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2023年1月28日 (土)

シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」 アバド指揮

Tanzawa-01

このところの寒波で、丹沢の山々も今朝は白く染まりました。

1年前は、窓の外はビルばっかりだったのに、いまは遠くに丹沢連峰を見渡せる場所にいます。

子供の頃は、左手に富士の頂きが見えたのですが、木々が茂ったのか、まったく見えなくなってしまった。

でも、家を出て数秒上の方に行くと富士はよく見えます。

こんな気持ちのいい景色とまったく関係ない曲を。

それというのも、1月27日は「ホロコーストを想起する国際デー」だった。

wikiによると、「憎悪、偏見、人種差別の危険性を警告することを目的とした国際デーである。1月27日が指定されている。国際ホロコースト記念日とも呼ばれる。」とあります。

ホロコーストというと、ナチスの戦時における行為がそのまま代名詞になっているし、人類史上あってはならない非道なことだったけれど、ソ連もウクライナで同じことをやっているし、いまも戦渦にある場所は世界にいくつかある。
しかし、形骸化した国連組織は、いま現在起きている事実上のホロコーストを止めることはできないし、非難決議すらできない。
国連の常任理事国が、侵略している国だし、民族弾圧をしている国の2か国であることはもう笑い話みたいなことだ。

音楽blogだからこれ以上は書かないが、世界と社会の分断を意図的に図っている組織や連中があり、その背後にはあの国、K産主義者があると思う。
自由と民主の国にK産主義はいらん。

Fd-abbado

  シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」

    語り:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団

                        (2001.9.9 @ベルリン)

この音源は、私の私的なもので、FMから録音したカセットテープからCDR化したものです。
正規にないもので申しわけありませんが、今日、この日に聴きなおして衝撃的だったので記事にしました。

この日のベルリンフィルとの演目は、オールシェーンベルクで、「ワルシャワ」に始まり、ピーター・ゼルキンとのピアノ協奏曲、「ペレアスとメリザンド」の3曲でして、CDRにきっちり収まる時間。
自分としては、極めて大切な音源となりました。

アバドは、「ワルシャワの生き残り」を2度録音してまして、ECユースオケとマクシミリアン・シェルの語りの79年ライブ、ウィーンフィルとゴットフリート・ホルニックの語りの89年録音盤。
若い頃にも各地で取り上げていたはずで、アバドの問題意識の一面とその意識を感じます。

1992年に歌手を引退したフィッシャー=ディースカウ。
その後は朗読家としての活動を行ったFD。
そんな一環としてのアバドとの共演だった。
アバドがFDの現役時代に、共演があったかどうかわかりませんが、ヘルマン・プライとは友人としてもよく共演していたので、個性の異なるFDとはあまり合わなかったのかもしれません。

ここで聴く、一期一会のような緊迫感あふれる迫真の演奏。
いかにもディースカウと言いたいくらいに、言葉に載せる心情の切迫感と、とんでもない緊張感。
ベルリンフィルの切れ味あふれる高度な演奏能力を目いっぱいに引き出すアバドのドラマテックな指揮ぶり。
わずか7分ほどの演奏時間に固唾をのんで聴き入るワタクシであった。

以下は、過去記事をコピペ。

1947年アメリカ亡命時のシェーンベルクの作品。
第二次大戦後、ナチスの行った蛮事が明らかになるにつれ、ユダヤ系の多かったリベラルなアメリカでは怒りと悲しみが大きく、ユダヤの出自のシェーンベルクゆえ、さらに姪がナチスに殺されたこともあり、強い憤りでもってこの作品を書くこととあいりました。
クーセヴィッキー音楽財団による委嘱作。
73歳のシェーンベルクは、その前年、心臓発作を起こし命はとりとめたものの、その生涯も病弱であと数年であったが、この音楽に聴く「怒りのエネルギー」は相当な力を持って、聴くわたしたちに迫ってくるものがある。
  12音技法による音楽でありますが、もうこの域に達すると、初期の技法による作品にみられるぎこちなさよりは、考え抜かれた洗練さを感じさせ、頭でっかちの音楽にならずに、音が完全にドラマを表出していて寒気さえ覚えます。

ワルシャワの収容所から地下水道に逃げ込んだ男の回想に基づくドラマで、ほぼ語り、しかし時には歌うような、これもまたシュプレヒシュティンメのひとつ。
英語による明確かつ客観的な語りだが、徐々にリアルを増してきて、ナチス軍人の言葉はドイツ語によって引用される。
これもまたリアル恐怖を呼び起こす効果に満ちている。


叱咤されガス室への行進を余儀なくするその時、オケの切迫感が極度に高まり、いままで無言であった人々、すなわち合唱がヘブライ語で突然歌い出す。
聖歌「イスラエルよ聞け」。
最後の数分のこの出来事は、最初聴いたときには背筋が寒くなるほどに衝撃的だった。
この劇的な効果は、効果をねらうものでなく、あくまでもリアル第一で、ユダヤの長い歴史と苦難を表したものでありましょう。
抗いがたい運命に従わざるを得ないが、古代より続く民族の苦難、それに耐え抜く強さと後世の世代に希望を問いかける叫びを感じるのであります。


フィッシャー=ディースカウとアバド、マーラーやシューマンで共演して欲しかったものです。

Tanzawa-02

寒さは続く。

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コメント

アバド/ウィーンPo&ホーニクを持ってますが、なかなかコワくてプレーヤーにかかりません。対訳首っ引きで聴くべき曲でしょうが…。F=Dの語りもコワそう!アバドとの「モーゼとアロン」や「グレの歌」とか聴きたかったですね。あるいは「ルル」のシゴルヒ何てのも。

投稿: アキロンの大王 | 2023年1月30日 (月) 20時21分

アキロンの大王さん、こんにちは。
返信が遅くなりましてすいません。
FDさん、あのお声で、ときになでるように、ときに恐怖を駆り立てるように、実にうまいものです。
アバドとBPOの切れ味も抜群。
バッハやモーツァルトだと、アバドとFDさんは合わなかったかもしれませんが、新ウィーン楽派の作品ならバッチリだったと思いますね。

投稿: yokochan | 2023年2月11日 (土) 10時03分

すみませ〜ん💦遅ればせながら一言……
このライブの海賊版?のCDR持っておりまして、でもペレメリと、ピアノ協奏曲しか聞いてないんです。
ワルシャワの生き残りは、アバド愛に目覚めてないずーっと前、ウィーン&ホーニクを聞いたことがありまして、あまりにも圧倒的というか、鬼気迫る感じにビビって?!その後、どうしても聞けない曲になっていたのです。
実は、目覚めてからアバドを知る上で避けられない曲だぞと思ってCDも買ったのですが、ね。( ̄^ ̄゜)
両方とも聞いてみます‼️
語りの部分は、音の高さは関係ないけど、言葉の長さ等ちゃんと指定されていて、楽譜みたいになってるんだそうですね(⊙⊙)!!スコアも見てみたいです。

投稿: によろふきん | 2023年2月25日 (土) 20時59分

によろふきんさん、こんにちは。
コメント遅くなり申し訳ありません。
このコンサートのCDRがあるんですね。
私はブーレーズの怜悧な演奏からこのおっかない作品に馴染んでいったので、アバドとウィーンフィルの演奏はよりソフトに感じ、とても聴きやすかったです。
ベルリンフィルも同じですし、FDの天才的な歌唱も微に入り細を穿つ感じで素晴らしいとおもえました。

しかしアバドの新しい音源や映像、渇望やみません・・・・

投稿: yokochan | 2023年3月 8日 (水) 08時50分

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