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2023年10月

2023年10月24日 (火)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ①

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相模湾に浮かぶ漁船の群れ。

大磯の山の上からパシャリと1枚。

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山を下り、海辺から先ほどの漁船をパシャリ。

手前の天然の岩礁は、大磯のこちら照ヶ崎海岸に飛んでくる「アオバト」の飛来地として知られますが、この日はいませんでした。

緑色の可愛いハトさんで、大磯のマスコットキャラクターになってます。


Holander

  ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」

ワーグナーの作品すべてを取り上げるシリーズ。
初期3作を入れての通し企画では2回目、オランダ人以降の通しでは2回あり。
ワーグナーの音楽とその舞台が好きなだけで、別に専門家でもない素人の殴り書きですから、あくまで個人の思い出とするもので、あとで自分で読んで、なるほどと思ったりしている程度です。

しかし、もうわたしも若くない。
この先の限りある音楽視聴、最後のワーグナー・チクルスと思い、そんな気持ちで主要7作は総まとめ的な記事にして残しておきたいと思いました。
同時に進行しているシュトラウスのオペラも同じ思いで書いてます。

オランダ人以降の作品が頻繁に取り上げられ、バイロイトでもそうした慣例に則っているわけだが、劇場150年の記念の年2026年には、「リング」新演出と「リエンツィ」を上演するとのこと。
バイロイトのその先を占う年となりそうで、ともかく元気で音楽を聴いていたいと思うものだ。

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クラシック聴き始めの頃は、ワーグナーはおろか、オペラなんて遠い存在だったけれど、よくあるとおりに、音楽の情報源はレコ芸だった。
1970年、大阪万博の年に、日本は空前の外来演奏家のラッシュとなりました。
カラヤン、バーンスタイン、セルなどの名指揮者たちにならんで、小学生のワタクシの耳目を引いたのはレコ芸での来演オペラ特集と高崎先生によるバイロイト音楽祭の演目紹介シリーズ。
これらの写真を日々、穴のあくほど見つめながら、この音楽はどんなだろうと想像をめぐらしていたのでした。

冒頭の画像は、1965年のヴィーラント演出のもので、スウィトナーの指揮とT・スチュアートのオランダ人。
これとアニア・シリアのゼンタの写真、次のベームのライブも残されたエヴァーディンク演出の写真が、わたくしのオランダ人のイメージの刷りこみであります。

ただし序曲以外にオランダ人を楽しむすべはなく、バイロイトのFM放送を知り、聴きだしたのは72年からなのでオランダ人の上演はなく放送もありません。
組物レコードを買う勇気も資力もないままに迎えたのが、ベームの71年バイロイトライブで、73年初めの発売。
このFM放送をエアチェックして聴きまくって始まったのがワタクシのオランダ人のスタート。
それより前の72年のバイロイト放送で、タンホイザー、ローエングリン、リングは聴くことができてましたし、パルジファルは73年のイーズターの時期に聴いてます。

歳とともに、さらには都心が遠くなってしまったのでオペラを観に行くという行為がおっくうになり、オペラは音源での視聴と同等ぐらいに、映像で楽しむようになった。
しかも困ったもので、斬新な演出にはブーブー言いながらも、ト書き通りの演出では、安心感はあっても、もはや触手が伸びなくなぅてしまい、ことにワーグナーではその傾向が高まるばかりだ。
というか、ワーグナーではもう、普通の演出がなくなってしまい、なにが普通なのかさえもわからなくなってしまったのだ・・・・
これは悲しむべきことなのだろうか。
ワーグナー聴き始めの頃の新鮮な驚きや、前褐のとおり想像を巡らせていた好奇心といったようなものが、遠い昔の懐かしい出来事のように思われる。

【映像】

ネタバレを多く含みますので、映像未視聴の方はすっとばしてください。
自分の記録なので忘れないように書いてしまうんです。

①サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立劇場 1974 カシュリーク演出

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オペラ映画仕立ての作品で、年代を感じさせる古めかしい演技。
でも歌は絶品で、貴重なリゲンツァ映像。
サヴァリッシュはバイロイトでもドレスデン版で、救済なしバージョンだったが、ここでもそう。
ゼンタはオランダ人を追って海に身を投げるが、オランダ人に抱きかかえられ、やがてふたりで沈んでいくラスト。
サヴァリッシュの94年のバイエルン来演のオランダ人を観たが、そのときは救済ありだったと記憶します。

②W・ネルソン指揮 バイロイト1985 クプファー演出

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1978年に東独から招聘されたクプファーの衝撃のオランダ人演出、その最後の年の上演が映像化されたのは幸いだった。
78年のデニス・ラッセル・デイヴィスによる演奏は、音源化して所蔵してますが、あたりまえだと思ってたゼンタの自己犠牲による救済の動機が序曲でもラストでもならず、荒々しい終結部になっていた。
なぜこのドレスデン版となったか、そのことがこの映像によってよくわかる。
ゼンタは最初から最後まで出ずっぱりで、常にオランダ人の肖像を胸に抱いて夢想的な態度を示している。
オランダ人と出会っても勝手に二人の胸の内を語るだけで、接点はまったくない。
エリックだけが、ゼンタを支える暖かい存在だが、マリーも娘たちも、市民たちも徐々に距離をおくようになり、オランダ人が去ったあとは、自ら自決してしまう。
そのあとのけたたましい音は、映像を観ることで初めてわかった。
街の人々が、窓の扉をガチャンと閉める音だった。
ゼンタの妄想の終結は衝撃的だった。
黒人のバス・バリトン、エステスの歌も演技も強靭で目覚ましかったオランダ人と、ともに7年間ずっとゼンタを受け持った夢見がちのバルスレフがすばらしい。

③ティーレマン指揮 バイロイト2013 グローガー演出

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2012年から1年お休みをおいて、6年間上演された若いグローガー演出によるもの。
音楽面はずばり素晴らしい。
ティーレマンとダーラントのゼーリヒが実によろしくて、非の打ち所がない。
しかし演出の陳腐さとあまりに不釣り合いだ。
電子系のビジネスマンのオランダ人に、扇風機工場のゼンタ達、船はクソみたいな段ボール製。
すべてが脈連なく感じ、なにかのアンチテーゼか比喩なのか、わかりたくもなし。
最後はゼンタは腹を刺したようで、オランダ人も同じ痛みにあえぎ、段ボールの山の上で抱き合い、舞台は暗転。
救済ありの音楽のなか、ふたたび幕が開くと、翼の生えたゼンタの抱き合うふたりのスーベニアを女工さんたちが次々に完成させている。
バイロイト観劇の土産になって、めでたく永遠にあなたのデスクの上に・・・ってか。

④アルテノグリュ指揮 チューリヒオペラ2013 ホモキ演出

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船も港もまったく登場しない、唯一壁に掛けられた動く絵で荒波が表現。
貿易会社が舞台で、アフリカから搾取でもしてるのか、途中、現地人の氾濫のようなシーンもあり、水夫たちの合唱、実は会社員の合唱のなかで、何人かがぶっ〇ろされてしまう。
オランダ人は、どこからともなくあらわるし、終始出ているが、どこか存在感を薄く演出されていて、これもまたゼンタの夢見た幽霊船の船長よろしくゴースト的な存在になってるし、ターフェルの化粧もそんな禍々しさがある。
肖像画を手にするゼンタは、社内のタイピストたちに馬鹿にされっぱなし。
エリックは海の男でなく、漁師になっていて手には猟銃。
ゼンタはオランダ人の正体を知ったあと、微笑みを浮かべるが、そのオランダ人がいつの間にか消え去ってしまい人々の間を探しまくる。
そしてエリックから銃を奪い・・・・
当然に救済なしバージョンで、ラストシーンはショッキングだ。
救済こそないが、幽霊や未知の世界の人々、荒海などなど、ロマン性は斬新さをともない、しっかり描かれていて、さすがはホモキと思わせる。
ホモキの舞台は、これまで、フィガロ、ボエーム、西部の娘、ばらの騎士などの実際の舞台を観劇してきたが、ここでも納得の面白さだった。

アルテノグリュの指揮はいい、ワーグナーの初期的な雰囲気をよく捉えているし、なによりも明快でわかりやすい音楽だ。
ターフェルはアクの強さが、この演出の謎の人物という表現では実に生きているし、アニヤ・カンペのゼンタも、昨今の大活躍を先取りする素晴らしさ。大ベテランのサルミネンも健在。

⑤ネルソンス指揮 ロイヤル・オペラ2015 アルベリー演出

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英国の港風に横づけされた船の前を舞台に、船員たち、オランダ人も英国調の船乗りだ。
船の模型が、舞台前面に張られた水に最初から最後まで置かれている。
女工さんたちはちゃんと勢ぞろいしてミシンで裁縫の作業中で、仕事を終えると作業着を脱いでみんなおめかしして夜のお出かけに備えるのが見ていて楽しいし、水夫たちと楽しくパーティに興じるのもよろしい。
ラスト、ゼンタはオランダ人が去った船への梯子階段に手をかけ、そのままぶら下がったまま足が浮いてしまうが力尽きて普通に落ちちゃう。
ひとり残されたゼンタは船の模型を手に、悲しく打ちひしがれる。
当然に救済なしバージョンで、ゼンタはオランダ人に振られた格好だ。
なんだが不甲斐ない幕切れで、残尿感の残るものであった。

しかし、ネルソンスの指揮はいまほど太ってなくて、切れ味と重厚感、ともによろしく、指揮姿もキッレキレだ。
ここでもターフェルは堂に入った船長で、フィッシャーマンセーターがお似合いで、ビジュアル的にはこちらの方が上だ。
ピエチョンカのゼンタもいい。

⑥フィオーレ指揮 フィンランド国立劇場2016 ホールテン演出

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ネット視聴だが、これは面白かった。
現代に時を設定し、オランダ人は絵描きで、満足できる作品がずっと描けず、酒と何人もの女に溺れ、ついには自決さえしようとする。
心臓も壊しているようで呼吸も苦しそうだ。
ダーラントは裕福な美術貿易の資本家で、娘のゼンタも芸術愛好家、人々はみんなスマホを持ってる。
オランダ人の作品を評価し、興味を持ったゼンタはその芸術家をビデオ撮影したりしてドキュメンタリーを作る。
エリックの登場で絶望したオランダ人はカメラの前でピストル自殺。
ラスト、舞台は反転し、そこはゼンタの作品発表の場で、人々はモニターをみて喝采し、彼女もシャンパングラスを手にしている。
画面はオランダ人のモノクロ映像、ひとりゼンタは悲しみの表情を浮かべ涙にくれる。
こんなラストシーンで救済ありバージョンのエンディングとなった。
やや難解だが、こんな解釈もありなのだと感心。

ニールントのゼンタが極めて立派で貫禄がありすぎるのが難点。
デンマークのバスバリトン、ロイターのオランダ人がめっけもん的な素晴らしさだけど、演技に熱が入りすぎて、文字通り口角泡を飛ばす様子が見苦しいかも。
最近ひっぱりだことのちょっぴり太とめの指揮者、フィオーレがツボを心得た指揮ぶりでフィンランドのオケも優秀でした。

⑦リニフ指揮 バイロイト2021 チェルニアコフ演出

Hollander-bayreuth-2020

今年3年目を迎えたオランダ人の新演出時の映像。
必ず読替え演出をする、そして観るわれわれも、どんな風に読み込み解釈をするんだろうという期待を持って臨むようになってる。
私のDVDコレクションもチェルニアコフの演出によるものはとても多い。
 しかし、このオランダ人にはびっくりさせられたが、無理があるなぁと思わざるを得なかった。
当然に船なんてどこにもなくて、北欧の港町を思わせる場所の設定で、例によって小道具から歌わないアクターまで、すべてが事細かくリアルに描写されていて、酒場のカウンター、うまそうなリアルビール、ダーラント家の食卓、女性たちが用意したうまそうなランチなど映画の世界のようだ。
前にも書いたが、背景にいる人物たちも、孤独のグルメの客のように無言で会話をしていたりで、これもリアル映画の世界だ。
 序曲から無言劇が進行し、オランダ人の少年時代が描かれ、春をひさぐ気の毒な母親が街の人々に蔑まれ命を絶つシーンが描かれれ、のっけからショッキングなシーンをみせられる。
幕が開くと、のちのオランダ人が母が亡くなった窓辺を見上げていて、傍らでは金持ち風のダーラントを囲んで男たちが酒盛りをしている。
いつの間にか、静かにオランダ人はテーブルの片隅に座ってしまい無言でじっとしてる・・・・
酒場の傍らには時計が据えられ、この時計が劇の進行とともに、ちゃんと時を刻む。
そう、オランダ人は、何年かのときを経て、復讐しに故郷に帰ってきたお礼参りの設定なのだ。
昔の日本映画や時代劇によくある物語で、ある意味、スリラーでもあり、そういう点ではゴシックロマンとでも言えるかも。
 しかし、チェルニアコフは一筋縄ではいかない。
実際に水夫たちの合唱とオランダ人の部下たちが衝突をするが、オランダ人は懐からピストルを取り出して何人か殺ってしまう。
ゼンタはおきゃんな現代っ子のようで、マリーはダーラントと結婚してるみたいな設定。
マリーが大切に持っていた若い男子の写真をゼンタはふざけて取り上げたりしてからかう。
それが誰だかわかったのは、ダーラント家に夕食に招待されたオランダ人がゼンタといい雰囲気になったとき、マリーは歯ぎしりをして悔しがる。
エンディングは、マリーがオランダ人をライフルでぶっ〇〇してしまう・・・・
嫉妬であるとともに、憎しみからの解放をしてあげたということか、救済ありバージョンでの終結だった。

ということで、やや作りすぎたかな、というのが印象ですが、それにしてもここまで読んで解釈してしまうのはすごいものだ。

初年度だけで降りてしまったグリゴリアンが、歌に演技にはじけていて実によろしい。
ルントグレンの見た目.病んだようなオランダ人はイメージ通りで、破滅的な声もよいが、もう少し心理描写的な歌唱もあっていいかも。
ツェッペンフェルトは文句なしで、思わぬ大役となったマリー役のプルデンスカヤは、とてもいいと思ったが、この1年で終わってしまった。
でも、このオランダ人のプロダクションの真のヒロインは、指揮のリニフさん。
劇の呼吸をわきまえた、劇場向きの指揮者で、細やかでありつつ、全体感も感じさせ、ここはこうあるべしというところが、ちゃんとそのように響くし、歌手たちも無理なく歌えそうなオケなのでありました。
ボローニャの指揮者として近々に来日するリニフさんです。

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映像はまだあるけど、二人仲良く昇天する演出のものが手持ちになかった。
まさに昨今はそうした解釈が主流なのであろう。
逆に、救済付きでの昇天演出を観たら新鮮なのかもしれないことが皮肉なものだ。

音源篇は②へ続く


オランダ人過去記事一覧

「クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア」

「バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ティーレマン指揮 バイロイト2012」

「ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団」

「サヴァリッシュ指揮 バイロイト1961」

「ライナー指揮 メトロポリタン歌劇場」

「サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場 DVD」

「ベーム指揮 バイロイト1971」

「コンヴィチュニー指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ボーダー指揮 新国立劇場公演」

「ショルティ指揮 シカゴ交響楽団」

「アルブレヒト指揮 バイロイト2005」

「デ・ワールト指揮 読響 二期会公演2005」

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2023年10月15日 (日)

ふたりのアメリカン・ワーグナー歌手、ヘイルとグールドを偲んで

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テキサス州出身のバス・バリトン歌手、ロバート・ヘイルが8月に90歳で逝去。

私には思い出深い歌手のひとりでした。

アメリカでの活動から、80年代頃からベルリン・ドイツ・オペラを中心にしたヨーロッパに拠点を移し、ワーグナーやシュトラウスの第一人者となりました。

1987年のベルリン・ドイツ・オペラのリング通し公演で初めて知ったロバート・ヘイルのウォータンの名唱。
そのときの驚きは、日記をブログ化したものを再掲。

「なめらかな美声と、押しの強いバス・バリトンの声は、文化会館に、大オーケストラを圧するようにして響きわたったのでした。
R・ヘイルの少しマッチョなテキサス風ウォータンが素晴らしかった。
最後の告別での悲しげかつ、ヒロイックな姿と、その豪勢な声の魅力は忘れえぬものです。
こんなバス・バリトンがなぜいままで知られてなかったのか。
容姿からして第一、目を引く。威厳を備えた若々しい舞台姿とその声。
ハリがあって、すみずみまでよく通る声。深く暖かい。
悟りも感じさせる表現力も豊かで、今後が大いに期待できる歌手。」

こんな風にべた誉めでした。
ヘイルのウォータンは、サヴァリッシュのリングでも聴けるし、ドホナーニとクリーヴランドの未完のリングでも極上の録音で残された。
あと同じく、ドホナーニのオランダ人、ショルティの影のない女の映像なでで、その素晴らしさが確認できます。
同じアメリカ人ウォータン、ジェイムス・モリスとともに、バイロイトの舞台に立つことのなかった名歌手だと思います。

Stephen-gould

ステファン・グールドの早すぎる死は、日本にも親しい存在だっただけにショックだった。

おまけに、われわれは飯守泰次郎さんの逝去を悲しみのなかに迎えたばかりだったのに・・・

今夏のバイロイトを体調不良で、急きょ全キャンセルし、音楽祭終了を待って、自身が胆管癌に侵され余命もきざまれていることを発表。
その後ほどなく届いたグールドの死去の知らせ、9月19日、61歳での死でした。
タフなヘルデンテノールのグールド氏のことだから、きっと元気に復帰するだろうと思い込んでいたし、当ブログでもそんなことを描きました。
訃報にわたしは、思わず、あっ、と声を上げてしまいました。
逝去の記事を書くこともためらいました。

新国の舞台によく立っていただきました。
わたしは、フロレスタン、トリスタン、オテロを観劇するこができましたが、ジークフリートは残念ながら聴くことができなかった。

以下、グールドを聴いたときの当時の感想。
「今夜のフロレスタンも劇場の隅々まで響き渡る豊かな歌声を聞かせた。
とても囚われて兵糧責めにあっている男の声には聞こえないのが難点。」

「私のような世代にとって、オテロといえば、デル。モナコ。
あの目の玉ひんむいた迫真の演技に崩壊寸前のすさまじい歌唱。
 そんなイメージがこびり付いたオテロ役だが、観客の中からノシノシと現れたグールド。
そして、Esulutate! の一声は・・・・、それはジークフリートが熊を駆り立てて登場したかのような「ホイホー!」の声だった。
私には、ジークフリートやタンホイザーで染み付いたグールドの声、声はぶっとくてデカイが、独特の発声にひとり違和感がある。
ワーグナー歌いのそれなのだ。
グールドの唯一のイタリアものの持ち役なんだそうな。
巨漢だから、悩みも壮大に見え、とてもハンカチ1枚に踊らされる風には見えない。
デル・モナコやドミンゴがオテロという人物に入り込んで、もうどうにも止まらない特急列車嫉妬号と化していたのに比べ、グールドは鈍行列車嫉妬号。
だがやがて3幕あたりから、ジークフリートは影をひそめ、いやまったく気にならなくなってきて、その力強い声に迫真の演技が加わりこりゃすごいぞ、と思うようになってきた。強いテノールの声を聴くことは、大いなる喜びなのだ。
耳が慣れればなんのことはない。ヘルデン・オテロも悪くない。」

「バイロイトのジークフリートやタンホイザーの音源で親しんできたヘルデンテノール。
フロレスタンとオテロを新国で観ているが、いずれもジークフリートのイメージを自分の中で払拭しきれなかった。
が、今回のトリスタンは全然違う。
立派すぎる声に、トリスタンならではの悲劇性の色合いもその声に滲ませることに成功していて、これはもう天衣無為のジークフリートではなかった。
以前は空虚に感じた声も、実に内容が豊かで、髭で覆われた哲学者(ザックスみたい)のような風貌も切実に思えた。」

ずいぶんと偉そうなことを書いていて恥ずかしいが、グールドは知的な歌手で、その大柄な姿とは裏腹に考え抜かれた歌唱で、役柄に応じた役作りに徹し、ジークフリートの明るさと力強さ、トリスタンの悲劇性もともにスタイリッシュに歌い分けることができた。
影のない女やアリアドネも舞台が引き締まる存在だった。
近時の最高傑作は、クラッツァー演出のバイロイト・タンホイザー。
これほどまでに演出の意図を体現した演技と歌唱はあるまいと思わせ、味わい深さもあるタンホイザーだった。

自由に行動することを夢見たタンホイザーが、エリーザベトと夢を追う旅に出る。
そんなエンディングにおけるグールド。

Tannhueser

祝福された平安の中に・・・・・、タンホイザーの最後のシーン。

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ロバート・ヘイルさん、ステファン・グールドさん、ともにワーグナーの音楽を聴く喜びを与えてくださいました。

その魂が安らかなりますこと、お祈り申し上げます。

追)7月にはドイツのヘルデンテノール、ライナー・ゴール土ベルクも亡くなっておりました。
84歳になる直前だったとのこと。
80年代、東側から忽然と登場した歌手で、ショルティのバイロイトリングでジークフリート起用が予定されながらキャンセル。
レヴァインのリングでレコーディングは残されましたね。
わたしは、スウィトナーのマイスタージンガーで実演に接しております。
ドイツの往年の歌手といったイメージで、やや硬い声でしたが、当時貴重な存在として各劇場で大活躍。

まいどのことですが、歌手の訃報は悲しく、寂しいものです・・・

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2023年10月 7日 (土)

ブラームス 交響曲 70年代の欧州演奏

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暑さは去り、秋が来た。

しかし、秋は駆け足です。

彼岸花もあっという間に咲いて、すぐに萎んじゃう。

秋にはブラームスの音楽が似合うが、とりわけ緩徐楽章がいい。

ブラームスの音源ライブラリーをながめてみたら、交響曲は新しい録音はほとんど持ってなくて、アナログ時代のものばかりだった。

とりわけ、60~70年代のものが多く、愛着もあります。

ブラームスの交響曲ぐらいになると、もう聴きすぎて、新しいCDなど買わなくなる。

今日は、秋空をながめながら、緩徐楽章を中心にヨーロッパのオーケストラで4曲まとめて聴いてみた。

私にとっての青春譜ともいえる、アバドの1回目のブラームスはここでは取り上げませんでした。
(過去記事:アバド ブラームス

Brahms-bohm-vpo

  ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 op.68

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.5.5,6 @ムジークフェライン)

伝説級となったベーム&ウィーンフィルの来日公演で、人々が一番興奮したのがこの曲。
抽選に漏れて簡単に取れたムーティしか行けなかったが、連日の生放送をエアチェックして、もう感動の坩堝だった。
トリスタンとリングで知るワーグナー指揮者、そしてライブで燃えるベームを生々しいライブ放送越しに聴いたし、テレビ放送にも釘付けとなりましたね。
ブラームスの1番は、このときまでよく知らない曲だった。
4→2→3番の順で馴染んでいったけれど、1番は正直ろくに聴いたこともなかった。
しかし、このベーム来日公演で全貌を知り、その虜となってしまった。
ティンパニの連打と暗鬱な1楽章、甘味なる2楽章、クラリネットが魅力の3楽章、そして暗雲を抜けて晴れやかな空が広がる終楽章とそのフィナーレ。
70年代のウィーンフィルの面々が、いまでも思い浮かびます。
コンマスはヘッツェル、横にはキュッヘル、第2ヴァイオリンにはヒューブナー教授。
ビオラにワイス、チェロはシャイワイン、フルートにトリップ、レズニチェク、オーボエはレーマイヤー、マイヤーホーファー。
クラリネットにはプリンツとシュミードル、ファゴットにツェーマン、ホルンはヘグナー、トランペットにボンベルガー。
ティンパニはブロシェク・・・・60~70年代のよきウィーンフィルの音色を体現したメンバーだった。
もちろん男性メンバーだけ、そういう時代だった。

日本公演は3月17日と22日がブラームスで、ウィーンに帰ったこのコンビはその2か月後にブラームスの交響曲を全部録音した。
その演奏の雰囲気は来日公演の威容のまま。
しかし熱量は当然にライブ時のものとは比較になりません。
ただウィーンの音色、ムジークフェラインの響きがこれほどに美しく収録されたことが希少です。
2楽章はほんとに美味であります。

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     ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 op.73

 ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1975.12.13,15 @ミュンヘン)

74年と75年に一気に録音されたケンペのブラームス。
65歳で早逝してしまうケンペのまさに晩年の録音となってしまった。
もう少しはやく、ドレスデンでも録音してくれたら・・・という思いはありますが、ザンデルリンクの録音と被ってしまったのでしょう。
ミュンヘンのオーケストラといえば、放送局のオーケストラとばかりに思っていた自分が、フィルハーモニーもあることに驚いたのが、札幌オリンピックの時の来日だった。
病気がちのケンペでなく、ノイマンと来るはずが、それも難しくなってフリッツ・リーガーという当時は知らなかったベテラン指揮者とともやってきた。
ハンス・リヒター・ハーザーとエディツト・パイネマンが帯同、いま思えばこれもまた伝説の来日。
ということで地味なオーケストラというイメージを脱することが自分のなかではできなかったミュンヘンフィルですが、ケンペとの積極的な録音と晩年のケンペの充実ぶりとで一躍注目されるようになり、私もベートーヴェンやこのブラームス、ブルックナーを聴いたのでした。
ミュンヘンオリンピックでの追悼演奏での英雄、テレビでケンペとミュンヘンフィルをそのときはじめて見たことも記憶にありました。

この2番の演奏ですが、渋くて、速めの運びながら質実剛健で、無駄なものや媚びた音色などが一切なし。
渋さのなかに安住することなく、この演奏には熱もあり、終楽章の白熱ぶりには驚かされます。
つくづく、ケンペがもうすこし存命だったら、BASFがという巨大化学会社がレコード業界から手を引かなかったら、音楽シーンはまたどうだったかな・・・と思います。

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  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調 op.90

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

        (1970.5 @コンセルトヘボウ)

若きハイティンクのわたくしの初レコードがこれ。
74年にハイテインクとコンセルトハボウが来日する際に廉価盤で発売された。
その前年のアバドとウィーンフィルの来日公演で演奏されたブラームスとベートーヴェンの3番を放送で観て聴いて、ブラームスの3番に開眼。
アバドの全集と同じころに、このレコードを買った。
もっと歌って欲しいと思った3楽章で、ハイティンクはこうしたそっけないところが受けないんだな、と当時レコ芸でボロクソ書かれていたことになんとなく同意したりしていた。
しかし、その後のワタクシのハイティンク愛は、このブログで多々書いてきたとおり。
CD化された全集で、あらためて一番先に録音された3番を聴いて思った。
なんだ、この頃から、ハイテインクとコンセルトハボウそのものじゃん。
レコードよりはるかにいい音がする録音は、コンセルトヘボウのホールの響き、オケの柔らかな絹織りのような音色、とくに弦の美しさを味わえる。

このコンビのブルックナーとマーラーの60~70年代の録音にも共通している、オケも指揮者も特段の主張もなく、中庸のままに音楽に打込んでいるその様子。
73年頃から、ハイティンクは構成感を積み上げたような重厚で、ふくよか、たっぷりとした演奏をするようになり、もうひとつの手兵ロンドンフィルでもそのスタイルが貫かれるようになった。
その前のブラームス、構えの大きさをうかがわせるのは、この3番よりも同時に録音された「悲劇的序曲」の方かもしれない。
この曲1,2を争う演奏だと勝手に思ってる。

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  ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 op.98

 クルト・ザンデルリング指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

         (1972.3.8 @ルカ教会)

ドレスデン・シュターツァペレの古式ゆかしき良さが、われわれ日本人にわかったのは、73年のザンデルリングとの来日だったと思う。
その直前には、スウィトナーのモーツァルトの交響曲や「魔笛」も注目されていた。
この時の来日は、ブロムシュテットとクルツも一緒で、ザンデルリンクは61歳。ブロムシュテット46歳、クルツ43歳。
ブロムシュテットが現役を貫いているが、ザンデルリングの没年は98歳、クルツは92歳で、ドレスデンの指揮者たちはみんな長命です。

ミュンヘン・フィルも渋いと書いたが、ドレスデンはそれとはまた違った、楽器のひとつひとつ、奏者ひとりひとりが伝統という重みを背負っている、そんな古色あふれる渋さなのでありました。
そう、過去形です。
東側時代のドレスデンは楽器も奏法も古めかしいものを使っていたと思うし、それが味わいとなって澱のように幾重にも積み重なっていて、一言では言い表せない独特の音色や響きを出していたと思います。
東西の垣根が取れ、指揮者もシノーポリやルイージといったイタリア系の登場もあり、伝統の響きはそのままに、ドレスデンも機能的なオーケストラに変化していったと思います。

それはさておき、ドレスデンの最良の姿を記録したブラームスがこの録音だと思います。
なかでも4番は、とび切りの名演。
2楽章など、ライン川に佇む中世の古城といった趣きで、中音域の落ち着きある音色がたまらなく美しい。
どこまでも自然に流れる演奏でありながら、細部は丁寧に仕上げられ、歌い口も滑らか。
ザンデルリングは無骨な指揮者でないことがこのドレスデンとの演奏でよくわかる。
のちのベルリン響との再録音では、テンポも遅くなり悠揚迫らぬ演奏となっていて、それに比べるとドレスデン盤は流麗であり、後ろ髪引かれるような回顧に満ちた切なさも感じさせる。

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ここになんでベルリンフィルがないんだ?と言われるむきもあるでしょう。
そう70年録音のアバドの2番は、この曲最高の演奏だと思いますが、再三にわたりこのブログで取り上げてます。
カラヤンの2度目のブラームスも70年代ですが、実は聴いたことがないんです。

ということで、ウィーン、ミュンヘン、アムステルダム、ドレスデンということになりました。
4人の指揮者がそれぞれに関係あるオーケストラは、ドレスデンです。

4つのオーケストラによるブラームスを聴いてみて、それぞれの個性がしっかり刻まれているのを実感できました。
こうした比較ができるのも60~70年代ならではではないでしょうか。
いまやったら、みんなうまいけど、音の個性はみんな均一になりつつあると思いますね。

Higan-06

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