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2022年12月19日 (月)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番、第6番

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小田原城と相模湾に真鶴方面、遠くに伊豆の山。

神奈川の西部に帰ってきて、こんな風景が普通に見れるようになったことがありがたい。

都会の便利さや賑やかさ、華やかさを懐かしくも思うが、いまはこんな自然に囲まれて、地元民として暮らす毎日が心地いい。

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背景は国府津山に、遠くに丹沢山系の大山。

新幹線に小田急線、ともに都会への簡便な足で、毎日通うこともできるエリア。

自宅から電車で10分、高校時代を過ごしたこの町です。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲。

ことしのアニヴァーサリー、さまざまな顔を持つ交響曲を似た要素でくくって聴きました。

ロンドンを主人公にした描写的な2番と映画音楽的な南極交響曲7番。
田園交響曲たるノスタルジックな3番と英国自然の美しさ、儚さを描いた5番。

戦争の影が明らかに感じられ、内容もシビアで、あの緩やかなヴォーン・ウィリアムズの作風はどこへ行っちゃったの?と思わせる厳しい音楽があるのが、4番と6番。
9曲の交響曲は曲数は同じでも、偶数番号が緩やかで優しい口調とはならなかったヴォーン・ウィリアムズ。

これまで、どちらかといえば苦手意識のあったこの偶数番号2曲、最近では最愛の5番がやたらともてはやされるようになったこともあり、それを挟む、4,6番をとてもよく聴くようになった。

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 ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番 へ短調 

  レナード・バーンスタイン指揮 ニュー・ヨークフィルハーモニック

         (1965.10.21 @NYフィルハーモニーホール)
         画像は借り物です

第4交響曲は、1934年の作品。
以下、過去記事に手をいれて再褐します。
創作活動は、その長い人生でまんべんなく行われたが、もっとも充実していた時期であろう。
重要なオペラ作品もいくつか書かれている。
あの美しく抒情的な第3交響曲が1921年。
そこからの13年の隔たりは、この交響曲に横溢する不協和音によってあらわされる。
前作は第一次大戦が終了して復興の時期だった。
戦渦の反省や、心の癒しを求める風潮もきっとあった。

そしてこの4番は、ヒトラーがドイツで総統に就任し、ヨーロッパがいよいよきな臭くなってきた、まさに不安の時代への突入。
大胆な和声と不安をあおる不協和音があるが、作者は「そのときのヨーロッパの外況を描こうとしたものではなく、その時、わたしに宿ったものをそういうように書いたにすぎない」と発言していてあくまで慎重だ。
でも後世のわたしたちが、こうしてCD音源を前に、ネットで時代背景などを調べるにつけ、あの時代の重苦しい雰囲気は確実に曲に、そして作者になにかをもたらしていたと思う。

いきなりシビアな音響で始まる第1楽章はかなり深刻なムードが漂う。
劇的なそうした場面と、後半の静かな定年に満ちた暗い雰囲気の対比がおもしろい。
第2楽章は、抒情的だけれど、かなりシャープなムードで、繰り返される悲壮感が重苦しくもあり厳しい。
スケルツォの3楽章もかなり劇的。
RVWらしい、ペンタトニックなムードも充分に出しつつ、曲は連続してさらにシビアな4楽章に突入して、何度も何度も同じ主要主題が繰り返しフーガのように展開され、興奮を呼び覚ます。
そして曲は最後、唐突に爆弾が落ちたかのように終わってしまう。

バーンスタインが残した唯一のヴォーン・ウィリアムズの交響曲。
なにゆえにこの4番だけを録音したのかはわからないげ、NYPOにはミトロプーロスとの演奏歴があり、そちらの伝統がオケに残っていたのだろうか。
リズミカルな場面ではバーンスタインならではの、いきいきと弾むシーンが横溢して、しかもスピーディで聴き手を興奮させるし、スポーティな雰囲気まで醸し出す。
一方で、この曲の前半部分はかなり慎重で重々しい。
バーンスタインが、時代背景の深刻さと狂気とをこの交響曲に感じて指揮していたのであろうか。
ちなみに、4番の壮絶な名演はブライデン・トムソン盤だと思います。
晩年のバーンスタインではなく、壮年期に録音されたことが幸いでもあります。


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    ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第6番 ホ短調

 サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団

       (1987.4.30 @ガスタイク)

こちらも過去記事から再掲編集。
まさに戦中の音楽で、1944~47年にかけての作曲。

ヨーロッパでは、伝統的島国国家として欧州の覇権を弱りながらも維持したかった英国。
世界レヴェルでは、欧州代表としてアメリカやソ連と組み、連合国として、日本・独・伊に対峙した英国。
日本の行動はアジア解放につながり、欧州白人社会がアジア・アフリカの植民地や権益を守ろうとしたこととまっこうから対立。
しかし敗戦国となった日本と同じく、小さな島国は、独立独歩というプライドを生むとともに、気がつくと周辺の競争にあんがい競り負けていたりする。
しかし、日本とちがって極めてしたたかなグレートブリテン。
日本はあまちゃんすぎる。


戦火の交響曲第6番は、交響曲のジャンルにおいては大器晩成のRVWの75歳の最円熟期の音楽。
何度も記しているとおり、9つのRVWの交響曲は、いずれも特徴が異なり、多彩な作者の顔を見せつけてくれる。
明確な4つの楽章からなる35分あまりの、オーケストラにみによる純粋交響曲。
全編に暗い影を感じ、切なさと、人を寄せつけないまでの孤高で厳しい雰囲気。

4番と同じ感じの厳しい出だしの1楽章で、はやくも暗澹たる気分になってしまうが、あの5番の緩やかムードはどこへいった・・・。
でも、中間部に、RVWらしい牧歌的な歌が出てきて、ひとまず一安心。
しかし、ここで終わるかと思うとそれは大間違いで、暗澹さはまだ続く。
 暗いムードに覆われた第2楽章は弦によるエキゾテックなムードの晦渋な様相をのうえに、ときおり、ラッパが不穏な刻みをかけてくる。
いつ襲いくるかわからない緊張の戦火の不安な社会そのもの。

変わって、サクソフォーンがジャジーな雰囲気を出しつつ、オケが無窮動的に走り回るスケルツォ的な3楽章だが、強烈なフォルテによる打撃がかなり必要に繰り返され、最後は暗澹たるオーボエソロでとじる。
急に早いテンポで厳しく始まる終楽章は活気を呈しつつも、悲劇臭が満載で、サクソフォンのむせび泣くようなソロも無常。
中間部は暗いムードのオルガンもまじえ、最初の悲劇的なムード回顧しつつ、救いのないいまを静かに嘆く。
そして、そのまま暗さをなんどもなんども繰り返しつつ静かに終える・・・・。
不思議な交響曲だが、妙に惹かれるようになった。
4番よりも複雑な顔をしてると思う。

コリン・デイヴィスがヴォーン・ウィリアムズにおいては、ライブながら4番と6番を残しているところがおもしろい。
6番では高性能のバイエルンと熱気に満ちた一気呵成の音楽を聴かせつつ、異なる趣きを持つ4つの楽章の特徴を巧みに描いているところがデイヴィスらしいところ。
バイエルンのオケはまったくもって素晴らしい。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲あと3作、年をまたぎそうです。


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ミナカから見た小田原城。

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