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2024年3月

2024年3月31日 (日)

バッハ マタイ受難曲 ヨッフム指揮

Nakai-1

いま咲き始めたソメイヨシノではなく、こちらは少し前の河津桜。

富士の見える丘があるのは、今いる町の隣の町です。

丹沢山脈と大山も大きくみえるステキな場所。

どんなこと、いろんな辛いことがあっても季節は巡ってくる。

春がやってきて、宗教に関係はなくとも、復活祭の日が来ると聴きたくなる音楽。

Matthaus-jochum

  バッハ マタイ受難曲 BWV244

       福音史家:エルンスト・ヘフリガー 
   イエス:ワルター・ベリー
   ペテロ:レオ・ケテラース

   アルト:マルガ・ヘフゲン  
   ソプラノ:アグネス・ギーベル
   テノール:ヨン・ファン・ケステレン  
   バス:フランツ・クラス
  
  オイゲン・ヨッフム指揮 
    アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
    オランダ放送合唱団
    アムステルダム聖ウィリブロード教会少年合唱隊

        (1965.11 @コンセルトヘボウ アムステルダム)

わたしのような世代にとって、マタイ受難曲はかなり特別な存在であり、カール・リヒターの演奏こそが絶対的な存在でありました。

音楽聴き始めの少年にとって、レコ芸のみが音楽知識と情報の根源だったので、評論家諸氏が、「マタイ」という音楽の素晴らしさを連呼し、リヒターのアルフィーフ盤が基本ベースとして語られることが多かった。
当然にマタイを理解するには、東洋の中学生には無理なはなしで、その音楽のみは、リヒターのサンプラーレコードでの最終合唱の場面にみを知るという状況でした。

そんな私に、「バッハのマタイ」を知らしめたのは、ヘルムート・リリングが手兵のシュトットガルト・ゲヒンガー・カントライを率いて来日し、NHKでそのマタイが放送されたときだ。
アダルペルト・クラウスのエヴァンゲリストも鮮烈だったし、なにより聖書を読む福音史家という存在そのものが興味の大いなる対象となった。
ミッション系の学校にいたので、聖書と読み比べ、「マタイによる福音書」の受難の場を実際に読んで、バッハがどう音楽にして、共感して、そこに合唱やアリアをいかにつけていって、感動的な大きな作品をつむいでいったか、そのあたりをよく調べ、勉強もしました。

そこで初めて買ったマタイのレコードが、リヒターではなく「ヨッフムのマタイ」でした。
理由は簡単、フィリップスが宗教音楽の廉価シリーズを出しまして、このマタイは1枚1,800円の4枚組ということで手の出しやすい価格だったからなのです。
このジャケット、レンブラントの「キリストの昇架」を用いていて、オランダつながりでこの演奏にも似た落ち着きと、ほの暗さを感じる秀逸なものだった。
タワレコの復刻CDを入手したが、ここではデッカの濃青と赤のレーベル刻印があり、イメージ的にちょっと残念。

復刻されたその音は、65年という年代を感じさせる、丸っこいもこもこ感もあり、その点はレコードで聴いていた心象のそのままで、もっと刷新された音を期待したものの、でもやはり安心したというのが正直なところでした。

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メンゲルベルク以来の伝統あるコンセルトヘボウの「マタイ」

同楽団の演奏アーカイブを調べてみました。
遡ると1891年からマタイの演奏歴はありました。
作曲家だったユリウス・レントゲンからの記録、メンゲルベルクは1899年から登場し、アーベントロートなどの登場もありますが、1944年までずっと続きます。
その後は、クレンペラーをはさんで、1947年からはベイヌムとなり亡くなる58年まで。
ここでハイティンクが登場するかと思いきや、ベイヌムの追悼演奏会で、マタイの最終合唱曲とブルックナーの8番を指揮したのみでした。
こうしたアーカイブを眺めるのはほんと楽しいです。
メンゲルベルク、ベイヌムのあとを継いだのはオイゲン・ヨッフムです。
ヨッフムは、1961年から1972年まで、コンセルトヘボウのマタイの指揮者となりました。
それ以降の指揮者たちは、ライトナー、ノーベル、アーノンクール、コープマン、フェルドホーフェン、シャイー、ヘルヴェッヘ、ノリントン、I・フィッシャー、I・ボルトン、ブットと年替わりで変わってます。

かつてのようなマタイの絶対的な指揮者がコンセルトヘボウにはもういない、ということでありましょう。
この構図とまったく同じに思えたのが、「バイロイトのパルジファル」です。
クナッパーツブッシュの絶対的な存在のあと、ブーレーズと、ここでもまたヨッフムが続いたわけで、その後は演出も長く続くものはなく、指揮者もその演出によって変わるようになりました。

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ヨッフムの滋味あふれるバッハ。
ヨッフムはバッハの4つの宗教作品をすべて録音しました。
オーケストラもコンセルトハボウとバイエルンというヨッフムにもっとも親しいオケであり、かつブルックナーを指揮するときの手兵でもありました。

古楽器や現代楽器でも古楽奏法によるバッハに耳が慣れてしまった自分。
従来奏法による、フルオケによる演奏は、なんだかとても懐かしく、むかしの家のタイルの風呂にバスクリンを入れて入ったような、そんな安心感と懐かしさを感じます。
変な例えですが、むかしのお風呂はよく響く残響豊かなもので、いまのお風呂はデッドな響きだと思ってます。
子どもの頃、お湯をはらない風呂場にラジカセを持ち込んで楽しんだものです。

話しは脱線しましたが、そんな懐かしい温もりあるマタイの演奏。
リヒターのような厳しさはなく、温和な雰囲気とイエスへの愛情と穏やかな信仰心の裏付けのある誠実な演奏。
ドイツの街々には宗派は問わず、教会があり、街のいたるところに磔刑のイエスが立ったり、宗教画が掲げられたりします。
そんな日常風景が似合う、そこで聴かれているようなマタイだとも思いました。

ヨッフムの温和で、全体を包み込むような優しいタッチの音楽づくりは、健全きわまりないバッハ演奏にふさわしく、ドイツ・ヨーロッパのどこにでもある教会から派生した音楽であることを強く思わせます。

歌手の平均値が高いことも、毎年同じメンバーできっと演奏してきたルーテイン感を通り抜けた完璧な均一な色合いがあることでわかります。
なんといっても、ヘフリガー。
リヒター盤での禁欲的な存在から、少し踏み込んで、人間味を感じる豊かさと、完璧なまでのディクション。
見事の一言につきるし、過剰でない節度を保った感情表現もヨッフムの音楽姿勢によくあってます。
同じことがベリーにもいえて、歌のうまいベリーがかなり神妙に感じたりも。
ギーベル、ヘフゲンといった女声陣も慎ましくも感動的な歌唱で、泣かせます。

若き日より聴きなじんできた音楽家の重なる訃報。
自身でいえば、介護に明け暮れながらも、自宅で仕事ができることのありがたさ。
なによりも、身近なところで、人間の老いの哀しみと希望の見出し方など・・・・いろんな経験と発見がある喜び。
そんななかで聴いた、耳に馴染みある「ヨッフムのマタイ」がともかくありがたかったし、変わりなく耳に響いたことがうれしかった。

ペテロの否認のあと「Erbarme dich」をまじまじと聴く、そして涙す・・・・
ロマンティックに傾くヴァイオリンソロ、遠景のように遠くに響くオーケストラ、感情表現少なめの淡々としたヘフゲンのソロ。
いまではありえない、再現のしようもない、60年代のヨーロッパのバッハ。

世界は東西陣営の時代から、大国陣営の時代、さらにはいまや分裂・分断により多極化の時代となった。
各地で起きてる戦争行為は、同じ連中のもので、次の大戦がもはやサイレントに起きているとも思われる。
こんな世界でも、音楽はかわりなく響き、あらゆる垣根なく、世界の人間に等しく感動的に響く。
ことにバッハの音楽はそのような存在だと思いたい・・・・

Nakai

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2024年3月24日 (日)

マウリツィオ・ポリーニを偲んで

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深夜にツィッター(X)を眺めていたら愕然としました。

ポリーニの訃報。

しばらく前から体調を壊していて、コンサートもキャンセルしていたばかり、ミラノの自宅で3月23日に亡くなりました。

享年82歳。

私にとってのポリーニは、朋友アバドがあっての存在でもありましたので、とても悲しいです。
アバドが10年前に80歳で去り、ポリーニがその10年後に82歳で旅立つ・・・
ともにミラノ生まれでした。

高校時代にポリーニを知り、もう50年が経過したけれど、ポリーニは数多いピアニストのなかでずっとトップランナーだった。

リサイタルで聴くことはできなかったのですが、コンサートでは2回。
小澤さんと新日フィルに来演して、シェーンベルクの協奏曲。
アバドとルツェルンとともに、ブラームスの2番。
脳裏に焼き付くピアノに向かい、高い集中力でもって演奏するその姿。
アバドも、小澤さんも、そしてポリーニもいなくなってしまった。

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 ショパン 練習曲集 (1972)

初めて買ったポリーニのレコード。
練習曲全曲を聴いたのもこれが初めて。
ストラヴィンスキーとプロコフィエフのDGへの初録音は、ずっと後で聴くことになりますが、ここでのショパンの音楽そのもの素晴らしさにも感激。
鋼のような強靭な打鍵と鮮やかな技巧による精密かつ彫像のようなポリーニのピアノ。
連日、青白いような情熱の炎を自分的にたぎらせて聴いたことも、わが青春の思い出であります。
当時は、柔のアシュケナージ、鋼のポリーニのイメージで、人気を二分しておりました。

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   ショパン 前奏曲集 (1974)

まだまだショパン初心者だった若い頃の自分には、続々と出てくるポリーニのショパンは、その作品理解を深めるとともに、その完璧な演奏はその曲のひとつの指標となったのでした。
24の曲が全体を通してみるとしっかりとした構成感につらぬかれているし、それぞれに詩的な豊さや歌もある。
ポロネーズ集もこの頃の大切な1枚です。

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  シューマン 幻想曲 (1973)

  シューベルト さすらい人幻想曲 (1973)

ともに、それぞれのソナタ作品も収録。
ファンタジーと名をなすロマン派ならではの作品を、ポリーニは明晰に、明るい音色でもって弾き、ポリーニがイタリアの血を引くピアニストであることを認識できる。
一方で、こうした作品でも強靭な響きはポリーニならでは。
ほのかに感じる陰りも。

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  ブラームス ピアノ協奏曲第2番 (1976)

もう幸せしか感じないイタリアの陽光とウィーンの甘味さ感じる演奏。
一方で、存外に熱くもあり、気ごころしれたアバドとのコンビが、スタジオでもライブ感みなぎらせていたことがわかる。

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  バルトーク ピアノ協奏曲第2番  (1977)

ついにシカゴへ!
当時、これが出たとき、そんな風に思った。
マーラーでアバドと良好な関係をお築きあげていたシカゴの共演。
ときにオケの一員とも思われるくらいに打楽器的な様相さえ呈するすさまじいばかりのポリーニのピアノ。
このふたりの朋友の最高傑作だと思う。

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 ノーノ 力と光と波のように (1973)

ジャケットは借り物です。
レコード時代、前衛ということで、アバドが珍しくバイエルンと録音したというのに、この派手なジャケットに手がでなかった。
ノーノ、ポリーニ、アバドという3人が共感しあってのもの。
コミュニストとしてのノーノの当時の思いは、いまや化石化しているともいえるが、電子音やテープ音、トーンクラスターなども当時の前衛を今聴くのも懐かしさを感じる。
それこそ、打楽器としてのピアノは、ポリーニあってのもの。
今年1月、52年前に初演されたミラノのスカラ座で、メッツマッハーの指揮で演奏され、わたしも録音した。
おりしもそれは、ノーノの生誕100年とアバド没後10年のための演奏でした。
そのあとポリーニが逝ってしまうなんて・・・・

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            スカラ座のHPより


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  ベートヴェン 後期ピアノソナタ集 (1975~77)

若い頃にいきなり後期作品を一挙に録音。
ここでも冴えわたるポリーニの明晰極まりない音。
澄み切ったベートヴェンの後期様式に、イタリアの光が当てられたようで、そこにはまたミケランジェロの彫像のような力強さと、贅肉のとれた無駄の一切ない引き締まったイメージを感じさせる。
バックハウスのベートーヴェンばかりを聴いていた自分には、ヴェールが1枚はがされたような気がしたものだ。
協奏曲は、ベームとではなく、この頃にアバドとシカゴあたりで録音して欲しかったものだ。

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イギリスのクラシック専門チャンネルの訃報ツィート。

先月の小澤さんの訃報に続いて、こうも世界に音楽家の悲しみの知らせが駆け巡るとは・・・

ショパンコンクールで彗星のごとく現れ、その後名前を消したかのように、楽壇から姿を消したポリーニ。
その後、70年代に突如として出現して、年代的にも音楽をどんどん吸収していった自分のピアノ分野での指標となったのがポリーニ。
2000年以降はあまり聴かなくなってしまいましたが、ずっと聴いてきたポリーニのピアノ。

ポリーニの前は、私世代では、バックハウス、ケンプ、ルービンシュタイン、リヒテルなど巨匠の時代でした。
そこに出てきたのが、アルゲリッチ、アシュケナージ、バレンボイム、そしてポリーニでした。
演奏スタイルのありかた、聴き方も変化していくなかで、ポリーニは巨匠ではなく修道僧にも似た音楽の探究者だったと思います。
よりヒューマンなアルゲリッチともぜんぜん違います。

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2009年にルイージとドレスデンの演奏会の曲間に、ホールの外に深呼吸しに出たら、どうみてもポリーニさんに遭遇。
一服されてました。
ツァラトゥストラとアルペンというシュトラス大会、ポリーニさんも聴いていたんです。

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スカラ座のHPは、ポリーニの追悼と変わってました。

喝采を受けるポリーニの姿、いい写真です。

天国でアバド兄貴とブラームスをやろうよ、と語り合ってるのかな・・・

マウリツィオ・ポリーニさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2024年3月14日 (木)

小澤征爾さんを偲んで ③

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夏の音楽祭のタングルウッド、小澤さんの名前を冠したホール。

雪も残る場所に、小澤さんを悼む献花台が・・・・

泣けます。

ボストン交響楽団の音楽監督として、1973年~2002年までのほぼ30年間、ミュンシュに次ぐボストン響の第2黄金期を築きました。

なんども書きますが、サンフランシスコと一時は掛け持ちで、アメリカの西海岸と東とでメジャーオケの指揮者を務めたことが、日本人としてほんとうに誇りに思いました。
日本が戦争で戦ったアメリカのメジャーオケの指揮者に。
戦後30年も経ずしてオケの優秀な導き手となってしまった。
アメリカの寛容さとともに、西洋音楽の世界にたすき一本で飛びこみ、成功を勝ち取った小澤さんの胆力をこそ最大限に褒めるべきでしょう。

ここにある白い上っ張りのような上下のスーツ。
当時のクラシック業界では極めて異例だったかと思います。
アメリカとフランスだから受け入れられた、クラシック業界の型破り的な存在が小澤さんで、いまこそ思えば、そんな姿も心から誇らしく感じます。
日本が誇るもうひとり、あられチャンやドラゴンボールの鳥山明さんの訃報にも驚いたばかり。
世界で、その名を言えばわかる日本人のともに代表格。
いまこそ、政府はおふたりに、国民栄誉賞を与えるべきだ!

「小澤&ボストン」

たくさんの名盤から、忘れえない音盤を。

ボストン響はRCAレーベルの専属だったので、小澤さんとボストンとの初録音は69年の「カルミナ・ブラーナ」と「火の鳥」「ペトルーシュカ」。
ペトルーシュカは唯一の録音なので貴重だし、カルミナ・ブラーナでの小澤さんのリズム感抜群の若さ、マッチョなミルンズのバリトンなんかも聴きもの。
リマスターで再発して欲しいです。

その後、ボストンはDGに録音するようになり、小澤さんはEMIに録音していたので、73年の音楽監督就任までは、DGはスタインバーグ、ティルソン・トーマス、アバドの指揮でボストン録音。
ホールの特性も活かし、重厚感とヨーロッパ風な落ち着きあるDG録音は極めて新鮮だった。

①ベルリオーズ

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   幻想交響曲 1973年

38歳の小澤さん。
ベルリオーズの本来持つ音楽、さわやかさと抒情味、小澤ならではの豊かなリズム感。
スピード感もあるしなやかさも誰の幻想にもないものだった。

いま聴いても爽快でかっこいい幻想だ。

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    ファウストの劫罰 1973年

幻想と同じ年に録音。
声楽を伴った大作を、てきぱきと、演奏者側にとっても、聴き手にとっても簡明でわかりやすい解釈をほどこす指揮者。
レコード時代は3枚組の大作が、CDでは2枚で、あっという間に聴くことができる。
まさに劇的なドラマ感を伴って2時間ちょいが、ほんと短く感じる見事な指揮。
当時まだ、ミュンシュの指揮を知っている楽員も多数いたはずだが、剛毅さとは違う、ベルリオーズの輝かしさを引き出す小澤には、そうした楽員さんもほれ込んだことだろう。
ただタングルウッドの合唱団の精度は今聴くとやや厳しい。
 新日フィルでこの作品を聴いたときは、日本語での演奏だったこともいまや懐かしい。

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   レクイエム (1993年)

DGへの一連のベルリオーズから20年。
得意の作品で、若い頃から何度も取り上げていた。
シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、途方もなくバカらしい巨大な編成
初聴きがFMで放送された小澤&ベルリン・フィルのライブで、大音響を期待して聴いたが、そんなシーンは全体の一部で、全編に死を悼む、歌心とリリシズムにあふれた作品とわかったのも、小澤さんの指揮あってのものだった。
円熟期を迎えた小澤さんのベルリオーズは、この時期にまた幻想やファウスト、ロミオをボストンで再録音して欲しかったと思わせる。
こけおどし的な大音響におぼれない、真摯な姿勢でベルリオーズの抒情性を引き出した。
ロミオとジュリエットは実は持ってません・・・・

DGというのは不思議なレーベルで、ベルリオーズ全集を小澤でやりかけて、途中で止まってバレンボイムに変り、それもまた止まってレヴァインに、それもまた完結しなかった。
ボストンのネット放送で、ベアトリスとベネディクトが流されてましたので、こうした録音もなされなかったのが残念だし、今井信子さんとハロルドも録音して欲しかった。
大きな所帯のレーベルだと、レパートリーがかぶって、全集録音完成がなかなかままならないものだ。
小澤&ボストンで残せなかったもの、ベルリオーズとベートヴェン、ブラームスの全集などです。

②マーラー

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  「千人の交響曲」  (1980年)

77年のDGへの1番が、若やいだ眩しさ感じる演奏で、このままマーラーシリーズに突入するのではと期待したが、それは持ち越され、フィリップスレーベルへと引き継がれ、いきなり8番!
この時期、小澤さんは、巨大な作品のスペシャリストとしてパリとベルリンでさかんに取り上げ、ボストンではライブ録音につながりました。
ここでも大曲を豊かな構成感でもって、わかりやすく聴かせるツボを押さえた小澤ならではの小澤節が随所に聴かれる。
第2部の感動的な高揚感は、すべての奏者・歌手の一体感を感じます。
みんなが小澤の棒に夢中になってる様子がわかる。

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   交響曲第2番「復活」 (1986年)

小澤の復活、ことあるごとに指揮してきた勝負曲だと思います。
自信と確信に満ちた演奏は、極めて感動的でどこにもブレのないまっすぐな演奏で、ラストではじっと聴いていられないくらいに感動してしまう「復活」だ。
いくつかある「小澤の復活」、この際みんな聴いてみたいと思っている。

1980~1993年までかかった小澤のマーラー全集。
フィリップスレーベルはよくぞ、最後まで完結してくれたと思うし、ボストン響の高性能ぶりと美しい音色、ホールのプレゼンスのよさ、日本人としておおいに共感できるしなやかなマーラーが残されました。
10番アダージョまで含めて、大切なマーラー全集のひとつですが、「大地の歌」は残念です。

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2002年に最後の定期でとりあげたマーラーの第9は、NHKで放映され、わたしも録画して大切にしてます。
感動的な第9で、濃密なバーンスタインとはまったく違う、われわれ日本人好みの和風だしのような味付けのマーラーは、小澤さんの侘び寂様式のなせる技かと。
それをボストン響から引き出しているところがすごい。

以上、ベルリオーズとマーラーが、小澤さんとボストン響の最良の演奏だと思うし、小澤さんのもっとも得意なレパートリーじゃなかったかと思う。

③R.シュトラウス

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 「英雄の生涯」「ツァラトゥストラはかく語りき」 (1981年)

小澤さんの初の本格的なシュトラウス作品。
デジタル初期で、レコード時代末期の発売は、レコード1枚特価で2000円で購入。
あまりの録音の素晴らしさと、小澤の小俣の切れ上がったかのようなカッコいいシュトラウスサウンドに痺れまくった。
同じく、レコードで親しんできたメータの重厚で鮮明すぎる演奏とも違う意味で、鮮やかかつ、すべてが明快ですみずみまで聴こえる見晴らしのいいシュトラウスだった。
2枚のレコードがCDでは廉価になり、1枚に収まって1000円を切るようになり、それのみがショックだった。
ともに、ボストン時代の朋友、シルヴァースタインのヴァイオリンが鮮やかでありました。

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 「ドン・キホーテ」 (1984年)

CD初期に買った1枚で、タスキ付きで貼りました。
タスキもまたうまく溶け込んだようなジャケットイメージだったので。
ロストロポーヴィチとカラヤンのレコードで刷りこみだったこの曲を、東洋人のふたりが取り組んだ1枚は、濃密なカラヤン盤のようでなく、さらりとした筆致で淡々と描いた浮世絵みたいなドン・キホーテだった。
この頃の小澤さんを描いたドキュメンタリーで、ヨーヨーマと語りあうシーンがあり、アジア人同士、この先は映さないで欲しいというような、音楽と人種(?)に触れていくシーンがあった。
その先のことは、語らずもがなで、自分のなかでも、西洋音楽をどう受け止めて楽しんでいくのか、という投げかけにもなり、小澤さんが戦ってきたもの、勝ち得たものの大きさを感じた次第なのです。

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  楽劇「エレクトラ」 (1988年)

ダングルウッドでは、コンサートオペラの形式演奏も多く、きっとそこで演奏されたボストン響のオペラ録音。
このおどろおどろしいけれど、実はシュトラウスの高度な作曲技法と交響詩で培った巧みなオーケストレーション、そして歌をオケの一部ともしてしまうとうな巧みな歌の数々。
このあたりを小澤さんは、見事に解析して明快に解釈してみせた。
オペラティックな要素は弱いけれど、一気呵成のドラマ感も巧みに表出。
ボストン響の巧さと軽やかさ、ベーレンスの軽やかでもあるタイトルロール、録音のよさ・・・数あるエレクトラのなかでも名演中の名演と思っている。

④チャイコフスキー

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 交響曲第5番と6番 (1977年、1986年)

なんども繰り返し録音を重ねたチャイコフスキーの後期の3つの交響曲。
ボストンとのこのふたつの録音が、いちばん安定しているし、完璧な演奏だった。
DGの5番は、輝かしく美しい。
このときに3つ全部録音してほしかったし、1~3番も残して欲しかったものだ。
悲愴が大好きだったと思う小澤さん、パリ管、サイトウキネンでも録音したし、ライブでも複数音源があります。

三大バレエもボストンと録音。
眠りの森だけは組曲となりましたが、シンフォニックなかっちりとした「白鳥の湖」は聴く音楽としては完璧な出来栄えかと思う。
協奏曲も複数録音ありますが、若い頃のものを聴いてみたい。

でも「小澤のチャイコフスキー」の真骨頂はふたつのオペラにあります。

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 「スペードの女王」 (1991年)

オネーギンとスペードの女王のふたつのオペラで持って、小澤さんは、欧米各地のハウスを席巻したと言っていい。
ボストンでのスペードの女王は、この演奏の模範的な演奏で、ロシア的でない、欧風でもない、ピュアなチャイコフスキーのオペラスタイルを打ち立てたものだと思う。
ふだんオペラのピットに入らないボストンだからこそ、ということもあり、オネーギンもこのコンビでやって欲しかった。
小澤さんのチャイコフスキーのオペラには、フレーニが必ず共演していたこともフレーニファンとしてはうれしいことだ。
この演奏を聴くと、ボストン響がほんとうに優秀なオケだと思うし、その音色がともかく美しいこともわかります。

⑤ストラヴィンスキー

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 三大バレエ

小澤2度目の春の祭典は、アナログ時代最末期の1979年の録音。
学生時代のことだったが、めちゃくちゃ録音がよかったし、ボストンを完全に手中に納めた小澤さんの指揮ぶりが小気味よさと爆発力の兼合いがバツグンで、痺れるような演奏だった。
シカゴとの若き日の演奏よりも大人な演奏。

ペトルーシュカは、先に触れた通りだが、組曲でのボストンとの初期録音の「火の鳥」は、小澤さんの得意曲で、パリ管との全曲盤に続いてボストンとも1983年に全曲盤を再録音して、その堂に入った落ち着きある演奏は美しさも感じるものだった。
しかしながら、パリ管とのほうが、ずっとイケてると思う。

⑥フランス系

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 ラヴェル 管弦楽曲集 (1974年)

ボレロやスペイン狂詩曲の1枚に続いて、いきなり4枚組の全集が出たのが1975年で、その前年の録音。
ラヴェルの生誕100年にDGが小澤にまかせた記念碑的な全集。
オペラがこのときに残されなかったのが残念だが、わたしは、新日で同時期に小澤さんのラヴェルをかなり聴きました。
子供の魔法も、コンサート形式で聴きましたし、武満徹作品の初演との組み合わせも聴きました。
70年代後半から80年代、小澤さんの一番輝いていた時期を聴けたことがありがたい。


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 フランクとプーランク (1991年)

メインのフランクの交響曲もいいが、ややこじんまりとしすぎ。
むしろプーランクがすばらしくて、小粋さとしゃれっ気が、小澤さんがプーランクのスペシャリストであったことがよくわかる。
スタバト・マーテルとグローリアも極めてかっこよくて、DGには、そのままプーランクのオペラなども続けて欲しかったと思います。

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     「パリの喜び」「スペイン」「ミニヨン」「ファウスト」(1986,7年)

フランス音楽の華やぎを、瀟洒に、そしてさらりと日本人らしく描いてみせた傑作で、同時にヨーロピアンなオケの音色も魅力も全開だ。
録音もジャケットも素晴らしい、この先、ずっと手元に置いておきたい名盤だと思います。
カラヤンも同じような豪奢な1枚を残したが、あの華やぎは何度も聴けるものではないので・・・

小澤&ボストンは、フォーレにもオケ作品とレクイエムの録音があるが未聴です。

⑦20世紀音楽の名演

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  レスピーギ 「ローマ三部作」 (1977年)

ローマ三部作の面白さを私に植え付けてくれたのが、小澤さんのレコードだった。
録音も素晴らしくって、ボストン響の抜群のウマさとパワフルだけど、品位を兼ね備えた演奏が実に素晴らしかった。
若い頃は、豪快なシーンばかりに耳が行ってしまったが、昨今、この小澤盤を聴くときは、静かで精緻な場面に耳をそばだてるようになった。
それだけ緻密な演奏であり、心配りの豊かなローマ三部作なのだ。

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  シェーンベルグ 「グレの歌」 (1979年)

小澤さんの音盤のなかで、1番ともいえる名演であり、同曲の数多い演奏のなかでも1.2を争う演奏。
何度も書きますが、声楽を伴った大きな作品と、一瞬たりとも弛緩せずによどみなく、わかりやすく、そしてあるがままに劇的に仕上げることのできた小澤征爾。
しかもこの精度の高さをライブでもなしえてしまう耳のよさと職人技。
もちろんライブ感あふれる白熱さや感興の高まり、興奮などもこの膨大な作品にとてもあっている。
歌手も素晴らしくて、ノーマンもいいが、トロヤノスがいい。
やぶれかぶれのマックラッケンもとんでもなくヘルデンしてる。
小澤さんの追悼に、マーラー9番や10番もしめやかでいいが、わたしは、グレ・リーダーの輝かしいラストも相応しいと思った。

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  アイヴス 交響曲第4番 (1976年)

これも小澤&ボストンの傑作の1枚。
副指揮者を要し、若い頃はその副指揮者だった小澤さん。
ここでは、ひとりですべてをこなし、当時はベルリンフィルでも指揮して一同を驚かせてしまった。
抜群の切れ味とクールさ、音色のあたたかさ、複雑な音楽がやがて収斂して簡潔に響くようになる様を見事に描き切る能力。
4つの交響曲、ぜんぶやって欲しかった。

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  武満 徹 「カトレーン」「鳥は星形の庭に降りる」 (1977年)

小澤&ボストンの武満は今や希少です。
研ぎ澄まされた武満作品に、小澤さんの緻密な指揮と味わいは必須。
ゼルキンやストルツマンのアンサンブルタッシを想定して書かれた「カトレーン」は異空間のイメージ漂う夢想とリアルが入り乱れる曲で、わたしはこの初演を聴いております。
ボストンでの初演作、鳥は星形と合わせ、自分には思い出深い1枚です。
日本人指揮者は、みなさん共通に武満の音楽をレパートリーにしてますが、小澤、岩城、若杉、秋山の4氏が最強でありましょう。
日本人作品も多く指揮して広めた功績も小澤さんにはおおいにあります!


Bso-1986

小澤・ボストンの最良のピーク時の1986年の来日、わたしは聴くことができました。
サントリーホールがまだなかったので、文化会館をメインに、横浜、大阪、京都、神戸、尼崎、広島、静岡、甲府という公演。
いまプログラムを見返し、日本の受け入れ側も地方が豊かで、中央ばかりでなかったことがわかります。
プログラムは、マーラーの3番をメインに、ベートヴェンの3,5番、ブラームス1番、ツァラトゥストラ、弦チェレ、マメールロワ、プロコのロメジュリなどです。
初心者もツウもうならせる見事な演目を日本各地で披露したのでした。

ワタクシは、文化会館でのマーラー3番。
この曲のライブの最初の機会でした。
もうね、小澤さんのキビキビとしつつ、巧みなキューと音楽そのものと化した指揮姿に釘付けでしたよ!!
ボストンの面々も真剣に、深刻に、ときに喜悦に満ちた表情を浮かべながらの演奏は、指揮者に全幅の信頼を寄せてのものでした。
ビムバムが日本の少年少女たちによって歌いだされると、楽員のみなさん、とくに多くいらした女性奏者たちが、お互いに顔を見合わせながらにこやかにしているのをまじかに拝見。
最終楽章の麗しき平安の世界を描いた小澤さんの指揮ぶりと、楽員のみなさんの幸せそうなお顔の数々・・・・
いまでも覚えてます。

音楽史上、もっとも幸せな結びつきだったのが、「小澤征爾とボストン響」だったといえると確信します。

Ozawa-bso-1_20240314230201

ボストン響のX投稿から。
歴代のボストン・ポップスの指揮者たちともお友達。
切れちゃってますが現在のネルソンスとのツーショットもうれしい。

まえにも書いてますが、神奈川県西部に育ったワタクシは、高校時代にオーケストラ部にちょっと所属してまして、そのときの仲間と近くの箱根に遠足。
そこで出会った外国人に、果敢にもみんなで声掛けし、どこから来たんですか?
ボストンよ、と妙齢のマダム。
すかさず、ワタクシは、ボストン・シンフォニー、セイジオザワと矢継ぎ早に返信。
ご婦人と旦那さんは、思い切りにこやかに、ベリーグッドと答えてくださいました。
もう半世紀近くまえの思い出語り、片田舎の青年でも、小澤さんがどれほど誇らしく思えたことでしょう。

Ozawa-bso-2_20240314230201

ボストン響のHPから。

シンフォニーホールの「B」を消灯して、「SO」

「セイジ・オザワ」

永遠なれ、われらが小澤征爾さん!

ありがとう、わが音楽ライフを導いていただきまして。

ゆっくりおやすみください

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2024年3月 2日 (土)

小澤征爾さんを偲んで ②

Seiji-ozawa

小澤さんの公式サイトからの訃報のご案内。

逝去が伝えられてから、世界のありとあらゆる方向から、お悔やみが報が相次ぎ、こんなところでも小澤さんは指揮台に立っていたのかと驚くばかりでした。

前回の記事にも書いたとおり、「世界のオザワ」は、われわれが思う以上に「世界のオザワ」だったし、偉大な存在だったことを思い知りました。

1回や2回では終わりそうもない、小澤さんと世界のオーケストラとの共演のレビューですが、こたびの訃報を受けてのまとめでは、ボストン響とそれ以外と、大きく2回に分けて顧みてみたいと思いました。

ボストンは最終として、まずはそれ以外のオーケストラや劇場との演奏を手持ちの音源やエアチェック音源で大急ぎで聴きなおしてみました。

①NHK交響楽団

Seiji-ozawa-nhk  

武者修行→ブザンソン、カラヤン・コンクール、クーセヴィッキー賞を経て、カラヤンとバーンスタインの知己を得た小澤さんを、日本を代表するオーケストラが迎えたのは自然な流れ。
そこで起きた不幸な出来事は語り草の世界ともなりましたが、1963年を最後に、後年N響の指揮台に復活するまで32年を経ました。
キングレコードからかつて出たN響のライブを集めたなかにあったのが、62年のメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」。
それを先ごろNHKが放送してくれて、聴くことができましたが、切れ味抜群で、豊かなエキゾシズムを讃えたシャープな演奏でした。
95年の歴史的な再開も、ロストロポーヴィチの登場も合いまして、当時とても感激した思いがあります。
しかし、その32年間は長かったし、もったいなかった長い期間でした。

②ニューヨーク・フィルハーモニック

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 バーンスタインの元で副指揮者をつとめ、1961年から1971年まで、その指揮台に立った。
同団の追悼を見ると124回のコンサートがあったというから、その一端でも聴いてみたいものだ。
バーンスタインの青少年向けのヤングピープルズ・コンサートにも若き小澤さんは登場していて、わたしも中学生のころに見た記憶がある。
正規録音としては、アンドレ・ワッツとのラフマニノフの3番の協奏曲ぐらいと、アイヴズぐらいしかないのが残念。
来日公演の記録とかもないものかな・・・・
1970年の同団の来日では、日本フィルとの野球対決があり、そのときのレコ芸の写真はいまでも大切にしてます。
バーンスタインのあと、NYPOはブーレーズを指揮者に選んだわけだが、このとき小澤さんだったら、ボストンとの関係は出来なかったかもしれませんね。

③トロント交響楽団

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日本でのポストを伴った活動を辞して、アメリカ大陸での活路を求めた小澤さんの前には、自由で小澤さんの音楽スタイルを受容してくれる音楽風土がありました。
シカゴでのラヴィニア音楽祭と同時期に、カナダのトロントでポストを得た小澤さんは、後年もずっと繰り返し指揮し続けたレパートリーを取り上げました。
「幻想交響曲」と「トゥーランガリラ」と武満作品です。
いずれも、録音もいまだに素晴らしく、若き小澤のメルクマールとしての名盤としてずっと残しておきたい演奏だと思います。
ちなみにトロント響は、かつては楽団存続に危機もありましたが、いまはG・ヒメノのもと、なかなかよさげな活動をしてます。

④シカゴ交響楽団

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 夏のラヴィニア音楽祭での成功から、ショルテイ就任前のシカゴ響との関係を深めたのは、マルティノンが音楽監督時代で、60年代半ばから後半まで。
RCAレーベルとトロント響と同時に、いくつもの録音をなし、さらには欧州ベースのEMIにも録音が開始されたことで、日本人として初の欧米メジャーレーベルとのレコード録音という快挙を成し遂げたのでした。
この頃から、小澤さんは長髪となり、燕尾服やスーツを着ないで、白い上っ張りのような衣装や、白いタートルネックを着用するようになり、お堅いクラシック業界のなかにあって、型にはまらない革新的な存在としてビジュアル面でも抜きんでた存在となっていきました。
まだビートルズが解散せずに、世界のミュージックシーンを席巻していた頃です。
 こうした小澤さんのクラシック音楽界における革新性は、そのスポーティな指揮姿とともに、ビジュアル面、大胆で斬新な音楽造りといった多面的な要素が合い増して、世界に新鮮さと驚きをあたえることとなりました。
当の日本では受け入れられず、アメリカが迎えた小澤さんなのでした。

シカゴとの音源では、「シェエラザード」とヤナーチェクのシンフォニエッタが極めて秀逸。
RCAへの、ベートーヴェン第5や「春の祭典」も、のちのボストンでの大人の演奏もいいが、若書きのこちらもすこぶる鮮度が高い。

⑤日本フィルハーモニー交響楽団

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 日本では、フジサンケイグループの傘下にあった日フィルが小澤さんを迎え、首席指揮者として、読響の若杉さんとまるで競争するように、当時日本初演となるような大曲を次々に演奏していった。
前の記事にも書きましたが、フジテレビ関東局8チャンネルの日曜の朝、日フィルの演奏会の放送があり、そこで小澤さんの名と指揮ぶりをしることとなりました。
日フィル時代の小澤さんの音源は、万博の時期も重なり、日本人作曲家のものや、協奏曲作品が多くあり、いまそのあたりを聴いてみたいと思っています。
1972年、フジグループの放送撤退で、楽団の危機に陥り、分裂した日フィルからの新日フィルに小澤さんは注力することとなりました。

⑥サンフランシスコ交響楽団

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 1970年に音楽監督就任、当時アメリカでの録音に乗り出していたDGとすぐさま契約し、ガーシュインやバーンスタイン作品を録音。
ロメオとジュリエット3態などは、企画の良さもあって絶賛されました。
サンフランシスコ響はフィリップスとも録音を開始し、DGにはボストンとの録音ということで、70年代はアメリカでメジャーレーベルを股にかけての活躍が目立ちました。
明るく、カラッとしたカリフォルニアサウンドともてはやされ、それはフィリップスレーベルの音の良さも手伝って、小澤さんの竹を割ったような明快サウンドとともに日本のわれわれも、誇らしい思いにさせてくれたのでした。
英雄と新世界、のちの再録音より、このときのものが私は大好きですね。
サンフランシスコ響が、アメリカでのメジャーの存在を確立できたのは、小澤さんの治世からだし、次のデ・ワールト、ブロムシュテット、MTT、サロネンの秀逸な指揮者に恵まれていくのも小澤さん以降です。
 先にも書きました、1975年の同団との凱旋公演は、小澤さんが海外のオケを引き連れて日本に帰ってきた初の公演だった。

⑦パリ管弦楽団

Paris

 1970年頃からその相性の良さもあいまって、EMIでの録音の始まったコンビ。
チャイコフスキーの4番、火の鳥、ベロフとのストラヴィンスキー、ワイセンベルクとプロコフィエフとラヴェルといった具合に、カラフルな曲目を、まさにそれらしく演奏した華やかなイメージを与えたコンビ。
ミュンシュのオーケストラをボストンと同じように小澤さんが指揮をして、EMIにレコーディングをする、これもまた日本人の気持ちをめちゃくちゃ刺激する快挙でありましたね。
 さらに小澤&パリ管は、フィリップスへも録音を開始ししたけれど、チャイコフスキーの録音だけで終わってしまったのが残念なところだ。
パリ管は、バレンボイムでなく、小澤さんを選択すべきだったと思うし、ボストンとパリの兼任はレパートリー上もやりやすかったのではないかと思いますね。
フランスのオーケストラとは、このあとフランス国立菅との関係を深めていくことになります。
パリ管の訃報記事がなかったが、その本拠地のフィルハーモニーの追悼X

⑧新日本フィルハーモニー交響楽

Njpo

日フィル解散後、自主運営で荒波に漕ぎ出した新日本フィルを当初かた導いたのが小澤さん。
楽壇の追悼文を拝読すると、小澤さんとの共演は624回に及んだとしており、ボストンと後年のサイトウキネンとともに、小澤さんともっとも親しく音楽を歩んだオーケストラといえます。
私も「燃える小澤の第9」のキャッチで買ったレコードを気に、第9で小澤&新日フィルのコンサートに通い始め、会員にもなって、数えきれないほど聴かせていただきました。
それらの詳細はいつかまとめて記録しておこうと思います。
小澤コネクションを活かして、世界のトップが客演してくれて、新日の演奏会で間近に聴くことのできた偉大な演奏家もたくさん。
ゼルキン、ポリーニ、ベーレンス、ノーマン、タッシほか、たくさん。
武満作品の初演や、オペラもいくつか、レコーディングしなかったシューマンなども・・・・
ほんとにありがたく、身近な存在として感じられた小澤&新日フィルなのでした。


⑨ボストン交響楽団

 サンフランシスコと兼任で、1973~2002年という長期にわたる音楽監督の在任記録を作りました
ボストンとの関係は、特別ですので、追悼③にて取り上げたいと思います。

⑩ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

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  デビューしたてのころは、ロンドン交響楽団との共演や録音があった。
その後、70年代以降のロンドンでのオーケストラパートナーは、当時のニュー・フィルハーモニア管だった。
アーカイヴは全部調べておりませんが、それでもニュー・フィルハーモニアとは70年代までの共演でとどまった。
しかし、その関係は相思相愛だったはずで、ボストンやパリでやった演目をそのままロンドンでも指揮していました。
第9の2枚組のレコードの最終麺に、リハーサル風景が収録されていて、和気あいあいとした雰囲気のなかに、また皆さんと共演できます、ベルリオーズのファウストですと小澤さんが言うと、楽員から大喝采があがりました。
その第9は、おりしも世界的なオイルショックのおりの録音で、会場には満足な暖房がなく、みんな防寒着を着て演奏している光景もジャケットや手持ちの雑誌に残されてます。
しかし、音楽はとんでもなく熱く、オケも合唱も、ソロもみんな、小澤さんと一体化して、ライブ感あふれる演奏が見事なフィリップス録音でもって残されたのでした。
この「小澤の第9」はほんとに大好きです。
ニュー・フィルハーモニアとはモーツァルトの交響曲、P・ゼルキンとのベートヴェンもRCAに残されましたが、こちらは未聴で聴いてみたいですね。
 今回の訃報は、ロンドンのオケはあまり取り上げてなかったです。
その点がちょっと意外だった。

⑪フランス国立管弦楽団

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パリ管との関係から、フランス国立菅へとパリでの活動の比重を移しました。
思えばバーンスタインもそうでしたね。
フランス的な作品ばかりを録音し、カルメンを含むビゼー、オネゲル、オッフェンバックなど、それらの作品のスタンダードとなりうるものばかり。
そのレパートリーもふくめ、小澤さんの一番素敵な側面が聴かれるのがフランス国立菅との演奏だと思います。
華やかに響きがちだったパリ管よりも、小澤さんの円熟度合いも深まった、ナショナル管との方がいいですね。
実際の演奏会では、マーラーの千人とか、大規模作品をやっていて、アメリカ、ドイツ、フランスでの各地の演奏拠点での小澤さんのレパートリーの組み方、誰かアーカイブを作成してくれませんかね。

⑫ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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 カラヤンに教えを請うたゆえに、当然にベルリン・フィルとも深い関係を築く。
1966年以降2016年まで、極めて多くのコンサートを指揮し、日本にも一緒に来た。
ベルリン・フィルでは声楽を伴う大規模作品をしばしば取り上げたが、そうした大作の録音がなされなかったのは本当に残念なことだ。
楽団は、小澤さんを名誉団員として迎え、大いに評価したこともまた誇らしいことです。
カラヤンの輝かしい音色とは違う、機動力に飛んだしなやかで鋭敏な演奏を小澤さんと残したベルリン・フィル。
このオーケストラもまた小澤さんとの相性がバツグンだったと思います。
チャイコフスキーの交響曲や管弦楽作品、ガーシュイン、カルミナ・ブラーナなどの華やかな作品のほか、このコンビの金字塔はプロコフィエフの交響曲全集であろう。
これだけでこぼこのない、高水準のプロコフィエフ全集がベルリン・フィルによって残されたことが幸甚なことだ。
手持ちに、マーラーの千人の交響曲の75年のエアチェック音源があるが、その熱量たるや目を見張るものがあり、ライブでの小澤さんのすごさをまざまざと感じさせます。
将来、ベルリンでのライブ音源が正規化されることを望みます。

⑬サイトウキネン・オーケストラ

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いうまでもなく、小澤さんの生涯の師は斎藤秀雄さんでしょう。
バーンスタインでもカラヤンでもなく、斎藤サン。
独特の指揮の技術は、日本人ならではの細やかさと、緻密さ、細かなところまで伝達できる人知と決めごとを伴ったものでしょう。
秋山和慶さんとともに、1984年にスタートした日本人によるスーパー・オーケストラはのちのアバドのルツェルンにも匹敵するような、同じ思いを共有する者同士の有機的なオーケストラ。
ブラームスの全集は、われわれ日本人が世界に誇るべき超名盤だと思います。
数多くのメジャーレーベル録音も残しましたが、わたしにはこのブラームスを越える演奏が見当たりません。
もちろんいまだに聴いていない音盤もあるし、恥ずべきことに実演での小澤&サイトウキネンを経験してません。
でも、批判を覚悟に述べますが、海外のトップ奏者もいるとはいえ、日本人同士のどこか箱庭的な演奏に、のちになっていくのを感じましたし、小澤の円熟が、あまりに悟りの境地的な、上善如水のような無色透明な領域の高みへと達しすぎてしまった感を自分では否めず、その音楽が楽しめなくなっていったのでした。
こんなこと書いてケシカランと思うむきもございましょう。
円熟の極みは、オケが感化されてしまい、なにごとも予定調和に安住してしまうという弱点もあるとも思う。
昨今でいえば、ブロムシュテットがそのような高みに至っているし、引退前のハイティンクもそうだった。
 しかし、そんな小澤&サイトウキネンの超絶名演は、あとは武満作品とプーランクにあったと思ってます。
透明感と軽やかさ、それが小澤さんの晩年スタイルだったかと。
水戸室内管も仲間同士の思いが結実した楽団で、小澤さんは1990年結成時かた指揮をしてました。
澄んだ晩年スタイルをより徹底させるには、日本人による室内オケがいちばんだったでしょう。
若い奏者たちを好んで指揮し、指導したのも小澤さんならではです。

⑭ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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 ウィーンフィルとも1966年に初共演。
ザルツブルク音楽祭でいきなりコジ・ファン・トゥッテを指揮したが、そのときの評価はまちまちだったとのこと。
ウィーンフィルとの本格活動は、1980年代後半からでフィリップス録音でのドヴォルザーク・シリーズやR・シュトラウスなどは、このコンビならではのまろやかかつ、リズム感にあふれた演奏だと思う。
でも世評高いシェエラザードは、かつてのシカゴやボストンの方が面白みがあるし、ウィーンフィルとしてもプレヴィンの二番煎じみたいな感じだ。
 ウィーンフィルとはベルリンでのような大胆なプログラムの選択が出来ず、さらには体調も関係もあり、小澤さんならではの大向こうをはった演奏ができなかった、そんなイメージがあるコンビです。
そんななかで、エアチェック音源での、シェーンベルク「ペレアス」がドライブも効いてて、さらに濃厚さと透明感がいい具合な名演だ。
ウィーンとは、もっと若い時期での蜜月を望みたかった。
 ニューイヤーコンサートでは、小澤さんならではのライブ感と盛り上げのウマさが際立ったものでしたが、体調のこともあり、その後の登場がなかったのが残念ですね。

⑮ウィーン国立歌劇場

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  ウィーンとの良好な関係は、オペラ座の音楽監督というポストに帰結し、それはアバドのあとの数年の空白を埋めるものでした。
アバドと小澤、それからメータは、みんなアドバイスし合う仲間で、ウィーン時代のアバドにインタビューをした岸恵子さんがMCをした番組に、オネーギンで客演していた小澤さんや、その小澤さんがアバドに電話をしてきた様子などが放送されました。
スカラ座に小澤さんが登場したのもアバドの時代。
そんな横のつながりが、国際的であり、音楽でつながる信頼感のようなものに感じ、とてもうれしく思いました。
シュターツオーパーのアーカイヴを調べると、88年のオネーギンから09年の同作品まで、18作品を指揮してます。
ふたつのチャイコフスキー作品、ファルスタッフ、オランダ人、トスカ、ヴォツェックなど、得意のレパートリーに加え、クルシェネクの「ジョニーは演奏する」を上演するという画期的なこともなしました。
 しかし、小澤さん、もっと早くにオペラに入り込んで欲しかった。
アメリカのオーケストラの音楽監督は音楽以外のこともあり、忙しいと聞く。
どこかのハウスで、レパートリーの拡張をしておくべきだった・・・というのは贅沢な思いですかね。
ウィーンの劇場の音源はORFに記録がたくさん残っているはずです、このあたりも楽しみです。

⑯そのほか

スカラ座には、コンサートとオペラで何度か登場。
トスカ、オベロン、オネーギン、スペードの女王がその演目。

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パリ・オペラ座とはウィーン前はかなり登場。
なんといっても、メシアンの「聖フランチェスコ」の83年の初演が歴史的な快挙。
この長大なオペラを初演に導き、完全に手の内におさめたわかりやすい指揮は、小澤さんならではで、ほかの指揮者ではあの時ありえなかったことだろう。
小澤さんの代表作といっても差し支えないと思う。
パリでの相性のよさは、オペラでも同じ、ファウストの劫罰、フィデリオ、トゥーランドット、トスカ、ファルスタッフ、タンホイザーなどを指揮している。
フランスのミュージック専門サイト、国をあげて小澤さんを追悼してました。

メトロポリタンオペラには、オネーギンとスペードの女王の2演目で。
92年と2008年です。
こうしてみると、小澤さんのもっとも得意としたオペラは、チャイコフスキーのふたつの作品ということになりますね。
抒情と劇性のたくみな両立、そしてサスペンスにも似たスリリングな音楽造りがばっちり噛み合ったのがチャイコフスキーのオペラだったのでしょう。

コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラ
ここでもオネーギン。
しかし、1974年の1度だけで、このときはショルティにとってかわってレコーディングが行われた。

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以上、ざっと思い当たる小澤さんの指揮した先を調べました。
それにしても、アメリカ・ヨーロッパ、当然に日本で、ロシア以外の世界で活躍。
そして2010年以降の体調不良で、アクティブな小澤さんの活動の足を引っ張ることとなり、それ以降は晩年といえる余生を過ごすことになってしまったことが残念極まりない。

最後は、ボストンでの音楽を聴きつつ振り返りたいと思います。

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献花台を見てたら泣けてきました・・・・

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