デイヴィス ベートーヴェン全集
短い秋でしたが、花々はありがたく四季を保って咲きました。
手水舎に手向けられたとりどりの菊の花が美しかった。
比較的、温暖の地にいるものだから、ちょっと走ると日当たりのいい斜面には、みかん畑があり、いま最盛期を迎えてます。
このグリーンとオレンジの色の電車がかつての湘南電車のカラー。
大洋ホエールズのユニフォームもかつてはこのカラーリングだった。
コリン・デイヴィスの「Beethoven Odyssey」、12枚のCDを毎日順番に聴きました。
ベートーヴェン 交響曲第1番 (1975.12)
交響曲第2番 (1975.12)
交響曲第3番「英雄」(1970.9)
交響曲第4番 (1975.2)
交響曲第5番 (1972.12)
交響曲第6番「田園」 (1974.12)
交響曲第8番 (1973.3)
サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団
交響曲第7番 (1976.4)
サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
交響曲第9番 (1985.7)
S:ヘレン・ドナート Ms:トゥルーデリーゼ・シュミット
T:クラウス・ケーニヒ Nr:サイモン・エステス
サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団
交響曲第6番「田園」(1962..4)
「プロメテウスの創造物」序曲 (1962.4)
「レオノーレ」序曲第2番 (1962.4)
「レオノーレ」序曲第3番 (1976.4)
サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団
「エグモント」序曲 (1974.12)
「コリオラン」序曲 (1970.9)
「レオノーレ」序曲第1番 (1970.9)
サー・コリン・デイヴィス指揮 BBC交響楽団
コリン・デイヴィス(1927~2013)のベートーヴェンといえば、ドレスデンとの90年代初頭の交響曲全集があり、世評が高いが、私はそちらはまだ聴いたことがありません。
そのまえに、ロンドンでの選集をなんとかして聴きたかった。
4・8番のみ持っていたが、バイエルンとの第9と併せて、これまで未CD化だったものがすべてまとめられ、さらにはスティーブン・ビショップとのピアノ協奏曲全集も一括して収められた。
レコ芸の熱心な愛読者だった若い頃、デイヴィスが70年代半ば頃から力をつけ、評論でも次々に高評価を得るようになりました。
それらのきっかけは、ボストンとのシベリウス、コンセルトヘボウとのストラヴィンスキー、そしてBBCとのベートーヴェンだったと思う。
そのとき以来、ずっと気になっていたデイヴィスのベートーヴェン、レコード発売を見守って以来45年ぶりに、それこそ番号順に1日ずつ楽しみながら聴き、毎晩至福の時を過ごした。
総じていうと、ベーレーンライター版や古楽的なアプローチとは無縁の70年代当時の、極めて堂々たる正統派ベートーヴェン。
いまや、これが新鮮に聴こえるといういまの時代を生きている自分。
当時の黄ばんでしまったレコ芸を眺めつつも、眼前で鳴っているベートーヴェンは、デイヴィスならではの、ベルリオーズで聴かせてくれたような情熱と知性のバランスのとれた極めて高水準の演奏ばかり。
1967~71年まで首席指揮者だったBBC交響楽団とは長い関係をずっと続けけれど、アンサンブルの整然とした正確さと音色の渋さなど、より上質なロンドン交響楽団と同じぐらいの実力を感じさせる。
「BBC響のベートーヴェン?」と思う方は、だまされたと思って聴いてみて欲しい。
75年にブーレーズとグローヴズに率いられて日本にやってきたとき、NHKFMでそのほとんどを聴くことができたが、そのプログラムの多彩さはいま見ても新鮮だ。
ロンドン響も含めて、そんなフレキシブルなオーケストラのベートーヴェン。
1番はすっきりと、古典の残滓残るなかにも、キリっとした厳しさもある。
2番は、その2楽章の美しさが引立ち、リズム感も抜群で、おおらかさもある。
素晴らしかったのが3番で、目だったことはしていないが、正攻法の真っ直ぐな演奏でひとつもブレのないところは清々しく感動的でもあった。
以前にも記事にしたことのある4番は、堂々たるその導入部が、3番のあとにある立派な存在だということを意識させてくれる。
転じて5番の剛毅さはデイヴィスらしい重心の低さもあって活力みなぎる演奏で爽快。
ゆったりとした6番は、管楽器のうまさ、音色の良さも堪能でき、美しく清々しい演奏だ。
イギリスの田園風景をこの演奏でもって感じるというのも一興だ。
62年録音の旧盤は、録音が丸っこく感じるが、こちらも雰囲気ある演奏。
デイヴィスは田園がお好きだったようで、晩年にもLSOとプロムスで演奏してました。
そのLSOとの7番は、リズムのよさと、これまたデイヴィスらしい粘りの良さも加味され、克明であるとともに強靭な演奏となった。
転じて小気味よさの引立つ8番、内声部を強調したりして、あれっ?と思わせ、次の第9も感じさせる場面も初めて気が付いた。
2008年に記事にしていたバイエルンとの第9。
今回も感じた3楽章以降のテンポアップ。
でもロンドンのオケのあとに聴くと、不思議とミュンヘンのオケの方が音色が明るく感じてしまう。
1.2楽章がデイヴィスらしい粘りの聴いた名演。
終楽章は歌手のバランスがよろしくなく、エステスの声がワーグナーで聴きすぎたか、オランダ人に聴こえてしまった。
レオノーレ3曲も含め、主要な序曲がすべて聴ける。
これらも誠実かつ熱意あふれる桂演で、のちのバイエルンでの再録音も聴いてみたいと思わせる。
交響曲のなかで、気に入ったのは、3番、5番、6番です。
70年代のイギリスのオーケストラは、録音の面からいくと、シンフォニーに協奏曲に、オペラにとおおいに重宝され、なんでも屋さんみたいな色のないイメージを与えてしまうことが多かった。
極めて思い切り大雑把にとらえれば、アングロサクソンのイギリス人は、ドイツ人と同根で、ユトレヒト・オランダもそれに近い民族といえる。
イギリスのオーケストラのフレキシビリティの高さは、まさに英国人であるからが故だと思います。
歴史的に大国として、悪しき評価も残ることをたくさんしてきましたが、文明国として先端を走り、音楽においては輸入大国だった。
そんななかで、楚々としつつも輝いていた英国音楽がわたしはずっと好きなのであります。
そして、オーケストラも指揮者も英国は多彩で柔軟な存在なのです。
故人となったコリン・デイヴィスをとてもよく聴くようになった。
モーツァルトもベルリオーズも、そしてここで聴くベートーヴェンも、みんな誠実な演奏であり、その音楽は堅固で揺るぎない。
硬派で揺るぎない音楽造りだけれど、歌に対する思い入れは強く、声楽作品では流麗で思わぬ透明感もかもしだす。
このセットで聴いた、ミサ・サレムニスは丁寧な仕上げで、極めて美しい演奏だった。
最後は思わず涙ぐんでしまった。
かつては、スティーブン・ビショップ、いまはスティーブン・コヴァセヴィチの若き日のピアノ協奏曲全集。
こちらも端正で、リリシズムあふれる流麗な演奏で、デイヴィスの寄り添うような優しいオケもすてきなものだ。
いつか5曲をレビューしたい。
まさに、コンセルトヘボウとにっこりしたくなるグリュミオーとのヴァイオリン協奏曲。
シェリングとハイティンク盤との聴き比べも楽しい、極めて美しき演奏。
1か月にわたって、全部を楽しみながら聴いたデイヴィスのベートーヴェン。
終わってしまってちょっと寂しい。
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