« ワーグナー ワルキューレ1幕後半 ベルリンフィルで聴く | トップページ | アバドが指揮しなかった作品たち »

2024年1月20日 (土)

ヴェルディ シモン・ボッカネグラ アバド没後10年

03_20240116221501

わたしの育った街の海の夕暮れ。

そして40年数年を経ていま、帰ってきました。

妻子は自分の家のある隣県におりますが、年老いた親と暮らすことにしたわけです。

もうじき2年が経ちますが、この海を見て、そして小さな山に登るにつけ、帰ってきてよかったと思います。

02_20240116221501

はるかに見渡す箱根と伊豆の山々。

子供のときからずっと見てきた景色を、歳を重ねてみるという喜び。

海を愛し、日没を愛す自分。

そんな自分が高校時代、イタリアオペラ団の公演に接し、ほかのヴェルディのオペラに勝ると劣らないくらいに好きになったのが「シモン・ボッカネグラ」

海に生き、運命に翻弄されつつも、最後は愛する人々に囲まれた、そんな男のオペラ。

このオペラをこよなく愛し好んだアバド。

ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」ほど、アバドが愛したオペラはなかったといえるでしょう。

アバドが旅立って10年です。

Simon_abbado1_20240120100101

ジョルジョ・ストレーレルの演出、エツィオ・フリジェリオの舞台美術、衣装。
シモン・ボッカネグラの名演出をともなったアバドのスカラ座時代の金字塔。
ジャケットもオペラ部門、ジャケット大賞を自分では差し上げたいくらいの名品。

スカラ座:1971年以来、1982年まで、歌手はカプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とともにずっと上演されたプロダクション。

パリ・オペラ座1978年 お馴染みの演出と3人とでパリに客演、DVDありますね(ブルーレイ化希望!)

ウィーン国立歌劇場:1984年~1990年まで、ストレーレル演出をウィーンに持ってきて何回も上演
ブルソン、ライモンディ、リッチャレッリに歌手はかわり、のちにヌッチ、トコディ、デッシー、フルラネットなども参加

ベルリンフィル:1999年に演奏会形式、2000年にザルツブルク祝祭音楽祭でフィレンツェとの共同制作で上演
チェルノフ、コンスタンティノフ、プロキナ、グエルフィ、マッティラと歌手は顔ぶれ刷新、演出はペーター・シュタイン。

フェラーラほか、マーラー・チェンバー:2001年5月、驚きのマーラー・チェンバー起用、パルマ、ボルツァーノでも上演。
チェルノフ、コンスタンティノフ、ミシェリアコワ、スコーラ、ガロ
演出はシュタインのアシスタントだったマルデゲム。

フィレンツェ:2002年、ザルツブルクのプロダクションで、唯一のフィレンツェのピット。

このように、ベルリンフィルを勇退してルツェルンと若者との共演にシフトするまで、30年間、オペラを手掛けた間はずっとシモンを指揮し続けたことになります。
幸いなことに、いずれの「アバドのシモン」は何らかの形で聴くことができます。
つごう5種の音源・映像を保有してます。
しかしながら、痛恨なことに、日本公演のNHK放送は、放送日に観劇していたのでエアチェックが出来なかったで、わたしのライブラリにはその演奏がないのです。
でもね、いまでも脳裏にあのときの舞台とオーケストラと歌手の音は刻み込まれていて、思い起こすともできるからいいのです。

Simon-02_20240120210701

暗い画像ですが、こちらは第1幕の後半、誘拐されたアメーリアの犯人に対し、シモンが腹心であったパオロに真犯人に呪いをかけよと命じるシーンで、恐怖に顔を歪ませ、周囲からひとり浮かび上がってしまう。
カプッチッルリのパオロに迫る迫真の歌と演技、そのあとの名パオロといっていいスキアーヴィが全身を硬直させ、その彼にスポットライトが当たり、振りおろしたアバドの指揮棒が停止、そして音楽も舞台も一瞬で止まった!!
舞台を見ていた私は、凍り付くほどのサスペンスとその完璧さに畏怖すら覚えた。

シモン・ボッカネグラは1857年に作曲されるが初演は失敗、時期的にはシチリアの晩鐘と仮面舞踏会の間ぐらい。
すでに朋友となっていたボイートによって台本の改訂を行い、改訂版が出来上がったのが1881年で、アイーダとドン・カルロの間にあたる最高期の時期。
大きな違いは、主人公のシモンに加えて、同じバリトンでも暗めの音色を要求される悪役パオロの重要性を高め、バスのフィエスコとともに、渋い低音男声3人による心理ドラマの様相を濃くしたことだ。
このあたりが、このシモンという作品が当初、大衆受けがしなかった要因で、加えて華やかなアリア的なものが少ないことも大きい。

アバドが当初よりこのオペラにこだわりをみせたのは、やはり人間ドラマを内包するヴェルディならでは渋い音楽造りに着目したからだろう。
スカラ座公演のパンフレットには、アバドが自ら解説を書いており、イヤーゴのような存在のパオロと、政治的な利害関係と個人の関係が生むドラマの対照などに言及している。
 さらに音楽のすごさとして、シモン役の最大の聴かせどころ、貴族派と市民派との衝突の危機に「市民よ、貴族よ・・・」と人々を静め、「わたしは叫びたい、平和を」と繰り返し熱く歌うシーンを細かに分析し、ヴェルディの描いたもっとも素晴らしく厳粛な場面と評価している。
あと先にあげた誘拐犯パオロに迫るシモンのレシタティーヴォ、そのオーケストレーションの巧みさにも言及。

アバドのシモンへのこだわりは、もっともっとある、そんな耳で感心しながら、これまで何度も繰り返し聴いてきました。
だから「シモン・ボッカネグラ」というオペラは、わたしにはアバド以外はダメなのです。
あとついでに、カプッチッルリ、ギャウロウ、フレーニの3人とリッチャレッリ以外は同様なんです。
ほかの演奏は避けてきたし、舞台もきっと観ることはないでしょう。

Simon-03_20240120220301

カプッチッルリとギャウロウ、このふたりがあってこそ、アバドのシモンがあり、シモンの復興もあった。
1976年のNHKイタリアオペラでもこのふたり。
アメーリアはリッチャレッリった。
高校生だった私は巨大なNHKホールで夢中になって観劇しました。
もうひとつ、カバリエ、コソット、カレーラスのアドリアーナ・ルクヴルールも。
どちらのオペラも録音して何度も聴きまくり、すみからすみまで覚えてしまい、へたすりゃ歌えるくらいになりました。
このふたり、かっこよかった。
プロローグでフィエスコが歌うモノローグで、ギャウロウの最低音が渋くも神々しく見事に決まり、すがりつくシモンを振り切るようにマントをひるがえしました。
そのマントの音がバサリと聴こえて、その音すらまざまざと覚えてます。

そうして暖めつくしたシモンへの思いが、スカラ座来日での「アバドのシモン」の名舞台につながりました。

①1972年 スカラ座

Simon-abbado-1972-a

  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ジャンニ・ライモンディ
  パオロ:ジャン・フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:ジャンフランコ・マンガノッティ            
  腰元:ミレナ・パウリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1972.1.8 @スカラ座)

前月の12月にプリミエのアバド初のシモンの貴重な記録。
放送音源が元のようで、当然にモノラルですが、音はよろしくはなくダンゴ状態だが、視聴には充分耐えうるもの。
この頃のアバドの劇場での指揮の常として、自ら興奮に飲み込まれるようにテンポも突っ走ってアゲアゲな場面があり、当然に聴衆の興奮ぶいもうかがえる。
プロローグのエンディングの盛り上げもすさまじい、
3人の歌手といつもパオロ役で貢献しているスキアーヴィもよいが、ここではライモンディの明るく、豊かなカンタービレを聴かせるガブリエーレが素敵なものだ。
この音源、放送局にちゃんとしたものがないだろうか。。。

②1977年 スカラ座DG録音

Simon_abbado2

  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ホセ・カレーラス
  パオロ:ホセ・ファン・ダム    
  ピエトロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:アントニーノ・サヴァスターノ           
  腰元:マリア・ファウスタ・ガラミーニ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1977.1  @CTCスタジオ  ミラノ )

もういうことなしの名盤。
先にマクベスがアカデミー賞を受賞してしまったので、こちらは無冠となりましたが、総合的な出来栄えでは、こちらのシモンの方が上。
正規録音で慎重なリハーサルを重ねた結果の完璧なできばえで、もちろん、毎年のように同じメンバーで作り上げてきた作品への同じ共感度がすべてにわたって貫かれている。
ここでレコーデイングゆえに登場した新参として、カレーラスとファン・ダムがいて、彼らはスカラ座でのシモンにはまったく登場していないメンバー。
このふたりが、こんかいアバドの一連のシモンを聴いて、ちょっと立派すぎて浮いているように感じたのは贅沢な思いだろうか。
ルケッティとスキアーヴィでよかったんじゃ・・・・
  ライブにあった突っ走り感は、ここではまったくなく、ヴェルディの音楽の核心を突く表現にすみずみまで貫かれている。
合唱の素晴らしさも、ガンドルフィ率いるスカラ座コーラスならでは。
あとさらに誉めれば、DGの録音も素晴らしく、アナログの最盛期のよさが出ていて、このあとの仮面舞踏会、アイーダでの録音よりずっといいと思う。


③1981年 スカラ座 日本公演


La-scala_20240119210401

  シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ 
  フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ

  アメリア:ミレルラ・フレーニ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:アルフレード・ジャコモッティ
  隊長:エツィオ・ディ・チェーザレ            
  腰元:ネルラ・ヴェーリ


 クラウディオ・アバド指揮 スカラ座管弦楽団/合唱団

       (1981.9.10 @東京文化会館)


ファンになって10年、やっとアバドに出会えるとワクワク感と緊張感で待ちわびた公演だった。
文化会館のピットに颯爽と登場し、目を見開いて聴衆にサッと一礼し、指揮を始めるアバドの姿。
非常灯もすべて落として、真っ暗ななかに、オケピットの明かりだけ。
装飾を施した文化会館の壁に、浮かび上がるアバドの指揮する影。
いまでも覚えているその残像。
憧れのアバドの姿を見ながら、スカラ座のオケが紡ぎだす前奏を聴いてその桁違いの音色に驚いた。
5年前のイタリアオペラ団のシモンが耳タコだったので、N響とスカラ座オケとの月とすっぽんの違いにです。
深くて、明るくて、すべての音に歌があふれている、それを最初の前奏でまざまざと見せつけられた。
シモンが愛した、アドリア海の青色をオケが表出していたのでした・・・・

この公公演は「シモン」というオペラの素晴らしさとともに、アバドのオペラ指揮者としての凄さに感じ入り、生涯忘れえぬ思い出となりました。
以下は過去記事の再掲~

「舞台も、歌手も、合唱も、そしてオーケストラも、アバドの指揮棒一本に完璧に統率されていて、アバドがその棒を振りおろし、そして止めると、すべてがピタッと決まる。背筋が寒くなるほどの、完璧な一体感。」

当時に書いていた日記~

「これは、ほんとうに素晴らしかった。鳥肌が立つほどに感動し、涙が出るばかりだった。
なんといっても、オーケストラのすばらしさ。ヴェルディそのもの、もう何もいうことはない。
あんな素晴らしいオーケストラを、僕は聴いたことがない。
そして、アバドの絶妙な指揮ぶり。舞台もさることながら、僕はアバドの指揮の方にも目を奪われることが多かった・・・・・。」

バリトンとソプラノの二重唱を愛したヴェルディの素晴らしい音楽は、父と娘とわかったときの感動シーンに凝縮されていて、そのピークをアバドは最高の情熱を降り注いで、このときの公演では、ワーグナーを聴くような陶酔感を味わいました。
そしてシモンとフィエスコの憎しみが友愛に変る邂逅のシーンも涙が出るほどに切なく感動的で、カプッチッルリとギャウロウの名唱・名演技に酔いしれた。

Simon-01_20240120220001

娘夫妻に抱えられ、最後のときを迎えるシモン。
泣けました・・・・

こんなチラシが配布され、ピアニシモで終わる特異なオペラをしっかり味わってほしいという、アバドと主催者の思いを感じました。

Simon-05

いまならアナウンスはしても、ここまではやりませんね。

これまでの音楽体験のベストワンが、私にはこのシモン・ボッカネグラです。

ちなみにベスト3は、あとは「ベルリン・ドイツ・オペラのリング」と「アバドとルツェルンのマーラー6番」であります。

④1984年 ウィーン国立歌劇場

Simon-abbado-1984-a

  シモン・ボッカネグラ:レナート・ブルソン 
  フィエスコ:ルッジェーロ・ライモンディ

  アメリア:カティア・リッチャレッリ      
  ガブリエーレ:ヴェリアーノ・ルケッティ
  パオロ:フェリーチェ・スキアーヴィ    
  ピエトロ:コンスタンチン・シフリス
  隊長:エヴァルト・アイヒベルガー            
  腰元:アンナ・ゴンダ


 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団

       (1984.3.22 @ウィーン国立歌劇場)

スカラ座からウィーンへ。
アバドはオペラの拠点を移し、当然にシモンも同じプロダクションを持っていきました。
演奏スタイルはほぼ同じく、そしてライブゆえに燃えるようなアバドの姿もあり、プロローグのラストのアッチェランドには興奮します。
同じオペラのオーケストラでありながらウィーンのヴェルディでは、ちょっと趣きが違うようにも感じます。
色香がちょっと異なるんです。少しはみ出るような味わいというか、甘味さというか、なんとも表現しにくい雰囲気です。
この音源がちゃんとした音で残されたのも幸いなことです。

歌手はいつもの3人がまったく刷新され、印象はまるで異なります。
唯一のお馴染みは、わたしにはリッチャレッリとルケッティ、スキアーヴィの3人。
ライモンディは美声ではあるが、ギャウロウのような光沢と渋さがなく、ブルソンは滑らかな優しい美声ではあるが、厳しさが不足。
贅沢なこと言っちゃうのも、あの3人がすばらし過ぎたから・・・・

⑤2000年 ザルツブルク復活祭音楽祭

      シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ
  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ロベルト・アラーニャ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:ファビオ・サルトリ            
  腰元:クレア・マッカルディン

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
              ヨーロッパ祝祭合唱団

       (2000.4.15 @ザルツブルク)

ウィーンからベルリンへ、アバドのオペラの指揮は、カラヤンと同じくザルツブルクのイースター音楽祭に絞られ、やはり得意のシモンを取り上げることとなりました。
多忙を極めながら病におかされつつあった時期のものです。
さすがはベルリンフィル、完璧なオーケストラサウンドを聴かせますが、その基調は明るい音色で軽めです。
アバドも自在な指揮ぶりと感じさせますが、父娘の二重唱の高揚感では、あれっ?と、一瞬思うくらいに流れてしまう。
ザルツブルクの上演の前、1999年にベルリンで演奏会形式で演奏して挑んだこの公演、ウィーンでのシモン以来アバドは10年ぶり。
そんな新鮮さと、すみずみまで知り尽くした指揮者の力を感じますが、このコンビならもっとできたはずと思わせる場所も、書いた通りあります。
グエルフィ、コンスタンティノフ、マッティラの新しい3人に刷新。
いずれもかつての3人の比ではないですが、時代の流れなのか、スマートな知的な歌唱で、聴く分にはまったく問題ない。
スキアーヴィにかわる名パオロの誕生となった、ガッロがすばらしいと思う!
フィガロ役から、こうしたアクの強い役まで歌うガッロ。
新国で、イヤーゴ、ジャック・ランスなどを観劇してます。

⑥2002年 フィレンツェ歌劇場

Simon-abbado-2002-a

  シモン・ボッカネグラ:カルロ・グエルフィ 
  フィエスコ:ジュリアン・コンスタンティノフ

  アメリア:カリタ・マッティラ      
  ガブリエーレ:ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ
  パオロ:ルーチョ・ガッロ    
  ピエトロ:アンドレア・コンチェッティ
  隊長:エンリーコ・コッスッタ            
  腰元:カーティア・ペッレグリーノ


 クラウディオ・アバド指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団/合唱団

       (2002.6.19 @フィレンツェ歌劇場)


映像でのアバドのシモンは、痩せてしまったがアバドの指揮姿がとても元気そうで貴重な記録となりました。
フィレンツェの聴衆からも絶大な人気と大きな喝采を浴びてまして、うれしくなります。
他流試合ではあるものの、さすがは作品を知り抜いたアバドで、アバド最後のシモンは、総決算的な出来栄えともいえます。
映像だと、どうしても舞台があり、演出があり、歌手がありで、そこに耳目が向いてしまう。
じっくり聴きたいから、一度、音源としてリニューアル化して欲しいと思いますね。
スカラ座時代にあったアバドの若さは、一同の尊厳を一気に集める高尚なる指揮ぶりとなっていて、適度に力も抜けていて、透明感すらただよいますので。。

ペーター・シュタインの演出は、いまウィーンなどでも上演されているものの原型。
スタイリッシュなもので、ストレーレルのような具象性も時代考証に応じた重厚感もなく、軽め。
古臭いことをいいますが、やはりあの舞台、またはイタリアオペラ団の古風な舞台を見てしまった自分にはなじめません。
でも群衆の動かし方や、ラストシーンの荘厳さは感動的で、最後にピット内の動きを止め、指揮棒をそっと置くアバドの姿が映されファンとしてはうれしいものです。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アバドのシモンは、スカラ座にはじまり、ウィーン、ベルリンを経て、最後はイタリアに戻りました。
2002年のフィレンツェは、ザルツブルクとの共同制作でもあり、アバドとしてはいろいろと制約もあったかもしれない。
その前の2001年のフェラーラでの上演は、演出もシュタインでなく、アシスタントだったマルデゲムの演出はよりシンプルなもののようだった。
小ぶりな劇場で、親密な仲間である若いオケとやりたかったでしょうか。

そのときの映像を発見したので貼っておきます。



                                                   (2001年 フェラーラ)

2000年の11月と12月、病から復活を遂げた日本公演のあと、ベートーヴェンの交響曲、ファルスタッフ、マーラー7番などを精力的に指揮しつづけ、ファラーラでシモン。
アバドのヴェルデイの総決算が、シモンとファルスタッフだったこともとても意味深く思います。

アバドのシモンの最初の仲間たちは、リッチャレッリを除けば、みんな旅立ってしまいました。
10年前に悲しみを持って追悼に聴いたシモン。
10年後のいまは、ひとつの作品を突き詰めるアバドの偉大さと凄さに、思いをあらためております。
そして、自分もいい時代を生きて、最高の舞台経験が出来たことに感謝をしております。

Simon-04_20240120224701

スカラ座のシモンのラストシーン・・・・
泣けます。

アバドが愛し、突き詰めつくしたオペラが「シモン・ボッカネグラ」で、あとは「ヴォツェック」と「ボリス・ゴドゥノフ」だったと思います。

アバドの命日の記事

2023年「チャイコフスキー 悲愴」

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

|

« ワーグナー ワルキューレ1幕後半 ベルリンフィルで聴く | トップページ | アバドが指揮しなかった作品たち »

コメント

実演体験はムーティ=ローマ歌劇場と先だっての大野=新国だけです(当然アバドのDGGとフィレンツェの映像は持っていますが)。
ムーティの公演、大野の新国なんて目じゃないと思いましたが、それより高く評価されているアバド=ストレーレル演出のスカラ座公演を実際体験されたyokochan様は幸せです。羨望!

投稿: IANIS | 2024年1月23日 (火) 12時04分

シモンの日本での上演は、あんがいたくさんやってますね。
ことごとく、極力眼中にいれないようにして数十年を過ごしてきました。
忘れえぬ体験をしてしまうと、そうなってしまう悲しいサガとでもいいましょうか・・・・

投稿: yokochan | 2024年1月30日 (火) 09時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ワーグナー ワルキューレ1幕後半 ベルリンフィルで聴く | トップページ | アバドが指揮しなかった作品たち »