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2022年12月

2022年12月30日 (金)

交響曲第9番 ジュリーニ指揮

Fujimi

散歩してたら見つけた富士が紅葉ごしに見えるスポット。

まだ散る前で、完全に染まっていなかったけれど、満足のいく1枚。

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今年は生活環境がまったく変化したのだけれど、便利さは犠牲にしても、こんな光景がすぐ近くにあるという幸せ。

2022年もおしまいです。

ジュリーニの第9シリーズを振り返ります。

一部は過去記事を編集して再掲します。

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 ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調

  S:カラン・アームストロング Ms:アンナ・レイノルズ
  T:ロバート・ティアー     Bs:ジョン・シャーリー・クヮーク

   カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

          (1972.11 @キングスウェイホール)

70年代後半に、ジュリーニはさまざまな第9交響曲を取り上げ、録音しました。
ベートーヴェンも先駆けて録音しましたが、8番と同時に録音された2枚組のレコードは、EMIに継続していたベートーヴェンの交響曲の一環という意味あいの方が強かった。
EMIには、6~9番が録音されたわけですが、この第9はテンポをゆったりととる悠揚スタイルのコクのあるジュリーニと言う意味あいでは、次に来る第9シリーズと同様ですが、やや集中度も浅く、細部の克明さにも欠くように感じられる。
しかし3楽章の透明感と流動性は、ジュリーニならではで、1楽章の激遅と2楽章の超快速との対比が面白いし、終楽章の堂々たる歩みも数年後の超巨匠としての刻印を感じさせる。
オケはいいけど、合唱がいまいちかな。

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 ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.12 @メディナ・テンプル シカゴ)

EMIへのベートーヴェン第9から4年、しかし、その間ジュリーニはウィーン交響楽団の首席指揮者になり、ウィーンにゆかりのある作曲家の作品を格段と指揮するようになった。
74年には、ウィーン響とブルックナーの2番を録音。
NHKFMでも大曲をさかんにとりあげるジュリーニとウィーン響の演奏が放送され、エアチェックにも暇がなかった。
いつしか気になるコンビになっていたジュリーニとウィーン響が日本にやってきた1975年秋、春に来たベーム・ウィーンフィルのチケットが落選となっていた腹いせもあり、東京公演を見事聴くことができた。
演目は、ウェーベルンのパッサカリア、モーツァルトの40番と、ブラームスの1番、アンコールに青きドナウ。
このときから、アバドの兄貴分、ジュリーニが好きになった。

その次の年から始まったジュリーニの「第9シリーズ」
録音順ではマーラーが先んじているが、これはDGの専属となる契約の関係上か。
後年のウィーンとの再録音よりも5分ほど速く、63分でのキリリと引き締まった、そして緊張感にあふれる演奏。
それでいて柔和な微笑みもある歌心にも欠けていないので、おおらかな気持ちにもさせてくれる。
シカゴのブラスの圧倒的な輝かしさは録音のせいもあるかもしれないが眩しすぎと感じるのもご愛敬か。
ウィーン盤とともに、この作品の代表的な1枚かと思いますね。

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 マーラー 交響曲第9番 ニ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1976.4 @メディナ・テンプル シカゴ)

ジュリーニとシカゴ響のマーラー第9のLPは、アバドの復活とともに、発売時に入手してマーラーにのめり込んでいく当時の自分の指標のような存在だった。
シカゴということもあり、明るい音色が基調となっていて歌に満ちあふれているが、しっかりした構成感の元、堅固な造型の中にあるので、全体像が実に引き締まっている。
テンポはゆったりと、沈着で、品格が漂い、緻密であり清澄。
音の重なり合いの美しさはジュリーニならではで、優秀なオーケストラがあってこそ保たれる緊張感のある美的な演奏だと思う。
久々に聴きなおして、このようにともかく美しいと思った。
若い頃のレコードで聴いていた時期は、音楽にまず平伏してしまって「マーラーの第9」は凄い、が真っ先にきてしまって、ジュリーニの音楽がこんなに美しく歌に満ちていたなんて思わなかった。
歳を経て、この思いはますます増してきた。

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 シューベルト 交響曲第9番 ハ長調

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

これもまた学生時代に買ったレコードで、渋谷の東邦生命ビルにあったショップで購入したもの。
このジャケットにあるように指揮棒を握りしめるようにして、熱く歌うジュリーニの音楽。
遅いテンポで重々しい雰囲気を与えがちな晩年のものに比べ、テンポは遅めでも、どこか軽やかな足取りもあり、横へ横へと広がる豊かな歌謡性が実に心地よい。

2楽章のどこまでも続くような歌、また歌。いつまでも浸っていたい。
同じく3楽章の中間部も思わず、体がゆっくりと動いてしまうようなこれまた歌。
1楽章の主部へ入ってからのテヌートぶりも、いまや懐かしい。

レコードで聴いたときは、当時聴いてたワルターやベームとのあまりの違いにびっくりしたものだが、ジュリーニのこのやり方がすぐに好きになり、頭の中で反芻できるくらいになってしまった。
終楽章では、はちきれるほどの推進力で、シカゴのブラスの輝かしさを堪能できます。
現在、シューベルトは後期の番号でも、軽やかにキビキビと演奏するのが主流となりましたが、ジュリーニの堂々としながらも歌がみなぎる演奏は、極めて心地がよく清新なものでした。

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 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界から」

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

     (1977.4 @オーケストラホール シカゴ)

シカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
全曲に渡って指揮者の強い意志を感じさせ、聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と驚かせてくれる。
第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなっている。

マルティノンの時代から、ジュリーニはシカゴへの客演が多く、EMIにも素敵な録音が60年代からなされていた。
ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となることだったらしい。
同時にアバドもシカゴとは相思相愛で、ショルティは後任にはアバドとの思いもあったくらい。

わたしはジュリーニは70年代が一番好きで、シカゴとロスフィル時代が併せて一番好きです。
へそまがりなので、CBSに移ってからの再録音の数々はほとんど聴いていない。

自身の指揮者としてのキャリアと歩みを確かめるようにして70年代に残した「第9シリーズ」。
シカゴという伴侶があってほんとうによかったと思うし、ジュリーニという指揮者の一番輝いていた時期を捉えてくれたことにも感謝したいです。

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季節外れの紅葉ですが、やはり日本の景色や風物には欠かせない美しさがあります。

2022年最後の記事となりますが、週1を目途としてきたblog更新。
blogはオワコンみたいに思われて久しいですが、一時休止はあったものの、こうして続けて、またあとで見返して、そのとき自分はどうだったか、どんな音楽を聴いていたのかなどという風に自分の記録を残すことが大切だから続けます。
オペラなどは念入りに調べてから文書を起こすので手間暇がかかりますが、自分の記事を読んで、またあとで聴くときの参考になったりもするし、よくこんなこと書けたな、と自分で驚いたりすることもあります(笑)。

来年もマイペースで、できれば更新頻度を上げたいな。

2023年もよろしくお願いいたします。

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2022年12月24日 (土)

クリスマス with レオンティン・プライス 

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毎年めぐりくるクリスマス・シーズン、あたりまえですが。

しかし、今年ほど不穏なうちに迎えたクリスマスもないと思います。

来年ももっと深刻な年になるかもしれません。

クリスマスの装飾に心和ませ、クリスマスの音楽に落ち着きと平安を求めましょう。

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   Chistmas with Leontyne Price

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     カラヤン/アヴェ・マリア

   きよしこの夜
   あめにはさかえ
   われら三人の王
   あら野の果てに
   もみの木
   ともに喜びすごせ
   あめなる神には
   高き天より
   おさなごイエス(黒人霊歌)
   アヴェ・マリア(シューベルト)
   オ・ホーリー・ナイト
   アヴェ・マリア(バッハ)
   アレルヤ(モーツァルト)

    レオンティン・プライス

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団員
           
    ウィーン楽友協会合唱団/ウィーン・グロスシュタット少年合唱団

    プロデューサー:ジョン・カルショウ
    エンジニア:ゴードン・パリー

       (1961.6.3~5  ゾフィエンザール、ウィーン)

オリジナルだと、クリスマスwithレオンティン・プライス、日本国内盤だとカラヤン/アヴェ・マリアになってしまう。
オペラハウスで引っ張りだことなったミシシッピー生まれのアメリカ人歌手と、その才能を見出し重用した大指揮者、そして名門オーケストラと、それほどまでに豪華な1枚。
そして忘れてならない、プロデューサーのカルショウの存在はデッカならでは。

録音はいまでこそ丸っこい音に感じるが、それでも音量を上げて聴くと、オーケストラの音に低域の豊かさと分離の良さと力強さ、ホールの響きの良さを感じる。
なにもカラヤンとウィーンフィルでなくてもよかったんじゃない?と思ってしまうが、それでもカラヤンはカラヤンの音がする。
たっぷりとした豊かな歌いまわしは豪華そのものだし、柔和なウィーンの音色もあります。

60年代にはいるとカラヤンはウィーンフィル、カルショウとともにオペラの数々を録音するようになりました。
60年には「こうもり」、そしてこのクリスマスアルバムの1か月前には、真反対の音楽ともいえる「オテロ」を録音。
翌62年にはプライスと「トスカ」、63年には同じくプライスと「カルメン」。
ウィーン国立歌劇場の芸術監督(56~64年)の時代と重なる、こんな流れのなかにあるクリスマスアルバムということが私には興味深い。
ベルリンで後年にヤノヴィッツあたりとクリスマスアルバムを作ってくれたらよかったのに、とも思いますね。

そのカラヤンが愛したソプラノ、レオンティン・プライスの声は、全盛期ゆえにゴージャスそのもの。
高音域に聴かれる声の美しさは素晴らしく、輝かしい。
低域もずっと後年はドスが効きすぎて、またヴィブラートがややきつくて厳しいものがあったが、この時期はそうでもなく、暖かみを感じる。
これらの定番のクリスマス曲のなかにあって、一番すばらしいのが、無伴奏で歌われる「おさなごイエス」。
祈りにあふれたような真摯なプライスの歌唱は感銘深いです。

プライスの歌は過去の録音ほどいい。
プッチーニのアリアとR・シュトラウスのモノローグを集めた2CDを久方ぶりに聴いてみた。
マノンレスコーと蝶々さんは刹那的なまでの歌いぶりで、そこに美的なスリルも感じたりもしました。
カラヤンが愛したのはゴージャスな声とそうした刹那感だったかもしれません。
一方で、カラヤンはR・シュトラウスには、ショルティと違ってプライスを起用することはありませんでした。
カラヤンは、ワーグナーやシュトラウスでは、よりリリカルな声を好みましたね。
しかし、久しぶりで聴いたプライスのサロメ、痺れるほどにいい。
破滅的な陶酔感が存外に素晴らしいのだ。
ラインスドルフとボストン響がバックを務めていて悪かろうはずがない。

ピュアなクリスマス音楽を聴いて、サロメに至るという、どこか背徳的な聴き方をしてしまったが、降誕の直前の旧約聖書の世界に至るのも悪くない聖書巡りかもしれません。(やっぱり変か)

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グリーンなクリスマスもいい、緑もクリスマスカラー。

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ハッピーホリデー、なんてまっぴらごめんだ。

メリークリスマスだ。

よきクリスマスをお迎えください。

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2022年12月19日 (月)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番、第6番

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小田原城と相模湾に真鶴方面、遠くに伊豆の山。

神奈川の西部に帰ってきて、こんな風景が普通に見れるようになったことがありがたい。

都会の便利さや賑やかさ、華やかさを懐かしくも思うが、いまはこんな自然に囲まれて、地元民として暮らす毎日が心地いい。

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背景は国府津山に、遠くに丹沢山系の大山。

新幹線に小田急線、ともに都会への簡便な足で、毎日通うこともできるエリア。

自宅から電車で10分、高校時代を過ごしたこの町です。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲。

ことしのアニヴァーサリー、さまざまな顔を持つ交響曲を似た要素でくくって聴きました。

ロンドンを主人公にした描写的な2番と映画音楽的な南極交響曲7番。
田園交響曲たるノスタルジックな3番と英国自然の美しさ、儚さを描いた5番。

戦争の影が明らかに感じられ、内容もシビアで、あの緩やかなヴォーン・ウィリアムズの作風はどこへ行っちゃったの?と思わせる厳しい音楽があるのが、4番と6番。
9曲の交響曲は曲数は同じでも、偶数番号が緩やかで優しい口調とはならなかったヴォーン・ウィリアムズ。

これまで、どちらかといえば苦手意識のあったこの偶数番号2曲、最近では最愛の5番がやたらともてはやされるようになったこともあり、それを挟む、4,6番をとてもよく聴くようになった。

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 ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番 へ短調 

  レナード・バーンスタイン指揮 ニュー・ヨークフィルハーモニック

         (1965.10.21 @NYフィルハーモニーホール)
         画像は借り物です

第4交響曲は、1934年の作品。
以下、過去記事に手をいれて再褐します。
創作活動は、その長い人生でまんべんなく行われたが、もっとも充実していた時期であろう。
重要なオペラ作品もいくつか書かれている。
あの美しく抒情的な第3交響曲が1921年。
そこからの13年の隔たりは、この交響曲に横溢する不協和音によってあらわされる。
前作は第一次大戦が終了して復興の時期だった。
戦渦の反省や、心の癒しを求める風潮もきっとあった。

そしてこの4番は、ヒトラーがドイツで総統に就任し、ヨーロッパがいよいよきな臭くなってきた、まさに不安の時代への突入。
大胆な和声と不安をあおる不協和音があるが、作者は「そのときのヨーロッパの外況を描こうとしたものではなく、その時、わたしに宿ったものをそういうように書いたにすぎない」と発言していてあくまで慎重だ。
でも後世のわたしたちが、こうしてCD音源を前に、ネットで時代背景などを調べるにつけ、あの時代の重苦しい雰囲気は確実に曲に、そして作者になにかをもたらしていたと思う。

いきなりシビアな音響で始まる第1楽章はかなり深刻なムードが漂う。
劇的なそうした場面と、後半の静かな定年に満ちた暗い雰囲気の対比がおもしろい。
第2楽章は、抒情的だけれど、かなりシャープなムードで、繰り返される悲壮感が重苦しくもあり厳しい。
スケルツォの3楽章もかなり劇的。
RVWらしい、ペンタトニックなムードも充分に出しつつ、曲は連続してさらにシビアな4楽章に突入して、何度も何度も同じ主要主題が繰り返しフーガのように展開され、興奮を呼び覚ます。
そして曲は最後、唐突に爆弾が落ちたかのように終わってしまう。

バーンスタインが残した唯一のヴォーン・ウィリアムズの交響曲。
なにゆえにこの4番だけを録音したのかはわからないげ、NYPOにはミトロプーロスとの演奏歴があり、そちらの伝統がオケに残っていたのだろうか。
リズミカルな場面ではバーンスタインならではの、いきいきと弾むシーンが横溢して、しかもスピーディで聴き手を興奮させるし、スポーティな雰囲気まで醸し出す。
一方で、この曲の前半部分はかなり慎重で重々しい。
バーンスタインが、時代背景の深刻さと狂気とをこの交響曲に感じて指揮していたのであろうか。
ちなみに、4番の壮絶な名演はブライデン・トムソン盤だと思います。
晩年のバーンスタインではなく、壮年期に録音されたことが幸いでもあります。


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    ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第6番 ホ短調

 サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団

       (1987.4.30 @ガスタイク)

こちらも過去記事から再掲編集。
まさに戦中の音楽で、1944~47年にかけての作曲。

ヨーロッパでは、伝統的島国国家として欧州の覇権を弱りながらも維持したかった英国。
世界レヴェルでは、欧州代表としてアメリカやソ連と組み、連合国として、日本・独・伊に対峙した英国。
日本の行動はアジア解放につながり、欧州白人社会がアジア・アフリカの植民地や権益を守ろうとしたこととまっこうから対立。
しかし敗戦国となった日本と同じく、小さな島国は、独立独歩というプライドを生むとともに、気がつくと周辺の競争にあんがい競り負けていたりする。
しかし、日本とちがって極めてしたたかなグレートブリテン。
日本はあまちゃんすぎる。


戦火の交響曲第6番は、交響曲のジャンルにおいては大器晩成のRVWの75歳の最円熟期の音楽。
何度も記しているとおり、9つのRVWの交響曲は、いずれも特徴が異なり、多彩な作者の顔を見せつけてくれる。
明確な4つの楽章からなる35分あまりの、オーケストラにみによる純粋交響曲。
全編に暗い影を感じ、切なさと、人を寄せつけないまでの孤高で厳しい雰囲気。

4番と同じ感じの厳しい出だしの1楽章で、はやくも暗澹たる気分になってしまうが、あの5番の緩やかムードはどこへいった・・・。
でも、中間部に、RVWらしい牧歌的な歌が出てきて、ひとまず一安心。
しかし、ここで終わるかと思うとそれは大間違いで、暗澹さはまだ続く。
 暗いムードに覆われた第2楽章は弦によるエキゾテックなムードの晦渋な様相をのうえに、ときおり、ラッパが不穏な刻みをかけてくる。
いつ襲いくるかわからない緊張の戦火の不安な社会そのもの。

変わって、サクソフォーンがジャジーな雰囲気を出しつつ、オケが無窮動的に走り回るスケルツォ的な3楽章だが、強烈なフォルテによる打撃がかなり必要に繰り返され、最後は暗澹たるオーボエソロでとじる。
急に早いテンポで厳しく始まる終楽章は活気を呈しつつも、悲劇臭が満載で、サクソフォンのむせび泣くようなソロも無常。
中間部は暗いムードのオルガンもまじえ、最初の悲劇的なムード回顧しつつ、救いのないいまを静かに嘆く。
そして、そのまま暗さをなんどもなんども繰り返しつつ静かに終える・・・・。
不思議な交響曲だが、妙に惹かれるようになった。
4番よりも複雑な顔をしてると思う。

コリン・デイヴィスがヴォーン・ウィリアムズにおいては、ライブながら4番と6番を残しているところがおもしろい。
6番では高性能のバイエルンと熱気に満ちた一気呵成の音楽を聴かせつつ、異なる趣きを持つ4つの楽章の特徴を巧みに描いているところがデイヴィスらしいところ。
バイエルンのオケはまったくもって素晴らしい。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲あと3作、年をまたぎそうです。


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ミナカから見た小田原城。

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2022年12月10日 (土)

カルメンへ Berlin Gala アバド指揮

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東京タワーの横にある大きな芝公園のなか、もみじ谷があります。

何種かの紅葉があって、色合いよろしく、東京タワーの赤にも映えてました。

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あいにくの曇天ですが足を伸ばした甲斐がありました。

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        A Salue to Carmen

  ビゼー      「カルメン」 抜粋

  ラヴェル     スペイン狂詩曲

  サラサーテ   カルメン幻想曲
 
  ラフマニノフ  パガニーニの主題による狂詩曲

  ファリャ    「三角帽子」~火祭りの踊り

  ブラームス   ハンガリー舞曲第1番、第5番

   カルメン:アンネ・ゾフィー・オッター

   ドン・ホセ:ロベルト・アラーニャ

   エスカミーリョ:ブリン・ターフェル

   フラスキータ:ヴェロニク・ジェンス

   ネルセデス:ステラ・ドゥフェクシス

   Vln:ギル・シャハム

   Pf:ミハエル・プレトニョフ

   合唱:オルフェオン・ドノスティアラ
      南チロル少年合唱団

        (1997.12.31 @ベルリン)

1997年のベルリン、ジルヴェスターコンサート。
カラヤン、アバド、ラトルの初期は、NHKが毎年衛星生放送をしてくれてたので、いずれの年も紅白を観る家族をよそに、ひとり録画をしながら楽しんでいたものです。
同時にバイロイト音楽祭のFM放送とかN響の第9とかも録音していたので、いま思えばむちゃくちゃ忙しかった。

アバド時代になって、ジルヴェスターコンサートは、毎年テーマを定めた知的かつ華やかなプログラムになった。
CD化されて、より良い音質で楽しめるようになったし、映像もブルーレイ化されて視聴できるようになって、ほんとにありがたいことです。
20年前には考えられなかったことです。

CDには全部の曲が入りきれないので、ファリャとブラームスの1番は収録されていません。
DVDの曲順もCDと異なっていて、これについてはいろいろ調べたけれどよくわかりません。
(DVD:カルメン→ラフマニノフ→サラサーテ→ラヴェル→ファリャ→ブラームス)

「A Salute to Carmen」というタイトルがこの年のジルヴェスターコンサート。
カルメンへ敬意をこめて、的な意味でしょうか。
舞台のスペイン、ジプシー、ラプソディーといったテーマに沿った演目です。
「人生、愛、そして死にまつわる舞踏」といったサブタイトルもついてまして、さすがはアバド、知的なプログラミングです。

 自分でまとめたもので、以前も掲載しましたが、ベルリン時代のプログラムの各テーマです。

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カラヤン時代には考えられなかったこうした動きは、ラトル、ペトレンコに継がれベルリンフィルに定着したと思います。
1990~2002年のアバドのベルリンフィル時代は、こうして見てみると10年計画のようにも感じられ、ロンドンとウィーンで積み上げてきたものが集大成された感もありますし、新たなレパートリーへのチャレンジもみられ、アバドの果敢さもうかがわれます。
このあとはルツェルンで、自身の最愛のレパートリーを最愛の仲間とともにつきつめる究極の演奏の極致に達するわけです。

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DVDで観る1997年末のアバドとベルリンフィル。
アバドも病気になる前なので、ふくよかで指揮台への登場も若々しく、小走りに階段を降りたりしてます。
その指揮姿も、流れるような流線形の指揮ぶりで、ときおり浮かべる笑みもいまや懐かしい。
もう25年も前なんだ。
つくづくとアバドがもういないなんて・・・・

それとベルリンフィルの団員の若々しさ。
カラヤン時代のメンバーもこの頃はまだ多く残っていて、ヴィオラには土屋邦夫さんの姿もありました。

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豪華なメンバーによるカルメン。
ベルリンフィルでもこのメンバーで全曲録音して欲しかった。
オッターの流麗で爽やかなくらいのカルメンは、アバドの考えに即したものだろう。
ターフェルは肉厚で、アラーニャはすこぶる瑞々しい。
合唱にスペインのバスク地方から精鋭合唱団を呼んでくる豪華さ。

いまや指揮者のイメージが勝ってしまっているプレトニョフとアバドの共演も希少。
なにげに、さりげなくも超絶技巧の弾きこなしを見せてくれるし、あの美しいテーマをアバドとベルリンフィルが身体を揺らしながら奏でるシーンは実に感動的。

超絶技巧といえば、シャハムのサラサーテも、ものすごい!
聴衆のブラーボーが一番飛んでた。

精緻なスペイン狂詩曲は、ベルリンフィルのメンバーの凄腕を再確認。
アバドのファリャもこれが唯一で、明るい音色が解放感を与えてくれる。
そして最後は、アバドの18番でもあるハンガリー舞曲で、指揮者もオケもノリノリに!

てな具合で、一足はやく年末感を楽しみました。

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サロメを挟んで、プレヴィン、マリナー、ハイティンクとアバドと聴いてきました。

4人のわたしのフェイバリット指揮者ですが、みんな物故してしまった。

忘れないように、こうして定期的に取り上げていこうと思います。

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2022年12月 4日 (日)

ラヴェル ダフニスとクロエ ハイティンク指揮

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初冬の夕暮れの海岸。

西の空は淡く暮れ、遠景は箱根の山々。

海の夕焼けは、子供のときから大好きでした。

夜明けの音楽だけれど、今日はダフニス。

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  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団

        (2007.11.8~10 @オーケストラホール)

ダフニスとクロエは演奏会では第2組曲が主流で、ネット放送の海外演奏会でも第2組曲ばかり。

でも自分では、ダフニスは全曲版と決めております。

ラヴェルの管弦楽曲集をやるとなると、第2組曲をラストに持ってくるのが一番盛り上がる。 

しかし全曲版をコンサートのメイン、後半に持ってくるなら、前半の選曲に多彩な選択ができるし、50分あまりの光彩陸離たるラヴェルならではの音楽絵巻は充実のコンサートを約束すること間違いなし。

かつて経験した小澤征爾と新日フィルのライブでは、前半がヴェルディの「聖歌四篇」というユニークなプログラム。
小澤さんといえば、サンフランシスコ響と凱旋したとき、Pゼルキンとブラームスの1番の協奏曲にダフニス全曲。

こんな具合に意味深いプログラミングができるダフニス全曲。

今回のハイティンクとシカゴの前半は、このCDにも納められたプーランクのグロリアでした。

ハイティンクはラヴェルを得意としましたが、なかでもダフニスとクロエは大好きだったようで、30代の若き頃にコンセルトヘボウと第2組曲を、40代に今度は第1と第2の組曲。
さらに50代にロンドンフィルとの全曲版ライブ録音、60歳でボストン響と全曲、78歳でシカゴ響と全曲。
このように、ずっとダフニスを指揮し、録音も残してきました。

最後の録音であるシカゴ盤は、ともかく録音がよすぎて、ダイナミックレンジがむちゃくちゃ広い。
静寂の美しさを楽しもうとボリュームをあげて聴いてると、突然にリアル巨大な音塊が襲ってきて、とんでもなくびっくりしてしまう。
最高の装置なら難なくピアニッシモからフォルティシモまで均一に味わうことができるだろうが、我が家ではそうはいかない。
この録音の良さが、シカゴ響のべらぼうに巧い技量のほどを見事にとらえていて、ハイティンクの目指すシンフォニックなダフニスの魅力をあますことなく味わうことができます。
ハイティンクのダフニスは、ラヴェルの精緻な音楽をスコアを信じて、そのままに音にしたかのようで、舞台が目に浮かぶようなストーリーテラー的な表現はありません。
ともかく、いつものハイティンクらしく、真摯にラヴェルに取り組み、さりげなくも堂々たる演奏を完遂してしまう。
オーケストラの全幅の信頼と尊敬をもとになりたつ、指揮者として最高のレヴェルに立った存在としてなしうる芸術行為であろう。

前奏からして水際経つオーケストラの美しさと透明感、場面の変転は大らかながら、安心感があり、音楽の流れに身をまかせるだけでいい。
このあたりの安定した音楽づくりがハイティンクのよさだろう。
ベートーヴェンもブルックナーもマーラーもみんなそう。
ボリュームの操作さえ間違えなければ、最高と安定のオーケストラサウンドを堪能できるハイティンクのダフニスです。

続いてボストン響との演奏を聴くと、シカゴとはまったくちがったオーケストラの味わいがある。
ながらく培ったラヴェルの演奏の伝統が染みついたオーケストラの馥郁とした音色は、中間色に強みのあるハイティンクの指揮にばっちり。
シカゴにない味わいが醸し出されているのがボストン盤。

ロンドン・フィル盤は未聴。
70年代のコンセルトヘボウ盤は、まさにフランドル調の渋いけれど、耳に優しく柔らかくも柔和なラヴェルサウンド。
華やかさとは無縁の絹折れの世界。
できれば、コンセルトヘボウと79年頃の、このコンビの最盛期にも全曲録音を残してほしかった。

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ハイティンクのラヴェルはいい、好きです。

クープランの墓、高雅で感傷的なワルツ、古風なメヌエット、マ・メール・ロワなど、コンセルトヘボウ盤が最高に好きなんです。

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