ヴィヴァルディ 四季 マリナー指揮
12月に開花し、まだ健在の吾妻山の菜の花。
2月終わりごろですが、そろそろ終了。
そして今年は本格的な春が、すごく早くやってきました。
家の近くの公園では河津桜が3月初めに満開となり、いまはもう葉桜に。
色の濃い桜が早く咲き、白や淡い色調の桜はそのあと。
でも、もうちらほら咲きだしていて、ソメイヨシノ、山桜の満開ももうすぐ。
ヴィヴァルデイ 「四季」
サー・ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
(1969 @ロンドン)
わたしのような世代の聴き手には懐かしいこのジャケット。
1971年に当時のロンドンレコードから発売された「マリナーの四季」。
大ベストセラーとなりました。
申すまでもなく、当時の四季は、イムジチの独占状態で、その後にイタリア合奏団、ミュンヒンガー、オーリアコンブ、パイヤールと続き、併せて室内管弦楽団のブームが起きました。
覚えてますよ、1970年の万博でも、その室内管弦楽団がいくつも来演しました。
そのあと、直後に登場したのが、マリナー&アカデミー。
これまでの演奏と一線を画した、時代考証と楽譜の綿密な見直しを経た学術的な探求を経て、当時生まれて初めて音にされたような斬新な音楽造りでありました。
サーストン・ダートやホグウッドもその学術チームの一角にあって、マリナーが創設したアカデミー室内管の清新な演奏でもって、当時の聴き手にとっては斬新きわまりない「四季」が生まれた。
当時の自分に遡ってコメントしてる自分ですが、それがいまや、ピリオドによる古楽奏法がバロック以前の作曲家では一般化して定着してしまったいま、マリナー&アカデミーの四季は、一時代前の存在に押し戻してしまった感があります。
当時のレコ芸の付録での宇野先生の評価「奇想天外と思えるほど自由自在にスコアを取り扱い、かつて耳にしたこともないような豊かな表情を生み出した。装飾音、エコー、ロマン的な強弱法、音色の変化、オルガンの使用などがそれだが、根底に近代的な爽やかなセンスを持つので、濃厚な演出が誇張やあくどさを伴わず、かくも個性的な名演となったのである。」1975年
以前の記事での自分のコメント、「多弁なチェンバロに、驚きのオルガン使用、鮮やかな歌いまわしと極端なダイナミズム。
いや、これはこれで、いま聴いても、極めて音楽的だし、マリナーらしい清々しい爽やかさと気品がってとても気持ちがよろしい。
まだまだ鮮度を保ってる、マリナー&アカデミーの四季であります。」
温厚で緩やかな従来演奏と、その後の大指揮者たちのゴージャスな演奏と中堅・若手による俊敏で音楽的な演奏、それらの狭間にあって多彩な表現で清冽な「四季」を聴かせてくれたのがマリナー&アカデミーだと思う。
くり返しますが、いまや現代の楽器でも四季をやるときは、ピリオド奏法を意識せざるを得ない時代になり、古楽器オケでベルリオーズまで演奏できる時代となりました。
前の記事でも書きましたが、いま活躍する指揮者たちは、四季を録音しなくなりました。
やりそうなラトルでさえ振らないし、ネルソンスがやるとは思えない。
2007年にマリナーはN響に来て四季を演奏してくれました。
モーツァルトの41番の2曲のコンサート、聴きに行きましたが、レコードの演奏と同じ。
オルガンを使いつつ、まろやかでかつ爽快な演奏でした。
思えば、晩年のマリナーを何回か聴けて、いまではよき思い出です。
国内盤の初出ジャケットで使用された絵画は、マックス・エルンスト(1891~1976)の作品。
日本だけのものだったのかもしれない。
インパクトあふれる絵で、爽やかアカデミーとはちょっと違うイメージだけど、シュールレアリスムのこの作風は、不気味だけれども、いろんな季節を織り込んでいるようにも感じる。
当時のマリナー&アカデミーの四季が与えたインパクトは、こんなジャケットにしてしまいたくなるほどに大きかったのかもしれない。
いまではジャケットは穏健なイギリス絵画になってます。
桜の開花の早い今年、雨模様も予報され、桜好き、お花見好きのわれわれ日本人は焦燥にも似た不安と焦りを覚えている。
アバドが晩年にモーツァルト管あたりで、四季を取り上げてくれていればよかったな・・・と思います。
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