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2022年8月 7日 (日)

バイロイト ブーイング史

Bayreuth

絶賛開催中のバイロイト音楽祭。

3年ぶりにフルスペックでの通常開催。

しかし、目玉のひとつ、新演出の「ニーベルングの指環」が賛否両論の大炎上。

4夜を聴き終え、各幕では歌手を讃えるブラボーが飛び、4作すべての終幕では総合的な評価として激しいブーイングが浴びせられました。

73年頃から聴きだしたバイロイト音楽祭の放送、今年ほどの激しいブーはちょっとなかった。

ということで、70年代以降の放送のみから記憶する、バイロイトのブーイング史をたどってみるという企画です。

激しさは別、年代順のブー記録。

①「タンホイザー」1972年 G・フリードリヒ演出 ラインスドルフ指揮

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 東ドイツ圏から登場のフェルゼンシュタイン系の演出家フリードリヒは、当時は先鋭で、巡礼者にナチスを思わせる軍服を着せ、これが盛大に炎上した。
音楽面でも数十年ぶりに復帰したラインスドルフが不調で、こちらも不評で、シュタインに初年度から変わった。
1951年のハルトマン以来の外部演出家、エヴァーディングが穏当なオランダ人で、その次に来たのがフリードリヒ。
あとのローエングリンは絶賛され、パルジファルは、ワーグナーの血をひかない演出家による初のものだったが、さほどに批判もされず。
でも指揮のレヴァインは嫌々指揮してたとかのエピソードあり。

②「ニーベルングの指環」1976年 P・シェロー演出 ブーレーズ指揮

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これこそ、バイロイトの最大のブーイングを浴びたプロダクション。
産業革命時代にしたその舞台、時代設定を動かしたことも、もしかしたらバイロイト初だし、当時先端を行ってたドイツの演出でも斬新。
しかし、70年代から、新バイロイト様式への反発がドイツ各地で生まれ、カッセルなどでは目を見張る演出が行われつつあった。
そんななか、シェローが、こともあろうにバイロイトで、しかもバイロイト100年という記念の年にやってしまった。
抽象的かつ簡潔を旨としたバイロイト様式と、すべて真反対の具象化、時代置き換え、大げさかつリアルな演技がシェロー演出。
肩車した巨大なリアル巨人や、残虐なまでの殺害シーン、アルベリヒは指ごと切られ血しぶきが舞う。
当時の穏健な演出になれた聴衆には、戸惑うことばかりだし、よりによってそこは聖地バイロイトだった。
シェローを強く推して、ウォルフガンク・ワーグナーを説得したブーレースの指揮も準備不足で、スコアを追うのに精いっぱい。
有名な話ですが、団員がふざけてブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾いても、指揮者はわからなかったとか。
そんなことで、4夜すべて録音しながら年末を過ごした、当時の大学生だったワタクシは、初めて聴くブーイングの激しさに驚いた。
なんでも、黄昏の終演では、客同士が小競り合いを起こし、警察も出動したとか。
バイロイトの当主、ウォルフガンクにも非難があつまり、シェローに「指環から手を引かせる」会みたいなのが組織され、抗議活動がなされた。
しかし、シェローは、演出を少しずつ改善し、ブーレーズも瞬く間にリングを手の内にして、楽員を関心させてしまった。
年を追うごとに、ブーは鳴りを潜め、ブラボーが勝るようになり、最終年度は完璧に出来上がったプロダクションとなった。

このシェロー&ブーレーズのリングは、バイロイトが戦後の新バイロイト様式と決別し、本来のワーグナーが目指した実験劇場としての存在に、再び、新バイロイトの精神と同じように立ち返った画期的な上演となりました。
こうしたターニングポイントには、当然ながらブーイングはつきものだろう。

③「さまよえるオランダ人」 1978年 H・クプファー演出 D・R・デイヴィス指揮

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東側から社会派演出家クプファーの登場と、黒人歌手エステスの登場で話題になった。
初版の救済のないバージョンで、ゼンタの精神分裂的な妄想として描いた斬新な演出で、荒々しい初版の音楽とともに、初年度は観客の拒否反応にあった。
しかし、クプファーはこれで西側でも高名になり、数々の名舞台を作り上げるようになる。

④「ニーベルングの指環」 1883年 P・ホール演出 ショルティ指揮

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シェロー演出の反動のように、ト書きに忠実に、ロマンティックなリングを目指した、フレンチ組に対するブリテッシュ組のホール演出。
一糸まとわずプールで泳ぐラインの乙女たちを巨大な鏡に映しこんだりと、大がかりな仕掛けが話題を呼んだが、ドラマへの求心力不足は否めなかったとの評が多い。
ピットを覆う天井を取り払い、直接的なサウンドを狙ったショルティの試みだが、劇場の優れた音響を活かしきれず、格闘するショルティがオケを煽るようにして、今聴いてもやたらと速くてせわしない。
ベーレンスのブリュンヒルデが大輪の花を咲かせた。

⑤「ニーベルングの指環」 1988年 H・クプファー演出 バレンボイム指揮

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レーザー光線を巧みに使い、SFタッチ、近未来的な社会派ドラマを作り上げたクプファーの凄腕。
初年度は聴衆の戸惑いと、バレンボイムの指揮の空転ぶりがブーを浴びた。
それ以降はシェローと並ぶ、ワーグナー兄弟以降の最高のリングのひとつと評されている。

⑥「パルジファル」 2004年 シュルゲンジーフ演出 ブーレーズ指揮

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あらゆる宗教の神々を登場させ、アフリカの土着宗教までもが表現されたらしい。
ウサギが腐り、う〇がわく様子を映像で見せたりと、ともかくパルジファルからキリスト教的な神聖なものをすべて洗いざらい捨て去ることが主眼だった様子。
この演出、映像はおろか、舞台写真も少なめ。
とんでもないブーと口笛ピーピーの応酬。
 ブーレーズはそんな舞台はどこ吹く風、30年以上前のヴィーラント演出時の演奏とまったく変わらないところが恐ろしい。
このプロダクションは4年で引っ込められた。


⑦「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 2007年 カタリーナ・ワーグナー演出 ヴァイグレ指揮

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ワーグナーのひ孫の初バイロイト演出で、なにかやってやろうという意欲が空回り。
美術学校を舞台に、妙な性描写、デフォルメされた顔人形など、客観的にもその意図が混迷。
ザックスとワルターとに保守と革新を代弁させ、バイロイトとワーグナー家の行く末なども暗示か。
お馴染みのヴァイグレさんも、だんだんよくなったし、フォークトという歌手がここから新たなワーグナー歌手として活躍するようになった。

⑧「ローエングリン」 2010年 ノエンフェルス演出 ネルソンス指揮

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お騒がせオジサン、ノイエンフェルスの遅すぎたバイロイト登場。
ネズミ王国、しっぽとハゲ鬘にお笑いを誘いつつ、飼いならされる群衆=ネズミ軍団、おどおどした独裁者の王様、エルザとオルトルートの均一性などを巧みに描き、そこに迷い込み脱出を試みたローエングリンや、キモイ跡継ぎなど、情報過多に初年度は理解不能で笑いとブーが。
指揮と歌手は、絶賛。

⑨「タンホイザー」 2011年 バウンガルテン演出 ヘンゲルブロック指揮

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これは観た瞬間にアカンと思った。
第一、キモイ。
ヴェーヌスの妊娠、爬虫類の登場、化学薬品の工場、バイオハザードなタンホイザーなんてクソだった。
1回見ただけでもう勘弁。
ヘンゲルブックもすぐに降りてしまった。
4年で打ち切りの刑。

⑩「ニーベルングの指環」 2013年 カストルフ演出 ペトレンコ指揮

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ペトレンコの指揮にのっけから注目が集まり、その指揮と強靭かつビビッドな音楽は絶賛。
しかし、ラインの黄金から、アメリカのR66沿いのSSやラブホが舞台の猥雑さ、通じて石油をリングに見立てたような設定で、社会主義の限界資本主義の矛盾など、ワーグナーの音楽の本質からはずれたイデオロギーをぶち込もうとして失敗した感じ。
4作が脈連なく感じたのも、逆に面白く、4作が別々でもよかったモザイク的なリング。
ペトレンコの指揮がもったいなかった。

⑪「タンホイザー」 2019年 T・クラッツァー演出 ゲルギエフ指揮

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クラッツァーの前歴を知ってたので危ぶんだが、これがまた実に面白かった。
タンホイザーにLGBTや階級格差、自由への渇望などを巧みに盛り込んだ演出で、それこそ、今風で、かつ映像を巧みに用いたDVD・動画を意識した演出だった。
めっちゃ面白かったけど、でもこれ、タンホイザーじゃないんじゃね?とも思った次第。
忙しすぎのゲルギエフの練習不足もたたり、ゲルギーも批判され、なかば追い出されるようにして首になってしまった。

⑫「ニーベルングの指環」 2022年 シュヴァルツ演出 マイスター指揮

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コロナで苦節2年の順延、しかも、予定のインキネンもコロナでこけてしまい、練習も2週間もないままに、マイスターが担当。
待ちに待った「リング」の聴衆の反応は、シェロー以来の、いやそれ以上のブーイングを浴びた。
「黄昏」のみが映像化され、ドイツ国内限定で視聴が可能。
工夫して観ることも出来なくはないが、どうもそんな気もしないし、4部作全部を観ないと、その演出意図もわからないだろう。
画像と海外評のみから読み解くのも、今回の33歳の若いシュヴァルツ演出はそうとうに入り組んでるし、伏線やギャグもやたらと多そうだ。
演出家いわく、ネットフリックス風としたように、画像はまるでアメリカのファミリードラマ風で、衣装も原色だったりキラキラ系だったりで、神々や巨人の姿は造像できないし、ハーゲンなんて黄色いポロシャツ1枚のカジュアルぶりだ。
また本来は登場してこない人物も、平気で出てくるし、写真からは推し量ることができない。

「パルジファル」が、いまやその神聖性をはく奪されてしまったように、シュヴァルツは、「リング」から、あらゆるリング的な要素をすべて消し去ることをしたのではないか、と思う。
ライン川、黄金、槍、剣、炎、森・・・・なにもないらしい、ワーグナーが微に入り細に入り散りばめたライトモティーフは、なにを意味するのか、この舞台ではまったく意味をなさずに鳴り響いたのだろう(か?)
ウォータンが手にしたたのは槍じゃなくてピストル。
ジークフリートは防弾チョッキ着てるし、ブリュンヒルデを守る愛馬グラーネは、ピストルもった男だった。
ワルキューレたちは、美容整形に夢中で、鼻・あごなどを整形中で包帯まきながら、みんなスマホに夢中ww
アルベリヒはラインの黄金では、少年を誘拐し、きっとこれが4部作を通じる「子供」がキーポントなんだろうと想像。
黄昏のラストシーンも、そこに落としどころがあるらしい。

はたして、このシュヴァルツ演出が、半世紀前のシェロー演出のように名舞台として今後受け入れられるだろうか。
もしくは、実験で終わるのだろうか。
どちらになるにしても、ブーイングを覚悟に、こうした演出を聖地に持ってきたワーグナー家の末裔、その姿勢は正しく勇気があると言えるだろう。

指揮のマイスターにもブーイングは容赦なかった。
ときに揺らしたり、伸びたりといった場面はあったが、もしかしたら舞台の進行に合わせてのことだったかもしれない。
わたしは、面白く新鮮に聴いたがどうだろう。
お馴染みのブリュンヒルデを歌ったテオリンさまにもブーが。
強烈なくらいに巨大な声は相変わらずだが、今回は言語不明瞭と非難された。
指揮者の交代があったように、歌手も急な交代がいくつか。
ワルキューレでウォータンのコニュチュニーが椅子からこけて、ギャグかと思われたが、怪我をして3幕はカヴァーだったグンター役が登板。
めっちゃ張り切ったけど、ラストの告別シーンで失速。
神々のジークフリート、超人グールドが体調を壊し、これもカヴァー役のヒリーに交代し、彼は見事に歌った。
ベルリン・ドイツ・オペラのヘアハイムのリングでのジークフリートだった彼。
ウォータンで活躍したドーメンがハーゲンで復帰し、その暗めの声が実によかったし、シャガーのジークフリートが実に素晴らしい出来栄え。
歌手は、総じてよかったが、あの演出で細かな演技をしながらと思うと、昨今のオペラ歌手はたいへんだな、と思う次第だ。



ここに書いたものは網羅できませんでしたが、激しいブーを動画にまとめてみました。

ちょっと疲れる10分間ですが、今年はことにすごい。

ブーも疲れるだろうに・・・・

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