ワーグナー 「パルジファル」 カサド指揮 バイロイト2023
ドイツのニュース画像から拝借。
ワーグナーの夏、バイロイト音楽祭が7月25日から開幕。
世界中が猛暑にみまわれるなか、バイロイトのオープニングは雨となり、気温も22度ぐらいと、あの冷房なしの劇場はきっと過ごしやすかったことでしょう。
政治家や著名人が集うレッドカーペットは、バイロイト市民の楽しみとも言いますが、政治から引いたメルケル元首相は、今年も旦那さんとともに注目を浴びていて、EUのライエン委員長とともに写っている一方、現職のショルツ首相は見当たらないので地味さは否めない。
EUにおけるドイツの地位の低下、しいてはEUそのものの在り方が、よりアメリカになびかざるを得ない状態がウ・露戦で浮彫になったと思う。
それをバイロイトに結び付けるとも強引かとも思うが、Netflixのようなオリジナルドラマ化を目指した「リング」に加え、マサチューセッツ工科大学の音楽と演劇の教授であり、演出家のジェイ・シャイブは、まさにアメリカ人であり、今回の「パルジファル」の舞台もアメリカ抜きでは考えられない内容になっているとおもった。
ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」
アンフォルタス:デレク・ウェルトン
ティトゥレル:トビアス・ケーラー
グルネマンツ:ゲエルク・ツェッペンフェルト
パルジファル:アンドレアス・シャガー
クリングゾル:ヨルダン・シャナハン
クンドリー:エリナ・ガランチャ
聖杯守護の騎士:シャボンガ・マクンボ、イェンス=エリック・アスボ
小姓:ベスティ・ホルネ、マーガレット・プルンマー
ヨルゲ・ロドリゲス=ノルトン、ギャリー・ディヴィスリム
花の乙女:エヴェリン・ノヴァーク、カミーユ・シュノア
マーガレット・プルンマー、ユリア・グリュター
ベスティ・ホルネ、マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト
アルト独唱:マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト
パブロ・ヘラス-カサド指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:エーベルハルト・フリードリヒ
演出:ジェイ・シャイブ
(2023.7.25 @バイロイト)
バイエルン放送によるストリーミング音楽再生を早々に視聴。
フライブルクのバロックオケとシューベルトやメンデルスゾーンまでのロマン派領域まで時代考証を経た演奏を重ねてきたカサド。
さらにはモンテヴェルディのスペシャリストでもあり、ウィーンでそのオペラ三部作を上演中。
かと思えば、ブラームスやチャイコフスキー、ヴェルディ、現代音楽も普通に指揮してるという、ともかく想定外のレパートリーを次々と繰り出す指揮者、そんなイメージだったカサド氏。
さぞかし、快速でブーレーズばりの高解像度のパルジファルを作り上げるのかと思った。
しかし、予想はなかばあたりつつも、大幅に外れた、それも予想外に良い方に。
バイロイトでの演奏タイム
トスカニーニ 4時間48分
クナッパーツブッシュ (1962) 4時間19分
ブーレース (1970) 3時間48分
シュタイン (1969) 4時間01分
ヨッフム (1971) 3時間58分
シュタイン (1981) 3時間49分
レヴァイン (1985) 4時間38分
ティーレマン (2001) 4時間20分
ブーレーズ (2005) 3時間35分
A・フィッシャー (2007) 4時間05分
ガッティ (2008) 4時間24分
F・ジョルダン (2009) 4時間14分
ヘンシェル (2016) 4時間02分
ビシュコフ (2029) 4時間09分
カサド (2023) 4時間06分
毎度のとおり、演奏時間がその演奏の良しあしではないですが、その演奏のひとつの目安でもあります。
カサドは歴代指揮者の中で、早くもなく、遅くもなく、全体のテンポ感では中庸と言えます。
こうしてみるとブーレーズの大胆ぶりがわかるし、レヴァインの長大ぶりもわかります。
あとシュタインが、ベームばりの凝縮された演奏に徹していたこともわかる。
そんななかで、テンポ感だけからみたカサドの演奏は、1幕と3幕の聖杯騎士たちの合唱の部分が、ものすごく速く強弱も豊かでビビットであること。
実際の舞台を見れば即わかる、こんな場面では荘厳・勇壮な音楽では釣り合わないと。
しかしながら、即興性あふれる豊かな情感を伴ったカサドのパルジファルは、夏の暑さに早くも食傷気味の私にとって、新鮮かつ極めて鮮烈だった。
抑え気味になにも起こらない清潔な前奏曲、長大なグルネマンツの昔語りも、まるで昨日のことのように具象的、パルジファル登場の躍動感、聖堂へいざなわれる場面のスピード感と、先にあげた騎士たちの合唱の躍動感。
2幕では、妙に健康的な花の乙女たちのシーン、最高の聴きものだったパルジファルの覚醒と悩めるクンドリーのシーンの緊迫感。
3幕は、まったく普通に聖金曜日の音楽の高まりがすばらしく、同じく普通に感動してしまう。
ラストシーンは清涼感あるも、あっさりと通り過ぎてしまいすぎで、あんな舞台ではなぁと思ったりもしたが、このあたりの霊感不足は今後もっと良くなると思いますね。
映像では、バイロイトの特製Tシャツや、ポロシャツをカジュアルに着こなして指揮をするカサドの姿が各幕映されてます。
暑そうなピットに、指揮棒を持たないカサドの指揮ぶりがよく分かる仕組み。
カーテンコールでは、スリムスーツ姿で登場して喝采を浴びてます。
歌手もいずれも素晴らしい。
このプロダクションの目玉のひとつがクンドリーに挑戦したガランチャ。
こちらは美人だから映像で見るとまたひとしおなんですが、冷徹・冷静・悲劇的なクンドリーを歌い演じた。
まっすぐな声は、彼女の強い表現意欲を感じさせ、ふたりのメゾが必要とされるほど二面性のあるこの役の難しさを、まさにひとりで体現していて、知的なセンスに裏打ちされた考え抜かれた歌唱は、かつてのスマートな歌いぶりとは違う、強靭さと強い感情表現に驚いた。
安定のツェツペンフェルトの安心して聴けるグルネマンツはまったく素晴らしい。
ただあまりの目力の強さは、演技以上に、いろんな意味あいを持たせてしまうので、あんまり、目の玉ぎろぎろしない方がいいのではといつも思う。
カレヤの罹患でピンチヒッターとなったのはシャガーで、歌い慣れたパルジファルだけあって、力強さと説得力は抜群で、アンフォルターースの叫びも堂にいったものだ。
楽天的な歌いぶりが、パルジファルやジークフリートのような役柄にはぴったり。
悩めるアンフォルタスのウェルトンが思わぬ拾い物で、これまでクリングゾルを歌ってきてのアンフォルタスは没頭感あるバス・バリトンとして、この先、ウォータンで登場する可能性を思わせた。
ほかの諸役も万全だが、端役や合唱に多国籍・多様な面々が目立つのも昨今のバイロイト、そして欧州の劇場のいまであろう。
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Photo Borrowed from the Bavarian Radio
映像による舞台も鑑賞。
ことしのパルジファルのジェイ・シャイブの演出は、当初よりARメガネ着用による新たな観劇スタイルということが喧伝された。
拡張現実という、ゲームの世界からビジネス、医療などへとその分野を文字通り拡張していった仮想空間体験をオペラでも味わってもらおうというもの。
しかしながら、バイロイトの劇場のキャパ2000人に対し、準備されたARグラスの数は330。
最後部座席とBOXシートに座った方々だけが、そのARグラスを装着することができた。
舞台は舞台で、それだけを観てる人には普通の上演であり、一方で音楽を耳から、ARグラスで仮想空間の映像を観るという、いわばふたつの観劇方法を制作するということで、その労たるや・・・とまず思ってしまう。
いずれDVDで発売されるときは、その両方が楽しめるようになると思うが、実際に客席にいた人は、ARグラスを外してしまう方も多かったといい、視覚疲れとか、音楽に集中できないとか、別な問題が生じた模様。
その仮想空間では、どんなものが見えたかというと、ドイツの新聞情報では、パルジファルのシンボルの数々、昆虫、花、木、槍、血を流す白鳥、平和の鳩などのようで、その他、この演出家の主眼であった環境問題に関することなどが映しだされた模様。
そりゃ疲れますわな、虫がリアルに自分の方に飛んできたら悲鳴上げる人もいるだろうよ。
一方の舞台も、考え、解釈するのもめんどくさいことばかりの昨今の演出を裏切らないもの。
①グルネマンツは、前奏曲からクンドリーそっくりの第2クンドリーとイチャイチャしてて困ってしまう。
黄色いエプロンを付けた工場の監督官みたいな存在で、聖杯守護の騎士や小姓たちも、工場労働者風。
奥では黄色いガスのようなものも発生していて、舞台には泉が据えられ、メタルっぽい全体感がある。
クンドリーがアンフォルタスに持って来た秘薬は、ビニール袋に入った黄色い粉。
パルジファルが射貫く白鳥は、超リアルで、血みどろ。
聖堂のシーンでは、天井から放射状のLEDライトで出来た丸い輪っかが降りてきて、眩しい光の加減などから、まるで「未知との遭遇」を思わせた。
アンフォルタスは白いカジュアルなロングシャツで、患部に丸い穴が開き血が出てる。
騎士たち、というか労働者たちが聖具的なグッズを数々運んできて前に並べるが、これらは偶像の品々で宗教へのアンチテーゼだろうか。
聖杯の開帳を急くティトゥレルは、まるでミイラのように醜い。
聖杯と思しきものは「2001年宇宙の旅」に出てくるようなメタリックな群青色の岩石で、これにアンフォルタスは傷口を開いて血を浴びせる。
その滴る血を器に入れ、それをティトゥレルは口にすると、驚くべきことに、ミイラみたいなティトゥレルはつやつやの顔に若返り、シャンとしてしまい、騎士たちもそれぞれにその血を口にする。
これらの異様な儀式を見ていたパルジファルは、さかんにアンフォルタスの傷と同じ場所を痛がっている。
②さっきの聖杯みなしの岩石と同じ形に穴の開いたピンクに彩られた場所から、これまたピンクのスーツに、花柄の肉襦袢を付けたクリングゾルが、精力みなぎる雄牛の被り物で腰を槍にこすり付け、股間もまさぐりつつ歌う姿はエロ魔人そのもの(笑)
花の乙女たちもみんなピンクで、一部は金髪、パツキンのねーちゃん。
もれなく花の肉襦袢を着ていて、みんな脱いじゃう。
パルジファルになぎ倒された男の死体もあるが、新しい若者の登場で、その死体の首はぶん投げられ、死体も人形そのものの動きで彼女たちに投げ捨てられてしまい、声に出して笑った。
クンドリーは情熱的というよりは悩み多い雰囲気で、陳腐なベットソファでパルジファルと濃厚な接吻を見せる。
助けに応じ出てきて槍を構える師匠クリングゾルに対し、楯となってパルジファルを守る仕草をするクンドリーが新しい。
③朽ちた世界が舞台に展開。
ここでボロボロになった戦車のような機械が全貌を現し、どうやら掘削マシーンのようだ。
眠るクンドリーの傍らに潰れたペットボトル、そしてすっかり汚れてしまった服を着たグルネマンツもペットボトルを手にして水を飲む。
半分白かったクンドリーの髪は、ほとんど白髪に変貌し、表情も変化。
鎧が傷だらけとなったパルジファル、槍は泉のほとりに立て、定番の聖金曜日に準備は整い、ほぼ通例の洗礼シーンに安心する。
クンドリー2号も同じくパルジファルの足を洗う仕草をする。
花畑はまったく展開しないが、クンドリー2号が花束を持っている。
聖杯騎士たちの嘆きのシーンでは、池からLEDのリングが忽然と出現し、またもやスピルバーグかと思う。
ここでは、クンドリー2号が全体を見通して仕切っているようにも見えるがいかに。
アンフォルタスの破れかぶれの様子に混乱の人々、もみくちゃにされるグルネマンツ、冷静に見守るクンドリー1号。
そこへパルジファルは、しずしずと出てきて槍(っぽいもの)をアンフォルタスの傷口に当て、すっかり治癒。
ラストの聖杯を掲げる場面は、例の群青色の岩石を掲げたはいいが、下にたたきつけて粉々にしてしまう。
音源で気になっていたガシャーンという音はこれだった(笑)
泉の中央に進み出たパルジファルは、戸惑うクンドリー1号をこちらへといざない、彼女も真ん中へ。
リングの上方を見つめつつ、楽劇は大団円を迎えるが、傍らではグルネマンツとクンドリー2号が抱き合いご縁を戻した様子。
はぁ~、と思いつつ幕。
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なんだかよくわからん演出だけど、余計なことをしてないし、ヘンテコな読み下しもない。
しかし、海外紙や演出家の言葉などからわかったこと。
騎士団は、レアアースのコバルトを採掘する鉱山労働者だった。
この際、十字軍以降の騎士団の歴史などを調べてみようとも思うが、宗教的な活動から端を発し、軍事的な存在にもなっていく各騎士団。
経済的な存在にも併せてなっていくので、先住民族のいるエリアに入り込んで収奪も行ったかもしれない。
そんな背景がここにあるのかはわからないが、J・シャイブはレアアース獲得競争が引き起こす環境破壊をもテーマにしているようだ。
ということで、彼らが崇めていたのは、聖杯でなく、そのレアアースであるコバルトそのものだった。
それを拝み、血の儀式を行うことで息長らえる。
騎士たちは、白いTシャツを着ていて、そこには平和の象徴、パルジファル最後に聖杯の周りを飛翔する「鳩」の絵が描かれていた。
3幕では、そのシャツを着た人物は一人ぐらいしか見当たらず、迷彩服、またはアフリカ民族衣装的な衣装が3幕では大半となった。
収奪が進み、コバルトを掘りつくしてしまったのか。
パルジファルの本来背景にある男性社会、その絆が導き出す聖杯守護の騎士たちという概念。
これを完全無視し、それがここでは崩壊している。
さらに、パルジファルは聖杯と見立てたレアアースを粉々にしてしまう。
これは、環境破壊に対するアンチテーゼであり、いまの世界にとって答えのない問いなのである。
パルジファルでこれをやるか?
パルジファルのシャツの胸には「Remenber me」、クンドリーの衣装の背中には「Forget me」と記されている。
このふたりの和解による共同事業がラストシーンでもあると思われた。
クンドリーは救済されて息絶えることなく、生きてパルジファルととも歩むことを予見させる。
ついでに、クンドリー2号にもforget meと書いてあり、グルネマンツと再び結ばれちゃう。なんやねん。
男性社会に徹底的にNoを突きつけるのだな(笑)
過去のアメリカのSF映画の名作を思わせるシーンや、2幕のピンクずくめの世界は、70年代のヒッピー文化のようで、サイケデリック。
花の乙女はバービー人形そのものだった。
こんな感じに断片的な印象しかなく、鈍感な私には、通底する強いメッセージはまったく読み取れなかった。
大いに感心したのは、衣装や装置などが見事にエージングされていて、経年劣化の様子や服の汚れ具合が実に見事。
逆にあまりみたくないのが「血」。
血のシーンが多いし、関係ないけど接吻シーンも妙にリアルで長い(笑)
伝統破壊のキャンセルカルチャーで、ワーグナーの楽劇をめちゃくちゃにしないでほしい。
ともかく世界の「パルジファル」はみんなこんなになっちまった。
カーテンコールは1幕でブーが飛び、3幕終了後は、歌手たちと指揮者に盛大なブラボーの嵐。
演出家・衣装・舞台製作などのチームが出てきたらお約束の激しいブーイングに包まれ安心しましたよ(笑)
亡父に花を手向けるアンフォルタス。
今年のバイロイトは、ことにリングの売れ行きが悪く、チケットもばら売りをしたとか。
バイロイトの当主、ワーグナー家の運営に対する批判も多く、資金的な問題もあったりして、バイロイト友の会、連邦政府、州政府などとの駆け引きも今後注目。
数年後にはカタリーナ・ワーグナー体制の継続可否が問われるようだ。
ウィーンのインテンダントを長く務めたホーレンダーは、バイロイトばかりでない、ドイツのオペラ界のよくない兆しとして「気に入らないものを食べさせられたら、もう同じものを注文しない」としてオペラからの観客離れを指摘している。
同時に、インフラの高騰で生活の厳しくなっている世界中の人々にあって、オペラの高いチケットは早々に手が出るものでない。
まして、またアレ?を見せられるのかとなると、わざわざ高いお金を使いたくないだろう。
社会問題をわざわざ、オペラを通じて見せられることの意義はあるのか?
私はNOです。
そんなの違うとこでやれよと。
「伝統と革新」、バイロイトの立ち位置とするところと思うが、いまの社会問題は政治性が強すぎて、どこに真の問題を見出すか困難だと思う。
もっとワーグナーの本質をみせて欲しい、それこそが伝統であり、そのうえに今一度、革新性を築き上げて欲しいものだ。
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