モーツァルト オペラアリア ネトレプコ&アバド
ひさかたぶりの東京タワー。
いつでも行ける場所が、近いけど遠い場所に。
なにごともそんなものでしょう。
日々、簡単に行ける場所は、誰でも同じでない。
そんなことはともかく、モーツァルトのオペラはいい。
しかし、モーツァルトはあの短い人生で、交響曲から協奏曲、器楽、室内楽、オペラと、なんであんなに書けたんだろ。
人類の奇跡でしょう。
モーツァルト 「イドメネオ」 エレクトラとイリアのアリア
「フィガロの結婚」 スザンナのアリア
「ドン・ジョヴァンニ」
ドンナ・アンナとドン・オッタービオの二重唱
S:アンナ・ネトレプコ
クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト・オーケストラ
(2005.3 @ボローニャ)
この豪華メンバーによるモーツァルトアルバム、アバドが指揮して新規に録音したのはこの4つだけで、あとのアバドは「魔笛」からの音源。
ヴァイグレとドレスデン、マッケラスとスコットランド室内管によるものが大半です。
実はそちらもなかなか素晴らしいのですが、ここではネトレプコとアバドの4曲だけをじっくり聴きましょう。
2003年にCDでのデビューを飾ったネトレプコは、翌2004年にアバドとマーラー・チェンバーとイタリア・オペラアリア集を録音してます。
その翌年のこのモーツァルト。
イタリアオペラ集のジャケットと、今現在の20年後のネトレプコを比べると、その変化に驚きます。
それは、そっくりそのまま、その声にもいえていて、20年前のネトレプコはスーブレットからコロラトゥーラの役柄を清々しく歌う歌手だったが、いまはマクベス夫人やアイーダ、エルザだけだがワーグナーをも歌うようなドラマティコになりました。
ひととき、声も荒れがちだったが、いまはまたそれを乗り越え、神々しさも感じるゴージャスな声と美声を聴かせてます。
ただ、いまが全盛期であるネトレプコに、水を差したのがご存知のとおり、ロシアのウクライナ侵攻。
いまネトレプコは、あれだけ人気を誇り、重宝されたメットから締め出され、欧州の劇場ではイタリアかドイツの一部でしか登場していない。
前にも書いたけれど、音楽家と政治とは別の次元にあるべきと思うし、愛国心は誰にも譲れない気持ちだと思う。
非難されるべき独裁者の手先にあるのならともかく。
しかも、ロ・ウ戦争の真実なんて、西側に立脚する日本には片側の情報しか入らないから、軽々に非難もできないとも思ってる。
話しはまったく変わってしまうが、戦争のおかげで、シモノフとモスクワフィルが聴けなくなってしまったのが残念でならない。
しかし、ここで生気あふれる清潔かつ歌心あるバックを務めているアバドが、もし存命だったら、アバドはネトレプコと共演するだろうか。
わたしは、アバドだったら無為の立場で、純粋な思いでモーツァルトのコンサートアリアなどを指揮していたかもしれない。と思ったりもしてる。
アバド90回目の誕生日まであと数日。
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コメント
こんにちは。
私もアバドであれば、音楽を愛する気持ちは、誰も邪魔できないとか仰って何事もないかのように、共演されたのではないかなぁ、と思います。
基本的にオベラ……はハイライトばかりで聴いてきたので、未聴のものばかり……アバドをきっかけに全曲聴き始めています。ネトレプコ&アバドのモーツァルト オペラアリア、聴いてみますね( •̀∀•́)۶
投稿: にょろふきん | 2023年6月26日 (月) 20時36分
にょろふきんさん、こんにちは。
そうですね、アバドとネトレプコ、もっと聴きたかったし、いまならご指摘のとおり共演してたと思いますね。
アバドのオペラ、もっともっとたくさん残して欲しかったです。
それと残念なのは、映像作品がいまの時代のような鮮明な解像度で残されてないので、時代のギャップを感じます。
ブルーレイ化して欲しいです。
投稿: yokochan | 2023年7月 2日 (日) 10時39分