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2024年3月24日 (日)

マウリツィオ・ポリーニを偲んで

Pollini-dg

深夜にツィッター(X)を眺めていたら愕然としました。

ポリーニの訃報。

しばらく前から体調を壊していて、コンサートもキャンセルしていたばかり、ミラノの自宅で3月23日に亡くなりました。

享年82歳。

私にとってのポリーニは、朋友アバドがあっての存在でもありましたので、とても悲しいです。
アバドが10年前に80歳で去り、ポリーニがその10年後に82歳で旅立つ・・・
ともにミラノ生まれでした。

高校時代にポリーニを知り、もう50年が経過したけれど、ポリーニは数多いピアニストのなかでずっとトップランナーだった。

リサイタルで聴くことはできなかったのですが、コンサートでは2回。
小澤さんと新日フィルに来演して、シェーンベルクの協奏曲。
アバドとルツェルンとともに、ブラームスの2番。
脳裏に焼き付くピアノに向かい、高い集中力でもって演奏するその姿。
アバドも、小澤さんも、そしてポリーニもいなくなってしまった。

Etude-pollini

 ショパン 練習曲集 (1972)

初めて買ったポリーニのレコード。
練習曲全曲を聴いたのもこれが初めて。
ストラヴィンスキーとプロコフィエフのDGへの初録音は、ずっと後で聴くことになりますが、ここでのショパンの音楽そのもの素晴らしさにも感激。
鋼のような強靭な打鍵と鮮やかな技巧による精密かつ彫像のようなポリーニのピアノ。
連日、青白いような情熱の炎を自分的にたぎらせて聴いたことも、わが青春の思い出であります。
当時は、柔のアシュケナージ、鋼のポリーニのイメージで、人気を二分しておりました。

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   ショパン 前奏曲集 (1974)

まだまだショパン初心者だった若い頃の自分には、続々と出てくるポリーニのショパンは、その作品理解を深めるとともに、その完璧な演奏はその曲のひとつの指標となったのでした。
24の曲が全体を通してみるとしっかりとした構成感につらぬかれているし、それぞれに詩的な豊さや歌もある。
ポロネーズ集もこの頃の大切な1枚です。

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  シューマン 幻想曲 (1973)

  シューベルト さすらい人幻想曲 (1973)

ともに、それぞれのソナタ作品も収録。
ファンタジーと名をなすロマン派ならではの作品を、ポリーニは明晰に、明るい音色でもって弾き、ポリーニがイタリアの血を引くピアニストであることを認識できる。
一方で、こうした作品でも強靭な響きはポリーニならでは。
ほのかに感じる陰りも。

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  ブラームス ピアノ協奏曲第2番 (1976)

もう幸せしか感じないイタリアの陽光とウィーンの甘味さ感じる演奏。
一方で、存外に熱くもあり、気ごころしれたアバドとのコンビが、スタジオでもライブ感みなぎらせていたことがわかる。

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  バルトーク ピアノ協奏曲第2番  (1977)

ついにシカゴへ!
当時、これが出たとき、そんな風に思った。
マーラーでアバドと良好な関係をお築きあげていたシカゴの共演。
ときにオケの一員とも思われるくらいに打楽器的な様相さえ呈するすさまじいばかりのポリーニのピアノ。
このふたりの朋友の最高傑作だと思う。

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 ノーノ 力と光と波のように (1973)

ジャケットは借り物です。
レコード時代、前衛ということで、アバドが珍しくバイエルンと録音したというのに、この派手なジャケットに手がでなかった。
ノーノ、ポリーニ、アバドという3人が共感しあってのもの。
コミュニストとしてのノーノの当時の思いは、いまや化石化しているともいえるが、電子音やテープ音、トーンクラスターなども当時の前衛を今聴くのも懐かしさを感じる。
それこそ、打楽器としてのピアノは、ポリーニあってのもの。
今年1月、52年前に初演されたミラノのスカラ座で、メッツマッハーの指揮で演奏され、わたしも録音した。
おりしもそれは、ノーノの生誕100年とアバド没後10年のための演奏でした。
そのあとポリーニが逝ってしまうなんて・・・・

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            スカラ座のHPより


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  ベートヴェン 後期ピアノソナタ集 (1975~77)

若い頃にいきなり後期作品を一挙に録音。
ここでも冴えわたるポリーニの明晰極まりない音。
澄み切ったベートヴェンの後期様式に、イタリアの光が当てられたようで、そこにはまたミケランジェロの彫像のような力強さと、贅肉のとれた無駄の一切ない引き締まったイメージを感じさせる。
バックハウスのベートーヴェンばかりを聴いていた自分には、ヴェールが1枚はがされたような気がしたものだ。
協奏曲は、ベームとではなく、この頃にアバドとシカゴあたりで録音して欲しかったものだ。

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イギリスのクラシック専門チャンネルの訃報ツィート。

先月の小澤さんの訃報に続いて、こうも世界に音楽家の悲しみの知らせが駆け巡るとは・・・

ショパンコンクールで彗星のごとく現れ、その後名前を消したかのように、楽壇から姿を消したポリーニ。
その後、70年代に突如として出現して、年代的にも音楽をどんどん吸収していった自分のピアノ分野での指標となったのがポリーニ。
2000年以降はあまり聴かなくなってしまいましたが、ずっと聴いてきたポリーニのピアノ。

ポリーニの前は、私世代では、バックハウス、ケンプ、ルービンシュタイン、リヒテルなど巨匠の時代でした。
そこに出てきたのが、アルゲリッチ、アシュケナージ、バレンボイム、そしてポリーニでした。
演奏スタイルのありかた、聴き方も変化していくなかで、ポリーニは巨匠ではなく修道僧にも似た音楽の探究者だったと思います。
よりヒューマンなアルゲリッチともぜんぜん違います。

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2009年にルイージとドレスデンの演奏会の曲間に、ホールの外に深呼吸しに出たら、どうみてもポリーニさんに遭遇。
一服されてました。
ツァラトゥストラとアルペンというシュトラス大会、ポリーニさんも聴いていたんです。

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スカラ座のHPは、ポリーニの追悼と変わってました。

喝采を受けるポリーニの姿、いい写真です。

天国でアバド兄貴とブラームスをやろうよ、と語り合ってるのかな・・・

マウリツィオ・ポリーニさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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コメント

 あれは忘れもしない’86年5月9日、クライバー指揮バイエルン国立管の初日。文化会館の客席で小澤征爾さんとポリーニの姿をお見かけしました。クライバーが世を去ってこの夏で20年、そして小澤さんとポリーニがほんのひと月半ほどの差で旅立たれようとは…。

 ところがLP時代からポリーニの録音はペトルーシュカとプロコフィエフ、さすらい人幻想曲、ベームとのモーツァルト、アバドとのブラームスと、発売ただちに購入したものが少なくないのに実演はついに聴かず仕舞で…同じ時期にはもっぱらアルゲリッチを追っかけていたあおりでした。

 ところでそのアバドとのブラームスですが、どこかのインタビューでアバドが「あれはライヴ収録だったんだよ」と話しているのを読んだ覚えが。確かにLP当時に何か気配がライヴみたいだなぁと思っていて、楽友協会での映像もありデータも前後3日間ですからその翌年から本格的に始まったDGのバーンスタインのライヴ収録のテストケースだったのかもなどと考えます。

 また余談ですが、先年の高松宮殿下記念世界文化賞の授賞式でのソフィア・ローレンとポリーニのツーショットを見て、二十世紀後半のイタリアを代表する女優とピアニストなのにあまり親交がなかったのかお二方ともいささかよそよそしい様子だったのが印象的で…あとソフィアが頭半分ほど長身だったのも。

 ともあれ小澤さんに続き、半世紀以上も我々を導いて下さった巨匠の相次ぐ訃報にはやりきれない気持ちのみです…R.I.P.

投稿: Edipo Re | 2024年3月25日 (月) 11時48分

yokochan様
実は23日に『Yahoo!知恵袋』のクラシック・カテゴリーを閲覧している際に、ポリーニ氏の訃報を知り、仰天いたしました。
御年齢からして、いつかはお迎えが‥との思いはございましたものの、やはりショックでした。2024年は、小澤征爾さんとポリーニ氏の訃報が年の序盤に相次ぎ、私めごとき古手のファンの端くれには、やるせない年と申せましょう。前述の『Yahoo!知恵袋』の御投稿に、ポリーニこの一枚なら貴方は?なるものがございまして、私めも厚かましくも私見を述べさせていただきましたが‥。
本日はこの辺りで、失礼を‥。

投稿: 覆面吾郎 | 2024年3月26日 (火) 15時22分

仙人みたいな生活をしており訃報を知ったのが本日。スカラ座のHPの件は追っかけたもののさすがに変更されており、気になって仕方がなかったのですがこちらでやっと拝見できました。老齢のピアニストの足元の、これまた年季の入った床が良い味出してますね。ありがとうございました。

最近はリサイタルのキャンセルも多く、バックハウスやホロヴィッツレベルとまではいきませんでしたが、ピアノ一筋、生涯現役という素晴らしい生き様だったと思います。マエストロ、ありがとう。

投稿: えかき | 2024年3月28日 (木) 20時11分

Edipo Reさん、こんにちは。
クライバーの来日公演に臨席したお二人、きっと私が新日フィルでシェ-ンベルクを聴いたときだと思います。
みんないなくなってしまいますね・・・・
アバドとのブラームス2番、DVDと同じときの演奏ですので、やはりライブなのかもしれませんね。
 あとご指摘のソフィア・ローレンとのツーショット、さきほど検索して見てきました。
往年の名女優、貫禄たっぷりで、おっかない雰囲気ですね。対するポリーニさんは、好々爺然とした感じでほほえましいです。
ポリーニのような存在のピアニストはもういなくなってしまい、この先も出てくることはないかと思えます。
そうした意味でも寂しい思いが募ります。

投稿: yokochan | 2024年4月 1日 (月) 09時32分

覆面吾郎さん、こんにちは。
突然、ふってわいたような訃報でした。
わたしもまったくビックリしました。
年度の序盤でこれだけ続く思わぬ悲報、この先も不安が募ります。
冗談抜きに、ご高齢となった長年親しんでいた歌手たちを検索したりして、近況を探ったりもしてしまいました。
オールドリスナー愛好家にとって、芸術家の訃報はこたえますね。
彼らの音楽で、若い頃から音楽生活を育んでいたからです。
わたしには、ポリーニのショパンは鮮烈でした。。。。

投稿: yokochan | 2024年4月 1日 (月) 09時43分

えかきさま、こんにちは、コメントどうもありがとうございました。
スカラ座のサイト、通常版に戻ってますね。
上演スケジュールに沿った内容で、話しは変わりますが、プッチーニのつばめとか、ウィリアムテルとか、魅力的な演目です。

ポリーニの晩年様式、新しいCDはまったく聴いてませんでしたので、この際いろいろ聴いてみなくてはと思ってます。
往年の大ピアニストとは違う存在だったのが、まさにポリーニだったと思います。
寂しいですが、素晴らしい一連の音源も残していただき、感謝です。

投稿: yokochan | 2024年4月 1日 (月) 09時49分

ポリーニ大先生 お亡くなりになり 寂しく感じている所です. 私は元々 ホロヴィッツ,リヒテル,バレムボイム,リュービンシュタイン, バックハウス,クララハスキル,アシュケナージ等を 聴いていたのですが 後で ポリーニの魅力に気づき, ポリーニって 演奏している時の表情が いいなぁと,私は好きでした. それなのに あと もう少し 長生きして ほしかったですよね. 最近 巨匠達が どんどん お亡くなりになっていますので 気分的に 私も自分の 将来 , 老後を 考えてしまい 落ち込みます. ポリーニはイタリア人なので 演奏中の姿や インタビュー時の話し方, 表情が 何となく イタリアっぽい気がするのですが 魅力のある 芸術家と いう感じに思います.ヴェッキオ橋や ヴェネチアの どこかの職人に ポリーニの様な人が いそうな気が します.(ポリーニは巨匠では なくて修道僧にも似た音楽の 探究者) と いう お言葉に 私も同感です. ベームとウィーンフィルとの 協奏曲は ベームを 時々 見る ポリーニの目が 私には 孫と祖父みたいで? 愛らしく 感じています.ポリーニの目は 魅力的 です. 安らかに天国で.....

投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月10日 (月) 00時06分

ケ.ボルテールさん、こちらにもコメントありがとうございます。
ポリーニの死は、正直にショックでした。
わたくしも、クラシック聴き始めのころは、ちょうどベートーヴェン生誕200年の頃でもあり、現役のケンプ、伝説級のバックハウス、ルービンシュタイン、まぼろしのリヒテル、そんな大物に交じってアシュケナージやベロフなどでした。
そのあとすぐに出現したのがポリーニなのでした。
ジュリーニやアバドのように知的でありつつ、情熱も備えたピアニストでしたね。
イタリアの美術の巨人の造り上げた彫像のような逞しさも感じるその音楽でした。

投稿: yokochan | 2024年6月15日 (土) 14時13分

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