君は、何故怒っているのかとペネロペに問う。
自分の願いが認められなくて、イライラしてるのよ、と姉は答える。
やがてそれは4重唱になり、愛を歌う姉、どんだけ待たせるんだとの弟とマウントジョイ、自制を促すエセックス公の妻。
しまいには、女王はお歳だ、時間はどんどん彼女の手から流れ去ってしまう・・・・と3人は急ぐように歌い、ひとり妻は、ともかく慎重にと促す。

 ③ホワイトホール城の大広間 エセックス公の主催の舞踏会
パヴァーヌから開始。やがて公夫妻、マウントジョイとペネロペ入城。
夫人は豪華絢爛なドレスを纏っていて、マウントジョイにペネロペは、弟があれを着るように言ったのよとささやく。
ダンスはガイヤールに変わり、4人はそれぞれにパートナーで踊ります。
 そこに女王がうやうやしく登場。彼女は、エセクス公夫人を認めるなり、上から下まで眺めつくす。
彼女は今宵は冷えるから体を温めましょうと、イタリア調の激しい舞曲ラヴォルタをと指示。
音楽は、だんだんとフルオーケストラになり、興奮の様相を高めてゆく。
 ダンスが終ると、女王は、婦人たちは、汗をかきましたからリネン(下着)を変えましょうと提案し、それぞれ退室。その後も、モーリス諸島の現地人のダンス。
しかし、レディたちがもどってくるが、エセックス公夫人があの豪華な衣装でなく地味なまま飛び込んできて、さっきの服がない、誰かが着てると騒ぎ立てる。
そのあと、女王が大仰な音楽を伴って戻ってくる。
そのドレスは、なんとエセックス公夫人のあの豪華な衣装。
しかも、体に合わず、はちきれそう。
唖然とする面々にあって、婦人は顔を手でおおって、隅に逃げ込む。
屈辱を受けながらも、怒りに震える夫と、姉、マウントジョイには、それでも気をつけてね、相手は女王なのよ、とたしなめる健気な夫人。
 お触れの、お出ましの声で、元のドレスに戻った女王が登場。
エセックス公に、近衛隊長ラーレイが、大変な名誉であると前触れ。
そして女王が、「行け、行きなさい、アイルランドへ、そして勝利と平和を持ち帰るのです」とエセックス公に命じ、手を差し出す。
うやうやしく、その手をとり、エセックス公は感激にうちふるえ、「わたしには勝利を、貴女には平和を」と応えます。
明日、あなたは変わります、そして今宵はダンスを!クーラントを!
女王の命で、オーケストラはクーラントを奏で、やがてそれは白熱して行って終了。

第3幕

 ①ノンサッチ宮殿 女王のドレッシングルーム。
メイドたちのうわさ話。3つのグループに分かれて、オケのピチカートに乗ってかまびすしい。エセックス公のアイルランド遠征失敗のことである。
そこに当の、エセックス公が息せき切ってやってきて、女王にいますぐ会わなくてはならないという。
女王は、まだ鬘も付けず、白髪のままで、何故にそう急くのか問いただすものの、エセックス公はいまある噂は嘘の話ばかりと、まったく当を得ない返答。
何か飲んで、お食べなさい、そしてリフレッシュなさい、とエセックス公をたしなめ帰すエリザベス。
待女とメイドたちの抒情的で、すこし悲しい美しい歌がそのあと続く。

 秘書長官セシル卿を伴って女王登場。
セシルは、アイルランドはまだものになっておらず、しかもスペインやフランスの脅威も高まってますと報告。女王は、これ以上彼を信じることの危険を感じる。
女王は命令を下します。「エセックス公を管理下におき、すべて私の命に従うこと、アイルランドから引き上げさせ、よく監視すること。まだ誇りに燃えている彼の意思をつぶし、あの傲慢さを押さえこむのよ、わたくしがルールです!」と。

 ②ロンドンの路上 盲目のバラッド歌手が、ことのなりゆきを歌に比喩して歌っている。
少年たちは、セシルやラレーのようになろう、と武勇を信じ太鼓にのって勇ましく行進中。
エセックス擁護派は、王冠を守るために働いているのだ、女王は年老いたと批判、かれが何をしたのか・・・と。
バラッド歌手は、反逆者だと?彼は春を勘違いしたのさ、と。

 ③ホワイトホール宮殿 エセックス公の公判
セシルとラレーは、彼がまだ生きていることが問題と語っていて、女王が入廷すると、エセックス公に対する処刑命令が宣告される。その最終サインは女王。
「彼の運命はわたくしの手にゆだねられたのね、サインはいまはできない、考えさせて・・」と女王は判断を伸ばすが、セシルは、恐れてはいけません、と迫る。
女王は、「わたくしの責任について、よけいなことをいうのでありません」とぴしゃりと遠ざけてしまう。

ひとりになった女王は、哀しい人よ、と嘆く。
そこへ、ラレーが、エセックス公夫人、姉、マウントジョイを連れてくる。
彼らは、女王にエセックス公の助命を懇願にやってきたのだ。
まず、夫人がほかの二人に支えられて進み出て、「あなたの慈悲におすがりします。わたくしのこのお腹の子とその父をお救いください」と美しくも憐れみそそる歌を歌う。
これには、女王も心動かされ、嘆願を聞き入れる気持ちに傾く。
 その次は、エセックスの姉ペネロペが進み出て語る「偉大なエセックス公は、国を守りました・・」、その力はわたくしが授けましたと女王。姉は、まだ彼の力がこのあなたには必要なのですと説くと、和らいだ女王の心も、一挙に硬くなり、なんて不遜なのだ、と怒りだす。
食い下がるペネロペにさらに怒り、3人を追い出し、執行命令書を持ってこさせ、サインをしてしまう。

この場面での悲鳴は、エセックス公婦人、オーケストラはあまりに悲痛な叫びを発します。
ここから、音楽は急に、暗く寂しいムードにつつまれます。

女王は、大きな判断をして勝利を勝ち取りました、しかし、それは虚しい砂漠のなかのよう、と寂しくつぶやく。

遠くでは、エセックス公が、死の淵にあるいま、みじめなこの生を早く終わらせることが望みです・・・・。とセリフで語る。
以下は、セリフの場面が多く、音楽は諦念に満ちた雰囲気です。

女王は、自分はわたくしの目の前で、最後の審判をこうして行ってきました。王冠に輝く宝石は国民の愛より他になく、わたくしが長く生きる、その唯一の願いは、国の繁栄にほかなりません、と語る。
 外では、群衆の喝采が聴こえる。

  「mortua, morutua, mortua, sed non sepulta!」
 
女王がつぶやくように歌うこちら、ラテン語でしょうか、意味がわかりません。

セシルが再びあらわれ、女王に早くお休みになるように忠告するが、女王は、女王たるわたくしに、命令することはおやめなさい。それができるのは、わたくしの死のときだけと。
そしてセシルは、女王の長命をお祈りしますとかしこまります。

弦楽四重奏と木管による、1幕でエセックス公が歌った寂しげな旋律のなか、女王は「わたくしには、生に執着することも、死を恐れることも、ともに、あまり重要な意味をいまや持ちません」と悲しそうに語る。

ハープに乗って静かに
「Green leaves are we,red rose our golden queen・・・・」が、合唱で歌われ、それはフェイドアウトするように消えてゆきます。

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舞台では、ひとりにきりになった女王が立ちつくし、やがて光りも弱くなり、暗いなかに、その姿も消えていきます・・・・・・。

                    


このような、寂しくも哀しい結末があるオペラで、楽しい劇中劇や舞踏のシーンはあるものの、たしかに祝賀的な内容ではありません。

老いから発せらる女王の嫉妬や、時間のないことへの焦り。
そして、ある意味、醜いまでのその立場の保全。
さらに、重臣たちの完璧さが呼ぶ、あやつり人形的な立場。
しかし、これがグロリアーナ・エリザベス1世の晩年の現実で、ブリテンは、エリザベス1世の人間としての姿を、正直に描きたかったのに違いありません。

ブリテンのオペラの主人公たちが常に持つ、その背負った宿命や悲しさ、そしてそこから逃げられない虚しさ、
あがいても無駄で、そこにはまりこんでしまい、もがく主人公たち。
でもやがてその宿命を受け入れ、ときには死を選ぶ。
その彼らへの、愛情と同情、そしてそれが生まれる社会への警告と風刺にあふれたブリテンの作り出したオペラの世界。

クィーンだったエリザベス1世に対しても例外でなかったのです。

当然に、当時の保守的な英国社会は、ふとどきな作品としてネガティブキャンペーンをはります。
音楽業界も、完全にスルーして、通例だった作者自身の指揮によるデッカへのレコーディングも、この作品ばかりはなされなかったのでした。
ブリテンも、わかっていたかのように、静かにその評価を受け止めます。

しかし英国は、ブリテンを最大級のオペラ作曲家として次も評価し、ブリテンも傑作を次々と編み出す。
チャールズ・マッケラスが録音でこの作品に光をあて、2013年のエリザベス女王在位60年にコヴェントガーデンで、上演もされました。
そのときの上演が今回のDVD 。

わたくしは、コロナ禍のオペラストリーミングでこちらを観劇し、あまりにステキな上演だったものですから、本盤を入手しました。

当時の衣装をそのままに、さらに鮮やかな色彩をほどこした絢爛たる舞台。
しかし、リチャード・ジョーンズは時代を1953年に戻して、劇中劇としました。
若きエリザベス2世、現女王もオペラの最初と最後に登場します。
また、英国王室の歴代の移り変わりを冒頭にしゃれた演出にてもってきまして、王室へのリスペクトとしております。
劇中劇仕立てなので、装置も舞台のなかの舞台みたいで、適度にデフォルメされていて、モニュメント化された小道具も見て、推察して考えをめぐらす楽しみもあります。
リチャード・ジョーンズの舞台は新国や二期会、DVDでもそこそこ見てきましたが、背景や壁紙の使い方が実によろしく、スタッフたちのセンスの良さが常にひかります。
オペラの中に仮面劇があるのですが、劇のなかの劇のなかのこれまた劇が、とてもおもしろくて、群衆のカラーリングや農産物などまったくおもしろかった。
 さらに、ブリテンの筆が冴えまくる舞踏会の場面も、女王が嫉妬したエセックス公夫人の黄色いドレスがとても素敵で、旦那も黄色で、ほかの人物たちは黒、色の対比が鮮やか。
ルネサンス風の舞踏から熱狂へ向かうブリテンの音楽が、こうして舞台を伴うと最高にスリリングだった。
 3幕からは暗い影が忍び寄り、女王も老いさらばえ、果断の判断もおぼつかないし、悩みのなかに、国のためになすことを判断するシーンは光と影を巧みに使った迫真の舞台となっている。

ワーグナーソプラノとして何度か聴いたことのあるスーザン・ブロックの体当たり的な演技と、エキセントリックな歌い口も織り交ぜた迫真の歌唱がまったく素晴らしい。

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あとトビー・スペンスは、まさにあたり役。
リリックな英国テナーのいまや代表格となったトビーは、先ごろフィンジの歌唱を絶賛したばかり。

ボルドーオペラで活躍中のP・ダニエルの暖かい目線の通った指揮は、こうしたリアルなオペラにはぴったり。

このオペラのラストシーン、やはり寂しい、泣けます。
孤独とはこういうものなのだろうと。
そして、この演出で現女王がふたたび登場するラストシーンは、あまりにも素晴らしいし、まさにグロリアーナへの敬愛の賜物でありました。

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こちらは1953年の初演時とガラコンサートのコヴェントガーデンのバルコニーでの女王陛下。

こちらでその貴重な記録が確認できました。

https://www.youtube.com/watch?v=m-tWBZgbvyM

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                 (BBCより拝借)

エリザベス女王のご健康とご多幸を末永くお祈り申し上げます。

英国と日本の結びつきもますます強固になりますことを願います。

過去記事

「マッケラス指揮 グロリアーナ」

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