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2023年10月15日 (日)

ふたりのアメリカン・ワーグナー歌手、ヘイルとグールドを偲んで

Robert-hake-1

テキサス州出身のバス・バリトン歌手、ロバート・ヘイルが8月に90歳で逝去。

私には思い出深い歌手のひとりでした。

アメリカでの活動から、80年代頃からベルリン・ドイツ・オペラを中心にしたヨーロッパに拠点を移し、ワーグナーやシュトラウスの第一人者となりました。

1987年のベルリン・ドイツ・オペラのリング通し公演で初めて知ったロバート・ヘイルのウォータンの名唱。
そのときの驚きは、日記をブログ化したものを再掲。

「なめらかな美声と、押しの強いバス・バリトンの声は、文化会館に、大オーケストラを圧するようにして響きわたったのでした。
R・ヘイルの少しマッチョなテキサス風ウォータンが素晴らしかった。
最後の告別での悲しげかつ、ヒロイックな姿と、その豪勢な声の魅力は忘れえぬものです。
こんなバス・バリトンがなぜいままで知られてなかったのか。
容姿からして第一、目を引く。威厳を備えた若々しい舞台姿とその声。
ハリがあって、すみずみまでよく通る声。深く暖かい。
悟りも感じさせる表現力も豊かで、今後が大いに期待できる歌手。」

こんな風にべた誉めでした。
ヘイルのウォータンは、サヴァリッシュのリングでも聴けるし、ドホナーニとクリーヴランドの未完のリングでも極上の録音で残された。
あと同じく、ドホナーニのオランダ人、ショルティの影のない女の映像なでで、その素晴らしさが確認できます。
同じアメリカ人ウォータン、ジェイムス・モリスとともに、バイロイトの舞台に立つことのなかった名歌手だと思います。

Stephen-gould

ステファン・グールドの早すぎる死は、日本にも親しい存在だっただけにショックだった。

おまけに、われわれは飯守泰次郎さんの逝去を悲しみのなかに迎えたばかりだったのに・・・

今夏のバイロイトを体調不良で、急きょ全キャンセルし、音楽祭終了を待って、自身が胆管癌に侵され余命もきざまれていることを発表。
その後ほどなく届いたグールドの死去の知らせ、9月19日、61歳での死でした。
タフなヘルデンテノールのグールド氏のことだから、きっと元気に復帰するだろうと思い込んでいたし、当ブログでもそんなことを描きました。
訃報にわたしは、思わず、あっ、と声を上げてしまいました。
逝去の記事を書くこともためらいました。

新国の舞台によく立っていただきました。
わたしは、フロレスタン、トリスタン、オテロを観劇するこができましたが、ジークフリートは残念ながら聴くことができなかった。

以下、グールドを聴いたときの当時の感想。
「今夜のフロレスタンも劇場の隅々まで響き渡る豊かな歌声を聞かせた。
とても囚われて兵糧責めにあっている男の声には聞こえないのが難点。」

「私のような世代にとって、オテロといえば、デル。モナコ。
あの目の玉ひんむいた迫真の演技に崩壊寸前のすさまじい歌唱。
 そんなイメージがこびり付いたオテロ役だが、観客の中からノシノシと現れたグールド。
そして、Esulutate! の一声は・・・・、それはジークフリートが熊を駆り立てて登場したかのような「ホイホー!」の声だった。
私には、ジークフリートやタンホイザーで染み付いたグールドの声、声はぶっとくてデカイが、独特の発声にひとり違和感がある。
ワーグナー歌いのそれなのだ。
グールドの唯一のイタリアものの持ち役なんだそうな。
巨漢だから、悩みも壮大に見え、とてもハンカチ1枚に踊らされる風には見えない。
デル・モナコやドミンゴがオテロという人物に入り込んで、もうどうにも止まらない特急列車嫉妬号と化していたのに比べ、グールドは鈍行列車嫉妬号。
だがやがて3幕あたりから、ジークフリートは影をひそめ、いやまったく気にならなくなってきて、その力強い声に迫真の演技が加わりこりゃすごいぞ、と思うようになってきた。強いテノールの声を聴くことは、大いなる喜びなのだ。
耳が慣れればなんのことはない。ヘルデン・オテロも悪くない。」

「バイロイトのジークフリートやタンホイザーの音源で親しんできたヘルデンテノール。
フロレスタンとオテロを新国で観ているが、いずれもジークフリートのイメージを自分の中で払拭しきれなかった。
が、今回のトリスタンは全然違う。
立派すぎる声に、トリスタンならではの悲劇性の色合いもその声に滲ませることに成功していて、これはもう天衣無為のジークフリートではなかった。
以前は空虚に感じた声も、実に内容が豊かで、髭で覆われた哲学者(ザックスみたい)のような風貌も切実に思えた。」

ずいぶんと偉そうなことを書いていて恥ずかしいが、グールドは知的な歌手で、その大柄な姿とは裏腹に考え抜かれた歌唱で、役柄に応じた役作りに徹し、ジークフリートの明るさと力強さ、トリスタンの悲劇性もともにスタイリッシュに歌い分けることができた。
影のない女やアリアドネも舞台が引き締まる存在だった。
近時の最高傑作は、クラッツァー演出のバイロイト・タンホイザー。
これほどまでに演出の意図を体現した演技と歌唱はあるまいと思わせ、味わい深さもあるタンホイザーだった。

自由に行動することを夢見たタンホイザーが、エリーザベトと夢を追う旅に出る。
そんなエンディングにおけるグールド。

Tannhueser

祝福された平安の中に・・・・・、タンホイザーの最後のシーン。

   ーーーーーーーーーーーーー

ロバート・ヘイルさん、ステファン・グールドさん、ともにワーグナーの音楽を聴く喜びを与えてくださいました。

その魂が安らかなりますこと、お祈り申し上げます。

追)7月にはドイツのヘルデンテノール、ライナー・ゴール土ベルクも亡くなっておりました。
84歳になる直前だったとのこと。
80年代、東側から忽然と登場した歌手で、ショルティのバイロイトリングでジークフリート起用が予定されながらキャンセル。
レヴァインのリングでレコーディングは残されましたね。
わたしは、スウィトナーのマイスタージンガーで実演に接しております。
ドイツの往年の歌手といったイメージで、やや硬い声でしたが、当時貴重な存在として各劇場で大活躍。

まいどのことですが、歌手の訃報は悲しく、寂しいものです・・・

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