« ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ ミュンシュ指揮 | トップページ | フェスタサマーミューザ ノット&東響 オープニングコンサート »

2023年7月22日 (土)

ワーグナー 「ワルキューレ」第1幕 クレンペラー指揮

001_20230713220401

何度も書きますが、夕焼けが大好きです。

ワーグナーとディーリアスに目覚めた中学時代。

こんな夕焼けを眺めながら、ウォータンの告別や黄昏の自己犠牲、ディーリアスの音楽を聴いたものです。

Wagner-wark-klemperer1

     ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」 第1幕

        3幕~ウォータンの告別

    ジークムント:ウィリアム・コックラン

    ジークリンデ:ヘルガ・デルネッシュ

    フンディンク:ハンス・ゾーティン

    ウォータン :ノーマン・ベイリー

 オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

     (1969.10、12、1970,10 @オール・セインツ教会)

7月6日は、波乱万丈の大指揮者、オットー・クレンペラー(1885~1973)の没後50年の日でした。

10代の中学生だった自分、覚えてますよ。
88歳、チューリヒの自宅で子供たちに囲まれての大往生だったといいます。
ドイツとイスラエルの二重国籍のクレンペラー、ワーグナーに関しては管弦楽曲集が高名だし、オランダ人の全曲も神々しい演奏。
しかし、後期の作品は劇場でほとんど指揮をしていなかったともいわれ、一方で自身と同時代のオペラ作品を積極的に世に広めることをしたこととの対比が、いかにもクレンペラーっぽいところ。

一聴して驚くそのテンポの遅さ。
聴き慣れたワルキューレの1幕はだいたい60~62分ぐらいなのに、クレンペラーは71分。
しかし、このテンポはこの演奏の一面であって、この特異なワルキューレに耳がすぐに慣れてしまい、まったく自然だし、そこにぎっしり詰まったクレンペラーの作り出す音に圧倒され、そのままあっという間に兄妹の歓喜は駆け抜けるようにして終わってしまう。
そう、こちらの音楽を聴いているという時間軸を感じさせないと同時に、情感の高まりも感じさせないのでした。

弛緩した感じさは一切なく、そこには緊張感とともに、音楽の意味がぎっしり詰まっているし、楽員の緊張と感じ入っての演奏の様子も聴いて取れる。
しいていえば、1年後に録音された3幕の方に、やや緊張感の切れる場面を感じたりもした。
総じて、頑固一徹、ロマンティシズムに背を向けた無慈悲なワルキューレの1幕で、ジークムントのヴェールゼの叫びや、ノートゥンクと妻を得た喜びはなく、ウェルズングの血を叫ぶ最後の雄たけびもあっさりかたずけられ肩すかしを食う。

ワルキューレの1幕はこうあるべきだ、悲劇臭の濃い、そのなかに見いだせる禁断のロマンティシズムといった、こちらの思い込みをすべてくつがえしてくれるクレンペラーの演奏。
でも不思議と響きは軽く透明感があるのは当時のマイルドなフィルハーモニア管の持ち味にもよるところだろうか。
録音会場の響きの豊かさもあるかもしれず、アビーロードスタジオでなかったことも幸い。

テスタメントの1幕のみの復刻と、国内盤の2CDを聴いているが、あきらかにテスタメント盤の方が明晰で音のビリ付きは少ない。
タワレコによる復刻版もあるようだが、いまの自分にはこれで充分。
クレンペラーがもう少し早くリング全曲を見据えて録音してくれたら・・・・そんな思いですが、はたしてどんなリングになったろうか。

デルネッシュのジークリンデがすばらしい。
カラヤンとブリュンヒルデ、ショルティとエリーザベトを録音した時期のもので、デルネッシュのドラマティックソプラノとしての最盛期の記録。
のちのベーレンスに通じるような、女性らしさを伴った凛々しく真っ直ぐな声は気品という風格を与えていると思う。

あとレコーディングにはあまり恵まれなかったゾーティンの豊かで、コクのあるバスも素晴らしいと思う。
私はバイロイトでグルネマンツを長く歌ったゾーティンの深みと若さもあるバスが好きで、ウィーンの来演で観たオックス男爵も実に印象深い。

ジークムントのコックランはどうかな?
スタイリッシュなほかの歌手のなかにあって、やや古めかしい歌唱に感じたし、やや一本調子に陥るところもある。
コックランは、のちの録音であるシュレーカーの「烙印」での狂気あふれる歌唱が印象的な歌手。
ここでは、ジークムントらしくないし、クレンペラーに押さえられて爆唱に至らなかったのではと思ったりもしてる。

告別のみのベイリーのウォータン。
このブリテッシュ・バス・バリトンは美声。
まろやかな声と歌い口が過ぎて、厳しさ不足だけれども、告別のシーンだけだからよし。
ショルティのマイスタージンガーのザックスもとてもよかった。

1幕とウォータンの告別だけで、やはりお預けを食らった欲求不満は募ります。
2幕の死の告知や、ウォータンの長大なモノローグ、3幕の父娘のやりとりなど、クレンペラーはどんなふうに指揮しただろうか。
残された大巨匠のリングの断片から、あれこれ妄想するのも楽しからずや。
しかし、不思議なワルキューレとの思いもいつも捨てられない。

Recogei_20230722103501

73年に発売時のレコ芸広告。

この1973年は、アンチェル、ケルテス、カザルス、イッセルシュテット、ホ-レンシュタイン、クレッキ、シゲティと、思い出深い音楽家の訃報が目立ちました。

002_20230713220401

もうすぐ始まる夏のバイロイト。

今年も話題は豊富で、カサドの指揮による「パルジファル」では客席でAR視聴をするというもの。
タイトルロールのカレヤがおそらくコ〇〇で、はやくもリタイアし、シャガーが急場を救う。
ほかにも歌手の入れ替えは多数。
ガランチャのクンドリーはどんなふうに?
インキネンのリングの指揮はどうなるか?
タンホイザーを指揮するシュトルッツマン、女性指揮者が二人という史上初のバイロイト、今後もさらに増えそう。

年中聴いてるけど、夏こそワーグナー。


|

« ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ ミュンシュ指揮 | トップページ | フェスタサマーミューザ ノット&東響 オープニングコンサート »

コメント

ハルくん様
クレンペラーの『ヴァルキューレ』第1幕&『ヴォータンの告別』、お取り上げ戴き感謝致します。
最近遂に命脈尽きてしまわれた『レコード芸術』誌の1973年の12月号に掲載されたこの盤の広告、お懐かしい限りです。裏表紙広告にKINGの、アシュケナージ&ショルティのベートーヴェン『皇帝』が、載って居たのでは?定価も380円で、この頃(脱線ですが)、Warner配給のブルース・リー主演の拳法アクション映画『燃えよドラゴン』が、公開されて居たような、覚えがございます。
本題に戻り、当号の高崎保男さんの批評、無印扱いで、素っ気なく扱っておいででしたような‥。
でも、肝心なのは愛好家おのおのが、どう受けとるかだと思いますよ。当号実は購入しては居たのですが、引っ越しの際に母が着ない衣服に使わない鞄を処分していたので、『趣味関係の古雑誌、置いとく訳にもいかんやろ。』と、溜め込んでいた『レコ芸』、処分しちゃったんですよ。
当サイト上で、思いがけぬ再会果たせて貰い、篤く御礼申し上げます!

投稿: 覆面吾郎 | 2023年9月25日 (月) 14時28分

あたらしいレコ芸はほとんど処分してしまいましたが、実家にある70~80年代のものは大切に保存してます。
そんななかに1点が、クレンペラー逝去前後のものです。
このワルキューレ、久方ぶりに聴いてある意味新鮮でした。
しかし、やはり違うな、というのが正直なところです。

投稿: yokochan | 2023年9月28日 (木) 08時58分

yokochan様
この未完の『ヴァルキューレ』、ブリュンヒルデにアニヤ・シリア、ヴォータンにテオ・アダムが配役の予定になっていた‥と、何かで読んだ覚えがございます。
やはり晩年のモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』のフィオルディリージに、当時新進のマーガレット・プライスを起用したのと同様、巨匠の歌手の力量を見抜く力に、敬服しますね。

投稿: 覆面吾郎 | 2023年9月28日 (木) 10時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ ミュンシュ指揮 | トップページ | フェスタサマーミューザ ノット&東響 オープニングコンサート »