ブラームス 交響曲 70年代の欧州演奏
暑さは去り、秋が来た。
しかし、秋は駆け足です。
彼岸花もあっという間に咲いて、すぐに萎んじゃう。
秋にはブラームスの音楽が似合うが、とりわけ緩徐楽章がいい。
ブラームスの音源ライブラリーをながめてみたら、交響曲は新しい録音はほとんど持ってなくて、アナログ時代のものばかりだった。
とりわけ、60~70年代のものが多く、愛着もあります。
ブラームスの交響曲ぐらいになると、もう聴きすぎて、新しいCDなど買わなくなる。
今日は、秋空をながめながら、緩徐楽章を中心にヨーロッパのオーケストラで4曲まとめて聴いてみた。
私にとっての青春譜ともいえる、アバドの1回目のブラームスはここでは取り上げませんでした。
(過去記事:アバド ブラームス)
ブラームス 交響曲第1番 ハ短調 op.68
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1975.5.5,6 @ムジークフェライン)
伝説級となったベーム&ウィーンフィルの来日公演で、人々が一番興奮したのがこの曲。
抽選に漏れて簡単に取れたムーティしか行けなかったが、連日の生放送をエアチェックして、もう感動の坩堝だった。
トリスタンとリングで知るワーグナー指揮者、そしてライブで燃えるベームを生々しいライブ放送越しに聴いたし、テレビ放送にも釘付けとなりましたね。
ブラームスの1番は、このときまでよく知らない曲だった。
4→2→3番の順で馴染んでいったけれど、1番は正直ろくに聴いたこともなかった。
しかし、このベーム来日公演で全貌を知り、その虜となってしまった。
ティンパニの連打と暗鬱な1楽章、甘味なる2楽章、クラリネットが魅力の3楽章、そして暗雲を抜けて晴れやかな空が広がる終楽章とそのフィナーレ。
70年代のウィーンフィルの面々が、いまでも思い浮かびます。
コンマスはヘッツェル、横にはキュッヘル、第2ヴァイオリンにはヒューブナー教授。
ビオラにワイス、チェロはシャイワイン、フルートにトリップ、レズニチェク、オーボエはレーマイヤー、マイヤーホーファー。
クラリネットにはプリンツとシュミードル、ファゴットにツェーマン、ホルンはヘグナー、トランペットにボンベルガー。
ティンパニはブロシェク・・・・60~70年代のよきウィーンフィルの音色を体現したメンバーだった。
もちろん男性メンバーだけ、そういう時代だった。
日本公演は3月17日と22日がブラームスで、ウィーンに帰ったこのコンビはその2か月後にブラームスの交響曲を全部録音した。
その演奏の雰囲気は来日公演の威容のまま。
しかし熱量は当然にライブ時のものとは比較になりません。
ただウィーンの音色、ムジークフェラインの響きがこれほどに美しく収録されたことが希少です。
2楽章はほんとに美味であります。
ブラームス 交響曲第2番 ニ長調 op.73
ルドルフ・ケンペ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(1975.12.13,15 @ミュンヘン)
74年と75年に一気に録音されたケンペのブラームス。
65歳で早逝してしまうケンペのまさに晩年の録音となってしまった。
もう少しはやく、ドレスデンでも録音してくれたら・・・という思いはありますが、ザンデルリンクの録音と被ってしまったのでしょう。
ミュンヘンのオーケストラといえば、放送局のオーケストラとばかりに思っていた自分が、フィルハーモニーもあることに驚いたのが、札幌オリンピックの時の来日だった。
病気がちのケンペでなく、ノイマンと来るはずが、それも難しくなってフリッツ・リーガーという当時は知らなかったベテラン指揮者とともやってきた。
ハンス・リヒター・ハーザーとエディツト・パイネマンが帯同、いま思えばこれもまた伝説の来日。
ということで地味なオーケストラというイメージを脱することが自分のなかではできなかったミュンヘンフィルですが、ケンペとの積極的な録音と晩年のケンペの充実ぶりとで一躍注目されるようになり、私もベートーヴェンやこのブラームス、ブルックナーを聴いたのでした。
ミュンヘンオリンピックでの追悼演奏での英雄、テレビでケンペとミュンヘンフィルをそのときはじめて見たことも記憶にありました。
この2番の演奏ですが、渋くて、速めの運びながら質実剛健で、無駄なものや媚びた音色などが一切なし。
渋さのなかに安住することなく、この演奏には熱もあり、終楽章の白熱ぶりには驚かされます。
つくづく、ケンペがもうすこし存命だったら、BASFがという巨大化学会社がレコード業界から手を引かなかったら、音楽シーンはまたどうだったかな・・・と思います。
ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調 op.90
ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(1970.5 @コンセルトヘボウ)
若きハイティンクのわたくしの初レコードがこれ。
74年にハイテインクとコンセルトハボウが来日する際に廉価盤で発売された。
その前年のアバドとウィーンフィルの来日公演で演奏されたブラームスとベートーヴェンの3番を放送で観て聴いて、ブラームスの3番に開眼。
アバドの全集と同じころに、このレコードを買った。
もっと歌って欲しいと思った3楽章で、ハイティンクはこうしたそっけないところが受けないんだな、と当時レコ芸でボロクソ書かれていたことになんとなく同意したりしていた。
しかし、その後のワタクシのハイティンク愛は、このブログで多々書いてきたとおり。
CD化された全集で、あらためて一番先に録音された3番を聴いて思った。
なんだ、この頃から、ハイテインクとコンセルトハボウそのものじゃん。
レコードよりはるかにいい音がする録音は、コンセルトヘボウのホールの響き、オケの柔らかな絹織りのような音色、とくに弦の美しさを味わえる。
このコンビのブルックナーとマーラーの60~70年代の録音にも共通している、オケも指揮者も特段の主張もなく、中庸のままに音楽に打込んでいるその様子。
73年頃から、ハイティンクは構成感を積み上げたような重厚で、ふくよか、たっぷりとした演奏をするようになり、もうひとつの手兵ロンドンフィルでもそのスタイルが貫かれるようになった。
その前のブラームス、構えの大きさをうかがわせるのは、この3番よりも同時に録音された「悲劇的序曲」の方かもしれない。
この曲1,2を争う演奏だと勝手に思ってる。
ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 op.98
クルト・ザンデルリング指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
(1972.3.8 @ルカ教会)
ドレスデン・シュターツァペレの古式ゆかしき良さが、われわれ日本人にわかったのは、73年のザンデルリングとの来日だったと思う。
その直前には、スウィトナーのモーツァルトの交響曲や「魔笛」も注目されていた。
この時の来日は、ブロムシュテットとクルツも一緒で、ザンデルリンクは61歳。ブロムシュテット46歳、クルツ43歳。
ブロムシュテットが現役を貫いているが、ザンデルリングの没年は98歳、クルツは92歳で、ドレスデンの指揮者たちはみんな長命です。
ミュンヘン・フィルも渋いと書いたが、ドレスデンはそれとはまた違った、楽器のひとつひとつ、奏者ひとりひとりが伝統という重みを背負っている、そんな古色あふれる渋さなのでありました。
そう、過去形です。
東側時代のドレスデンは楽器も奏法も古めかしいものを使っていたと思うし、それが味わいとなって澱のように幾重にも積み重なっていて、一言では言い表せない独特の音色や響きを出していたと思います。
東西の垣根が取れ、指揮者もシノーポリやルイージといったイタリア系の登場もあり、伝統の響きはそのままに、ドレスデンも機能的なオーケストラに変化していったと思います。
それはさておき、ドレスデンの最良の姿を記録したブラームスがこの録音だと思います。
なかでも4番は、とび切りの名演。
2楽章など、ライン川に佇む中世の古城といった趣きで、中音域の落ち着きある音色がたまらなく美しい。
どこまでも自然に流れる演奏でありながら、細部は丁寧に仕上げられ、歌い口も滑らか。
ザンデルリングは無骨な指揮者でないことがこのドレスデンとの演奏でよくわかる。
のちのベルリン響との再録音では、テンポも遅くなり悠揚迫らぬ演奏となっていて、それに比べるとドレスデン盤は流麗であり、後ろ髪引かれるような回顧に満ちた切なさも感じさせる。
ここになんでベルリンフィルがないんだ?と言われるむきもあるでしょう。
そう70年録音のアバドの2番は、この曲最高の演奏だと思いますが、再三にわたりこのブログで取り上げてます。
カラヤンの2度目のブラームスも70年代ですが、実は聴いたことがないんです。
ということで、ウィーン、ミュンヘン、アムステルダム、ドレスデンということになりました。
4人の指揮者がそれぞれに関係あるオーケストラは、ドレスデンです。
4つのオーケストラによるブラームスを聴いてみて、それぞれの個性がしっかり刻まれているのを実感できました。
こうした比較ができるのも60~70年代ならではではないでしょうか。
いまやったら、みんなうまいけど、音の個性はみんな均一になりつつあると思いますね。
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コメント
ブラームスの交響曲、当方は1番から順に馴染んだのですが、最初はこれも伝説的なミュンシュ/パリ管でした。続いて’75年のベーム/VPOは幸運にも抽選に当たり3月22日をホール1Fで聴きました。2番はアバド/BPOで馴染みケンペ/MPOも発売直後に買ったかと。また’77年のベームもその後経営破綻した新芸○家協会の賛助会員だった友人の妹さんのコネでチケットを入手しました。
3番は不慮の事故の後すぐにリリースされたケルテス/VPOでしたが問題は4番で、何故かいきなりフルトヴェングラー/BPOの’48年盤を買ったのですね。それまでにワルター/コロンビア響を別の友人から借りていたのですが昨今ならともかくさすがに十代の耳には物足りなかったのがフルトヴェングラーによる諸家絶賛の冒頭H音の魔力には抗えませんでした。
が、その魔力はむしろ各交響曲の緩徐楽章でこそ発揮されていることに気付いたのはずいぶん後のことで。いずれの曲でもブラームスの謹厳な髭面の陰に潜むあれほどの濃厚な官能性を引き出しているのはフルトヴェングラーが随一と考えます…などと述べているうち、まさにブラームスに相応しい年齢に達しているのですが。
ところでブラームスの交響曲はそれぞれ春夏秋冬に相当しているようにかねてから考えているのですが。厳しい冬を越えアルペンホルンが春の訪れを告げる1番、夏の夕暮れから夜明けに至る2番、秋の憂愁が支配する3番に再びの厳しい冬を想起させる4番と…いかがなものでありましょうや?
投稿: Edipo Re | 2023年10月12日 (木) 22時21分
ブラームスはデジタルでなくアナログが似合いますね。
ここに書きましたように、60~70年代が好きです。
しかし、ベームの抽選に当たるとはいまさらながらうらやましいです。
わたしはカスリもしませんでした(笑)
遅咲きの1番開眼は、そのベームで、ミュンシュはCD時代になってようやく。
今現在では、1番はどうもシラケてしまう自分を感じて、あまり聴きません。
2番はダントツでアバドが刷りこみですが、こちらはいまでも盛んに聴いてます。
3番は、いま世界的なブームといいますか、頻繁にコンサートで取り上げられてます。
静かに終結するので、前半かと思えば、コンサートのラストでも。
昨今の傾向かと思います。
4番はフルトヴェングラーは確かにすごいです!!
しばらくぶりに、ワルターとフルトヴェングラーで緩徐楽章特集を夜にでもやってみようと思います。
ブラ―ムス:春夏秋冬説、なるほどですね。
いずれも日本の四季にぴったりとくるようなイメージでもあります。
ヨーロッパの風景をジャケットにすることが多かった日本のレコード会社ですが、今思えばそれもまさにピッタリでした。
バルビローリのセラフィム盤なんか素敵な雰囲気でした。
投稿: yokochan | 2023年10月18日 (水) 09時40分