バッハ マタイ受難曲 ヨッフム指揮
いま咲き始めたソメイヨシノではなく、こちらは少し前の河津桜。
富士の見える丘があるのは、今いる町の隣の町です。
丹沢山脈と大山も大きくみえるステキな場所。
どんなこと、いろんな辛いことがあっても季節は巡ってくる。
春がやってきて、宗教に関係はなくとも、復活祭の日が来ると聴きたくなる音楽。
バッハ マタイ受難曲 BWV244
福音史家:エルンスト・ヘフリガー
イエス:ワルター・ベリー
ペテロ:レオ・ケテラース
アルト:マルガ・ヘフゲン
ソプラノ:アグネス・ギーベル
テノール:ヨン・ファン・ケステレン
バス:フランツ・クラス
オイゲン・ヨッフム指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送合唱団
アムステルダム聖ウィリブロード教会少年合唱隊
(1965.11 @コンセルトヘボウ アムステルダム)
わたしのような世代にとって、マタイ受難曲はかなり特別な存在であり、カール・リヒターの演奏こそが絶対的な存在でありました。
音楽聴き始めの少年にとって、レコ芸のみが音楽知識と情報の根源だったので、評論家諸氏が、「マタイ」という音楽の素晴らしさを連呼し、リヒターのアルフィーフ盤が基本ベースとして語られることが多かった。
当然にマタイを理解するには、東洋の中学生には無理なはなしで、その音楽のみは、リヒターのサンプラーレコードでの最終合唱の場面にみを知るという状況でした。
そんな私に、「バッハのマタイ」を知らしめたのは、ヘルムート・リリングが手兵のシュトットガルト・ゲヒンガー・カントライを率いて来日し、NHKでそのマタイが放送されたときだ。
アダルペルト・クラウスのエヴァンゲリストも鮮烈だったし、なにより聖書を読む福音史家という存在そのものが興味の大いなる対象となった。
ミッション系の学校にいたので、聖書と読み比べ、「マタイによる福音書」の受難の場を実際に読んで、バッハがどう音楽にして、共感して、そこに合唱やアリアをいかにつけていって、感動的な大きな作品をつむいでいったか、そのあたりをよく調べ、勉強もしました。
そこで初めて買ったマタイのレコードが、リヒターではなく「ヨッフムのマタイ」でした。
理由は簡単、フィリップスが宗教音楽の廉価シリーズを出しまして、このマタイは1枚1,800円の4枚組ということで手の出しやすい価格だったからなのです。
このジャケット、レンブラントの「キリストの昇架」を用いていて、オランダつながりでこの演奏にも似た落ち着きと、ほの暗さを感じる秀逸なものだった。
タワレコの復刻CDを入手したが、ここではデッカの濃青と赤のレーベル刻印があり、イメージ的にちょっと残念。
復刻されたその音は、65年という年代を感じさせる、丸っこいもこもこ感もあり、その点はレコードで聴いていた心象のそのままで、もっと刷新された音を期待したものの、でもやはり安心したというのが正直なところでした。
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メンゲルベルク以来の伝統あるコンセルトヘボウの「マタイ」
同楽団の演奏アーカイブを調べてみました。
遡ると1891年からマタイの演奏歴はありました。
作曲家だったユリウス・レントゲンからの記録、メンゲルベルクは1899年から登場し、アーベントロートなどの登場もありますが、1944年までずっと続きます。
その後は、クレンペラーをはさんで、1947年からはベイヌムとなり亡くなる58年まで。
ここでハイティンクが登場するかと思いきや、ベイヌムの追悼演奏会で、マタイの最終合唱曲とブルックナーの8番を指揮したのみでした。
こうしたアーカイブを眺めるのはほんと楽しいです。
メンゲルベルク、ベイヌムのあとを継いだのはオイゲン・ヨッフムです。
ヨッフムは、1961年から1972年まで、コンセルトヘボウのマタイの指揮者となりました。
それ以降の指揮者たちは、ライトナー、ノーベル、アーノンクール、コープマン、フェルドホーフェン、シャイー、ヘルヴェッヘ、ノリントン、I・フィッシャー、I・ボルトン、ブットと年替わりで変わってます。
かつてのようなマタイの絶対的な指揮者がコンセルトヘボウにはもういない、ということでありましょう。
この構図とまったく同じに思えたのが、「バイロイトのパルジファル」です。
クナッパーツブッシュの絶対的な存在のあと、ブーレーズと、ここでもまたヨッフムが続いたわけで、その後は演出も長く続くものはなく、指揮者もその演出によって変わるようになりました。
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ヨッフムの滋味あふれるバッハ。
ヨッフムはバッハの4つの宗教作品をすべて録音しました。
オーケストラもコンセルトハボウとバイエルンというヨッフムにもっとも親しいオケであり、かつブルックナーを指揮するときの手兵でもありました。
古楽器や現代楽器でも古楽奏法によるバッハに耳が慣れてしまった自分。
従来奏法による、フルオケによる演奏は、なんだかとても懐かしく、むかしの家のタイルの風呂にバスクリンを入れて入ったような、そんな安心感と懐かしさを感じます。
変な例えですが、むかしのお風呂はよく響く残響豊かなもので、いまのお風呂はデッドな響きだと思ってます。
子どもの頃、お湯をはらない風呂場にラジカセを持ち込んで楽しんだものです。
話しは脱線しましたが、そんな懐かしい温もりあるマタイの演奏。
リヒターのような厳しさはなく、温和な雰囲気とイエスへの愛情と穏やかな信仰心の裏付けのある誠実な演奏。
ドイツの街々には宗派は問わず、教会があり、街のいたるところに磔刑のイエスが立ったり、宗教画が掲げられたりします。
そんな日常風景が似合う、そこで聴かれているようなマタイだとも思いました。
ヨッフムの温和で、全体を包み込むような優しいタッチの音楽づくりは、健全きわまりないバッハ演奏にふさわしく、ドイツ・ヨーロッパのどこにでもある教会から派生した音楽であることを強く思わせます。
歌手の平均値が高いことも、毎年同じメンバーできっと演奏してきたルーテイン感を通り抜けた完璧な均一な色合いがあることでわかります。
なんといっても、ヘフリガー。
リヒター盤での禁欲的な存在から、少し踏み込んで、人間味を感じる豊かさと、完璧なまでのディクション。
見事の一言につきるし、過剰でない節度を保った感情表現もヨッフムの音楽姿勢によくあってます。
同じことがベリーにもいえて、歌のうまいベリーがかなり神妙に感じたりも。
ギーベル、ヘフゲンといった女声陣も慎ましくも感動的な歌唱で、泣かせます。
若き日より聴きなじんできた音楽家の重なる訃報。
自身でいえば、介護に明け暮れながらも、自宅で仕事ができることのありがたさ。
なによりも、身近なところで、人間の老いの哀しみと希望の見出し方など・・・・いろんな経験と発見がある喜び。
そんななかで聴いた、耳に馴染みある「ヨッフムのマタイ」がともかくありがたかったし、変わりなく耳に響いたことがうれしかった。
ペテロの否認のあと「Erbarme dich」をまじまじと聴く、そして涙す・・・・
ロマンティックに傾くヴァイオリンソロ、遠景のように遠くに響くオーケストラ、感情表現少なめの淡々としたヘフゲンのソロ。
いまではありえない、再現のしようもない、60年代のヨーロッパのバッハ。
世界は東西陣営の時代から、大国陣営の時代、さらにはいまや分裂・分断により多極化の時代となった。
各地で起きてる戦争行為は、同じ連中のもので、次の大戦がもはやサイレントに起きているとも思われる。
こんな世界でも、音楽はかわりなく響き、あらゆる垣根なく、世界の人間に等しく感動的に響く。
ことにバッハの音楽はそのような存在だと思いたい・・・・
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コメント
うわっ、このヨッフム盤のジャケット、めちゃくちゃ懐かしい! 小生もこの廉価盤が最初に購入したマタイでした(フィリップスから発売されたdigitally remasteredのCDも所有しています)。その後、自分の好きなCDが自由に買えるようになってから、リヒターの新旧はもちろん、メンゲルベルク、クレンペラーから最近はやりのOVPPまでいろいろ購入しましたが、自分のマタイの原点はやはりこのヨッフム盤にあるようです。刷り込みとはおそろしいものですね。
コンセルトヘボウ管は亡父のお気に入りで、来日公演のチケットを購入していたが、ベイヌムの急逝で指揮者が代わり、ヨッフムがブラームスの4番を振ったが、アンコール曲が用意されておらず、3楽章をもう一度演奏したとか、よく聞かされました。小生が生まれる前、大阪にフェスティバルホールができた頃の話です(笑)。
初夏のような暑さになったり不順な気候ですね。ご自愛ください。
投稿: KEN | 2024年4月 2日 (火) 07時06分
KENさん、こんにちは、コメントありがとうございます。
同じレコードをお持ちだったとのこと、懐かしい思いを共有できまして、めちゃくちゃうれしいです。
タワレコの復刻前の本家CD化の音源もお持ちなのですね。
懐かしいフィリップス録音は、同時期のハイテインクのブルックナーヤマーラーと同じような音色と雰囲気を感じさせます。
つくづく良き時代でした。
首席となったハイテインクを補佐するように、ふたりで来日したコンセルトヘボウ公演。
69年のレコ芸で、その写真を見てました。
このときすでに、頭髪のないクリっとしたハイティンクに、好々爺のようなヨッフム、ふたりの記者会見写真でした。
遠き過去こそ、よき時代と懐かしんでます。
ご丁寧なお言葉もありがとうございます。
投稿: yokochan | 2024年4月 3日 (水) 21時50分