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2023年6月

2023年6月26日 (月)

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 アバド指揮

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毎年の梅雨の時期には、小田原城で紫陽花と菖蒲を楽しみます。


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そして、6月26日は、クラウディオ・アバドの90回目の誕生日。

90越えで現役のブロムシュテットとドホナーニが眩しい存在です。

2005年秋にblogを開設以来、2006年のアバドの誕生日を祝福しつつアバドの記事を書くこと、今年で17回目となりました。

さらに1972年にアバドの大ファンになって以来、今年はもう51年が経過。

つくづく永く、アバドを聴いてきたものです。

今年の生誕日には、アバドの演奏のなかでも、間違いなくトップ10に入るだろう大傑作録音、「ファルスタッフ」を取り上げました。

Falstaff-abbado

  ヴェルディ 「ファルスタッフ」

   ファルスタッフ:ブリン・ターフェル   
   フォード:トマス・ハンプソン
   フェントン:ダニエル・シュトゥーダ  
   カイユス:エンリコ・ファチーニ
   バルドルフォ:アンソニー・ミー 
   ピストーラ:アナトゥーリ・コチュルガ
   フォード夫人アリーチェ:アドリアンネ・ピエチョンカ
   ナンネッタ:ドロテア・レシュマン 
   クイックリー夫人:・ラリッサ・ディアドコヴァ
   ページ夫人メグ:ステラ・ドゥフェクシス

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団

        (2001.4 @フィルハーモニー、ベルリン)


2000年の春に胃癌のため活動を停止し、その年の10月から11月にかけて、日本にやってきてくれた。
そのときの瘦せ細った姿と裏腹に、鬼気迫る指揮ぶりは今でも脳裏に焼き付いています。
その翌年2001年からフル活動のアバドは、いまDVDに残るベートーヴェンのチクルスを敢行し、そのあとザルツブルクのイースター祭で「ファルスタッフ」を上演します。
それに合わせて録音されたのが、このCD。

病後のベルリンフィル退任前の2年間は、アバドとしても、ベルリンフィルとのコンビとしても、豊穣のとき、長いコンビが相思相愛、完全に結びついた時期だったかと思います。
ベルリンフィルにカラヤン後の新たな風を吹かせた、そんなアバドの理想のヴェルディがここに完結した感がある。

一聴してわかる、音の輝かしさと明るさ伴う若々しさ。
カラヤンとは違う意味で雄弁極まりないオーケストラは、アンサンブルオペラ的なこの作品において、歌手たちの歌と言葉に、完璧に寄り添い、緻密にヴェルディの書いた音符を完璧に再現。
オーケストラも歌手も、完全にアンサンブルとして機能し、その生気たるや、いま生まれたての瑞々しさにあふれてる。
ヴェルディの音楽におけるオーケストラの完成度という意味では、アバドのファルスタッフは私にはNo.1だと思う。
カラヤンのドン・カルロもすごいけれど、あそこまで嵩にかかったオーケストラにはひれ伏すのみだが、アバドのヴェルディにおけるベルリンフィルは、しなやかさと俊敏さがあり、何度も聴いても耳に優しい。
若い恋人たちの美しいシーンはほんとうに美しいし、2幕最後の洗濯籠のシーンもオーケストラは抜群のアンサンブルを聴かせ、ワクワク感がハンパない。
各幕のエンディングの切れ味と爽快感もこのうえなし。
さらには、3幕後半の月明りのシーンの清涼感とブルー系のオケの響きも無類に美しく、そのあとのドタバタとの対比感も鮮やか!

ファルスタッフのオーケストラでいえば、カラヤンのウィーンフィルは雄弁かつオペラティックで面白いし、うまいもんだ。
同じウィーンフィルでも、バーンスタインはヴェルディを自分の方に引き寄せすぎ、でも面白い。
トスカニーニのNBCは鉄壁かつ、でも歌心満載。案外アバドの目指した境地かも・・・
ジュリーニのロスフィルは、これがあのメータのロスフィルかと思えるくらいに、落ち着きと紳士的な雰囲気。
スカラ座時代にアバドがファルスタッフを取り上げていたらどうだったろうか。
と空想にふけるのもまたファンの楽しみです。

病気あがりで、ザルツブルクでの上演前にみっちり練習を兼ねたレコーディング。
ファルスタッフのターフェルがレコ芸のインタビューで、そのときの様子を語ってました。
「彼はかなり痩せてしまい、皆とても心配していた。すると彼は音楽をすることによってエネルギーを得て、本当に元気になってしまいました。録音中、彼の瞳はきらきらと輝き、指揮をしながら飛び上がっていたのです。彼はこのオペラの生気、朗らかさを心の底から愛しているのだと思います。それが彼の健康に素晴らしい効力を発揮したのでした」
その音楽に明確な意見を持ちながら、若い歌手や演奏家たちに、完璧主義者でありながらフレンドリーで暖かく指導することで、レコーディング自体がすばらしいレッスンだったとも語ってました。
アバドの人柄と、あの大病を克服した音楽への愛を強く感じるエピソードです。

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ターフェルが36歳のときの録音で、その頃、すでにファルスタッフを持ち役にしていただけあって、その歌唱には抜群の巧さと切れ味がある。
初演の練習にずっと立ち会ったヴェルディは、歌手たちに細かい指示を出し、それはリコルディ社は書き取り記録したそうだ。
その細かな指示を歌手は反映させなくてはならず、ファルスタッフの多彩な性格の登場人物たちは、そのあたりでも役柄の描き分けが必要なわけ。
ターフェルは若い威力あふれる声を抑制しつつ、緻密な歌いぶりで、きっとアバドとの連携もしっかり生きていることでしょう。

ハンプソンのフォードも若々しく、ターフェルとの巧みなやりとりも聴きがいがある。
若すぎな雰囲気から、娘に対する頑迷な雰囲気はあまり出ないが、この歌手ならではの知的なスタイルはアバドの指揮にもよく合っている。

女声陣の中では、ナンネッタのレシュマンが断然ステキで、軽やかな美声を堪能できる。
ピエチョンカを筆頭とする夫人たちの、声のバランスもいいし、なかでは、クイックリー夫人が楽しい。
2000年当時の実力派若手歌手の組み合わせは、いまでも新鮮につきます。

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シェイクスピアと台本のボイート、そしてヴェルディの三位一体で極められた最高のオペラがファルスタッフ。
昔の栄光をいまだに忘れられない没落の士、ファルスタッフは、経済的な打開策としても、夫人たちに声をかけた。
それがしっぺ返しを食らうわけだが、思えば可哀想なファルスタッフ。
喜劇と悲劇を混在させたかのような見事なドラマと音楽に乾杯。

「世の中すべて冗談だ。
 人間すべて道化師、誠実なんてひょうろく玉よ、知性なんてあてにはならぬ。
 人間全部いかさま師!みんな他人を笑うけど、最後に笑うものだけが、ほんとうに笑う者なのだ」
                (手持ちの対訳シリーズ、永竹由幸氏訳)

皮肉に見つつも、真実を見極めた言葉に、屈託のないヴェルディの輝きあふれる音楽。
でも真摯極まりないアバドの演奏は、もしかしたら遊びの部分が少なめかも。

シェイクスピアに素材を求めたヴェルデイのオペラは、「マクベス」「オテロ」そして「ファルスタッフ」。
いずれもアバドは指揮しましたが、残念ながら「オテロ」は95~97年に3年連続でベルリンフィルと演奏してますが、録音としては残されませんでした。
オテロ役が3年で全部ことなり、レーベルのライセンスの問題もあるかもしれないし、おそらくアバドは理想のオテロ歌手に出会えなかったのかもしれません。
台本に内在する人間ドラマにもこだわる、そんなアバドが好き。
そんなアバドの高貴なヴェルディ演奏が好きなんです。

「ファルスタッフ過去記事」

「新国立劇場公演 2007」

「ジュリーニ&LAPO」

小澤征爾と二期会のファルスタッフを観劇したのが1982年。
国内上演4度目のものを体験。
先ごろ亡くなった栗山昌良さんの演出、タイトルロールは栗林義信さんだった。
日本語による上演で、今思えば悠長なものでしたが、でもわかりやすく、舞台に普通に釘付けとなりましたね。
「わっかい頃は、この俺だって・・・」とファルスタッフが自慢げに歌う場面は、日本語で歌えるくらいに覚えちゃったし、クィクリー夫人登場の挨拶は、「よろし~~く」で、もう出てくるたびに会場は笑いに包まれたものだ。
きびきびと楽しそうに指揮していた小澤さんも若かったなぁ。



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6月のアバドの誕生祭は、毎年、紫陽花が多め。

忙しかったので、記事は遅れ、バックデートして投稿してます。

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

「スカラ座 その黄金時代DVD」2020

「ランスへの旅」2021

「アバド&アルゲリッチ」2022

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2023年6月25日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」  神奈川フィル演奏会

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音楽監督、沼尻竜典と神奈川フィルハーモニーとのドラマテック・シリーズ第1弾「サロメ」。

みなとみいらいでの神奈川フィルは、実に7年ぶり。

桜木町からの道のりは、変わったようでいて、変わってない。
ロープウェイが出来たことぐらいかもですが、やはり観光客主体に人はとても多い。

昨年11月に世界1のサロメ、グリゴリアンが歌うノット&東響演奏会を聴き、今年4月は、「平和の日」日本初演を観劇し、さらに5月には、世界最高峰のエレクトラ、ガーキーの歌うエレクトラをこれまたノット&東響で聴いた。
そして、これらのシュトラウスサウンドが、まだ耳に残るなか、神奈川フィルのサロメ。
シュトラウス好きとして、こんな贅沢ないですね。

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  R・シュトラウス 楽劇「サロメ」

   サロメ:田崎 尚美      
   ヘロデ:高橋 淳
   ヘロディアス:谷口 睦美   
   ヨカナーン:大沼 徹
   ナラボート:清水 徹太郎 ヘロディアスの小姓:山下 裕賀
     ユダヤ人:小堀 勇介      ユダヤ人:新海 康仁
   ユダヤ人:山本 康寛  ユダヤ人:澤武 紀行
   ユダヤ人:加藤 宏隆   カッパドキア人:大山 大輔
   ナザレ人:大山 大輔    ナザレ人:大川 信之      
   兵士  :大塚 博章    兵士  :斉木 建司
   奴隷  :松下 奈美子

  沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

    首席ソロ・コンサートマスター:石田 泰尚
         コンサートマスター:大江 馨

     (2023.6.23 @みなとみらいホール)

    ※救世観音菩薩 九千房 政光

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ご覧のように、オーケストラを舞台の奥にぎっしりと引き詰め、その前のスペースで歌手たちが歌い演じるセミステージ上演。
P席と舞台袖の左右の座席も空席に。
ヨカナーンは、P席の左手を井戸の中に想定して、そこで歌うから音像が遠くから響くことで効果は出ていた。
字幕もP席に据えられているので全席から見通しがよい。
ステージ照明は間奏や7つのベールの踊りのシーン以外は、暗めに落とされ、左右からのブルーや赤、黄色のカラーで場面の状況に合わせて変化させていたほか、パイプオルガンのあたりには、丸いスポットライトもときに当てられたりして、雰囲気がとてもよろしく、舞台上演でなくてもかなりの効果を上げられたのではないかと思います。

今後予定されているドラマテック・シリーズはこうした設定が基本になるのだろう。
すべての客席から、前面の歌手エリアがよく見えるようになることを併せて願います。

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①この日、もっとも素晴らしかったのはオーケストラだと思う。
神奈フィルをずっと聴いてきて、途中、移動や仕事の不芳などもあり遠ざかった時期があり、本拠地での演奏体験は久方ぶりだった。
お馴染みの楽員さんたちも多数、そして若い楽員さんたちも多数。
ほんとうに巧いオーケストラになったものだと、今日ほど実感したことはありません。
華奢すぎる感のあったかつての神奈フィルは、それが個性で、横浜の街を体現したかのような洒落たオーケストラだった。
現田さんとシュナイト師によって培われた、美音極まりない音色はずっとそのままに、オペラの人、沼尻さんの就任によって、本来もってた神奈フィルの自発的な開放的な歌心あるサウンドが導き出されたと思う。

細部まで緻密に書かれたシュトラウスのスコアは、物語の進行とともに、微細に反応しつつ、リアルに描きつくしてやまない。
ヘロデがサロメの気を引こうと、宝石やクジャクなどの希少な動物をあげると提案すると、音楽はまるで宝石さながら、美しい動物の様子さながらのサウンドに一変する。
私の好きな、サロメとヨカナーンのシーンで、サロメが欲求を募らせていくシーンでも、音楽は禍々しさとヨカナーンの高貴さが交錯。
ガリラヤにいるイエスを予見させるヨカナーンの言葉は、清涼かつ神聖な音楽に一変してしまう。
それでも、サロメはさらなる欲望を口走り、ヨカナーンは強烈な最後通告を行う。
このあたりの音楽の変転と強烈さ、演奏する側は、その急転直下の描き分けを心情的な理解とともに描き分けなくてはならないと思う。
 沼尻さん率いる神奈川フィルは、このあたりがまったく見事で、目もくらむばかりの進行に感銘を覚えたものだ。

このようなシーンに代表されるように、シュトラウスの万華鏡のようなスコアを手中に収め、指揮をした沼尻さんと、それを完璧に再現した神奈川フィルは、ふたたび言うが素晴らしかった。

②日本人でサロメを上演するなら最強のメンバー
田崎さんのサロメは、剛毅さよりさ、繊細な歌いまわしで、シュトラウス自身が「16歳の少女の姿とイゾルデの声のその両方を要求する方が間違っている」と、自分に皮肉を述べたくらいに矛盾に満ちたサロメ役を、無理せず女性らしさを前面に打ち立てた、われわれ日本人にとって等身大的な「サロメ」を歌ってみせた感じに思った。
そんななかでも、数回にわたる首のおねだりの歌いまわしの変化は見事で、ラストの強烈な要求は完璧に決まった感じだ!
長大なモノローグも美しい歌唱で、このシーンでは恋するサロメの純なる心情吐露なので、沼尻指揮する極美で抑制されたオーケストラを背景に、煌めくような歌声だった。

田崎さんとともに、先月のエレクトラで待女役のひとりだった谷口さん。
わたしの好きな歌手のおひとりで、ソロアルバムもかつて本blogで取り上げてます。
アリアドネ、カプリッチョなど、おもにシュトラス諸役で彼女のオペラ出演を聴いてきましたが、こんかいのヘロディアスも硬質でキリリとした彼女の声がばっちりはまりました!ステキでした!
谷口さんのCDに、神奈フィルのクラリネット奏者の斎藤さんが出ておりますのも嬉しい発見でした。→過去記事

福井 敬さんの代役で急遽出演した高橋さんは、ヘロデを持ち役にしているし、キャラクターテノールとしての役柄で聴いた経験も多い歌手。
役柄になりきったような明快な歌唱と、その所作はベテランならではで、舞台が引き締まりましたね!

P席から歌った大沼さんのヨカナーンは、高貴な雰囲気がその声とともに相応しかったが、井戸から出されて、舞台前面でサロメと対峙するとなると、声がこちらの耳には届きにくかった。
また井戸に召喚されると、またよく通る。輝かしいバリトンのお声なのに、ホールによっては難しいものだ。

気の毒なナラボート役の清水さん、恋する小姓役の山下さん、よいです!
ほかのお馴染みの名前やお顔のそろった二期会の層の厚さにも感謝です。

③この1か月の間に、ミューザとみなとみらいで、ふたつのシュトラウスオペラを聴いた。
どちらも響きのいいホール。
その響きが混ぜ物なくストレートに耳に届く「ミューザ」。
その響きそのものが音楽と溶け合ってしまうかのような「みなといらい」。
どちらも長らく聴いてきて好きなホールだけれども、いまは「ミューザ」の方が好きかも。
でも「みなといらい」にはいろんな思い出もあり、脳内であの響きが再生可能なところも愛おしい。

ノットの次のシュトラスは「ばらの騎士」のはず。
神奈川フィルは、次は・・・。
勝手に予想、フィガロ、オランダ人、トスカ、夕鶴・・・、な~んてね。

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終演後は西の空が美しく染まってました。

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久しぶりだったので、パシャリと1枚。

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野毛に出向いてひとり居酒屋をやるつもりだったけど、いい時間だったし、もうそんな若さもないので、サロメで乾いた喉は、お家に帰ってから潤しました。

【サロメ過去記事】

「サロメ 聴きまくり・観まくり」

「グリゴリアン&ノット、東響」

「二期会 コンヴィチュニー演出 2011」

「ドホナーニ指揮 CD」

「ラインスドルフ指揮 CD」

「新国立劇場 エヴァーディンク演出 2008」

「ショルティ指揮 CD」

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2023年6月24日 (土)

モーツァルト オペラアリア ネトレプコ&アバド

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ひさかたぶりの東京タワー。

いつでも行ける場所が、近いけど遠い場所に。
なにごともそんなものでしょう。

日々、簡単に行ける場所は、誰でも同じでない。

そんなことはともかく、モーツァルトのオペラはいい。

しかし、モーツァルトはあの短い人生で、交響曲から協奏曲、器楽、室内楽、オペラと、なんであんなに書けたんだろ。

人類の奇跡でしょう。

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 モーツァルト 「イドメネオ」 エレクトラとイリアのアリア

        「フィガロの結婚」 スザンナのアリア

        「ドン・ジョヴァンニ」 
          ドンナ・アンナとドン・オッタービオの二重唱

     S:アンナ・ネトレプコ

  クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト・オーケストラ

         (2005.3 @ボローニャ)

この豪華メンバーによるモーツァルトアルバム、アバドが指揮して新規に録音したのはこの4つだけで、あとのアバドは「魔笛」からの音源。
ヴァイグレとドレスデン、マッケラスとスコットランド室内管によるものが大半です。
実はそちらもなかなか素晴らしいのですが、ここではネトレプコとアバドの4曲だけをじっくり聴きましょう。

2003年にCDでのデビューを飾ったネトレプコは、翌2004年にアバドとマーラー・チェンバーとイタリア・オペラアリア集を録音してます。
その翌年のこのモーツァルト。
イタリアオペラ集のジャケットと、今現在の20年後のネトレプコを比べると、その変化に驚きます。
それは、そっくりそのまま、その声にもいえていて、20年前のネトレプコはスーブレットからコロラトゥーラの役柄を清々しく歌う歌手だったが、いまはマクベス夫人やアイーダ、エルザだけだがワーグナーをも歌うようなドラマティコになりました。
ひととき、声も荒れがちだったが、いまはまたそれを乗り越え、神々しさも感じるゴージャスな声と美声を聴かせてます。

ただ、いまが全盛期であるネトレプコに、水を差したのがご存知のとおり、ロシアのウクライナ侵攻。
いまネトレプコは、あれだけ人気を誇り、重宝されたメットから締め出され、欧州の劇場ではイタリアかドイツの一部でしか登場していない。
前にも書いたけれど、音楽家と政治とは別の次元にあるべきと思うし、愛国心は誰にも譲れない気持ちだと思う。
非難されるべき独裁者の手先にあるのならともかく。
しかも、ロ・ウ戦争の真実なんて、西側に立脚する日本には片側の情報しか入らないから、軽々に非難もできないとも思ってる。

話しはまったく変わってしまうが、戦争のおかげで、シモノフとモスクワフィルが聴けなくなってしまったのが残念でならない。

しかし、ここで生気あふれる清潔かつ歌心あるバックを務めているアバドが、もし存命だったら、アバドはネトレプコと共演するだろうか。
わたしは、アバドだったら無為の立場で、純粋な思いでモーツァルトのコンサートアリアなどを指揮していたかもしれない。と思ったりもしてる。

アバド90回目の誕生日まであと数日。

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2023年6月17日 (土)

モーツァルト ハフナー・セレナード マリナー指揮

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紫陽花は、日本固有の品種だけれども、それはガクアジサイやヤマアジサイのようで、多くある品種は、改良されて再び日本にやってきた改良品種らしい。

ともかく、日本の梅雨を彩る美しい姿です。

小田原城にはたくさんの紫陽花が咲いてましたよ。

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 モーツァルト セレナード第7番 ニ長調 「ハフナー」 K.250

       Vn:アイオナ・ブラウン

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

          (1984.11 @セント・ジョーンズ教会、ロンドン)

13曲あるモーツァルトのセレナードのうちで、もっとも大規模な作品がハフナーセレナード。
旅にあけくれたモーツァルトがザルツブルクに長く滞在した時期、金持ち貴族のハフナー家の令嬢の結婚祝いの宴席での演奏用に書かれたもの。
当時のお金持ちの富豪や貴族たちの贅沢な嗜みだったわけで、よくいわれる、機会音楽というもの。
ホホほ、とか扇で口元を覆いながら談笑する金持ちたちが、こうした音楽に耳を傾けながら、お酒飲んだり、いいもの食ったりしてたわけで、モーツァルトの音楽がこんな風に聴かれていたと思うと、極めて贅沢なものだ。
連続して演奏されたわけでもなく、楽章は合間を置きつつ演奏されたのだともいう。
いまの現代人は、演奏会で、真剣にこうした曲を聴くわけで、機会音楽でもなんでもなく、じっと構えて受けとめるわけです。

でも、わたくしは、今回、うまいツマミを食しつつ、ビール飲んだり、ハイボールやったり、とっかえひっかえしながら、このセレナードを楽しみましよ。
セレナードといいながら、堂々たるソナタ形式やロンド形式、ギャラントなメヌエット、短調の憂いをもった場面、ヴァイオリン協奏曲的なもの、たくさんの聴きどころが詰まったバラエティ作品なのだ。
だから、こんな風にくだけた雰囲気で聴くのも楽しく、かつ真剣に聴くのもよしで、やっぱりモーツァルトの音楽はシンプルながらも懐が深いなと思った次第だ。

マリナーとアカデミーのさわやか演奏ぶりが、こうした作品では屈託なさも加わって、自然と愉悦感が漂っている。
規律正しさと高貴な微笑み、ブリテッシュ・モーツァルトの典型かと。
フィリップスの録音も演奏にそった理想的なもの。
夜に嗜み、朝に聴いたハフナーセレナード。
今朝は快晴で気持ちがイイ!

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2023年6月11日 (日)

平塚フィルハーモニー 第32回定期演奏会

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 ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第5番 ニ長調

 ベートーヴェン     交響曲第6番 ヘ長調 「田園」 Op.68

                                    「プロメテウスの創造物」から「パストラーレ」

    田部井 剛 指揮  平塚フィルハーモニー管弦楽団

          (2023.6.11 @ひらしん平塚文化芸術ホール)

本格的なアマチュアオーケストラ、全国に多くのアマオケがあるけれど、平塚フィルほど果敢なプログラムで勝負をし、そして一般の市民リスナーも、マニアも、ともに満足させてくれるオーケストラはないと思う。
といっても、私は隣町に帰ってきたばかりなので、まだ2回目ですが、前回はしべリウスの5番とブルックナー4番。
過去演を見ても、オール・エルガープログラムとかいろいろやってる。

そして大好きな曲ばかりの本日も、幸せな気持ちにさせてくれる演奏でした。

「祈りと平安」がこの2曲のモットーだろう。
2曲を通じて、大きなフォルテの回数はほんとうに少なく、優しさと安らぎにあふれた音楽たち。
プログラミングの妙です。

V・ウィリアムズの音楽のなかでもとりわけ大好きな5番。
癒しの音楽としても、コロナ禍以降、さらにアニバーサリー年もあったので、演奏会での機会も世界的に増えている。
もうだいぶ経ちますが、プレヴィンとノリントンの指揮で、ともにN響で聴いてます。
巨大なNHKホールでなく、ほどよい規模の響きのいいホールで聴くRVW。
ほんとに美しく、哀しく、愛らしい音楽だとつくづく思った。
とりわけ、切々と歌う哀歌のような3楽章は、曲のよさに加え、平塚フィルの心のこもった演奏に涙が出そうになった。
この楽章の旋律、亡きエリザベス女王の葬儀でオルガンでひっそりと、しめやかに演奏されました・・・
終楽章の、浄化されていくようなエンディングも、指揮者とオケが一体になって、感動的で素晴らしかった。

静かに田部井さんの指揮棒が降りて、完全に静止。
普通に、わたくしは拍手をしましたが、誰も拍手せず、フライング拍手みたいになってしまった。
多くの方が、きっと初聴きで、とまどっておられました。
遠慮がちな拍手は、指揮者が袖に消えると止まってしまった。
わたしは、ひとり頑張って拍手してたけど、ひとりだけ。
オーケストラの面々も戸惑いを隠せません。
わたしの後方の方が、難しいとつぶやかれました・・・

がんばれ、平塚フィル、このような果敢なプログラムで、クラシック音楽にはいろんな曲があること、もっともっと素敵な音楽があることを広めて欲しい!!

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過度に鳴りすぎない、ナチュラルな響きのホールです。

後半の「田園」は、聴衆との呼吸も一体感も際立った安定・安心の演奏。
オケの木管、特にフルートとクラリネットが素敵だ。
ヴァイオリンもしなやかで美しい。
桃源郷のような2楽章と、平安に満ちた終楽章。
田園っていいな、名曲は名曲ならでは、ほんといい曲だなぁ~と堪能しました。
うって変わってブラボー飛びかう後半となりました。

アンコールがひとひねりあって、これがまた平塚フィルのなせる技。
プロメテウスから、まさかのパストラーレ。
快活・爽快なベートーヴェン、田園詩情で幕となりました。

楽しかった、ほぼ地元でこんな素敵な演奏会を味わえるなんて。
次はなにを演奏してくれるかな。

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ホール正面にあったかぐわしいラベンダー。

イギリス音楽に相応しい。

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2023年6月10日 (土)

モーツァルト 交響曲第38番「プラハ」 ハイティンク指揮

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秦野市の弘法山へ登る途上からの富士山。

秦野は山に囲まれた盆地で、丹沢連峰からの自然の恵みにあふれてます。

近いもので始終いってます、秦野名水も汲んできます。


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  モーツァルト 交響曲第38番 ニ長調 「プラハ」 K504

 ベルナルト・ハイティンク指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

       (2002.9.2 @ ドレスデン)

あれだけ交響曲全集を量産したのに、ハイティンクにはハイドンとモーツァルトの交響曲の録音はとても少ない。
オラトリオやオペラは残したのに残念なものです。
貴重なドレスデンとのモーツァルトのライブ。

モーツァルトでは、あと35番と41番がその交響曲レパートリーだったかも。
日本に来た時には、ドレスデンとシカゴで41番を演奏していて、わたしもシカゴとの時に聴いてます。
堂々たるジュピターになるかと思ったら、澄み切った心境にさせてくれる孤高の演奏だった。

そのシカゴとの演奏の7年前のドレスデンライブ。
録音に潤いを求めたいところだが、演奏は渋くてマイルド。
古楽的な奏法なんて微塵もなく、毅然として美しく、ソナタ形式による3つの楽章のシンフォニックな佇まいが凛々しい。
ドレスデンも、この頃は克明なサウンドを保持していて、重なり合う楽器が美術品のように見どころ聴きどころにあふれている。

ティーレマンのあと、ドレスデンは誰が指揮をするんだろう。
スゥイトナーのプラハも久方ぶりに聴いてみた。
より柔和で、より美しい演奏であり、オーケストラでありました。

プラハを聴くと、いつも思うこと。
なんで3楽章なんだろう?37番はどこへいっちゃったんだろう。

そんなことはともかく、モーツァルトで癒されたい。

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