アバド&ロンドン交響楽団
この周辺に20年ぐらい仕事をしつつ、なかば住んでました。
離れてみても、たまに行く都内は、日々変化していて、ずっと変わらない景色というものがない。
あふれかえる内外の人々も同じく、常に変わり、流動してます。
しかし、大都会の東京は、アメリカのNYとかLAのようにでなく、日本人主体のカッコいい都市であり続けて欲しいと思います。
いま世界の大都市が、その国のオリジナルの姿でなく、多様性の言葉のもとに、広範な思想や他民族のもとに、似て非なる多様性のもとにさらされ、本来の姿を失いつつあります。
ロンドンもその典型で、いまやネイティブのロンドン市民は少数派となり、7割くらいが他民族と化し、ネイティブは国内の他の地に移り住んでいるともいいます。
敬愛するクラウディオ・アバドの生誕に、アバドの愛したロンドンの地のいまを思うにあたり、アバドのいたロンドン響をあらためてふりかえってみようと思いました。
アバド91回目の誕生日に、まだとりあげてないオペラの記事にしようかとも思いましたが、数日前に観劇のシュレーカーのオペラ記事もまだ未完だし、なにかと忙しく、そうだ相思相愛だったロンドン響で行こう!と思ったのでした。
アバドとロンドン響の録音は、いま手持ちのものを数えたら47種ありました。
全曲ものなどは枚数でカウントしました。
ロンドン響とのアンソロジーCDボックスは46枚組で、しかもニューフィルハーモニアやECオケなども含んでいて、逆にRCAへの3枚がないので、差し引き47種が正解かと。
1966年から1988年までの22年間での録音記録です。
ロンドン交響楽団は、1979年にプレヴィンのあとの首席指揮者としてアバドを楽員の総意で首席指揮者に任命。
さらに楽団初の音楽監督として、1983年の日本に来日公演中に就任。
当時の楽員代表のオーボエのキャムデンは、モントゥー時代のフランス、ケルテス時代のスラヴ系、プレヴィンにおけるロシアと英国系。
これらの伝統をふまえつつ、ベームに総裁を依頼してドイツものを、同時期のアバドにはそのうえでのオールラウンドなレパートリーを見こし、望んだという当時の楽員の総意を述べておりました。
ロンドン交響楽団のポストは、1979から1988年の9年間でした。
任期の延長は楽団もロンドンっ子も熱望しましたが、ウィーン国立歌劇場の音楽監督や若いヨーロッパ室内管の指揮で多忙だったアバドは、惜しまれつつロンドンを去ることになりました。
実演では、いつもお世話になっているアバド資料館によりますと、アバドは1966年10月の共演以来、1988年11月の最後の演奏会までとあります。
最初の演奏曲目は、「ヒンデミットのウェーバー交響的変容、ベートーヴェン協奏曲4番、展覧会の絵」
最後の演奏曲目は、「プロコフィエフのチェロ協奏交響曲(ロストロポーヴィチ)、ダフニス全曲」
最初と最後、いかにもアバドらしいプログラムです。
プロコフィエフが好きだったアバドは、チェロ協奏交響曲を録音しなかったのが残念ですが、ダフニスはこのとき録音されて、ラヴェル全集を完成させました。
こんな数あるアバド&ロンドン響の音盤を順位付けなどできません。
いずれも自分には懐かしく、そして輝かしい演奏ばかりなのですから。
ですが、あえて大好きな演奏を列挙します。
楽団がアバドに期待したもの、アバドはほかでは、こんなに自由にふるまえなかったもの、こんなレパートリーを選んでみました。
①「ロッシーニ チェネレントラ」
セビリアもよいが、アバド初のオペラ録音で、かつ何度も上演して手の内に入った清新極まりない演奏。
ロッシーニ演奏の新たなルネサンスの一翼を担ったアバドならでは、またオーケストラのニュートラルな素質が最大限活かされている。
2種ある序曲集も、ほんとうはヨーロッパ室内管よりも好きだったりします。
あと強いて申さば、ベルリンでもロッシーニ序曲集をやって欲しかったものです。
②「ストラヴィンスキー」
三大バレエとプルチネッラ、小気味よく、軽々とした、スマートかつスポーティな演奏に思う。
ハルサイは、同曲で一番好きな演奏だし、高校時代から擦り切れるほどに聴いた。
ウィーンで録音しないでくれてよかった。
③「モーツァルト」
最後のふたつの交響曲は、極めつくした構成感とキリリとした完璧な造形とで、立派すぎる演奏。
のちに古楽的なアプローチをみせた晩年のスタイル、また流麗でオケの自在さを活かしたようなベルリンフィルでのモーツァルト、これらと明らかに違うモーツァルトは、さかのぼって聴いてみても特有のアバドならではの古典とロマンを感じさせる名演です。
ゼルキンとの7CDにおよぶピアノ協奏曲シリーズも、豊かすぎる音楽がそこにあり、枯淡のゼルキンがロンドンのブリテッシュモーツァルトスタイルにしっかり乗っていることを実感できる。
④「メンデルスゾーン」
清潔さと歌心にあふれた気持ちのいいメンデルスゾーンは、アバドとLSOの独壇場。
60年代のデッカへの録音の方が、わたしは、ともかく歌いまくる演奏で大好きなのですが、もっと大人な落ち着きと、LSOの美質を活かした、これぞイギリス的な演奏もいいです。
デッカとDGの録音のイメージの違いを聴きとるのも楽しい。
⑤「プロコフィエフ」
古典、第3交響曲、ロメジュリ、道化師、アレクサンダーネフスキー。
どれもこれも素晴らしく、同曲の最高の演奏といえる。
とくにネフスキーは、爆発力と原色のむき出しの音色が、アバドとLSOでさらに研ぎ澄まされ、それを明るい音色で解放してしまう、ユニークな名演。
いまや人気曲の第3交響曲のすごさにも、若いアバドは敏感に反応していた。
⑥「ビゼー」
アルルとカルメン、アバドが、そこにともにある「ジプシー」という概念を感じ共感して渋い演奏を打ち立てた。
華やかさはともになく、ドラマ性と共感力でもって仕上げたビゼーの世界はいまでもユニーク。
ジプシーにまつわる音楽をアバドはずっと演奏し続けたと思います。
⑦「ムソルグスキー」
アバドが愛したムソルグスキー。
アバドのムソルグスキーは渋く、内省的。
その音楽の背後にある社会性に着目して、さらには新ウィーン楽派にも通じる革新性と求心性をも感じて演奏していたものと思う。
RCAレーベルに録音した、「はげ山」のオリジナルや、ほかのオペラの断片など、クソ渋さを情熱でもって熱く演奏した。
1回目の「展覧会」など激シブです。
⑧「ブラームス 交響曲第4番」
ロンドンでは、4つのオケを振り分けた交響曲全集で4番の演奏に選択。
録音がイマイチながら、ゴシック調の渋さと、音色の明るさ、さらには熱のこもった没頭感なども引き出した意外なまでの名演に思う。
⑨「ヴェルディ」
スカラ座で指揮しつつ、ロンドンでの活動。
オペラ録音を残さなかったけれど、シンフォニックでありつつ、歌にあふれた鮮やかなロンドンでの序曲集は、のちのベルリンでの輝かしさとはまた違った名演。
東側のブルガリアの巨星、ギャウロウのヴェルディの素晴らしさを若いアバドが引き出したアリア集も、ロンドンのオケがオペラのオケであるかのような驚きを与えてくれる。
⑩「ドビュッシーとラヴェル」
このふたりのフランスの作曲家も、アバドとLSOでは、ほの暗い、薄明りのなかの感覚にあふれた、でもフランス的なホワットしたイメージでなく、明確で透明感あふれる音楽となる。
ラヴェルでは、そうした一面と、熱い歌心が爆発していてオケを熱狂させるボレロも生まれた
⑪「コンチェルト」
合わせものでは、常に奏者たちからの信頼の厚かったアバド、なかでもLSOとのコンビでの名演奏は数知れず。
アルゲリッチとの伝説級のショパンとリスト、ベルマンとのラフマニノフ、クレーメルとの四季、ブレンデルとシューマン、先にあげたゼルキンのモーツァルト、そして超名演・名録音のポゴレリチとのチャイコフスキー。
結局、そのすべてを聴きこんで馴染んでる「アバド&LSO」、ぜ~んぶ大好き。
再掲となりますが、アバドとロンドン交響楽団の1983年のワールドツアーの一環での日本訪問
東京公演すべてを最上の席で聴いた。
独身のサラリーマン生活も慣れたもので、そのわずかな給料は音楽と酒につぎ込む日々でした。
まさに、酒と音楽の東京での独身生活の日々。
①ストラヴィンスキー 「火の鳥」
マーラー 交響曲第1番「巨人」
(1983.5.17 昭和女子大、人見記念講堂)
②ラヴェル 「ラ・ヴァルス」
マーラー 交響曲第5番
(1983.5.19 @東京文化会館)
③バルトーク 「中国の不思議な役人」
ベルリオーズ 「幻想交響曲」
ブラームス ハンガリー舞曲第1番 (アンコール)
(1983.5.20 @東京文化会館)
いずれもS席という、いまや生活に疲れ果てた老境の域にある自分には眩しすぎる席での鑑賞。
最初から最後まで、アバドの指揮姿に釘付け。
スカラ座来日のシモンでのピットの中のアバドも近くで観劇しましたが、コンサートでの指揮姿はまた格別。
「大好きなアバドの指揮ぶりが、まさに目と鼻の先、2mくらい? で展開されたのだ。
思ったより大きい身ぶり。スカラ座のときより派手じゃないかな。
しかし、的確な動き、そしてクライマックスを築く巧さ、やはりLSOだと安心して力が入るのかな・・・・」
当時の日記から。
ここは、あらためて日記を読み返し、追加で書き足す予定です。
パンフレットには、LSOのパトロン、エリザベス女王のお言葉もありました。
女王陛下のオーケストラとも言われた当時のロンドン交響楽団です。
まちがいなく、ロンドン交響楽団はアバドの時代がひとつの黄金期でした。
アバドはやりたいことが心置きなくできるオーケストラだったし、オーケストラもアバドに全幅の信頼を最初から最後まで寄せ、アバドの思う音を素直に音にしたフレキシブルな存在でした。
ラトルがミュンヘンに転出したことは残念でしたが、そのあとのロンドンのお膝元にいた、パッパーノの就任は、LSOにとって最高のパートナーの選出だったと思う。
パッパーノは、アバドに近いものを感じる、ワタクシですから。
クィーン・エリザベスとアバド。
奥はアバド大好きのオーボエ、キャムデン、手前はコンマスのマイケル・デイヴィス。
アバド時代に開設した、バービカンホールでのひとコマかと思われます。
みんな物故してしまった・・・・
ロンドン時代、アバドは、ほんとに好きなこと、やりたかったことを次々に行いました。
マーラーを中心とする、ウィーン世紀末の音楽文化祭を行いました。
こうした試みは1985年当時、まったく革新的なことだったし、こうした試みを、次のウィーンとベルリンでもさらに充実させて成し遂げたアバドのすごさを、もっと知って欲しい。
同時にベートーヴェンのチクルスなどもロンドンでは行っていて、その音源はLSOの音源サイトで聴くことができます。
ウィーンとベルリンで残されたベートーヴェンやブラームスの一部、ロンドンでも正規に残して欲しかったです。
アバドはほんとうに、クレヴァーな指揮者だったし、ミラノ・ウィーン・ベルリンでは制約がありすぎて出来なかったことが、ロンドンでは次々にできた。
ミラノ・ロンドン・ウィーン・シカゴ・ベルリン・ルツェルン・ボローニャ(フェラーラ)。。。。
アバドの生涯を俯瞰するなか、それぞれの時代を、それぞれに大好きですが、私はロンドン時代が、自分の若き日々と重ねることもできて、忘れがたく捨てがたいものであると日々思ってます。
これからもアバド兄の音楽を新鮮な思いで聴き続けたいと思います。
6月26日 アバドの誕生日に
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コメント
そうなんです。
展覧会の絵は、私の中ではこれが最高ですね。ベルリンの方もまぁ、好きですが、ロンドン響とのアバドがこんなに華やいでいたんだ!と認識させてくれた1枚です。
私は昨日、つい先日急に逝った、アバドと同じ1933年生まれの母のことをかさねながら、マーラー3番の終楽章をウィーンとベルリンで、聴いていました。遂に父と母の写真が仏壇に並ぶ事になって、違和感を覚えつつも、自分の歳を再認識。でも、こんなときだからこそアバドを聴いて、前を向く勇気を貰おう、と思ってた次第です。
へたった時はアバドですね(๑•᎑•๑)♬*゜
ちょっと余談なのですが、ご存知かもですが、インスタのgmjo.グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団のアカウントで、小澤さんが亡くなった時の投稿が、アバドと、タングルウッドに行っている時の写真で、お二人の微笑ましいショットが、ほのぼのしていて、なんか、嬉しかったのです。ちょっと、ご報告まで。
あと、yokochanさんの、投稿が26日中ですーんごくうれしかったです。
まだまだ知らない事ばかりで、yokochanさんの記事は私のアバド指標でもありますから。(ほかも見てますよ( •̀∀•́ )✧)
これからもお導きよろしくお願いします。
投稿: にょろふきん | 2024年6月27日 (木) 10時27分
にょろふきんさん、いつもありがとうございます。
また巡ってまいりました、アバドのお誕生日。
ロンドン響との記事を書きつつ、併行してそれらの音源を聴いてましたら、ロッシーニとプロコフィエフですっかり興奮してしまいましたww
ご母堂様のご逝去、謹んでお悔やみをもうしあげます。
マーラーの3番は癒しとともに、この先の光や希望を与えてくれる音楽ですね。
アバドの指揮したマーラーで気持ちを引き締められた由、共感とともに、ほんとうによかったと思います。
これからも空白感を抱くこともおありかと存じますが、アバドのマーラーがあることはファンにとって、ほんとうに心強いことです!
タングルウッドでのお写真、わたしも見ました。
めちゃくちゃいいですね!
ウィーンやミラノで小澤さんを引き立てたり、アドバイスしたアバドですね。
これからもアバドの音楽を聴き、書いていきます、こちらこそよろしくお願いします。
投稿: yokochan | 2024年6月28日 (金) 22時13分
アバド様の素晴らしい記事にコメントを書くか悩みましたが過去の名盤について あまりに全てが 素晴らしく納得のゆく御説明ばかりですので 色々御負担を おかけ致しました お詫びと共に感想を書かせて頂きます. 私も ゼルキン好きなので いぃ !ですね. 又 良く見えるS席での御鑑賞は 素晴らしい 御経験であり その後の人生に多大な影響を齎した事でしょう.アバド様に関しては私なんぞが 兎や角 申すまでも無く全てが ここに書かれてあると思います. 又 エリザベス女王様の御姿お若いですね.元ダイアナ妃の葬儀の際 日本では有り得ない三連の真珠を 女王が御着用されていた事について私が昔 英国専門紙の編集長に その疑問を投げ掛けた事も 今では懐かしいもので 三連の真珠は英国王室が代々 普通に好んで身につけておられて 喪だから 一連という 日本特有の堅苦しい考えは無い様です. アバト様が なぜ 他の楽団では色々な制約から 自由に出来なかったのに 英国では可能であったのかを考えてみるのに 歴史ある英国王室の三連真珠にヒントが有る様に私は考えております. アバド様と 三連真珠が とりもつ芸術のあり方というものを考えて見る事も アバド様の素晴らしさを再発見できる きっかけになるのでは?と 思います. 毎日 暑いですので どうぞ御体 大切に なさって下さい.
投稿: ケ.ボルテール | 2024年6月29日 (土) 19時43分
コメント承認制導入に つきましては 世の中の 流れから 理解しましたが ただ 番号 数字が 黒い丸の中の点々と 渦巻きに紛れている為 特に8なのか 3なのかが わからなくて 見えづらい事と 数字を 下の中に入れて下さい と 書いてあるので 数字を入れても また 元に戻るだけで 送れているのか どうかが わかりません. 他のブログでは ( コメント受け付けました.コメントは管理人が チェックしてから 載せます. ) と いう 表示が 出るので こちらも そうして 頂けたら 確認しやすくて 助かりますので どうぞ 宜しく お願い 致します.
投稿: さとがくれ | 2024年6月29日 (土) 21時32分
ロンドンの時代のアバドについて、とてもうれしく読ませていただきました。実演に行ける年齢でもなかったのですが、マーラーの5番が名演だったことを当時の朝日新聞で読んだ記憶があります。
その後、モーツァルトとの40番と41番のレコードは大学時代、よく聞きました。
今、このコンビでよく聞くのはメンデルスゾーンの交響曲全集です。2番の「賛歌」が大好きなのです。
今月号の「モストリー・クラシック」にアバド没後10年の記事が掲載され、うれしく読みました。
回りにアバドの話をする人もいなくなりましたが、私は彼の指揮振りを思い出す度に幸せな気持ちになります。
(その後、アバドをコンサートやオペラで8回追いかけたのが、私の音楽生活のハイライトです。)
これからもアバドを聞き続けたいです。
投稿: beaver | 2024年7月27日 (土) 14時35分
beaverさん、こんにちは。
1983年のあの年の周辺、私はマーラー5番を、ベルティーニ、マゼール、ショルティ、小澤で聴きました。
いずれも素晴らしい演奏でしたが、アバドは熱量が桁違いで、同時に緻密、いまでも指揮姿を覚えてます。
忘れがたき、よき思い出です。
40番は、サントリーだかなんだかのCMに使われていた帰国もあります。
アバドのメンデルスゾーン、とりわけ2番はアバド向きの作品ですね。
幸せな解放感も感じます。
来日公演でもウィーンフィルでやりましたね。
音楽生活のハイライト!、私もまったく同感でして、実演でアバドに接した時のことを思い出すことは自分のなかの生き様も思い起こすことになり、懐かしさとともに、若さへの眩しさも感じる今日この頃です。
投稿: yokochan | 2024年7月28日 (日) 10時30分
yokochan様
アバド&ロンドン交響楽団のディスクでは、RCAへの『ロッシーニ序曲集』に拙い私見を述べさせていただきましたが、本家本元のDGへのレコーディングでは、タワレコ様がセット化して下さった、ストラヴィンスキー作品集の中の、『春の祭典』と『プルチネッラ』が、とりわけ好きです。
前者の素晴らしさは存分に語られておりますが、敢えて全曲を、テレサ・ベルガンサ、ライランド・デイヴィス(Decca、RCA等のオペラ全曲にしばしば参加なさっていた、テノーレ・リリコ)、ジョン・シャーリー・クワークと三人の名歌手を揃えて、録音に踏み切って下さいました。どこのレコード会社も、室内オーケストラでの組曲版で収録を済まそうとする中、アバドが全力投球し規範的な全曲レコードを作って下さったことに、深い歓びと感謝の念を抱きますね。
投稿: 覆面吾郎 | 2024年10月16日 (水) 09時57分