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2024年2月24日 (土)

神奈川フィルハーモニー第392回定期演奏会 沼尻竜典指揮

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横浜みなとみらいの夜景。

この写真を撮るのも久しぶり。

目を凝らしてみると、かつてはなかったロープウェイも見えます。

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桜木町から、ランドマークタワーを抜けてのホールへのアプローチも久しぶりで、途中、神奈川フィルのポスターもあり、ますます期待が高まります。

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  グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調

    ピアノ・ニュウニュウ

  マーラー 交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」

 沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          コンサートマスター:大江 馨

        (2024.2.17 @みなとみらいホール)

マーラー7番だけで80分、これ一曲でも一夜のコンサートとなる。
1曲目にグリーグの協奏曲が演奏されるという極めて贅沢な美味しいプログラムでした。
プレトークでは、沼尻さんは、亡き小澤さんの思い出をお話しされ、またマーラーでの小澤さんのエピソードなども。

グリーグの協奏曲、はっきり言って、シューマンと並んで大好きです。
でも苦言を言わせていただければ、メインのマーラーとの兼合いでいけば、シューマンか、またはピアニストの徳性からいってリストでもよかったかな。
または、ラフマニノフでやってなかった1番とか・・・

自然を賛美、祖国の自然を歌いこんだグリーグの愛らしい協奏曲と、個人の感情の世界とドイツの自然と人間愛にどっぷり浸かったマーラー、この相いれないふたつの世界を一度にして味わえるという、これまた類まれなるプログラムなのでありました。

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幼い頃のニュウニュウ君の画像でしか認識のなかったが、ホールに颯爽と登場したニュー・ニュウニュウ君は、見事に背が高く、見栄えも抜群の今風の青年になってました。
自信にあふれた物腰は、かの国の芸術家に共通する物腰で、ひとたび鍵盤に向かうと没頭感あふれる演奏を披歴してくれます。
両端楽章でのダイナミックなか所では、文字通りバリバリと弾きまくり見ても聞いても快感呼ぶ演奏。
また、没頭の雰囲気は、音楽にすっかり入り込んで、フレーズのあと弾いた手と腕がそのまま宙を舞うような仕草をするし、へたすりゃ指揮までし兼ねないくらいに入り込んでる。
慎ましい日本人演奏家では絶対に見られないニュウニュウ君のお姿に、やはりかの国のピアニストを思ってしまった。
でも若いながらに、2楽章の抒情の輝きは見事でした。
ことにこの楽章での神奈川フィルの音色の美しさは、コンマスに組長なくとも、オケの特性として、みなとみらいホールの響きと同質化して、ずっと変わらぬものとして味わうことができましたね。

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超大編成の80分が後半戦という、演奏のみなさんも、聴くこちらも、体力と集中力を試されるかのようなプログラム。

この日の満席の聴衆は、その集中力を緊張感とともに途切らすことなく聴きとおしたのだ。
オーケストラと聴き手の幸せな一体感は、かつてずっと聴いてきた神奈川フィルの演奏会、そしてみなとみらいホールの雰囲気ならではとも、久方ぶりに参加した自分にとって懐かしいものでもありました。
音楽に没頭させる、夢中にさせてしまう、マーラーの音楽がこれほどまでに、現代を生きる私たちにとって身近で大切なものになったとも感じました。

かつて、2011年、震災間もない4月に、マーラーチクルスをやっていた神奈川フィル、聖響さんの指揮で聴きました。
そのときは、若々しく素直な演奏で、横へ横へと流れるような流動的な棒さばきでありながら、時期が時期だけに、没頭的でなく、どこか遠くで醒めた目でマーラーを眺めたような感じだった。

そのときの流動的なマーラーとまったく違う、輪郭のはっきりとした明確かつ着実な足取りを感じさせた演奏が、今回の沼尻さんのマーラーだった。
数年前に聴いた、ノットと東響の演奏が、まさになにが起こるかわからない緊張感とライブ感にあふれた万華鏡のようなマーラーともまったく違う。
オペラ指揮に長けた沼尻さんならでは、全体の見通しのなかに、5つの楽章の特徴を鮮やかに描きわけ、最後の明るいエンディングですべてを解き放ってしまうような解放感を与えてくれた。
きっちりと振り分ける指揮姿も、後ろからみていて安心感もあり、オケへの指示も、さすがのオペラ指揮者を思わせる的確・明快な雰囲気でした。

テナーホルンの朗々たる響きで見事に決まった1楽章は、そのあとのゾクゾクするような7番の交響曲の一番カッコいいスタートシーンで、もうワタクシはこの演奏に夢中になりましたよ。
抒情的な第2主題では神奈フィルストリングスの美しさも堪能。
この主題と元気な第1主題とがからみあう、めくるめくような展開に、楽員さんみなさんをきょろきょろみながらチョー楽しい気分の私。

坂東さんの見事なホルンで始まる2楽章、コル・レーニョあり、カウベルあり、ティンパニの合いの手あり、哀愁と悲哀、そしてドイツの森の怪しさもあり、いろんなものが顔を出してはひっこむこの夜曲、楽しく拝聴し、オケがいろんなことやるのを見るのも楽しかったし。

7番で一番苦手な、影の存在3楽章。
音源だけだと、いつも捉えどころなく出ては消えで、いつの間にか終わってしまう楽章だけれど、視覚を伴いコンサートだと、楽しさも倍増。
弦の皆さんは、いろんな奏法を要求されるし、ほんと大変だな、マーラーさんも罪なお人だな、とか思いながら鑑賞。
ボヘミヤやドイツの森は、こんな風に深く怪しいのかなと思わせる演奏。

大好きな4楽章の夜曲。
以前から書いてますが、若い頃、明日からのブルーマンデーに備えて、日曜のアンニュイな気分を紛らわせるために、寝る前のナイトキャップとマーラー7番4楽章が定番だった。
望郷の思いと懐かしさ感じるこの楽章、ちょっとゾッとするような怪しい顔もかいまみせるが、そのあたりをムーディに聴かせるのでなく、リアルに、克明に聴かせてくれたこの日の演奏だった、
大江コンマスも素敵だったし、親子でマンドリンとギターで参加の青山さん、お二人の息のあった演奏もこの楽章の緩やかさを引き立ててました。
2011年も、お父さんの登場だったかな・・・?

急転直下の楽天的な5楽章。
ガンガン行くし、もう楽しい~って気分がいやでも盛り上がるし、よく言うワーグナーのマイスタージンガーの晴れやかさすら感じましたよ。
ハ調はやっぱり気分がいいねぇ~
なんども変転し繰り返される主題に、いろんな楽器がまとわりつく様は、下手な指揮とオケだときっとぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
ここでも沼尻さんの打点の明快な指揮が、聴き手にも、それ以上に安心感を抱けるものです。
しかし、この楽章だけでも、泣いたり笑ったり、怒ったりしたような様々な表情をするマーラーの音楽は、ほんとうに面白い。
エンディングに向かうにつれ、わくわくドキドキが止まらなくなり、オケの皆さんを眩しい思いで拝見。
そして来ましたよ、すべてを吹き飛ばすような晴れやかなエンディングが、ジャーンと見事に決まりましたよ!
ブラボー攻撃に、わたしくも一声参加させていただきましたよ。

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終演後は、早めに帰らなくてはならなかったので、勝手に応援団の懐かしい仲間との大反省会には参加せず、遠来の音楽仲間の友人と桜木町駅近でサクっと1杯。
マーラー7番が大好きな方と、マニアックな話しをしつつ楽しい時間を過ごしました。
そのとき、お話しが出たのは、神奈川フィル聴衆も指揮者へのカーテンコールをしたらどうか、ということ。
たしかに、東響ではノット監督ばかりでなく、来演の指揮者に対してもとてもよかったときは、指揮者を呼び出すような熱心な拍手が継続しますね。
この日も、もっと頑張って粘りの拍手をすればよかったww

「何でもアリ」のマーラーの音楽が、いまこうして完全に受入れられる世の中になった。
やがて私の時代が来ると予見したマーラーさん。
人同士がリアルに交わらなくなくても生きていけるようになってしまった現代社会。
それでいいのだろうかと自問せざるを得ないが、その現代人にマーラーの音楽は、自己耽溺的に響くとともに、人間の姿と自然のあり様を見るのだろうか。

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