フェスタサマーミューザ2024 ノット&東響 オープニングコンサート
今年もフェスタサマーミューザの開幕を迎えました。
昨年に続き、オープニングコンサートに行ってまいりました。
連日、猛烈な暑さの続くなか聴いた「真夏のチャイコフスキー」はクールダウンにもなり、また熱気と興奮で熱くもなりました。
チャイコフスキー 交響曲第2番 ハ短調 op.17 「小ロシア」
交響曲第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」
ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
ゲストコンサートマスター:景山 昌太朗
(2024.7.27 @ミューザ川崎シンフォニーホール)
昨年は、3番と4番で、今年が2番・6番、ということは来年は1番と5番でチャイコフスキー全曲完結となりますか!
2026年3月がノット監督の任期なので、マンフレッドはどうなるか?
いずれにせよ、毎年の楽しみではあります。
①わかり切った名曲だと、パンフも見ずに聴き挑んで早々、耳に沁みついたアバドのふたつの音盤とあきらかに違う曲だと気が付いた2番の1楽章。
そう、1楽章をほぼ書き直した聴き慣れた8年後の改訂版でなく、初稿版を採用したノット監督ならではの慧眼。
冒頭の素晴らしいホルンの導入は同じなれど、その後が全然違う。
くり返しのくどさが増し、曲調も荒々しい雰囲気に。
2番のこのたびの演奏は、全般に荒々しさとスピード感と抜群のリズム感、雄大なまでのダイナミズムに満ち溢れた、まだまだロシアの民俗楽派の流れの元にもあったチャイコフスキーの姿を聴かせてくれたものだと思う。
チャイコフスキーは、ウクライナの南方にあるカムンカというモルドバ寄りのドニエストル川流域の地で夏の休暇を過ごし、そこでウクライナ民謡などを取り入れつつ作曲した。
南方へのあこがれと、それを体感し堪能した解放感がこの曲にはあります。
初稿版採用のこだわりは、そんな背景もあるのだと思いました。
パンフには、タイトルが「ウクライナ」とされ、かっこ書きで(小ロシア)と表記されてましたが、ウクライナ民謡が扱われていることからついた呼称なので正しいといえます。
チャイコフスキーの頃は、ウクライナでなく、ロシアからみたら「小ロシア」だったかと思います。
これ以上書くとややこしくなるし、多方面から矢が飛んできそうなので辞めます・・・
ともかく、爽快きわまりない、ノット&東響の2番でした。
蛇足ながら、曲中、補聴器ピーピーが2度聴かれました。
そのピーピーがメロディのように聴こえ、実際の演奏に同調しているかのように聴こえました。
ライブ録音もされていたなか、修正はなされるでしょうが・・・・
②名曲の鏡ともいえる「悲愴」に一石を投じるかのような、これもまた爽快な演奏。
なんたって、悲愴臭なし、いい意味で流れるような流線形的な演奏。
とくに1楽章での旋律の歌わせ方は、第1主題はさりげない表現で、切ないはずの第2主題もあっけない辛口表現。
まさかのバスクラ不使用のファゴット落ちの後の展開部のクライマックスも切実さよりは、より楽譜の的確・忠実な再現に務めた感じで、音楽の持つ力を信じての演奏に徹していたように感じた。
5拍子の2楽章でも辛口表現で、甘さなしで心地よい。
嫌でも興奮してしまう3楽章では、オケの威力全開で、ノットもここぞおばかりに煽りますし、オケも楽々と着いていく様子が、指揮者の真正面の位置で、楽員さんの演奏姿を見ていてよくわかりましたね。
拍手なしで堪えて終楽章。
ここでも徹頭徹尾、楽譜の忠実な再現ながら、気合とみなぎる指揮者の緊張感は並々ならず、オケもそれをヒシと受け止め、高まりゆく音楽の波をいやでも表出。
音楽の本来持つ力だけで、思い入れや、悲劇臭の注入・没頭感もなく、ここまで見事に演奏できるのだと体感。
低弦だけとなり、コントラバスのピチカート、チェロの低音だけで消え入るように曲は終わった。
静寂につつまれるホール。
全員で無の余韻をしばし楽しむ。
ノットが手を降ろして、しばし後に拍手がじわじわと広がり、やがてブラボーに包まれました。
これぞ、コンサートの楽しみ、喜びを堪能しました。
全方位、みんなの拍手ににこやかに答えるノットさんでした。
終演後、音楽聴き仲間とご挨拶し、軽く喉を潤しました。
音楽で観劇・興奮したあとの一杯は最高です。
夏はこんなツマミでいいんだよ。
バッハさん、毎年、日焼けしすぎじゃね。
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