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2023年3月

2023年3月23日 (木)

神奈川フィル @小田原三の丸ホール 

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毎度おなじみ小田原城。

自分の育った神奈川西部エリアに帰ってきてから1年。

小田原と平塚には始終行くようになりましたが、鶴首していたのがこのふたつの街に出来た新しいホールでのコンサート。

平塚のホールは先月に行きました。

Sannomaru-01

昨年オープンした小田原三の丸ホールでは、待望の神奈川フィルの演奏会♪

お堀のすぐそばの、まさに三の丸が位置した場所にできたホール。

長年、小田原の文化の中心だった市民会館が閉館し、その跡を継いだのがこちらのホール。

市民会館は何度かその舞台にも立ったこともあり、寂しいものですが、この美しい新ホールには今回まったく心奪われました。

Sannomaru-04

2階のホワイエから望めるお城と背景は丹沢連峰、この左手奥には箱根の山々も見えます。

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落ち着いた雰囲気のホール、先日聴いた平塚ひらしんホールよりも天井高で、音の広がりのよさを予見できる造り。

そして実際に聴いてみて、素晴らしい音響に感嘆。

フォルテからピアニシモまですべてがよく聴こえ、どんな強音でも楽器ひとつひとつが聴こえる分離の良さと、併せて音のブレンド感も豊か。
ずっと浸っていたい安心で気持ちのいい響きと聴こえの良さでしたね。
サントリーホールはいいけど、響き過ぎる。
実にちょうどいい三の丸ホールで、県立音楽堂を新しくしたような音だと思いました。
次は声やピアノも聴いてみないものです。

Kanaphil-odawara

  ブラームス    ハンガリー舞曲第1番、第5番

  ドヴォルザーク  チェロ協奏曲 ロ短調

  マーク・サマー  Jukie-O~ジュリー・オー
                     (アンコール)
     チェロ:宮田 大

  チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

    飯森 範親 指揮  神奈川フィルハーモニー管弦楽団

        (2023.3.19 @小田原三の丸ホール)

ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキーという同時期に活躍した民族色の強い作曲家たち。
しかも昨年のホールオープニングに来演した都響のオールブラームス・プログラムからの流れを意識して飯森さんが選んだものとありました。

それで付け足しとも思われたハンガリー舞曲の意味がわかった。
オーケストラを乗らせ、整える意味、観客も乗せるという意味では短い舞曲はよかったかも。
5番のラストではパウゼに溜めをつくって、飯森さん、観客を振りむいて、どう?っていう仕草をしましてリラックスムードも作り上げましたね。

前半の目玉、宮田大さんのドヴォコン。
ほんとは、エルガーが聴きたかったと思いつつ、実に久方ぶりのドヴォルザーク。
まさにメロディーメーカーだなと楽しみつつ聴きました。
1楽章はソロとオケがしっくりくるまで見守りましたが、楽譜なしの暗譜の飯森さんの指揮がなかなか的確でありつつも、ソロとの齟齬もややあったかな、と思いました。
でもですね、2楽章の牧歌的かつ詩的な演奏はもう絶品。
神奈川フィルの木管のソロの素晴らしさにみちびかれ、チェロソロが入ってくるところなんざ感涙ものでした。
この楽章でのソロとオケとの幸せな交歓の様子、聴いて、見て、本当に幸せな気分になりましたね。
終楽章も好調のまま、なんやら自然に囲まれた小田原の街の緩やかさと、温厚な機微をその音楽と演奏にと感じることができたのでした。
宮田さんの豊かで繊細なチェロの音色は神奈川フィルにぴったり。

アンコールがすごくて、ドヴォルザークを食ってしまったかも。
ジャズチェロというジャンルがあるかどうか知らないが、まさにそんな感じで、ファンキーさリズム、そして歌にあふれた佳曲で、ピチカート、胴たたきも駆使した技巧的な作品。
めちゃくちゃよかった、大拍手でしたよ。

後半は、神奈川フィルも出演のドラマ「リバーサルオーケストラ」でみなさんにすっかりお馴染みのチャイコフスキー5番。
ドラマではこの作品がちょこっとアレンジされて、運命的なあの動機と2楽章のロマンテックな旋律が随所で流れてました。
最終回、オーケストラの存続を決めるコンサートでは、まさにこの交響曲が勝負曲となり、晴れやかなラストシーンとなっておりました。
わたしの席のお隣には小学校高学年ぐらいの少女を伴ったお母さまがいらして、後半が始まるときに少女はお母さんに、「いよいよチャイ5だね」とささやいてました。
こうして、クラシック音楽も広がりを見せていくことに、音楽を聴く前から感動しちゃいました。

この曲が自分も小学生以来大好きで、もう半世紀以上はいろんな演奏で聴いてきましたが、神奈川フィルでの実演はこれが3度目で一番多い。
その神奈川フィルの演奏会も仕事のこともあり、生活環境の変化もありで、実に7年ぶりとなりました。
舞台に並ぶ神奈川フィルのメンバーのみなさん、半分以上は懐かしく、知悉の方々。
そんな神奈フィルメンバーが奏でるチャイ5は、ドラマでも田中圭演じる指揮者、常葉朝陽の言葉によれば、チャイ5はみんなに聴かせどころがある交響曲。
ほんとその通りで、スコアを見ると、どの楽器も、第1も第2もみんなまんべんなく活躍するし、めちゃくちゃ難しいし音符の数もはんぱなく多い作品。
それぞれのソロや聴かせどころでは、〇〇さん、〇〇ちゃん、頑張れとドキドキしながら聴く始末。
プロのオケだからそんな思いは不要だけれども、自分にとって神奈川フィルは、そんな思いでずっと聴いていたオーケストラだった。
聖響さんの時代のときの公益社団法人への法人格見直し時における存続危機に一喜一憂しながら応援したオーケストラ。

7年もご無沙汰してしまった反省と後悔も、このチャイ5の素晴らしい演奏で気持ちの高ぶりをとどめようがない状況になりました。
冒頭のあの動機を奏でる管楽の演奏から、こりゃまずい、涙腺が・・となりました。
オーソドックスな飯森さんの指揮にみちびかれ、観客もすぐにチャイ5に入り込みました。
アタッカで続いた2楽章、若いホルン首席の方、マイルドでブリリアント、完璧でした、心配した自分がバカでした。
めくるめくような甘味さと、感傷の交錯、ロシア系の濃厚さとは真反対にある神奈川フィルの煌めきのサウンドは、かつてずっと聴いていた音とまったく同じ。
石田組長はいなくても、小田原で聴いてるこの音は神奈川フィルサウンドそのものだった。
もうここで泣いちゃうと思いつつ聴いてた。
休止を置いて、まろやかな3楽章。
終楽章もアタッカで続けて、さて来ましたと会場の雰囲気、おっという感じになったのもドラマの効果でしょうか。
堂々と、でも軽やかに、しなやかにすすむ。
指揮の飯森さんも、ときにオケに任せつつ、ときにドライブをかけつつ、すっかりのりのり。
お馴染みの楽員さんたちが、隣同士で聴き合い、確認しあいつつ、体を動かしつつ、そしてなによりも楽しそうに演奏してる。
もうめちゃ嬉しい、テンションめちゃあがり。
そして、ラスト、コーダで金管の堂々たる高らかな咆哮、指揮者は指揮を止めてオケに任せ、その開放的なサウンドが三の丸ホールの隅々に響き渡る。
それを五感のずべてで感じるかのような喜びたるや!
込みあがるような感動と興奮を味わいつつ終演。

声掛けはお控えくださいとの開演前のアナウンスに、ブラボーは飛ばせませんでした。
もう、いいんじゃね、と思いますがね。



飯森さんの合図で、撮影タイム30秒。
しかし、みなさんあわてて起動しても、なかなか間に合いませんねぇ(笑)
こんどは起動タイム1分、撮影タイム30秒でお願いね。

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こちらは1年前の城址公園の桜。

2022年4月8日の撮影ですが、今年はその頃にはもう散ってしまうでしょう。

桜の花は儚いですが、音楽はずっと変わらず、わたしたちの傍らにいてくれます。

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神奈川フィル、また聴きに行こう。

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2023年3月18日 (土)

ヴィヴァルディ 四季 マリナー指揮

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12月に開花し、まだ健在の吾妻山の菜の花。

2月終わりごろですが、そろそろ終了。

そして今年は本格的な春が、すごく早くやってきました。

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家の近くの公園では河津桜が3月初めに満開となり、いまはもう葉桜に。

色の濃い桜が早く咲き、白や淡い色調の桜はそのあと。
でも、もうちらほら咲きだしていて、ソメイヨシノ、山桜の満開ももうすぐ。

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  ヴィヴァルデイ  「四季」

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 

 アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

        (1969 @ロンドン)

わたしのような世代の聴き手には懐かしいこのジャケット。

1971年に当時のロンドンレコードから発売された「マリナーの四季」。
大ベストセラーとなりました。
申すまでもなく、当時の四季は、イムジチの独占状態で、その後にイタリア合奏団、ミュンヒンガー、オーリアコンブ、パイヤールと続き、併せて室内管弦楽団のブームが起きました。
覚えてますよ、1970年の万博でも、その室内管弦楽団がいくつも来演しました。

そのあと、直後に登場したのが、マリナー&アカデミー。
これまでの演奏と一線を画した、時代考証と楽譜の綿密な見直しを経た学術的な探求を経て、当時生まれて初めて音にされたような斬新な音楽造りでありました。
サーストン・ダートやホグウッドもその学術チームの一角にあって、マリナーが創設したアカデミー室内管の清新な演奏でもって、当時の聴き手にとっては斬新きわまりない「四季」が生まれた。
当時の自分に遡ってコメントしてる自分ですが、それがいまや、ピリオドによる古楽奏法がバロック以前の作曲家では一般化して定着してしまったいま、マリナー&アカデミーの四季は、一時代前の存在に押し戻してしまった感があります。

当時のレコ芸の付録での宇野先生の評価「奇想天外と思えるほど自由自在にスコアを取り扱い、かつて耳にしたこともないような豊かな表情を生み出した。装飾音、エコー、ロマン的な強弱法、音色の変化、オルガンの使用などがそれだが、根底に近代的な爽やかなセンスを持つので、濃厚な演出が誇張やあくどさを伴わず、かくも個性的な名演となったのである。」1975年

以前の記事での自分のコメント、「多弁なチェンバロに、驚きのオルガン使用、鮮やかな歌いまわしと極端なダイナミズム。
いや、これはこれで、いま聴いても、極めて音楽的だし、マリナーらしい清々しい爽やかさと気品がってとても気持ちがよろしい。
まだまだ鮮度を保ってる、マリナー&アカデミーの四季であります。」

温厚で緩やかな従来演奏と、その後の大指揮者たちのゴージャスな演奏と中堅・若手による俊敏で音楽的な演奏、それらの狭間にあって多彩な表現で清冽な「四季」を聴かせてくれたのがマリナー&アカデミーだと思う。

くり返しますが、いまや現代の楽器でも四季をやるときは、ピリオド奏法を意識せざるを得ない時代になり、古楽器オケでベルリオーズまで演奏できる時代となりました。
前の記事でも書きましたが、いま活躍する指揮者たちは、四季を録音しなくなりました。
やりそうなラトルでさえ振らないし、ネルソンスがやるとは思えない。

2007年にマリナーはN響に来て四季を演奏してくれました。
モーツァルトの41番の2曲のコンサート、聴きに行きましたが、レコードの演奏と同じ。
オルガンを使いつつ、まろやかでかつ爽快な演奏でした。
思えば、晩年のマリナーを何回か聴けて、いまではよき思い出です。

Max-ernst

国内盤の初出ジャケットで使用された絵画は、マックス・エルンスト(1891~1976)の作品。
日本だけのものだったのかもしれない。
インパクトあふれる絵で、爽やかアカデミーとはちょっと違うイメージだけど、シュールレアリスムのこの作風は、不気味だけれども、いろんな季節を織り込んでいるようにも感じる。
当時のマリナー&アカデミーの四季が与えたインパクトは、こんなジャケットにしてしまいたくなるほどに大きかったのかもしれない。
いまではジャケットは穏健なイギリス絵画になってます。

Atami-05

桜の開花の早い今年、雨模様も予報され、桜好き、お花見好きのわれわれ日本人は焦燥にも似た不安と焦りを覚えている。

アバドが晩年にモーツァルト管あたりで、四季を取り上げてくれていればよかったな・・・と思います。

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2023年3月11日 (土)

12年前のあの日のブログ

Radeian

庭の梅の花と、借景は近くの河津桜。

東日本大震災から12年。
月日は早いもので、もう12年。
バブル崩壊とリーマンショックのあと、日本はこの震災で完全に停滞期に入ってしまい、いまでもそこから抜け出さない成長できない国になってしまった。
言葉を替えれば、いや、批判を覚悟に言うと、日本の担ってきた技術力や製造、開発力が、近隣の特定の2国に移転されてしまった。
災害は日本の宿命だけれども、昔なら被災は大きくてもエリアは特定されたが、いまやインフラがつながり、日本中が一体になっているので被害の拡散はかつての比ではないと思う。

ともあれ、12年の経過、亡くなられた方々に追悼の念を捧げたいと存じます。

以下は、震災当日のblogです。
地震の記録としても再度読み返しました。

あと、3月12日には、神奈川フィルの定期演奏会が不安ななかにも開かれ、忘れがたいマーラーの6番を痛恨の心持ちで聴きました。
その時の記事も、続いて再掲しました。
長いですが、これもまた震災の記録です。

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 【2011年3月11日のブログ】

震災最中ながら、被災がこれ以上広がりませんよう、祈るばかりです。


大手町と神田の間くらいで、客先と面談後、ビルを出たとたんに揺れました。
現実とは思いたくない、あぁ、これでもう・・・と思うくらい・・・・。

建物がら人々が出てきて、おろおろとしていて都内はパニック状態。
当然に、携帯はつながりません。
東京駅にむかうと、JRも地下鉄もすべて止まってる。
タクシー乗り場は、延々と続く長蛇の列。

事務所のある田町まで休みながら歩くこと2時間。
街は、人であふれかえり、道路は雑踏のようだ。
車も超渋滞。
ビックカメラやヤマダ電気は、シャッターを降ろしている。
カフェやラーメン屋さんは満員。
コンビニやパン屋さんも満員。
スーパーには、買い出しの若手社員がチラホラ。
頭巾をかぶったおびえた小学生に付き添う母親。

テレビで刻々と流される各地の被害。
背筋が寒くなります・・・・。
被災されている地域の方にはお見舞いの言葉もありません。
                       17:30

Uchikanda

地震発生時の様子です。

Ichihara

千葉の自宅から見えた市原製油所の火災。
25Km離れてますが。
「この影響で有害物質が雨に混ざって降ってくる・・・」という風評が出て、わが住宅にも管理組合が注意を促すように貼り出してます。
しかし、これはどうも間違いらしい・・・・。(コスモ石油のHP)
むしろ心配は、原発。


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 【2011年3月12日のブログ】

いまも続く大震災の余震。
そして、被災の甚大さが次々に明らかになっていて、むごいくらいの映像が報道されています。
その被害はまだ継続中だし、連鎖する地震も不安をあおって、今後、何がおこるかわからない・・・。
私の住む千葉や、職場の東京では、スーパーやコンビニに食品がまったくなくなっている。
物流が寸断され、日常ではなくなってしまった。
赤水だし、都市ガスは停止、電気も計画的に停電の予告・・・・。
交通機関もまだ不完全。
帰れなかった自宅に戻った土曜、食器は割れ、お気に入りの置物も落ち、部屋は混乱。
身近に起こっている事象です。

それでも、こうしてネットはつながっている。
この強いインフラは、災害時の教訓となろうか。

でも、こんな思いは生ぬるい。
むごたらしい映像を見るにつけ、東北・茨城の皆さまにみまわれた惨状に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
親戚もいますし、仕事柄、仲間も多いし、始終伺うことが多かった地。
青森から福島までの太平洋沿岸。いずれも訪問したことがある思い出深い地です。
どうか皆さん、ご無事でいらっしゃってください。

Kanaphill_201103


  マーラー 交響曲第6番

 金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
       (2011.3.12@みなとみらいホール)

今日、12日土曜日は、神奈川フィルハーモニーの定期演奏会の日。

開催が危ぶまれましたが、yurikamomeさんから、決行のご連絡。
帰宅しなかったもので、都内から横浜まで、スムースに移動。
ひと気の少ないみなとみらい地区(ほとんどのお店がクローズしてます)、そしてみなとみらいホールは、3割~4割の入り。

こんな時に、音楽を聴くという、どこか後ろめたい感情・・・・。

今朝から、そんな思いにとらわれ、中止も半ば期待していた。

しかし、主催者側と演奏者側の熱い思いが、そんな思いを払拭してしまう、たぐいまれなるコンサートとなったのであった。

正直いって、わたしには、いま、言葉がありません。
特殊なシテュエーションが作用し、演奏する側と聴き手が一体となって、高みに達してしまう。
不謹慎ではありますが、マーラーの6番ほど、そんな思いを高めてしまう曲はありません。

この曲は、何度も実演に接して、「もう封印」などと思ってきた演奏ばかりなのです。

アバドとルツェルンの来日公演は、わたしのコンサート経験No1で、病後、復調のアバドが喜々として笑みを浮かべながら指揮するもと、その無垢な指揮者に、全霊を尽くす奏者たちが無心で、夢中になって演奏する神がかった演奏。

ハイティンクとシカゴの完璧極まりないなかに、スコアのみがそこにあるといった完全演奏。

どちらも忘れえぬ体験。

そして、聖響&神奈川フィルのマーラー6番は、そのどちらでもない、悲しいくらいに美しく、痛切で、感情のこもった真っ直ぐな演奏だった。

それでいて、流れの良さを大切にしたスマートさも。

正直、こんなに心のこもった、全身全霊の演奏が聴けるとは思わなかった。

わたしは、指揮者と演奏者が一体化しているのが、うれしくって、まぶしくって。

そして、音楽が素晴らしくって。

そしてなんといっても、この震災が悲しくって、恐ろしくって、テレビで何度も見た映像が、辛くって、何度も何度も鳥肌が立って涙ぐんでしまうのであった。

 しかし、音楽への前向きな取り組みは、マーラーの絶望的な思いとは逆に、明日もある未来を予期させる若さと逞しさを感じさせました。

ハンマーで心かきむしられた終楽章。
あの、あまりに特異なエンディング。

指揮者も奏者もすべて動きを止め、その静寂がいつまでも、永遠に思われました・・・・・。

演奏会の冒頭。
聖響さんは、いまのこのとき、演奏家にとってなにができるか・・・、それはいい音楽をすること。義援金の募集のこと、などを話され、わたしたちも一緒に、長い黙祷を捧げたのでした。

この演奏会。
開催を決意した主催者側、果敢に一心不乱の演奏を繰り広げた聖響&神奈フィル、ホールに集まった音楽を愛する聴衆・・・・、心が一体になりました。
こんな時に、コンサートなんて・・・、という思いを一蹴してしまうような、心のこもった、愛に満ちた演奏に救われました。
どうか、奏者と聴き手が達したこの思いが、被災地の皆さまに少しでも届きますように。
そう、明日も、明後日も、まだあるんですから!

アフターコンサートは、意を決して集まったいつもの神奈フィル応援隊の皆さんに、首席チェロの山本裕康さんをお迎えして、短いながら充実の時間を過ごせました。
その間にも、お店のテレビでは、第一原発のガス爆発を報じるなど、まったくもって尋常ではない状況にありました・・・・。

こうしている間にも、余震や余波の揺れが起きてます。
家人ともども不安で寝不足です。
みなさま、ご養生ください。

そして、被災地のみなさまには、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

Minatomirai20110312

ひと気のない、みなとみらい地区。

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以上、引用再掲失礼しました。

次の発災にも心掛けなくてはなりません。

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2023年3月10日 (金)

ラフマニノフ 交響的舞曲

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早咲きの桜、温泉と海の街、熱海に咲くのが「熱海桜」

Atami-04

かなりの濃いピンクと、小ぶりの花は市内を流れる糸川沿いに咲き誇ります。

1月末から咲きだして、このときは2月半ばで、数日前のあいにくの雨と風でかなり散ってしまったといいますが、それでも美しく可憐で、鳥たちが蜜を求めて木々を渡ってましたね。

  ラフマニノフ 交響的舞曲 op.45

3つの交響曲と交響的舞曲、さらに交響合唱曲「鐘」は、ラフマニノフのシンフォニックな一連の作品で、5つの交響曲ともいえるかもしれない。
2023年はラフマニノフの生誕150年。
メロディアスな音楽の好きなワタクシ、これまであらかたのラフマニノフ作品を聴き、blogにも書いてきました。
ピアノ協奏曲なら2番、交響曲も2番というのが日本でのラフマニノフ。
ほかの作品もルーティン感あるものの、なかなかに桂曲で、欧米ではいまや2番の交響曲と同じくらいに演奏頻度のたかまったのが「交響的舞曲」です。
わたしの正規CDは少なめだけど、海外の放送で始終取り上げられてるので、録音音源が最近やたらと増えて、たくさん手元にある交響的舞曲をここにまとめておこうと思いました。

Atami-06

ラフマニノフのほぼ最後の作品。
ピアノ連弾による作品をオーケストレーションしたのが1940年で、亡命先のアメリカのビバリーヒルズで亡くなる3年前。
本国への憧憬にも満ちた哀愁ただようシンフォニックダンス。
陽光あふれるハリウッドで生活しつつ、スイスにも行き来していたラフマニノフは、忘れえぬロシアの感傷を音符に乗せたわけです。

オーマンディに献呈し、フィラデルフィア管弦楽団で初演。
アメリカは作曲家も指揮者、奏者、歌手たちが自由を求めて拠点を移す、輝きあふれる国だった。
いまのおかしくなってしまったアメリカとは大違いに、当時はヨーロッパからやってきた芸術家たちの楽園であったと思う。
この当時のアメリカがあったから、いまわれわれはヨーロッパから逃れた作曲家たちの作品や、演奏家たちの録音を聴くことができるわけだし。

バレエ音楽としても想定していたからから、その舞曲の名が示すとおり、全編弾むようなリズムが漲る。
1楽章が行進曲調、2楽章はワルツ、3楽章はスケルツォ、そしてジャズっぽいリズムと熱狂。

甘味な旋律とうねり、むせぶような情念とメランコリー、当時埋もれていた第1交響曲の引用や、ラフマニノフ作品に毎度おなじみの、ディエス・イレの引用もちゃんとある。 
ピアノも活躍し、サキソフォーンの活用が画期的。
ワルツも瀟洒で哀愁に満ち溢れていて、しかも暗さ漂い、お酒飲みつつ聴くと憂鬱さえ酒のツマミになる
しかし最後には、舞踏の祭典、スピーディな展開の中に、終結のディエスイレの場面に向けて音楽が収斂してゆき、ダイナミックにジャーンと音楽を閉じる。
銅鑼の一音がオケが引いたあとも残る印象的なエンディング。
すっごくかっこいいよ。
この銅鑼の響きが終わらぬうちに拍手が始まってしまうのがこれまで聴いてきたライブ音源の常。

Symphonic-dance

楽譜では銅鑼は、ほかの楽器が止んでも倍以上伸ばすように書かれていて、演奏によって長さも異なるし、あまり聞こえない演奏もあったりするので、そのたりも比較して聴くのも楽しい。

 【フィラデルフィア】

Rachmaninov-1-seguin

  ヤニク・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

          (2018.9 フィラデルフィア)

CD初期のマゼールの演奏で目覚めたこの曲、正規CDは10種ほど保有。
そんななかからフィラデルフィアの3種。

最新のものは、セガンと初演オケのDG盤で、これを皮きりに交響曲を全部録音するそうだ。
生々しい録音でやや潤い不足だが、セガンの持ち味である生き生き感と若々しい歌いまわしはほんとに気持ちがいい。
ほんとに巧いオケ、いいオケと実感できる演奏。
でも陰りや望郷感は不足。いまはそれでいいのだろう。ある意味客観的で長く安心して聴ける。
最後のドラは、うわ~ん、うゎ~とよく鳴る。
カップリングの交響曲第1番のほうがよいかも。
セガン氏、DGとどっぷりで録音も性急にすぎるかも。
かつてのモントリオールの仲間たちとの録音にある新鮮さと大胆さがなつかしく、フィラデルフィアでは慎重にすぎるのかも。
メットで劇場経験をさらに積んで次のステップに期待だ。
わたしは、ワーグナー指揮者になることを予見しているがどうだろう。

Rachmaninov-sym3-dutoit1

   シャルル・デュトワ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

         (1990.10 フィラデルフィルフィア)

同じく初演オケを指揮したデュトワ盤は、このオケの首席に就任前の録音。
デッカらしからぬ録音の冴え不足が、このシリーズに共通の弱点。
どこかしっくりこない、燃焼不足、潤いや張り不足で、ピチピチしてたモントリオールでのデュトワとなんか違う。
モントリオールはセガンのオケとは違うが、ここでもモントリオールだ。
スタイリッシュに過ぎるのも難点で、この音楽の尖がった部分がスルーされてる。
ラストの銅鑼は少なめ。

1996年のN響ライブ音源も聴いたが、同じ印象で、さらにNHKホールの殺伐とした響き、あと当時のN響の重くて硬い音色も・・・

Rachmaninov-ormandy

       ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

        (1960 フィラデルフィア)

初演コンビの20年後のCBS録音。
ゆったりと堂々とした演奏で客観的ななかにも哀感や切実さもありで、もしかしたらオケのなかにも、そんな昔でない時期に欧州・露から来た人も多かったかもしれない。
アメリカから見たロシア、いまの敵対と憎しみの感情とはまったく違った、まさに望郷感あるいにしえの音色。
指揮者もオケも、新世界にいながら過去を見ているような演奏だと思う。
きらびやかなフィラデルフィアサウンドは、郷愁と裏返しだったのではないかと、ほかの演奏を聴いても感じるようになった。

皮肉なもので、フィラデルフィアの3つの正規録音、古いものが一番好みだった。
いまのアメリカの社会の行き過ぎた狂気は各大都市では深刻で、民主党政権の牙城である西海岸やペンシルバニア州など、そこでの暗澹たる映像を目にすることができる。
そんななかでも衝撃だったのは、フィラデルフィアのダウンタウンでの薬中で自滅・壊滅している人間を失った人々の姿・・・・
世も末感あり。
アップストリームにあるオーケストラの面々には無縁だろうが、かねてより憧れたアメリカのメジャーオケとそこに紐づいた都市の印象が、片側だけ崩壊してしまった気分なのだ。

 【ベルリン・フィル】

Rachmaninov-symphpnicdances-maazel

  ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

         (1985 @フィルハーモニー)

第3番と同じく、マゼールとベルリンフィルのCDによって目覚めた。
容赦ないくらいにクールで、べらぼうにうまいオーケストラに快感を覚えたものだ。
マゼールにしては恣意的なくらいのマーラーとは比べ物にならないくらいに慎重さも見せるが、オケの雰囲気も併せ青白いブルーな色調がいい。
長らく聴き、刷りこみにもなってる演奏で、今思えばもっと激しくやって欲しいとも思えるが、でもね、好きな音盤です。

  サイモン・ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

         (2014 @ロンドン、proms)

正規録音として、バーミンガム時代と2010年のベルリンフィルとの録音もありますが、それらは未聴です。
promsでの演奏を録音したものですが、これが実によろしい。
ラトルらしく重心低めの響きですが、メロディに敏感で、エッジも効いててオケの俊敏さが際立ってる。
マゼール盤が穏当に聴こえてしまう。
ラストのアッチェランドはすごいし、銅鑼もかなり長く引き伸ばし、ファンキーなプロムスリスナーさんたちがよくぞ拍手を我慢したものだと思わせる。

  キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (2020 @フィルハーモニー)

以外と慎重な演奏、テンポもゆったりめで、タイムも36分越え。
品のよい歌いまわしと、テンポを上げるときはギア切替が見事でメリハリの豊かな演奏。
弦を中心にベルリンフィルの威力を満喫。銅鑼の伸ばしもなかなかのもの。
もっとやれるんじゃね?と贅沢な思いも抱くことも確か。

 【大家たち】

Rachmaninov-previn

  アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

        (1974 @ロンドン)

ラフマニノフ2番がいま人気曲になった、その立役者がプレヴィン。
リズム感あり、スピード感も伴って、総じてカッコいいと思える演奏。
ワルツのふるいつきたくなるような優雅な歌わせ方もさすがにプレヴィンで、スタジオ録音ながらプレヴィンのうなり声も聞こえる。
銅鑼も正しく鳴っている。久々に聴いてやっぱりいいと大満足。

  マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2017 @ミュンヘン)

ヤンソンスには3つの録音があり、最初のサンクトペテルブルクでの演奏は燃焼不足、コンセルトヘボウとのものは濃厚な演奏とは反対にある、ヨーロピアン的な演奏。
しかし、バイエルンでの録音では音楽造りのうまさが前にも増して感じられ、コンセルトヘボウと違う機能的なバイエルンのオケの有機的な暖かな音色が大いに寄与している。
大人の演奏で、オーケストラを聴く喜びも味わえる。銅鑼もほどよく長く響く。
思えば、この2年後にヤンソンスは亡くなってしまう。


      レナード・スラトキン指揮 デトロイト交響楽団

       (2012 @デトロイト)

セントルイス響を育て、そこでの初期のころのラフマニノフが懐かしい。
スラトキンらしい、スマートかつリズム感あふれ弾むような演奏で、おなじみのあの指揮ぶりが思い浮かぶような嬉しい内容にあふれてる。
ワルツも歌いまくり、メランコリー充分、ラストの銅鑼もすばらしい一撃が鳴り渡り、決まった。
アメリカのオケのブラスと打楽器のうまさ、明るさも満喫。

      ユーリ・テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー

       (2008 @ルツェルン)

大御所登場。豪放磊落、大づくりでありつつ、勢いあふれ、ダイナミックな箇所では、オケの威力が爆発する。
豪快に、太筆で一気に書き記したような巨大な演奏。
わたし的にはちょっと疲れてしまう。かも。

 【中堅、大活躍の方々】~ネット放送より

  アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

       (2014 @タングルウッド)

ゴージャスな演奏。ホールトーンのよさにボストン響の巧さも加わって、そんな風に聴こえる。
しかしネルソンスの指揮は重心低く、重機関車のような歩みでスケールのデカいもので、一方で緻密もあるから聴きごたえも十分。
ディエス・イレが一番壊滅的に聴こえる演奏で、いろんなか所で気が抜けない面白さがある。
銅鑼も豪快に決まったが、ボストンのお客さん、拍手が早いよ。

     トマス・ダウスゴー指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

      (2018 @ロンドン)

快速指揮者ダウスゴーは、わたしの好きな指揮者で、音盤はかなり集めましたがこの曲の録音はまだないので、貴重なライブで、しかもオケがロイヤルフィルという珍しさも。
ダウスゴーらしいスピード感あふれる演奏で、かつサバサバぶりも心地よい。
2楽章の抒情も薄目な響きがかえって透明感を与え北欧風。
3楽章の疾走感もカロリーは押さえつつダウスゴーしてましたね。
銅鑼も見事にきまり、聴衆も沈黙を守りました、気持ちがいいです。

  ヴァシリー・ペトレンコ指揮 オスロ・フィルハーモニー

       (2013 @proms)

これまたカッコいい演奏だ。
快速で緩むことがなく、一気に聴かせる一方で、しっかりとラフマニノフ節のつぼを押さえていて満足させてくれる。
違う方のペトレンコさんが、曲によっては守りに入るような慎重ぶりを示すのに、ヴァシリーさんの方はより好き放題にできるのか、緩急自在ぶりと、適度な荒れ具合があってラフマニノフの心情を映し出しているかも。
銅鑼はプロムス民にかき消されてしまった・・・

 【女性指揮者】~ネット放送

  カリーナ・カネラキス指揮 BBC交響楽団、ボストン交響楽団

       (2018 @proms  、2022 @タングルウッド)

アメリカ出身のカネラキス、ずっと聴いてきました。
オランダ放送フィル首席とベルリン放送響、ロンドンフィルの首席客演のポストにある。
ボストンへのデビューだった昨年の演奏は、慎重な構えがおとなしめの演奏に終始した感があり。
それ以前のBBCでのプロムス演奏では、音楽への共感がにじみ出たような積極的な演奏で悪くない。
彼女のレパートリーはまださほどでなく、ルトスワフスキとワーグナーが好きなようで楽しみ。

  ダリア・スタセフスカ指揮 BBC交響楽団

       (2019 @ロンドン)

昨年のジャパンpromsの指揮を担った彼女、ウクライナの出身のフィンランドの指揮者。
ウクライナ愛が強く、彼女のツィッターをフォローしているが、ウクライナを憂い、ややもすればリアルな戦場の実情をツィートしてる。
そんな彼女の戦渦まえの演奏だけど、重厚かつ生々しいほどのラフマニノフへの共感ぶりがうかがえ、熱くて存外に濃厚な音楽になった。
濃厚さと爆発力も備えた驚きの名演だと思う。


 【若手の面々】

  ステファヌ・ドゥヌーヴ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー

       (2020 @ミュンヘン)

  エドワード・ガードナー指揮 サンフランシスコ響、ベルゲン・フィル

       (2018 @サンフランシスコ、2022 @エディンバラ)

  ジェイムズ・ガフィガン指揮 シカゴ交響楽団

        (2017 @シカゴ)

  ニコラス・コロン指揮 フィンランド放送交響

        (2020 @ヘルシンキ)

  ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 アルスター管弦楽団

       (2021 @ベルファスト)

      ラハフ・シャニ指揮 ボストン交響楽団

       (2023 @ボストン)

もう長くなりすぎるので、個別にはコメントしませんが、このように今後の指揮界を担う若手もこの作品を積極的に取り上げてます。

このなかで一番安定感があり、堂々としていたスタンダードな演奏は、ガードナーとベルゲンフィル。
ガードナーは大曲をわかりやすく、しかもかつてのコリン・デイヴィスのように熱いものを感じさせる指揮者で、今年は「パルジファル」も聴くことができた。

あと素敵だったのがイタリアのルスティオーニの演奏。
彼はアルスター管の首席を務め、ヨーロッパの主要劇場とメットでもひっぱりだこのオペラ指揮者でもあります。
旋律の歌わせ方が実にうまく、アルスター管から明るくきらびやかな音を引き出していて、ラストの熱狂もなかなかのもの。
この指揮者は今後ももっと活躍すると思いますね。

注目のイスラエル出身のシャニさん、6月に手兵のロッテルダムと来日するが、プログラムを見てがっかり。
ブラ1と悲愴をメインに、日本人奏者と協奏曲で、チケットもそれで値が張ってる。
イスラエルフィルの首席に加え、ミュンヘンフィルの指揮者になることも決定。
ボストンとのこの演奏も機をてらわない正攻法の演奏で、3つの楽章をそれらがあるがままに聴けせてくれる。
返すがえすも、日本の呼び屋さんの見識を正したいものだ。

Atami-05

今年は寒暖差激しかったものの、3月に入ってから暖かい日が連続。

河津桜も葉が増えて見頃を過ぎ、ほどなくソメイヨシノの開花も始まりそうです。

花粉は辛いが、春は楽しみ。

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