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2023年1月20日 (金)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 アバド指揮

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地元の海の1月のある日の日没。

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日が沈む瞬間の輝きは眩しいほどに美しかった。

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日です。

アバドは「悲愴」の録音を4種残しました。

同じチャイコフスキーの5番とともに、ずっと指揮してきた重要レパートリーのひとつです。

 チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 op74 「悲愴」

Abbado-6-dg

  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1973.10.1~ @ムジークフェライン、ウィーン)

1973年の初来日、日本から帰った数カ月後にウィーンで録音されたのが「悲愴」。

日本発売されたその日に、高校生の自分、速効買いました。

ムジークフェラインの響きを、まともに捉えた生々しい録音は、硬くなく柔らかでとてもリアルな音だった。
そこには、いまとは違うウィーンフィルのウィーンフィルの音としての音色と響きが、しっかりとここに刻印されておりました。
柔らかな音楽造りするアバドの持ち味が、ウィーンのまろやかなサウンドと相まって、実にピュアな「悲愴」となっておりました。

高校時代の日々、毎日飽くことなく聴きましたね。
冒頭のファゴットと低弦のあとの木管は、ウィーンの楽器が耳に刷り込まれているので、ほかの楽団の楽器では物足りないと思うようになった。
当時のウィーンフィルは、現在と違ってチャイコフスキーを演奏することなどあまりなく、若いアバドにすべてをゆだねてしまったようで、出てくる音はどこまでがアバドか、どこまでがウィーンフィルかわからないくらいに、幸せな共同作業になっていると思う。

4つあるアバドの悲愴のなかでは、いまでもこれが一番好きです。
アバドは10年後の83年にウィーンフィルとコンサートで取り上げてまして、NHKでも放送され、わたくしも録音しましたが、そのCDRがどこかへ行ってしまった・・・
もったいないことしました。 

Annado-6-cbs

   シカゴ交響楽団

      (1986.11.10 @シカゴ)

ウィーン盤から13年後、アバドはその間、スカラ座、ロンドン響、ウィーン国立歌劇場に加えて、相性のよかったシカゴでもポジションを得て、指揮界の頂点にさしかかる途上にあり、そのシカゴとの悲愴再録音。
チャイコフスキー全集の3作目で、ここではやはり、シカゴの高性能ぶりが際立ち、克明なアンサンブルと音の明快さ、金管の輝かしさなどが目覚ましいです。
アバドの流麗な音楽造りは自然さも増して、流れるようにスムースに音楽が進行するが、そこにあふれる歌はもしかしたらウィーン盤以上かもしれない。
ことに2楽章がほんと美しい。
ただいつも書くことかもしれないが、録音が私には潤い不足に感じ、これがDGだったらと思わざるをえません。
またはオケがボストン響だったら、チャイコフスキーの場合はよかったかもしれない。

Salzburg-1

  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

    (1993.8.23 @ザルツブルク音楽祭)

指揮者とオーケストラの集中力と、それが引き起こす熱気は尋常ではない。(以前の記事より)
第1楽章が歌いまくりつつも終始熱いまま終え、オケの隅々まで気持ちよさそうな第2楽章を経て、元気な第3楽章では最初のほうこそ手堅くきっちりと進行するものの、徐々にテンションが上がってきて、テンポもあがって最後は熱狂的になる。
そのエンディングから息つく暇もなく、アタッカで始まる最終楽章。
これが、この演奏の白眉。
歌いまくる弦に、思いの丈を入れ込んだ管、むせび泣くような金管にメリハリの効いたティンパニ。
強弱の幅もはっきりしてて、高性能のオーケストラが、すべてをかなぐり捨てて、熱く燃え上がるアバドの棒のもとにその思いを集中させている。
ここでは、めったに聞くことができないアバドの唸り声も聴こえる。
この頃のアバドはライブで燃え上がり、ベルリンフィルもアバドの魅力に取りつかれつつある時期だった。

Abbado-simon-volivar

  シモン・ボリヴァル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

   (2010.3.18 @ルツェルン)

ベルリンを退任してから、ルツェルン祝祭管との活動と併行して、アバドはマーラー・ユーゲント、マーラー室内管、モーツァルト管など、若者のオーケストラをますます指導、指揮するようになっていった。
そんな一貫として、キューバやベネズエラを訪れ、独自システムにより音楽への道を歩んでいた若者を指導するようにもなりました。
シモン・ボリヴァルの若いオーケストラを積極的にヨーロッパに紹介し、自ら指揮したり、ドゥダメルを推したりもしたアバド。
唯一の音源が彼らをルツェルンに引き連れていったコンサートのものです。
プロコフィエフの「スキタイ」組曲、ベルクの「ルル」組曲、モーツァルトの「魔笛」のアリア、そして「悲愴」交響曲という盛りだくさんのコンサート。
このなかでは、個人的にはプロコフィエフが一番よいと思う。
そして「悲愴」は、アバドらしく流動的な滔々と流れるような演奏で、句読点はあえて少なめにサラリとした感触を受けます。
ルツェルンの仲間たちとの一連のマーラーのように、無為の境地にある指揮者に、オーケストラが夢中になって演奏している様子が見て取れる。
映像で観ると、若い奏者たちは譜面に夢中だけど、体を大きく揺らし演奏しつつも前に立つ指揮者のオーラに感化されゆく姿もわかります。
しかし、ここでも欲をいえば、ルツェルンのオケだったらどうだっただろうかという気持ちになります。
シモン・ボリヴァルの若者オケは彼らの良き個性だと思うが開放的にすぎて、音が広がりすぎて聴こえます。
編成も大きいので、緻密に簡潔な演奏をするようになった晩年のアバド様式にはちょっと・・という気がしました。
メンバーのなかに、ベルリンフィルやルツェルンのオケでのちに見るようになる顔や、ホルンに今やモントリオール響の指揮者となったラファエル・パヤーレの姿も見受けられます。

こうしたとおり、アバドが愛し、育てた音楽家が世界でどんどん活躍するようになってます。
これぞ、アバドが願い、目指し、築いた音楽の世界だったと日に日に思うようになりました。
アタッカで終楽章に入るアバドスタイル。
アバドの思いを考えながら、少し照明を落として演奏されている4楽章が消えるように終わり、長い沈黙のあと拍手が始まる。
アバドは感謝するように手を合わせてました・・・・

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アバドの命日の記事

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

Sodegaura-4

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コメント

今年初コメントです。
今年もyokochanさんにナビゲートして頂きアバドの世界に浸って行きたいと思っております。
今年もついて行きます‼️
よろしくお願いします。
悲愴……、アバドはレパートリーではなかったのかな?と思っていた時期もありましたが、かれこれ、4種あるんですよね。カラヤンのように7種も録音していると

投稿: にょろふきん | 2023年1月25日 (水) 21時00分

…続きです。
ある意味執着心も感じますが、トータルして考えると、基本的なスタンスは同じですかね。
曲自体が好きですが、やはりアバドは、その時々の録音において良さが違っていて、進化を感じます。
私もやっぱり、ウィーンフィルが一番かな。ウィーンファルがアバドに自在に操られている感が大好きですwww
ベルリンフィルとの熱い演奏はまた別格ですが。
今年も、1月20日を迎えて
もっともっと早くにアバドに目覚めてたら……と後悔しつつもアバドの遺してくれたアルバム、映像等に、心踊らし、癒やされてます。
どうぞ今年もよろしくお願い致します。

投稿: にょろふきん | 2023年1月25日 (水) 21時24分

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