R・シュトラウス 「エレクトラ」
今年の花の巡りはとても早くて、ここ南関東ではツツジは連休前には咲き乱れて終わってしまいました。
加えて、真夏のような暑さも連休明けからあったりして、はやくもぐったり。
爽やかなな晩春~初夏の趣きはなくなってしまった。
でも、今年のツツジの色は濃く、鮮やかだった。
3月から、先だってのノット&東響の実演まで、「エレクトラ」を数々聴きまくりました。
本blog2度目のシュトラウスのオペラ全曲シリーズ。
4作目の「エレクトラ」。
シュトラウス44歳、1908年の完成。
「サロメ」と連続して書かれ、オーケストラ作品では、「家庭交響曲」と「アルプス交響曲」の間にある。
ギリシア三大悲劇詩人ソフォクレスの「エレクトラ」を演劇化したホフマンスタールの台本によるもので、ここからホフマンスタールとの完璧なるコラボが生まれ、名作を次々と編み出すことになる。
サロメは旧約聖書、エレクトラはギリシア悲劇、ともに不貞の肉親が絡み、殺害もある。
モーツァルトの「イドメネオ」に出てくる、いつも怒っているのが「エレクトラ」は同じ人物。
ミケーネ王である父アガメムノンを、その妻クリテムネストラと不倫を結んだエギストらに殺された、長女エレクトラが父の敵を討つという復讐劇と。
気が弱く女性的な妹クリソテミスと、復讐の実行犯になる姿を隠してを帰還する弟オレスト、エキセントリックで夢見心地のエレクトラ3姉弟の対比も鮮やか。
サロメより舞台に出ずっぱりで、しかもよりドラマテックな強い声を要すエレクトラ役はオペラの難役のひとつでしょう。
サロメより不協和音や激しい響きに満ちていて、甘い旋律や、陶酔感に満ちた響きも次々に現れるから、ワーグナーの延長、さらにはマーラーやシェーンベルクなどを聴き慣れた現代の聴き手からすると聴きにくい音楽ではない。
116名の巨大な編成を要するオーケストラは、サロメに続いて当時、いろんな比喩やカリカチュアを生んでいる。
サロメに続いて似たような題材をあえて選択したシュトラウスは、明朗・晴朗なギリシャの世界ではないものをここに描きたかった。
緻密な作風はさらに進化し、ライトモティーフも複雑極まりなく、ときに音楽はエキセントリックで禍々しく、強烈極まりない。
一方で、情熱的な高揚感はサロメの比でなく、その意味ではシュトラウスの音楽のなかで最高に熱いものだと思う。
ここしばらく、エレクトラを聴きまくり、その思いはとどめになったノット&東響の演奏会で決定的となりました。
シュトラウスは、ワーグナーを信望しつつ、その作風はワーグナーと違う次元に、このエレクトラで立ったと語っている。
不協和音の多用と無調に至るすれすれの音楽。
さらには歌唱も、まるでオーケストラの一員のようにレシタティーボ的に存在しなくてはならないし、一方オーケストラと対比しつつ、装飾的な存在とオーケストラの伴奏を受ける際立つ存在となるように書かれている。
だから、シュトラウスは、サロメとエレクトラは、メンデルスゾーンの妖精の音楽のように軽やかに演奏しなくてはならないと、若い指揮者に向けて極めて実現の難しい金言を残している。
この言葉を実際の演奏で実現したのは、ミトロプーロスとベーム、サヴァリッシュ、アバド、そしてウェルザー・メストだと思います。
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ソフォクレスの原作悲劇にある、このオペラの前段のなかには、オペラで触れられてないこともあります。
クリテムネストラには前夫がいて、その美貌にほれ込んだアガメンノンにより前夫は戦死に追い込まれる。
さらに長男も復讐を恐れたアガメンノンに殺害される。
母クリテムネストラとその夫アガメンノンの従弟エギストは、かねてより不倫関係だった。
クリテムネストラにはほかに娘もいたが、アガメンノンの戦争必勝祈願の生贄にされてしまう。
こうしたくだりが、クリテムネストラがアガメンノンを憎悪して、ことに及んだ動機でもある・・・・
こうしたエピソード活かした舞台が、2020年のザルツブルク、ワリコフスキ演出だと思う。
オペラが始まるまえ、クリテムネストラ滔々と怒りを込めて語るシーンがある。
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「エレクトラ」は1幕ものですが、7つの場面からなりたってます。
さらにこの7つは、大きな単一楽章とみることで、シンメトリー的なシンフォニックな存在として、起承転結の4つの楽章としても捉えることができます。
このあたりは以前読んだ、金子健志さんのプログラムノートの受け売りです。
Ⅰ ①待女たちによる前段の説明、プロローグ
②エレクトラの父への思い、回想、仇討ちの決意
③エレクトラとクリソテミスと対話
Ⅱ ④生贄の行進、クリテムネストラとエレクトラの対話、
母の悩み、エレクトラの夢判断と母娘の決裂
Ⅲ ⑤オレストの訃報とエレクトラの決意
クリソテミスへのダメだし
⑥エレクトラとオレストの邂逅
Ⅳ ⑦クリテムネストラ、エギストの殺害、姉妹の勝利
エレクトラの歓喜の踊り
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【聴きどころ】
①待女たちはクリテムネストラの配下だから、エレクトラをくさすわけだが、なかにひとり、エレクトラを讃える待女がいる。
その同情あふれる歌とオーケストラの音色の変化を確認。
②有名な「Allein」で始まる長大なモノローグ。
だれも、いない、ひとりっきりだ・・・
この楽劇の全貌をこのシーンが要約している。
アガメンノーーン、父の殺害の回顧と妹弟と3人でこの恨みを晴らして、最後は勝利の踊りをしましょうぞ!
③姉と妹の性格の違いの際立つシーン。
なんといっても、クリソテミスが子供を産んで普通の女性として暮らしたい、という歌唱シーンがすばらしすぎで大好き。
④禍々しい生贄行進の音楽。ベームの映像を観ると、リアルすぎてキモイが・・・
クリテムネストラは呪いや魔除けの宝飾をたくさんつけていて、音楽もそんな雰囲気を醸し出し、さすがシュトラウス。
苦悩のクリテムネストラの独白~エレクトラが相談に応じ、徐々に核心に迫る~エレクトラはついに殺害されるだろうと予告
この3つシーンの流れにおける音楽の推移もまったく見事で、心理描写にぴったりと付随していて、音楽は新ウィーン楽派の領域にも通じたものを感じる。
エレクトラの爆発はここでも強烈だ。(それに反比例する弟の死を聞いた母の不気味な高笑い)
⑤意図的にまかれたオレストの訃報に、いよいよ自分たちでやらねばと妹に迫るエレクトラは、決心できない妹に呪われよ!と絶叫。
どのシーンでも最後には怒って、すごんでしまうが、ほんと歌手はたいへんだ。
⑥オレストとの再会は、その名を3度呼ぶが、いずれもその表現が変わる。
強かったエレクトラが女性らしさも見せるステキなシーンだ。
ロマンティックな音楽は、のちのシュトラウスのオペラの前触れで、ばらの騎士やアリアドネ、アラベラにも通じるものと思う。
⑦クリテムネストラは今度は笑いでなく、断末魔の叫びを2発!
サロメのヘロデ王のような、すっとこどっこいじゃないけれど、なにもしらないエギストはやはり間抜けな存在として、妙に軽いタッチの音楽になっていて、殺られちゃうのに気の毒なくらい。
性格テノールからヘルデンまでがエギストを歌うが、もう少し聞かせどころが欲しかったと思うのは私だけ?
しかし、この場面の音楽は「ばらの騎士」のオクタヴィアンとオックスのやり取りを想起させたりもする。
同時に起きた政権転覆の騒ぎに、姉妹は興奮。
その歓喜の爆発を維持しつつ、オーケストラはエレクトラの踊りで熱狂的となり、これまた聴き手は、シュトラウス・サウンドを聴く喜びの頂点を味わうことになる!
最後は楽劇冒頭のアガメンノンの動機が投げつけられるようにして愕然と終了!
サロメと同じく、急転直下のエンディングのかっこよさ!
【CD編】
①ショルテイ&ウィーンフィル(1966~7)
カルショウのプロデュース、リングのあとにエレクトラ。
さらにこの翌年からばらの騎士を録音。
サロメよりも、いっそう切れ味と爆発力の増したショルテイ。
ウィーンフィルの音色は刺激臭なく見事に緩和。
サロメと同じく、ニルソンの声で刷りこまれたエレクトラ。
怜悧たる声とレンジの広さ、安定感など、ニルソンの代表的な録音だろう。
ジャケットも怖いが、これが刷りこみイメージに。
ニルソン、コリアー、レズニック、シュトルツェ、クラウセ
②ベーム&ドレスデン(1960)
エレクトラを生涯、指揮し続けたベーム。
録音はさすがに古くなったが、刺激的な表現はなく音楽的で純度高い。
ドレスデンの古風な音色も悪くない。
さらに素晴らしいのがボルクの声。
少しも古めかしくなく、いまでも全然新鮮だし。
alleinの登場時から漂う大女優のような品もある雰囲気は好き。
マデイラの妹は可愛い、画像調べたら美人すぎてびっくりした。
ボルク、マデイラ、シエヒ、ウール、Fディースカウ
③ベーム&ウィーン国立歌劇場(1967)
モントリオール万博へのウィーンの引っ越し公演のライブ。
大阪万博の3年前、やはり外来の音楽イベントはたくさんあった様子。
モノラルだし、舞台の声の音像は遠い。
そんな状態でもニルソンの強靭な声はよく通って聴こえる。
ライブならではで、燃えるベームも最終場面では興奮状態に陥る。
ニルソン、リザネック、レズニック、ウール、ニーンシュテット
④ベーム&メトロポリタン(1971)
メトにたびたび来演していたベーム。
アーカイブ見てたら1957年にドン・ジョヴァンニでMETデビュー。
78年まで、毎年のように客演して様々なオペラを指揮してます。
マイスタージンガーやローエングリンも、ヴォツェックも普通にやってる。
驚きはオテロまで振ってる。
こちらはモノながら録音もよく、歌手もオケも実によく聞き取れる。
金管はアメリカンで、明るく野放図だがベームも思い切り鳴らしている。
ここでもニルソンの声は際立ち、オケを圧してしまうその声がよくわかる。
リザネックの優しいクリテムネストラもよくて理想的。
マデイラがクリソテミスなのも豪華。
まさにMETならでは。
ニルソン、リザネック、マデイラ、ナギー、ステュワート
⑤小澤征爾&ボストン響(1998)
われらが小澤さんのボストン時代の代表作のひとつ。
エレクトラを得意にした小澤さん、新日フィルで1986年に聴きました。
その後も、オペラの森、ウィーン時代もシュターツオパーで上演してる。
オケがさすがに巧いのとライブだが、録音の良さにも安心感あり。
重さや刺激臭少なめ、ついでに毒気なしの洗練されたシュトラウスサウンド。
さすがに小澤さん。
ベーレンスの烈女というより、意志を持ったひとりの女性といった表現。
新鮮でユニークで聴き疲れない。
ルートヴィヒの存在感も貴重な録音。
ベーレンス、セクンデ、ルートヴィヒ、ウルフング、ヒュンニネン
⑥バレンボイム&ベルリン・シュターツオパー(1995)
バレンボイムの演奏には、強烈さはなし。
オーケストラの響きは見事にコントロールされ、耳に心地よく明るい。
かつても克明なベルリン・シュターツカペレの姿はもうない。
95年には、新鋭だった歌手ばかりだが、その後大成していったメンバー。
ポラスキのタイトルロール、マークのクリソテミス。
シュトルクマンのオレストと、さらにボータのエギストらがそれにあたる。
バイロイトで活躍した故ヴォトリヒまでちょい役で登場。
みんな素晴らしい。そして要が、マイアーのクリテムネストラのすごさ。
(過去記事より)
⑦シノーポリ&ウィーンフィル(1995)
ウィーンフィルの絶叫しない音色を自在に操る。
そして見事なまでのクライマックスと熱狂を導き出す。
エギストが現れてからの後半の盛上げ方なんぞ素晴らしいの一言につきる。
義父・母が逝ってしまってからの熱狂と、最後の強烈なエンディング!!
ウィーンフィル最高。
スターを揃えたキャストに文句なし。
圧倒的なパワーとキレのよさを聴かせるマークのエレクトラ。
同様にドラマテックだが、優しい声の持主ヴォイト。
このアメリカン巨大コンビは、ちょいと聴きもの。
さらに、マッチョなレミーのエギストも、シリアスすぎて怖いくらい。
シュヴァルツとイェルサレムの唯一ドイツ・コンビ。
生真面目に歌っていて、不可思議ないやらしさが出ているように思う。
【録音篇】
①スウィトナー&ベルリン国立歌劇場(1967)
youtubeから発掘、音悪くない。
旧東側のベルリンサウンド、スウィトナーの顔が浮かぶ
スティーガー、ドヴォルジャコヴァ、メードル、スウォルク、グルーバー
②シュタイン&ウィーン国立歌劇場(1977)
ウィーンでの日常の上演のひとコマ。
ベームのようなシュタインの熱い指揮。
80年に日本に持ってきたW・ワーグナーのプロダクションか。
シュレーダーファイネン、ジョーンズ、ルートヴィヒ、バイラー、アダム
配役が素敵だ。
③ウェルザー・メスト&クリーヴランド(2004)
快速メストの20年前のエレクトラ。
優秀なオーケストラを得て、解像度も抜群でスコアも浮き彫りに
クリーヴランドのシェフも長く、コンサートオペラも毎年。
ブリューワー、ガスティーーン、パーマー、ローヴェ、ヘルト
④マゼール&ニューヨークフィル(2008)
youtubeからの贈り物。
NYPOが音源を無償で解放していた時期のものか?
テンション高し、粘り多し、おもろい。
さすがはマゼールで、オケも抜群に巧く、CD化希望。
ポラスキ、シュヴァンネヴィルムス、ヘンシェル
マージソン、トーヴェイ
⑤ネルソンス&ロイヤルオペラ(2013)
ダイナミズムを活かし、局面の各所では大見えを切るネルソンス!
構えの大きさ、腰の低いところでの重厚さはシュトラウスの明澄さ不足。
なれど、音楽の迫真さと引き込む力は強し。
ガーキーの同役を聴いた一号。
強烈さはあるも、発声が好きになれなかった。
ガーキー、ピエチョンカ、シュスター、ディディク、ペテルソン
⑥ビシュコフ&BBCso(2014)
プロムスでのコンサート形式。
テンション高し、ビシュコフとBBCの相性よし、観衆の反応よし。
ガーキーもめちゃ拍手を浴びていて、アルバートホールをうならせた。
パワーに依存し、やはり喉を揺らすような声が時おりでる。
効果のための表現と、自分には感じたアメリカン的なわかりやすい歌唱。
ガーキー、バークミン。パーマー、クーンツェル、ロイター
⑦サロネン&メトロポリタン(2016)
映像分に同じく、そちらでコメント
⑧ビシュコフ&ウィーン国立歌劇場(2020)
2015年に始まったラウフェンベルクの演出。
コロナ禍のストリーミングで視聴したが、演出は好きになれない。
エレベーターで上下する地下に押しこめられたエレクトラ。
上階の連中との対比。
エギストの殺害はエレベーター内で丸見え。
殺害されたクリソテミスが血みどろでエレベーターを上下する。
こんな気分悪い演出は、2020年に取下げられた。
いまはアバドのときのクプファー演出がウィーンのエレクトラ。
ここでもウィーンフィルの魅力。
ビシュコフのまっしぐらな指揮もよし。
ガーキーもウィーンで成功、パワー頼みだけど、細やかな歌唱も目立つ。
過剰な表現は収まりつつあることを確認できた。
ガーキー、シモーネ・シュナイダー、マイヤー、フォレ、エルンスト
⑨ウェルザー・メスト指揮ウィーンフィル(2020)
映像分に同じく、そちらでコメント
【映像篇】
①ベーム&ウィーンフィル(1981)
ベームの白鳥の歌はエレクトラだった。
シネマとしてのG・フリードリヒ演出は、最大公約数を描いたもの。
亡くなる直前のベームの指揮は、優秀な音質にして出して欲しい。
最後の演奏が、なぜにウィーンとエレクトラだったかを音で確認したい。
リザネック、リゲンツァ、ヴァルナイ、FD、バイラー
リザネックの迫真の歌唱と演技。
みんな大好き、音源少ないリゲンツァの動く姿。
超レジェンドのヴァルナイの禍々しさと、バイラーの老いたヘルデン。
ぎらぎら・びんびんのFD。
なにもかも貴重な記録なエレクトラ。
②アバド&ウィーン国立歌劇場(1989)
アバドの唯一のシュトラウスオペラとなった。
オケを抑えて音量も色彩もあえて控えめにしたアバド。
それに対するウィーンの観客の評価は、クプファー演出とともに厳しかった。
アバドらしい演奏だし、音源だけでの復刻もして欲しい。
95年のベルリンフィルとの演奏も出て来ないものかな。
アガメンノンの顔らしきものを舞台にしたクプファー演出は暗い。
歌手は豪華だが、ベルリンのときのポラスキで聴きたい。
マルトン、ステューダー、ファスベンダー、グルントヘーパー、キング
ステューダーが断然すばらしい。
③ガッティ&ウィーンフィル(2010)
ここでもウィーンフィル、ウィーンフィルだらけなのだ。
ガッティの適度に荒れて、力強さとスマートさもある指揮がいい。
顔のドアップばかりで、全体像のつかみにくい映像にフラストレーション。
みんな顔がすごいんだよ。
とくにテオリンさま。
そのテオリン、言葉が不明瞭だが、やはり威力は満点。
ここでもマイヤーが味がある。
レーンホフの演出は、いつものようにダークな感じで、得意の白塗りも。
ラストのクリテムネストラの宙づり遺体には興ざめだな。
テオリン、ウェストブロック、マイヤー、ガンビル、パペ
④サロネン&メトロポリタン(2016)
サロネンのクールかつ激熱なオーケストラが素晴らしい。
故シェローの演出は、ビジュアル的には渋く静的な感じ。
極めて演劇的で、個々の歌手たちに求められる演技力。
指一本に至るまで厳しい指導があったものと思われる。
悪の権化みたいな母と、娘エレクトラの母娘の情も。
これを表出した秀逸な解釈。
他の多くの出演者も、みんな演者として細かに機能してる感じ。
バイロイトのリングで革命的な演出をなしたシェローの行き着いた先。
それはもしかしたら、歌舞伎や能の世界かもしらん、しらんけど。
マイヤーさんと、シュティンメさんが素敵すぎました。
ピエチョンカ、ウルリヒ、オーウェンス
⑤ウェルザー・メスト&ウィーンフィル(2020)
ワリコフスキの驚きの演出、しかし納得感あり。
生贄感を漂わせる実験病棟のような空間が舞台。
そこで足を清め、殺菌したりするような足湯が中央に。
エレクトラは花柄ワンピース、妹はピンク皮のミニスカスーツ
ちょっと病んでる感じの姉に、不満で一杯、積極的な妹
姉と妹が、その行動も、ともに入れ替わっている。
義理父は本気で殺され、実母は足を清め、丁寧に弔う。
実行犯を見た弟は、頭を叩かれおかしくなってしまう・・・
いやはや、驚きの演出だった。
でもね、ホフマンスタールとシュトラウスはそこは採用しなかった。
そこを持ちこんだことは賛否あるし、ここまで手を突っ込んでいいのか
そんな風にも思うが・・・でも新鮮ではあった。
メストとウィーンフィルの俊敏で繊細なオケ。
ストゥーンディテの没頭感あるエレクトラ。
歌も演技も本物、オケを突き抜けるグリゴリアン。
エグいけど、母親らしいバウムガルトナー。
ローレンツ、ウェルトンの男声もよい
⑥ノット&スイス・ロマンド(2022)
ジュネーヴ大劇場のピットに入るスイス・ロマンド。
おのずとその首席もピットに立つ。
ノットはジュネーヴで実際の上演をしてから東京に来る
今年12月には「ばらの騎士」が予定されている。
ここでのノットの指揮は、かなり抑制的だったが、テンポは速い。
だが、緊張感や迫力は東響の方が上だ。
ウルリヒ・ラッシュという人のヘンテコな演出というか装置。
土星のような巨大な輪っかが常に回っていて、歌手はそこで歌う。
命綱もついていて、正直歌手はたいへんだと思う。
黒づくめのダーティな舞台でわけわからなかった。
ちゃんとした舞台でやって欲しかったいい歌手たち。
スウェーデンのブリンベリはよきドラマティックソプラノ。
ミンコフスキのオランダ人でゼンタを歌ってる。
ヤクビアク、バウムガルトナーの女声もよい。
ロウレンツ、シェミレディの男声は渋い。
2022年2月の上演。
今年2023年の春には「パルジファル」をやったみたいです。
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たくさんのエレクトラを視聴し、歩いていてもエレクトラの色んな旋律が頭をめぐるようになりました。
この作品から2年後には「ばらの騎士」が生まれるなんて、信じられないと以前は思っていたけれど、こんだけエレクトラを聴くと、各処にばら騎士の萌芽を確認することもできました。
再びシュトラウスのオペラの私の作成した一覧を。
われながら、時おり見返しては視聴の参考にしてる。
わかること、それはホフマンスタールは偉大だったし、最高のコンビだったということ。
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コメント
またお邪魔致します。大昔、三島由紀夫晩年の「All Japanese are Perverse」と題されたエッセイを読みました。コヴェントガーデンで三島が「エレクトラ」を観て、アメリカの友人に
「素晴らしかった」と伝えると友人は
「何がだ?」三島は
「R.シュトラウスの音楽がさ。日本にはシュトラウスのファンが多いんだ」と返すと友人はタイトルの言を叫んだとやら。まあ普通に訳すなら
「日本人はひねくれ者ばかりだ」といったところでしょうが三島の筆はおよそ未だ十代だった当方の思いもよらぬ方向へと舵を切ったので啞然とするばかりでした。と同時に未だ知らぬシュトラウスのオペラに想いを馳せたのですが。
その数年後、最初に購入したのは「サロメ」同様、ショルティ盤でした。その後レーザーでベーム盤を観ていて気づいたのがクリテムネストラの登場前後の音楽が「イタリアより」の第4楽章で例の「フニクリ・フニクラ」の引用の辺りと似通っていることで。もしや「フニクリ〜」の作曲家デンツァから訴えられた鬱憤をぶちまけたのかななどと勝手に想像しました。
以前お話ししましたが’04年春に錦糸町でアルミング指揮の「サロメ」を観て以来長い介護生活で外出もままならず、’15年に母を送ってからは入退院を繰り返す有様ですっかり出不精と化しております。ガッティ指揮のBlu-rayも先年買ったのですが未見で。似たような愚痴ばかりで申し訳ございません…。
投稿: Edipo Re | 2023年5月26日 (金) 12時19分
Edipo Reさん、こんにちは。
件の三島由紀夫のエッセイは初めて知りました。
三島作品は、若い頃にほとんど読んだものですが、いまやむかし、その内容も忘却の彼方です。
perverse、ひねくれもの→変わり者→ヘンタイとも訳せます(笑)
その要素は、たしかに日本人には、歴史の昔からあったと思います。
世界が差別しちゃいかんと騒いでるなか、我が国は、とっくの昔から当たり前の感覚。
日本のおおらかな文化に口をはさむなと言いたいです。
以前は、苦手意識のあったサロメとエレクトラ、このところの実演も通じ、徹底的に視聴して、またあらたな視線も生まれたところです。
アルミンクは毎年、コンサートオペラをやってましたね。
ローエングリンとばらの騎士を聴きましたが、サロメもやったのですね。
まだご覧になっていないガッティのエレクトラですが、コメントに書きました通り、顔アップがキツイです。。。
梅雨入り間近、体調管理にお気をつけください。
投稿: yokochan | 2023年5月30日 (火) 08時54分
yokochan様
視覚抜きのCDで、ショルティにシノーポリ、LPでベームを持っているのみですが、真打ちはやはり1966~67年頃収録の、ショルティ盤でしょうかね。タイトルロールのニルソンのみならず、他の歌手陣と指揮者及びオーケストラが、適材適所としか申し上げようのないものです。これは、オペラ全曲盤としては、稀な事でしょう。
DGのベームも、1970年代のVPOとの録音が及びもつかない、精緻で引き締まった指揮ぶりが見事で、R・シュトラウスやベルクに情熱を注いだこの名匠の、かけがえの無い記録ですね。
投稿: 覆面吾郎 | 2024年3月12日 (火) 10時57分