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2022年6月17日 (金)

ブルックナー 交響曲第2番、第3番 ダウスゴー指揮

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小田原城の内堀の花菖蒲、あじさい。

6月初め、まだ5分咲きぐらいでしたが、ライトアップされて、とても幻想的なのでした。

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竹灯篭も城下町っぽくて雰囲気抜群。

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 ブルックナー 交響曲第2番 ハ短調

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

       (2009.1 @エーレブルー・コンサートホール)

久々のブルックナー記事ですが、普段は始終聴いてます。
手持ちのCDもさることながら、ネット配信の最近の演奏も併行してよく聴いてます。
海外のライブが主体となりますが、欧米ともに、コンサートでのプログラムは、コロナ禍のモーツァルト、ベートーヴェンやシューベルトに比べると、コロナが落ち着きを見せると、マーラーとブルックナー、R・シュトラウスがとても多い。
でもシューベルトは、最後のハ長調の大交響曲の演奏頻度がものすごく高いと思う。

そしてブルックナー。
最近ではネルソンスとティーレマンがコンサートでも全曲録音を目指しながら演奏しつづけている。
いずれも、重心低めで集中度も高い厳しい演奏を展開しているが、そんななか聴いた真反対のイメージの演奏がダウスゴー指揮によるブルックナー。

デンマーク出身のダウスゴーは、お気に入りの指揮者で、ここ最近当ブログでもよく登場しますが、演奏会でも聴いたし、promsを始めとするネット放送もほとんど聴いて、CDもかなり揃えました。

ダウスゴーのポストは、シアトル響とBBCスコティッシュ響のふたつでしたが、残念ながらシアトルは任期終了前に辞任したらしい。
コロナにより、渡米が出来ず共演が1年半以上もなかったことなどが要因の様子。
スウェーデン室内管のポストを2019年まで長く務めていたので、相性もよかったそちらとの、意外性あふれるレコーディングがダウスゴーの代表盤となっていて、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスの全集を完成させ、メンデルスゾーンも進行中、ドヴォルザークやチャイコフスキーもワーグナーもあるという室内オケなのにオールマイティ感あふれるレパートリーを披歴中なのだ。

そんななかでワタクシのなかで燦然と輝く桂演となったのがこちらのブルックナーの2番。
前期の作品でありつつも、ブルックナー様式をしっかりと体現しだした、そして自然の息吹きあふれる抒情に満ちた交響曲。
ダウスゴーのきびきびとした明快な指揮で2番の交響曲が、響きが透けてみえるくらいに細やかに聴こえ、あっさりとした歌い口でも十分に内省的な様相を醸し出している。
良質なテクスチャーを備えた機敏な演奏なんです。
楽器が全部見えるような1楽章は、これこそがブルックナーがひとりで自然のなかを逍遥するかのような自在さを感じる。
ブルックナーの緩徐楽章のなかで大好きなこの2番の2楽章の美しさは格別。
スケルツォがまさにスケルツォ然としたきびきびした3楽章。
楽想の転換が目まぐるしく、楽しくなる終楽章はスピード感あり、勇壮なブルックナーの演奏からはもっとも遠くにある。

こんな風に既存のブルックナーの2番のイメージを覆してしまう大胆な演奏です。
ちなみに、既存の、というのは私の思いでして、2番、6番がもともと好きだったが、実際にヨーロッパに行って教会やアルプスの山々の緑を見たことで、緩徐楽章がとくにそのイメージになってます。

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 ブルックナー 交響曲第3番 ニ短調

  トーマス・ダウスゴー指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

       (2019.6.17 @グリーグホール、ベルゲン)

2018年に6番を録音したダウスゴーは、スウェーデン室内管でなく、ベルゲンフィルを起用。
翌2019年には3番をこのコンビで録音しました。

2番との連続性ということで3番を取り上げました。
というのも、2番に次いですぐに書かれた3番は、このふたつの交響曲を携えてワーグナーのもとに行き、尊敬の証として捧げたわけですが、緊張のあまり酔ってしまったブルックナーは、どちらがワーグナーのお気に召したか忘れてしまったというエピソードが好きだからです。

そのときの初稿版1873年版でダウスゴーは、録音しました。
その音楽性から、後年充実期の改訂版でなく、ワーグナーの引用もありありでスッキリしている初稿版がダウスゴーにお似合いだからです。

予想通り、快速ブルックナー。
手持ちの同じ初稿版によるブロムシュテットや、ネゼ・セガンなどより圧倒的に演奏時間が短い。
しかし、聴き比べるとそう感じるだけで、ダウスゴー盤を普通に聴けば違和感など感じず、むしろ慎重な溜めや、大きな歌いまわしをまったくしていないところから、風呂上りの見たことないようなサッパリしたブルックナーの姿がここに聴かれます。
ここ数日、もう10回以上聴いたけれど、こんなにスラスラと快適に聴けるブルックナーが楽しくなってきた。

ノルウェーの実力派オケ、ベルゲンフィルもうまいもので、ブルックナーから遠い世界観を巧まずして表現していて、北欧らしい抜けるような響きがまさにそうなんです。

ワーグナーの響きが随所に浮かび上がって見える1楽章は、改訂版の重厚な響きとは大違いで軽やかですらあって痛快。
法悦的なまでの神への祈りを感じていた2楽章では、そんな様相は少なめで、淡々としたまま、すっきりとテンポよく透明感のみを追求したような演奏だ。
超快速3楽章は6分ぐらいであっという間に終了し、改訂版ゆえに、ここでもまた軽やかで俊敏な動きで、一気に駆け抜けてしまう終楽章もワクワク感すら味わわせてくれる。

こんなのブルックナーじゃない、とばっさり言われるかもしれないが、わたしは大いに楽しみ、フルオケと室内オケ双方で、ブルックナーの音楽を鈍長さから100%解放してしまい、既成概念を洗い流して風呂上り、コーヒー牛乳を飲んだような爽快さを、心から味わい尽くしました。

ダウスゴーの手法はいつもこんな感じで、ちょっとの抵抗と、聴いた後の音楽の走り去ったあとの爽やかな聴後感を味わうのみなんです。
あれこれ考えるのは抜きにして、直観のみ、感覚のみで受け入れるべき演奏かと。

ブルックナーも、爽快さで選ばれる、そんないろんな演奏を受け入れるべき時代にきている。

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