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2023年8月

2023年8月26日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム ジョルダン指揮

Glass-rabit

相次いだ悲しみの訃報で、記事のUPがあとになりました。

毎年の8月の終戦の日周辺には「戦争レクイエム」を聴きます。

民間人への無差別攻撃・・・あきらかに犯罪です。
戦後78年経過、日本の政治家で「あれは犯罪だぜ!」とはっきり言える人はいません。

アメリカの政権が民主党に変って3年。
世界は、そこからおかしくなってしまった気がします。
良くも悪くも、自由主義国の盟主だったアメリカの混沌と無力化は、世界もおかしくしてしまう。
国内に向けて、アメリカファーストをつらぬいた前政権と違い、昔のように覇権的な動きを強めた現政権。
均衡が崩れ、多極化してしまった世界に、私は不安しか感じませんね。

日本はいまこそ、自立の道を歩んで国内を強くするチャンスなのに・・・・
悲しい、虚しい現実しか見せてくれませんなぁ。

Britten-jprdan-sfso-a

  ブリテン 戦争レクイエム

    S:ジェニファー・ホロウェイ
    T:イアン・ボストリッジ
    Br:ブライアン・マリガン

 フィリップ・ジョルダン指揮 サンフランシスコ交響楽団
               サンフランシスコ交響合唱団
               ラガッツィ少年合唱団

       (2023.05.18 @デイヴィス・シンフォニーホール、SF)

今年の5月のサンフランシスコ響のライブを同団のストリーミング放送で聴きました。

ジョルダンがサンフランシスコ響に客演するのも珍しいし、オペラの人として膨大なレパートリーを持つジョルダンのブリテンということでも新鮮極まりない演目。
バリトンはイギリスからの来演で、ペテルソンが予定されていたが渡米不能となり、地元歌手のマリガンが急遽代役に。
ブリテンの初演時の意図は、かつての敵国同士の国の歌手を共演させることにもあり、ヴィジネフスカヤ(ソ連)、ピアーズ(英)、FD(独)の3人による初演を目論んだが、ヴィジネフスカヤはソ連当局の許可が下りずにヘザー・ハーパーが代役を務めた。
レコーディングでは、当初の3人で実現していることはご存知のとおり。

ブリテンの自演レコ―ディーングから20年後にラトルがデジタル録音をするまで、作者以外のレコードはなかったが、現在はまさに隔世の感あります。
同じようにブリテンのオペラも、各劇場で上演されるようになり、普通に聴かれ、観劇される作品となりましたね。
バーンスタインの音楽も同様に多くの演奏家による様々な演奏を経て、それらがスタンダートな音楽へとなっていくことを今も確認中であります。

「戦争レクイエム」の放送があれば、毎回録音し、自身のアーカイブを充足してきましたが、正規レコーディングもふくめ、実に多くの指揮者が取り上げるようになったものです。
手持ち音源を羅列すると、ブリテン、ラトル、ハイテインク(2種)、ギブソン、ジュリーニ、サヴァリッシュ、ガーディナー、K・ナガノ、C・デイヴィス、ヒコックス、ネルソンス、ヤンソンス、小澤、デュトワ、パッパーノ(2種)、M・ウィグルスワース、ハーディング、グラディニーテ・ティーラ、ヨアナ・マルウィッツ、そしてジョルダン。

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さてジョルダンのライブですが、パリからウィーンに移って音楽監督としてプリミエ級の上演すべてを指揮してます。
いずれもORFがライブ放送してくれるので聴いてきましたが、現時点では、そのすべてが最良といえるものでなく、生気あふれるパリやウィーン響時代のジョルダンらしくない面も聴かれます。
やっつけ仕事のように、テキパキと進めてしまう傾向もときにみられました。
やはり、ウィーンの国立劇場はなかなかに鬼門なのか、連日ピットに入るメンバーも一定せず、指揮者も統率しにくいのではと思いますね。
アバドがウィーンを離れることになったのは、そうした面も多分にあった。

そのジョルダン氏、他流試合とも呼ぶべきサンフランシスコの地で目も覚めるような切れ味のよさと、慈しみにあふれた優しい目線の演奏を聴かせてくれます。
ブロムシュテット、MTTによって鍛え上げられ、いまはまたサロネンにより、近世の音楽への適時性を発揮するサンフランシスコ響。
実にうまいし、金管も鳴りすぎず、全体の響きのなかに見事にそれぞれの楽器がブレンドされ、ディエスイレでは実に見通しがよく、清々しい響きだ。
シスコ響の持つヨーロッパ風の響きと乾いたシャープな音色が実に素晴らしい。
デイヴィスシンフォニーホールの音色もよく、ライブ放送の臨場感もよく出ている。

歌手ではなんといってもボストリッジの安定感が、この作品のスペシャリストである証として光ってます。
この人の声のどこか逝ってしまったかのような美声と冷たさは、かつてのピアーズの域に達したと思いますね。
あと、いま各劇場で活躍中のホロウェイの情のこもった誠実な歌唱も素敵だ。
急遽の代役マリガン氏も初めて聴くバリトンだが、英語圏の歌手だけに、明晰でかつ力強い声で、ボストリッジとの声の対比もよろしい。

という具合に褒めまくってしまったが、全般に音が楽天的に感じたことも事実。
しかし、この偉大な作品も、こうしていろんな演奏で、いろんな光が当てられるのを聴く喜びは、毎年こうして尽きることがありまえん。

Izumo

秦野の出雲大社相模分祠。

丹沢山脈の清らかな伏流水が市内のいたるところにあふれてます。

こちらでも、冷たい名水をいただくことができ、暑い日に喉を潤すことができます。

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2023年8月18日 (金)

レナータ・スコットを偲んで

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 メトロポリタンオペラのニュースの冒頭。

またもや悲しみの訃報が。

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名ソプラノ、レナータ・スコットさんが、8月16日、生まれ故郷の北イタリア、ジェノヴァ近郊の街、サヴォーナで逝去。
享年89歳。

訃報相次ぎました。
飯守さんに継いでの悲しみ、さらに数日前は、スウェーデン出身のドラマティックソプラノ、ベリッド・リンドホルムも亡くなってしまった。

3年前に亡くなったフレーニの1歳上だったスコット。
フレーニの訃報を聞いた時に、心配になってスコットの動静を調べたりしたものです。
そして、そのとき安心したのもつかの間、この時を迎えてしまった。

地中海に面したサヴォーナは漁村でもあり、父は警察官、母は裁縫士で、歌うことが好きだった彼女は窓辺で外に向かって歌を披露し、道行く人からご褒美にキャンディをもらったりしていたという。
後年、まさにお針子の娘だった出自は、ミミを歌い演じるときのヒントとなったと語ってます。

18歳でスカラ座でヴィオレッタでデビュー、その後はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を重ね、数々の録音も残したのはご存知のとおりです。
レッジェーロからコロラトゥーラで、その最初の全盛期をむかえ、70年代初頭には不調期となりますが、声の変革を多大な努力のもと行って、
ドラマティコ、リリコ・スピントの領域へその声も移行し、70年代後半以降、ドラマティックな役柄もたくさん演じ、録音も復活して輝かしい第2黄金期を築いたのでした。

私がスコットを初めて聴いたのは、1973年のNHKイタリアオペラ団の来演の放送。
ワーグナー一辺倒から始まった私のオペラ好きへの道は、この年の来演で、FMから演目の紹介を兼ねて何度もレコードが放送され、それを聴き、本番も生放送で食い入るように聴き、テレビも興奮しながら観まくり、イタリアオペラへの開眼も済ませたのでした。

ヴィオレッタとマルガレーテの2役を歌ったスコットは、テレビで観るほどに、役柄に没頭したその姿が感動的で、ともに健気な女性をうたい演じてました。
スコットのこのときの歌と演技を見ていて、中学生ながらにオペラで歌手が、歌をいかに演技に乗せて、それをドラマとして築きあげ視聴する側の気持ちを高めていくのか、ほんとうにすごいことだと思ったのでした。

その後、スコットはソロで何度か来日していますが、残念ながら、わたしはスコットの声を生で聴いたことがありません。

手持ちのスコットの音源からアリアを抜き出して聴いて、今宵は偲ぶこととしました。

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 ベッリーニ 「カプレーティとモンテッキ」

1967年スカラ座でのアバド、パヴァロッティ、アラガルらとの共演。
ちゃんとした録音で出ないものかとも思うが、視聴には差支えのない録音状態で、瑞々しくも美しく、軽やかなスコットの声が楽しめる。
アバドとは、ヴェルディのレクイエムぐらいしか共演はなかったかもしれない。

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 ヴェルディ 「リゴレット」 

1964年のユニークなキャストによる録音。
高音の凛とした美しさと、まだ純朴さもただよう素直な歌は実に新鮮。
テクニックも確かで聞惚れてしまう。
これなら娘を思う親父の気持ちもわかろうというもの。

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 ヴェルディ 「ラ・トラヴィアータ」

後年のムーティ盤でなく、62年録音のこちらの方が好き。
ジルダよりもさらに若々しい声は、耳も心も洗われるような思いがする。
スカラ座のオケもすんばらしい。

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73年のNHKホールでのあの姿、若いカレーラス、味わい深いブルスカンティーニとともに、いまでも脳裏に浮かぶ。

 ヴェルディ 「オテロ」

78年の録音。
彫りの深い歌唱は、運命にもてあそばれる不条理さ、最後には清らかさも歌いだして見事。
ドミンゴとミルンズという絶好の相方たちを得て、オペラティックな感興も増すばかり。
でも最近、ドミンゴの声に食傷気味。

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 プッチーニ 「マノン・レスコー」

80年のメットライブ、映像もあり。
多様な生活を送りつつも、一途な愛を貫こうとするひとりの女性をスコットは見事に歌い演じてます。
この役に関しては、スコットとフレーニが双璧。
映像でみると、さらに迫真の演技が楽しめる。
レヴァインの指揮も素晴らしい。

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 プッチーニ 「ラ・ボエーム」

若き日のDG盤は未聴、ここでは79年のレヴァイン盤で。
ロドルフォのクラウスとともに、ベテランでありながら、折り目正しい模範解答のような素晴らしすぎる恋人たち。
スコットの母を思いつつ歌うミミは、フレーニとともに、わたしには最高のミミです。
ラストは泣けてしまい、まともに聴けない・・・・

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 プッチーニ 「トスカ」

80年録音、スコットの唯一のトスカ。
技巧を尽くしながらも自然な歌い口と強い説得力を持つ歌唱。
止められなくなるので、「歌に生き、恋に生き」だけを聴いて涙す。。。

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 プッチーニ 「蝶々夫人」

66年のバルビローリ盤。
後年のマゼールとの再録は実は未聴で、蝶々さんにこのバルビローリ&スコット盤が残されて、ほんとに感謝しなくてはならない。
初々しい若妻としての可愛さ、船を待つ情熱、そして覚悟の死へと、スコットの蝶々さんは涙なしには聴けない。
うなり声も入ってしまうバルビローリの指揮も最高じゃないか。

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 ヴェルデイ アリア集

83年の録音。
マクベス夫人も歌うようになり、全盛期を過ぎてしまったスコットの声だけれども、エリザベッタのアリアなど悔恨の情が著しく聴きごたえあり、こうして若き日の声からずっと聴いてきて、ひとりの偉大な歌手の足跡とたくまぬ努力の道筋を感銘と感謝とともに確認できました。

ほんとうに寂しい。

いつも歌手の訃報に接すると書くことですが、楽器と違い、人間の声は耳に脳裏に完全に刻み付けられます。
だから歌手たちの声は、ずっと自分のなかに残り続けるのです。
それがいま存命でないとなると、自分のなかの何かが、ひとつひとつ抜け落ちていくような気がするのです。

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レナータ・スコットさんの魂が安らかならんこと、心よりお祈りいたします。

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飯守 泰次郎さんを偲んで

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               ヒラサ・オフィスの発表より

8月15日、飯守 泰次郎さんが逝去されました。
訃報を翌日知り、ほんとうに驚き、わたくしのワーグナー視聴歴にも、なにかひと時代が終わったという感慨につつまれました。

いうまでもなく、飯守さんは日本の産んだ世界最高クラスのワーグナー指揮者。
60年代半ばから、バイロイトでの練習ピアニストなどの下積み経験を経て、ドイツの各劇場でさらに研鑽を積むという、カペルマイスター的な叩き上げのオペラ指揮者で、71年からはバイロイトの音楽助手を務めるようになり、まさにバイロイトに仕えたマエストロであります。
全盛期のベーム、シュタイン、ヨッフム、ヴァルビーゾ、ブーレーズなどの元でオーケストラを整え、ワーグナーの神髄を吸収していった。

そんな飯守さんの日本への凱旋は、1972年の二期会の「ワルキューレ」。
二期会のリングチクルスの一環だったが、ワーグナーに目覚めた中学生のワタクシは、音楽雑誌を眺めてはどんな音楽なんだろ?とため息をつくばかりでした。
ホルスト・シュタインのN響客演の翌年、1974年にはN響に登場され、わたしがN響アワーで食い入るようにして観たのが「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死。
過去記事で何度か書いてますが、律儀に6拍子をきっちり振り分ける明快かつ冷静な指揮ぶりが印象に残ってます。

飯守さんのライブでの経験は、わたくしはワーグナーばかり。
でも少ないのです・・・

「トリスタンとイゾルデ」 コンサート形式 名古屋フィル        1995年1月
「ツェムリンスキー 抒情交響曲」 名古屋フィル       1995年7月
「ベルント・ヴァイクル ワーグナー」名古屋フィル      1995年10月
「ワルキューレ」オーケストラルオペラ 東京シティフィル   2001年
「ローエングリン」オーケストラルオペラ 東京シティフィル  2004年
「パルジファル」オーケストラルオペラ 東京シティフィル   2005年11月
「ナクソスのアリアドネ」関西二期会 関西フィル       2008年1月
「ワルキューレ」二期会 東京フィル             2008年2月A
「ワルキューレ」二期会 東京フィル             2008年2月B
「トリスタンとイゾルデ」オーケストラルオペラ シティフィル   2008年9月
「小山由美 リサイタル、ツェムリンスキー、ワーグナー      2010年4月
「トリスタン、ブルックナー7番」神奈川フィル        2014年4月

いずれも思い出深い演奏ばかり。
なかでもシティフィルとの一連のオーケストラルオペラは、飯守さんの指揮ぶりが間近でみれた上演なので、氏の熱い、ワーグナーのすみずみまで知り尽くした棒さばきから目が離せませんでした。

同時期に若杉さんと飯守さんという、ふたりの偉大なオペラ指揮者を聴くことができたことは、この先もしかしたらそんなに長くない、わが音楽人生のなかでも一番輝いていた頃かもしれません。

若杉さんが新国の芸術監督だった頃、指揮をしないときでも、ほとんどの演目で若杉さんの姿をお見掛けすることがありました。
そして何度も若杉さんと飯守さんがホワイエで談笑されている姿も・・・
飲み物を買おうと並んだら、なんとそんなお二人の真後ろだったことがあった。
おふたりが何をお飲みになったか、もう覚えていませんが、どちらかがジンジャーエールだったかと思う。
静かな若杉さん、熱く語る飯守さん、ふたりの言葉はよく聴こえませんでしたがこれもまた良き思い出。

新国立劇場の芸術監督時代、わたくしは仕事の不芳もたたり、新国での飯守さんのワーグナー上演にひとつも行けず、オペラからも遠ざかりました。
返す返すも残念なことでした。
人生には波や流れがあり、わたしの音楽ライフもおおいに左右され、この先も見えつつあるところ。

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新国立劇場の追悼ツィート。
泣けちゃいます。

飯守さんの音源はそこそこあるが、残念なのはオペラがひとつもないこと。
2度にわたる「リング」の音源化など出来ないものだろうか。

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慈しみあるれる「ジークフリート牧歌」を聴いて、飯守さんを偲びます。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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2023年8月 6日 (日)

フェスタサマーミューザ ヴァイグレ&読響 「リング」

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ベートーヴェンさんも、ヴァケーションを謳歌中。

にやり、としつつも、ほんとはあんまり嬉しくないのかも(笑)

真夏の音楽祭、フェスタサマーミューザのコンサートへ。

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  ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調

  ワーグナー   楽劇「ニーベルングの指環」
           ~オーケストラル・アドヴェンチャー~
            ヘンク・デ・フリーヘル編

   セバスティアン・ヴァイグレ指揮 読売日本交響楽団

           コンサートマスター:日下紗矢子

         (2023.8.1 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

いうまでもなく、聴衆のねらいは、「リング」。
フランクフルト歌劇場をながく率い、リングの録音もあるし、バイロイトでの経験もあるヴァイグレのワーグナーですから。

しかし、65分ぐらいのサイズは演奏会の後半向きで、前半になにをやるかが、プログラム作成上のおもしろさでしょう。
これまで2度のコンサート鑑賞歴がありますが、ペーター・シュナイダーと東京フィルでは、今回の同じベートーヴェンで4番。
デ・ワールトとN響のときは、シュトラウスの「4つの最後の歌」で、このとき歌ったスーザン・ブロックは、ブリュンヒルデとしても自己犠牲のシーンに登場するという本格ぶりでした。
あと、いけなかったけど、神奈川フィルではスコットランド系の指揮者で、前半はエルガーの「南国から」を演奏している。

そんな前半のベートーヴェン8番は、さわやかで、肩の力がぬけた桂演で、7番と対をなすリズムの交響曲であることも実感できました。
コンサート前、ヴァイグレさんが、プレトークに登場し、この8番のおもしろさを歌いながら語ってくれました。
ヴァイグレさん、いい声ですね、テノールの声域で口ずさむメロディも見事につきます。
日本語もほぼ理解されてるようで、心強い!
ワーグナーの解説では、ワーグナーというと身構える方も多いかもですが、ともかく聴いて、面白いと思ったら帰ったらネットで物語の内容を調べて、長大な音楽にチャレンジを!と語ってました。

低弦から始まる「ラインの黄金」の前奏からリアル・オケリングが眼前で楽しめました。
フリーヘルの編曲は、ヴァイグレさんも語ってましたが、いつのまにか他の場面に自然につながっていく巧みなもので、休止なく、ラストのブリュンヒルデンの自己犠牲に65分でたどり着く、まさにアドヴェンチャー体験です。
ヴァイグレの指揮は、流麗で早めのテンポ設定を崩さず、流れを重視したもので、聴き手は安心して身を任せて聴き入ることができます。
その分、ワーグナーのうねりや、コクの深さのようなものは感じられず、すっきりスマートな今風のワーグナーだと思いまろんした。
もちろんフリーヘルの編曲が、名場面とジークフリートの自然描写的な場面が重きをおいているので、そうしたワーグナーの要素を求めるのは無理かもしれませんが。
そんななかでも、葬送行進曲は、わたしにはサラサラと流れ過ぎて、クライマックスでいつも求める痺れるような感銘はなかったし、最後の大団円でも、あざといタメのようなものも求めたかった。
それでも、全体感と通しで聴きおおせたときの感動はかなり大きく、最後の和音が清らかに鳴り終わったあとも、ヴァイグレさんは指揮する両手を上に掲げつつ、しばし静止し、オーケストラも微動だにしない時間が続いた。
まんじりとしないホール内。
ゆっくりと腕を下ろして、しばし後に巻き起こるブラボーと盛大な拍手。
実によきエンディングでした。
昨今、無謀な早計な拍手やブラボーを非とするSNSなどの書き込みを拝見してますが、今宵はそんなのまったく信じがたい、実に心地よく感動的な大団円でした。
救済の動機を奏でるヴァイオリンの音色が、ハープに伴われてミューザの天井に舞い上がって行くのを耳と目でも実感してしまった。
涙がでるほど美しかった。

鳴りやまぬ拍手に、楽員が引いたあと、ヴァイグレさんは見事だったホルン首席を伴って登場し喝采を浴びてました。

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来年からはワーグナーさんも混ぜてあげて・・・・

短すぎる65分と思う人々に、4楽章形式での「リング」交響曲を提案したい(笑)

Ⅰ「ラインの黄金」 序とかっこいい入城シーンをラストとする第1楽章
Ⅱ「ワルキューレ」 緩除楽章として兄妹の二重唱とウォータンの告別、勇ましい騎行はこの際なし
Ⅲ「ジークフリート」スケルツォ楽章、剣を鍛えるシーンに恐竜退治に森のシーン
Ⅳ「神々の黄昏」  夜明け→ラインの旅→ギービヒ家→裏切りとジークフリートの死→自己犠牲でフィナーレ

1時間45分、マーラーの3番、ブライアンのゴシックなどのサイズでいかがでしょうか。

あとフリーヘル編、存命だったら指揮して欲しかった指揮者はカラヤンですな。

Muza-20230901-d

帰宅してから乾杯。

ヴァイグレさん、アイスラーやるんだ。
歌手が豪華ですよ、さすがオペラの人のコネクション。
ガブラー、マーンケ、ヘンシェル、シュトゥルクルマン。
行こうと思うが平日なのが・・・・

フランクフルトオペラを引退したヴァイグレさんの後任は、注目の若手、グッガイス。
ヴァイグレさんは、どこかほかの劇場に行かないのかな、気になるところです。

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