ディーリアス 「夏の歌」 オーウェル・ヒューズ指揮
行く夏を惜しんで、わたくしのもっとも好きなディーリアス作品にひとつ「夏の歌」を。
こちらは、秦野の弘法山へ登る途中からみた市街と、遠くに富士山。
ディーリアス 「夏の歌」
オーウェン・アーウェル・ヒューズ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(1988.4.18 @ミッチャム、ロンドン)
若き頃の放蕩がたたったのか、晩年に失明し、四肢も麻痺してしまったディーリアス。
1929年に大好きな海辺で弟子のエリック・フェンビーに口述して書かせた音楽。
「海をはるかに見渡せる、ヒースの生えている崖の上に座っていると想像しよう。高弦の持続する和音は澄んだ空だ。・・・・・・」(三浦淳史氏)
交響詩と呼ぶほどの描写的なものでもなく。音による心象風景や若き日々への回想といったイメージ。
(以下過去の記事を編集)
冒頭まさに、高弦の和音が響くなか、低弦で昔を懐かしむフレーズが出る。
フルートが遥か遠くを見渡すような、またほのかに浮かんだ雲のようなフレーズを出す。
この木管のフレーズが全曲を通じで印象的に鳴り響く。
ついでディーリアスらしい郷愁に満ちた主旋律が登場し、曲は徐々に盛上りを見せ、かなりのフォルテに達する。
海に沈まんとする、壮大な夕日。
沈む直前の煌々とした眩しさ。
曲は徐々に静けさを取り戻し、例のフレーズを優しくも弱々しく奏でながら、周辺を夕日の赤から、夜の訪れによる薄暮の藍色に染まりながら消えるように終わってゆく・・・・・。
この幻想的な音楽は、海の近くに住んだ自分、そしてまた歳を経て、海の街に帰ってきた自分にとって、一音一音すべてが共感できるもの。
夏の終わり、海を渡る風も涼しくなり、ひとり佇む海辺に、こんなに相応しい音楽はないと思う。
こんな夕暮れを子供時代から見てきた。
わたしにとってのノスタルジーの風景。
こんな夕暮と夕日に向かって飛ぶ鳥の絵なんかを描いていた少年だった。
バルビローリ、グローヴズ、ハンドリーの演奏をずっと聴いてきた。
オーウェル・ヒューズ盤は録音もよく、美しく繊細な演奏で最近お気に入り。
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