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2023年10月24日 (火)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ①

Oiso-a

相模湾に浮かぶ漁船の群れ。

大磯の山の上からパシャリと1枚。

Oiso-b

山を下り、海辺から先ほどの漁船をパシャリ。

手前の天然の岩礁は、大磯のこちら照ヶ崎海岸に飛んでくる「アオバト」の飛来地として知られますが、この日はいませんでした。

緑色の可愛いハトさんで、大磯のマスコットキャラクターになってます。


Holander

  ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」

ワーグナーの作品すべてを取り上げるシリーズ。
初期3作を入れての通し企画では2回目、オランダ人以降の通しでは2回あり。
ワーグナーの音楽とその舞台が好きなだけで、別に専門家でもない素人の殴り書きですから、あくまで個人の思い出とするもので、あとで自分で読んで、なるほどと思ったりしている程度です。

しかし、もうわたしも若くない。
この先の限りある音楽視聴、最後のワーグナー・チクルスと思い、そんな気持ちで主要7作は総まとめ的な記事にして残しておきたいと思いました。
同時に進行しているシュトラウスのオペラも同じ思いで書いてます。

オランダ人以降の作品が頻繁に取り上げられ、バイロイトでもそうした慣例に則っているわけだが、劇場150年の記念の年2026年には、「リング」新演出と「リエンツィ」を上演するとのこと。
バイロイトのその先を占う年となりそうで、ともかく元気で音楽を聴いていたいと思うものだ。

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クラシック聴き始めの頃は、ワーグナーはおろか、オペラなんて遠い存在だったけれど、よくあるとおりに、音楽の情報源はレコ芸だった。
1970年、大阪万博の年に、日本は空前の外来演奏家のラッシュとなりました。
カラヤン、バーンスタイン、セルなどの名指揮者たちにならんで、小学生のワタクシの耳目を引いたのはレコ芸での来演オペラ特集と高崎先生によるバイロイト音楽祭の演目紹介シリーズ。
これらの写真を日々、穴のあくほど見つめながら、この音楽はどんなだろうと想像をめぐらしていたのでした。

冒頭の画像は、1965年のヴィーラント演出のもので、スウィトナーの指揮とT・スチュアートのオランダ人。
これとアニア・シリアのゼンタの写真、次のベームのライブも残されたエヴァーディンク演出の写真が、わたくしのオランダ人のイメージの刷りこみであります。

ただし序曲以外にオランダ人を楽しむすべはなく、バイロイトのFM放送を知り、聴きだしたのは72年からなのでオランダ人の上演はなく放送もありません。
組物レコードを買う勇気も資力もないままに迎えたのが、ベームの71年バイロイトライブで、73年初めの発売。
このFM放送をエアチェックして聴きまくって始まったのがワタクシのオランダ人のスタート。
それより前の72年のバイロイト放送で、タンホイザー、ローエングリン、リングは聴くことができてましたし、パルジファルは73年のイーズターの時期に聴いてます。

歳とともに、さらには都心が遠くなってしまったのでオペラを観に行くという行為がおっくうになり、オペラは音源での視聴と同等ぐらいに、映像で楽しむようになった。
しかも困ったもので、斬新な演出にはブーブー言いながらも、ト書き通りの演出では、安心感はあっても、もはや触手が伸びなくなぅてしまい、ことにワーグナーではその傾向が高まるばかりだ。
というか、ワーグナーではもう、普通の演出がなくなってしまい、なにが普通なのかさえもわからなくなってしまったのだ・・・・
これは悲しむべきことなのだろうか。
ワーグナー聴き始めの頃の新鮮な驚きや、前褐のとおり想像を巡らせていた好奇心といったようなものが、遠い昔の懐かしい出来事のように思われる。

【映像】

ネタバレを多く含みますので、映像未視聴の方はすっとばしてください。
自分の記録なので忘れないように書いてしまうんです。

①サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立劇場 1974 カシュリーク演出

Hollander_sawallosch

オペラ映画仕立ての作品で、年代を感じさせる古めかしい演技。
でも歌は絶品で、貴重なリゲンツァ映像。
サヴァリッシュはバイロイトでもドレスデン版で、救済なしバージョンだったが、ここでもそう。
ゼンタはオランダ人を追って海に身を投げるが、オランダ人に抱きかかえられ、やがてふたりで沈んでいくラスト。
サヴァリッシュの94年のバイエルン来演のオランダ人を観たが、そのときは救済ありだったと記憶します。

②W・ネルソン指揮 バイロイト1985 クプファー演出

Hollander-1985

1978年に東独から招聘されたクプファーの衝撃のオランダ人演出、その最後の年の上演が映像化されたのは幸いだった。
78年のデニス・ラッセル・デイヴィスによる演奏は、音源化して所蔵してますが、あたりまえだと思ってたゼンタの自己犠牲による救済の動機が序曲でもラストでもならず、荒々しい終結部になっていた。
なぜこのドレスデン版となったか、そのことがこの映像によってよくわかる。
ゼンタは最初から最後まで出ずっぱりで、常にオランダ人の肖像を胸に抱いて夢想的な態度を示している。
オランダ人と出会っても勝手に二人の胸の内を語るだけで、接点はまったくない。
エリックだけが、ゼンタを支える暖かい存在だが、マリーも娘たちも、市民たちも徐々に距離をおくようになり、オランダ人が去ったあとは、自ら自決してしまう。
そのあとのけたたましい音は、映像を観ることで初めてわかった。
街の人々が、窓の扉をガチャンと閉める音だった。
ゼンタの妄想の終結は衝撃的だった。
黒人のバス・バリトン、エステスの歌も演技も強靭で目覚ましかったオランダ人と、ともに7年間ずっとゼンタを受け持った夢見がちのバルスレフがすばらしい。

③ティーレマン指揮 バイロイト2013 グローガー演出

Bayreutherfestspielefliegenderhollaender

2012年から1年お休みをおいて、6年間上演された若いグローガー演出によるもの。
音楽面はずばり素晴らしい。
ティーレマンとダーラントのゼーリヒが実によろしくて、非の打ち所がない。
しかし演出の陳腐さとあまりに不釣り合いだ。
電子系のビジネスマンのオランダ人に、扇風機工場のゼンタ達、船はクソみたいな段ボール製。
すべてが脈連なく感じ、なにかのアンチテーゼか比喩なのか、わかりたくもなし。
最後はゼンタは腹を刺したようで、オランダ人も同じ痛みにあえぎ、段ボールの山の上で抱き合い、舞台は暗転。
救済ありの音楽のなか、ふたたび幕が開くと、翼の生えたゼンタの抱き合うふたりのスーベニアを女工さんたちが次々に完成させている。
バイロイト観劇の土産になって、めでたく永遠にあなたのデスクの上に・・・ってか。

④アルテノグリュ指揮 チューリヒオペラ2013 ホモキ演出

Hollander-zurich

船も港もまったく登場しない、唯一壁に掛けられた動く絵で荒波が表現。
貿易会社が舞台で、アフリカから搾取でもしてるのか、途中、現地人の氾濫のようなシーンもあり、水夫たちの合唱、実は会社員の合唱のなかで、何人かがぶっ〇ろされてしまう。
オランダ人は、どこからともなくあらわるし、終始出ているが、どこか存在感を薄く演出されていて、これもまたゼンタの夢見た幽霊船の船長よろしくゴースト的な存在になってるし、ターフェルの化粧もそんな禍々しさがある。
肖像画を手にするゼンタは、社内のタイピストたちに馬鹿にされっぱなし。
エリックは海の男でなく、漁師になっていて手には猟銃。
ゼンタはオランダ人の正体を知ったあと、微笑みを浮かべるが、そのオランダ人がいつの間にか消え去ってしまい人々の間を探しまくる。
そしてエリックから銃を奪い・・・・
当然に救済なしバージョンで、ラストシーンはショッキングだ。
救済こそないが、幽霊や未知の世界の人々、荒海などなど、ロマン性は斬新さをともない、しっかり描かれていて、さすがはホモキと思わせる。
ホモキの舞台は、これまで、フィガロ、ボエーム、西部の娘、ばらの騎士などの実際の舞台を観劇してきたが、ここでも納得の面白さだった。

アルテノグリュの指揮はいい、ワーグナーの初期的な雰囲気をよく捉えているし、なによりも明快でわかりやすい音楽だ。
ターフェルはアクの強さが、この演出の謎の人物という表現では実に生きているし、アニヤ・カンペのゼンタも、昨今の大活躍を先取りする素晴らしさ。大ベテランのサルミネンも健在。

⑤ネルソンス指揮 ロイヤル・オペラ2015 アルベリー演出

Hollander-roh

英国の港風に横づけされた船の前を舞台に、船員たち、オランダ人も英国調の船乗りだ。
船の模型が、舞台前面に張られた水に最初から最後まで置かれている。
女工さんたちはちゃんと勢ぞろいしてミシンで裁縫の作業中で、仕事を終えると作業着を脱いでみんなおめかしして夜のお出かけに備えるのが見ていて楽しいし、水夫たちと楽しくパーティに興じるのもよろしい。
ラスト、ゼンタはオランダ人が去った船への梯子階段に手をかけ、そのままぶら下がったまま足が浮いてしまうが力尽きて普通に落ちちゃう。
ひとり残されたゼンタは船の模型を手に、悲しく打ちひしがれる。
当然に救済なしバージョンで、ゼンタはオランダ人に振られた格好だ。
なんだが不甲斐ない幕切れで、残尿感の残るものであった。

しかし、ネルソンスの指揮はいまほど太ってなくて、切れ味と重厚感、ともによろしく、指揮姿もキッレキレだ。
ここでもターフェルは堂に入った船長で、フィッシャーマンセーターがお似合いで、ビジュアル的にはこちらの方が上だ。
ピエチョンカのゼンタもいい。

⑥フィオーレ指揮 フィンランド国立劇場2016 ホールテン演出

Hollantilainen

ネット視聴だが、これは面白かった。
現代に時を設定し、オランダ人は絵描きで、満足できる作品がずっと描けず、酒と何人もの女に溺れ、ついには自決さえしようとする。
心臓も壊しているようで呼吸も苦しそうだ。
ダーラントは裕福な美術貿易の資本家で、娘のゼンタも芸術愛好家、人々はみんなスマホを持ってる。
オランダ人の作品を評価し、興味を持ったゼンタはその芸術家をビデオ撮影したりしてドキュメンタリーを作る。
エリックの登場で絶望したオランダ人はカメラの前でピストル自殺。
ラスト、舞台は反転し、そこはゼンタの作品発表の場で、人々はモニターをみて喝采し、彼女もシャンパングラスを手にしている。
画面はオランダ人のモノクロ映像、ひとりゼンタは悲しみの表情を浮かべ涙にくれる。
こんなラストシーンで救済ありバージョンのエンディングとなった。
やや難解だが、こんな解釈もありなのだと感心。

ニールントのゼンタが極めて立派で貫禄がありすぎるのが難点。
デンマークのバスバリトン、ロイターのオランダ人がめっけもん的な素晴らしさだけど、演技に熱が入りすぎて、文字通り口角泡を飛ばす様子が見苦しいかも。
最近ひっぱりだことのちょっぴり太とめの指揮者、フィオーレがツボを心得た指揮ぶりでフィンランドのオケも優秀でした。

⑦リニフ指揮 バイロイト2021 チェルニアコフ演出

Hollander-bayreuth-2020

今年3年目を迎えたオランダ人の新演出時の映像。
必ず読替え演出をする、そして観るわれわれも、どんな風に読み込み解釈をするんだろうという期待を持って臨むようになってる。
私のDVDコレクションもチェルニアコフの演出によるものはとても多い。
 しかし、このオランダ人にはびっくりさせられたが、無理があるなぁと思わざるを得なかった。
当然に船なんてどこにもなくて、北欧の港町を思わせる場所の設定で、例によって小道具から歌わないアクターまで、すべてが事細かくリアルに描写されていて、酒場のカウンター、うまそうなリアルビール、ダーラント家の食卓、女性たちが用意したうまそうなランチなど映画の世界のようだ。
前にも書いたが、背景にいる人物たちも、孤独のグルメの客のように無言で会話をしていたりで、これもリアル映画の世界だ。
 序曲から無言劇が進行し、オランダ人の少年時代が描かれ、春をひさぐ気の毒な母親が街の人々に蔑まれ命を絶つシーンが描かれれ、のっけからショッキングなシーンをみせられる。
幕が開くと、のちのオランダ人が母が亡くなった窓辺を見上げていて、傍らでは金持ち風のダーラントを囲んで男たちが酒盛りをしている。
いつの間にか、静かにオランダ人はテーブルの片隅に座ってしまい無言でじっとしてる・・・・
酒場の傍らには時計が据えられ、この時計が劇の進行とともに、ちゃんと時を刻む。
そう、オランダ人は、何年かのときを経て、復讐しに故郷に帰ってきたお礼参りの設定なのだ。
昔の日本映画や時代劇によくある物語で、ある意味、スリラーでもあり、そういう点ではゴシックロマンとでも言えるかも。
 しかし、チェルニアコフは一筋縄ではいかない。
実際に水夫たちの合唱とオランダ人の部下たちが衝突をするが、オランダ人は懐からピストルを取り出して何人か殺ってしまう。
ゼンタはおきゃんな現代っ子のようで、マリーはダーラントと結婚してるみたいな設定。
マリーが大切に持っていた若い男子の写真をゼンタはふざけて取り上げたりしてからかう。
それが誰だかわかったのは、ダーラント家に夕食に招待されたオランダ人がゼンタといい雰囲気になったとき、マリーは歯ぎしりをして悔しがる。
エンディングは、マリーがオランダ人をライフルでぶっ〇〇してしまう・・・・
嫉妬であるとともに、憎しみからの解放をしてあげたということか、救済ありバージョンでの終結だった。

ということで、やや作りすぎたかな、というのが印象ですが、それにしてもここまで読んで解釈してしまうのはすごいものだ。

初年度だけで降りてしまったグリゴリアンが、歌に演技にはじけていて実によろしい。
ルントグレンの見た目.病んだようなオランダ人はイメージ通りで、破滅的な声もよいが、もう少し心理描写的な歌唱もあっていいかも。
ツェッペンフェルトは文句なしで、思わぬ大役となったマリー役のプルデンスカヤは、とてもいいと思ったが、この1年で終わってしまった。
でも、このオランダ人のプロダクションの真のヒロインは、指揮のリニフさん。
劇の呼吸をわきまえた、劇場向きの指揮者で、細やかでありつつ、全体感も感じさせ、ここはこうあるべしというところが、ちゃんとそのように響くし、歌手たちも無理なく歌えそうなオケなのでありました。
ボローニャの指揮者として近々に来日するリニフさんです。

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映像はまだあるけど、二人仲良く昇天する演出のものが手持ちになかった。
まさに昨今はそうした解釈が主流なのであろう。
逆に、救済付きでの昇天演出を観たら新鮮なのかもしれないことが皮肉なものだ。

音源篇は②へ続く


オランダ人過去記事一覧

「クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア」

「バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ティーレマン指揮 バイロイト2012」

「ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団」

「サヴァリッシュ指揮 バイロイト1961」

「ライナー指揮 メトロポリタン歌劇場」

「サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場 DVD」

「ベーム指揮 バイロイト1971」

「コンヴィチュニー指揮 ベルリン国立歌劇場」

「ボーダー指揮 新国立劇場公演」

「ショルティ指揮 シカゴ交響楽団」

「アルブレヒト指揮 バイロイト2005」

「デ・ワールト指揮 読響 二期会公演2005」

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コメント

記事を読んで久しぶりに昔のレコードを引っ張り出しました。1955年バイロイト、カイルベルト指揮のです。
気合入れてMP3に変換して、秋の夜長に楽しもう。

投稿: ルードヴィッヒ・ウェーバーのファン | 2023年10月25日 (水) 10時16分

ルードヴィッヒ・ウェーバーのファンさま、コメントどうもありがとうございます。
カイルベルト盤、ワタクシも音源篇の記事作成に併せて久方ぶりに視聴。
あの時代の歌手のよさと、カイルベルトの指揮の充実ぶりなど、再確認できました。

投稿: yokochan | 2023年11月 9日 (木) 09時03分

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